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“Us Too!”のポピュリズム

Rothstein_bio ソーシャル・ヨーロッパに載っている Bo Rothstein と Sven Steinmoの「“Us Too!” – The Rise Of Middle-Class Populism In Sweden And Beyond」という文章が面白いです。最近日本で起こっている社会現象の根っこにあるメカニズムの説明としても、じっくり読まれてしかるべき文章だと思います。

https://www.socialeurope.eu/me-too-the-rise-of-middle-class-populism-in-sweden-and-beyond

Steinmo_bio 最近のスウェーデンの選挙でスウェーデン民主党という右翼ポピュリスト政党が躍進した原因を取り上げたもので、本ブログで再三取り上げてきたテーマですが、“Me Too!”ならぬ“Us Too!”といういい方がポイントをついていると思ったたので、紹介します。前半はグローバリズムとか移民とかという説明が必ずしも十分ではないことを説明して、それがアイデンティティ政治の反転であることを解き明かしていきます。

Instead of blaming voters for their regressive attitudes, we suggest that the current backlash witnessed in Sweden, and elsewhere, is tied to a deeper problem that can be understood as a new version of the politics of “identity.” No student of Swedish politics over the past several years can fail to have noticed that the focus of political discourse has changed from one of supporting universal and broad-based policies based on the principle of equality to homing in on the rights of various minority groups – not least various immigrant groups – but also religious and sexual minorities. The reality is that for traditional, middle and working-class citizens, this discourse, and the policies that flow from them, are perceived as undue favouritism to specific groups that stake a claim to being different. Whether they realize it or not, this claim challenges the collectivist idealism of classical Social Democracy.

選挙民の退嬰的態度を非難する代わりに、我々は今日スウェーデンやあちこちで目撃されているバックラッシュが「アイデンティティ」の政治の新たなバージョンとして理解されうるより深い問題に結びついていることを示唆する。過去数年間のスウェーデン政治の研究者の誰一人として、政治的議論の焦点が平等原則に基づく普遍的で広範な人々のための政策を支持するものから、様々なマイノリティ集団-移民集団だけではなく宗教的・性的マイノリティも-の権利に的を絞ったものに移り変わってきたことを見落としていない。実際には、伝統的な中間層や労働者階級の市民にとっては、こうした議論やそこから出てくる政策は、違っていると主張することに掛け金を掛け,る特定の集団に対する不適切なえこひいきと受け取られる。彼らがそれを意識しているか否かはともかく、この主張は古典的な社会民主主義の集団主義的理想主義に挑戦しているのだ。

In our view, the electoral outcome we have just witnessed in Sweden (and similar trends in other countries) should be seen as a kind of backlash identity politics. Just as various minority groups want to be recognized and wish to honour and protect their specific identities, we suggest that “average” ethnic Swedes, Norwegians, etc. also want to honour, and protect, their identities.,

我々の考えでは、我々がスウェーデンや他の諸国で目撃してきた選挙結果は、ある種のバックラッシュ的アイデンティティ政治とみられるべきである。様々なマイノリティ集団が彼らの特定のアイデンティティを公認され、名誉とし保護されることを求めるのと同様、「平均的な」民族的スウェーデン人やノルウェー人もまた、彼らのアイデンティティを名誉とし保護されたいのだ。

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Today, many ‘average’ citizens believe that their identity as traditional Swedes/Norwegians/ etc. is neither appreciated nor valued by their nation’s intellectual and political elite. They may feel that this internationalized elite doesn’t even really respect the traditional vision of Ola Nordmann or Elsa Svensson. In short, this election should be seen a backlash produced by a quite basic human emotion – “my story matters” – more than a product of racism or economic challenges.

今日、多くの「平均的な」市民は伝統的なスウェーデン人、ノルウェー人としての彼らのアイデンティティが、自国の知識人や政治的エリートによって全然評価されていないと信じている。彼らは、この国際化されたエリートが伝統的な「ノルウェっ子」や「スウェデっ子」にちっとも敬意を感じていないと思っている。要するに、この選挙結果は人種差別主義や経済的課題の産物というよりも、全く基本的な人間感情-「大事なのは俺の話だ」-によって生み出されたバックラッシュとみられるべきである。

The irony is that the very identity politics that has been so favoured by the elite in Sweden and elsewhere may be increasing the sense of identity of the majority of their own citizens. The result, then, is that they turn to parties that claim to respect that identity.

皮肉なのは、スウェーデンや他の諸国でエリートによって愛好されてきたアイデンティティ政治それ自体が、彼ら自身の市民の多数派のアイデンティティの感覚を増進してきているということである。その結果は、そのアイデンティティを尊重すると主張する政党に向かうことになるのだ。

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というわけで、マイノリティのアイデンティティを尊重するエリートのアイデンティティ政治が、それを忠実に模写反転した多数派の大衆的アイデンティティ政治を生み出し、追われていくという、皮肉極まるストーリーです。

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コメント

うーん。hamachan氏はたまにこのような現代思想がもたらす弊害?やある種の帰結を指摘しますが、もし仮に現在の右派の伸長というものが多数派のアイデンティティの 表明だとするならば 、なぜその表現が非常に差別的で排外主義的な形態をとるのか説明がつかないと思います。
数少ないブログなどで確認する限り、スウェーデンにおいても今回議席を伸ばした政党は例えば移民が多くいる広場で移民を今すぐ飛行機に乗せて出身地に帰そうといったような露骨な差別排外主義的なキャンペーンを行っていました。 日本で言えば新宿などで飛行機の模造紙を使って在日朝鮮人を今すぐ朝鮮半島に送り返そうといったキャンペーンを行っているのと似たようなものだと思います。
僕は その映像を見て非常に気分を悪くしました。でもその映像では嬉しそうにそのキャンペーンを行っているスウェーデンの人たちが数多く映っていました。 僕にはその人たちが多数派のスウェーデン人のアイデンティティの表明を行っているようには思えませんでした。むしろ自分が気に入らない移民を 露骨に嫌いそして追い出したいという願望を表明しているようにしか見えませんでした。
僕は今のこの移民や難民の排斥の問題というのは 例えば80年代の ドイツにおけるトルコ系の移民に対する 差別的な感情や行動などに通ずるようにある社会においてその社会に 属さない人々が一定数存在すると そこには非常に大きな摩擦や対立が生じると言う 当たり前の社会現象であるように思います。それは理屈ではなくやはり感情の問題何でしょうが。
人権は普遍的であるという考え方としかしながら個々の社会集団にはそれぞれの伝統なり社会的な統一性や均一性があると言った当たり前の矛盾が顕在化しているのだと思います。結局日本にいる限り他人事になってしまうのでしょうが、異なる社会集団の人々を多数受け入れる際には、個人という観点だけでなく、異なる社会集団を受け入れるという観点も大切なんじゃないかと感じます。 コミュニティとコミュニティーとの付き合いをどう作っていくのかそして異なるコミュニティの論理とどういうふうに整合性を作っていくのかそういったことが もっと議論されてしかるべきだと思います。長文失礼しました。

投稿: 高橋良平 | 2018年10月 9日 (火) 21時02分

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