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2018年11月 8日 (木)

健康保険の被扶養者の経緯

先週国会に提出された(はずですが、現在まで法務省のサイトにも衆議院、参議院のサイトにも法案自体がアップされておらず、中身を正確に論じることがなお困難な状況ですが)(念のため確認したら、ようやくアップされていました)外国人労働者の受入を目指す入管法改正案をめぐって、急に健康保険法の扶養家族の問題が持ち上がっているようです。

https://www.asahi.com/articles/ASLC72QXNLC7UTFK002.html

参院予算委員会が7日開かれ、出入国管理法(入管法)改正案をめぐり、受け入れる外国人労働者の家族をどこまで日本の公的医療保険(健康保険)の対象とするか、論戦が交わされた。現行では海外に住む家族も保険が使え、外国人労働者の増加に伴い国の医療費が膨らむとの指摘があり、安倍晋三首相は「政府内の議論で私も問題を指摘した」と述べ、制度改正の必要性について言及した。

新設する在留資格「特定技能」で入国してくる外国人労働者について、その被扶養者も出身国で増加すると、国民民主党の足立信也氏が指摘。そうした被扶養者にも、年齢や年収に応じた自己負担の上限を超す分は払い戻す日本の高額療養費制度を適用するのか、質問した。

 安倍首相は「高額療養費制度を、本来そうあるべきだという形以外で、我が国に来てすぐに使う方が実際にいた。この法案を政府内で議論する時、私も問題を指摘し整理するよう申し上げた」と答弁した。政府は健康保険について、保険が使える扶養家族を日本国内に住む人に限る方向で検討している。

 また一夫多妻制が認められている国から来日し、妻が複数いる人について、安倍首相は「日本では1人が(健康保険の対象として)認められる。2、3人目のその国で認められる奥さんたちは対象ではない」と答えた。・・・

トップダウンで結論が先に降りてきた話なので、外国人労働者がもたらすさまざまな社会的問題に対する各論的検討はあまりなされておらず、こういうドタバタ劇がいろんな分野で発生するのだと思いますが、それはともかく、ここではややそもそも論的に、なんで健康保険では扶養家族も給付が受けられるんだろうかという点について、経緯を遡ってみたいと思います。

サラリーマンやってた人が脱サラしたら、それまで健康保険で一人分の保険料だけ(会社と折半で)払えば奥さんやこどもにも保険証がもらえたのに、国民健康保険になったら家族全員分の保険料を払わなくてはいけなくなった、という経験をお持ちの方も少なくないでしょう。

でも、そもそもなんで雇われて働いているということに着目した社会保険において、その家族の分まで面倒を見ているんでしょうか。

実は、1922年に健康保険法が制定されたときには、家族給付なんてのはなかったのです。ではいつ導入されたのか。戦時体制下の1939年の健康保険法改正で任意給付として導入され、大東亜戦争中の1942年に法定給付化されたのですね。まさに戦時体制の産物なんです。

というと、賃金制度の展開をご存じの方は、戦時体制下で生活給や家族手当が国家の政策として取り上げられてのと揆を一にしていることがおわかりと思います。

11021851_5bdc1e379a12a拙著『日本の労働法政策』から関連部分を引っ張っておくと(p626~)、

・・・ 生活給思想を最初にまとまった形で提唱したのは、呉海軍工廠の伍堂卓雄である。1922年に彼が発表した論文は、従来の賃金が労働力の需給関係によって決まり、生活費の要素が考慮されなかったことを、労働者の思想悪化(=共産主義化)の原因として批判し、年齢とともに賃金が上昇する仕組みが望ましいとしている。家族を扶養する必要のない若年期には、過度な高給を与えても酒食に徒費するだけで本人のためにもならず、逆に家族を扶養する壮年期以後には、家族を扶養するのに十分な額の賃金を払うようにすべきだというのである。この生活給思想が、戦時期に賃金統制の形で現実のものとなる。
 まず1939年の第一次賃金統制令は、未経験労働者の初任給の最低額と最高額を公定し、雇入れ後3か月間はその範囲の賃金を支払うべきという義務を課した。続いて同年、賃金臨時措置令により、雇用主は賃金を引き上げる目的で現在の基本給を変更することができないこととされ、ただ内規に基づいて昇給することだけが許された。初任給を低く設定し、その後も内規による定期昇給しか認めないということになれば、自ずから賃金制度は年功的にならざるを得ない。ホワイトカラー職員についても1939年の会社職員給与臨時措置令で、主務大臣の許可を得た給料手当の準則によらない増給等を禁止した。
 1940年にはこれらを統合して第二次賃金統制令が制定され、労働者1人1時間当たりの平均時間割賃金を公定したが、地域別、業種別、男女別、年齢階層別に規定されており、従って勤続給よりは年齢給に近づいた。ホワイトカラー職員についても1940年の会社経理統制令で初任給の上限や昇給幅(7%以内)をかけて、事実上年功制を強制した。
 一方、1940年には扶養家族ある労働者に生活補給のため臨時手当の支給を認める閣議決定がされ、これに基づき「扶養家族アル労務者ニ対シ手当支給方ニ関スル件依命通牒」(発労第7号)が発出され、家族手当はその後累次にわたって拡大された。
 1942年の重要事業場労務管理令は、事業主に従業規則、賃金規則(給料規則)及び昇給内規の作成を義務づけ、その作成変更について厚生大臣の認可制とした。さらに1943年の賃金統制令改正により、その他の事業場についても賃金規則及び昇給内規が認可制となった。これにより、年功賃金制が法令によって強制されるものとなり、しかも昇給格差まで規制されていた。
 こうした賃金統制は「皇国の産業戦士」の生活を保障するという思想に基づいたものであった。1943年6月に政府の中央賃金専門委員会が決定した「賃金形態ニ関スル指導方針」では、「賃金ハ労務者及ヒ其ノ家族ノ生活ヲ恒常的ニ確保スル」ものとし、「労務者ノ性、年齢及勤続年数ニ応シ定額給ノ基準ヲ定ムル」こととしていた。・・・

実を言うと、戦後この制度を廃止し、被扶養者はすべて国民健康保険のほうに入れるという案が検討されたこともあるのですが、そういうことにはならず今日に至っています。被扶養者の認定基準として1977年にはじめて70万円が設定され、その後繰り返し引き上げられて現在は130万円になっており、非正規労働者との関係で繰り返し問題となってきましたが、一方これは日本のパート・アルバイト労働市場を想定したもので、途上国水準からすれば大変高給であるのも確かです。

いろんな意味で、諸々の問題をはらんだ制度が外国人労働者導入という黒船で一気に露呈しつつあるような感があります。

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