澤路毅彦・千葉卓朗・贄川俊『ドキュメント 「働き方改革」』
澤路毅彦・千葉卓朗・贄川俊『ドキュメント 「働き方改革」』(旬報社)をお送りいただきました。
http://www.junposha.com/book/b454121.html
正直、私もいろんな局面でいささかの関わりもあった人々が続々と出てくるので、読みながらなにがしか心揺れるところもあったりするわけですが、やはりなんといっても、冒頭近くの、キャピトルホテル東急で、水町勇一郎さんが加藤勝信一億総活躍担当相にレクチャーするところが、「ああ、ここが水町さんとの分かれ目だったんだなあ」という思いを沸き立たせます。賃金制度が全然違っても、日本でも同一労働同一賃金が可能だという水町理論は、はっきり言って労働法学的にはいかがなものかと思いますが、少なくとも政治的メッセージとしては、求められるものであったんだなあ、と思います。空気を読まず、何を期待されているかもわきまえず、そういうことを言わない人間はお呼びではないわけです。
まあでも、その結果として、それをなんと呼ぶかは別として、既存の断片的且つ不整合な雇用形態に係る均等・均衡待遇法制が、かなり一貫した且つ促進的な性格を強めた形に大きく改良されることになったのは確かなので、少なくとも立法学的には重要な役割を果たしたことは間違いありません。皮肉ではなく、正直にそう思っています。
そういう意味では、本書全体にわたって、「政治って何だろう」「学者って何だろう」「政治という土俵で意味のある行動とは何だろう」という問いが繰り返し湧き上がってくるのも確かです。いろいろとは思いはありますが、でも、それに的確に答えるためには、まだまだ硝煙立ちこめる今ではなく、10年後、20年後、30年後から振り返ってみることが必要なのかも知れません。
連合の話については、当時から報道ぶりに違和感を感じていたので、その少し後に書いた小文を再録しておきましょう。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/2017825-9fbd.html (高度プロフェッショナル制度をめぐる連合の迷走@『労基旬報』2017年8月25日号)
去る7月13日、連合の神津里季生会長は安倍晋三内閣総理大臣に対して、労働基準法等改正法案に関する要請を行いました。それは、きたる臨時国会に提出予定の時間外労働の上限規制を導入する労働基準法改正案と、2015年に提出したままとなっている高度プロフェッショナル制度の導入や裁量労働制の拡大を盛り込んだ労働基準法改正案が、一本化されて提出されるという見込みが明らかになり、せめて後者の修正を求めようとして行われたものです。その要請書においては、三者択一とされていた導入要件のうち、「年間104日以上かつ4週間を通じ4日以上の休日確保」を義務化するとともに、選択的措置として勤務間インターバルの確保及び深夜業の回数制限、1か月又は3か月についての健康管理時間の上限設定、2週間連続の休暇の確保、又は疲労の蓄積や心身の状況等をチェックする臨時の健康診断の実施を求めるものでした。
これが報じられると、連合傘下の産別組織の一部や連合以外の労働団体、さらには労働弁護士などから激しい批判が巻き起こり、同月21日の中央執行委員会でも異論が相次ぎ、執行部は組織内での了解取り付けに失敗したと伝えられました。さらに26,27日に札幌で開いた臨時の中央執行委員会でも同意が得られず、政労使合意を見送る方針を決めたということです。同日付の事務局長談話では「連合は三者構成主義の観点から、本件修正のみの政労使合意を模索したが、この趣旨についての一致点は現時点で見いだせない。よって、政労使合意の締結は見送ることとする。法案の取り扱いについては、労働政策審議会の場で議論を行うこととし、その答申を経て、最終的には国会の審議に委ねられることになる」と述べています。
政府はその後両法案の一本化を表明し、連合が懸念していた状況が現実のものであることが明らかになりました。今回の動きは、基本的には連合という組織の内部的意思決定プロセスの問題ではありますが、近年の極めて強い政治主導、官邸主導の政治プロセスの中で、じっとしていたのでは排除されてしまいかねない労働側がいかに官邸主導の政治プロセスに入り込んでいくかが試された事例とも言えるでしょう。そして、労働側を政策決定のインサイダーとして扱う三者構成原則がややもすると選択的恣意的に使われる政治状況下にあって、単なる「言うだけ」の抵抗勢力に陥ることなくその意思をできるだけ政治プロセスに反映させていくためにはどのような手段が執られるべきなのかを、まともに労働運動の将来を考える者の心には考えさせた事例でもありました。
外部から一連のいきさつを見ていて気になったのは、この問題が妙に政治的な-政策という意味での「政治」ではなく、新聞の政治面で取り上げられるような政局という意味での「政治」として-枠組で論じられてしまったきらいがあることです。長く「安倍一強」と呼ばれて強い政治主導による政権運営を誇っていた安倍政権が、森友学園、加計学園といった諸問題によってここ1,2か月のうちに急速に支持率が低下してきたことは、恐らく数カ月前には誰にも予想が付かなかったことだと思われますが、ちょうどその政治局面の変わり目に今回の要請が行われたために、それを安倍政権にすり寄る行為だと決めつける政治的な評論がもっともらしく映ったということもあるのでしょう。ちょうど進められていた連合の次期会長人事の問題と絡められてしまったことも、この問題を労働者にとって何が望ましい政策かという観点から論ずることをやりにくくしてしまったように思われます。
内容的には、本来三者択一の要件のうち一つ(休日確保)を義務化するのであれば、残りの二つ(休息時間と深夜業、健康管理時間)を二者択一とするのが素直な提案であったはずですが、連合提案では連続休暇や臨時健康診断までもが選択肢として入っていました。これは恐らくあらかじめ経営側とすり合わせをした時に、二者択一では受け入れられないと拒否されたため、やむを得ず緩やかな選択肢を盛り込んだものと推測されます。しかしそのために、原案の三者択一を厳格化したはずであるにもかかわらず、義務化された休日確保と健康診断を選択すればそれ以外に実質的に労働時間を規制する要件はなくなってしまうことになってしまいました。2013年の規制改革会議の意見でも、新適用除外制度とセットで導入すべきものとして休日・休暇の強制取得とともに労働時間の量的上限規制が含まれていたことを考えると、それよりも後退していることになります。
今後事態がどのように推移しているかは不明ですが、一部マスコミが煽り立てた「残業代ゼロ」などという非本質的な議論ではなく、労働時間規制の本旨に沿った議論が行われることを期待したいと思います。
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