ホワイトカラーの「給与」が労働者の賃金になった日
かつて『労基旬報』2014年1月25日号に「「社員」を被用者という意味で使った戦時法令」という小文を寄稿しましたが、
・・・この勅令は、1939年4月に制定された国家総動員法に基づくものです。同法に基づいて国民徴用令をはじめとする労務統制が行われたことや、その一環として賃金統制令による賃金統制が行われたこともよく知られています。賃金統制令はもちろん、当時の厚生省労働局の所管ですが、その対象たる「労務者」は、鉱業、製造、建設、運輸、農林、販売などの事業に雇傭され、賃金(「賃金、給料、手当、賞与その他名称の如何を問はず」)を労働の対償として受け取る者です。この規定ぶりからすると、いわゆるホワイトカラーも排除されないように見えますが、当時の日本社会ではそうではなかったのです。こういったブルーカラー及び販売職の「賃金」は国家総動員法第6条(「従業者の使用、雇入、若は解雇又は賃金其の他の労働条件」)に基づき厚生省所管の勅令で統制されたのに対して、ホワイトカラーの「給与」は、同法第11条(「会社の設立、資本の増加・・・・償却其の他経理」)に基づき大蔵省所管の勅令で統制されたのです。その勅令「会社経理統制令」(1940年10月)は、「役員、社員其の他従業者の給与及其の支給方法を適正ならしむること」(第2条)を目的としています。役員と並んでいる「社員」とは、「会社に雇傭せらるる者」「顧問、嘱託其の他名称の如何を問はず継続して会社の業務に従事する者但し役員たる者を除く」(第9条)ということなので、これではブルーカラーも含まれそうですが、柱書で「賃金統制令第2条の労務者を除く」としています。「給与」も、「報酬、給料、手当、賞与、交際費、機密費其の他名称の如何を問はず会社が役員又は社員の職務の対償として支給する金銭、物資其の他の利益」(第10条)なので、賃金とほとんど違いません。統制内容も賃金統制令とほとんど同じです。「会社は閣令の定むる限度を超えて社員の初任基本給料を支給することを得ず」(第18条)、「会社は閣令の定むる限度を超えて社員の基本給料を増加支給せんとするときは主務大臣の許可を受くべし」(第19条)といった調子で、様々な名称の手当、賞与、退職金、臨時給与について事細かに統制しています。同時に制定された「会社職員給与臨時統制令」では、「職員」を役員及び「社員」と定義し、その「社員」は賃金臨時措置令の「労務者」を除く「会社に雇傭せらるる者」なので、やはり同じような分類になっています。こちらもブルーカラー等向けの賃金臨時統制令と同様、主務大臣の許可を受けた「給料手当の準則」によることなく「増給し又は新に支給することを得ず」(第5条)等と厳しく統制しています。この勅令はその後何回も改正されています。1944年3月の改正では、「増給」が「定期昇給を為さんとするとき及臨時昇給を為さんとするとき」とされ、定期昇給には「毎年一回又は二回一定の時期に於て為すもの」と、「臨時昇給」には「定期昇給の時期以外の時期に於て為すもの」という定義まで付けています。戦時体制になるまでは、内務省社会局・厚生省労働局といった機関が主としてブルーカラー向けに行う政策以外に労働政策は存在しませんでした。民法上「雇傭」契約で就業しているホワイトカラーの「給与」は労働法の対象ではなかったのです。ところが戦時体制下ではブルーカラーだけでなくホワイトカラーに対しても統制が必要になります。それを「会社経理」の枠組で実施したこと自体に、戦前の日本社会において、ホワイトカラーがブルーカラーとはまったく違い、会社経営者と同じ社会階級に属しているという認識が強固に存在したことを反映しています。それを表現する言葉が、当時といえども商法その他の実定法上の用語例からすれば異例な「社員」という言葉だったのでしょう。・・・
では、ブルーカラーの「賃金」は厚生省所管の労働行政で、ホワイトカラーの「給与」は大蔵省等の所管する経理行政という戦時中の区分は、いつ廃止されたのでしょうか?
じつは、これがなかなか見つからなかったのですが、ようやく見つけました。意外にも戦後しばらくたった1946年1月8日の閣議決定で、
会社経理統制令中社員給与ニ関スル主務大臣ヲ厚生大臣ニ移管スルノ件
終戦後ノ新状勢ニ応ジ会社社員ノ給与ニ関シテハ労務者ノ給与ヲ所管スル官庁ニ於テ取扱フヲ適当トスルヲ以テ会社経理統制令中社員給与ニ関スル主務大臣ヲ大蔵、商工、運輸、農林等ノ各大臣ヨリ厚生大臣ニ移スモノトシ其ノ実施期日ハ昭和二十一年一月十五日トスルコト
という一枚ぴらです。
労働法の歴史トリビアでした。
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何があってそんな大変更がサラッと決まってしまったんですかね?それと、こういった調べものの答えをちゃんと見つけられるのが凄いですね。。
投稿: 高橋良平 | 2018年8月26日 (日) 03時27分