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サラリーマンは、どこから来てどこへ行くのか  変わりゆく”雇用”のかたち@『Lifist』Vol.02

Image もう一つ、読みやすいインタビュー記事として2017年10月にミニコミ誌『Lifist』Vol.02に掲載された「サラリーマンは、どこから来てどこへ行くのか  変わりゆく”雇用”のかたち」というのをお蔵出ししておきましょうか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/10/lifist02-6327.html

学校卒業と同時に企業や官公庁に就職し、そのまま定年まで勤め上げる。
日本の典型的な「サラリーマン」のライフスタイルだ。
しかし近年は、不安定な雇用の問題やサラリーマンの働きにくさが指摘されることも多くなってきた。
私たちが当たり前と考えてきた「サラリーマン的働き方」は、これからどうなっていくのだろうか。
独立行政法人 労働政策研究・研修機構 労働政策研究所長 濱口桂一郎さんに聞いた。
 
 
世界でも珍しい、“日本型”の働き方
 
長時間労働やパワハラなどが問題化し、サラリーマンの「生きづらさ」が話題になっています。
 
 こういった問題は単純化されて議論されてしまいがちですが、例えば「長時間労働」という、労働の中の一部の現象を取り出して善悪を論じるとしたら、あまり意味のないことです。雇用制度全体の中で考えてみることが重要です。
 
全体の中で考える、とは。
 
 まず、若者がこれほど就職しやすい国はほかにありません。日本以外の国は、そもそも学校を卒業しても就職口がないのが当たり前。よほど優秀でない限り企業は、仕事の経験も能力もない人間を好んで採用なんてしてくれません。日本には「新卒一括採用」という世界でもほとんど例のない仕組みがあり、「私にはこういう能力があります」と言わなくても、むしろ言わないほうが企業は採用してくれ、入社してから学ぶことができる。そこだけを見ればすごいメリットです。
 でもその裏返しとして、会社にすべてをゆだね命令に従わなければならない。長時間労働もこの一部でしょう。昔から長時間労働はありましたが、新卒採用や定年までの実質的な雇用の保証というメリットとパッケージになっていたから問題にならなかったのです。今はそのパッケージ全体が崩れてきたから問題化してきている。企業は一応正社員として迎えるけれど、ずっと働いてもらうという前提はなく、仕事ができないと言っては次々に人を入れ替える。そうなってくると、これはブラック企業です。でも、長時間労働だけを取り上げて、それはブラック企業だ、いや自分の若いころは徹夜もやっていたぞと議論することはナンセンスなんです。
 
 
日本型の雇用は、メリットが少なくなってきた
 
濱口さんは研究の中で、雇用システムを「ジョブ型」「メンバーシップ型」に分類しています。
 
 職務に対応して労働者を採用するシステムのことを「ジョブ型」と言っています。つまり、あなたにはこの仕事をしてもらいます、それに対していくら払います、ということを契約や協定で決めて雇用する。諸外国の多くのシステムです。対して「メンバーシップ型」は、企業が「職務を遂行する能力がある」と判断した人を「メンバー」として雇用する。これが日本型の雇用システムです。給料は年功制で、職務内容や勤務地は入社後に会社の命令によって決められます。
 
まさに、日本の象徴的なサラリーマンの姿ですね。なぜ日本にこのような雇用システムが出来上がったのでしょうか。
 
 第一次大戦後から、主に日本を牽引する製造業でこういった雇用システムが始まり広がってきました。完全に確立したのは第二次大戦後ですが、労働組合の後押しも大きかった。長く続いてきたということは、労使の両方にとってメリットが多く合理的だったということですね。そのころの典型である、妻が専業主婦という家庭なら、残業をどれだけしてもどこに転勤になっても、会社に従っていれば家族がずっと守られていて幸せでした。
 
今は家族構成も多様になり、夫婦共働きも当たり前になってきました。「日本型雇用システム」の転換期にあるのでしょうか。
 
 さまざまな面からこのシステムの合理性が低くなってきていることは確かですね。ここ数年来の一つひとつ政策の方向性を見ると、政策同士には関連性がないように見えるかもしれませんが、大きく見て「ジョブ型」へ移行しています。長時間労働の規制もその一つですし、職業能力の見える化を進めて労働移動をしやすくしたり、教育分野の中に職業教育的なものをつくっているのもその一環でしょう。
 
緩やかに変革しているということでしょうか。
 
「日本型雇用システムは悪だから叩き潰せ」というような話にするわけにはいきませんから。このシステムで恩恵を受けている人もいればそうでない人もいる。なくなっていくメリットに関しては、それに代替するような仕組みをつくっていかなければ、激変して大変なことになってしまいます。受け皿をつくりながら緩やかに変えていかないといけないのです。
 
「メンバーシップ型」と「ジョブ型」、どちらがよいというわけでもないのですね。
 
 「このシステムは日本にとっていいのか悪いのか」と議論を一律でしてしまうことは危険です。十把一絡げで議論してしまうと必ず何かが見捨てられてしまう。もっと慎重に、丁寧に考えていかなければなりません。「日本型雇用システムは素晴らしい」と言われていた時代だって、恩恵を受けていた人ばかりではなく、それに当てはまらない人はいたのですから。
 
女性は今度こそ活躍するのか
 
女性活躍が叫ばれていますが、なかなかうまくいきません。世界から見ても、日本の男女平等は進んでいないようです。
 
 よく誤解されるのですが、もともと、日本が特別に男性優位的な考え方を持っているわけではないと思います。1960年代頃に雇用システムが出来上がったころから、女性差別的な考え方は世界に同じようにありました。その後、「やはり男女平等にしなければ」という掛け声も世界で同じようにかかってきました。ただ、欧米のジョブ型の働き方は、男女の格差是正がスムーズにいきやすかったのに対し、日本はそうではなかった。男性が無限定に働いて女性が家庭を支えるという日本型雇用システムがうまく社会に合致してしまっていただけに、性別役割分担を変えていきたくてもブレーキがかかってうまく進んでこなかったという面があると思います。
 
1985年には男女雇用機会均等法もできましたが…。
 
 最初の10年間は努力義務時代で、実質は男女が同じように仕事をしていける環境ではありませんでした。多くの企業は、制度上は男女の差をなくして、基幹的な業務にかかわる「総合職」と、補助的な業務をする「一般職」という2つのコースを用意しましたが、実質は総合職が男性、一般職が女性。そこに女性総合職という砂粒をポロポロと落としただけのようなものです。90年代後半から2000年代にかけてようやく、一般職という言葉もなくなってきました。女性も基幹的な仕事をするようになり、仕事の能力に男女差がないことが証明されて、昔のように「女性だから補助的な仕事」という制限もなくなってきました。
 
今の多くの女性は、仕事と家庭の両立に悩んでいますね。
 
 女性が基幹的な仕事をするようになると、それまで男性がやってきたような無限定な働き方では当然やりにくい。仕事の内容そのものよりも、やり方がいま問題化してきているのでしょう。
 
「同一労働同一賃金」のまやかし
 
非正規の仕事しかなく、生活が苦しいという問題もメディアを賑わせています。
 
 非正規は会社のメンバーシップから外れている存在。必要な職務に応じて採用され、それがなくなれば雇止めとなってしまいます。しかし、昔は主婦と学生のアルバイトが中心で家計を担う存在ではないため、問題視されませんでした。今は、家計を担わなければならない人も非正規の枠に押し出されてしまっています。
 
「同一労働同一賃金」が進められていますが、これが導入されれば是正されるのでしょうか。
 
 「同一労働同一賃金」という概念は、「この仕事にいくら出す」という、ヨーロッパのようなジョブ型の雇用社会だから成り立つものです。日本はそもそもそういう雇用システムではないため、根本が違います。それをイメージで議論してしまっていて、結局誰も本質的な議論をしていません。
「非正規だから生活できない」というのは、複合的な問題を抱えています。家計を担わなければならない人が、家計補助を前提とした賃金体系で働かざるを得ず、困窮してしまう。この一つの問題としては、労働に対する賃金の客観的な指標がないこと、もう一つの問題として、仕事をする人には生活をしていけるだけの賃金が払われなければいけないという正義が欠落しているということ。その両方を解決しなければなりません。雇用システムをメンバーシップ型からジョブ型に変えれば解決するという問題ではないのです。ジョブ型の欧米でも、“ジョブ型だから”生活がなりたっているというわけではありません。最低賃金が生活できるレベルになるよう組合で交渉しています。
 
 
中高年サラリーマンがつらい
 
中高年のリストラも話題になりました。
 
 働く人の全体の中ではやはり、中高年が厳しい環境に置かれていますね。90年代以降に成果主義がかなり導入されて、それまでのようなよい処遇が得られなくなってきました。全般的には雇用の安定は守られていますが、昔のように毎年必ず給料が上がっていくわけでもありません。
 日本型雇用システムの中では、社員が若いときは会社の持ち出しですが、その後仕事ができるようになって年功序列の低い立場にいる段階になれば会社にメリットが出てきます。でもある段階以上になると、また逆転して会社の持ち出しになってしまう。そこの部分を成果主義にして、減らそうとしているわけです。
 
子どもの教育費などもかかる時期で、家族を養っている人たちは大変です。
 
 企業行動の変化がいまの教育問題にも影響してしまっています。一世代前は、大学生のアルバイトといえば遊ぶお金を稼ぐためでしたが、今は学費を稼ぐためという理由が主流です。奨学金を前提にしなければ進学できないとか、大学生がブラックバイトで疲弊するといった社会問題は、親世代である中高年の処遇が下がってきたことのインパクトが現れていると言えます。雇用システムが社会に及ぼす影響は大きいのです。
 
いまの若い人も同じ道をたどってしまうのでは。
 
 社員の入り口も育て方もこれまでと一緒では、また同じことになってしまう可能性が高いですね。日本の企業は、明確な未来の青写真がないまま動いているように思います。若者の育て方、動かし方は何十年来の歴史と伝統がありますから、どうしてもそのやり方で動いて行ってしまう。システムを変えてそこを何とかするには、ものすごくコストがかかります。ただでさえ企業間の競争が激しい中でそこにコストをかけていけるかというと、難しいでしょう。
 
メンバーシップに入っていない人々はどこにいる?
 
ところで、メンバーシップ型雇用と関係ない会社や個人事業は、やはり少数派なのでしょうか。
 
 これも大切なことなんですが、日本型システムというように「型」がわざわざついているものは、実は首尾一貫して日本社会のなかでは少数派なんです。影響力の強い大企業分野、かつての製造業とか今はサービス業などが日本型だからそう言われるんですね。中小企業で日本型じゃないところはたくさんあるし、高度経済成長期だって、数からいえば、実は日本型じゃない働き方の方が多かったんじゃないかと思います。
 
日本型雇用のサラリーマンでないと、どうしてもマイノリティに感じてしまいます。
 
 言論の世界に住んでいる人、つまり、こういった問題の議論を担っている人が日本型雇用の世界に住んでいるので、過大代表的になっているのだと思います。マスコミ、役所、裁判官、そしてカウンター・エリート的な立場にいる労働組合もそういうシステムの中にいますから。おそらくどんな時代をとっても、日本的でない働き方の人の方が数的には常にマジョリティだったんだと思いますよ。

 

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