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2019年6月18日 (火)

ワシの年金バカ再掲

なんだかもう、バカとアホとタワケが三つどもえで南海の大決闘をやらかしているような悲惨な状況下で、とりわけ狂った正義感に満ちあふれているらしき「りべらる」諸氏の言動には絶望感しかないので、新たに何かを書く元気も起こらず、過去のいくつかのエントリを再掲することで、一応の対応ということにしたいと思います。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-f716.html (年金世代の大いなる勘違い)

・・・これは確かにわたしも感じていることです。ただ、理由付けは異論があります。官僚への期待値も政治的疎外感も、逆方向に向かう蓋然性の方が高いはずです。

では、お前の考える理由は何か?

彼らが「年金生活」に入っていることそれ自体が最大の理由ではないか、と思うのです。

ただし、これは社会保障がちゃんと分かっている人には理解しにくいでしょう。

公的年金とは今現在の現役世代が稼いだ金を国家権力を通じて高齢世代に再分配しているのだということがちゃんと分かっていれば、年金をもらっている側がそういう発想になることはあり得ないはずだと、普通思うわけです。

でも、年金世代はそう思っていないんです。この金は、俺たちが若い頃に預けた金じゃ、預けた金を返してもらっとるんじゃから、現役世代に感謝するいわれなんぞないわい、と、まあ、そういう風に思っているんです。

自分が今受け取っている年金を社会保障だと思っていないんです。

まるで民間銀行に預けた金を受け取っているかのように思っているんです。

だから、年金生活しながら、平然と「小さな政府」万歳とか言っていられるんでしょう。

自分の生計がもっぱら「大きな政府」のおかげで成り立っているなんて、これっぽっちも思っていないので、「近ごろの若い連中」にお金を渡すような「大きな政府」は無駄じゃ無駄じゃ、と思うわけですね。

社会保障学者たちは、始末に負えないインチキ経済学者の相手をする以上に、こういう国民の迷信をなんとかする必要がありますよ。

労働教育より先に年金教育が必要というのが、本日のオチでしたか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-7e36.html (「ワシの年金」バカが福祉を殺す)

・・・この問題をめぐるミスコミュニケーションのひとつの大きな理由は、一方は社会保障という言葉で、税金を原資にまかなわなければならない様々な現場の福祉を考えているのに対し、他方は年金のような国民が拠出している社会保険を想定しているということもあるように思います。

いや、駒崎さんをクローニー呼ばわりする下司下郎は、まさに税金を原資にするしかない福祉を目の敵にしているわけですが、そういうのをおいといて、マスコミや政治家といった「世間」感覚の人々の場合、福祉といえばまずなにより年金という素朴な感覚と、しかし年金の金はワシが若い頃払った金じゃという私保険感覚が、(本来矛盾するはずなのに)頭の中でべたりとくっついて、増税は我々の福祉のためという北欧諸国ではごく当たり前の感覚が広まるのを阻害しているように思われます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-d4d3.html (「ワシの年金」バカの脳内積立妄想)

・・・このエントリは、どちらかというと大きい政府小さい政府論の文脈で、なぜ社会保障で生活しているはずの年金世代が小さい政府といいたがるのかというパラドックスを指摘したものですが、実は、年金制度それ自体の内部で、まさにこの「脳内積立妄想」が猛威を発揮しているのが、今日ただいまの「年金カット法案」という醜悪なネーミングであるように思われます。

ニッポンという大家族で、子どもと孫の世代が一生懸命耕して田植えして稲刈りして積み上げたお米を、もう引退したじいさまとばあさまも食べて生きているという状況下で、その現役世代の食えるお米が少なくなったときに、さて、じいさまとばあさまの食う米を同じように減らすべきか、断固として減らしてはならないか。

多分、子どもや孫が腹を減らしてもじいさまとばあさまの食う米を減らしてはならないと主張する人は、その米が何十年もむかしにそのじさまとばあさまが現役で田んぼに出て働いていた頃に、自分で刈り取ったお米が倉の中に何十年も積み上げられていて、それを今ワシらが食っているんじゃ、と思っているのでしょう。

いろいろ思うに、ここ10年、いや20年近くにわたる年金をめぐるわけの分からない議論の漂流の源泉は、そもそも現実の年金が仕送りになっているということを忘れた「ワシの年金」バカの脳内積立妄想に在るのではないか、というのが私の見立てです。

そのとんでもない破壊力に比べれば、経済学者の中の積立方式に変えろ論など可愛いものではないか、と思ってしまいます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-0196.html (上野千鶴子氏の年金認識)

いやもちろん、拙著『働く女子の運命』の腰巻で「絶賛」していただいた方ですから、悪口を言いたいわけではないのですが、やはり問題の筋道は筋道として明らかにしておく必要があろうかと思います。・・・・

なお、もう少し理論的に説明したものとしては、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-9649.html (財・サービスは積み立てられない)

・・・この問題は、いまから10年前に、連合総研の研究会で正村公宏先生が、「積み立て方式といおうが、賦課方式といおうが、その時に生産人口によって生産された財やサービスを非生産人口に移転するということには何の変わりもない。ただそれを、貨幣という媒体によって正当化するのか、法律に基づく年金権という媒体で正当化するかの違いだ」(大意)といわれたことを思い出させます。

財やサービスは積み立てられません。どんなに紙の上にお金を積み立てても、いざ財やサービスが必要になったときには、その時に生産された財やサービスを移転するしかないわけです。そのときに、どういう立場でそれを要求するのか。積み立て方式とは、引退者が(死せる労働を債権として保有する)資本家としてそれを現役世代に要求するという仕組みであるわけです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-a96e.html (積み立て方式って、一体何が積み立てられると思っているんだろうか?)

・・・「積み立て方式」という言葉を使うことによって、あたかも財やサービスといった効用ある経済的価値そのものが、どこかで積み立てられているかの如き空想がにょきにょきと頭の中に生え茂ってしまうのでしょうね。

非常に単純化して言えば、少子化が超絶的に急激に進んで、今の現役世代が年金受給者になったときに働いてくれる若者がほとんどいなくなってしまえば、どんなに年金証書だけがしっかりと整備されていたところで、その紙の上の数字を実体的な財やサービスと交換してくれる奇特な人はいなくなっているという、小学生でも分かる実体経済の話なんですが、経済を実体ではなく紙の上の数字でのみ考える癖の付いた自称専門家になればなるほど、この真理が見えなくなるのでしょう。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-545a.html (年金証書は積み立てられても財やサービスは積み立てられない)

・・・従って、人口構成の高齢化に対して年金制度を適応させるやり方は、原理的にはたった一つしかあり得ません。年金保険料を払う経済的現役世代の人口と年金給付をもらう経済的引退世代の人口との比率を一定に保つという、これだけです。

 

 

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コメント

もしも「財・サービスは積み立てられない」なのだとしたら、特に年金に限ったことではなく、いかなる財も積み立てられない、ということになるのでないのですか?そのような意味不明なスローガンではなく、

【多数の人々が働かずに生活することが可能】なほどには、「財・サービスは積み立てられない」と言うべきでしょう。

逆に言えば、【少数の人】が働かずに生活することが可能なほどには、財・サービスが積み立てられてきたことは単なる事実ですね。ここでのポイントは公的年金は【ごく一般的な人々】が対象である、ということでしょう。

>自分が今受け取っている年金を社会保障だと思っていないんです。
>まるで民間銀行に預けた金を受け取っているかのように思っているんです。

年金に対してそう思う人がいるのは、年金の支払いが
 ・支払期間が決まっている
 ・たくさん支払うとたくさん貰える
という特徴があるからだと思います。これは国債を分割払いで買うのと同じなので、年金を昔買った国債の償還金を分割して受け取っているかのように思う人がいるのだと思います。
同じ社会保障でも健康保険の保険料の支払いはこれと全く逆に。
 ・保険料はいつまでも(100歳でも)支払う必要がある
 ・支払う保険料に関係なく受けられる医療は同じ
という特徴があります。このため年金に対しては昔預けた金の払戻と同じと思っている人でも健康保険に対してはそう思わないのではないでしょうか?


>そもそも現実の年金が仕送りになっているということを忘れた

年金は(分割払で購入した)国債の償還と同じだと思っている人は

今受け取っている年金は、自分が昔払った掛け金ではなく、今現在の現役世代が稼いだ金を国家権力を通じて集めた金かもしれない。しかしそれを言うなら国債の償還金も、私が昔(この国債を買った時に国家権力に)払った金ではなく、今現在の現役世代が稼いだ金を国家権力を通じて集めた金のはずだ。少子化が超絶的に急激に進んで、働いてくれる若者がほとんどいなくなってしまえば、払えないのは年金も国債の償還も同じはずだ。国債の償還に充てる金があるなら年金も払うべきだ!!

と思っているかもしれません。


>「ワシの年金」バカの脳内積立妄想に在るのではないか

年金の専門家ではないので誤っているかもしれませんが、”確定拠出年金”は”「ワシの年金」バカの脳内積立妄想”を具現化したものではないでしょうか?(積立方式も自分が積み立てた金額を老後に払うのであればこれに近いような気がします)
hamachan先生のような専門家は現在の年金と確定拠出年金が全く違うものだとお分かりかもしれませんが、大部分の人はその違いが分からないと思います(どちらも年金という名前がついています)
政府は今後は現行の年金よりも確定拠出年金を推奨するようなので、年金は今後ますます”「ワシの年金」バカの脳内積立妄想”に近づくような気がします。
私は福祉としての年金(高齢者に対する現金給付)は健康保険式の
 ・年齢に関係なく支払う
 ・所得が多い人ほど多く支払う
 ・支払額に関係なく給付額は同じ
という制度が望ましいと思います。年齢が一定以下の人全員に定額の現金を給付する制度として子供手当があります。これに対応して年齢が一定以上の人全員に定額の現金を給付する制度(老人手当?)を作ってはどうでしょうか?
私は消費税の様に誰でも支払う税金は誰でも(若い時と高齢の時に)貰える制度に使うべきだと思うので、消費税を20%にしても年金制度を止めて子供手当の増額と年寄手当の新設に充てたほうが安心な世の中にあると思います。

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