佐藤俊樹『社会科学と因果分析』
岩波書店の山本賢さんより、その担当になる佐藤俊樹『社会科学と因果分析 ウェーバーの方法論から知の現在へ』(岩波書店)をお送りいただきました。
https://www.iwanami.co.jp/book/b431804.html
マックス・ウェーバーは,社会科学全体の創始者の一人である.その因果分析の方法論が,百年後の社会科学における最先端の展開や論争,統計的因果推論等の手法にそのままつながっているとしたら? それが文科系/理科系の分類を超え出ているとしたら? 従来のウェーバー像とは大きく異なるその学問の姿を明らかにする.
この本の冒頭近くで狂言回し役を務めているのが東大副学長の吉見俊哉さん。例の文科系学部削減騒ぎの時に出した本『文系学部廃止の衝撃』の中で、価値創造的な文系=人文学の知と、目的遂行的な理系=工学の知を対置して、前者の意義を称揚しているのを、19世紀末の新カント派哲学者ヴィンデルバントやリッカート(昔風の言い方ではリッケルト)の文化科学と法則科学の発想だとしつつ、往々にしてこの一派だと思われがちなマックス・ウェーバーが、実はそういう通俗的なブンケーvsリケーの二分法を超える20世紀社会科学の地平を切り開いた人だったのだという話を、この一冊を通して論証しようとしています。
思いだしてみると、今から40年余り前に大学に入ったころのマックス・ウェーバーという人のイメージって、(当時駒場にいた社会学者が折原浩という典型的なウェーバー考証学者だったこともあり)確かにガチ文系という感じでしたね。同じ文系でも数学を駆使している近代経済学とは対極にある感じでした。でも、それって、ウェーバーのそういうところばっかり「研究」してきた日本のウェーバー学者たちのバイアスだったようです。
佐藤さんのすごいところは、ウェーバーの論文で参照されている同時代のフォン・クリースという統計学者をはじめとして、関連する学問分野の文献を丁寧に見ていき、リッカート的ブンケー論に引き寄せて解釈されがちだったウェーバーが、実は同時代の最先端の統計論と取っ組み合っていたということを論証していくところです。そのスタイルは、それこそまさに文系の学者たちの得意とする文献考証そのものですが、それでこれだけ世の通俗的な認識と異なる絵図が描けてしまうということは、いかにこれまでのガチ文系のウェーバー学者たちが、自分の乏しい認識枠組みの内部だけで、ウェーバーの論文をあーでもないこーでもないとひねくり返して読んできていたかを示しているともいえるのでしょうね。
はしがき この本の主題と構成,そして読み方案内
第一章 社会科学とは何か
[第一回]社会科学は何をする?
[第二回]人文学と自然科学の間で
【コラム1】 ウェーバーの方法論の研究史第二章 百年の螺旋
[第三回]リッカートの文化科学――価値関係づけの円環
[第四回]機能主義と因果の推論――制度のしくみと意味
[第五回]システムと文化科学と二項コード――現代の座標系から第三章 適合的因果の方法
[第六回]歴史の一回性と因果――リッカートからフォン・クリースへ(1)
[第七回]適合的因果と反実仮想――リッカートからフォン・クリースへ(2)
[第八回]「法則論的/存在論的」――「客観的可能性」の考察(1)
[第九回]「事実」と知識――「客観的可能性」の考察(2)
[第一〇回]量子力学と経験論――「客観的可能性」の考察(3)
【コラム2】骰子の目の法則論(ノモロジー)と存在論(オントロジー)第四章 歴史と比較
[第一一回]日常会話の可能世界――因果分析の方法論(1)
[第一二回]歴史学者の思考実験――因果分析の方法論(2)
[第一三回]自然の科学と社会の科学――経験的探究としての社会科学(1)
[第一四回]比較社会学への展開――経験的探究としての社会科学(2)
【コラム3】一九世紀の統計学と社会学第五章 社会の観察と因果分析
[第一五回]法則論的知識と因果推論
[第一六回]社会科学と反事実的因果
[第一七回]因果効果と比較研究
【コラム4】三月革命の適合的因果と期待値演算
[第一八回]事例研究への意義
[第一九回]ウェーバーの方法論の位置
[第二〇回]社会科学の現在 閉じることと開くことあとがき
なにしろ、同時代に発展を始めていた量子力学のプランクの論文まで出てくるのですから、これぞまさに領域横断的な研究ですが、それが(これまでのボン百のウェーバー学者と違って)ウェーバーの論文が参照している他分野の同時代論文をいい加減に放って置かず、しっかりと読み込んでいくという、それこそ文系の鑑的なスタイルを愚直なまでにちゃんとやることの帰結に過ぎないというところが、たまらなく皮肉です。
ということで、社会学関係の皆様にはいろいろな意味で大変興味深い本だと思います。
ですが、ここではおそらく佐藤さんが想定しているのとはちょっと違った角度からの感想を。
本書のなかでちらちらと名前が出てきながら、正面からその論文が取り上げられていないのが法学のラートブルフです。実は、本書の170ページに、確率的因果論に関する客観的可能性という図があり、確率的因果論から矢印が、法学、社会学、量子力学の3つに向けて出ている図なんですが、その法学における因果関係論については、本書ではほとんど論じられていません。そもそも法学は(法社会学などを別にすれば)社会科学ではなく、本書で下手に取り上げるとかえって話が複雑になるからでしょう。
でも、ウェーバーの論文で例として出てくる、若い母親が子供をたたいた理由を抗弁するシーンなんか、まさに民法の不法行為や刑法における因果関係の議論のモデル的なものですよね。そして、三月革命の原因についての一般社会情勢の高まりと二発の銃声の議論って、労災認定、とりわけ過労死事案における素因としての高血圧等と引き金と引いた長時間労働の議論とほとんど相似的です。
それこそ、法学部で相当因果関係論とか勉強させられている学生たちも、その議論の統計学的源泉に思いをはせることなどまったくないでしょう。
佐藤俊樹さんのこの本自体、他の文系学者の議論に比べると極めて領域横断的ですごいのですが、「科学」という境界線すら超えて、法学というある意味のブンケー的「工学の知」ののスタイルにまで、この20世紀初頭時代の統計学的な知の転換が大きな刻印を押しているということをさりげに示唆していると私は深読みしました。
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