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2018年12月 1日 (土)

中国にとってのマルクス主義-必修だけど禁制

本ブログでも何回か紹介した川端望さんが昔のエントリを新ブログにお蔵出ししていて、最近も約5年前の「中国の必修科目としての「政治経済学=マルクス経済学」に隠された深遠な陰謀」を再アップされています。

https://riversidehopearchive.blogspot.com/2018/11/20131012.html

中国ではマルクス主義は国定思想なので、大学でも関係するいくつかの科目が必修科目になっている。そこにはマルクス経済学の基礎に相当する「政治経済学」も含まれる。

 この授業について、私の知る限り、中国の大学生から「つまらない。忘れました」という以外の感想を聞いたことがない。「ほんっとーに、つまらないです!!」「I hate it!」という表現さえ聞かれる。私自身が学生・院生時代に、当時すでに少数派となっていたマルクス経済学ベースの勉強をしていて、その問題点も多少はわかっているつもりなのだが、そういう学問的な問題ではないようだし、思想を押し付けられるのが嫌いというだけでもないらしい。

 ヒアリングと、北京や上海の書店で「政治経済学」の教科書らしきものもめくってみた限りでの情報をまとめると、以下のような事情らしい。

 政治経済学の授業のスタイルは、マルクス経済学の超要約版の教科書を使い、図式化して、丸暗記を強要するものである。内容のどこが現実の社会とどう関わっているのかといったことは一切やらない丸暗記らしい。つまり、「寿限無寿限無五劫の擦り切れ」を暗記するのとほぼ同じ要領で「社会的存在が社会的意識を規定する」と覚えるのだ。学生は試験のために暗記して試験終了とともに忘却し、ただ「つまらなかった」という感覚だけを心に残す。日本でも科目を問わずこういう授業は存在するが、教科書も教え方もそのもっとも悪いバージョンになっているようだ。

 もう少し詳しく言うと、資本主義経済については『資本論』の超要約版教科書を叩き込むのだが、社会主義計画経済の原理とそれが行き詰まった理由、中国の「改革・開放」を含む市場経済化の経済学的根拠については、ほとんど教えない。中国の経済学の授業なのに「改革・開放とはどういう原理でなされているのか」は語られないという不思議なことになる。よってますます現実と関係なくなり、学生が関心を持つべくもない。

なぜこんな、わざとつまらなく、わざと興味を待たせないような代物にしているのか?

共産党という名の政権党が支配する国の時代を担う若者たちに、その根本哲学を教えるという最も大事なはずの授業が、それをできるだけ教えたくないという気持ちがにじみ出るようなものであるのはなぜなのか?

川端さんはこう絵解きをしていきます。

いま、マルクス経済学が正しいか、まちがっているかはは脇に置こう。とにかく中国の各大学が、丁寧に、現実の社会とのかかわりを解きほぐしながら国定思想たるマルクス経済学の授業をして、ある割合の学生がそれも一理あるなと思ったとしよう。マルクス経済学が一理あると思うというのは、つまり

「資本主義って、一見対等平等に取引しているようで、必然的に格差を生むしくみになっているんだな」とか、

「技術進歩の果実はほとんど資本家のものになってしまうんだな」とか、

「資本主義発展とともに農村から都市に移動した人口が過剰扱いされて、失業者と都市問題を生むんだな」とか、

「貧困って自己責任じゃなくても社会の問題なんだ」とか、

「信用機構や株式会社ってひとつまちがえると詐欺の温床になるんだな」とかいう風に思うことである。

 さらにすすむと、

「これはみんなわが国で起こっている問題だよね」とか、

「考えてみると中国の社会主義市場経済って、ほぼ資本主義だよね」とか思うだろう。

場合によっては、

「なるほど、労働者が立ち上がって資本主義に反抗するのは歴史の必然なのか」と思いかねない。

 そう、国定思想を丁寧に教えると、現在の体制に対する疑問を惹起してしまうのである。中国政府はこの矛盾に気づいているがために、わざと極端につまらない「政治経済学」を必修化し、学生をマルクス経済学嫌いにしているのではないだろうか。

本気で興味を持たせてしまうと、現在の他の資本主義国のどれよりも市場原理に制約が希薄な「社会主義市場経済」に対する批判的精神を醸成してしまうかもしれないから、わざとつまらなくつまらなく、だれもまじめにマルクス主義なんかに取り組もうと思わないようにしているんだろう、と。

5年前のこの川端さんの推測はおそらく正しいと思いますが、それだけの配慮をしていてもなお、そのこの上なくつまらないマルクス主義の授業にもかかわらず、本気でマルクス主義を勉強しようなどという不届きなことを考える不逞の輩が出てきて、共産党という名の資本家階級に搾取されているかわいそうな労働者を助けようなどという反革命的なことを考えるとんでもない若者が出てきてしまったりするから、世の中は権力者が思うように動くだけではないということなんでしょうか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/09/post-855b.html (中国共産党はマルクス主義がお嫌い?)

副題に「学生たちは労働組合権を巡る争議を支援し続ける」(Students continue to back workers in dispute over trade union rights)とあるように、これは、マルクス主義をまじめに研究する学生たちが、元祖のマルクス先生の思想に忠実に、弾圧される労働者たちの労働組合運動を支援するのが、そのマルクス主義を掲げていることになっている中国共産党の幹部諸氏の逆鱗に触れてしまったということのようです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/11/post-0e60.html (中国共産党はマルクス主義がご禁制?)

1541230011_2564 いやいや、もはや現在の中国共産党にとっては、マルクス主義などという不逞の思想はご禁制あつかいなのかもしれません。

ご禁制にしたいほどの嫌な思想なのに、それを体制のもっとも根本的なイデオロギーとして奉っているふりをしなければならないのですから、中国共産党の思想担当者ほど心労の多い仕事はないように思われます。いまでもマルクス経済学は学生たちに必修科目として毎日教えられ続けているはずです。できるだけつまらなく、興味をこれっぽっちも惹かないように細心の注意を払いながら、一見まじめに伝えるべきことを伝えようとしているかのように教えなければならない。少なくとも私にはとても務まらないですね。

(追記)

ちなみに、中国ではおそらく存在を許されない本当のマルクス主義者が香港にはまだ何とか存在し得ていて、中国資本主義を批判するこういう本を書いているということも、かつて本ブログで紹介しましたね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-16fd.html (區龍宇『台頭する中国 その強靭性と脆弱性』)

20140806g636_2 ・・・著者は香港のマルクス主義者です。中国に何千万人といる共産党員の中に誰一人いないと思われるマルクス主義者が、イギリスの植民地だったおかげで未だに何とか(よろよろしながらも)一国二制で守られている思想信条の自由の砦の中で生き延びていられるマルクス主義者ですね。

だからこそ、中国共産党という建前上マルクス主義を奉じているはずの組織のメンバーが誰一人語ることができない「王様は裸だ」を、マルクス主義の理論通りにちゃんと分析して本にできているのですから、ありがたいことではあります。

それにしても、資本家が労働者を抑圧するのに一番良い方法は、資本家自身が労働者の代表になってしまうことだというのは、マルクス様でも思いつかないあっと驚く見事な解法でありました。・・・

日本にはいまだにマルクス経済学者という看板を掲げている人々が結構な数いるはずですけど、だれも文句をつけてきそうにないマルクスの原典の研究とかじゃなくて、區龍宇さんのように現代中国資本主義のこういう問題に切り込もうという勇気のある方がどれくらいいるのか、不勉強なためよく知りません。

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コメント

川端望です。ひとつ前のコメントは私が登校したものではありませんので,お知らせいたします。

川端さま、ありがとうございます。削除しました。おそらく例の「ふま」の仕業と思われます。

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