経団連はジョブ型を志向?
経団連の中西会長の定例記者会見における発言がアップされていますが、
http://www.keidanren.or.jp/speech/kaiken/2018/0925.html
世の中の反応が採用日程の問題ばかりに集中しているのに対し、むしろより本質的なことを提起しようとしているようです。
・・・現在の大学教育について、企業側も採用にあたり学業の成果を重視してこなかった点は大いに反省すべきである。学生がしっかり勉強し、企業がそうした学生をきちんと評価し、採用することが重要である。大学には、学生、経済界にとって有意義な教育を行ってほしい。企業の側でも、「AI人材」「グローバル人材」といった抽象的な表現ではなく、具体的にどのようなスキルを備えていてもらいたいのか、そのためにどのような勉強をしてほしいのか、といったことを明確に示していく必要がある。就活の日程だけが問題で、その影響により、学業が疎かになるということではないだろう。・・・
・・・これまでの大学改革の議論では、研究機関としての大学のあり方がテーマになっていたが、教育機関としての大学にも焦点を当てる必要がある。欧米のみならず、中国、シンガポール等のアジアのトップレベルの大学の学生の勉強量は日本の大学生の比ではない。日本の場合は、入学することに比べて、卒業することはさほど難しくない。企業の側もこの実態をそのまま受け止めてしまっている。こうしたことが私の問題意識の根本にある。学生がしっかり勉強するよう、大学には有意義な教育を実施してもらいたい。・・・
これはより正確に言えば、現実の大学ないし大学生の実態というよりは、むしろその卒業生を採用しようとする企業の側、とりわけ人事当局の大学教育観そのものの問題というべきでしょう。
企業の側がメンバーシップ型人事管理を前提にして、「具体的にどのようなスキルを備えていてもらいたいのか、そのためにどのような勉強をしてほしいのか、といったことを明確に示して」こなかったからこそ、それに適者生存でよりよく適応すべく、「入学することに比べて、卒業することはさほど難しくない」という最適な在り方に進化していったわけなのですから。それこそ、かつて高度成長期までは政策的な誘導の方向にもかかわらずそれと真逆の方向に進化していったわけで、まさに自生的秩序の最たるものであるわけです。
こういうそれ自体としてはきわめてもっともな議論は過去何十年も繰り返されてきましたが、うかつにこういう発言に乗って「具体的にこういうスキルを備える」べく「こういう勉強をする」ような「入学するのはさほど難しくないが、卒業するのは難しい」大学に仕立て上げたら、肝心の企業の側から、「狭い専門に閉じこもって言われたことは何でもやろうという気概に欠ける」とか「特定の技能はあるようだが、将来伸びる潜在能力が感じられない」とか言われて放り捨てられてしまっては元も子もないわけです。
経団連が本気でジョブ型労働社会を志向するというのであれば、現実の企業の採用行動が完全かつ検証可能で不可逆的にジョブ型にならないかぎり、大学や大学生の猜疑心はなくならないでしょう。
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