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2018年10月20日 (土)

『DIO』10月号

Diodio 連合総研の『DIO』10月号は「変革期の労使関係課題を考える」が特集です。

http://www.rengo-soken.or.jp/dio/pdf/dio341.pdf

変革期の労使関係課題を考える

「 働き方改革」と労使関係の課題 石田 光男

成果主義的な人事・賃金制度における賃金表と 労働組合の役割 西村 純

どうして外部労働市場の機能強化が必要なのか 阿部 正浩

労働研究者の業界事情に詳しい人から見ると、石田光男さんと西村純さんという師匠と弟子が並んでいるのはなかなか興味深いラインナップではあります。

西村さんのは、例の玄田さんの『なぜ上がらないのか』本でも話題になった、ゾーン別昇給表の話が主です。実を言えば、昨日の「べあから賃金水準へ」という話も、このゾーン昇給制のせいでベアをやっても消えてしまって昔のベアのように後に残らなくなっているというのが結構大きかったりします。

さてここでは、その西村さんの師匠筋の石田光男さんの方を取り上げておきます。

タイトルはやや大まかですが、論点は働き方改革の中心課題の一つ、同一労働同一賃金がなぜ日本では本質的に難しいのかという、最も基本的な問題です。物事を徹底的に考えるとこうなるという一つの模範的な例です。

・・・このテーマは容易に解答の 見出せない難題中の難題であったということ になる。日本の何がこの本来平易なはずの問 題を難題にしているのか。

 1-1.欧米諸国の「同一労働」

 まず確認しなくてはならない点は、これが 少しも難題ではない欧米諸国の実情を知るこ とである。国々の細かな違いや、労働者の賃 金なのか経営者の俸給なのかといった細部の 議論を飛ばして言えば、これらの国々では、 そもそも賃金というものは、日本のように個 別企業が管理の手段として活用できるものとは考えられていなかったということを知る必 要がある。この職業(英国)、この職務(米国)、 この熟練(ドイツ)がいくらかは市場で決ま る。企業はその賃金水準を受け入れる以外に ない。この場合、経営者は、その職業や職務、 熟練に応じて決まる市場賃金を与件として受 け入れざるを得ないが、その上で、できるだ け必要な課業(個々の具体的な業務)を労働 者に受容させようとする。これに対して、労 働者は、社会的にあらかじめ決められている と想定される職業・職務・熟練などの概念で 括られた課業の範囲に固執し、範囲を越える 課業の受容を拒否する。受容させようとする 力と拒否する力との対抗が、課業の範囲とレ ベルを巡る取引になる。この取引が職場の労 使関係である。ここでは、「同一労働」は社 会的に人々に共通に理解されている職業・職 務・熟練を指す。そこからの逸脱は、拒否さ れるか、職場の取引によって価格付けされる ので、「同一労働同一賃金」という概念は、 絶えず労使当事者によって意識され確認され る原則となる。

 1-2.日本の「同一労働」とは何か

 日本で、上記のテーマが難題であるのは、 課業があるのは当然であるけれど、課業を括 る概念としての職業・職務・熟練が、社会的 に人々の共通理解として成立していないため である。仮に部分的に存在しているにしても、 それが労働の全域を覆っていないためであ る。企業経営の立場からすれば、賃金は市場 で決められた与件として与えられるのではなく、最大限の課業遂行を確保することを目的 とした労務管理の手段として行使できるのが 賃金である。そういうものとしての日本の賃 金は、では、何に対応しているのか。

 日本の課業は、上に述べた「社会的にあら かじめ決められていると想定される職業・職 務・熟練の課業の範囲に固執し、範囲を越え る課業の受容を拒否する」と表現される欧米 の課業とは根本的に異なることに細心の注意 を払う必要がある。欧米では、課業は職業・ 職務・熟練に制約されていて、そこからの逸 脱は労使紛争を伴うのであるから、欧米にお ける課業は事前に静態的に設定されていると 理解することが肝要である。日本の場合、職 業・職務・熟練などの、課業を包括する言葉 を欠いているという事実は、日本に存在する 課業は事業運営の必要に応じて柔軟に、かつ 事後的に動態的に設定されていて、課業のレ ベルの集合を識別的に表す安定的な語彙表 現が不可能であることを意味している。

 ところで、労使関係は[労働支出⇔賃金] の取引の様式に他ならない。日本で、「労働」 が同一か否かを識別することにかくまでも無 頓着であったのは[、労働支出:どんな業務(課 業=taskの集合または範囲)を、どこで、何 時間かけて、一人当たりどれだけの業務量を どれだけの出来映えで達成するのか]に関す る経営の決定が大きな制約を受けずに職場に 浸透する労使関係であるからである。

 従って、日本の「同一労働」の識別のため には事業運営の実際の観察から抽出する以外 に接近する方法がない。その実際とはPDC Aを企業全体で駆動させているという事実に あり、この事実からの論理化にはPDCAの 構造的特徴に着目する必要がある。個別具体 的な課業はP(目標)とC(実績)との乖離 を克服するための営為であるから、動態的に ならざるを得ないが、その変動を含めた動態 的課業の範囲の大枠は、個々人が服するPの レベル(重要性や影響度等)によって統御さ れている。従って、個々人の労働の差異は個々 人が服するPのレベルによってしか識別でき ない。

1-3.正規労働と非正規労働の識別

 この基本線に沿って考えると、(1)正規 社員か非正規社員かの雇用区分は、PDCAの作動する範囲内の動態的労働の担い手が 正規社員、PDCAの作動を予定せず、事前 に決められた課業の集合を単に遂行すれば可 とする労働の担い手は非正規社員とし、(2) 正規社員の社員等級の設定は、Pのレベルの 序列を「役割」ととらえ、役割の等級による ものとする、という考え方が日本の労働実態 と整合的である。

 しかし、非正規社員でありながら、PDC Aの作動の下で働いている多くの人々がい る。この人々の中には、正規社員の働き方が、 勤務地、労働時間の点で私生活に不都合だ からという理由で非正規社員としての就労を 選択している人々も多い。その労働は誰に強 制されたものでもなく労働市場でクリアされ ている。だから何も問題はないのだという通 念があった。この通念を活かそうとすれば、 「同一労働」の識別にあたって、労働の難易 度や複雑性の相違と並列的に勤務地の制約 の有無、労働時間(特に残業時間)の相違を 根拠にして、正規社員の労働と非正規社員の 労働は区分されるという考え方になる。

 だが、この考え方は、制約のない[労働支 出]を受容する人と受容しない人との処遇の 相違が正規社員と非正規社員の雇用区分にま で影響を及ぼす、日本の労使関係の性格の問 題性に関心が届いていない。[労働支出](= 「働き方」)が、経営の決定にほぼ委ねられて いて、[労働支出⇔賃金]の取引が明示的取 引にならずに「取引なき取引」にとどまって いることが生んでいる正規社員たちの労働の 「息苦しさ」への無関心と言ったらよいのか。 この無関心を反省できるかどうかが、今後の 労使関係の性格を決する。

「ジョブ型」とか「メンバーシップ型」というややおおざっぱで緻密さに欠けるものの言い方で表現しようとしているものの姿が細密画のように描き出されているのがわかるでしょう。

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