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2018年8月

2018年8月28日 (火)

障害者雇用率「水増し」問題の法制度史的根源

先週から急激に炎上してきている官公庁の障害者雇用率「水増し」問題ですが、本日「公務部門における障害者雇用に関する関係閣僚会議」及び「公務部門における障害者雇用に関する関係省庁連絡会議」が開催され、各省庁別の再点検結果が公表されました。

https://www.mhlw.go.jp/content/11601000/000347573.pdf

Disable

この問題についてはマスコミが「水増し」といういささか意図的であるという予断を含んだ表現をしています。確かに現時点ではまだ故意か誤解によるものかは明らかでないのですが、この障害者雇用率制度の法制史的な経緯を振り返ってみると、(後述のような意味での「故意」の存在の可能性はあるものの)おそらくは40年以上前にさかのぼる誤解の連鎖のよるものではないかと想像されます。

07830 これについては、実は先週水曜日に福島大学の長谷川珠子さんより大著『障害者雇用と合理的配慮』(日本評論社)をお送りいただいたときに、ちょうどこの問題が燃え上がりつつあったので、本の紹介のエントリに付け加える形でこういう風に述べておきました。

さて、本書が送られてきたこの時期は、時ならぬ官公庁の雇用率水増し疑惑がわき起こり、なにやら政治問題になりつつある勢いですが、それほどよく知らないことでも居丈高に叱りつけるのが仕事の人々はともかく、なぜこういう事態になってしまったかを冷静に分析しようという人にとって有用な記述が本書にあります。
もともと雇用率制度は1960年法で官公庁は義務、民間は努力義務として始まったのですが、1976年改正で民間も義務化するとともに、民間については雇用率未達成企業に納付金制度が導入された、ということは知られています。
しかし、その際に障害者の範囲が変わったということは、詳しい人でないとあまり知られていないでしょう。
1960年法の障害者については、p197の注30にこうあります。

身体障害者雇用促進法における身体障害者の範囲は、「障害が明確かつ画一的に判定できること」と「労働能力の永続的欠損があること」の2点を基準として作成され、「別表に掲げる身体上の欠陥があるものという」と定義された(2条1項[当時])。身体障害者については、国年法、厚生年金保険法、所得税法、身体障害者福祉法、恩給法、労災保険法、職業安定法において、それぞれの目的に応じて、一定の範囲のものを対象としていたところ、身体障害者雇用促進法の制定に当たっても、同法の目的に応じて独自の範囲を定めたとされる。その範囲は、身体障害者福祉法の身体障害を基調としつつ、それよりもやや広く、恩給法や労災保険法よりも狭いとされていた(・・・)。ただし、後述するように、身体障害者の範囲は1976年の促進法改正により、身体障害者福祉法の身体障害者の範囲と統一された。

その1976年法改正時の理由については、p200の注40にこうあります。

その理由としては、①厚生省(当時)の福祉行政と労働省(当時)の雇用行政の一体化を図ることにより、総合的な身体障害者対策に大きく寄与できるようになること、②雇用義務化及び納付金制度の創設に伴い、法的公平性を確保するため、対象とする身体障害者を明確かつ容易に判定することができるようにする必要があることが挙げられている。

確かに民間企業にとってはそれまで努力義務に過ぎず、ということは、それほど真剣でなかったところに、1976年に初めて納付金制度というサーベル付きで義務化されたのですから、この1976年法による障害者の定義ではじめから動いてきたようなものです。
ところが官公庁にとっては、その前から障害者雇用義務はあり、とはいえ果たさなくてもペナルティもなく、淡々とやってきたところに、その状況が1976年改正によってもほとんど何ら変わらず(雇用率が若干上がったくらい)、そのため、その改正によりそれまで障害者扱いできた人ができなくなってしまったという認識を持つのが難しかったであろうことは想像できます。
障害者の範囲というのは、実は障害者雇用政策の根幹に関わる大問題でもあるのです。雇用率制度という一つの政策においては、今日新聞を賑わしているように、ほぼ障害者手帳所持者とイコールというかなり狭い範囲の人々の限られていますが、同じ障害者雇用促進法でも差別禁止と合理的配慮というもう一つの政策においては、手帳を持たない精神障害者や発達障害者、難病患者なども含まれます。さらに福祉的就労の対象となる総合支援法の対象はもっと広くなります。この辺は、本書でも308頁以下で詳細に論じられています。
というわけで、専門的な大著ではありますが、現下の政治問題について冷静に考察する上でも大変役に立つ本でもあります。夏なお暑い8月下旬の読書に最適です(かな?)。

上で故意の存在の可能性と述べたのは、そういう風に障害者の範囲が違っていることに気が付かないまま、過大な数字を厚生労働省(労働省)に通報し続けてきた官庁の人事担当部局で、たまたまある担当者がいつもはそれほどきちんと読まないガイドラインをまじめに読んでしまい、実は今まで先輩が毎年やってきた報告は正しくなかったことに気が付いてしまったけれども、いまさらそんなことを言い出すと騒ぎが大きくなって責任問題になりかねないと、気が付かなかったふりをして、黙ってそのまま後輩に渡してきた、というようなことはあったかもしれません。とはいえ、そうすると次の担当者はまた知らない状態に戻ってしまうので、結局40年以上前の誤解がそのまま連綿と伝えられ続けてきた可能性が高いように思われます。

(追記)

でもこういうのは完全に悪意ある水増しですね。

https://mainichi.jp/articles/20180829/k00/00m/040/212000c障害者雇用 省幹部「死亡職員を算入」 意図的水増し証言)

・・・また、一部の省の幹部は取材に、過去に死亡した職員を障害者として算入し、意図的に雇用率を引き上げた例があったと証言。

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2018年8月27日 (月)

『日本労働研究雑誌』9月号

698_09『日本労働研究雑誌』9月号は「人事部の役割・機能と歴史」が特集です。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/new/index.html

個別人事における人事部門の役割─戦後史研究の視点から 青木 宏之(香川大学教授)

日本企業における人事部門の企業内地位 島貫 智行(一橋大学教授)

使用者の配転命令権と雇用保障 金井 幸子(愛知大学准教授)

欧州の人事部─ドイツ企業における人事部・人事担当責任者の役割と企業内地位 石塚 史樹(東北大学准教授)

人事部機能の集権化・分権化の方向性とその課題─日系企業と外資系企業の比較から 一守 靖(慶應義塾大学産業研究所共同研究員)

どれも興味深いですが、特に石塚さんのドイツ企業の人事部の話は大変面白く読めました。

今号で挙げておきたいのは、本ブログでも紹介した大内伸哉・川口大司 編著『解雇規制を問い直す─金銭解決の制度設計』の書評です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/02/post-6b58.html

L16521そういえば、またブログが消滅したアモーレこと大内伸哉さんが、誰もまともに書評してくないとぶつぶつこぼしていましたが、いやいや野川忍さんが正面から取り上げています。

その最後の方で、「おそらく遠くないうちになされるであろう本書の改訂を見越して、以下の点を注文しておきたい」と、3点を要望しています。

第1に、労働市場の外部かが十分に進んでいない時点で金銭解決が先行することの懸念である。・・・

第2に、日本における企業の雇用保障慣行の有効性は、労働者のロイヤリティとこれに対応する強大な人事権とが相まって維持されてきた。言い換えれば、解雇規制の緩和とロイヤリティの確保とはトレードオフの関係にある。・・・

第3に、第2の点とも関連して、解雇が「メンバーシップから引き離されること」を意味することへの対応の検討の余地があろう。・・・

そうです、私の言い方では、日本型雇用における「解雇」とは単なる契約解除ではなくいわざ「除名処分」なんですね。だから情緒刺激的にならざるを得ない。

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2018年8月24日 (金)

『ジュリスト』9月号に拙評釈

L20180529309先日予告したとおり、『ジュリスト』9月号は「人材獲得競争と法」が特集ですが、

http://www.yuhikaku.co.jp/jurist

◇[座談会]人材獲得競争と法の接点●泉水文雄●荒木尚志●川井圭司●多田敏明●中村天江

◇人材獲得市場における共同行為と独占禁止法●武田邦宣

◇発注者の単独行為と独占禁止法上の問題点●滝澤紗矢子

◇人材獲得市場における労働法と競争法の機能●土田道夫

◇プロスポーツにおける選手獲得競争と独占禁止法●齊藤高広

その他にも労働法関係の記事がいくつもあります。

[労働判例速報]
定額残業代の割増賃金該当性の要件――日本ケミカル事件――最一小判平成30・7・19●水町勇一郎

[時論]
◇パートタイム・有期雇用労働法の成立と実務への影響――長澤運輸事件/ハマキョウレックス事件最高裁判決をうけて●島田裕子

[連載/働き手・働き方の多様化と労働法]〔第6回〕
働き方の多様化と障害者雇用の課題●長谷川 聡

[労働判例研究]
◇視覚障害を有する大学教員に対する配転命令の違法性――学校法人原田学園事件――広島高岡山支判平成30・3・29●長谷川珠子
◇多重請負関係における「労働者性」と「使用者性」の齟齬――わいわいサービス事件――大阪高判平成29・7・27●濱口桂一郎

というわけで、わたくしの判例評釈も載っています。このわいわいサービス事件、地裁判決も『ジュリスト』2017年4月号に橋本陽子さんによる評釈が載っているのですが、原審では労働者性を認めなかったのが控訴審では労働者性を認めており、にもかかわらず雇用契約関係を否定するという奇妙な判断をしているので、あえてもう一回取り上げて論じてみました。

非常に突っ込みどころのある面白い判決だと思うので、是非読んでそれぞれに考えをめぐらしていただければと思います。

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2018年8月23日 (木)

ホワイトカラーの「給与」が労働者の賃金になった日

かつて『労基旬報』2014年1月25日号に「「社員」を被用者という意味で使った戦時法令」という小文を寄稿しましたが、

・・・この勅令は、1939年4月に制定された国家総動員法に基づくものです。同法に基づいて国民徴用令をはじめとする労務統制が行われたことや、その一環として賃金統制令による賃金統制が行われたこともよく知られています。賃金統制令はもちろん、当時の厚生省労働局の所管ですが、その対象たる「労務者」は、鉱業、製造、建設、運輸、農林、販売などの事業に雇傭され、賃金(「賃金、給料、手当、賞与その他名称の如何を問はず」)を労働の対償として受け取る者です。この規定ぶりからすると、いわゆるホワイトカラーも排除されないように見えますが、当時の日本社会ではそうではなかったのです。こういったブルーカラー及び販売職の「賃金」は国家総動員法第6条(「従業者の使用、雇入、若は解雇又は賃金其の他の労働条件」)に基づき厚生省所管の勅令で統制されたのに対して、ホワイトカラーの「給与」は、同法第11条(「会社の設立、資本の増加・・・・償却其の他経理」)に基づき大蔵省所管の勅令で統制されたのです。
 その勅令「会社経理統制令」(1940年10月)は、「役員、社員其の他従業者の給与及其の支給方法を適正ならしむること」(第2条)を目的としています。役員と並んでいる「社員」とは、「会社に雇傭せらるる者」「顧問、嘱託其の他名称の如何を問はず継続して会社の業務に従事する者但し役員たる者を除く」(第9条)ということなので、これではブルーカラーも含まれそうですが、柱書で「賃金統制令第2条の労務者を除く」としています。「給与」も、「報酬、給料、手当、賞与、交際費、機密費其の他名称の如何を問はず会社が役員又は社員の職務の対償として支給する金銭、物資其の他の利益」(第10条)なので、賃金とほとんど違いません。
 統制内容も賃金統制令とほとんど同じです。「会社は閣令の定むる限度を超えて社員の初任基本給料を支給することを得ず」(第18条)、「会社は閣令の定むる限度を超えて社員の基本給料を増加支給せんとするときは主務大臣の許可を受くべし」(第19条)といった調子で、様々な名称の手当、賞与、退職金、臨時給与について事細かに統制しています。
 同時に制定された「会社職員給与臨時統制令」では、「職員」を役員及び「社員」と定義し、その「社員」は賃金臨時措置令の「労務者」を除く「会社に雇傭せらるる者」なので、やはり同じような分類になっています。こちらもブルーカラー等向けの賃金臨時統制令と同様、主務大臣の許可を受けた「給料手当の準則」によることなく「増給し又は新に支給することを得ず」(第5条)等と厳しく統制しています。
 この勅令はその後何回も改正されています。1944年3月の改正では、「増給」が「定期昇給を為さんとするとき及臨時昇給を為さんとするとき」とされ、定期昇給には「毎年一回又は二回一定の時期に於て為すもの」と、「臨時昇給」には「定期昇給の時期以外の時期に於て為すもの」という定義まで付けています。
 戦時体制になるまでは、内務省社会局・厚生省労働局といった機関が主としてブルーカラー向けに行う政策以外に労働政策は存在しませんでした。民法上「雇傭」契約で就業しているホワイトカラーの「給与」は労働法の対象ではなかったのです。ところが戦時体制下ではブルーカラーだけでなくホワイトカラーに対しても統制が必要になります。それを「会社経理」の枠組で実施したこと自体に、戦前の日本社会において、ホワイトカラーがブルーカラーとはまったく違い、会社経営者と同じ社会階級に属しているという認識が強固に存在したことを反映しています。それを表現する言葉が、当時といえども商法その他の実定法上の用語例からすれば異例な「社員」という言葉だったのでしょう。・・・

では、ブルーカラーの「賃金」は厚生省所管の労働行政で、ホワイトカラーの「給与」は大蔵省等の所管する経理行政という戦時中の区分は、いつ廃止されたのでしょうか?

じつは、これがなかなか見つからなかったのですが、ようやく見つけました。意外にも戦後しばらくたった1946年1月8日の閣議決定で、

会社経理統制令中社員給与ニ関スル主務大臣ヲ厚生大臣ニ移管スルノ件

終戦後ノ新状勢ニ応ジ会社社員ノ給与ニ関シテハ労務者ノ給与ヲ所管スル官庁ニ於テ取扱フヲ適当トスルヲ以テ会社経理統制令中社員給与ニ関スル主務大臣ヲ大蔵、商工、運輸、農林等ノ各大臣ヨリ厚生大臣ニ移スモノトシ其ノ実施期日ハ昭和二十一年一月十五日トスルコト

という一枚ぴらです。

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労働法の歴史トリビアでした。

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『HRテクノロジーで人事が変わる 』

7138_m労務行政研究所より『HRテクノロジーで人事が変わる AI時代における人事データの分析・活用と法的リスク』をお送りいただきました。編集代表は弁護士の倉重公太朗さんです。

https://www.rosei.jp/products/detail.php?item_no=7138

編集代表 倉重公太朗(弁護士)
特別寄稿 伊藤禎則(経済産業省)、武田康祐(厚生労働省)
執 筆 者  岩本隆(慶應義塾大学大学院特任教授)
     酒井雄平(デロイト トーマツ コンサルティング)
     白石紘一(弁護士)
     民岡良(日本アイ・ビー・エム)
     金澤元紀(ピープルアナリティクス&HRテクノロジー協会)
     板倉陽一郎(弁護士)

目次は次の通りですが、コアは第3章です。

序章  HRテクノロジーの動向と、普及促進に向けた政府の考え  
【特別寄稿】伊藤禎則(経済産業省)武田康祐(厚生労働省)

第1章 世界・日本におけるHRテクノロジーの動向 岩本隆(慶應義塾大学大学院特任教授)

第2章 HRテクノロジーの現状と可能性  酒井雄平(デロイト トーマツ コンサルティング)

第3章 HRテクノロジーの活用とリスク  
      白石紘一(弁護士)
      民岡良(日本アイ・ビー・エム)
      金澤元紀(ピープルアナリティクス&HRテクノロジー協会)
      倉重公太朗(弁護士)
      板倉陽一郎(弁護士)

第4章 HRテクノロジーの導入に向けて 
      酒井雄平(デロイト トーマツ コンサルティング)
      民岡良(日本アイ・ビー・エム)

この第3章は、採用、配置、人材開発・組織開発、安全配慮・退職という4つのテーマ別に、白石さんが事例を紹介し、民岡さんが技術の視点から、金澤さんがHRMの視点から、編者代表の倉重さんが労働法の視点から、そして板倉さんが個人情報保護の視点から論じるという構成です。

この中で紹介されているさまざまな事例はいずれも大変興味深いものですが、議論としてはやはり倉重さんが担当されている労働法の視点が注目です。というのも、

・・・端的に言えば、「テクノロジーの活用による人事権行使の有効性」が問われ、場合によっては当該人事権行使が「無効である」とされるのである。テクノロジーを活用した人事権行使が無効となった先例が現れれば、実務が混乱し、的外れな規制議論も起きかねない。・・・

倉重さんはたとえば「HRテクノロジーと解雇」では、エース損害保険事件の成績不良解雇の要件を引きつつ、こう述べています。

・・・この文言を見るだけでも、解雇要件が相当厳しいことが分かるが、HRテクノロジーによるジョブフィット率の定量化や適正配置モデルによる配置転換を活用すれば、上記要素の立証は容易になるケースもあろう。例えば、上記①②に関連し、このまま当該職務を遂行し続けた場合に「重大な損害を生じるおそれ」があることについては、さまざまなデータから推知することが可能であろう。これまでの「なんとなく向かない」という能力不足型や「協調性がない」あるいは「なんとなくいけすかないやつだ」という協調性・適格性欠如型についても、具体的事実を多数提示することが可能になると想定されるが、このような場合であれば、むしろこれまで主観的に人間が判断していた時代よりも判断が容易になろう。また、配置転換についても、適正配置モデルに従い、いくつかの部署を担当させ、各部署でジョブフィット率を算定することにより、前記⑤の要素を満たすことも可能となる。・・・・

企業の人事担当者だけでなく、人事労務に関わる全ての人が読んで置いて損はない本だと思います。

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『2018年版 日本の労働経済事情』

81pnnuraval例によって経団連出版の讃井さんより『2018年版 日本の労働経済事情』をお送りいただきました。経団連の労働政策本部と労働法制本部が中心になって作っているものです。

http://www.keidanren-jigyoservice.or.jp/public/book/index.php?mode=show&seq=522&fl=

本書は、人事・労務部門の初任担当者に向けて、わが国の労働市場の動向や、2018年7月6日に公布された働き方改革関連法(時間外労働の上限規制や同一労働同一賃金等)をはじめとする重要な労働法制、そして人事・労務管理に関する基本事項等について、図表を用いてわかりやすく解説しています。
実務担当者はもとより、新任の管理職やマネージャーにも幅広くご活用いただけます。

○○おもな内容○○
Ⅰ 労働市場の動向・雇用情勢・労働時間と賃金の概況
 失業率・求人倍率、雇用形態別労働者、労働時間と労働生産性 等
Ⅱ 労働法制
 働き方改革関連法の全体像、労働基準法(時間外労働の上限規制、年5日の年休取得義務化 等)、
 労働契約法/パートタイム・有期雇用労働法/労働者派遣法(同一労働同一賃金 等)、
 労働安全衛生法 等
Ⅲ 人事・労務管理
 人事・労務管理における重要テーマ(ダイバーシティ・インクルージョン、仕事と介護の両立支援 等)、
 人材育成、人事評価 等
Ⅳ 労使関係
 日本の労使関係の変遷、春季労使交渉 等
Ⅴ 労働・社会保険
 医療保険制度、介護保険制度、年金制度の体系、雇用保険制度 等
Ⅵ 国際労働関係
 グローバル化の進展、ILO(国際労働機関) 等

何かを論じるというよりも、要するに基本のキをわかりやすく並べている便覧ですね。

働き方改革推進法が成立したので、その内容がかなりの分量を占めていますが、それ以外の細かいところにも神経が行き届いています。たとえば、雇用保険制度の教育訓練給付の拡充というところでは、まだ労政審で審議中の専門実践教育訓練給付の対象拡大(例の専門職大学など)まで2019年4月からの予定としてちゃんと載っています。

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2018年8月22日 (水)

長谷川珠子『障害者雇用と合理的配慮』

07830長谷川珠子さんより大著『障害者雇用と合理的配慮』(日本評論社)をお送りいただきました。大著というのは、440頁、8,000円という外形もありますが、内容的にもアメリカ法と比較しつつ、日本の障害者雇用法制を詳細綿密に分析し尽くしたその内容も含めて大著です。

https://www.nippyo.co.jp/shop/book/7830.html

長谷川さんははしがきにもあるように、東北大学で水町勇一郎さんに弟子入りし、水町さんが東大社研に移るとその後を追っかけて東大で研究生活を始め、永野仁美さんや所浩代さんと並んで障害者雇用をテーマとする労働法研究者として今日に至っています。

本ブログでも紹介した永野仁美・長谷川珠子・富永晃一編著『詳説 障害者雇用促進法 新たな平等社会の実現に向けて』(弘文堂)の執筆者でもあります。

本書は2005年の博士論文がもとといいながら、その後の法改正により全く新しい大論文になっています。

さて、本書が送られてきたこの時期は、時ならぬ官公庁の雇用率水増し疑惑がわき起こり、なにやら政治問題になりつつある勢いですが、それほどよく知らないことでも居丈高に叱りつけるのが仕事の人々はともかく、なぜこういう事態になってしまったかを冷静に分析しようという人にとって有用な記述が本書にあります。

もともと雇用率制度は1960年法で官公庁は義務、民間は努力義務として始まったのですが、1976年改正で民間も義務化するとともに、民間については雇用率未達成企業に納付金制度が導入された、ということは知られています。

しかし、その際に障害者の範囲が変わったということは、詳しい人でないとあまり知られていないでしょう。

1960年法の障害者については、p197の注30にこうあります。

身体障害者雇用促進法における身体障害者の範囲は、「障害が明確かつ画一的に判定できること」と「労働能力の永続的欠損があること」の2点を基準として作成され、「別表に掲げる身体上の欠陥があるものという」と定義された(2条1項[当時])。身体障害者については、国年法、厚生年金保険法、所得税法、身体障害者福祉法、恩給法、労災保険法、職業安定法において、それぞれの目的に応じて、一定の範囲のものを対象としていたところ、身体障害者雇用促進法の制定に当たっても、同法の目的に応じて独自の範囲を定めたとされる。その範囲は、身体障害者福祉法の身体障害を基調としつつ、それよりもやや広く、恩給法や労災保険法よりも狭いとされていた(・・・)。ただし、後述するように、身体障害者の範囲は1976年の促進法改正により、身体障害者福祉法の身体障害者の範囲と統一された。

その1976年法改正時の理由については、p200の注40にこうあります。

その理由としては、①厚生省(当時)の福祉行政と労働省(当時)の雇用行政の一体化を図ることにより、総合的な身体障害者対策に大きく寄与できるようになること、②雇用義務化及び納付金制度の創設に伴い、法的公平性を確保するため、対象とする身体障害者を明確かつ容易に判定することができるようにする必要があることが挙げられている。

確かに民間企業にとってはそれまで努力義務に過ぎず、ということは、それほど真剣でなかったところに、1976年に初めて納付金制度というサーベル付きで義務化されたのですから、この1976年法による障害者の定義ではじめから動いてきたようなものです。

ところが官公庁にとっては、その前から障害者雇用義務はあり、とはいえ果たさなくてもペナルティもなく、淡々とやってきたところに、その状況が1976年改正によってもほとんど何ら変わらず(雇用率が若干上がったくらい)、そのため、その改正によりそれまで障害者扱いできた人ができなくなってしまったという認識を持つのが難しかったであろうことは想像できます。

障害者の範囲というのは、実は障害者雇用政策の根幹に関わる大問題でもあるのです。雇用率制度という一つの政策においては、今日新聞を賑わしているように、ほぼ障害者手帳所持者とイコールというかなり狭い範囲の人々の限られていますが、同じ障害者雇用促進法でも差別禁止と合理的配慮というもう一つの政策においては、手帳を持たない精神障害者や発達障害者、難病患者なども含まれます。さらに福祉的就労の対象となる総合支援法の対象はもっと広くなります。この辺は、本書でも308頁以下で詳細に論じられています。

というわけで、専門的な大著ではありますが、現下の政治問題について冷静に考察する上でも大変役に立つ本でもあります。夏なお暑い8月下旬の読書に最適です(かな?)。

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Risak氏のEUプラットフォーム労働指令構想@『労基旬報』2018年8月25日号

『労基旬報』2018年8月25日号に「Risak氏のEUプラットフォーム労働指令構想」を寄稿しました。最近関心を持って追いかけている新たな就業形態に対する労働法政策の一つの参照点になると思います。

 急速に進展する第4次産業革命の中で、現在世界同時的にシェアリング経済、プラットフォーム経済への関心が高まっていますが、とりわけプラットフォームを利用して働く人々の保護の問題は、労働政策方面からも産業市場政策方面からも注目を集めています。EUにおいては、昨年から今年にかけてプラットフォーム労働者をターゲットにした立法提案が相次いで出されており、今後の日本における議論にも参照点となっていくはずです。
 このうち、雇用社会総局が立案した指令案「EUにおける透明で予見可能な労働条件に関する欧州議会と閣僚理事会の指令案」(Proposal for a Directive of the European Parliament and of the Council on transparent and predictable working conditions in the European Union)については、『季刊労働法』2018年春号において、「EUの透明で予見可能な労働条件指令案」 と題してかなり詳しく解説しましたし、デジタル単一市場担当総局が立案した「オンライン仲介サービスのビジネスユーザーのための公正性と透明性の促進に関する規則案」(Proposal for a Regulation of the European Parliament and of the Council on promoting fairness and transparency for business users of online intermediation services)については、本誌6月25日号で概略を紹介したところです。プラットフォーム労働をめぐって労働者概念に含めて規制をかけていく方向性と、労働者ではない者の取引の公正さを追求していく方向がせめぎ合っていることが分かります。
 ただ、前者の指令案は、その前文の第7文に「これらの基準を満たす限り、家事労働者、オンデマンド労働者、間歇的労働者、バウチャーベースの労働者、プラットフォーム労働者、トレーニー及びアプレンティスは本指令の適用範囲に含まれる」と書かれているだけで、プラットフォーム労働者自体に向けた労働法規制を打ち出しているわけではありません。おそらくこの点を補完する目的で、EUレベルで制定されるべき「プラットフォーム労働指令」の具体的内容を提起している論文があります。ドイツのフリードリッヒ・エーベルト財団から出されたMartin Risak氏の『プラットフォーム労働者のための公正労働条件-EUレベルにおけるあり得べき規制のアプローチ』です。Risak氏はプラットフォーム労働の現状と法的課題を論じた上で、まずプラットフォーム労働者についてプラットフォームとの間の雇用関係を(反証可能な形で)推定するという法的規定を置くことを主張し、その上で、具体的に次のような規定を盛り込んだプラットフォーム労働指令案を求めています。
・書面通知指令と同様の通知義務:プラットフォームに労働者のアカウントが設けられればすぐに契約期間にかかわらず契約パートナーとその住所を通知する義務。
・とりわけウェブ上のクラウドワークの場合、労働の場所はプラットフォーム労働者がその作業を物理的に遂行する場所であることの確立。
・企業ユーザーの既存労働力との均等待遇の確保:最低賃金等を免れるためにプラットフォーム労働者にクラウドソースされないため。
・ウェブ上のクラウドワークに関連する探索時間(タスクを探す時間及び返事待ちの待機時間)が労働時間であり、賃金支払対象であることの明確化。
・最低賃金を下回るサービスの募集の禁止。
・以下のような条項の禁止
 ・プラットフォームに登録中及び登録後の競業避止条項、とりわけプラットフォーム労働者にユーザーとの直接契約を禁止する専属条項。
 ・ビットコインやバウチャーのような現金以外による報酬の支払。
 ・正当な理由なくプラットフォーム労働者にタスクを提供せず、又はそのアカウントを凍結する可能性。
 ・プラットフォームとユーザーが、理由を示さずに完成したタスクの受領を拒否したり、広告した報酬の支払を拒否したり、作業結果を保留したりする権限。
・プラットフォーム労働者やユーザーに対し、デジタル評判(レーティング)の仕組みとその影響を通知する義務。
・おそらく間違ったレーティングを再検討し、修正される可能性。
・デジタル評判のあるプラットフォームから別のプラットフォームへの移転可能性。
・プラットフォーム労働者のための無料の苦情処理手続を設置する義務。
・職場の安全衛生、最低賃金、租税と社会保険料の支払に責任を持つ者の明示。
 これはあくまでも一民間研究者の提案に過ぎませんが、上述の欧州委員会の指令案や規則案に比べると、労働者保護の問題意識がフルに出ており、ヨーロッパの労働関係者がこの問題にどのような懸念と関心を持っているかがよく分かります。
 日本でもこれから、こういった具体的な立法提案が各方面から出てくることが期待されます。

 

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2018年8月21日 (火)

EUでは労働時間は通算しているのか?@WEB労政時報

WEB労政時報に「EUでは労働時間は通算しているのか?」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=783

2017年3月の「働き方改革実行計画」は、時間外労働の上限規制や同一労働同一賃金など、去る6月に成立した働き方改革推進法に結実した多くの項目のほかに、現時点ではまだ立法につながっていない「柔軟な働き方がしやすい環境整備」という項目があり、そこに雇用型テレワーク、自営型テレワークと並んで、副業・兼業の推進が含まれています。昨年末に厚生労働省の「柔軟な働き方に関する検討会」が報告を出し、これを受けて今年1月に「副業・兼業ガイドライン」と改訂版「モデル就業規則」が公表され、原則として副業・兼業を認めるべきという大方針は明確になりましたが、労働時間の通算問題、労働社会保険の扱いといった具体的な法政策課題は先送りで、ようやく去る7月に「副業・兼業の場合の労働時間管理の在り方に関する検討会」が始まったところです。

 この問題については、本連載でも、2016年7月25日に「副業・兼業と労働法上の問題」で概観し、2017年2月27日には「労働時間通算規定の起源」で、工場法にさかのぼって日本におけるこの問題の展開を追いかけました。今回は、世界各国で労働時間の通算がどうなっているかをざっと見てみましょう。EUは1993年に労働時間指令を制定し、近年その改正をめぐってさまざまな動きがありましたが、その中にはこの労働時間の通算問題も含まれていたのです。・・・・

 

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職業安定法第20条は民営や派遣等にも適用される件について

一部労働クラスタで話題になっている例のジャパンビバレジのスキャッブ禁止の件ですが、シムカヨさんが

https://twitter.com/kayorine/status/1031400898633715712

職安法20条が適用されるのはハロワだけ。 いまどき民間のサイトから応募する方が多いんだからあまり意味ないなぁ…。

と言っていますが、いや民営紹介業にも派遣業にも準用されています。労働者募集や労組労供にも。一通り条文を並べると:

職業安定法

(労働争議に対する不介入)

第二十条 公共職業安定所は、労働争議に対する中立の立場を維持するため、同盟罷業又は作業所閉鎖の行われている事業所に、求職者を紹介してはならない。

2 前項に規定する場合の外、労働委員会が公共職業安定所に対し、事業所において、同盟罷業又は作業所閉鎖に至る虞の多い争議が発生していること及び求職者を無制限に紹介することによつて、当該争議の解決が妨げられることを通報した場合においては、公共職業安定所は当該事業所に対し、求職者を紹介してはならない。但し、当該争議の発生前、通常使用されていた労働者の員数を維持するため必要な限度まで労働者を紹介する場合は、この限りでない。

(準用)

第三十四条 第二十条の規定は、職業紹介事業者が職業紹介事業を行う場合について準用する。この場合において、同条第一項中「公共職業安定所」とあるのは「職業紹介事業者」と、同条第二項中「公共職業安定所は」とあるのは「公共職業安定所は、その旨を職業紹介事業者に通報するものとし、当該通報を受けた職業紹介事業者は、」と読み替えるものとする。

(準用)

第四十二条の三 第二十条の規定は、労働者の募集について準用する。この場合において、同条第一項中「公共職業安定所」とあるのは「労働者の募集を行う者(厚生労働省令で定める者を除く。次項において同じ。)及び募集受託者(第三十九条に規定する募集受託者をいう。同項において同じ。)」と、「事業所に、求職者を紹介してはならない」とあるのは「事業所における就業を内容とする労働者の募集をしてはならない」と、同条第二項中「求職者を無制限に紹介する」とあるのは「労働者を無制限に募集する」と、「公共職業安定所は当該事業所に対し、求職者を紹介してはならない」とあるのは「公共職業安定所は、その旨を労働者の募集を行う者及び募集受託者に通報するものとし、当該通報を受けた労働者の募集を行う者又は募集受託者は、当該事業所における就業を内容とする労働者の募集をしてはならない」と、同項ただし書中「紹介する」とあるのは「募集する」と読み替えるものとする。

(準用)

第四十六条 第二十条、第三十三条の四及び第四十一条第一項の規定は、労働組合等が前条の規定により労働者供給事業を行う場合について準用する。この場合において、第二十条第一項中「公共職業安定所」とあるのは「労働者供給事業者」と、「求職者を紹介してはならない」とあるのは「労働者を供給してはならない」と、同条第二項中「求職者を無制限に紹介する」とあるのは「労働者を無制限に供給する」と、「公共職業安定所は当該事業所に対し、求職者を紹介してはならない」とあるのは「公共職業安定所は、その旨を労働者供給事業者に通報するものとし、当該通報を受けた労働者供給事業者は、当該事業所に対し、労働者を供給してはならない」と、同項ただし書中「紹介する」とあるのは「供給する」と、第四十一条第一項中「同項の許可」とあるのは「同条の許可」と、「当該労働者の募集の業務」とあるのは「当該労働者供給事業の全部若しくは一部」と読み替えるものとする。

労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律

(職業安定法第二十条の準用)

第二十四条 職業安定法第二十条の規定は、労働者派遣事業について準用する。この場合において、同条第一項中「公共職業安定所」とあるのは「労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律第二条第四号に規定する派遣元事業主(以下単に「派遣元事業主」という。)」と、「事業所に、求職者を紹介してはならない」とあるのは「事業所に関し、同条第一号に規定する労働者派遣(以下単に「労働者派遣」という。)(当該同盟罷業又は作業所閉鎖の行われる際現に当該事業所に関し労働者派遣をしている場合にあつては、当該労働者派遣及びこれに相当するものを除く。)をしてはならない」と、同条第二項中「求職者を無制限に紹介する」とあるのは「無制限に労働者派遣がされる」と、「公共職業安定所は当該事業所に対し、求職者を紹介してはならない」とあるのは「公共職業安定所は、その旨を派遣元事業主に通報するものとし、当該通報を受けた派遣元事業主は、当該事業所に関し、労働者派遣(当該通報の際現に当該事業所に関し労働者派遣をしている場合にあつては、当該労働者派遣及びこれに相当するものを除く。)をしてはならない」と、「使用されていた労働者」とあるのは「使用されていた労働者(労働者派遣に係る労働に従事していた労働者を含む。)」と、「労働者を紹介する」とあるのは「労働者派遣をする」と読み替えるものとする。

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瀧澤弘和『現代経済学』

102501中央公論新社の方より瀧澤弘和『現代経済学 ゲーム理論・行動経済学・制度論』(中公新書)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.chuko.co.jp/shinsho/2018/08/102501.html

二〇世紀半ば以降、経済学は急速に多様化していき、学問としてはわかりにくさを増した。本書は、ミクロ及びマクロ経済学はもとより、ゲーム理論、行動経済学や神経経済学などの大きな潮流を捉え、実験や制度、経済史といった重要な領域についても解説。多様化した経済学の見取り図を示す。かつて〝社会科学の女王〟と呼ばれた経済学の現在地を提示し、その未来と果たすべき役割を明らかにする。入門にも最適。

実は、正直言って、なぜ本書をわたくしなどにお送りいただいたのかよく分からないのですが、よくある経済学の「入門の入門」風の新書本とは違い、今現在の結構先端的な経済学の概観を読者に与えてくれるいい本だと思います。

第1章がミクロ経済学、第2章がゲーム理論、第3章がマクロ経済学、第4章が行動経済学、第5章が実験経済学、第6章が制度の経済学、第7章が経済史(ノースとかグライフとかグレーバーとかピケティとかが出てきます)と、ある意味でいかにも新書という形式にもっともふさわしい知のエッセンスの集約版になっていますね。

このうち、それなりにまじめに勉強したのは、雇用契約とりわけ解雇の経済分析の関係で第6章の制度の経済学に出てくるコースやウィリアムソンなどですかね。本書にはちらとしか出てきませんが、彼ら新制度学派のご先祖様に当たるコモンズなんかも、労働研究者にはある程度読まれていると思いますが、経済学プロパーの世界ではお呼びではないようです。

終章では、経済学は法則定立的科学であるという考え方からメカニズムを解明するものであり、そもそも客観的な科学たりえないという高度に哲学的な議論が展開されており、ここだけ読んで知ったかぶりをするのに最適な素材になっています。

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金子良事『河合栄治郎』(岩波新書)?

_bbhlsah_400x400金子良事さんより『河合栄治郎』(岩波新書)をお送りいただきました。ありがとうございます。新進気鋭の労働研究者による新たな河合の伝記です。・・・・

てなエントリが将来ここに載るかも知れません。というのも、

https://twitter.com/proofreader2010/status/1030684897923362816

矢内原忠雄(岩波新書)に金子良事さんが協力されている。岩波は金子さんで河合栄治郎を出さないのだろうか。

https://twitter.com/ryojikaneko/status/1031567707454369792

藤原さんが私になぜか岩波新書で河合栄治郎を書かせたがっていて、しかも、そのツイートを岩波新書さんがいいねしてるという、不穏な事態に。

いやそのあと火消しに懸命なようですけど。

金子さんが書くかどうかは別にして、河合栄治郎を書くのなら、あの「官を辞するに際して」の情熱あふれる文章を再録してほしいです。

日本には一人の労働の代議士あるなく、又一の有力なる労働組合もない。資本家は其の利害を述ぶるの機関と便宜を持つけれども、労働者は其の利益を代表する一人のスポークスマンを持たぬのである。此の間に於て若し農商務省の官吏が労働者の立場を熱心に考慮に入れるに非ざれば、彼等は一人の自己を顧みるべきものを有しない。此処に於てか労働問題の局に当たる者は一個の殉教者の如き心事を持って事に当たらなければならないと。「官を辞するに際して」(『河合榮治郎全集第16巻』社会思想社(1968年))。

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2018年8月19日 (日)

上野千鶴子氏は反省のしどころを間違えているのでは?

上野千鶴子氏が、弟子筋の北田暁大氏による厳しい批判に対して率直に反省したと話題のようですが、

https://synodos.jp/politics/19136 (脱成長派は優し気な仮面を被ったトランピアンである――上野千鶴子氏の「移民論」と日本特殊性論の左派的転用)

https://wan.or.jp/article/show/8029 (北田暁大さんへの応答 ちづこのブログNo.125)

正直言って、上野さんはより倫理主義的な方向に、つまりあえて言えば無責任に反省しやすい方向にのみ反省してしまった感があります。

私の理解するところ、北田氏による批判は、近年の松尾匡さんやブレイディみかこさんとの鼎談などとも共通の観点から、外国人労働者問題を素材にしつつ、上野氏のいわゆる日本的リベラル特有の「一見やさしさを装った「脱成長」の仮面の下には、根拠なき大衆蔑視と、世界社会における日本の退潮を直視できない団塊インテリの日本信仰、多文化主義への不見識と意志の欠如」をこそ厳しく糾弾するものであったと思われるのですが、上野氏はむしろ、自説が過度に現実主義的であったという批判と受け止め、もっと理想主義的であるべきであったと「反省」してしまっているのです。

外国人問題は、とりわけ労働者の側からするととても難しい問題です。単純に性差別とパラレルに議論できるものではありません。外国人にも日本人と同じ権利を確保すべきという正論は、しかしそれだけでは野放図に安価な外国人労働者を導入したいという経営側の議論に対する歯止めにはならず、結果として欧州諸国に見られるように国内労働者の憤懣を反移民右翼に追いやる結果になりかねません。一方で、ただ外国人を入れるなと言っているだけでも、そうは言っても背に腹は代えられない企業は様々な形で外国人労働力を引き入れていき、結果として日本で過去30年にわたって進んだように、より権利の守られない形での事実上の移民が拡大することになります。

こういうつらいパラドックスの中で、過度に現実主義的になることも過度に理想主義的になることも、同じように無責任なのであり、現実に進んでいく移民拡大をできるだけ労働条件や人権が守られるような形で進んでいくことを確保するためにも、そもそもの入り口論では野放図な導入論を抑える努力が必要となります。「入れるな」ということによって、それにもかかわらず入れるのならこういう条件でなければならないという制約に現実的な力が加わり、入るにしてもその入り方が少しはまともになりうるという政治的な現実感覚を失ってしまうと、「このとき左派やリベラルがやるべきだったのは、もちろん外国人、とりわけ旧植民地出身者に対する差別をやめさせ、彼らの人権を守るように自分たちの社会に働きかけることだった」という安易な倫理的言説に身をゆだねて安心してしまうことになりかねません。

それは、少なくともリアルな政治的判断としては間違っていると私は思います。そして、その間違い方は、まさに北田氏が「経済というのは、社会のすべてではない。権利は大切である。善さも正しさも大切である。しかし正しさが善さによって支えられていることもまた、自然権論者ならぬ社会学者であれば考えなくてはならない。制度の公正性と経済的合理性を分けて考えること自体、社会学者の不遜というものではないか」と、悲痛なまでに上野氏に訴えていたその間違い方を全く同じ方向性を持っているように思われます。

上野氏は、北田氏の批判のもっとも本質的な批判であり傾聴すべき点をあえて耳に入れず、自らの過去の立論からして一番受け入れやすい点、あえていえば本来理想主義的だった私が現実主義にぶれかかったのを正道に戻してくれたという、一番もっともらしく語りやすい点でのみ受け入れて見せたのではないかと思われます。

なので、拙著の帯を書いていただいた恩人ではありますが、「よっ、千両役者!」という掛け声は出てきませんでした。

https://twitter.com/ryojikaneko/status/1030291021991563266

これを読んだ瞬間、「よっ、千両役者!」と掛け合いを入れたくなったが、皆さんの感想を読んでますますその感が強い。/エッセイ > ブログ > 北田暁大さんへの応答 ちづこのブログNo.125 | ウィメンズアクションネットワーク Women's Action Network

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2018年8月15日 (水)

アラン・シュピオ『法的人間』から

345550 昨日のエントリの続きです。この本、さすがにフランス知識人風のエスプリのきいた表現がここかしこに頻出するので、ついついこうして引用したくなります。

第6章の「人間を結ぶ-人権の正しい使用法」にも、やや物議をかもしそうなところも含め、面白い一節がぞろぞろと並んでいますが、ここではいわゆる社会的権利に対するネオリベ系の批判に対する、皮肉に満ちた反批判の一節を。

・・・いわゆる第二世代の人権の正当性が、経済学の名のもとに30年ほど前から厳しい批判にさらされているのはこのためである。・・・フリードリッヒ・ハイエクのような影響力の強い経済悪者たちは、1948年の世界人権宣言が経済的・社会的権利を承認したのは全体主義的な思想(彼らはそれをプラトンからスターリンにまで結びつける!)であると断じ、「これらの権利を、強制力を持つ法律の中に書き加えれば、伝統的市民権が目標とする自由秩序を必ず破壊することになる」と主張した。このようにもろもろの社会的権利を悪者扱いするダーウィニズム的な社会観が、国際通貨基金や世界銀行のような機関でドグマとしての価値を得ていることは周知のとおりである。・・・こうしてもろもろの社会的権利を法的領域から締め出すための言い分が二つ用意される。社会的権利は富の分配を目的とするが、法の領域はその性質上「正しい振舞いについての規則」に限定される、というのが一つ目である。社会的権利は個人への保証ではなく集団に対する債権という構造を持つ、というのが二つ目である。真の権利はあらゆる債務者から独立して存在するような「・・・の権利」であり、「・・・・を享受する権利」は論点先取に過ぎず、支払いをしてくれそうな組織の存在に依存しているというのである。

と、ネオリベ系の典型的な批判を示したうえで、そのはらむ矛盾をこう暴いて見せます。

・・・実施のために集団の組織を必要とする権利(たとえば健康保護を享受する権利)も、<法権利>の手前への退行を意味するどころか、進化を先取りしており、その進化は今では所有権のような「第一世代」の個人の権利の一部にも及んでいる。グローバル化に最も深く関係する面での所有とは、すでに物質的ではない「知的」なもの、つまり法学者たちが無体財産と呼ぶもの(商標、特許、著作権)を対象としている。音楽の録音や高級バッグやソフトウェアの完璧なコピーとオロジナルの間に物質的な違いは何もなく、誰かからディスクやバッグやパソコンの所有権を奪わなくてもそうしてコピーは製作できるので、超国家企業にとっての死活問題は、その種のコピーが自由に流通しないこと、つまり企業に上納金をもたらしてくれる製品の製造と流通においての自由流通が、知的所有権の尊重によってコントロールされていることである。言い換えれば、知的所有権の尊重とは、対象となる製品の製造・複製・販売への強制的な課金の整備が前提なのである。つまりここでは所有権がもろもろの社会的権利と同じ構造をしているということである。ある財を物理的に所有することとは一致せずに、債権という姿をとるこの所有権は、国家がその行使のために積極的に介入することを要請しているのだ。この権利の尊重を確実にするためには、製品のトレーサビリティを組織しなければならない。世界全体に張り巡らされなければ有効でない集団的組織が必要であるということである。

社会的権利を批判して称揚される知的財産権の構造が当のその社会的権利と相似形であるというこの皮肉。

そこからシュピオはさらに、その知的財産権と社会的権利の相克をこう皮肉に描き出します。

・・・知的所有権ともろもろの社会的権利が同じ構造をしているということは、両者を和解させたり、上下関係を定めたりする必要が生じるのは当然である。つまり1948年の世界人権宣言から、製薬会社の自らの特許に対する私有権よりも、人々が適切な治療を受ける権利を優先させるべきであるという会社を引き出すことも可能なのだ。政治はここでこそ調停能力を取り戻すのであるが、市場原理の博士たちはそれを認めようとしない。このようにもろもろの社会的権利に近づけてみることで示唆されるのは、(受益者が収入に応じて集団的な連帯の組織に貢献することが必要な)社会的権利を同じように、知的所有にも、その行使を保証する国々に益するような拠出金を課するべきだということである。ハイエクのような原理主義的経済学者たちが禁じることを願っているのは、まさにこの種の解釈である。彼らは人権を「市場の力」に奉仕させようとしているのであって、その逆ではないからだ。・・・・

全編にわたって、この手の類の警句じみた皮肉のきいたセリフが繰り返し繰り出されてきて、夏休みの読書の友には最適です。

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2018年8月14日 (火)

アラン・シュピオ『法的人間 ホモ・ジュリディクス』

345550 この本、今年の3月に翻訳が刊行されていたようですが、全然気が付かず、先日たまたま本屋の哲学書の棚に置いてあるのを見つけて慌てて買い、夏休みの友として読み終わったところです。

http://www.keisoshobo.co.jp/book/b345550.html

アラン・シュピオの本をなんで労働法の棚に置かないんだ!といいたいところですが、たしかに冒頭のプロローグが、

人間とは形而上学的な動物である。生物学的な存在としては、まず感覚器官によって世界に存在している。しかし人間の生は単に事物の世界だけではなく、記号の世界でも繰り広げられる。この世界は言語を超えて、理念を具体化するもの全体にまで広がり、物理的には不在のものを、精神に対して顕現させる。・・・・

といった、いかにもおフランスの現代思想っぽい文章なので、この手のわけのわからない文章の本をわざわざ読むのは哲学おたくの類に違いないと、哲学書の棚に放り込んだのは、書店員としてはまことに合理的な行動様式であったのでしょう。

労働法の世界では結構有名なシュピオですが、労働法学者が翻訳に怠惰なためか、本書が彼のまともな翻訳書第1号なんですね。

EUの労働社会政策に具体的提言を投げかける労働法学者アラン・シュピオは、絶大な影響力を誇る実務家であると同時に、西洋の人間形成において法が果たす役割という原理的な問いに対峙する理論家でもある。全面化する競争社会で法を単なるゲームのルールに還元しようとする流れに抗して、法学者が真正面から「正義」を問う異色の書。

前半がより一般哲学書っぽいのに対し、後半はより労働法や社会保障のトピックを哲学的に突っ込むところが多くなります。

気になったところをいちいち全部書き出していると大変なので、そのごく一部だけですが、例えば第4章の技術革新と労働法を扱ったところでは、

・・・社会学者や経済学者や情報処理技術者にとっては、ネットワークは非常に現代的であるようだ。法学者にとっては、ネットワークとはむしろ、封建制の構造、とりわけ自由人を一人あるいは複数の封建君主に仕える身に置いた封臣関係を、否が応でも想起させる。企業が新たな労働組織形態に求めているのは、まさにこれなのだ。従属だけではもはや不十分であり、単に従順な労働者は求められていない。製品の品質とコスト削減という要請の結果、あたかも自分が独立した責任者であるかのように振舞う労働者が求められるようになったのだ。逆に従属が勢力を拡大したのは、企業同士の関係である。本来の事業に再び集中するようになった各企業は、自分の製品の品質を左右する、納入業者や請負業者の貢物の質や納期を厳しく管理しなければならないのだ。

と、労働者の(疑似)自営業者化と自営業者の(疑似)労働者化のトレンドを、中世封建制のメタファーで見事に描き出していますし、

近年のいわゆる法の手続き化についても、

・・・手続きという概念はコンピュータの発明において決定的な役割を果たした。コンピュータの発明者ジョン・フォン・ノイマンの基本的なアイディアは、アルゴリズムの形で計算を処理する可能性を機械にまで広げること、すなわち計算可能なすべての問題を、機械に記録済みの明確な命令の作用に還元することであった。こうして情報科学の言語がプログラムという隠喩(経営学や遺伝学にも波及した)に基づいて発達し、いかなる内容も取り扱えるもろもろの手続き規範のシステムとなった。<法権利>においても、手続き化というテーマが同時期に出現し、以後も新たな領域を獲得し続けている。ユルゲン・ハーバーマスによる理論的定式化は最も著名なもののひとつであり、・・・・。彼の同時代人であり同邦人であるニクラス・ルーマンの著作には、このような希望は不在である。・・・・・労働法とて例外ではなく、情報科学のプログラムが企業に広まるよりはるかに前から、手続き化の進行が確認できた。とりわけ目覚ましいのは1973年以降の解雇に関してである。雇用者の経済的決定を判決という実体的規範に従わせることが出来ずに(それをすれば良好な企業経営の責任を裁判官に転嫁することになってしまう)、立法府が解雇手続きを増大させた結果、マイクロソフト社のソフトのように、ファイルは積み重なり、プログラムの実行を遅らせ(「ロード時間」の慢性的増大)、メモリーはいくらあっても足りず、システム停止のリスクが高まるのである。だが情報科学において非難されるべきものは、法的観点からすると正しいのかもしれない。つまり解雇法の手続き化の実質上の根源的な意義とは、ひょっとすると手続きを遅らせ、引き延ばし、そうすることで雇用喪失に直面する被用者に転職の準備時間を与えることにあるかもしれないのだ。

と、誠に才気煥発な皮肉に満ちた文章を綴るのです。

プロローグ

Ⅰ 法的ドグマ──私たちを基礎づける信条

第一章 人間存在の意味づけ──神の似姿
 人間存在の規範的構成
 人の法的な基盤
 唯一にして同一の個人
 従属した君主、主体
 受肉した精神としての人格
 アイデンティティを保証する〈第三項〉
 全面的解放の先にあるもの──解体した人間

第二章 法の帝国──厳たる法、されど法(dura lex, sed lex)
 ある一つの考え方の様々な化身
 法の人間的な統御
 法により説明される人間

第三章 言葉の強制力──合意は拘束する(pacta sunt servanda)
 契約という「文明化のミッション」
 契約の起源へ
 合意の保証人としての国家
 契約関係の再封建化

Ⅱ 法の技術──解釈の素材

第四章 諸々の技術を統御する──禁止の技術
 技術革新から生じる〈法権利〉
 制度からネットワークへ
 規制から調整へ
 技術を人間化する〈法権利〉
 遍在性の限界
 透明性の限界
 生殖技術に直面する出産

第五章 権力を考察する──統治から「ガバナンス」まで
 主権の衰退
 国家の変容
 権力と権威との分離
 立法権の解体
 自由を従属させる
 行動の標準化
 法源の道具化

第六章 人間を結ぶ──人権の正しい使用法
 人権の信条
 西洋的原理主義の三つの姿
 メシア思想
 共同体主義
 科学主義
 解釈の扉を開く
 人権という人類の共通資源
 連帯原則を再訪する
 新たな解釈装置のために


訳者あとがき
人名索引

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2018年8月 9日 (木)

『若者と労働』第7刷決定

Chuko 中央公論新社から、拙著『若者と労働』(中公新書ラクレ)の第7刷が決定したと連絡をいただきました。

これも、拙著を熱心に読んでいただいた読者の皆様のおかげと心より感謝申し上げます。

http://hamachan.on.coocan.jp/chukobookreview.html

なお、amazonレビューにも昨日、koheinet608さんによる『若者と労働』に対する大変熱のこもった長大な書評が載ったようです。電子版でお読みいただいたようで、やはり電子版を出すと新たな読者が広がるのでしょうか。

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2ZX69WDSOKYKD/ref=cm_cr_getr_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4121504658

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『新しい労働社会』電子書籍化

131039145988913400963 拙著のうち、『若者と労働』と『働く女子の運命』はすでに電子書籍化していますが、それらよりも早く2009年に刊行した『新しい労働社会』(岩波新書)も、今月電子書籍化されるようです。

https://twitter.com/Iwanami_Shinsho/status/1027471378843234304

【毎月4点配信している電子書籍、8月は16日に配信開始です】
見田宗介『現代社会の理論――情報化・消費化社会の現在と未来』
濱口桂一郎『新しい労働社会ーー雇用システムの再構築へ』
池上俊一『フィレンツェ』
見田宗介『現代社会はどこに向かうか――高原の見晴らしを切り開くこと』

電子書籍化によって、また新たな読者を得られることになるならば、うれしいことです。

http://hamachan.on.coocan.jp/bookreviewlist.html

 

 

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2018年8月 3日 (金)

医学部は病院附属職業訓練校

東京医科大学の問題が盛大に炎上中ですが、労働問題の観点から見ると、これはまさに

事情を知る関係者は「女性医師は結婚や出産で職場を離れたり、深夜勤務ができなくなったりして、偏在の問題が起きる。これを避けるため、女子合格者を三割程度になるよう調整していたようだ」と話した。

女性の職業生活と家庭生活の両立の問題に由来する採用差別なんですね。

もちろん、世の中のあらゆる部面に差別現象はあるのですが、今回の問題は狭義の教育問題というよりは、労働問題が職業教育訓練の入り口の選別において露呈したものと見た方がいいでしょう。

そして、実はこれが逆に、他の学部、とりわけ文科系の学部ではこのような女性差別が行われてこなかったのはなぜかという見えざる問題を照射します。実を言えば、同じような男性中心の長時間労働を当然視するマッチョイズムは他の職業分野でも同じように存在するはずなのに、そして企業や組織への「入社」の段階においては、有形無形のさまざまな差別が現に行われているにもかかわらず、大学入学段階ではそのようなことが行われていないのはなぜかというと、要するに、大学入学がいかなる意味でも職業教育訓練の入り口であるとは認識されていないということを表しているのでしょう。

大学までは男女平等なのに、会社に入る段階では差別が横行しているというのは、裏返していうと、そういう差別的な雇用社会の選別機能を、(少なくとも文科系の)大学は果たさなくてもいいと思われていたということを意味しているのでしょう。

それに対して医学部はそうではない。言葉の正確な意味でのジョブ型職業教育機関であり、言ってみれば医師養成職業訓練校です。とりわけ今回の東京医科大学というのは、東京医科大学病院の附属職業訓練校という色彩が強いようで、そうであればこそ、その本体たる病院の人事労務管理上の(男女差別的)要請が、ストレートにその訓練生選抜基準にのしかかってきたのでしょうね。

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2018年8月 2日 (木)

『HRmics』30号

1海老原さんちのニッチモの『HRmics』30号をお送りいただきました。今号の特集は「戦略的人材育成なんて、要らない!」です。SHRMごっこはいい加減にやめとけ、と。

http://www.nitchmo.biz/hrmics_30/_SWF_Window.html

1章 十年一日の「戦略的人材育成計画」なぜそれが出来ないのか?

§1.おうべいはそれが必須で、日本には不要な理由

§2.日本型人事ができていること、いないこと

§3.そんな選抜教育なんて、本音を言えば、無用!

2章 やばいぞ、足りないものだらけだ!日本の次世代育成

§1. 国内ルールを脱すること。型より本質を重視すること

§2.「借り物」「汎用」でHRMを済ませるな

§3. 国際的なエリートと伍するには、人格・教養があまりに足りない

§4. Gゼロ時代の経営者が備えるべき国際政治への洞察力

3章 クロトンビル・ジャパンの責任者に聞く 本物の戦略的人材育成術

例によって、特集の最後のコラムの海老原さんの言葉が皮肉を効かせています。

・・・・特集中、何度も使わせていただいた経済産業省の戦略的人材育成ガイドは、「詳細に作り込むべし」論に力点を置いて構成されている。果たして経産省はこのガイドに沿って、事務次官育成に取り組んでいるのだろうか。

私の連載「原典回帰」は、エドモン・メールの『自主管理への道』です。

えっ?何それというのが99.9%の反応でしょうが、その昔1970年代には、マルクス主義に夢破れた社会主義者の理想像として、自主管理社会主義というのがえらく流行したことがあったんです。

実は、今は立派な労働研究者の大御所になっている方々の中にも、若き日に自主管理の夢を掲げた方もいます。

その自主管理の理論が花開いていたフランスの話を、日本の戦後史を振り返りつつ、例によってやや斜に構えた感じでサルベージしてみました。

・・・・ CFDTの自主管理思想が現実政治の中で労働法制として現実化したのは、ミッテラン政権下でオルー法として制定された企業内労使関係システムの強化でした。そしてその後も政権交代を繰り返しながらも、この企業内労使関係の強化という方向性は今日に至るまで変わっていません。一番最近の、2017年のマクロン政権による労働法改革も、企業別協定を産業別協約の上位に置き、企業レベルの従業員代表機関を統合するなど、企業別主義を貫いています。今やフランスでも自主管理という言葉はほとんど使われませんが、自主管理思想がもたらした企業内労使関係の確立という方向性は強まる一方です。

 ところが皮肉なことに、その企業内労使関係こそが、戦後日本労使関係システムの基盤であり、1970年代から90年代にかけての時期に日本型雇用システムの柱の一つとしてもてはやされたものなのです。その背景には、戦後確立した日本型労使関係の出発点に終戦直後の生産管理闘争などのある種の強烈な労働者自主管理思想があり、それをうまく取り込む形で、労働者の小集団が職場の主人公として経営改善に取り組んでいくという仕組みが作り上げられたという経緯があります。そしてむしろそういう労働者自主管理的なまでの企業中心主義が1990年代に左右両派から批判を浴びるようになる中で、やや無気力に維持され続けているのが企業内労使関係というのが今日に至る状況です。このあたりの、日本独自の文脈における自主管理思想の持った意味については、もっと広い観点から分析される必要があるとは思いますが、とりあえず本書を紹介することで、その糸口をつけてみたいと思います。・・・・

・・・・・

・・・・ここまで読んでくると、自主管理思想の理想郷は戦後日本社会だったのか?と思わず言いたくなります。あるいは、前々回取り上げたG.D.H.コールの『労働者 その新しい地位と役割』における「パートナーシップ」の称揚を思い出した人もいるかもしれません。

 いずれにしても、フランス自主管理思想はフランスなりの文脈において、学歴がそのまま職業資格として権威的指揮命令関係を正当化し、集団的労使関係は企業の外側にのみ活発に存在し、企業内には入り込めないような労働社会のあり方を根本から変革するという問題意識に基づいて発展してきたものです。しかしそれを労働運動の政治的枠組みの都合で出羽の守よろしく輸入した先の日本の労働社会は、それとは全く別の文脈で動いている社会でした。集団的労使関係はほとんど企業内にしか存在せず、それも具体的な職場レベルでの人間的なつながりが大きな役割を持ち、企業内での経験による知識が企業外教育による知識よりも重視されるような、あべこべの世界です。そのあべこべの世界では、フランスでは上述のような労使関係の企業内化という革新的な役割を果たした自主管理思想は、現に存在する日本型労使関係の正当性を弁証するという保守的な役割以外を果たせる可能性はなかったのかもしれません。

 1990年代以降、日本社会における言説の主流は、労働者が自主管理的に企業に一体化し、猛烈に働く有り様を、「企業人間」とか「社畜」と批判する(左派的な)思想と、企業が労働者集団によって自主管理企業まがいに経営されている状況を市場原理から厳しく批判する(右派的な)思想になりました。そういう時代には、労働者自主管理などという考え方は、(実のところ労使のかなり多くの部分が内心は支持しているとしても)とても恥ずかしくて表立って主張しにくい代物になってしまった感があります。1970年代に労働者自主管理に関する論文をいくつも書いていた中谷厳氏が、1990年代には竹中平蔵氏と並んで市場原理主義のイデオローグとして活躍したことは、2008年頃から再び180度転換したこととも併せ、時代の変遷を感じさせます。

 おそらく今の若い世代は、40年前に「労働者自主管理」が論壇のホットトピックであったことすらほとんど知らないでしょう。今となっては当時の熱を偲ぶよすがもほとんどありませんが、思想と文脈という問題を考える上で、大変興味深い実例であることだけは間違いないと思います。   

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2018年8月 1日 (水)

野村正實『「優良企業」でなぜ過労死・過労自殺が? 』

51erfvdvbel__sx342_bo1204203200_野村正實さんより新著『「優良企業」でなぜ過労死・過労自殺が?』(ミネルヴァ書房)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.minervashobo.co.jp/book/b371946.html

昨今,多くのブラック企業対策本が出版され,ブラック企業の見分け方なども指南されている。だが電通をはじめブラック企業の定義に当てはまらない「優良企業」での過労死,過労自殺,長時間労働によるうつ,心疾患,精神障害などが相次いでいる。日本の大会社の大半は,ブラックな部分とホワイトな部分をあわせ持っているのである。その成立と存在条件を明らかにすることこそ,いま求められているのではないか――本書は,日本に遍く存在する「ブラック・アンド・ホワイト企業」を分析し,日本企業の本質を読み解く書。

野村さんの著書にはこれまでも啓発されることが大変多く、とりわけ大著『日本的雇用慣行』については、本ブログでも何回も取り上げたことがあります。

その野村さんが、東北大学を辞められた後、国士舘大学で教鞭を執られている間に書かれた本です。トピックは今風ですが、もちろん、野村さんらしい日本的雇用の本質からブラック企業を論じています。

ただ、正直言ってやや違和感があったのは、序章で

これまでブラック・アンド・ホワイト企業という概念が提起されたことはない。本書がブラック・アンド・ホワイト企業に関する最初の研究である。

と言われているんですが、いや確かに言葉としてはそうですが、ブラック企業という現象の本質にそれ自体としてはホワイトだと思われてきた日本的企業のあり方があるという指摘は、それこそ今野晴貴さんの『ブラック企業』以来、かなり繰り返し指摘されてきたことではないかと思われます。

同書は「ブラック企業に定義はない」といい、「日本型雇用の悪用」がブラック企業現象を生み出すのだから、「全ての日本企業はブラック企業になり得る」と述べていました。

まあ、その周辺の運動論において、ややもすれば「一方の極にブラック企業が、他方の極にホワイト企業があるというような二分法」めいた言い方があったとしても、日本的なホワイトこそがブラックの要因であるという認識は、少なくとも表層的なマスコミは別にすれば、かなり存在していたように思われます。

全体としてはむしろ、ブラック企業というトピックを補助線にして、日本型雇用のあり方に批判的に迫る本になっていて、それは確かに有益なのですが、上述のような疑問を感じさせたのも確かです。

なお、これはたまたまですが、一昨日のエントリで「メンバーシップ型採用と差別」について若干コメントしましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/post-6a23.html

まさにそれと重なる問題意識の記述が本書の第1章の「採用差別」という項に書かれていました。

日本では採用差別が横行している。もっといえば、採用差別が当たり前のこととして行われている。・・・

採用差別が当たり前のこととして行われているという判断は、先進国の基準に基づいている。それに対して、採用差別は一部にとどまっているという反論は、日本の基準に基づいている。つまり先進国の基準によれば採用差別と判定されることが、日本では採用差別と思われていないのである。・・・

・・・日本という国は、外に向かってはILO第111号条約を批准しないという形で、内に向かっては三菱樹脂事件の最高裁大法廷判決という形で、会社は採用差別を行ってよい、と公に宣言している。日本は採用差別を公認している唯一の先進国である。

本書の内容は以下の通りです。

序 章 ブラック企業論への疑問

第1章 特異な日本の採用・就職
   「定期採用」と「中途採用」    
   ウソがまかり通る定期採用の世界
   採用スケジュール
   「初任給」  
   学歴フィルター  
   採用差別  
   過剰な自己PRの強要
   1990年代以降のいっそうの苛酷化  
   身元保証という江戸時代からの悪習
   定期採用の本質

第2章 入社式と新入社員研修
   入社式  
   戦前の新入社員  
   ドーアによる新入社員研修の観察
   ローレンによる新入社員研修の観察  
   「ウエダ銀行」の新入行員研修
   伊藤忠商事の新入社員研修  
   ローレンによる日米比較  
   新入社員研修の日本的特色
   会社の修養主義

第3章 会社の共同体的上部構造
   ゲマインシャフトとゲゼルシャフト  
   共同体的上部構造と利益組織的土台
   共同体的上部構造としての「社風」  
   松下電器産業と本田技研工業の交流研修会
   尾高邦雄の日本的経営=共同体論  
   「経営家族主義」の「実証的」根拠
   戦前における「終身雇用制」?  
   経営家族主義イデオロギーの不存在
   高度成長期における「終身雇用制」の成立  
   戦前の会社身分制  
   俸給と賃金
   身分制下の目に見える差別

第4章 従業員組合——「非常に非常識」な「労働組合」
   敗戦後における従業員の急速な組織化  
   戦後に結成された組合を何と呼ぶべきか
   従業員組合の特徴  
   従業員組合の成立根拠にかんする二村説  
   従業員組合の原形
   末弘厳太郎による観察  
   藤林敬三による観察  
   従業員組合の自然な感情
   労働組合として「非常に非常識」な行動様式  
   争議中の賃金の後払い
   改正労組法と従業員組合への利益供与・便宜供与  
   従業員組合の本質
   従業員組合による共同体的上部構造の形成  
   従業員組合の興隆と衰退
   「労働組合」の重層的定義  
   会社による共同体的上部構造の維持・展開
   トヨタにおける「労使宣言」

第5章 会社による従業員の全時間掌握
   利益組織的土台に奉仕する共同体的上部構造  
   労働時間とは何か
   戦前における工場労働者の労働時間  
   ILO条約と8時間労働制
   トマス・スミスの指摘  
   官吏の執務時間  
   社員の執務時間
   労働時間をめぐる戦前の負の遺産  
   社員の執務時間と労働者の労働時間の「統一」
   軟式労働時間制  
   執務時間と労働時間の融合  
   長時間の不払労働
   「自主的な」QCサークル  
   低い有給休暇の取得率  
   トヨタ過労死事件
   名古屋地裁の判決  
   会社による共同体的上部構造把握の行きつく先
   過労死・過労自殺とジェンダー

終 章 自己変革できないブラック・アンド・ホワイト企業
   ブラック企業の指標  
   ブラック・アンド・ホワイト企業への道  
   時代は働きすぎに向かう


参考文献
あとがき
索  引

あとすみません、すごくつまらないことですが、末弘厳太郎がいくつか「末広」になってました。こういうのって、自分でいくらチェックしても見落としてしまうんですよね。

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「文系大学教育は仕事の役に立つのか」という問いに意味があるのか?

20180731114127二宮祐さんのブログで、二宮さんも寄稿しているという本田由紀編『文系大学教育は仕事の役に立つのか』(ナカニシヤ出版)が紹介されています。

http://sakuranomori.hatenablog.com/

中身も読まずにコメントするのも大胆不敵と言うべきですが、このタイトルを見て思わず、「いや、そういう問いの立て方に意味があるのだろうか?」とつぶやいてしまいました。

いやもちろん、世の中の圧倒的に多くの人々がそういう問いの立て方で論じている方こそ、こういうタイトルにならざるを得ないのでしょうけど、それではなんだか、「文系大学教育」という実体そのものがあたかも役に立ったり役に立たなかったりするものであるかのように見えます。

でも、各国間で文系大学教育それ自体に若干の違いはあってもほぼ似たような内容であるのに、それがある国で役に立っていて別の国で役に立たないのは、つまるところ、前者の国では社会全体にそれが役に立つものであり、それゆえにそれを学んで資格を得た者を当該専門分野における一定の能力を有するものとして処遇すべきというコンセンサスが成り立っているのであり、後者の国では社会全体にそんなものはそれ自体は役に立たないものであり、それゆえにそれを学んだものはそれを学ぶ資格を得たという点においてその能力が認定されるにとどまり、それ以上の専門的能力を証明する資格とはみなされるべきではないというコンセンサスが成り立っているという違いに過ぎないのではないか、と思われるからです。

20140828121034という話は、今から7年前の広田さんの科研研究会で喋って、それがこういう本になったりもしていますけど、なんだかあんまり進歩していませんね。同じことを繰り返している気がします。

 私は実は、どういうジョブについてどういうスキルを持ってやるかで仕事に人々を割り当て、世の中を成り立たせていくジョブ型社会の在り方と、そういうものなしに特定の組織に割り当て、その組織の一員であることを前提にいろいろな仕事をしていくメンバーシップ型社会の在り方の、どちらかが先験的に正しいとか、間違っているとは考えていません。
 
 ある意味ではどちらもフィクションです。しかし、人間は、フィクションがないと生きていけません。膨大な人間が集団を成して生きていくためには、しかも、お互いにテレパシーで心の中がすべてわかる関係でない限りは、一定のよりどころがないと膨大な集団の中で人と仕事をうまく割り当てることはできません。
 
 そのよりどころとなるものとして何があるかというと、ある人間が、こういうジョブについてこういうスキルがあるということを前提に、その人間を処遇していくというのは、お互いに納得性があるという意味で、非常にいいよりどころです。
 
 もちろん、よりどころであるが故に、現実との間には常にずれが発生します。一番典型的なのは、スキルを公的なクオリフィケーションというかたちで固定化すればするほど、現実にその人が職場で働いて何かができる能力との間には必ずずれが発生します。
 
 ヨーロッパでいろいろと悩んでいるのは、むしろその点です。そこから見ると、日本のように妙な硬直的なよりどころがなく、メンバーとしてお互いによく理解しあっている同じ職場の人たちが、そこで働いている生の人間の働きぶりそのものを多方向から見て、その中でおのずから、「この人はこういうことができる」というかたちで処遇していくというやり方は、ある意味では実にすばらしいということもできます。
 
 ただし、これは一つの集団組織に属しているというよりどころがあるからできるのであって、それがないよその人間との間にそうことができるかというと、できるはずがありません。いきなり見も知らぬ人間がふらりとやってきて、「私はできるから使ってくれ」と言っても、誰も信用できるはずがありません。そんなのを信用した日には、必ず人にだまされて、ひどい目に遭うに決まっています。だからこそ、何らかのよりどころが必要なのです。
 
 よりどころとして、公的なクオリフィケーションと組織へのメンバーシップのどちらが先験的に正しいというようなことはありません。そして、今までの日本では、一つの組織にメンバーとして所属することにより、お互いにだましだまされることがない安心感のもとで、公的なクオリフィケーションでは行き届かない、もっと生の、現実に即したかたちでの人間の能力を把握し、それに基づく人間の処遇ができていたという面があります。
 
 おそらくここ十数年来の日本で起こった現象は、そういう公的にジョブとスキルできっちりものごとを作るよりもより最適な状況を作り得るメンバーシップ型の仕組みの範囲が縮小し、そこからこぼれ落ちる人々が増加してきているということだろうと思います。
 
 ですから、メンバーとして中にいる人にとっては依然としていい仕組みですが、そこからこぼれ落ちた人にとっては、公的なクオリフィケーションでも評価してもらえず、仲間としてじっくり評価してもらうこともできず、と踏んだり蹴ったりになってしまいます。「自分は、メンバーとして中に入れてもらって、ちゃんと見てくれたら、どんなにすばらしい人間かわかるはずだ」と思って、門前で一生懸命わーわーわめいていても、誰も認めてくれません。そういうことが起こったのだと思います。
 
 根本的には、人間はお互いにすべて理解し合うことなどできない生き物です。お互いに理解し合えない人間が理解し合ったふりをして、巨大な組織を作って生きていくためにはどうしたらいいかというところからしかものごとは始まりません。
 
 ジョブ型システムというのは、かゆいところに手が届かないような、よろい・かぶとに身を固めたような、まことに硬直的な仕組みですが、そうしたもので身を固めなければ生きていくのが大変な人のためには、そうした仕組みを確立したほうがいいという話を申し上げました。

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