渋沢栄一の工場法反対論
なにやら、お札の顔が変わるという話があるようで、1万円札の福沢諭吉の次は大隈重信・・・とはならないで、渋沢栄一という名前が挙がっているようです。
渋沢栄一who?
概略はWikiを見ればわかりますが、そこに書かれていない労働法関連のエピソードを一つ。
拙著『日本の労働法政策』414ページにも一部引用してありますが、彼は明治29年(1896年)の第1回農商工高等会議の席で、「職工ノ取締及保護ニ関スル件」の諮問に対し、次のような反対意見を述べています。
・・・夜業ハイカヌト云フコトハ、如何様人間トシテ鼠トハ性質ガ違ヒマスカラ、昼ハ働ライテ夜ハ寝ルノガ当リ前デアル、学問上カラ云フトサウデゴザイマセウガ、併シナガラ一方カラ云フト、成ルベク間断ナク機械ヲ使ツテ行ク方ガ得デアル、之ヲ間断ナク使フニハ夜業ト云フ事ガ経済的ニ適ツテヰル・・・唯一偏ノ道理ニ拠ツテ欧州ノ丸写シノヤウナモノヲ設ケラルルト云フコトハ絶対ニ反対ヲ申シ上ゲタイ
いやあ、実に爽快なまでの経済合理性優先の労働者保護反対論をぶち上げています。人間は鼠じゃないといいながら、鼠みたいに使いたいという本音が優先しています。
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濱口くんお久しぶりです。
3月末平教員を無事終えることが出来ました...
「天は人の上に人を造らず」壱万円札の福沢諭吉大先生ですが、学問のすすめの冒頭でこのように述べてられることは、知らぬ人はいない事実であります。
「人は生まれながらにして自由と平等の権利を有し、これを尊重していくことこそが、近代社会では最も大切なことである。」
実にご立派な思想でありましょう、故に壱万円札のお顔になったんでしょう。
さて、立派な思想を持った彼が、日常全てにおいて、主張するような思想を貫いた教育者であったかどうかとなると、彼も世間の人々と同じ完全に差別を払拭できた人間ではないようであります。
晩年の伝記「福翁自伝」の中においてさように記しています。
「・・・。前にも申した通り、私は儀式の箱の中に入れられて小さくなるのを嫌う通りに、その通りに儀式張って横風な顔をして人を見下すことも、また、 甚だ嫌いである。例えば私は少年の時から人を呼び捨てにしたことがない。車夫、馬丁、人足、小商人のごとき下等社会の者は別として、いやしくも話の出来る人間らしいひとに対して無礼な言葉を用いたことはない。」
彼の脳裏には、「車夫、馬丁、人足、小商人」たちを「下等社会の者」として位置づけ、「話の出来る人間らしい人」と思ってはいなかったようである。そればかりか、彼の言う人間尊重の思想とこれらの人に対する考え方の間に全くおかしさを感じていなかったのではないでしょうか。
差別はあってはならないといっておきながら差別をばらまいていたということでしょうか。
未だに部落差別は解決を見ていない現状の中で彼の生きていた時代にそこを求めるのは酷かもしてませんが・・・。
そんな彼がお札になっていた訳だから、渋沢栄一さんだって・・・。
働き方改革が遅々として進まない教育界から離れて1ヶ月を迎えようとしています。
今の仕事は、「全日空」です。何と優雅で充実した日々でしょうか。そのうちまた働きたくなるでしょうか?教育公務員としての復帰の権利はまだあるようで、来年度、再来年と権利を行使するかはもう少しゆっくり考えていこうと思います。
濱口君、健康第一ですね。更なるご活躍を期待いたします。
投稿: 祝 満夫 | 2019年4月20日 (土) 10時19分
祝くん、小学校卒業から干支4回転でお互い還暦となりましたが、なかなか老成した感じにならないのは高齢化社会の故でしょうか。
それでも、気が付いたら同じことをまた書いていた、てなことにならないようには気を付けていきたいと思ています。
投稿: hamachan | 2019年4月20日 (土) 23時19分