« 2018年9月 | トップページ

2018年10月

2018年10月19日 (金)

「べあ」から賃金水準へ

As20181019000058_comm連合が「2019 春季生活闘争 基本構想」を公表したのに対して、朝日新聞がやや揶揄的に「春闘、月額賃金へ 政権とトヨタ影響? 連合が方針転換」と書いていますが、

https://www.asahi.com/articles/ASLBL3SMZLBLULFA00C.html

労働組合の中央組織・連合が春闘要求の方針変更を打ち出した。ベースアップ(ベア)率を強調する手法を改め、大手企業と中小企業の格差是正という課題に取り組むと説明する。だが、春闘ではここ数年、政権に主役の座を奪われがちで、傘下労組を束ねる力にも不安を抱える。狙い通りになるかは未知数だ。・・・

まあ、いま現在の日本社会状況を前提にすればそういう揶揄にも的を射ている面があるのは確かなんでしょうが、新聞記者さんの脳裏にはたぶん存在しない、そもそも労使関係とは何か、労働組合とはなにをするものか、団体交渉とはなにを決めるものか、というそもそも的本質論からすれば、特殊戦後日本的な「べあ」という絶対に英語に訳せない訳の分からない言葉が中心にでんと構えていた特殊な労使交渉の在り方が、少しは外国人に説明して分かってもらえるかも知れないものになるかも知れないという話でもあるわけです。

労働組合というのは別にある会社の従業員の集まりではなく(それは従業員代表機関という別の組織)、企業を超えた産業別の労働者の集まりであり、それがこういうスキルレベルのこういうジョブの労働者の値段はいくらいくらだよという価格設定を決めるのが団体交渉(集合取引)であるという世界から見れば、ある企業の人件費総額の昨年度との差分を従業員数で割った「べあ」という一人一人の具体的賃金額を直接決定しない概念をめぐって社内交渉をする世界はかなり異質なものであるわけです。

でも、そういう異質な世界にどっぷりつかった目からすれば、春闘が賃金水準自体を目的にするという、日本以外では当たり前すぎることが大変おかしな出来事に見えるわけですね。

https://www.jtuc-rengo.or.jp/activity/roudou/shuntou/2019/houshin/data/houshin20181018.pdf

・・・2019 闘争はその足がかりを築いていく年である。まずは、足下の最大の課題である中小組合や非正規労働者の賃金を「働きの価値に見合った水準」へと引き上げていくため、賃金の「上げ幅」のみならず「賃金水準」を追求する闘争の強化をはかっていく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2018年10月18日 (木)

第135回日本労働法学会

Headerimg02再来週の土日、早稲田大学で日本労働法学会があります。年1回で土日開催になって初めてなので勝手が分かりませんが、土曜夜の懇親会が最大のイベントであることに変わりはないのでしょう。

https://www.rougaku.jp/contents-taikai/135taikai.html

土曜日は個別報告と新しいワークショップというもので、

<1日目・土曜日>            

  1. 受付開始 11:15〜
  2. 個別報告 12:00〜13:00                
    第一会場
    • テーマ「公務員の法的地位に関する日独比較法研究」
                              報告者:早津 裕貴(名古屋大学)
    第二会場
    • テーマ「フランスの企業再構築にかかる法システムの現代的展開」
                              報告者:細川 良(労働政策研究・研修機構)
     
    第三会場
    • テーマ「アメリカにおける労働組合活動に対する憲法的保護の歴史的変遷――市民団体との比較から」
                              報告者:藤木 貴史(一橋大学大学院)
     
  3. ワークショップ 第1部13:20~15:20 第1部15:40~17:40                
    第一会場
    • テーマ「フランスの労働法改革」
                              司会:矢野 昌浩(名古屋大学)
                              報告者:小山 敬晴(大分大学
    • テーマ「結社の自由について改めて考える ―東アジア諸国における「結社の自由」の法制・実態を踏まえて」
      司会:香川 孝三(神戸大学名誉教授)
      報告者:藤川 久昭(弁護士)
    第二会場
    • テーマ「「同一労働同一賃金」の立法政策」
                              司会:村中 孝史(京都大学)
                              報告者:島田 裕子(京都大学)
    • テーマ「「労働時間法」をどのように構想するか?                        -「労働時間」の法規制の過去と現在、そして未来を考える」
                              司会:唐津 博(中央大学)
                              報告者:長谷川 聡(専修大学), 北岡大介(社会保険労務士)
    第三会場
    • テーマ「LGBTと労働法の理論的課題 ―トランスジェンダーを中心に―」
                              司会:名古 道功(金沢大学)
                              報告者:内藤 忍(労働政策研究・研修機構),濵畑 芳和(立正大学)
    • テーマ「山梨県民最高裁判決の意義と射程範囲                         ―労働契約関係における労働者の同意」
                              司会:水口 洋介(弁護士),石井 妙子(弁護士)
                              報告者:鴨田 哲郎(弁護士),木下 潮音(弁護士)
      コメンテーター:1名(研究者予定)
  4. 懇親会 18:00~20:00

JILPTの細川さんの個別報告は、彼が毎年フランスに行って調べてきている激動する現代フランス労働法制の一端ですが、日本との比較という観点からもとても面白いと思います。

ワークショップはどれを見に行くか迷ってます。

日曜日の大シンポは、知財法です。

<2日目・日曜日>            

  1. 受付開始 8:45〜
  2. 大シンポジウム報告 9:30~12:00
    統一テーマ:「労働法と知的財産法の交錯 ――労働関係における知的財産の法的規律の研究――」                
    報告:                     
    1. 1. 野川 忍(明治大学)
                              「シンポジウムの目的・テーマの俯瞰」
    2. 2. 河野 尚子((公財)世界人権問題研究センター)
                              「営業秘密・不正競争防止法と守秘義務」
    3. 3. 石田 信平(北九州市立大学)
                              「営業秘密保護と退職後の競業避止義務」
    4. 4. 土田 道夫(同志社大学)
                              「職務発明・職務著作と労働法の規律」
  3. 開催校挨拶・総会(学会奨励賞審査結果報告) 12:00~12:20
  4. 休憩・昼食 12:20~13:00
  5. 総会(学会奨励賞審査結果報告以外の議題) 13:00~13:30
  6. 特別講演 13:35~14:25                
    菊池高志会員(九州大学名誉教授)
    「労働法「学」の立ち位置を考える」
  7. 大シンポジウム報告・討論 14:30~18:30                
    報告:                     
    1. 5. 天野 晋介(首都大学東京)
                              「労働法と知的財産法の交錯領域における集団的利益調整」
    2. 6. 茶園 成樹(非会員、大阪大学)
                              「労働法と知的財産法の交錯(知的財産法研究者によるコメント)」

あまり勉強してない分野ですが、たぶんとても重要なはず。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2018年10月16日 (火)

労働関係図書優秀賞に神林龍さんの『正規の世界・非正規の世界』

24820今年度の労働関係図書優秀賞に、神林龍さんの『正規の世界・非正規の世界』が選ばれました。

https://www.jil.go.jp/award/bn/2018/index.html

まあ、これはだれが見ても文句なしの一冊でしょう。

本ブログでの紹介はこちらです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/11/post-9678.html

目次は下に掲げるとおりですが、何しろ冒頭、『ああ野麦峠』から始まって、女工供給組合の話が延々と続き、そしてILO条約に基づく公共職業紹介事業がいかに地方の抵抗でうまくいかなかったかという話、口入れ屋は身元保証をしてくれるけれども公共はしてくれないからダメだみたいな話が、戦時体制下で国営化している話と、ここまでで2章。

タイトルになっている正規と非正規についても、期間の定めよりも『呼称』が重要というところに、日本の非正規の特徴を見出し、それがむしろ自営業の減少に代わって増えてきたことを示しています。いやいやこの辺りは精密な分析がいろいろされているので、こんな片言隻句で紹介しない方が良いかもしれない。

他にあまり似たような議論を見たことがないのが第7章で、ジョブをさらに分解して、タスクレベルで仕事がどうシフトしてきたかを分析していて、大変興味をそそられました。民主党政権の失政で仕分けされてしまったキャリアマトリックスを活用した分析だという点も重要でしょう。

ちなみに、金子良事さんの評はこちら。

https://twitter.com/ryojikaneko/status/1031364665773776897

神林龍さんの本を読んでいるんだけど、分析結果も分析手法も専門家以外にも分かるように丁寧に書かれているという美質がある一方、神林さんの洞察は分析プロセス以外から来る深みもあって、最初から分かっている人以外にはハードルが高いのでは、という気もしている。皆さん、どうですかね。

https://twitter.com/ryojikaneko/status/1043876989256384512

近経だと間違いなく、トップランナーは神林龍さんだと思うけど、神林さんも新しい枠組みを切り拓いていくというよりも、足元をしっかり固めていくタイプだからな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

短時間労働者の社会保険からの排除と復帰@WEB労政時報

WEB労政時報に「短時間労働者の社会保険からの排除と復帰」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=800

 去る2018年9月から社会保障審議会年金部会で被用者保険のさらなる適用拡大についての審議が始まりました。これは、同年6月に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針2018~少子高齢化の克服による持続的な成長経路の実現~」において、「働き方の多様化を踏まえ、勤労者が広く被用者保険でカバーされる勤労者皆保険制度の実現を目指して検討を行う。その際、これまでの被用者保険の適用拡大及びそれが労働者の就業行動に与えた影響についての効果検証を行う」と書かれていることを受けて始まったものです。この「勤労者皆保険制度」という言葉は、自民党の小泉進次郎氏らが近年打ち出しているもので、いかなる雇用形態であっても、企業に働く人が全員加入できる制度を意味します。

 本来、被用者保険と住民保険の二本立ての世界で国民皆保険というのであれば、被用者はすべて被用者保険に、被用者でない者はすべて住民保険に、という制度設計であるべきだったはずです。しかし、1958年の国民健康保険法は被用者でありながら被用者保険の未適用者であった者を住民保険の適用者にする形で問題を「解決」してしまい、しかもその後の行政運用は被用者保険の適用対象であった短時間労働者までも「内々のお手紙」でその外側に排除してしまうという経緯をたどってきました。小泉氏らの「勤労者皆保険」は、その半世紀以上にわたるボタンの掛け違いを根っこに戻って掛け直そうという意欲が示されているようです。・・・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2018年10月15日 (月)

日本のエリート学生が「中国の論理」に染まる?

昨年の「第三回日中雇用、労使関係シンポジウム」でご一緒した阿古智子さんが、現代ビジネスに「日本のエリート学生が「中国の論理」に染まっていたことへの危機感」を書かれています。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57941

Img_1b6854e8fbb82a4d6fa2bbb9b5dbe5b先日、コメンテーターとして学生団体の討論会に招かれた。参加していたのは、日本、中国ともに国を代表するようなエリート学生ばかりで、日中学生の混合チームが、流暢に英語でプレゼンテーションした。・・・

・・・ここまでは、筆者の頭にもスムーズに話が入ってきたのだが、この後、首をかしげる展開になった。

学生たちは、事例として沖縄と中国の少数民族を取り上げたのだが、「高い同質性を求める日本社会は、沖縄の人たちを独立した民族として認めず、彼らの独自の言葉も文化も尊重せず、日本の国民として同化する政策を行ってきた。それに対して、中国の少数民族は集団的権利を認められており、その独自の言葉、宗教、文化は尊重され、教育や福祉において優遇政策がうまくいっている」と説明したのだ。

そして最後に「日本は民族間の境界を曖昧にするが、中国ははっきりさせる。民族の分類が明確になれば、民族アイデンティティを喪失することはない」と結論付けた。・・・

・・・中国の少数民族の文化は尊重され、優遇政策がうまくいっているというのは、いったい誰にどのように話を聞いて、そう判断したのか。

おそらく、学生のほとんどが沖縄に、中国の民族自治区に出向いて調査してはおらず、間接的にでさえ、現地の状況を詳しく調べたり、関係する人々に話を聞いたりはしていないだろう。

学生たちが打ち出した極端に単純化されたロジックは、複雑な現実を反映しておらず、そこからつくられた問題解決のためのモデルは、実際に使えるような代物ではなかった。

特に、民族の分類や民族が重視する基本的関心事項を、「誰が、どのように決めているのか」という問いを、学生たちは分析の中に入れていなかった。

民族の定義や領域については多くの論争がある。中国では、党・政府が中心となって民族を規定し、民族政策を実施している。

基本的に、共産党政権が認める限られた少数民族のリーダー、専門家、社会団体しか、政策の決定・実施のプロセスに関わることができない。・・・

一方に思考力が欠如したような毒々しいだけの中国憎悪的な書物や文章が氾濫する一方で、素直に物事を考えれば(少なくとも「エリート学生」ならば)頭に浮かぶはずの疑問もなく、中国政府や共産党の宣伝言説をそのまま持ってきて事たれりとしてしまうような、日本人の中国認識の奇妙な薄っぺらさがここに露呈しているというべきでしょうか。

標題に「「中国の論理」に染まる」云々とあるのは、実はいささかミスリーディングで(おそらくもう一つの薄っぺら思考の読者に媚びる意図もあって編集部が付けたのでしょうが)、日本のエリート学生(と称されている若者たち)の与えられた情報を素直に処理するだけで物事をしっかりとじぶんの脳みそで考える能力の奇妙なまでの弱さが、阿古さんのいらだちの根っこにあるように思います。

・・・討論会の最後に私が、「僻地のコミュニティに入って、抑圧されている人たちの声を聞いたことがあるの?あなたたちの視点は、あまりにもエリート主義的ではないか」と問うと、学生たちは黙り込んでしまった。・・・

これは中国の少数民族問題だけの話ではないように思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

かながわ労働センター川崎支所の労働講座

かながわ労働センター川崎支所のホームページに、講演の案内がアップされているようです。

http://www.pref.kanagawa.jp/docs/jg5/cnt/f7615/

【日時】平成30年12月14日(金曜日)14時30分から16時30分まで
【講師】独立行政法人 労働政策研究・研修機構 
労働政策研究所 所長 濱口 桂一郎 氏
【内容】「働き方改革の時代における企業の対応」
◆働き方改革関連法改正までの経緯や、将来に向けて企業は人事労務管理制度等をどのように考えていく必要があるかなど、今後の企業の対応等について、日本の労働政策に詳しい講師に解説していただきます。
【場所】川崎市生活文化会館(てくのかわさき)
てくのホール
川崎市高津区溝口1-6-10
JR武蔵溝ノ口駅、東急溝の口駅から徒歩5分
【募集人員】70人程度(申込み先着順)
【受講料】無料

だそうです。

ちなみに、このページには同じ労働講座として二人の(労使それぞれの側の)弁護士さんによる講演も載っています。

日時】平成30年11月22日(木曜日)
18時30分から20時30分まで
【講師】弁護士 嶋崎 量 氏(神奈川総合法律事務所)
【内容】「働き方改革」の実務解説
-関連法成立を踏まえた労働時間分野への対応-
【場所】てくのかわさき(川崎市生活文化会館)
1階 第1・2研修室

もう一人は

【日時】平成30年12月3日(月曜日)14時30分から16時30分
【内容】「働き方改革総点検~ハラスメント・労働時間・同一労働同一賃金~」
【講師】弁護士 倉重 公太朗 氏
【場所】川崎市産業振興会館 9階研修室

今度、安西法律事務所から独立される倉重さんではありませんか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2018年10月14日 (日)

ヨーロッパ社会民主主義の崩壊

Sweeney_bio 「ソーシャル・ヨーロッパ」に、Paul Sweeneyの「ヨーロッパ社会民主主義の崩壊」(The Collapse Of European Social Democracy)という文章が前後2回に分けて掲載されています。

https://www.socialeurope.eu/the-collapse-of-european-social-democracy-part-1

https://www.socialeurope.eu/the-collapse-of-european-social-democracy-part-2

その最後のパラフラフ「結論」の部分を紹介します。

日本の社会民主主義(みたいな)勢力は、そのスウィーニーが失われたと嘆くかつての社会民主主義全盛期の政策に近づいたことすらありませんが、スウェーニーの嘆きが、日本におけるリベサヨ批判と妙に共鳴しているように聞こえるのも一興です。

The main conclusion is that, in the face of the immense power and speed of hyper-globalisation, Social Democrats sought accommodation through market-friendly policies with finance, with Multinational Corporations (MNCs) and others. They should have used the power of the state to regulate and tame this growing market power for the greater good. Their major mistake was that they de-regulated finance precisely at the time when they should have increased regulation. In the face of rapid and massive change, SDs forgot about the power of their old ally, the state. Theory was forgotten in the face of overwhelming circumstances whilst pragmatism based on dominant ideas, not philosophy, took over.

結局、超グローバル化の巨大な力とスピードに直面して、社会民主主義者は市場と仲良しの政策を通じて金融界、多国籍企業その他との協調を求めた。彼らはより多くの善のために国家権力を使ってこの増大する市場権力を規制し、飼いならすべきであったのだ。彼らの主な間違いは、規制を強めるべきまさにその時に金融を規制緩和してしまったことだ。急速かつ大規模な変化に直面して、社会民主主義者は彼らの長年の同盟者-国家-の力を忘れてしまった。圧倒的な状況に直面して、理論は忘れ去られ、哲学ではなく支配的な考え方に基づく実用主義が引き継いだ。

The state is the dominant actor because it sets the rules of the market, it protects the public, firms, and intellectual property.

国家は市場のルールを設定し、公衆と企業と知的財産を保護するので支配的なアクターである。

The globalised economy would not work without states setting and enforcing the rules of the marketplace. And when states work together, they are even more effective. They do this in international rules-based organisations like the EU and WTO.

グローバル化した経済は国家による市場のルール設定とその執行なしには機能しない。そして国家が協調すれば、より効果的である。EUやWTOのような国際的なルールに基づく機関ではそうしている。

When demanded by the crash of 2008, the state demonstrated – beyond any doubt – that it can take the neccessary actions to re-regulate banks, to print money, to “do what it takes,” to bail-out the most powerful banks and the largest companies – even the US car industry – and save the economy as a whole.

2008年の破綻で求められたとき、国家はいかなる疑いをも超えて、銀行を再規制し、貨幣を印刷し、やれることは何でもやって、最も強大な銀行や最大手企業-アメリカ自動車産業すらも-を救済し、経済全体を救うために必要な行動をとった。

However, the emphasis in recent decades has been on the protection of the firm; of privatising scientific commons by extensions and enforcement of IP laws; of corporate forays into the heart of public services in search of profits at the cost of workers and citizens; and of investor rights over the public interest.

しかしながら、過去数十年間、強調されてきたのは企業の保護であり、知的財産権法の拡大と適用による科学的共有財産の私有物化であり、労働者と市民の犠牲による営利目的の公共サービスの中核への企業の略奪であり、公共利益よりも投資家の利益の優先であった。

Firms play a crucial role in the economy, but market-friendly policies went too far and need to be reined in. The relationship of the state to market has become one of subservience.

企業は経済において枢要の役割を果たすが、市場と仲良しの政策はあまりにも行き過ぎており、手綱を引き締める必要がある。国家と市場の関係は屈従の関係になってしまった。

By adopting many of the policies of the conservatives, SD abandoned the dialetic between the two main opposing sides of politics. Without a clear choice, voters quit them for the apparent alternatives – the populists of left and right.

保守派の政策の多くを採用することによって、社会民主主義者は政治の主な対立軸の間の弁証法を放棄した。両者間に明確に選ぶところがなければ、選挙民は彼らを去って明確な他の選択肢に向かう-左翼と右翼のポピュリストに。

SDs must again learn to use the strong state to pursue their agenda, and cooperate internationally. If Social Democracy is to revive, it has to go back to its roots around the strong state over market, support but oversee trade, regulate financial flows and overall finance, protect the vunerable. SDs must set rules which favour citizens over corporations, deal with media ownership by promoting greater diversity, tackle climate change effectively and address immigration in humanitarian ways – thereby restoring the dialectic between it and centre-right conservatives.

社会民主主義者は再びその政策目標を追求し、国際的に協調するために、強力な国家を使うことを学ばなければならない。もし社会民主主義が復活するならば、それはその原点、すなわち、市場に対する強力な国家、交易の支持と監視、金融の流れの規制、弱いものの保護に立ち帰らなければならない。社会民主主義者は企業よりも市民を有利に扱うルールを設定し、そうして社会民主主義と中道右派の保守主義との弁証法を取り戻さなければならない。

The neo-liberal economic economic system of the past 30 years collapsed in 2008. But it is only being marginally reformed. Banks “too big to fail” are already bigger than then. People are disillusioned, feel unrepresented and are moving to right and left populism, which offer no solutions. What credible, clear, left political philosophy will stand as the alternative to populism or to conservative values?

過去30年間のネオリベラルな経済システムは2008年に崩壊した。しかしほんの僅かばかり改革されただけだ。「潰すには大きすぎ」た銀行はすでに当時よりも巨大になっている。人々は幻滅し、だれにも代表してもらえていないと感じ、右翼と左翼のポピュリズムに向かっているが、それは何の解決にもならない。ポピュリズムと保守派の価値に対する代替選択肢として打ち立てられるべき信頼でき、明確な左派の政治哲学は何だろうか?

Social Democrats need to return to the state, to re-valuate it, re-value it and again harness its power for all citizens to address the excesses of the market. They need to ensure that the state once more becomes dominant over the market, that delivery of all public services is world class and that the state ensures individual liberty is guaranteed.

社会民主主義者は国家に立ち返り、国家を再認識し、国家を再評価して再びその権力をすべての市民のために、市場の行き過ぎを強制するために活用する必要がある。彼らは国家がもう一度市場に対して支配的となり、すべての公共サービスが世界クラスとなり、国家が個人の自由を保証するように確保する必要がある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2018年10月12日 (金)

『日本の労働法政策』の案内

JplabourlawJILPTのホームページに、『日本の労働法政策』の案内がアップされました。

https://www.jil.go.jp/publication/ippan/jp-labour-law.html

定価: 3,889円+税 2018年10月30日刊行予定 A5判 1,110頁 ISBN78-4-538-41164-4

労働政策関係者の座右の書 日本の労働政策の歴史、基本思想、決定プロセス、体系、個々の制度内容、実施機構、等を余すところなく考察した労働政策の体系書。働き方改革関連法の深い理解のためにも必読。 東京大学名誉教授 菅野和夫

なお、刊行にあわせて、11月7日に東京労働大学講座で「日本の労働法政策100年の変転 ―働き方改革と未来の展望―」を開催します。

https://www.jil.go.jp/kouza/tokubetsu/20181107/index.html

働き方改革関連法案が成立し、労働時間の見直しなど働き方改革の実現に向けて、企業の取り組みが進められています。今回の法改正により、わが国の労働法政策の姿は大きく変容することになります。労働法制全般にわたって大幅な改正が行われたことを機に、当機構では労働政策研究所所長・濱口桂一郎著による『日本の労働法政策』を出版することにしています。

本講座では、わが国の労働法政策の形成過程を踏まえて、著者から今回改正された労働時間法制および同一労働同一賃金にかかわる法政策を解説するとともに、今後の課題を考えます。

講義後には講師との質疑応答の時間も設けております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

雇用類似の働き方に係る論点整理等に関する検討会

来週金曜日(10月19日)に「雇用類似の働き方に係る論点整理等に関する検討会」が開催されるようです。

https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_01810.html

https://www.mhlw.go.jp/content/11911500/000364604.pdf

今年3月に報告書をまとめた雇用類似検討会の後継というだけではなく、規制改革会議で検討が求められた放送制作現場の働き方についても議論されるようです。

委員は格段に増えていますね。

芦野 訓和 東洋大学法学部教授
阿部 正浩 中央大学経済学部教授
荒木 尚志 東京大学院法学政治学研究科 教授
安藤 至大 日本大学経済学部教授
小畑 史子 京都大学大学院人間・環境学研究科教授
鹿野 菜穂子 慶應義塾大学大学院法務研究科教授
鎌田 耕一 東洋大学名誉教授
川田 琢之 筑波大学ビジネスサイエンス系教授
桑村 裕美子 東北大学大学院 法学研究科准教授
鈴木 俊晴 茨城大学人文社会科部法律経済学科准教授
土田 和博 早稲田大学法学学術院教授
長谷川 聡 専修大学法学部教授
水町 勇一郎 東京大学社会科学研究所教授
村田 弘美 リクルートワークス研究所グローバルセンター長

放送現場の話というのは、今年6月の規制改革会議の答申にこうあります。52ページです。

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/suishin/publication/toshin/180604/toshin.pdf

g 放送に係る制作現場でのフリーランスなど雇用類似の働き方について、総務省の
協力を得て、実態と課題の整理・分析を行い、雇用類似の働き方の保護等の在り
方についての全般的な検討の材料とするとともに、放送に係る制作現場における
当面の必要な措置につき検討する。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2018年10月11日 (木)

在留資格は特定技能

秋の臨時国会に提出される入管法改正案の中身が報じられています。

http://www.sankei.com/politics/news/181011/plt1810110008-n1.html(熟練技能者は永住可能に 外国人受け入れ法案骨子)

外国人労働者の受け入れ拡大に向け、政府が秋の臨時国会に提出予定の入管難民法などの改正案骨子が11日、判明した。受け入れが必要な業種で、知識や経験など一定の技能が必要な業務に就く「特定技能1号」と熟練技能が必要な業務に就く「特定技能2号」という在留資格を新設する。

 1号は在留期限が通算5年で家族帯同を認めないが、2号は事実上永住を認め、配偶者と子供の帯同も可能とする方針だ。資格は定期的に更新し、取り消しもあり得る。・・・

受け入れ拡大は深刻な人手不足が背景にあり政府は来年4月の導入を目指す。

骨子によると、生産性向上や日本人労働者確保の取り組みをしても、なお人材が不足する分野で外国人を受け入れることとし、今後具体的に定める。介護や農業、建設など十数業種が検討対象となっている。

じわじわと情報が出てきていたので、大体そうだろうなという方向になっているようですが、問題は、どこにどういう外国人を受け入れるのかの判断が、

受け入れるのは即戦力で生活に支障がない程度の日本語ができる外国人。各業種を所管する省庁の試験などを経て、1号や2号の資格を取得する。技能実習を修了した後に1号の資格を得られる仕組みも設ける。

と、「各業種を所管する省庁」に委ねられていることです。

これは大変皮肉なことで、ちょうど30年前に労働省が雇用許可制をぶち上げ、法務省が激怒してこれを叩き潰したときは、要はどういうところにどういう外国人を入れるか入れないかの判断権限を両省間で奪い合ったわけですが、結局30年後になって、こういう一般的な外国人労働者導入制度を設けるという段になって、日本社会全体、日本の労働市場全体の観点から判断する政府機関というのはどこにもなく、ある業界が「うちの業界は人手不足だからなんとかしてくれ」といえば、その業界を所管する省庁が、「うちのかわいい〇〇業界が泣きついている」と、いそいそと入れることを決め、法務省は淡々とそれに従って在留資格を出し、厚生労働省は淡々と労働法を適用するだけという、まあそういう仕組みに落ち着いたようですね。

地方集権、中央分権の日本政府にふさわしい決着なのかもしれませんが、誰も全体構想をハンドリングしないまま、各業界ごとのばらばらの要望で事態がどんどん進んでいき、気が付いたら、人が集まらない業界は外国人だらけになっていたということになりかねない気がします。

| | コメント (1) | トラックバック (0)
|

2018年10月 9日 (火)

『続・企業内研修にすぐ使えるケーススタディ』

Bk00000524例によって経団連出版の讃井暢子さんより日本能率協会コンサルティング編著『続・企業内研修にすぐ使えるケーススタディ』をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

http://www.keidanren-jigyoservice.or.jp/public/book/index.php?mode=show&seq=524&fl=

◆人材育成からナレッジ活用、企業体質改革まで
◆「設問」「ケースのねらい」「具体的事例」「解題(最低限気づいてほしいこと)」で構成
◆社内コミュニケーションを活発化する参加型研修
◆自社版のケース創作のポイントやインストラクターの役割もわかる

ケーススタディは、実際に起こったこと、あるいは起こりそうな事例を題材として、問題の発見から解決策の立案までを疑似体験することにより、問題発見力、問題解決力、業務遂行能力を高める研修手法です。日常の業務遂行には知識以外に経験が必要とされることから、ケーススタディを通じて、問題を早期に発見し、自信を持って対策を実行する力の幅が広げられます。経営環境が厳しく、変化のテンポも目まぐるしい今日、日々生じる問題を自分で予測・発見し、解決していく「自律型人材」の育成に本書の活用をおすすめします。

○○おもなケース○○
【営業活動】 がんばろう型営業からの転換
【キャリアデザイン】 定年後に向けたキャリアデザイン
【サービス現場のマネジメント】 レストラン店長のマネジメント業務
【ナレッジ活用】 「お客さまの声」の活用
【クレーム対応】 クレーム対応の原則構築
【組織活性化】 従業員意識調査と組織活性化推進
【プロジェクト運営】 合併企業のシナジー発揮
【部門間連携】 営業と営業サポート部署の連携
【部門間連携】 全社的視点にもとづく業務効率化
【企業体質改革】 「選ばれる病院」への変革

ケースのストーリーがなかなかよくできていて面白いです。特に、「クレーム対応」の章。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2018年10月 8日 (月)

“Us Too!”のポピュリズム

Rothstein_bio ソーシャル・ヨーロッパに載っている Bo Rothstein と Sven Steinmoの「“Us Too!” – The Rise Of Middle-Class Populism In Sweden And Beyond」という文章が面白いです。最近日本で起こっている社会現象の根っこにあるメカニズムの説明としても、じっくり読まれてしかるべき文章だと思います。

https://www.socialeurope.eu/me-too-the-rise-of-middle-class-populism-in-sweden-and-beyond

Steinmo_bio 最近のスウェーデンの選挙でスウェーデン民主党という右翼ポピュリスト政党が躍進した原因を取り上げたもので、本ブログで再三取り上げてきたテーマですが、“Me Too!”ならぬ“Us Too!”といういい方がポイントをついていると思ったたので、紹介します。前半はグローバリズムとか移民とかという説明が必ずしも十分ではないことを説明して、それがアイデンティティ政治の反転であることを解き明かしていきます。

Instead of blaming voters for their regressive attitudes, we suggest that the current backlash witnessed in Sweden, and elsewhere, is tied to a deeper problem that can be understood as a new version of the politics of “identity.” No student of Swedish politics over the past several years can fail to have noticed that the focus of political discourse has changed from one of supporting universal and broad-based policies based on the principle of equality to homing in on the rights of various minority groups – not least various immigrant groups – but also religious and sexual minorities. The reality is that for traditional, middle and working-class citizens, this discourse, and the policies that flow from them, are perceived as undue favouritism to specific groups that stake a claim to being different. Whether they realize it or not, this claim challenges the collectivist idealism of classical Social Democracy.

選挙民の退嬰的態度を非難する代わりに、我々は今日スウェーデンやあちこちで目撃されているバックラッシュが「アイデンティティ」の政治の新たなバージョンとして理解されうるより深い問題に結びついていることを示唆する。過去数年間のスウェーデン政治の研究者の誰一人として、政治的議論の焦点が平等原則に基づく普遍的で広範な人々のための政策を支持するものから、様々なマイノリティ集団-移民集団だけではなく宗教的・性的マイノリティも-の権利に的を絞ったものに移り変わってきたことを見落としていない。実際には、伝統的な中間層や労働者階級の市民にとっては、こうした議論やそこから出てくる政策は、違っていると主張することに掛け金を掛け,る特定の集団に対する不適切なえこひいきと受け取られる。彼らがそれを意識しているか否かはともかく、この主張は古典的な社会民主主義の集団主義的理想主義に挑戦しているのだ。

In our view, the electoral outcome we have just witnessed in Sweden (and similar trends in other countries) should be seen as a kind of backlash identity politics. Just as various minority groups want to be recognized and wish to honour and protect their specific identities, we suggest that “average” ethnic Swedes, Norwegians, etc. also want to honour, and protect, their identities.,

我々の考えでは、我々がスウェーデンや他の諸国で目撃してきた選挙結果は、ある種のバックラッシュ的アイデンティティ政治とみられるべきである。様々なマイノリティ集団が彼らの特定のアイデンティティを公認され、名誉とし保護されることを求めるのと同様、「平均的な」民族的スウェーデン人やノルウェー人もまた、彼らのアイデンティティを名誉とし保護されたいのだ。

・・・・・

Today, many ‘average’ citizens believe that their identity as traditional Swedes/Norwegians/ etc. is neither appreciated nor valued by their nation’s intellectual and political elite. They may feel that this internationalized elite doesn’t even really respect the traditional vision of Ola Nordmann or Elsa Svensson. In short, this election should be seen a backlash produced by a quite basic human emotion – “my story matters” – more than a product of racism or economic challenges.

今日、多くの「平均的な」市民は伝統的なスウェーデン人、ノルウェー人としての彼らのアイデンティティが、自国の知識人や政治的エリートによって全然評価されていないと信じている。彼らは、この国際化されたエリートが伝統的な「ノルウェっ子」や「スウェデっ子」にちっとも敬意を感じていないと思っている。要するに、この選挙結果は人種差別主義や経済的課題の産物というよりも、全く基本的な人間感情-「大事なのは俺の話だ」-によって生み出されたバックラッシュとみられるべきである。

The irony is that the very identity politics that has been so favoured by the elite in Sweden and elsewhere may be increasing the sense of identity of the majority of their own citizens. The result, then, is that they turn to parties that claim to respect that identity.

皮肉なのは、スウェーデンや他の諸国でエリートによって愛好されてきたアイデンティティ政治それ自体が、彼ら自身の市民の多数派のアイデンティティの感覚を増進してきているということである。その結果は、そのアイデンティティを尊重すると主張する政党に向かうことになるのだ。

・・・・・

というわけで、マイノリティのアイデンティティを尊重するエリートのアイデンティティ政治が、それを忠実に模写反転した多数派の大衆的アイデンティティ政治を生み出し、追われていくという、皮肉極まるストーリーです。

| | コメント (1) | トラックバック (0)
|

2018年10月 7日 (日)

今日10月7日は世界ディーデントワーク・デイ

Wef18 日本のマスコミは全然報じてくれませんが、本日10月7日は世界ディーデントワーク・デイ(World Day for Decent Work)です。

https://www.ituc-csi.org/7-october-world-day-for-decent?lang=en (7 October - World Day for Decent Work: Change the Rules)

This year’s global theme, “Change the Rules”, highlights the deeply entrenched injustice of the global economic system alongside shrinking democratic space and deteriorating labour rights in many countries, documented in the ITUC Global Rights Index.

今年のグローバルテーマ「ルールを変えろ」は、国際労連のグローバル権利インデックスに記録されたような、多くの諸国における縮みゆく民主的空間と悪化する労働者の権利を横目に、堅固に塹壕で守られたグローバル経済システムの不正義に焦点を当てている。

“The rules are stacked against working people, and that is why we have unprecedented and destructive levels of economic inequality and insecurity while a small number of global conglomerates like Amazon amass incalculable riches for a very few. There is enough wealth in the world to meet the challenges of our time – creating decent work for all, ensuring universal social protection, tackling climate change and all the other things that need to be done to ensure that people can live in dignity on a sustainable planet. But the rules need to change. And to achieve that, we need to build workers’ power. ・・・

「ルールは働く人々に向かって積み上げられている。そしてそれゆえにアマゾンのような少数のグローバル財閥がごく少数の者のために数えきれない富を蓄積する一方で、空前の破壊的なレベルの経済的不平等と不安定がみられるのだ。世界には、すべての人にディーセントワークを確保し、普遍的な社会保障を確保し、気候変動に対処するなど、人々が持続可能な惑星で尊厳を持って生きられるようにするのに必要な今日の課題に対処するために十分な富がある。しかし、ルールは変える必要がある。そしてそれを達成するため、我々は労働者のパワーを建設する必要がある。・・・」

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2018年10月 6日 (土)

65歳以上への継続雇用年齢の引上げ@安倍総理

20181005mirai02 昨日の未来投資会議で、安倍総理がこう語ったとのことです。官邸のホームページから。

http://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/actions/201810/04mirai.html

・・・そして、安倍内閣の最大のチャレンジである全世代型社会保障への改革です。このテーマも、この未来投資会議において集中的に議論を進めていきます。
 生涯現役社会の実現に向けて、意欲ある高齢者の皆さんに働く場を準備するため、65歳以上への継続雇用年齢の引上げに向けた検討を開始します。この際、個人の実情に応じた多様な就業機会の提供に留意します。
 あわせて新卒一括採用の見直しや中途採用の拡大、労働移動の円滑化といった雇用制度の改革について検討を開始します。・・・

ちょうど、一昨日の晩に、法政大学の公共政策大学院でやってる授業で高齢者雇用も取り上げたのですが、結構この問題についての質問が相次ぎました。皆さん、企業や労働組合等にいる社会人学生だから、関心は高いんですね。

そして、社会保障改革の論理的帰結として、そして政治的にはその実現のための論理的前提として、高齢者雇用の年齢の引き上げが不可避かつ不可欠であるということは重々よく分かったうえで、さて現在の日本の企業の人事雇用管理の下で、それがいかなる形で可能なのかというのが大きな問題となるわけです。

講義でもしゃべったのですが、そもそも現行高齢者雇用法において、厳密な意味における「定年」とは何かというと、条文上の60歳において、その意に反して強制的に年齢を理由に退職を強いられることはなくなっている以上、条文上の継続雇用の上限の65歳が強制退職年齢という意味での「定年」であるというしかないはずですが、にもかかわらず依然として60歳が定年で65歳は継続雇用だという用語法を維持し続けている最大の理由は、その強制的に退職させられることはない60歳という区切りが、雇用の継続というただ一点を除いて、雇用契約の中身をガラガラポンして、ジョブサイズを縮小し、給与水準をがくんと引き下げることが出来る数少ない(唯一の)機会になってしまっているからですね。それを当然の前提として、例えば雇用保険財政からいまだに高齢者雇用継続給付なんてのも出ているわけです。

ところがそこに、まったく別の労働条件法政策から、有期契約労働者への労働条件差別だという話が飛び込んできて、累次の裁判が重ねられてきています。「定年」ならざるものを「定年」と呼ぶことで封じ込めてきたもろもろの矛盾が、そろそろ吹き出しかけているのが現状なのかもしれません。

そういう時期に、「全世代型社会保障への改革」というそれ自体は全く正しい問題意識に基づいて、高齢者雇用の年齢の引き上げというそれ自体は全く正しい政策目標を実現していこうというときに、さて、この20年以上にわたってとられてきた60歳定年というフィクションをそのままにして、その後の継続雇用を65歳から例えば70歳に引き上げていくというようなやり方でいいのか、根っこに立ち返って考えてみた方がいいのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2018年10月 4日 (木)

東和工業事件控訴審判決評釈日本語バージョン

Jli先月25日にアップされた『Japan Labor Issues』10月号に掲載されたわたくしの判例評釈(英文)については、その日にご案内したところですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/09/japan-labor-iss.html

https://www.jil.go.jp/english/jli/documents/2018/009-03.pdf

Judgments and Orders
Course-Based Employment Systems and Gender Discrimination: The Towa Kogyo Case Keiichiro Hamaguchi

もしかしたら、英語では読みにくいという方もおられるかも知れないので、日本語バージョンの方もブログにアップしておきます。

『Japan Labor Issues』2018年10月号
「判例と命令」
「東和工業事件-コース別雇用制度と男女差別」

・事実
 Xは1987年Yに採用され、当初は事務職であったが、1990年からは設計職としてプラントや産業機械の設計に従事し、2001年には二級建築士の資格を取得した。Yは2002年に男女別賃金制度に代えてコース別雇用制を導入したが、男性は全て総合職、女性は全て一般職とされた。設計部でも7名のうち女性のXのみが一般職とされ、後輩の男性よりも低い賃金とされた。XはYに対し、繰り返し総合職として扱うよう求めたが受入れられず、訴訟を提起した。2015年3月26日、金沢地方裁判所は労働基準法4条に違反する不法行為として、総合職と一般職の年齢給及び退職金の差額と慰謝料の支払を命じた。しかし査定に基づく職能給の差額については認めなかった。X、Yともに控訴した。

・判決
 2016年4月27日の名古屋高等裁判所金沢支部判決は、原判決をほぼ踏襲している。すなわち、「Yのコース別雇用制度導入時の従業員の振り分けは、総合職及び一般職のそれぞれの要件に従って改めて行ったものではなく、総合職は従前の男性職からそのまま移行したもの、一般職は女性職からそのまま移行したものであり、・・・結局のところ、男女の区別であることが強く推認される」とし、「Yにおいては、・・・実質的に男女別の賃金表が適用されていたということができ、・・・かかる取扱いは労働基準法4条に違反する」と判断した。その場合のXの損害として、総合職と一般職で別々に定められている年齢給の差額と退職金の差額及び慰謝料は認めたが、職能給の差額は認めなかった。この点について、控訴審判決はやや詳しく「昇格のためには、これを充たすか否かに関するYの裁量的判断を含んだ人事考課の査定等を経なければならない」という理由で、職能給の差額相当の損害の主張を退けている。
 Xは上告したが、2017年5月17日、最高裁判所は上告を受理しないと決定した。

・解説
 本件は今日ではやや珍しい古典的な女性差別の事案であるが、1985年制定の男女雇用機会均等法以前の日本の典型的な雇用管理をよく示している。伝統的な日本型雇用システムにおいては、男性労働者が採用から定年退職までの長期間勤続し、基幹的な業務に従事して年功的に賃金が上昇するのに対して、女性労働者は採用から結婚退職までの短期間勤続を前提に、補助的な業務に従事することが一般的であった。しかし国連女性差別撤廃条約の影響で、1985年の男女雇用機会均等法で男女の募集・採用・配置・昇進に関する均等待遇が努力義務とされ、1997年に至って1985年法の努力義務が改正され、男女差別が禁止された。これに対応するため、企業はコース別雇用制度を導入し、それまでの男性コースを「総合職」、女性コースを「一般職」とし、男女を問わず適用することとした。しかしながら、1997年改正までは、多くの職場では、男性は全て総合職、女性は大部分が一般職という運用が続けられていた。
 本件ではXは大学理学科を卒業し、二級建築士の資格を有して設計業務に従事しているにもかかわらず一般職とされ、同じ設計部のF(男性)は工業高校の機械科を卒業し、二級建築士の資格がないだけでなく簡単な製図も独力でできないのに総合職とされていた。これはこの「総合職」「一般職」という概念が欧米諸国で一般的な「職種」とは別の概念であることを示している。そして本判決はそれを実質的に「男性職」「女性職」のラベルを貼り替えたものに過ぎないと判断しており、その判断は適切であろう。実際、Xの退職(2012年1月)後の2012年6月にYは新制度を導入し、2013年4月には初めての女性総合職が採用されている。
 この新制度における「総合職」「一般職」は確かに男女共通に適用されるものであるが、「総合職=職種転換及び転勤を使用者が命じうる職種」、「一般職=基本的には転勤を使用者が命じることができず、限定された職種」という原則は維持されており、なお欧米諸国で一般的な「職種」とは別の概念である。しかしながら、大変困惑的であるが、日本の男女雇用機会均等法及びそれに基づく指針が「職種」と呼んでいるのは、この「総合職」「一般職」の区別であって、営業職、設計職、事務職といった欧米型の「職種」概念ではない。日本型雇用システムにおいては欧米的な意味での「職種」概念が存在しない、あるいは少なくとも重要性を持たないのであり、雇用区分として重要なのは業務内容や勤務場所が無限定であるか限定的であるかという点である。この点に注意を喚起している文書はほとんど存在しないため、多くの外国の研究者は男女雇用機会均等法上の「職種」について誤解をする可能性がある。
 なお、本判決がその差額を差別と認めなかった職能給も日本独自の賃金制度であり、労働者ごとの職務遂行能力の評価に基づいてそれによって賃金が決まる各等級・号俸に当てはめるものであるが、実態としては厳格な査定に基づき個人の能力に応じて大きな格差をつけるものから極めて年功的な運用までさまざまである。本件では必ずしも明確ではないが、X側が総合職と一般職の昇格基準に違いはなく、一般職としての年功的職能等級の昇格と同水準の年功的昇格が総合職労働者にも期待できたと主張しているのに対して、Y側はそれを否定し、判決は職能給の原則論で処理し、Xの主張を退けている。職種概念が希薄な中での職務遂行能力の個別査定について差別の存在を認定するのは、それが実態として極めて年功的に運用されているのでない限り、極めて困難である。これは男女差別に限らず、例えば組合加入に基づく差別を立証しようとする際にも障壁となる。 

| | コメント (1) | トラックバック (0)
|

2018年10月 3日 (水)

後藤道夫他編『最低賃金1500円がつくる仕事と暮らし』

375688 後藤道夫・中澤秀一・木下武男・今野晴貴・福祉国家構想研究会編『最低賃金1500円がつくる仕事と暮らし 「雇用崩壊」を乗り超える』(大月書店)をおおくりいただきました。

http://www.otsukishoten.co.jp/book/b375688.html

年功賃金の崩壊と労働市場の激変、非正規雇用だけでなく正社員にも低所得層が増加するなかで、 〈最賃1500円運動〉への期待が広がっている。

最賃引き上げで地域経済を元気にする戦略など最低賃金1500円が切り開く社会への展望を示す。

目次は下にある通りで、日本型雇用を前提に、「家計補助的」非正規労働者にそれだけでは生活できない低賃金が当然視されてきたありようを批判しているところは、編著者たちのいつもの議論ですが、その中で注目すべきだと思ったのは、蓑輪明子さんの「公共サービス労働と業種別・職種別最低賃金――保育労働を素材に」という論文です。

本書の標題にもあるように、、現在の日本で最賃というとどうしても地域最賃ばかりが意識され、1000円とか1500円とかいう話になりますが、そもそも最低賃金とは労働組合の最低価格協定の拡大から始まったものであり、その趣旨が残っているのは産業別最低賃金なんですね。

ここで蓑輪さんは「保育最賃」の創設を提起しています。現在の保育業界の組織率の状況からすれば絶望的な話のようにも聞こえますが、これと公契約条例を絡ませて、

・・・公契約条例で職種や業種ごとに下限報酬額を設定することがあります。これを用いて、「保育士」や「給食調理員」といった保育業界の下限報酬額を定めるのです。・・・

と論じていきます。これは子育て支援が政策課題になっている現在、公益性が高いのに低賃金になっているとして、戦略的にも攻撃ポイントとして絶好のように思います。もう一つのポイントは介護業界でしょう。

的が広がれば広がるほど、「そんなの無理だ」という抵抗が強くなるのですから、下限に張り付くことが予想される全国一律最賃とか打ち出すのはあまり意味があるとは思えません。

はじめに(後藤道夫)

第1章 最低賃金1500円は社会をどう変える――家計補助賃金からリビング・ウェイジへ  
1.日本の最低賃金は、なぜこれほど低いのか?(後藤道夫)
 トピック① AEQUITAS(エキタス)と「#最低賃金1500円になったら」(栗原耕平)
 トピック② 子どもの貧困から見た地域格差と最賃格差(戸室健作)
2.「ふつうの暮らし」がわかる――生計費調査と最低賃金(中澤秀一)
 トピック③ 生計費調査から考えた、私の地域の「ふつうの暮らし」(岩崎 唯)
3.女性の貧困は最賃引き上げでどう変わる?(後藤道夫)
4.働き手がふつうに生活できる最賃へ──子育て・老後の展望を切りひらく(後藤道夫)

第2章 労働市場と働き方の現在~未来
1.労働市場はどう変わっているか――非正規就業を中心に(伍賀一道)
2.正社員労働の変容と最低賃金――「働き方改革」と関連して(今野晴貴)
3.「新産業構造ビジョン」と最低賃金の意義 AI、インダストリー4.0、IoT(今野晴貴) 
4.公共サービス労働と業種別・職種別最低賃金――保育労働を素材に(蓑輪明子)

第3章 最低賃金の歴史と思想
1.日本の労働運動と最低賃金闘争(小越洋之助)
 トピック④ 最低賃金審議会に民主的ルールを――「鳥取方式」の実践(藤田安一)
2.最低賃金制とナショナル・ミニマム論(木下武男)
 トピック⑤ 最低賃金と協約賃金(浅見和彦)
 トピック⑥ イギリスの最低賃金制度(遠藤公嗣)
 トピック⑦ アメリカの最賃運動・地域運動の展開
       ――地域での「コアリッション」構築による最低賃金条例制定(小谷 幸)
 トピック⑧ ドイツ・フランス・韓国の最低賃金(中澤秀一)
3.政党・労組・論壇は、最低賃金をどう見ているのか?(戸室健作)  

第4章 大資本に対する防波堤としての最低賃金――地域経済と中小企業
1.最賃引き上げと地域内再投資(岡田知弘)
 トピック⑨ 最低賃金引き上げは地域共通の課題(出口憲次)
 トピック⑩ 自治体首長も賛同する「北海道・東北最賃引き上げキャラバン」(中村健)
2.中小企業も地域経済も元気にする道(岡田知弘)
 トピック⑪ 公契約条例と最低賃金(川村雅則)  
3.全国チェーンに“おいしい”最賃格差(中澤秀一)

終章 社会的危機を救う──最賃1500円と福祉国家型生活保障
1. 座談会 最低賃金を下層社会の現実からとらえ返す(藤田孝典・今野晴貴・後藤道夫)
 トピック⑫ 年収270万円でも暮らせる社会へ――時給1500円×1800時間労働の実現に向けて(北口明代)
2.最低賃金と社会保障・教育保障・住宅保障(後藤道夫)

あとがきにかえて――エビデンスをもとに新たな運動の展開へ(中澤秀一)

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

中途半端な新自由主義の末路@児美川孝一郎

Img_f7a119f56ef06931a41a90da448de8b法政の児美川孝一郎さんの「中途半端な新自由主義の末路、一蓮托生の大学と文科省」という文章が、それ自体大変面白いだけではなく、それって日本社会のすべてに言えることじゃないかと思わせるという意味で、大変興味深いものになっています。

https://news.biglobe.ne.jp/economy/1001/jbp_181001_2020808856.html(中途半端な新自由主義の末路、一蓮托生の大学と文科省)

もちろん、児美川さんが論じているのは、副題にあるとおり、文部科学省の「中途半端な新自由主義」とそれに翻弄される大学なんですが、

・・・・ここで、あらためて指摘しておきたいのは、「将来像の提示」と「誘導」という高等教育政策の基本路線は、確かに新自由主義を基調とはしているが、しかし、純粋な理念型としての新自由主義的な政策スキームからは外れる、極めて日本的なものだったのではないかという点である。

純粋な新自由主義に基づけば、結果が出るまでのプロセスにおいては、参加者には自由と裁量が与えられる。そして、結果については、厳密に評価が行われ(あるいは、市場が「評価」を下し)、パフォーマンスの悪い参加者は、遠慮なく「退却」を余儀なくされる。

しかし、2000年代以降の文科省の高等教育政策の場合には、明らかにこれとは異なる施策が展開されていた。

つまり、「高等教育計画の策定」や「各種規制」はしないと明言しつつも、実際に大幅な規制緩和を行ったのは、新規の大学や学部の設置認可のみであり、大学が自らの“足腰”を強化すべく行う組織改革や教育改革に関しては、各大学に自由と裁量を与えるというよりは、さまざまな「法的規制」や、国立大学の運営交付金、私立大学の助成金、さらには競争的資金による「誘導」を巧みに張り巡らすことで、強力なコントロールが敷かれてきたのである。

だからこそ、ある意味での「結果」が見えだした2018年の段階を迎えても、文科省の側は、その「結果」は当事者である大学の自己責任であると、自信をもって“見限る”ことができない。それは、これまで各大学に対しては、政策サイドが望む「大学改革」を散々強いてきたという事情がある以上、そう簡単に手のひらを返すわけにはいかないということであり、であればこそ、今後はさらなる連携だ、統合だと、高等教育政策としての次なる“手出し”を試みようとしているわけである。

これはもちろん、文部科学省と大学の間の話ではありますが、これを読んで、うちの会社と社員の話じゃねえか、と思わず感じてしまった人も多いのではないでしょうか。

本当に「自由」と「裁量」を与えてやらせる代わりに、その結果に応じて厳格に、非情に「処分」するという新自由主義モデルを口では掲げながら、その「処分」する覚悟がないために、「自由」も「裁量」もない状況で、ただやみくもに「頑張」らせるというのは、決して文部科学省と大学との間だけで発生したことではないように思われます。

| | コメント (1) | トラックバック (0)
|

2018年10月 2日 (火)

労働基準監督官証票の謎

「労働基準」さんが、こうつぶやいていたのですが、

https://twitter.com/labourstandards/status/1046317466203258881

労働基準監督官証票には、労働基準監督官が行政調査権(併せて司法警察権)を有する7つの法律の権限規定が記載されているが、なぜ炭鉱災害による一酸化炭素中毒症に関する特別措置法に関する記載がないのだろうか。

http://elaws.e-gov.go.jp/search/html/322M40000100023_20180401_430M60000100021/pict/S22F03601000023-025.pdf

https://twitter.com/labourstandards/status/1046318251033018369

一酸化炭素中毒症に関する特別措置法でも監督官の証票呈示義務規定があり、施行規則でその証票が労働基準法施行規則で定める証票だとしている。 なお、外国人の技能実習の適正な実施及び技能実習生の保護に関する法律では別途証票を定めている。

正確なところは労働基準局の中の人に聞かなければわかりませんが、おそらく現在日本には炭鉱災害による一酸化炭素中毒症に関する特別措置法にいう「炭鉱災害」が起こる場所である「石炭鉱業を行なう事業場」がほとんど存在しなくなっており、それゆえこの法律の規定の名宛人となるべき石炭鉱業の事業の使用者が存在しなくなっているからではないかと思われます。つまり、法律の規定はあるけれども空振り規定になっているので、労働基準監督官証票にわざわざ書くことにはしていないのではないかと思われます。

正確に言えば、釧路の太平洋沖の旧太平洋炭礦の釧路コールマインは現在でも坑道で石炭を掘っているので、本邦の適用対象となりうる炭鉱がゼロというわけではないのですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2018年10月 1日 (月)

岡本隆司『近代日本の中国観』

9784065123522_w 台風が迫りくる中、少し前に買ってあった岡本隆司『近代日本の中国観 石橋湛山・内藤湖南から谷川道雄まで』(講談社選書メチエ)を一息に読みました。

http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000312486

日本は、つねに中国を意識しながら歴史を歩んできたが、とくに、明治維新以後、近代日本となって以来、中国研究はきわめて深く、幅広いものとなり、東洋史という歴史分野を生み出した。
では、明治以降、戦後に至るまでに、日本人はどのように中国を研究し、考えてきたのか。
歴史に名を残す学者たちの研究をあらためて読み直し、「日本人の中国観」の形成と変遷を跡づける。
それはまた、日中関係を考え直す契機にもなるだろう。
石橋湛山の「小日本主義」とはなんだったのか。巨人・内藤湖南の「唐宋変革論」とは? 
宮崎市定や谷川道雄など、数多くの論者の中国論にふれ、その歴史を読み直す。

中国社会の世界史的位置づけなんてことに関心があり、ウィットフォーゲルなんていう変な本を好んで読んだりしているので、そういう関心から買ったのですが、こういう一節を読むと、いかに実証的な現地調査といえども、結局脳みその中にある理論次第で結論は決めるということがよくわかります。

153ページ以下の華北農村慣行調査を巡る共同体論争です。

・・・これは1940年から44年にかけ、東亜研究所の発案により、満鉄調査部と東大法学部との協力で、日本軍の占領下にあった華北村落をフィールドに実施した実地調査である。農村を対象に法社会学的な方法を用いた、かつてない精細綿密な訪問調査だった。

この調査結果を巡って、調査員の間で論争が起こる。平野義太郎は共同事業の慣行を有した中国農村を「共同体」ととらえ、自然村落にみられる自治的共同機能の存在を強調した。

これに対し、戒能通孝は中国の村落を西欧や日本と対比し、著しくバラバラな個人の集まりに過ぎず、とりわけ契約・権利の実現を支える法共同体の欠如を強調して、平野の「共同体」論を批判した。

要するに、同じ調査によりながら、正反対の結論になっているわけで、これは各々の立場と視座が然らしめたものであった。平野は音に聞こえた「アジア主義」者であり、ここでも「共同体」の存在を「大アジア主義」の「基礎」とみている。

「アジア主義」の的確な説明は難しいけれども、この論争に関わる限りでいえば、自由競争・弱肉強食のため行き詰った西洋社会に対峙し、その在りようを超克する「共同体」をアジアに見出そうとする発想である。そこで日本と中国の共通性を重視した。

平野がそもそもマルクス主義者であって、そこから転向したことは、隠れもない事実である。資本主義の西洋社会を超克しようとした当時の「アジア主義」の根底には、社会主義思想が濃厚に作用していた。これは橘も平野も同断であって、西洋資本主義を超克すべき社会主義が、王道主義や「大アジア主義」に転嫁、分岐しただけである。

かたや戒能は、中国はヨーロッパと類似した発展過程にある日本とは異なる、という観点に立っている。具体的に言えば、日欧の「封建制」と深いかかわりを持つ村落共同体を近代化の基礎をなすものととらえる。この論争では、華北農村には共同事業は存在しても、内面的な共同意識はごく希薄であって、共同体など存在しない。ゆえに近代化の可能性は欠如している、と論じ、日中の相似と連帯を訴える平野らの「大アジア主義」、ひいては「大東亜共栄圏」といった当時の流行概念に反対した。・・・

この話は今日の視点から振り返るとさらに二重三重にねじれてきますね。

マルクス主義的=大東亜共栄圏的な平野的中国共同体論に対して、戒能的発想は日欧型の封建性に立脚する近代性とそれを欠く中国の前近代性を対比的にとらえる発想ですが、今日そのまさに封建性、村落共同性に立脚した日本的な資本主義に対して、まさにそれを欠く中国の共産党独裁下の資本主義が、それを超克せんばかりに、21世紀型の資本主義モデルであるかのごとき勢いであるという事態を目の前にして、改めてこの80年前の「論争」を振り返ると、なんとも不思議な皮肉感がじわじわ湧いてくるのを抑えきれない感があります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2018年9月 | トップページ