賃金の決め方・上がり方@『大原社研雑誌』11月号
『大原社会問題研究所雑誌』11月号(721号)が、「賃金の決め方・上がり方」という特集を組んでいて、大変面白いものになっています。
禹宗杬さんの解説にあるように、日本の賃金制度についての小池和男さんと遠藤公嗣さんの理論を強く意識して、そのいずれにも疑問を呈するというラインナップになっています。
はじめの金井郁さんのは、知的熟練で賃金が上がるといいながら職場でいちばん熟練を積んでいるパートがいちばん低いじゃないかという昔からある話を、生命保険の営業職女性を例に論じたもので、ここまではみんな分かっている話という感じですが、次の垣堺淳さんのは、外資に買われてアメリカ流の職務給に全面的に変わったはずの某生保会社において、なお賃金の上がり方は右上がりの傾向が残り、それは人事査定が必ずしも職務関連的な評価方法ではなく、主観的要素の多い方法を採っているからだという話です。
ふむ、賃金制度設計自体はジョブ型にしても、その運用が主観的評価というメンバーシップ型だと、日本的な右上がりの賃金カーブになるというわけですね。ちなみに、垣堺さんはジブラルタ生命保険にお勤めだそうです。
最後の禹宗杬さんは一気に風呂敷を広げて、他のアジア諸国の賃金を見ても、職務基準と属人基準を組み合わせて決めているのではないかと論じていきます。その上がり方は熟練では説明がつかず、生活向上を望む労働者の願望に答えるためなんだ、ということで、こういう意味では小池理論とは全く逆の方向から、しかし日本は決して特殊ではなくむしろ諸外国と日本は似たようなものだという議論になっているところが、これまでの賃金論のねじれを逆向きにねじり上げるような議論で、大変興味をそそられました。
あと、特集以外に、吉田誠さんの「1950年前後における先任権の日本への移植の試み」という論文が、いままで知られていなかった歴史の裏面のエピソードを垣間見せてくれて、これまた大変面白かったです。
ただ、正直言って、アメリカ流の先任権が占領下の時代に宣伝されたというのはなるほどそうだろうなと思うのですが、それは同時期の職務給の移植の試みと同様、非日本的なシステムの移植の試みであり、むしろその後日本型システムが優位になる中で消えていったものだと思うのです。少なくとも、おなじセニョリティシステムという英語になるからといって、リストラの際に中高年から先にやめてもらう日本の年功制の確立にアメリカ流先任権が寄与したわけではないだろうと思いますが。
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