野村正實『「優良企業」でなぜ過労死・過労自殺が? 』
野村正實さんより新著『「優良企業」でなぜ過労死・過労自殺が?』(ミネルヴァ書房)をお送りいただきました。ありがとうございます。
http://www.minervashobo.co.jp/book/b371946.html
昨今,多くのブラック企業対策本が出版され,ブラック企業の見分け方なども指南されている。だが電通をはじめブラック企業の定義に当てはまらない「優良企業」での過労死,過労自殺,長時間労働によるうつ,心疾患,精神障害などが相次いでいる。日本の大会社の大半は,ブラックな部分とホワイトな部分をあわせ持っているのである。その成立と存在条件を明らかにすることこそ,いま求められているのではないか――本書は,日本に遍く存在する「ブラック・アンド・ホワイト企業」を分析し,日本企業の本質を読み解く書。
野村さんの著書にはこれまでも啓発されることが大変多く、とりわけ大著『日本的雇用慣行』については、本ブログでも何回も取り上げたことがあります。
その野村さんが、東北大学を辞められた後、国士舘大学で教鞭を執られている間に書かれた本です。トピックは今風ですが、もちろん、野村さんらしい日本的雇用の本質からブラック企業を論じています。
ただ、正直言ってやや違和感があったのは、序章で
これまでブラック・アンド・ホワイト企業という概念が提起されたことはない。本書がブラック・アンド・ホワイト企業に関する最初の研究である。
と言われているんですが、いや確かに言葉としてはそうですが、ブラック企業という現象の本質にそれ自体としてはホワイトだと思われてきた日本的企業のあり方があるという指摘は、それこそ今野晴貴さんの『ブラック企業』以来、かなり繰り返し指摘されてきたことではないかと思われます。
同書は「ブラック企業に定義はない」といい、「日本型雇用の悪用」がブラック企業現象を生み出すのだから、「全ての日本企業はブラック企業になり得る」と述べていました。
まあ、その周辺の運動論において、ややもすれば「一方の極にブラック企業が、他方の極にホワイト企業があるというような二分法」めいた言い方があったとしても、日本的なホワイトこそがブラックの要因であるという認識は、少なくとも表層的なマスコミは別にすれば、かなり存在していたように思われます。
全体としてはむしろ、ブラック企業というトピックを補助線にして、日本型雇用のあり方に批判的に迫る本になっていて、それは確かに有益なのですが、上述のような疑問を感じさせたのも確かです。
なお、これはたまたまですが、一昨日のエントリで「メンバーシップ型採用と差別」について若干コメントしましたが、
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/post-6a23.html
まさにそれと重なる問題意識の記述が本書の第1章の「採用差別」という項に書かれていました。
日本では採用差別が横行している。もっといえば、採用差別が当たり前のこととして行われている。・・・
採用差別が当たり前のこととして行われているという判断は、先進国の基準に基づいている。それに対して、採用差別は一部にとどまっているという反論は、日本の基準に基づいている。つまり先進国の基準によれば採用差別と判定されることが、日本では採用差別と思われていないのである。・・・
・・・日本という国は、外に向かってはILO第111号条約を批准しないという形で、内に向かっては三菱樹脂事件の最高裁大法廷判決という形で、会社は採用差別を行ってよい、と公に宣言している。日本は採用差別を公認している唯一の先進国である。
本書の内容は以下の通りです。
序 章 ブラック企業論への疑問
第1章 特異な日本の採用・就職
「定期採用」と「中途採用」
ウソがまかり通る定期採用の世界
採用スケジュール
「初任給」
学歴フィルター
採用差別
過剰な自己PRの強要
1990年代以降のいっそうの苛酷化
身元保証という江戸時代からの悪習
定期採用の本質
第2章 入社式と新入社員研修
入社式
戦前の新入社員
ドーアによる新入社員研修の観察
ローレンによる新入社員研修の観察
「ウエダ銀行」の新入行員研修
伊藤忠商事の新入社員研修
ローレンによる日米比較
新入社員研修の日本的特色
会社の修養主義
第3章 会社の共同体的上部構造
ゲマインシャフトとゲゼルシャフト
共同体的上部構造と利益組織的土台
共同体的上部構造としての「社風」
松下電器産業と本田技研工業の交流研修会
尾高邦雄の日本的経営=共同体論
「経営家族主義」の「実証的」根拠
戦前における「終身雇用制」?
経営家族主義イデオロギーの不存在
高度成長期における「終身雇用制」の成立
戦前の会社身分制
俸給と賃金
身分制下の目に見える差別
第4章 従業員組合——「非常に非常識」な「労働組合」
敗戦後における従業員の急速な組織化
戦後に結成された組合を何と呼ぶべきか
従業員組合の特徴
従業員組合の成立根拠にかんする二村説
従業員組合の原形
末弘厳太郎による観察
藤林敬三による観察
従業員組合の自然な感情
労働組合として「非常に非常識」な行動様式
争議中の賃金の後払い
改正労組法と従業員組合への利益供与・便宜供与
従業員組合の本質
従業員組合による共同体的上部構造の形成
従業員組合の興隆と衰退
「労働組合」の重層的定義
会社による共同体的上部構造の維持・展開
トヨタにおける「労使宣言」
第5章 会社による従業員の全時間掌握
利益組織的土台に奉仕する共同体的上部構造
労働時間とは何か
戦前における工場労働者の労働時間
ILO条約と8時間労働制
トマス・スミスの指摘
官吏の執務時間
社員の執務時間
労働時間をめぐる戦前の負の遺産
社員の執務時間と労働者の労働時間の「統一」
軟式労働時間制
執務時間と労働時間の融合
長時間の不払労働
「自主的な」QCサークル
低い有給休暇の取得率
トヨタ過労死事件
名古屋地裁の判決
会社による共同体的上部構造把握の行きつく先
過労死・過労自殺とジェンダー
終 章 自己変革できないブラック・アンド・ホワイト企業
ブラック企業の指標
ブラック・アンド・ホワイト企業への道
時代は働きすぎに向かう
参考文献
あとがき
索 引
あとすみません、すごくつまらないことですが、末弘厳太郎がいくつか「末広」になってました。こういうのって、自分でいくらチェックしても見落としてしまうんですよね。
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ま、確かに特別条項とやらで年齢差別を撤廃できてないですし、なによりいまだに年齢・性別を記載したがわかる「日本式履歴書」必須のところが多いですからねぇ。日本式なら別に年齢性別を明記しなくても学校の卒業年で年齢わかりますし。
投稿: Dursan | 2018年8月 1日 (水) 19時53分
確かに野村さんはブラック企業被害対策弁護団の定義に捉われ過ぎている面もあるかも知れませんね。野村さんの言う「ブラック・アンド・ホワイト企業が普遍的存在であるということは、日本企業の本質と関係していると考えられるからである。つまり、ブラック・アンド・ホワイト企業論は、日本企業論でもある」という認識自体は野村さんだけのものではないでしょう。それでもやはり本書の「日本企業論」あるいはあとがきにある「資本主義との関連における労働問題」は、新書並みの読みやすい本ながら、野村理論の集大成的なところがありますよね。野村さんがまだ国士館大学におられたころ、研究室にお邪魔したさいに、本書138ページにある「発言と権限の乖離」の図を示しながら、お話を伺ったことがありました。二村説を紹介しながら、なぜ戦後日本の労働組合は企業別組織となったのか、という問題設定をする限り、二村説は最終的な回答といえるとしつつも、二村説は従業員組合は労働組合であるという考えから出発しており、日本の従業員組合を理解するうえでもっとも重要な論点が検討されていないと批判して、従業員組合による共同体的上部構造の形成という持論に導くあたりは、野村理論の真骨頂でしょう(産別運動を長年担ってきた者が他人事のように言ってはいけないのですが)。終章で先日亡くなった森岡考二さんの『過労死は何を告発しているか』に依って1980年代から働きすぎの新しい要因が強まっていることを指摘しつつ、しかしそうした事態の改革はブラック・アンド・ホワイト企業の企業内部からは期待できず、会社の外から規制をかけて変えていく以外にないというのもそのとおりでしょう。ただ会社の外部で期待されているのが、産業別労働組合やナショナルセンターではなく、均等法や過労死防止法のような立法措置というのは、138ページの図による認識に基づくものではありましょうが、関係者としては忸怩たる思いを禁じえません。
投稿: Hayachan | 2018年8月10日 (金) 15時44分