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2018年10月21日 (日)

教師職務の専門性と学校メンバーシップの無限定性

文部科学省の中央教育審議会の学校における働き方改革特別部会なるところで、いろいろと議論がされているようなんですが、去る10月15日の会議の資料に「意見のまとめ及び今後の方向性」というのがあり、おそらくこういう方向性で議論をまとめていこうとしているんだと思うのですが、

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/079/siryo/__icsFiles/afieldfile/2018/10/16/1410185_6.pdf

正直言って、どういう理路で物事を考えようとしているのかよくわかりかねるところがあります。

冒頭の「教師の専門性、期待される働き方について」がそもそも、時間外勤務抑制に向けた制度的措置を検討する前提となるはずなのですが、そこでは一方で、

教師は、語彙、知識、概念が異なる子供たちの発達の段階に応じて、内容を理解 させ、考えさせ、表現させる中で、学習意欲を高める授業やコミュニケーションを 行うことができるという専門性を持つ。これが教師の専門職としての専門性であ り、時代が変わり社会全体が高学歴化しても相対化されないもの。 こうした教師の専門性を社会全体で共有した上で、この専門性に相応しい職場環 境を整える必要がある。

と言っていて、これはこれでよく理解できます。教師は確かに医師や研究者などと並んで社会的に確立した専門職であり、専門職なるがゆえにそう簡単に硬直的な労働時間規制に載せられにくいところがあるのはその通りです。他方で、とりわけ日本の現場の教師たちの働いている時間は決して専門職的なものばかりではありません。そこも(やや曖昧かついささかどうかと思われる点もありますが)ちゃんと指摘されています。

現在の教師の長時間勤務の背景には、教師が学習指導や生徒指導といった教職の 専門職である教師としての専門性が求められる業務に加え、その関連業務について も範囲が曖昧なまま担っている実態があると考えられるが、このような状況を前提 とするのではなく、業務を精選して教師が本来業務に専念できるようにすること が、本来前提とすべき教師の業務の在り方である。

生徒指導までが「専門職である教師としての専門性が求められる業務」に含められてしまっていることが、労働時間が野放図に伸びていく元凶という認識がないように見えるのがいささか問題ですが、でも言っている理路はその通りだと思われます。ところがそれに続くのが、

教師は、教育活動の実施に当たり、すべてを管理職からの命令に従って勤務する のではなく、日々変化する子供に直接向き合っているそれぞれの教師がその専門性 を発揮することにより、教育の現場が運営されることが期待されている。この点で 給特法の制定当時の考え方は現在にも当てはまる。

いやいや、給特法が教師の専門性云々というのはうそでしょう。もし本当にそうであるなら、なぜ公立学校の教師にだけその言うところの専門性があって、私立学校や国立学校の教師にはその言うところの専門性がないのか、きちんと説明してもらう必要がありましょうよ。

いやたしかに、ときどき私立学校の教師の解雇事件なんかが裁判所にやってきて、その判決を見ていくと、ついでに出てきた残業代を巡って、私立学校側があたりまえのように、公立学校の給特法に倣ってやってましたと口走り、そんな法律は全く適用されておらず労基法が100%適用されている私立学校がいかに自分の法的地位を理解していないかがよく露呈したりするんですが、それもこれも、単に公立学校に勤務する地方公務員という単に行政法たる公務員法上の地位に付随するものに過ぎない給特法を、あたかも(その官民の身分の違いに関わらない)教師という職業の専門性に基づくものであるかのように勘違いしている人々が山のようにいるからであることが窺われるわけですが、まあ、文部科学省という法律による行政に責任を有するはずの大本山が、こういう実定法の明文の規定に反する間違った認識を平然と描いているんだから、もって瞑すべしということでしょうか。

というわけで、

一方で、教師にこうした専門性があるからといって、現行の労働法制上も求めら れている勤務時間管理があいまいなままで、長時間勤務となっている実態は看過す べきではない。

というのは誠にもっともなんですが、そもそも今教師がやらされている仕事のうち、本当の意味で、「専門性」に立脚している部分はどれとどれなのか、もう一段踏み込んだ腑分けが必要ではないのかなと。

そうでなければ、けっきょくこれまでの学校メンバーシップ型の、学校や生徒に関わることは何でもかんでも無限定に教師の仕事というあり方からそう簡単に足抜けはできそうにないように思われます。

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