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メンバーシップ型養成ギプス

Nishiguchi「マネたま」に西口想さんが連載している「映画は観れないものだから心配するな」というなんだか意味不明のタイトルの最新記事に、「『桐島、部活やめるってよ』は労働の物語か」という、大変面白いエッセイがアップされています。

https://www.manetama.jp/report/movie-is-not-to-be-seen07/

・・・この映画は、日本の中高生の「部活」と、大人にとっての「会社」が、ほとんど同じものであることを言外に描いていたから。
毎日決まった時間に所属先に集まること、「目上」の指示に従順に従うこと、才能と実力によって役割を振り分けられること、組織内外の細かな序列や暗黙のルールを察すること――「会社」で必要とされるものはすべて、「部活」が子どもたちにたたき込む。
部活にとって、スポーツや楽器それ自体が将来の仕事につながるかどうかはもちろん重要ではない。労働者として求められる資質の育成こそが肝なのだ。この異色な青春映画の登場人物たちが「部活」をめぐって苦しんでいる不安はだから、労働に対する実存的な不安だ。ノスタルジーや感傷ではなく、大人になった私たちも毎日向き合っている不安、心の揺れを描いている。

そう、確かに「「会社」で必要とされるものはすべて、「部活」が子どもたちにたたき込む」からこそ、部活は単なるクラブ活動ではなく、「部活」という一種独特の符丁で呼ばれるのでしょう。

「就活」が「就職活動」ではないように、「部活」は「クラブ活動」ではない、ようです。

・・・日本の就活市場では長らく、ある特定の職業スキルがあることより、組織のなかで柔軟に何でもできる能力が求められてきた。そのための訓練は、実は中高生の頃から「部活」という名前で始まっている。

「部活」とは、学校教育の正課では養成することが難しいメンバーシップ型社会の精髄を体に覚えさせるための秘密の「養成ギプス」なのかも知れません。

それし、それなればこそ、その「部活」の指導とは、学校教育法上は姿を現さないにもかかわらず、学校教師が遂行するべき最も重要な任務の一つにもなっているのでしょうか。

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