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『HRmics』30号

1海老原さんちのニッチモの『HRmics』30号をお送りいただきました。今号の特集は「戦略的人材育成なんて、要らない!」です。SHRMごっこはいい加減にやめとけ、と。

http://www.nitchmo.biz/hrmics_30/_SWF_Window.html

1章 十年一日の「戦略的人材育成計画」なぜそれが出来ないのか?

§1.おうべいはそれが必須で、日本には不要な理由

§2.日本型人事ができていること、いないこと

§3.そんな選抜教育なんて、本音を言えば、無用!

2章 やばいぞ、足りないものだらけだ!日本の次世代育成

§1. 国内ルールを脱すること。型より本質を重視すること

§2.「借り物」「汎用」でHRMを済ませるな

§3. 国際的なエリートと伍するには、人格・教養があまりに足りない

§4. Gゼロ時代の経営者が備えるべき国際政治への洞察力

3章 クロトンビル・ジャパンの責任者に聞く 本物の戦略的人材育成術

例によって、特集の最後のコラムの海老原さんの言葉が皮肉を効かせています。

・・・・特集中、何度も使わせていただいた経済産業省の戦略的人材育成ガイドは、「詳細に作り込むべし」論に力点を置いて構成されている。果たして経産省はこのガイドに沿って、事務次官育成に取り組んでいるのだろうか。

私の連載「原典回帰」は、エドモン・メールの『自主管理への道』です。

えっ?何それというのが99.9%の反応でしょうが、その昔1970年代には、マルクス主義に夢破れた社会主義者の理想像として、自主管理社会主義というのがえらく流行したことがあったんです。

実は、今は立派な労働研究者の大御所になっている方々の中にも、若き日に自主管理の夢を掲げた方もいます。

その自主管理の理論が花開いていたフランスの話を、日本の戦後史を振り返りつつ、例によってやや斜に構えた感じでサルベージしてみました。

・・・・ CFDTの自主管理思想が現実政治の中で労働法制として現実化したのは、ミッテラン政権下でオルー法として制定された企業内労使関係システムの強化でした。そしてその後も政権交代を繰り返しながらも、この企業内労使関係の強化という方向性は今日に至るまで変わっていません。一番最近の、2017年のマクロン政権による労働法改革も、企業別協定を産業別協約の上位に置き、企業レベルの従業員代表機関を統合するなど、企業別主義を貫いています。今やフランスでも自主管理という言葉はほとんど使われませんが、自主管理思想がもたらした企業内労使関係の確立という方向性は強まる一方です。

 ところが皮肉なことに、その企業内労使関係こそが、戦後日本労使関係システムの基盤であり、1970年代から90年代にかけての時期に日本型雇用システムの柱の一つとしてもてはやされたものなのです。その背景には、戦後確立した日本型労使関係の出発点に終戦直後の生産管理闘争などのある種の強烈な労働者自主管理思想があり、それをうまく取り込む形で、労働者の小集団が職場の主人公として経営改善に取り組んでいくという仕組みが作り上げられたという経緯があります。そしてむしろそういう労働者自主管理的なまでの企業中心主義が1990年代に左右両派から批判を浴びるようになる中で、やや無気力に維持され続けているのが企業内労使関係というのが今日に至る状況です。このあたりの、日本独自の文脈における自主管理思想の持った意味については、もっと広い観点から分析される必要があるとは思いますが、とりあえず本書を紹介することで、その糸口をつけてみたいと思います。・・・・

・・・・・

・・・・ここまで読んでくると、自主管理思想の理想郷は戦後日本社会だったのか?と思わず言いたくなります。あるいは、前々回取り上げたG.D.H.コールの『労働者 その新しい地位と役割』における「パートナーシップ」の称揚を思い出した人もいるかもしれません。

 いずれにしても、フランス自主管理思想はフランスなりの文脈において、学歴がそのまま職業資格として権威的指揮命令関係を正当化し、集団的労使関係は企業の外側にのみ活発に存在し、企業内には入り込めないような労働社会のあり方を根本から変革するという問題意識に基づいて発展してきたものです。しかしそれを労働運動の政治的枠組みの都合で出羽の守よろしく輸入した先の日本の労働社会は、それとは全く別の文脈で動いている社会でした。集団的労使関係はほとんど企業内にしか存在せず、それも具体的な職場レベルでの人間的なつながりが大きな役割を持ち、企業内での経験による知識が企業外教育による知識よりも重視されるような、あべこべの世界です。そのあべこべの世界では、フランスでは上述のような労使関係の企業内化という革新的な役割を果たした自主管理思想は、現に存在する日本型労使関係の正当性を弁証するという保守的な役割以外を果たせる可能性はなかったのかもしれません。

 1990年代以降、日本社会における言説の主流は、労働者が自主管理的に企業に一体化し、猛烈に働く有り様を、「企業人間」とか「社畜」と批判する(左派的な)思想と、企業が労働者集団によって自主管理企業まがいに経営されている状況を市場原理から厳しく批判する(右派的な)思想になりました。そういう時代には、労働者自主管理などという考え方は、(実のところ労使のかなり多くの部分が内心は支持しているとしても)とても恥ずかしくて表立って主張しにくい代物になってしまった感があります。1970年代に労働者自主管理に関する論文をいくつも書いていた中谷厳氏が、1990年代には竹中平蔵氏と並んで市場原理主義のイデオローグとして活躍したことは、2008年頃から再び180度転換したこととも併せ、時代の変遷を感じさせます。

 おそらく今の若い世代は、40年前に「労働者自主管理」が論壇のホットトピックであったことすらほとんど知らないでしょう。今となっては当時の熱を偲ぶよすがもほとんどありませんが、思想と文脈という問題を考える上で、大変興味深い実例であることだけは間違いないと思います。   

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