大内伸哉『非正社員改革』
大内伸哉さんより新著『非正社員改革―同一労働同一賃金によって格差はなくならない』(中央経済社)をおおくりいただきました。旺盛な筆力に衰えはないようです。
正社員と非正(非正規)社員の格差が社会問題化するなか打ち出された同一労働同一賃金の原則は、何が問題か。非正社員をめぐる紆余曲折を正しく理解し、格差対策を考える。
例によっていつもの大内節全開ですが、過去の『解雇改革』『労働時間制度改革』がどちらかというと立法の不活動を打破するために「さあ、これをやれ!!」と鼓吹する感じの本であったのに対して、本書は「はしがき」の言葉を借りれば、「立法の過活動を抑えるために、なぜ立法介入が必要なのかを問い直すという、逆方向の検討をしようと」しています。
ただ、私の見るところ、その議論は必ずしも整合的ではなくなっているのではないかとも思われます。
まず今回の働き方改革の「同一労働同一賃金」なるものへの批判については、実は似たような感想を抱いている人は多いのではないかと思いますが、まあ、あんまりはっきり言う人がいないので、こうなっている面もあるのでしょう。ただまあ、これは政治的な絡みもあったりして、みんないささか歯に衣着せてしまうので、大内節が目立ったりするわけです。
それに対して、とりわけ2012年改正による無期転換ルールに対して、「採用の自由」を旗印に掲げての批判は、正直いささかずれている感があります。そもそも反復更新された有期契約労働者の雇止めの場面で、全くの新規採用でどんな奴かわからない者を前提にした採用の自由の議論を持ってくることには違和感があります。それこそ、その場面は実態として解雇の場面と類似しているという日欧共通の社会認識があるからこそ、雇止めを濫用と考える思考が生まれてくるのであって、そこを、EUでは入口規制があるから出口規制が正当化されるが、日本は入口規制がないのだから出口を規制するのはおかしいというのは、やや逆転していると思います(というか、EUの入口規制は事実上空洞化しているわけですし)。
ただ、雇止め規制に危惧が持たれるのはそれなりの理由があって、それはむしろ正社員の解雇規制(というのは実はミスリーディングで、解雇がしにくくなっているという社会的事態)が、無期転換に反射して、永遠に切れなくなってしまうんではないかという危惧なのですが、それは本来解雇規制の問題として論じるべきことなんですね。
という風に、読むと山のように感想が湧いてきます。物事を表層的にではなく考えるためには、時々こういう本を読むことが必要です。
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