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ホワイトカラーの労働法政策@『労基旬報』2019年1月5日号

『労基旬報』2019年1月5日号に、「ホワイトカラーの労働法政策」を寄稿しました。

 昨年6月の働き方改革推進法により、高度プロフェッショナル制度が成立に至りました。かつてホワイトカラー・エグゼンプションという名で導入が図られながら失敗に帰していた労働時間の適用除外が、かなりのお色直しでなんとか成立にこぎ着けたわけですが、この間の議論ではそもそもホワイトカラーへの労働法適用の在り方についての基本にかかわるような問題提起はほとんどなく、表層的な議論に終始していたように思われます。そこで本稿では、今年の初めに当たり、日本の労働法政策においてホワイトカラー職員がどう位置付けられてきたのかを振り返ってみたいと思います。
 まず、民法という社会の基本法のレベルにおいては、ホワイトカラー職員もブルーカラー職工も「雇傭」契約の下で就労していることに変わりはありません。「使用人、番頭、手代、職工其他雇傭人ハ年、月又ハ日ヲ以テ定メタル給料又ハ賃銀ヲ受ケテ労務ニ服スルコトヲ得」(旧民法第260条)。しかし、「賃銀」を受けるブルーカラー職工と「給料」を受けるホワイトカラー職員は社会的に全く異なる階層に属しており、後者は商法上に「番頭、手代其ノ他ノ使用人」として特別の規定が置かれていました。
 狭義の労働法の出発点は1911年の工場法ですが、同法は単に物的適用対象が「工場」であるだけでなく、人的適用対象も「職工」に限られていました。岡實『工場法論』によると、「職工」とは「主トシテ身体的ノ労働ニ従事スルモノ」で「平職工、伍長、組長」は含まれますが「技師、技手、事務員、製図師」は含まれません。つまりホワイトカラー職員は対象外だったのです。
 1936年の退職積立金及退職手当法は適用対象に「労働者」という用語を用いていますが、その中身は工場の職工、徒弟、鉱山の鉱夫に限られ、ホワイトカラー職員は対象外でした。戦前の「労働者」という概念にホワイトカラー職員は含まれていなかったのです。
 戦時体制下で雇用統制、賃金統制が進んでいくと、ホワイトカラー職員も統制対象に含まれるようになっていきます。ただ、1938年の学校卒業者使用制限令、1939年の国民職業能力申告令、従業者雇入制限令、国民徴用令、1940年の従業者移動防止令など、雇用統制が両方を対象とする法令であったのに対し、労働条件規制の分野はブルーカラー労働者とホワイトカラー職員で別立ての規制となりました。
 ブルーカラー労働者を対象とする1940年賃金統制令は、工業、製造業、土木建築業、運輸業等の事業に雇傭され労働に従事する「労務者」の「賃金」を対象とするのに対して、同年の会社経理統制令は資本金20万円以上等の会社の「社員」の「給与」が対象です。この「社員」とは、賃金統制令の「労務者」を除く「会社ニ雇傭セラルル者」と定義されていますので、ホワイトカラー職員のことです。ちなみに、雇用労働者のことを「社員」と呼ぶのは世間では一般化しましたが、法令用語として用いた例はこれくらいでしょう。
 この会社経理統制令は戦後労働時間法制に大きな影響を及ぼしています。というのは、その1943年改正において、会社経理統制令施行規則第20条の2に「居残手当又ハ早出手当ニシテ一日九時間ヲ超エ勤務シタル者ニ対シ九時間ヲ超エ勤務シタル時間一時間ニ付キ五十銭ノ割合ニ依リ計算シタル金額」「休日出勤手当ニシテ休日出勤一回ニ付キ三円ノ割合ニ依リ計算シタル金額」と規定されたのです。つまり、ホワイトカラー職員にも残業手当や休日出勤手当を払えという法政策が打ち出されたのです。ちなみに、賃金統制令の所管官庁は厚生省労働局ですが、会社経理統制令は大蔵省の所管でした。
 一方厚生省サイドは「勤労者(工員)給与制度ノ指導ニ関スル件」により工員月給制を慫慂していました。こちらは「基本給ハ月ヲ単位トシテ支給スルコト、但シ正当ナ理由ナキ欠勤ニ対シテハ欠勤日数ニ対シ日割計算ヲ以テ減額支給スルヲ得ルコト」と、ノーワーク・ノーペイの要素を持ち込んだ純粋でない月給制を工員に適用しようとするものであり、しかも「就業十時間ヲ超ユル早出残業」には早出残業手当、「所定休日ニ於ケル出勤」には休日出勤手当を「支給スルモノトスルコト」と、ノーペイ・ノーワークの原則は月給制にもかかわらず全面的に適用するというものでした。両者相まって、ホワイトカラーにもブルーカラーにも残業手当のつく月給制を適用するという法政策が採られたわけです。
 このように所管官庁は別ながらも接近傾向を示していたホワイトカラーとブルーカラーの労働法政策がブルーカラーサイドに一本化されたのは終戦直後です。1946年1月8日の閣議で、「会社経理統制令中社員給与ニ関スル主務大臣ヲ厚生大臣ニ移管スルノ件」が了解され、「終戦後ノ新状勢ニ応ジ会社社員ノ給与ニ関シテハ労務者ノ給与ヲ所管スル官庁ニ於テ取扱フヲ適当トスルヲ以テ会社経理統制令中社員給与ニ関スル主務大臣ヲ大蔵、商工、運輸、農林等ノ各大臣ヨリ厚生大臣ニ移スモノトシ其ノ実施期日ハ昭和二十一年一月十五日トスルコト」とされました。これにより、戦前来の別建て法政策は解消され、ホワイトカラー職員もフルに労働法政策の対象となったわけです。
 ただ、だからといって、両者に全く同じ法制度を適用しなければならないわけではないはずです。1947年に制定された労働基準法の制定過程においても、1946年7~8月頃の第5次案修正案では「事業の種類に拘わらず事務並びに間欠的な労働に従事する者」を適用除外としていましたが、10月の第7次案覚書で「事務」の部分が「監督若は管理の地位にあるもの又は機密の事務を取扱ふ者」と現行規定に修正されています。これにより適用除外を著しく狭めてしまった感があります。
 さらにこれに輪をかけたのが、法と同時に施行された労働基準法施行規則です。同規則第19条は、法第37条の時間外労働の割増について、「月によって定められた賃金については、その金額を月における所定労働時間数で除した金額」を通常の労働時間又は労働日の賃金額と定義することで、管理監督者等でない限り割増のつく月給制を強制することとなりました。戦前のホワイトカラー職員にとって一般的であった渡し切りの純粋月給制は不可能となってしまいました。
 この点について、1948年9月に出された『労働基準法逐条解説全書』(産業厚生時報社)の質疑応答の中に、次のようなものがあります(40頁~41頁)。
問:月によって定められた賃金の場合、割増賃金の算定では所定労働時間で除するのであるから、この面から考へれば、現今迄の月給制といふものは基準法が出来た為に、その純粋性を失って、日給月給制に移行した。但しこの場合でも平均賃金算定の場合は、総日数で除するのであるから、この面からは本来の月給制の純粋性をとどめてゐるが、ともかく基準法が出来た為に一面からは月給制であり、一面からは日給月給制となり、かくして本来の月給制と云ふものは基準法が制定された為に失くなったと考へられる。即ち、純粋の意での月給制は実施できなくなったと考へられるが如何?
答:労働基準法の賃金の考へ方は、アメリカ式の所定労働時間給的な考へ方である。であるから、超過労働に対しては割増賃金を支払う。然し、無届欠勤、遅参の場合、賃金の減額(労働のないところに賃金はないとの考へ方であるから、減額と云ふよりも始めから欠勤、遅参に相当する所定労働時間の賃金は与えないことになる)することも出来る訳であるから、ご意見の通りであると云ふことができる。
 しかしその後、この問題に対する問題意識は消え去ったように見えます。ホワイトカラーもブルーカラーも等しく「従業員」として組織された企業別組合が、両者に共通の年功的生活給を要求して勝ち取っていった時代に、ホワイトカラー職員の給与とブルーカラー労働者の賃金とは性質が違うというような議論が入り込む余地はなかったのでしょう。
 ホワイトカラーの労働時間制度、賃金制度が法政策課題として議論されるようになるのは、1990年代になってからのことになります。企画業務型裁量労働制、ホワイトカラー・エグゼンプション、そして高度プロフェッショナル制度と、この30年近くの法政策の動きを振り返ってみると、そこで本来議論されるべくして議論されてこなかったものがなんであったのかが、くっきり浮かび上がってくるように思われます。

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