労働の文明史(2004年版)
『日本の労働法政策』について、マシナリさんがこういうコメントをされていて、
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-767.html (政策過程論の基本書)
・・・というマクラからで大変恐縮なのですが、hamachan先生の『日本の労働政策』第二版(?)を拝読…というより入手しました。いやまあこの厚さはまさに枕…などと失礼極まりないこといっている場合ではありませんで、2004年に発行された第一版(?)の倍以上のページ数となっておりまして、ハードカバーのためイメージ的には3倍近くの厚さではないかと感じます。それでいて第一版の4,800円(税別)に対して3,889円(税別)という大変お買い得なお値段でして、早速近所の書店で取り寄せして入手した次第です。
個人的には、第一版の冒頭で「労働法政策の序章という位置づけではなく,内容的には独立したエッセイとして読まれるべきものである」と宣言して異彩を放っていた「労働の文明史」がどのように改訂されているのかに注目していたのですが、残念ながら第二版では丸々カットされてしまっていました。まあ、「文明史」ですから10年程度の間隔でその都度改訂する必要はないとも思うのですが、その最後の部分でのこの見通しについては、引き続き意識していくべきではないかと思うところです。
というわけで、「異彩を放っていたとか「場外ホームラン」とか評されていたその噂の「労働の文明史」ですが、今回の本からはバッサリ削除してしまったこともあり、今年最後のエントリのおまけということで、やや長いですが、全文ここにアップしておこうともいます。正直言って、第4次産業革命とか言われだした昨今からするといささか古い記述もありますが、14年前(2004年)段階の私の認識がこうだったということで、ご関心があれば目通しいただければと。
第1部 労働法政策序説
第1章 労働の文明史
本書は主として20世紀における日本の労働法政策の展開を対象とするが、その前提としてそもそも労働法政策などというものがどうして人類社会の政策課題として登場してきたのかといういわば文明史的概観を述べておきたい。
本来ならば、こういう労働法政策の前提知識として提供されるべきマクロ社会動学を扱う学問分野は社会政策学と呼ばれる分野である。日本でも、マルクス主義の強い影響を受けながら、大河内一男らを始めとする社会政策学が形成され、展開していったが、ある時期以降労働経済学という名の学問分野に取って代わられてしまった。これはミクロ的かつ非歴史的な分析であって、その限りでは有用ではあるが、マクロ的かつ歴史的観点から労働法政策の座標付けをなしうるような枠組みではない。
とはいえ、いまさら古めかしい社会政策学の枠組みを持ってきても、本書の主たる対象である20世紀の労働法政策の展開を説明するには観点のずれが大きすぎて、はなはだ据わりが悪い。そこで、やむを得ず、隣接分野の政治学、経済学、社会学等を読み齧ってこしらえた我流の枠組みを代用品として本書の冒頭に置くこととした。したがって、これは労働法政策の序章という位置づけではなく、内容的には独立したエッセイとして読まれるべきものである*1。1 人類史の三段階
「労働」は通常、「土地」と「資本」と並ぶ三大本源的生産要素の1つとして取り扱われているが、これは市場社会特有の考え方であって、人類史全体から見れば「労働」とは人間活動そのものであり、「土地」とは自然そのものである。別のいい方をすれば、人間の自然との関係の主体的側面が「労働」であり、客体的側面が「土地」であるということもできよう。その意味で、サルと人間の最大の違いは「労働」にあるといってよいし、「労働」のあり方が人類の歴史の発展段階を示すものともなる。
人間と自然との関係における「労働」のあり方で人類の歴史を通観すれば、大きく三段階に分けられる。人類誕生から農耕牧畜の開始までの数百万年は、野生動物を狩猟し、野生植物を採集して食料その他の生活資料を調達する時代であった。数千年前にようやく野生動物を飼いならし、野生植物を栽培して、人為的に食料その他の生活資料を増殖するという技術革新が行われ、社会のあり方が激変した。そしてようやく200年前ごろから、機械という無機的自然を制御することによってさまざまな生活資料の増殖を飛躍的に拡大する技術革新が進展し、今日の産業社会が成立した。(1) 狩猟・採集社会
野生動物の狩猟と野生植物の採集で成り立っていた社会は、その生産性の低さから、調達すべき生活資料のほとんどは食料で、しかも社会構成員の生物学的必要を余り超えることがなかった。そのため、社会構造もせいぜい狩猟のリーダーがいるくらいで、基本的にはきわめてフラットなものであった。
(2) 農耕・牧畜社会
栽培植物と家畜を有する社会は、それ以前に比べ生産性が格段に向上し、社会構成員の生物学的必要を大幅に超える食料を生産することができるようになるとともに、衣服や住居など食料以外の生活資料を大量に生産することができるようになった。これらは食料と異なりその消費に生物学的限界がない。また、食料についても、料理という形で質的差異化を図る余裕が生じた。他方、牧畜や特に農耕においては規模の利益が働いたことからその大規模化が進展し、「労働」の中の指令的契機と実行的契機が分化する傾向が生じてきた。これが社会構造の成層化現象をもたらした。指令的労働に従事する者はより多くの、かつ上等の食料を食べ、衣服を着、住居に住むこととなり、実行的労働に従事する者との間に階層分化が進んだ。これが生物学的再生産によって相続されることにより、階層の固定化が進んだ。
前期農耕・牧畜社会の基本構造は氏族社会である。氏族は階層化された共同体であり、氏族長やその一族と一般の氏族員は現実には血縁関係は薄かったであろうが、全体として大きな家族に擬制され、この擬制が神話の形で社会の双方を規制することによって秩序を保ち、社会を維持することができるようになっていた。これは氏族長が王と呼ばれ、氏族共同体が国と呼ばれるようになっても本質的には変わらない。しかしながら社会の階層分化がさらに進む中で、やがて血縁幻想で全体社会を統合することは不可能になってくる。そこで、血縁原理に代わって抽象的な普遍的原理に基づく帝国社会、小規模な地域における地縁に基づく封建社会が形成された。前者はユーラシア大陸の主要部分に、後者はヨーロッパ半島の一部と日本列島に形成された。
帝国社会と封建社会の意義は、血縁幻想では覆い隠せぬほど階層分化が進んだ社会で、指令的階層と実行的階層の間の矛盾を一定の「労使妥協」によって解消しようとする試みであったといえる。前者は指令的階層の正統性を儒教、ヒンズー教、キリスト教、イスラム教等の普遍的原理で正統化するとともに、実行的階層の自治を大幅に認めたものであった。一方、後者は「土地」という生産要素に着目し、一定の土地の上にさまざまな契機の労働を行うという点に一定の共同性を見出し、この意識的な共同性が社会の双方を規制することによって秩序を保ち、社会を維持しようとするものであった。そして、この封建社会的な共同性が崩壊する中から次の社会が誕生してくることになる。(3) 産業社会
200年前から始まった人類史の新段階は、人間と自然の関係の観点からは産業社会と呼ばれ、人間と人間の関係の観点からは市場社会と呼ばれる。ここでは前者の観点で見ていこう。産業社会を農耕・牧畜社会から区別する最大のポイントは、後者が生物的自然の能力的制約の範囲内でしか拡大できなかったのに対して、前者は機械という無機的自然を増殖装置として用いることによって、生物の生長速度をはるかに超えるスピードで大量の生活資料を生産することができるようになったことである。これを可能にした技術革新は「産業革命」と呼ばれ、18世紀末のイギリスに始まり、19世紀には大陸ヨーロッパ、アメリカ、日本にまで広がっていった。
人類史の中では大変短い産業社会であるが、現在までのところさらに2つないし3つの亜段階を見出しうる。第1は繊維などを中心とした軽工業社会であり、第2は自動車や電気器具などを中心とした重化学工業社会である。おおむねそれぞれ19世紀と20世紀に対応する。現在情報通信産業が急激な発展を遂げつつあり、21世紀は情報産業社会であるというのが有力な説である。
産業社会は人類の歴史上初めて、「労働問題」という大きな問題分野を登場させた。それだけではなく、労働問題が「社会問題」と呼ばれるようにさえなった。およそ社会の中には無限に様々な問題がありうることを考えると、この「社会問題」という表現は産業社会における「労働問題」の重みをよく示している。そして、この「労働問題」自体、人類誕生以来の人間の自然に対する活動としての労働という意味ではなく、産業社会特有の意味内容を持って用いられているものである。この「労働」の析出の1つの原因に機械の使用による生産過程の複雑多様化があることは否定できないが、何よりも労働力が商品として市場で売買されるようになったということが重要である。産業社会を貫く最大の問題は労働力商品化をどう考えるのかという点にあったと言っても過言ではない。
産業革命の原因の1つがルネサンス以来の自然科学の発展とその応用にあることは確かであるが、それまでの社会システムを一変させるような大転換をもたらした原因は、それまでは社会の中で周辺的な存在でしかなかった「市場」が社会全体を呑み込むような勢いで膨張し、「市場社会」を作り上げたことに求められる。すなわち、産業社会はまず市場社会として登場したのである。そして、産業社会をめぐるさまざまな思想も、特に労働力の商品化という事態を前にして、産業社会が市場社会であることに対する疑問、市場社会でない産業社会は可能なのかという点に集中することになった。
ここで産業社会の発展をあらかじめ先取りしておけば、当初労働力を限りなく商品化していこうとする市場社会として始まった産業社会は、これに対する様々な抵抗、対抗運動の中で、労働力の商品化を何らかの形で制限していこうとする社会に転換していく。これが前述の産業社会の亜段階と結びついて、軽工業中心で労働力の商品化が進んだ19世紀システムと重化学工業中心で労働力商品化の制限が進んだ20世紀システムが段階論として析出されてくる。それでは、21世紀の情報産業社会は労働力の商品化という点においていかなる性格を持つものとなるのだろうか。2 社会システムの三類型
人間は個体で生きる動物ではなく、群れをなして生きる動物である。したがって、人間と自然の関係、人間の自然に対する活動は常に人間と人間の関係、人間の人間に対する活動と結びついている。狩猟・採集社会においては、しかしながら、自然との関係から自立した人間関係それ自体の発達はあまり高度なものではない。農耕・牧畜社会が到来し、社会構成員の生物学的必要を超える食料その他の生活資料を生産することができるようになって、人間同士のコミュニケーション活動は独自の発展を遂げて行くことになる。
人間と人間の関係を大きく類型化するならば、同じ仲間なのだからいっしょに協力しようという「協働」の関係、こういういやな目に遭いたくなければこれをしろという「脅迫」の関係、こういういいことをして欲しければ代わりにこれをしてくれという「交換」の関係になろう。これらはいずれも人類史のいつどこでも見出せる要素であるが、このいずれもその関係を原理とする人間の組織を構築することができる。協働の原理で組織されたものは「共同体」、脅迫の原理で組織されたものは「権力体」、交換の原理で組織されたものは「市場」と呼べるだろう。(1) 共同体
農耕・牧畜社会における主要な人間組織は共同体である。書かれた歴史はその主たる関心を王権、帝国、武士団等の権力体に集中してきたため、あたかもそれらが社会の主役であるかのように見えるが、生産活動に従事する社会の圧倒的多数者は共同体の中で一生を過ごしてきた。しかし、共同体のあり方は時代により、また地域によりいくつかの類型に分けられる。
前期農耕・牧畜社会における共同体は「氏族」であった。氏族は血縁を根拠として成員の協働を要求する。協働の結果食料を始め生活資料が豊富化し、人間の生物学的必要を超える部分、「余剰」が蓄積される。これが氏族の内部に成層化をもたらし、協働といいながらも、成員がみな同じ労働に従事するのではなく、指令的労働を担当する者と実行的労働を担当する者が分化してくる。前者の子どもは親同様、指令的労働を担当し、後者の子どもも親同様、実行的労働を担当するといったことを繰り返していくうちに、階層が明確に生じてくる。巨大化した氏族においては、氏族長やその一族と一般の氏族員とには事実上ほとんど血縁関係はなく、神話の形で同じ先祖から受け継いでいるという観念を共有しているに過ぎない場合が多かったであろう。
現実には、氏族間の戦争、征服によって、ある氏族と他の氏族とが脅迫の関係で結合することがよくあり、この場合、この新たな結合氏族は単なる共同体とはもはや呼べず、権力体としての性格をも有することになる。王権の成立はこの段階を示している。征服された氏族の成員は、その氏族員としての地位を保ったままで征服氏族の実行的労働に従事させられる場合もあるが、氏族自体が破壊され、氏族員が個体にまで分解されて実行的労働に従事させられる場合もあった。後者の場合を「奴隷」と呼ぶことができるだろう。奴隷は個体レベルの労働が析出されるという点で労働力商品化の先駆的な面もある。
後期農耕・牧畜社会における共同体は家族と村落である。家族は血縁原理に基づく点で氏族と同じであるが、共通の祖先に発するとされる者をすべて含みこむのではなく、現実に極めて近親な関係にある者のみで構成され、多くの場合同一の住居に居住する。一方、村落はもはや血縁原理とは切り離されている。同じ地域において協働する必要性が、血縁の代わりに地縁による共同体を形成した。他人同士が形成する共同体という意味で、村落は新たな社会的発明といえる。もはや現実と遊離した氏族的血縁幻想では共同体の凝集力を維持できなくなったことが、一方では家族という現実的血縁共同体を形成させ、他方では村落という地縁的共同体を形成させたといえよう。この村落の上に、強く権力体的性質を帯びた家族共同体たる武士団が乗っかり、小規模な地域に根ざした社会システムを形成したのが封建社会であった。こういう共同体の二重化は、共同性に対する個別性の契機を強調する素地を作り出す。村落の中で生産労働に従事する家族の長であれ、権力体たる武士団の家族の長であれ、家長は多くの同等者の中の1人として自らの家族共同体の権利を断固として貫く必要がある。この家長の権利主張が中世的民主主義の根幹であり、近代的民主主義の源流ともなった。近代的個人主義は家長の個人主義だったのである。
実際、産業社会を作り出した原動力の一つは、この封建社会の中で育まれた家族共同体である。小規模であることから、事態の変化に応じて機敏に活動することができるという利点を生かして、家族共同体は、農耕・牧畜においてもさまざまな工夫を凝らして生産性を高めるとともに、それを越えてさまざまな生産物の製造活動に乗り出していく。自己労働による家族的生産によって規模拡大を図る独立生産販売者の登場である。
もっとも、以上はヨーロッパ半島の一部と日本列島に典型的に起こったことであって、ユーラシア大陸の大部分では氏族原理は退化をきたしつつ、なお社会の大半を支配しつづけた。ここでは権力体は帝国の形をとって全体社会の上層部を広く覆い、その下に権力体の契機を失った氏族社会が血縁幻想をいつまでも維持しつづけたのである。(2) 権力体
脅迫の原理は必ずしも組織を作るわけではない。むしろ、純粋な脅迫は敵対心を培養するから長期的な関係を作ることができない。脅迫原理で組織を作る場合でも何らかの協働原理が含まれなければ、維持可能なものとはならない。実際、人類史上に権力体が登場してくるのは、氏族社会の中の階層分化と氏族間の征服が結びついて、共同体としての性格を持ちつつ権力体として機能するようになってからである。この氏族的権力体が「王権」である。
権力体的共同体においては脅迫原理はいざというときに取り出す武器であって、通常はむしろ再配分が主導原理として働く。王権は暴力を担保としつつ表面的にはその「権威」によって余剰を自らのもとに集積し、これを恩恵として成員に配分する。王権は被征服奴隷まで含めた巨大な擬制氏族として、相互に戦争、征服を繰り返し、ますますその血縁共同体の幻想性を強めていく。だが、そうなればなるほど、王権の権威をいつまでも古き神話には頼ることはできなくなる。
こうして、それ以上大きな王権を形成できないところまでくると、権力体は新たな進化の段階として、帝国を形成するにいたる。帝国はもはや血縁幻想には頼らない。神話を必要とはしない。代わりに、合理的思考に基づく世界観宗教、すなわち儒教、ヒンズー教、キリスト教、イスラム教といった観念体系によって自らを権威付け、大規模な再配分システムを構築する。帝国はもはや共同体ではなく、純粋な権力体となる。皇帝を中心にして周囲を取り巻く貴族や官吏たちは、もっぱら権力闘争に励む。彼らの生活は多くの場合きわめて贅沢なものであり、それを培養土として、かなり大規模な交易が行われ、奢侈品の市場が形成される。しかし、それはあくまで社会全体から見れば周辺的な存在に過ぎない。この贅沢を支える生産活動従事者たちは、権力体の契機を失い退化した氏族の中で、なお血縁幻想に浸りながら暮らすことになる。もっとも時々この退化した氏族が突然変異的に脅迫原理をよみがえらせ、権力体化して帝国内にミニ王権を作り出すこともある。多くの場合それは匪賊として鎮圧されるが、稀に帝国を打倒して取って代わることもある。これが帝国における革命であり、その前後で社会は何も変わらない。
ユーラシア大陸の大部分では二千年間帝国システムが持続したが、ヨーロッパ半島の一部と日本列島では異なった進化の過程が展開した。ローマ帝国に倣ったフランク帝国、中華帝国に倣った古代天皇国家は、大規模な再配分システムの確立に失敗し、帝国は急速に溶解して再びいくつもの氏族が相争う時代を迎える。しかし、いったん帝国原理を学んだ者はもはや神話には戻れない。復活した氏族もその血縁幻想が急速に空洞化していく。そこで、氏族の中から現実的な血縁共同体としての家族が、特定の地域に密着する形で登場してくる。そして、帝国の崩壊で権力体が空位となるのと比例して、かつて氏族の中で上層部をなしていたこれら家族の中から権力体的性格を強く持つものが続々と現れてくる。武士団である。これが氏族の下層部から生まれた生産活動に従事する家族を特定の地域を単位として支配するようになる。封建社会の成立である。
封建社会には2つの運動モメントがある。1つは武士団が相互に戦争、征服を繰り返し、次第に広大な地域を支配する領邦国家となり、やがて近代主権国家にいたる流れであり、もう1つは家族共同体をバックにした家長の間の民主主義が、やがて近代的民主主義にいたる流れである。いずれの面においても、近代国家は封建社会の直系である。この2つのベクトルが近代国家に流れ込んだとき、それは維持可能であるためには権力体であると同時に再び共同体でなければならない。朕が国家なのではなく、共同体の近代的形態として発明された「ネーション」が国家でなければならない。しかし、近代国家の最大の特徴は、それが社会の全面的市場化を推進する主体となった点にある。(3) 市場
交換の原理は長らく社会にとって周辺的なものであった。生物学的必要を超える生活資料がまだ乏しい時代は、交易は偶然的ないし散発的なものであった。余剰がかなり大量に蓄積されるようになって、定期的ないし恒常的な交易活動が行われるようになるが、なおそれは協働原理で営まれる共同体の内部に浸入することはなく、「共同体の終わるところに交易が始まる」ことに変わりはなかった。この時期の交易は珍しい産品を遠隔地から運ぶ遠隔地交易が主であった。交易の拡大に大きく貢献したのは権力体の発展であった。脅迫と権威によって再配分を行う王権のもとには莫大な余剰が蓄積される。戦争に敗れ征服される恐れのある王権は、より強大な王権のもとに朝貢することによって安全保障を図ろうとする。王権の間を奢侈品が行き来する。こういう王権同士の脅迫に裏打ちされた交易は、それに実際に携わる商人という新たな労働形態を生み出すことになる。王権が巨大化すればするほど、それに寄生する商人も増えて行く。交換の原理は目立つ存在となる。
王権はその権力体性と擬制氏族としての共同体性の矛盾から帝国を形成するのだが、これは次第に拡大する交換原理と共同体性の矛盾を解決するものでもあった。帝国は純粋の権力体であると同時に、商人の交易活動をその内部の不可欠の一部として組み込んだからである。帝国システムは、大規模な再配分というメインシステムとともに、市場というサブシステムからなるシステムであった。都市はもはや単なる皇帝や官吏の所在地というだけではなく、商人たちの活動の場ともなる。膨大な生活資料が交換される場としての都市が誕生したのである。
ヨーロッパ半島の一部や日本列島では、帝国形成の失敗の後、封建社会の形成と並行して、自発的な商人都市の形成が進んだ。中世の武士団や農民村落は、古代の氏族と異なり、地縁的共同体として自らを地域的に限定することから、外部の共同体との交易を前提としている。この交易システムを担保する帝国がない以上、商人都市も武士団と並ぶ自主独立の存在である。実際には寺社教会などの宗教的権威が商人都市の独立を担保したと考えられる。
都市商人はもはや単なる保管・運送というサービスを提供してその対価を受け取る者ではない。彼の売りと買いはその差額を得るために自らの発意で行うものである。ここで事態の大きな転換が起こる。生活資料の保管・運送のために商人が商売するのではない。商人が儲けるために生活資料の保管・運送を行うのである。売って差額を儲けるために買うという商人資本の成立であり、商人の目的が客観的な使用価値から主観的な交換価値へと移行する歴史的転換点である。彼の行為は突き詰めれば貨幣の増殖であり、マネーゲームなのである。
とはいえ、すべての都市商人が商人資本家と化したわけではない。むしろ、農耕・牧畜社会の大部分を埋めつくす共同体の谷間にあって、都市商人たちも共同体を形成する方向を選んだ。この共同体は交換原理を前提とし、個人の独立性を強調する性質を持つ一方で、共同体の共同性を破壊する危険のある貨幣の増殖には抑制的である。貨幣が貨幣であるというだけで価値を増殖する高利貸資本は、反共同体的なものとして禁止され、あるいは制限される。
この都市商人共同体は、いまだ市場社会ではない。なぜならそれは全体社会のごく一部を占めるものに過ぎず、その外部に農耕・牧畜により生活資料を生産する氏族共同体や家族・村落共同体があることを前提とし、それに寄生して存在するものだからである。市場が全体社会を覆いつくし、労働力までが商品化される市場社会は、産業社会という形で人類史に登場することになる。3 市場社会と労働力の商品化
市場が社会の周辺的な存在ではなく全体社会を覆いつくす市場社会がいかにして形成されたのかは、多くの人々の関心を惹いてきた問題である。議論を大きく分ければ、都市商人たちの貨幣の増殖過程としての商業すなわち商人資本に源流を求める考え方と、封建社会の地縁共同体の中で農耕・牧畜から毛織物などの原初的製造業を発展させつつ独立性を強めてきた家族共同体に源流を求める考え方がある。
現実には両者は絡まりあいながら、権力体の契機も絡みつつ市場社会を形成していったものと考えられる。(1) 産業資本の2源泉
近代資本主義の源泉を都市の商人資本に求める考え方は、ルヨ・ブレンターノやゾンバルトらに見られる。しかし、都市商人たちが自らの貨幣増殖過程に都市の手工業を取り込んで産業資本化するという経路は不可能である。なぜなら、都市はそれ自体共同体として、ギルドの形をとる共同性を破壊することには抵抗を示すからである。都市商人が「搾取」しうるのは都市の外側にいる者だけである。だが、都市の外側は村落共同体である。これを一体どのようにして自らの価値増殖過程に取り込めるのだろうか。
現実に可能なのは、共同体内の生産過程をそのままアンブロックに自らの価値増殖過程に接合することである。だが、農耕・牧畜は村落共同体が原材料の取得から生産物の消費まで自己完結的に行っているものだし、その剰余の一部は帝国社会の上層部や封建社会の武士団が取得する仕組みとなっていて、都市商人の割り込む余地などない。可能性があるのは、共同体内の生産過程ではあるが農耕・牧畜というメインストリームではなく副次的に行われるもの、具体的には繊維・衣服生産である。村落共同体の中で次第に自立性を強める家族共同体が自らの労働力を投入して行う製造過程、いわゆる家内制手工業に対し、原材料を売り、製品を買うという形で自らの価値増殖過程と接合するいわゆる問屋制手工業が、都市商人に可能な形態であった。しかしながら、いうまでもなくこの都市商人は製造業者と交易する商人資本に過ぎず、いかなる意味でも産業資本ではない。
一方、家族共同体から産業資本へという流れは、プロテスタンティズムを媒介とするウェーバーの有名な議論に定式化されている。村落共同体の中で相対的に従属的地位にあった家族共同体が独立性を強め、原材料に自己(家族を含む)の労働を投入して生産した生活資料を自ら販売し、得た代金で購入した原材料にまた自己労働を投入して生産し、また販売する、という循環を主体的に実行し、その生産規模を次第に拡大していくという独立生産販売者が登場してくるプロセスである。実際には、プロテスタンティズムとは縁のない日本列島においても同様の現象が発生したことから考えれば、封建社会における家族共同体の相対的独立性の強さが、主たる要因であるように思われる。
自己労働による家族的生産が一般化してくると、これを正統化し、村落共同体や封建領主による剰余の取得を制限し、できれば排除しようという動きが生じてくる。労働こそが所得の正当な源泉である、労働こそが価値の源泉であるという主張がなされる。古典的労働価値説とは、こういう経営主体としての自己労働を価値の源泉とするものであって、他人に従属する労働を念頭においているものではなかった。(2) 産業資本の2つの魂
こうして、自己労働による家族的生産とこれと問屋制で接合した商人資本という2つの主体が産業革命の入り口に準備を整えている。このいずれが主体性を維持して産業資本に進化したのだろうか。商人資本が独立生産者を抑え込み、これを主体性なき他人労働として自らの価値増殖過程に組み込むのに成功したのか、それとも勝ち残った独立生産者が敗れた者を他人労働として吸収しつつ自らを拡大していったのか。実際にはどちらも正しいのであろう。つまり、商人資本に由来するものと家族的生産に由来するものとが絡み合いながら新たな経済主体を形成していったと考えられる。
したがって、産業資本には2つの魂が潜んでいる。1つは、自己資本として、ひたすら交換価値の増殖を目指す魂である。この立場では生産活動は貨幣を増殖するための手段の一つに過ぎない。判断基準はもっぱら利潤である。ところがもう1つ、自己労働として、生産規模の拡大を目指す魂も無視することはできない。この立場では生産活動は自己労働の拡大という目的そのものである。利潤は規模拡大の源泉としてのみ計量的意味をもつに過ぎない。この2つの考え方は、後に資本主義のあり方を大きく決定する要因ともなる。
法制的な枠組は、商人資本が長年かけて作り出した商法や会計制度がそのまま適用された。したがって、商法学者や会計学者にとっては、産業資本は商人にほかならず、貨幣の増殖がたまたま生産活動を行っている商人にとっての唯一の正義であり、自己労働としての生産活動それ自体の拡大などは、利潤追及に反するならば悪徳となる。この問題は20世紀末にコーポレートガバナンスの問題として表面化することになる。
産業革命の先頭を切った19世紀のイギリスに成立したのは、自己労働による家族的生産を主たる出自とする産業資本が、しかしながら行動様式としては商人資本的な貨幣増殖に傾斜してゆく社会、市場社会としての産業社会、すなわち資本主義社会であった。だが、主体性ある経営体としての自己労働の存在は自己資本の限りない利潤追求を妨げる。そのためには自己労働ではなく、他人労働が社会的に作り出されなければならない。この主体性なき従属労働の創出、すなわち労働力の商品化こそが市場社会の中核となる。(3) 労働力の商品化
労働力とは人間そのものである。人間の売買自体は交易の歴史とともに古い。売られる人間、すなわち奴隷は、多くの場合、戦争、征服によって共同体からもぎ取られた人間であった。古代王権や帝国社会のもと、大規模な奴隷制が発達したこともある。しかしながら、それは脅迫原理と交換原理の結合が生み出したあくまでも周辺的なものであって、社会の大部分はあくまでも共同体の中に包み込まれていた。
近代的な労働力商品は奴隷ではない。後者は別の人間によって売られる物品だが、前者は自分自身によって労務というサービスが売られる。その対価は自分自身に支払われる。形式的にはこれは自己労働である。自己労働による労務サービス業を経営しているのであって、自己労働による生産物を販売しているのと何ら異なるものではない。
しかしながら、その自己労働性を制度的に担保していたのは、職人条例や救貧法などのいわゆる初期社会政策立法であり、この規制が緩和、廃止されていくとともに、その擬制性が露わになっていった。この自己労働者は自己の労働力以外に売るものを持たず、労働力を売ることに失敗すれば直ちに生きることができなくなる--「食うに困る」--状況にあるため、事実上買い手の言うがままに従わなければならない状況に追い込まれた。失業と飢えの恐怖が彼ないし彼女を自発的に奴隷と変わらぬ他人労働に追いやった。労働過程それ自体についても、同時に進行していった工場制労働の普及及びこれによって可能となった労働の分割、すなわち分業の進展により、時間をかけてあるものを作りあげるというひとまとまりの「仕事」は、細かく分割された単純な「労働」に転化し、労働過程から裁量性が失われ、従属性が増大した。機械の利用、そして機械の発展は、これをさらに昂進させた。
こうして、建前としては自己労働としての労務サービス業であるものが、実態としては主体性を剥奪された他人労働に転化してしまう。これと平仄を合わせて、経営体は貨幣増殖をめざす自己資本としての性格を強めていく。「労働」の語は誇り高い自己労働ではなく従属的な他人労働を指す言葉となっていく。こうして自己資本と他人労働の組み合わせからなる資本主義社会が成立していく中で、これに対する原理的反発としての社会主義及び権力体の関与たる社会政策が誕生してくる。4 社会主義と社会政策
社会問題、社会主義、社会政策。われわれが当然のように使うこれらの言葉ほど、労働力の商品化という問題の存在感を示すものはない。市場社会という「悪魔の碾き臼」の中でばらばらの他人労働にされてしまったかつての自己労働者たちの怨念が、やがて労働運動や社会主義運動という形をとって噴出してくる。そして、再び共同体性を帯び始めた近代国家という権力体が、社会政策という名の介入を始めるのである。
(1) 労働運動
人は喜んで他人労働になるわけではない。人類の長い歴史の中で、奴隷は常に例外的存在であった。人々は共同体の中で協働することを当然としてきた。ところが、家族共同体の自己労働による生産活動は個人の自己労働による労務サービスに道を譲り、それは現実には法的構成においてのみ主体性が確保された従属的な他人労働となってしまった。
この現実を変えようという運動が起こってくるのは当然である。方向は2つありうる。1つは失われた懐かしき共同体を再建し、協働に基づく社会を作り上げようという方向である。もう1つは労働に主体性を取り戻し、虚構と化した自己労働を再構築しようという方向である。後者はさらに、労務サービス業としての自己労働の主体性を、かつての都市商人たちの共同体の原理を導入しつつ、集団的取引統制によって確保しようとする方向、すなわち労働組合の道と、分業と機械化による単純労働化に歯止めをかけ、より裁量的な労働組織をめざす方向がありうる。しかしながら、最後の選択肢は、産業革命期に機械の打ち壊しという粗野な形で行われ惨めな失敗を経験して以来、20世紀の後半にいたるまで真剣に取り上げられることはなかった。
まず労働組合の道を歩んだのは、労務サービス業としての主体性を確保する拠点として「熟練」を保有する熟練労働者たちである。一方で分業と機械化による単純労働化が進むといっても、なお熟練労働者が欠ければ動きが取れない工場も多かった。労働組合に結集し、要求が容れられなければ集団的に労務サービスの提供を中断するという脅迫を用いることによって、つまり典型的な生産者カルテル行動をとることによって、労務サービスの販売条件を向上させようというのがその手法であった。当初は労働者の団結そのものを禁圧した権力体が、やがてこれを認め、放任的態度から積極的に促進するにいたる過程は、後に見る近代国家の共同体性の浮上と揆を一にしている。
やがて、必ずしも熟練を有さない労働者たちも労働組合に組織され、一定の労務サービス販売条件を享受するようになる。だが、熟練労働者の誇りなき単純労務サービス販売者の主体性とは空疎なものである。ここから20世紀システムにおいてはいくつかの戦略の分岐が発生する。ひたすら労務サービス販売者としての高条件獲得競争に向かう(アングロ・サクソン型)か、次に見る社会主義運動と結合してイデオロギー結社としての道を歩む(ラテン型)か、自己資本として利潤追求に走る企業の意思決定に関与してその制御を図る(ゲルマン型)か、である。最後の場合、労働者組織は販売カルテルとしての労働組合と参加システムとしての企業議会(労使協議会)に分化する。後者はすでに共同体としての企業という観念を内に孕んでいる。が、これは先走り過ぎである。(2) 社会主義
社会主義という言葉は実にさまざまな意味内容で用いられてきたが、あえて集約すれば失われた懐かしき共同体を再建し、協働に基づく社会を作り上げようという運動といえよう。その際、当初は労働力の商品化が始まる直前の誇り高き自己労働社会の復活がイメージされていた。自己労働者が横に連結した協同組合であれ、自己労働者が集合して形成する企業体であれ、社会主義の理想は自己労働の共同体であった。しかしながら、工場制労働の拡大、分業の進展、機械の発展の中で、この理想は次第に空想的なものと考えられるようになる。滔々として進む他人労働化の流れに抵抗しようとするのは非科学的であり、むしろこの歴史の方向性を進歩ととらえ、その流れ着く先にこそ社会主義の理想があると考える「科学的」と称する社会主義が登場し、大勢を占めるにいたる。
だが、他人労働化の極地に展望される社会主義とはいかなるものであり得るのだろうか。誇りある自己労働者をプチ・ブルと蔑視し、疎外態の極たる他人労働者をプロレタリアとして歴史の主体に祭り上げた「科学的」社会主義が作り上げたのは、自己労働による労務サービス業という法的擬制さえ剥奪された純粋な奴隷労働力に立脚し、もっぱら脅迫の原理によって組織された権力体である社会主義国家という名の王権ないし帝国社会の類似物であった。そこには協働に基づく共同体の復活という本来の理想は影も形もない。
「空想」的社会主義、「科学」的社会主義のあとに登場したのは、「民主」的社会主義であるが、これはあえていえば折衷主義の所産であり、自己労働化をめざすわけでもなく、他人労働化を所与の前提と受け入れながらその商品化の弊害を主として政府の政策を通じて解消していこうとするものであった。労働者保護法制や社会保障制度、完全雇用政策といった「社会政策」によって、他人労働の商品性をできる限り縮小していくことがその実現目標となる。労働者はもはや失業と飢えの恐怖にさいなまれることはなく、不本意な労働を経済的に強制されることはなくなる。重化学工業中心の20世紀産業社会は、この民主的社会主義と結合することで、労働力商品化制限型の市場社会たる20世紀システムを形成した。(3) 社会政策
社会政策はいうまでもなく近代国家の行うものである。近代国家とは何だろうか。発生論的には、それは中世封建社会の武士団が成長して形成された権力体的共同体である。戦争と征服を繰り返して巨大化した近世王権は、かつての古代王権が巨大化して血縁幻想に頼り切れなくなったように、中世的な地域に密着した共同体意識から乖離してくる。王権が共同体意識から乖離するとともに、都市商人と結び、その貨幣増殖の保護者として立ち現れてくる。自らの暴力装置をもって商人資本の循環を容易にするとともにその分け前を取得しようとする近世国家の登場である。
しかし、共同体意識から乖離したとはいえ、近世国家は未だ村落共同体とその中で自己労働による生産活動に従事する家族共同体に立脚している。これを破壊するようなことは許されない。初期社会政策と呼ばれる一連の政策は、労働組織を規制する職人条例にせよ、余剰労働力を国家が吸収しようとする救貧法にせよ、労働力の商品化を防止することに主眼がおかれていた。
自己労働による家族的生産とこれと問屋制で接合した商人資本が、産業革命の怒濤の中で自己増殖を目指す産業資本と主体性を奪われた他人労働に転化していくのと並行して、封建社会の地域共同体に立脚しながらそれから乖離していた近世国家も大きな変動を被る。立脚基盤としての新たな共同体として「ネーション」が発明され、この想像の共同体と近世国家から受け継いだ権力体が結合して近代国家が誕生するのである。この背景には、村落共同体から自立して独立独歩の存在となりつつあった家族共同体が、より強力な上位の共同体を求めようとしたことがあろう。都市商人と結んだ近世国家ではなく、独立生産販売者のための近代国家が求められた。
ここで、歴史の最大の皮肉は、自己労働による家族的生産が産業資本に進化するとともに、近代国家の任務はそのためにそれまで抑制されてきた労働力の商品化を全面的に推進する役回りを演じることになったことである。上で述べた初期社会政策立法の廃止が、労働力の全面的商品化を、そして社会の全面的市場化をもたらすことになった。この意味において、近代国家は市場社会の形成者である。しかしながら、近代国家はネーション共同体として、商品化され他人労働化した労働者をもその成員とする。ネーション共同体としての成員保護の要請が、失業と飢えの恐怖から奴隷と変わらぬ労働に従事する「同胞」にも寄せられる。こうして、近代国家は労働力の商品化を実行すると同時に、労働力の商品化を制約する措置を執らねばならなくなる。初期社会立法の廃止と同時に近代的社会立法、すなわち労働者保護立法が開始される。近代国家は市場社会の形成者であると同時にその修正者として立ち現れる。
近代国家のこの二面性からすれば、市場社会はその登場の時から純粋な市場社会として登場したわけではないことがわかる。いや、純粋な市場社会などというものが存在したことはなかったというべきであろう。社会政策は近代国家とともにあったのであり、やや極端な言い方をすれば、近代国家の本質は社会政策という形で現れる共同体性にあった。5 19世紀システムとその機能不全
市場社会と近代国家の組み合わせからなる社会システムは19世紀前半にイギリスから始まってその後フランス、アメリカ、ドイツ、日本等に広まっていった。1930年代の「大転換」まで続いたこのシステムを19世紀システムと呼ぶ。
産業社会の亜段階としては、繊維などを中心とした軽工業社会であり、機械の利用も分業も比較的単純で、企業規模もそれほど大きくない。自己調整的市場の概念が現実的なものと考えられるような非寡占的市場が一般的であった。(1) 自己調整的市場と自由主義国家
19世紀システムの中核に位置するのは、自己調整的市場の概念である。これは、労働、土地、貨幣というそれ自体生産することのできない本源的生産要素をも商品と見なし、価格によって取り引きされる市場を作り出し、これと既存の商品市場とを接合することによって自己完結的な市場システムが形成されるという考え方である。
労働市場には売り手としての労務サービス業者と買い手としての商品製造業者がいて需給の均衡するところで価格が成立する。商品市場には売り手としての商品製造業者と買い手としての労務サービス業者その他がいて需給の均衡するところで価格が成立する。以下同様というわけで、社会はすべて売り手と買い手からなり、労務サービスであれ商品であれその生産はすべて市場における価格メカニズムによって、市場内部で調整されるのである。
自己調整的市場は市場の内部ですべてを調整するのであるから、国家という権力体による再配分は基本的に認めない。ただ、市場の売り手と買い手の行動が市場のルールに従って行われることを確保するための権力的関与は認めざるを得ない。これがいわゆる夜警国家、自由主義国家の概念である。自己調整的市場とそれを補完する自由主義国家の組み合わせが、19世紀システムの理念型であった。一言で言えば、19世紀は自由主義の時代であった。(2) ネーション国家と家族共同体
ところが、19世紀は自由主義の時代であるだけではなく、ネーションの時代でもあった。もはやかなり希薄化していたとはいえ、それまで所属していた封建社会の村落共同体から投げ出された家族共同体は、ネーションという巨大な想像の共同体に自らを投げ入れることでその安定を図ろうとしたのである。
そこで、ネーション国家による権力的介入は狭い意味での市場のルール確保を超えて、ネーション国家の細胞としての家族共同体の維持にも向けられる。具体的には、家族共同体を破壊する恐れのある労働力商品の個人化の抑止が、労働保護立法という名の下に開始されるのである。擬制的労務サービス業の主体はあくまでも家族共同体(「家計」)なのであって、その首長たる成人男子労働者については自己調整的労働市場にゆだねてあえて介入は行わないが、その妻や子どもについては就業制限や労働時間規制によって労働力供給を制約するという政策が試みられた。生産活動を行う家族共同体における家族労働は何ら規制されないのであるから、これはバラバラの個人としての他人労働化を抑止することが目的であったといえる。
労働保護立法に続いてネーション国家が家族共同体維持のために採った政策は、社会保険制度である。これは成人男子労働者が一時的(疾病、失業)または恒常的(障害、老衰)に労働不能に陥った場合に、その家族共同体成員の生活を維持するための給付を成人男子労働者の強制拠出によって行おうとするものであって、自由主義国家の考え方とはかなりの程度矛盾するものであり、19世紀システムにおいては部分的、周辺的にしか取り入れられなかった。この制度が全面化するのは20世紀システムのもとにおいてである。(3) ネーション国家とバランス・オブ・パワー
ネーション国家は帝国ほど普遍的、世界的ではなく、封建武士団ほど特殊的、地域的でもない。複数のネーション国家が作る国際社会は、古代の氏族社会後期の王権国家と類比的な武力のバランスによって成り立つ社会であった。ネーション国家は領土や特に植民地をめぐって互いに戦争を繰り返し、ネーション共同体はその成員に名誉ある義務として兵士として戦うことを要求する。近代は徴兵制の時代でもある。
だが、成員に死をすら要求する共同体は、成員からその死に値する待遇を要求されざるをえない。失業と飢えの恐怖から奴隷と変わらぬ労働を強制される「戦友」の姿は怒りを呼び起こし、労働力の商品化は糾弾される。
しかし、このメカニズムが大きく動き出すのは20世紀に入ってからである。19世紀にはまだそこまではいかない。総じて、ネーション国家同士のパワーゲームは近世国家同士のそれの延長線上に貴族風外交術をもって行われ、十分に「ネーション外交」化していない。国際経済は自己調整的市場の延長線上に自由貿易と金本位制を機軸に動かされ、ネーション経済同士の利害対立はこの原理を否定するにはいたらない。
19世紀末から20世紀初頭にかけてのいわゆる帝国主義時代は、以上のシステムが機能不全に陥った時代である。繊維を中心とした軽工業から鉄鋼造船等の重工業へと産業構造がシフトし、それとともに自己調整的市場に対する疑問の声は社会の中でいよいよ高まった。社会主義運動は激しさを増し、これに対応するために各国とも帝国主義的対外膨張政策に訴えた。その帰結が第1次世界大戦であり、大戦下の戦時体制において、自由主義国家に代わるべき新たな国家原理が模索された。それまでなお2等国民であった労働者階級を正規のネーション成員として組み入れる20世紀システムの出発点である。6 20世紀システムの形成と動揺
20世紀システムは第1次世界大戦と第2次世界大戦という2つの戦争の狭間で生み出された。労働力商品化に対する反発としての社会主義運動とネーション共同体原理とが、戦争という溶媒によって結合して作り出されたシステムである。
産業社会の亜段階としては、重化学工業社会であり、特に自動車や電気器具のような耐久消費財が商品の中心を占める時代である。これは、商品市場における買い手の大部分を占める労働者家庭がこれら耐久消費財を購入できることがシステム存続の基礎をなすような社会ということであって、これが労働者富裕化へのエネルギー源としてシステムの下部構造をなす。(1) さまざまな社会主義の模索
19世紀システムの機能不全が進行するにつれ、さまざまな社会主義の運動が勢力を強めた。労働力の商品化を制限し、最終的には解消することを目指すこの運動は、ネーション共同体とそれに立脚する権力体との関係をどう考えるかでいくつかの分派に分かれる。右翼にはネーション共同体と一体化し、ネーション国家そのものを協働に基づく共同体に転化してしまおうとする考え方、いわばネーション的社会主義があり、左翼にはネーション共同体を否定し、資本主義が作り出した世界市場を社会主義に基づく世界共同体に転化しようとする考え方、いわば世界社会主義がある。中道に位置するのは、ネーション国家の社会政策によって労働力商品化の弊害を解消しようとする考え方であった。
歴史の皮肉は、世界社会主義に基づいて社会主義革命を実行したはずの勢力が、ネーション共同体なき国家権力と一体化した国家社会主義を作り出してしまったことであろう。そこはもっぱら脅迫原理が支配する場となった。
他方、国家そのもののネーション共同体化を目指した勢力は、急激な帝国主義的膨張政策に打って出ることで社会の矛盾の解消を目指したが、やはり脅迫原理が社会の全面を覆う事態をもたらし、結果的に言えば自滅の道をたどった。
1930年代はこれらいくつもの社会主義が19世紀システムへの代替性を競い合った時代であった。ソビエト社会主義国家は急速な工業化の実績で世界中の注目を集め、ナチス政権はフォルクスワーゲンとアウトバーンによる国家主導フォーディズムとでもいうべき実験で世界を驚かせた。西欧諸国の民主的社会主義の成果はあまり輝かしいものではなかった。よく知られているように、アメリカの景気回復は戦争が始まったことによる軍事ケインズ主義によるものであった。
しかし、激動の中を生き残ったのは、ネーション国家に部分的な要求を行う民主的社会主義勢力である。成人男子労働者も含めた労働者保護法制、ゆりかごから墓場までの社会保障制度、そして財政政策による完全雇用政策という社会政策が、戦後の世界に一般化した。(2) フォーディズムの成立
20世紀システムの物質的基礎は自動車や電気器具のような耐久消費財である。特に自動車は19世紀的な貧しい労働者階級イメージから20世紀の豊かな労働者のイメージへの転換を象徴する。この転換点に位置するのがフォードのT型である。それまでの金持ち階級の奢侈品ではなく、労働者階級の高価な実用品となった自動車は、それを購入できるだけの賃金水準を社会的要請とする。
このために活用されるメカニズムは、労働力商品化に対する抵抗運動であった労働運動である。労働運動は労務サービス業としての自己労働の主体性を拠点としつつ、実質的な裁量性を奪還し他人労働性を縮小していこうという志向性と、もっぱら労務サービスの販売条件を向上していこうという志向性が混在していたが、アメリカにおいて実現した典型的なフォーディズムにおいては、テーラー主義という形に凝縮した生産活動における他人労働性の全面化については甘受し、その代わりに労務サービスの価格たる賃金の恒常的かつ大幅な上昇を確保するという後者の考え方に立脚した労使妥協が基本的枠組みとなった。
この労使妥協がアメリカのように企業レベルではなく、産業レベル、国家レベルで明示的に行われたのがヨーロッパ型のフォーディズムであった。そして、テーラー主義受け入れの代償は賃金上昇にとどまらず、国家レベルの労働者保護法制や社会保障制度の充実などに及び、いわゆる福祉国家が成立することになる。(3) ケインジアン福祉国家と完全雇用政策
程度の差はあれ、20世紀システムを19世紀システムから区別する最大の外面的特徴は国家のあり方であろう。19世紀に誕生したネーション国家が大きく成長し、自己調整的市場にほとんどをゆだねる自由主義国家から、民間経済に介入しつつ自ら経済主体として活動する新たな国家のあり方が登場してきた。国家の活動をその不可分の一部として組み込んだ経済システムとして、混合経済という呼び名が用いられる。
国家の介入を大きく分類すれば次の3つになろう。第1は、ミクロの経済活動に介入する産業政策である。これは個別企業ではやりにくい産業の近代化を促進するためのものと、衰退産業を下支えする社会政策的色彩の強いものがあった。第2は、マクロの経済運営を、人的資源が有効活用され、非自発的失業が発生しないようにコントロールしていこうとする完全雇用政策である。第3は、労働者保護とともに社会保障を充実し、失業や疾病という一時的労働不能にも、障害や老衰という恒常的労働不能にも、労働者とその家族が生活を維持することができるようにしようとする本来的意味の社会政策である。
これに応じて、国際経済においても金本位制は放棄され、アメリカのドルを基軸通貨とする固定相場制がとられた。これは国際収支の圧力によって国内における財政政策が制約されることなく、上の完全雇用政策を十分に実施できるための枠組みとなった。これはネーション的労働本位制と呼ばれる。
こういった20世紀的な国家のあり方をケインジアン福祉国家と呼ぶことができる。それは一言でいえば、19世紀には未だ社会の全面を覆うにいたらなかったネーション共同体の原理が、さまざまな社会主義の模索の中を勝ち残った民主的社会主義の原理と結合し、フォーディズムが要請する労使妥協システムをその中に組み込みながら作り上げられたものであり、失業と飢えの恐怖におびえる労働者像を豊かさを享受する労働者像に転換させた。労働力商品化の害悪は遂に解消されたかのように見えた。
しかし、その豊かな労働者は労働の現場においては決して実質的な自己労働性を取り戻していたわけではない。労務サービス業たる自己労働者は決して生産者たる自己労働者ではなかった。この矛盾がやがて20世紀システムの基盤を揺るがしていくことになる。7 経営者の時代
20世紀は経営者の時代でもあった。資本家が労働者を使って利潤を得るという資本主義の古典的イメージが衰退し、専門的管理労働者としての経営者が企業の実権を握るようになった。これは経営者革命と呼ばれる。経営者革命の本質はどこにあるのだろうか。そもそも経営者とは何者なのだろうか。
(1) 株式会社の登場
資本家と区別された経営者という存在は株式会社とともに登場する。株式会社とは何だろうか。商法の歴史をたどれば、商人が結合して一緒に商売をする枠組みが会社である。当初は各商人の独立性が強く、全社員が無限の責任を負う合名会社という形態であったが、中核的な無限責任社員と周辺的な有限責任社員からなる合資会社が現れ、ついには全社員が有限の責任しか負わない株式会社が登場する。そして、株券はいつでも公開の市場で売り買いすることができるので、株主という名の社員は自ら企業の経営にあたる本来の意味の資本家、自己資本家ではなく、自己の貨幣を他人の生産活動に投資して利子の獲得をめざす投資家、他人資本家に近い存在となる。
逆の言い方をすれば、実質的には利子獲得にしか関心のない他人資本を法制度上自己資本に擬制するのが株式会社制度であるということもできる。これは19世紀後半になり、重化学工業の発展とともに企業の大規模化が要請されてきたことに対する制度的な対応であったが、自己労働と自己資本の結合としての産業資本家が他人労働と他人資本を活用しながら事業を経営するという古典的形態が次第に崩れてゆく出発点となった。
株式会社という形式がとられても、ただちにすべての株主が実質的な他人資本になるわけではない。同じ株主といいながら、創業者やその一族であって自ら経営に携わる中核的株主と、配当という名の利子を受け取ることにしか関心のない周辺的株主ではその有り様は全く異なる。そして、この段階では法制度と若干の齟齬があるとはいえ、中核的株主こそが産業資本家そのものであって、資本家と区別された意味での経営者は未だ登場してこない。(2) 経営者革命
自ら経営に携わる中核的株主がその支配力を次第に失っていくと、すべての株主が本来の企業主から見れば他人資本になってしまう。この状態が資本と経営の分離といわれる事態であるが、正確に言えばかつての産業資本家の属性のうち自己資本としての性質を擬制的にのみ持つ株主と、自己労働としての性質を受け継ぐ経営者が分離してくるということである。
すでに見たように、産業資本家は一方では遠隔商業に由来する都市商人の商業資本と、他方では封建社会の中で独立性を強めてきた独立生産販売者たる家族共同体との2つの源泉を持っている。この2つが結合するところに自己労働と自己資本の結合体としての産業資本が誕生し、近代市場社会が生まれたのであったが、株式会社という形式は今度はこの結合体を分解する方向に働きだしたのである。
この動きは、19世紀末重化学工業化とともに進展し、20世紀に入り自動車や電気器具のように生産規模が巨大化するにつれてさらに加速した。そして重要なのはこれが既述のフォーディズムと結合し、20世紀システムの1つの構成要素となった点である。19世紀の「労資」関係は20世紀の「労使」関係に変わった。「労」は労務サービス業としての擬制的自己労働を、「使」は経営主体としての実質的自己労働を意味しつつ、分業体制が成立したのである。(3) 労働者の経営参加
アメリカのフォーディズムにおいては、労働運動はもっぱら労務サービスの販売条件の向上に目標を絞り、実質的な自己労働の主体性を回復しようという志向性は見られなかったが、ヨーロッパ特にゲルマン諸国と日本においては、労務サービス業としての擬制的自己労働性を超えて、経営主体としての実質的自己労働性を回復しようという方向が出現してきた。
これは労働力の商品化に対する反発として登場した社会主義の当初の理想である自己労働者の結合体としての企業というイメージに通じるものでもある。商法や会計制度は商人資本に由来するものであるが、ゲルマン諸国ではこれに法制的に修正を加えていこうとする道をとった。しかしながら、ゲルマン諸国においては経営者革命の進行がそれほど進んでおらず、決して単なる配当受給者ではない中核的株主が自己資本と自己労働の結合体として相当程度存在している。この状況下ではいかに法制度上労働者の経営参加を規定しても、それはあくまでも副次的なものにすぎず、労働者は経営主体ではない。
それに対して、日本においては商法や会計制度は商人資本由来のまま維持されたが、第2次大戦後の財閥解体などを通じて経営者革命が進展し、これに終戦直後の生産管理闘争などに示された労働者の参加志向が結合して、自己労働者の結合体としての企業というイメージが形成されるに至った。8 20世紀システムの動揺と市場原理の逆襲
空前の繁栄を誇った20世紀システムにも衰退の時期がやってきた。まずはシステムの基本をなすフォーディズム的労使妥協がほころび始めた。次に、ケインジアン福祉国家が国家に頼る惰民を作るものと非難されるようになった。さらに、金融のグローバル化の中で、経営者支配に対しても批判の矢が投げかけられるようになってきた。社会の主導的イデオロギーはもっぱら市場原理を振りかざすものとなり、ついには市場原理に反すること自体が悪であるかのような雰囲気が形成されていった。
(1) フォーディズムの行き詰まり
フォーディズムとはテーラー主義と恒常的賃金上昇の取引による労使妥協システムであるが、ここには2つの問題が潜在している。1つはテーラー主義によって労働者は企業の生産活動においては単なる道具であることを認めてしまい、企業経営に積極的に関わっていこうという志向をあらかじめ切断してしまったために、もっぱら取引相手である企業からどれだけの譲歩を勝ち取るかという点に関心が集中してしまったことである。これはケインジアン政策が高度経済成長を実現していた間は矛盾を露呈せずにすんだが、いったん低成長時代にはいると、労働組合は企業経営に対する考慮なしに賃上げばかりを要求する困った存在という意識が社会全体にいだかれるようになり、労働運動の社会的正当性を自ら掘り崩す結果となった。このことが、労働組合を市場原理に対する夾雑物と見、その無力化を志向するネオ・リベラリズムが力を得る1つの原因となった。
もう1つはより根深い問題である。人類の長い労働の歴史の中では、労務サービス業としての自己労働性というのはいかにも擬制的であって、現実の企業の中で自分と同じ共同体に属する者ではないものの指揮命令下の従属労働に従事するという他人労働性は覆い隠すことはできない。それでも労働者が従属労働に従事してきたのは、失業と飢えの恐怖に追われてやむを得ずという面が大きかったと思われる。しかしながら、20世紀システムはこの失業と飢えの恐怖を取り除いてしまった。そうすると、他人のいうがままに働かなければならないのはそもそも何故なのか、という哲学的な問いかけが頭をもたげてくる。この問いが先進世界同時に問われたのが1960年代後半であったのは、それがまさに失業と飢えの恐怖を知らない世代が社会に出てきた時代であったことを示している。
その後、先進世界共通の病として、労働者のアブセンティーイズムが注目されるようになる。そして、労働生活の人間化という課題が取り上げられるようになっていく。フォーディズムの1つの柱であるテーラー主義からの脱却が模索されていく。一方、労働者がずる休みしたり、いい加減な仕事をしたりするのは失業と飢えの恐怖という規律を失ったからだという立場からの批判も力を得ていく。労働者が得たさまざまな既得権を剥ぎ取り、いうことを聞かなければ失業して飢えることになるぞと威嚇し戦慄させることによって生産の場の規律を回復しようというこの立場は、いわば20世紀システムを否定して19世紀システムへの逆戻りを唱道するものであった。(2) ケインジアン福祉国家の動揺
ネーション共同体原理と民主的社会主義が結合して生み出されたケインジアン福祉国家は、ある時期まではフォーディズムと結びついて戦後先進世界の高度経済成長の原動力となった。しかしながら、ケインジアン政策は不況期に財政赤字を出してでも経済規模を拡大しようとするものであったが、その結果としてインフレ傾向が恒常化し、不況とインフレが併存するスタグフレーションという現象が発生するようになった。これは健全な市場原理からの逸脱の故であるとする批判が登場してきた。
また、福祉の拡充は、一時的、恒常的な労働不能から労働者と家族の生活を守るという趣旨を超えて、いわば弱者のふりをして福祉に頼って生きる人々を増やし、社会全体としての負担を重くする傾向を発生させた。1970年代にはいると、各国で福祉の見直しの議論がわき起こってきた。
さらに、ドル本位制は1970年代はじめに破綻し、国際通貨は変動相場制に移行した。これは完全雇用政策の基盤であったネーション的労働本位制が崩れ始めたことを意味する。
こういった流れを集約して、1980年代にはイギリスとアメリカという2大アングロ・サクソン諸国で、市場原理万能のネオ・リベラリズムに基づく政策が実施され始めることになった。ネオ・リベラリズムは、企業経営に対する妨害物と見なした労働運動に対して対決姿勢をとり、法制や政策を駆使して労働運動の抑圧につとめた。また、手厚い労働者保護や福祉がかえって労働者や国民をだめにしているとして、これらの既得権をできるだけ縮小しようと試みた。
1980年代はこれに対し、大陸ヨーロッパ諸国を中心として、それまでのケインジアン福祉国家の原理を維持しようとするソーシャル・ヨーロッパ路線が一定の力をふるった。また、ネーション共同体原理を拡大してヨーロッパという単位での共同体形成を目指すECがすでに形成されていたが、これが統一通貨を採用していわばヨーロッパレベルの労働本位制を再建しようとする通貨統合が目指された。
しかし、1990年代の特に後半に入って、世界はアングロ・サクソン諸国の掲げるネオ・リベラリズムの波の中に呑み込まれていった。(3) コーポレートガバナンス
1990年代の特に後半に入って、世界的ににわかにコーポレートガバナンスの議論が盛んになった。その出発点は、資本と経営の分離が進んだアメリカなどのアングロ・サクソン諸国で、経営者が本来資本家の代理人(エージェンシー)として資本家の利益を最大にするように行動すべきであるにもかかわらず、自らの利益を図って資本家の利益を害しているという問題意識である。
資本と経営の分離とは、すでに述べたように産業資本の自己資本の側面と自己労働の側面が分離するということであった。そして、経営者支配とは、自己資本という擬制のもと実質的には利子獲得にしか関心のない他人資本である株主に対し、自己労働たる経営者が企業の支配権を握るということであった。商法の上では、株主が資本家であり、経営(を委託されている)者は株主の利益のために奉仕する存在であっても、それは建前であって現実の姿ではなかった。
それが20世紀末になって再び株主主権などということが言われるようになったことの背景には、退職者年金基金などの巨大な資金を有する機関投資家が株式市場に出現し、これがその収益を最大化するよう経営者に圧力をかける力を持ち始めたことがある。退職年金基金が巨大な資金を有するようになったのは、20世紀システムの中で社会保障制度が発達し、豊かになった労働者たちの強制貯蓄が膨大な規模に膨れ上がったからである。ドラッカーが「忍び寄る社会主義」と呼んだこの退職年金基金が、経営者に対して資本の論理を突きつける存在として株式市場に登場したということほど、皮肉なことはないであろう。
この新たな「資本家」は、しかしながらかつての企業主たる巨大株主とは異なり、実質的には外部の債権者と同様の他人資本にすぎないので、中長期的な事業運営などによりも、短期的なリターンの最大化に関心がある。かくして、経営者は「株主価値創造革命」なる名のもと、生産活動などよりも財務成績に狂奔する仕儀となる。
金融市場のグローバル化の中で、このコーポレートガバナンスの議論がヨーロッパ諸国や日本にも押し寄せてきた。そして、自分たちにとってもっと投資しがいのある企業になるようにと圧力をかけてきている。20世紀末にいたって、利子生み資本の論理が世界を席巻するかの勢いである。9 21世紀システムの模索
今日、20世紀システムは大きく揺らいでいる。労務サービス業という擬制的自己労働の上に立脚した労使妥協システムたるフォーディズムはすでに解体過程に入り、ケインジアン福祉国家ももはや維持できない事態に立ちいたっている。実質的自己労働者として企業を引っ張ってきた経営者たちは、擬制的自己資本家の足許に屈するよう求められている。そして、世界中で鳴り響くのは、市場原理を至上のものとしてひたすら讃え、それに反するものの存在を認めようとしないネオ・リベラリズムの声である。
しかし、19世紀システムへの単なる逆戻りの道に21世紀システムを展望することはできない。未来はどの方向にあるのか、考えてみたい。(1) 情報産業社会の到来
20世紀システムの物質的基礎は自動車や電気器具のような耐久消費財であった。その上にテーラー主義を受容し、生産の場では主体性を放棄しつつ、労務サービス業としての自己労働に立脚した労使妥協たるフォーディズムが成立し、富裕な労働者が出現したのであった。しかしながら、産業社会は現在大きな勢いで新たな段階に移行しつつある。それは、情報処理・通信技術の格段の進歩によって、産業の情報化と情報の産業化が進展しているからである。前者は既存の産業活動における情報処理、通信過程が高度化することによって生産性の著しい向上が図られるという側面であり、後者は情報処理、情報通信という産業分野が急速に拡大するという側面であるが、20世紀末には両者相まって莫大な産業拡大効果が見られている。21世紀は産業社会の第3段階としての情報産業社会であるというのが、衆目の一致するところであろう。
労働の観点からは、情報産業社会は知識労働社会である。19世紀システムにおいてエネルギー源としての労働力が商品化されたのに対して、21世紀システムにおいては情報源としての労働力が商品化されるということもできよう。これは、労働の存在形態に2つの相反する契機を与える。一つには、労働者が一個の情報サービス業としての主体性を追求していく方向である。これはかつての自営労務サービス業としての自己労働の知識労働化形態といえる。現在盛んに喧伝されている情報化イコール市場化といった考え方は、この方向を強調するものだと言えよう。ここからは、労働者についても特許権や著作権といった知的財産権を重視する考え方が打ち出されることになる。
しかしながら、情報や知識は物質やエネルギーと異なり、存在の量的限界がなく、ほとんどコストなしに無限に複製することができるという性格を有することから、本質的に商品化になじまない面がある。情報の商品化は、情報を商品たらしめるための知的財産権という観念とそれを支える制度を必要とし、かつそれがあらゆる端末で遵守されるようなSF的監視メカニズムを要求する。これはまさしく古い生産関係が新たな生産力の桎梏と化す姿ではなかろうか。長期的に見れば、知的創造を一定程度保護しうる情報社会における取引形態は、かつて梅棹忠夫が予言し、現にシェアウェアという形で発展しつつある「お布施の原理」に落ち着いていかざるを得ないのではなかろうか。
もう一つ、とりわけ知的労働という観点から重要なのは、情報や知識のネットワーク効果である。情報や知識はより多くの人々に共有され、共用されることによってますます生産性が高まっていく。労働者個人個人が自営情報サービス業として情報商品の取引主体化していくことは、このネットワーク効果を分断する危険性をはらんでいる。上記知的財産権の過度の強調は、この知識ネットワークの中でたまたま商品化に成功した個人のみに報償を与えることで「一将功成って万骨枯」らせることとなりかねず、結果的に全体の生産性を阻害することになる危険性がある。死せる知的労働が生ける知的労働を搾取する姿と言えるかも知れない。
その意味で、情報産業社会は情報の商品化のモメントとその脱商品化のモメントの双方のせめぎ合いの中で進んでいくと考えるべきであろう。後者の観点からは、知的労働はなによりもまず知識ネットワークの中の存在である。労働者は自営情報サービス業者としての主体性を追求するだけでなく、むしろネットワークにおける協働の契機を強調し、そこへの参加に主体性を見出していくことになろう。情報資本主義に対して「ドット・コミュニズム」とでも言えようか。
以上の議論はやや先駆けし過ぎの感もあるが、21世紀システムの下部構造として踏まえておくべきものであると思われる。(2) 福祉国家から参加社会へ
ケインジアン福祉国家は揺らいでいる。ネオ・リベラリズムに基づき労働者保護や福祉の大幅見直しを断行したアングロ・サクソン諸国だけでなく、長らく福祉国家の牙城であった大陸ヨーロッパ諸国でも抜本的な見直しが進められている。しかし、その方向性は必ずしも市場原理一本槍ではない。EUの社会政策白書などで打ち出されている方向は、連帯のあり方を、今までの消極的な資源の移転という方式から、積極的な機会のよりよい配分という方式に代替していこうというものである。その際、仕事を単なる所得稼得手段と見るのではなく、人々に社会における地位と尊厳を与えるものと見、仕事を通じて万人の社会的統合を図っていこうという姿勢が示されている。
これを協働原理に基づく共同体のあり方という面から考えると、ネーション共同体と家族共同体の二重構造をなしていた近代社会が大きく組み替えられようとしていると見ることができる。擬制的労務サービス業者の家族共同体を保護するためにネーション共同体が実施する福祉は、その両脚が崩れつつある。一方では家族単位の福祉の個人単位化が進められている。これは市場原理の主体としての個人主義ではない。そのような実体は実は今までも存在しなかった。家族共同体を家長たる成人男子で代表させて個人主義と称していただけである。これが家族共同体の成員レベルにまで降りてくることによって、血縁原理に基づく共同体は再度抜本的な組み替えを要求されることになりつつある。
他方、協働を要求するネーション共同体も、その共同体性が一方でEUのように国家を超えたレベルに、もう一方で地域社会のレベルに拡散しつつある。人間性そのものが変わらない限りおよそ人間社会に脅迫原理がなくなることはなく、権力体の契機が失われるということはないであろうが、ネーション共同体という特定のレベルに権力が集中するという特殊近代的状況はそろそろ終わりつつあるのかも知れない。
そして、その中間に、これまでは共同体性が希薄であった職場が、協働原理の1つの核として姿を現しつつあるように思われる。しかしながら、かつてドイツで試みられ、戦後日本が作り上げた企業共同体という労働社会のあり方が21世紀の指導原理となるわけではないであろう。もちろん、生産活動自体における労働者の裁量性の拡大、企業経営への労働者の参加という方向性を通じた自己労働者の結合体としての企業共同体というイメージは、21世紀の参加社会の基盤となるだけの価値がある。
しかし、20世紀システムにおけるゲルマン・日本型の企業共同体が、重化学工業の大規模組織を前提とするものであったのに対して、21世紀システムにおける職場の協同原理は、情報生産に向けた知識労働者のネットワークという形をとる可能性が高いと思われる。(3) 自己労働ネットワーク社会へ
改めて振り返ってみれば、近代産業資本は商人資本に由来する自己資本と独立生産販売者に由来する自己労働の結合が生み出した存在であった。そして、自己資本の実質的他人資本化とともに、自己労働者としての経営者が20世紀の指導階層となった。今一見それを揺るがしているかに見える「株主主権」は、実は富裕化した労働者の貯蓄が生み出したものである。この皮肉な構造の中に、21世紀システムの方向もまた透けて見えるのではないだろうか。
第1の方向は、自己労働者の範囲の拡大である。実質的自己労働者としての経営者と擬制的自己労働者かつ実質的他人労働者としての労働者の対立と妥協の構造図式(「労使」構造)は、19世紀の「労資」構造に代わるものとして20世紀システムの基礎構造をなしたが、いまや一方では従属的な他人労働性への反発がその基礎を掘り崩しつつあり、他方では経営者は擬制的な「株主主権」の代理人として行動するよう強制されつつある。これまで他人労働として実質的な企業の意思決定から疎外されてきた労働者層を、経営者と同様の自己労働者として企業経営に関与させていくことこそが、自己労働者の結合体としての企業という新たな歴史的主体を作り出し、20世紀システムが直面する隘路を突破することを可能にするように思われる。
第2の方向は、企業組織のネットワーク化である。もともと自己労働者とは家族経営による独立生産販売者が原型であった。20世紀システムのもとでも伝統的セクターを中心に相当の自営業者が存在してきたが、彼らの作る組織は協同組合のように成員の独立性を前提としたゆるやかなものであった。ヒエラルキー的な規律に従う鉄の組織というイメージは重化学工業の発達にともない普及したものであるが、情報産業社会の到来とともにますます時代遅れになりつつある。20世紀システムが要請する巨大組織と成員の自己労働性を両立させるための工夫がさまざまな労働者参加制度であったが、21世紀の企業組織はネットワーク型の緩やかな組織として、いわば自営業者化した労働者が組織する協同組合のような形になっていくのではなかろうか。
第3の方向は、富裕化した労働者の貯蓄が金融市場の中で資本の論理の体現者となってしまっている事態の転換である。戦後日本の会社主義においては、株式の持ち合いによって株主の行使可能な権利を可能な限り縮小するとともに、法制的には会社の主権者であるはずの株主を総会屋という非合法な私的暴力装置を用いることで圧伏するというやり方で資本の論理を抑制していたが、このやり方がもはや持続可能でないことは明らかとなっている。それに代わる手段は、金融市場で資本の論理を振り回している者は代理人にすぎず、依頼主である労働者層の利益に反することは許されないということに立脚すべきであろう。「企業の社会的責任」という概念も、まずはそこから出発する必要があろう。
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