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2019年5月 7日 (火)

萬井隆令さんの反批判@『労働法律旬報』4月下旬号について

452152 『労働法律旬報』4月下旬号はパワハラが特集であり、また道幸哲也さんの巻頭言も重要な論点を提起していますが、ここでは萬井隆令さんの反批判を取り上げます。というのは、恐らく今までに例のないことだと思うのですが、お送りいただいた萬井さんの『労働者派遣法論』(旬報社)に対する若干の批判的コメントを本ブログで一昨年7月に書いたのですが、このブログ上の批判に対する反批判を、今回の『労旬』誌上でされておられるのです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-7875.html (萬井隆令『労働者派遣法論』)

http://www.junposha.com/book/b452152.html

[研究]『労働者派遣法論』の書評に応える=萬井隆令……31

15068 ネット上での批判と反批判であれば、レベルはともあれ山のようにありますが、ブログにおける(本の寄贈御礼を兼ねた)批判的コメントに対して、労働法専門誌として確立した定評のある雑誌上で(分量的にも元の批判を上回る)反批判をいただくというような機会は、めったにないものと感謝申し上げなくてはなりません。わたくし自身、雑事に取り紛れて、2年近く前のブログエントリのことはほとんど忘れておりましたが、今回萬井さんの反批判を読ませていただき、改めて自分の過去エントリを読み直して、その議論が間違っていなかったという確信を深めております。ここ数年は働き方改革関連の論点について論ずることが多く、労働者派遣始めとする労働力需給システムに関する議論からは若干遠ざかっていたところですが、この分野はやはり議論の種がいっぱい詰まった分野であることを確認しました。

まず一点目。これはかなり前から私が繰り返し論じていることですが、「業」でない「労働者供給」「労働者派遣」と「労働者供給事業」「労働者派遣事業」は別概念であり、前者は価値中立的な行為概念であるが、後者は価値判断を含んだ事業概念であるという点について。その前段として、職安法63条に、事業ではない行為としての「暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段によつて、職業紹介、労働者の募集若しくは労働者の供給を行つた者又はこれらに従事した者」を刑事罰の対象としている点の指摘に感謝しているのですが、実はその職安法63条こそが、私の主張を補強するものになっているという議論に対して(詳しくはリンク先拙エントリを参照)、それに対して萬井さんは、よくわかりかねる議論を展開します。

・・・しかし、同規定は「手段」や「目的」だけを反価値とするわけではない。暴行等は二年以下、教養には三年以下の懲役に対し(・・)、その手段を用いた労働者供給に対しては一年以上一〇年以下の懲役が科される(・・)。その刑罰の軽重の差は、労働者供給は反価値的であり、しかも強要の反価値性より大きいという認識を示している。同じ手段であっても刑罰に軽重の差があることについての認識を示さないまま「価値中立」論を唱えても説得力はない。

いやいや、刑法の暴行や強要を持ち出す前に、職安法63条に忠実になる必要があります。

第六十三条    次の各号のいずれかに該当する者は、これを一年以上十年以下の懲役又は二十万円以上三百万円以下の罰金に処する。
一   暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段によつて、職業紹介、労働者の募集若しくは労働者の供給を行つた者又はこれらに従事した者
二   公衆衛生又は公衆道徳上有害な業務に就かせる目的で、職業紹介、労働者の募集若しくは労働者の供給を行つた者又はこれらに従事した者

1号も2号も、「職業紹介、労働者の募集若しくは労働者の供給」という3つの行為類型の間に、いかなる価値判断上の軽重も付けていません。それこそが私の言っている最大の論点なのですが、なぜか萬井さんはそこをスルーされます。この63条の規定ぶりからすれば、全く同じ水準において、

・・・しかし、同規定は「手段」や「目的」だけを反価値とするわけではない。暴行等は二年以下、教養には三年以下の懲役に対し(・・)、その手段を用いた職業紹介に対しては一年以上一〇年以下の懲役が科される(・・)。その刑罰の軽重の差は、職業紹介は反価値的であり、しかも強要の反価値性より大きいという認識を示している。同じ手段であっても刑罰に軽重の差があることについての認識を示さないまま「価値中立」論を唱えても説得力はない。 

と言わなければなりますまい。いや確かに職業安定法はそうなっていると私は思います。ただの暴行や強要よりも、それらを用いた職業紹介等の方が悪質だと考えているのです。そしてその点において、職業紹介行為と労働者供給行為には、何の差も設けていないというのが職安法の法意といえましょう。

ところがこの(私が思うに最も重要な)論点になると、萬井さんの議論の筋道が見えにくくなります。

・・・職安法63条に職業紹介と並んで規定されているというだけで、両者は同質であり、労働者供給も同じく「価値中立」であることをしめしているということにはならない。行為の性格に着目する必要がある。

いやいや、そういう言い方はおかしいでしょう。そういうことを言うなら、そもそも職安法63条を持ち出して、ただの暴行や強要よりも悪質だなんていったことがすべて無に帰してしまいますよ。職安法は明確に、ただの暴行、強要よりも、それらを伴う職業紹介や労働者供給を、両者全く同じレベルにおいて反価値的だと非難しているんです。法律のどこにも出てこない(脳内の)職業紹介行為はそれ自体別に悪いものではないけれども労働者供給行為はそれ自体悪いものだという自説をいきなり展開しても、その法的根拠はどこにも示されていません。いや、「相当の経済的負担」云々といった「独自の論証」は書かれているのですが、その議論の法条文上の根拠はどこにも示されていないのです。そして例によって、

・・・派遣や労働者供給は直接雇用の原則に反し基本的に反・価値だから・・・

と言われるのですが、残念ながらこれも職業安定法上に根拠規定を見いだすことはできません。やや歴史的にいえば、そもそも72年前に職業安定法が制定されたときには、むしろ労働基準法6条の中間搾取の禁止に対応する形でまず肝心の有料職業紹介事業を原則禁止し、ついでにそのコロラリー的存在としての労働者供給事業も原則禁止しているのですね。その後、有料職業紹介事業は原則自由になっていますが、終戦直後は極めて厳格な原則禁止であったということを思い出す必要があります。少なくとも、職安法上、職業紹介はいいことだが、労働者供給は極悪非道であるというような発想になったことはないのです。その意味で、

「価値中立」論は直接雇用の原則の否定を前提として初めて成り立つ。したがって、前提(直接雇用の原則を認めない)の論証が不可欠であろうが、その論証はない。

というのは話がひっくり返っているというか、挙証責任が逆になっている感があります。私の見る限り、職業安定法はその制定時から一貫して、職業紹介事業、労働者供給事業といった労働市場ビジネスに対しては極めて否定的なスタンスを取っており(近年緩んできましたが)、その法的根拠は労基法6条であると考えられますが、直接雇用の職業紹介を善としつつ、間接雇用の労働者供給を悪とするような意味での直接雇用原則の根拠とみなしうるような規定は見当たらないのです。もし本当に、職安法が72年前から直接雇用の職業紹介はいいことだけれども、間接雇用の労働者供給は極悪非道であるというスタンスを取っていたというのであれば、なぜ事業ではない行為についても同法63条で全く同じような加重刑罰を科し、事業に対してもほぼ同じような原則禁止でごく一部の例外のみ認めるという法政策をとっていたのかを、その双方にわたって説得力のあるやり方で説明しなければならないはずだと思われます。

いずれにしても、この辺りの萬井さんの議論はやや曖昧でかつ鋭さが欠けており、私が繰り返し問いかけている点をなにげにスルーされている感が否めません。2年前の拙エントリでこう申し上げた点については、残念ながら今回の反批判においても明確な回答がいただけていないように思われます。

・・・上記63条を見ればわかるように、同条は一定の手段、一定の目的による「職業紹介、労働者の募集若しくは労働者の供給」の行為を処罰しているものです。
その反・価値性は一定の手段(暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段)や一定の目的(公衆衛生又は公衆道徳上有害な業務に就かせる目的)にあることは明らかであって、全く同様の罰則の下にあるからと言って、たとえば全ての職業紹介行為がことごとく反・価値であり、違法と評価されている、などというわけではないことからも明らかでしょう。「価値中立的」な行為概念とはそのことを指します。
職業紹介についても同様に行為概念と事業概念が区別され、後者が30条以下で許可制という事業規制の下にあるのに対して、前者すなわち事業ならざる単なる職業紹介行為は一般的には特段規制の対象ではないけれども、暴行脅迫などの手段だったり、アダルトビデオに出演させる目的だったりしたら違法になる、というまことに単純明快なことであって、その構造自体は労働者供給[行為]と労働者供給[事業]と全く同じだと思われます。

もう一つの論点である安全衛生法上の「指示」については、ごく簡単に済ませましょう。萬井さんは同法の「指示」は「指揮命令」ではないといいます。そう、文言上は。これはあえてそうしているのです。労働安全衛生法が制定される直前の、同法の基本構造を描き出した労働基準法研究会報告では、職安行政のことなど知ったことではないと、平然と「指揮監督」という言葉を使っていたのですが、さすがに労働行政として法案を作成する段になると、職安法違反を堂々と打ち出すわけにはいかないということで、内容的には全く同じ意味のことを「指示」と言い換えただけなのです(拙著『日本の労働法政策』481ページ)。これが立法プロセスから窺われることです。

Isbn9784589031891 ちなみに、労働基準行政は、労働条件面における労働者保護を第一義的重要目標としているのであって、職安法との整合性には余り関心がなさそうであるという絶好の証明が、厚生労働省労働基準局編『コンメンタール労働基準法』(下)にあります。これも日本労働法学会における(開かれざる)ミニシンポにおける報告を始め、結構何回も引用してきたつもりですが、都合が悪いことにはあまり言及されたくないのか、ほとんど取り上げていただいた記憶がありません。

・・・ もっとも、建設業の下請労働者の労災補償責任を元請業者に負わせた第87条だけは、戦前の労働者災害扶助法を受け継いで規定されている。興味深いことに、厚生労働省によれば、現在でも「建設業における重層請負においては、実際には元請負業者が下請負業者の労働者に指揮監督を行うのが普通」であり、「いたずらに民法上の請負契約の考え方に拘束されて資力が乏しく補償能力の十分でない下請負人を使用者とせず、元請負人をもって使用者と考えることが労働者保護の見地からも妥当」なのである*11。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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