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2018年11月15日 (木)

ジョブ型責任とメンバーシップ型責任(再掲+α)

Wezzyというwebマガジンに、松尾匡さんが「安田純平氏バッシングに見る「悪いとこどり」の日本型「自己責任」論の現在」という文章を寄せていて、大変懐かしく思いました。

https://wezz-y.com/archives/60886

10月23日、シリアで3年間拘束されていたフリージャーナリストの安田純平氏が解放された。その直後、安田氏の拘束が判明したときからネットで根強かった、「自己責任論」を理由とした安田氏への批判が溢れかえるようになる。こうした批判は、2004年のイラク日本人人質事件でも見られたものだ。このときも、日本人を誘拐し人質として拘束した武装勢力から提示された自衛隊の撤退という解放条件に対し、一部のメディアが自己責任論を展開し被害者をバッシングしていたのだ。

立命館大学の松尾匡教授は著書『自由のジレンマを解く』(PHP研究所)の中で、日本型「自己責任」論は「悪いとこどり」をしていると指摘する。イラク日本人人質事件から14年経ったいまでも起こる「自己責任論」について、改めて日本型「自己責任」論の問題点を探りたい。

Bk_jiyuu何が懐かしい、って、その『自由のジレンマを解く』のもとになったシノドスの連載のときに、本ブログでコメントをしたのが、その次に反映されて、この本の中にも残っているからです。

まず最初のシノドスの松尾さんの文章。

https://synodos.jp/economy/10051(「自己決定の裏の責任」と「集団のメンバーとしての責任」の悪いとこどり)

それに対する本ブログでのコメント。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-608b.html(ジョブ型責任とメンバーシップ型責任)

・・・ここで松尾さんが例に引いているのは、イラクで拘束された3人に対する日本のバッシングと外国の賞賛ですが、松尾さんの言う「自己決定の裏の責任」と「集団のメンバーとしての責任」の区別は、なぜ日本の企業で成果主義がおかしな風になるのかを理解する上でも有用でしょう。

成果主義というのはいうまでもなく成果(あるいは成果のなさ)に応じて賃金を支払うことですが、それが可能であるためには最低限、その成果(あるいは成果のなさ)が当該労働者の自己決定に基づいて生じたものである必要があり、そのためには自己決定が可能な程度にはその労働者の職務が明確であり、権限が明確であり、逆に言えば上司その他の第三者の介入によって当該成果(あるいは成果のなさ)が生じたのであれば当該第三者にその責任を追及しうる程度にはデマケがはっきりしている必要があります。

でも、それが一番、日本の企業が絶対にやりたくないことなんですね。

職務が不明確であり、権限が不明確であり、誰の責任でその成果(あるいは成果のなさ)が生じたのか、デマケが誰にもわからないようになっているそういう世界で、なぜか上からこれからは成果主義だというスローガンと発破だけが降りてきて、とにかく形だけ成果主義を一生懸命実施するわけです。

そうすると、論理必然的に、松尾さんの言う「集団のメンバーとしての責任」の過剰追求が始まってしまう。もともと職務も権限も不明確な世界では、責任追及も個人じゃなくて集団単位でやるという仕組みで何とか回していたから矛盾が生じなかったのですが、そこで個人ベースの責任を追及するということになれば、「みんなに迷惑かけやがってこの野郎」的な責任追及にならざるを得ず、「俺だけが悪いわけじゃないのに」「詰め腹を切らす」型の個人責任追及が蔓延するわけですね。

まさに、自己決定がないのに、自己決定に基づくはずの責任を、集団のメンバーとしてとらされるという、「悪いとこ取り」になるわけで、そんな糞な成果主義が一時流行してもすぐに廃れていったのは当然でもあります。

この議論、もっと発展させるとさらに面白くなりそうな気がするので、松尾さんにはこの場末のブログから励ましのお便りを出しておきます。

それを受けて、松尾さんの議論がさらに展開していきます。

http://synodos.jp/economy/10431(「流動的人間関係vs固定的人間関係」と責任概念)

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