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2019年6月 2日 (日)

再度再掲

なにやら某方面が炎上しているらしいですが、そもそも論は先日再掲したこれの通りであり、雇用契約の限定と無限定のトレードオフの問題。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-c39e06.html(「ジョブ型正社員」をめぐる錯綜@『労働調査』2013年8月号 )

 筆者はこのように職務も労働時間も勤務場所も契約で限定されておらず、無限定、すなわち使用者の命令でいくらでも変えられてしまうようなあり方を「メンバーシップ型」雇用契約と呼び、欧米で一般的な職務も労働時間も勤務場所も限定されている「ジョブ型」雇用契約と対比した(『新しい労働社会』(岩波新書)、『日本の雇用と労働法』(日経文庫))。メンバーシップ型正社員には、職務限定の権利もなければ(日産自動車村山工場事件最高裁判決)、時間外労働拒否の権利もなく(日立製作所武蔵工場事件最高裁判決)、遠距離配転拒否の権利もない(東亜ペイント事件最高裁判決)。労働組合としてまず何よりも確認すべきは、雇用契約の無限定とはこうした権利の放棄を意味するということであり、欧米の労働組合から見れば信じられないような屈従であるという点である。
 とはいえ、日本には日本の文脈がある。欧米の労働組合から見れば信じがたいような無権利状態の受け入れと引き替えにメンバーシップ型正社員が獲得したのは、欧米であれば一番正当な解雇理由とされる経営上の理由による整理解雇への制約であった。雇用契約の本来の姿に沿って職務や労働時間や勤務場所が契約で限定されていれば、使用者には一方的にそれらを変更する権利はない。それは経営上の理由で当該職務や当該勤務場所が廃止、縮小される場合でも同じである。使用者に対して「やってはならない」と禁じていることを、いざというときだけ「やれ」と命じることはできない。いざというときに「やってくれ」というためには、そうでないときでも「やってよい」といわなければならない。つまり、日本のメンバーシップ型正社員が雇用契約の無限定を受け入れたのは、整理解雇時に他の職務、他の勤務地への配転や時間外休日労働の削減によって雇用関係自体を維持する可能性を高めるためであった。
 これはメリットとデメリットを比較考量した上でのマクロ社会的選択であり、それ自体はいいとも悪いとも言うべきものではない。雇用の安定を最重要と考えるというのは、そのデメリットも含めて、戦後60年にわたる歴史の中で日本の労働者が選択してきた道である。しかしながら、いざというときのために、労働者にとって何よりも重要な職務、労働時間、勤務場所を限定する権利を放棄するというのは、欧米の普通の労働者や労働組合に理解してもらえる見込みの薄いものであることも認識しておく必要がある。「俺たちは契約が無限定なのに、限定されようとしている」などと彼らに訴えても、理解してもらえるとは思わない方がいいだろう。

 

 

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