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2019年5月 4日 (土)

イエスマンを作り出したのはあなた方ではないのか?

例によって、内田樹氏の壮大なブーメラン的言説をからかうエントリです。中身に新しいことは一つもなく、すべて過去のエントリに尽くされていますが、内田氏が性懲りもなくこういうことを口走るので、

https://dot.asahi.com/dot/2019042500087.html (「イエスマン」をつくり出した就活の罪は大きい 思想家・内田樹の助言)

就職活動で「即戦力」という言葉を耳にするようになったのは、1990年代以降のことだ。この頃に企業の人材育成のあり方が変わったのだと思う。

 それまでの経営者は大学にあまり専門的な知識や技能の教育を求めなかった。

「専門的なことは入社してから教えますから、大学では語学と一般教養をしっかり教えてください」。経営者たちからはそういう言葉をよく聞いた。

 それが変わった。研修をスキップしてすぐに仕事ができる「即戦力」を求めるということは、「人材育成コスト」を外部化して大学に押し付けるということである。「即戦力」を求める企業は端的に「人を育てる手間と金が惜しい」と言っているに等しい。

 そもそも採用側は大学に「即戦力」としてどんな能力や知識を習得させてほしいのか。卒業後の進路が全く違う学生たちに、企業それぞれの特殊性に合った知識や技能を大学が教えられるはずがない。にもかかわらず大学にあえて「即戦力」を求めるのだとすれば、ここで求められているものは具体的な知識や技能ではなく、むしろある種の「心性」だということを意味している。

 それは「イエスマンシップ」である。どのような理不尽で無意味な業務命令であっても、上司の指示には抗命しない、質問もしない。どんな命令にも「イエス」と即答する、そういう従属的なマインドセットを企業は求めている。

 それならどんな教育機関でも教えられる。学生に理不尽で無意味なタスクを強制して、「これになんの意味があるのか?」と教師を問い詰める学生を低く評価し、何も聞かずに黙って教師の指示に従う学生を高く評価する。それならどんな教育機関でもできる。

 だから、いま大学で「キャリア教育」という名の下で行われているのは「エントリーシートの書き方」「面接の作法」というような実務レベルをとうに超え、「お辞儀の角度」とか「ノックの回数」とか「業種別化粧の仕方」というまったくナンセンスなものになっている。そういうことが「ナンセンスだ」と思う学生を排除するスクリーニングとしてはよくできた仕組みである。・・・

拙著『若者と労働』で詳しく解説したように、このジョブのこのスキルがあるという「売り」を何一つ持てないままで労働市場で自分を売り込まなければならないという状況こそが、そう、言葉の正しい意味での「即戦力」が交渉のための素材でありえない状況こそが、内田樹氏の言うところの「イエスマンシップ」をその代替物として提示しなければならない状況のもとになっているということが、どうしてこの(「思想家」とやら自称しているらしい)人にはわからないのだろうか。

そして、そういう言葉の正確な意味での「即戦力」、「専門的な知識や技能の教育を求め」ることなく、「大学では語学と一般教養をしっかり教えてください」とだけ求めてきたメンバーシップ型雇用システムこそが、そういう真の即戦力なき「イエスマンシップ」を測定不可能な職業能力の代替指標として提示せざるを得ない状況を作り出して来たというあまりにもわかりやすい因果関係を、この(信じられないことに「知性」を売り物にしているらしい)元大学教師はかけらも理解することができないらしいのだ。

いや、正確に言えば、理解する回路が初めから閉ざされているのだ。なぜなら、内田樹氏のような人々こそが、学生にいかなる「専門的な知識や技能の教育を求め」ることなく、「大学では語学と一般教養をしっかり教えてください」とだけ求めてきた企業の最大の共犯者たちなのだから。企業が学生に「イエスマンシップ」を求めるような状況のおかげで飯を食ってきた者たちこそ、内田樹氏自身ではないのかという最も初歩的な反省のかけらもないこの独善ぶり。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-b43f.html (「就活に喝」という内田樹に喝)

・・・もちろん、なぜそうなるかという理由もはっきりしていて、日本の企業が少なくとも文科系学部については「大学で勉強したことなんて全部忘れろ、これから全部仕込んでやる」という人材養成システムであったことが、大学で学ぶことに職業的レリバンスをほとんど不要とし、結果的に内田氏のように、卒業したら企業に就職するしかない学生たちをつかまえて、あたかも哲学者の師匠が哲学者たらんとする弟子たちを鍛える場所であると心得るような事態を放置してきたからであるわけです。
「大学に何にも期待しない企業行動の社会的帰結としての企業に役立たない大学教育」が、自己完結的な価値観に基づいて行動することによる矛盾は、企業でも大学教師でもなく、その狭間で苦悩する学生たちに押しつけられることになるわけですが。・・・

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-8f84.html (就職活動ではなく入社活動だから)

・・・就「職」活動が、言葉通り、ある「職」に就くための活動であるならば、学生は自分が当該職務を遂行するために求められるこれこれの能力を有しているということを適切に提示することがその活動内容となるはずです。そして、それを示すために一生懸命になることは、「人格を組織的に壊す」ようなものというべきではないでしょう。職務能力の劣る人間を優れた人間よりも優遇しなければならない理由はありません。
しかし、日本の正社員の雇用契約とは、「職」を定めない「空白の石版」ですから、能力を示すべき対象の職務も無限定です。従って、正社員になることは就「職」ではなく、入「社」(会社のメンバーになること)であり、その際における「査定」とは、会社の中に存在するあらゆる職務を、命じられれば的確にこなせる「能力」を査定されることになります。いわば、「空白の石版」自体の性能を査定されるわけで、そこに何を一生懸命書き込んでも、それは参考資料にしかなりません。・・・

・・・しかし、この最も重要なポイントを、内田氏が指摘できないのは当然です。なぜなら・・・企業が「空白の石版」自体の性能、言い換えれば「人間力」によって採用してくれていたからこそ、会社に入ってからの職務になんら関係のない内田氏の教育が単なる趣味活動ではなく、「人間力」養成のための活動として(それなりに)評価してもらっていたわけでしょう。それを批判するのは、まさに天に唾するたぐいといえます。・・・

・・・大学さんの職業的レリバンスなき教育と企業側の「空白の石版」的雇用システムが隠微な共生関係にあったのじゃないの?と皮肉っているだけです。・・・職務能力に基づく採用・就職活動を嫌っているという点で、大学と企業はまったく同じ立場でしょう。ケンカですらない。本質を外した責任のなすりあいをしているだけ。・・・

(追記)

なぜかホッテントリとなり、コメントがいくつかつていますが、例によってどっちが正しい間違っているとか、どっちの味方だ敵だというたぐいのコメントばかりで、一番肝心のこと、つまり内田樹という「知性」を売り物にしているらしい「思想家」と自称している人物の議論が、まるで矛盾撞着しており、壮大なブーメランになっているという点には皆さん関心がとんとなさそうなのが、はてぶの世界を象徴しているのでしょうね。

どっちの立場に立とうがそんなことは二の次三の次で、どっちでもありうる。断固として内田氏のような大学教授を大量に扶養しうるような「専門的なことは入社してから教えますから、大学では語学と一般教養をしっかり教えてください」というメンバーシップ型雇用システムを擁護する立場があってもいいし、それを断固として糾弾する立場があってもいい。

しかしながら、およそ知性を売り物にするのであれば、およそ思想家を自称するのであれば、議論の半分ではこっち側、残りの半分ではあっち側というような都合のいい議論をしてはいけない。自分がとった立場の理論的帰結を知らぬそぶりで平然と非難糾弾するのは、少なくとも知識人と自称するのであれば、最も許されない所業でしょう。

本エントリにしろ、過去のエントリにしろ、要するにそういう話に尽きるのです。毎度毎度、性懲りもなくブーメラン言説を繰り返しながら、それを平然と「知性」の表れと演じてしまえるその厚顔無恥さにあきれてるのです。それだけ。

 

 

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コメント

ハーバードの経営者には自覚があるようですが、教授に自覚があるか、どうかは定かではないようです。

ハーバード大教授「崩壊したアイビーリーグを立て直せるのは学力テストだけ」:
“講義よりも大事なこととは一体なにをしているというのだ?答えは、そもそも彼らをハーバードに合格させてくれた、課外活動である。”
“学生は学部長やカウンセラーからの励ましの言葉を浴びさせられるが、「クラスをサボるな」はその励ましの言葉には含まれていないし、教授たちは共通して、生徒たちの楽しみを邪魔するなと、歯止めをかけられている。”
http://kusano-suu.hatenablog.jp/entry/2016/04/02/161055

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