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2018年7月30日 (月)

メンバーシップ型採用と差別

ネット上にこういう記事がありましたが、

https://note.mu/atnote/n/na7ad7dce0304(就職面接で生い立ちを聞いても良いのですか)

先日,学生を話をしていたときのことです。すでに就職は決まっている学生なのですが,面接で自分の両親のことや生い立ちのことを聞かれて,「そんなことを聞いていいのか」と疑問に思ったそうなのです。

なぜなら,苦しい生い立ちの学生がいるかもしれません。特殊な境遇で育った学生がいるかもしれません。苦しい子ども時代のことを回答したくない,という学生もいることでしょう。もしも何らかの思想信条が絡んできたとして,それで就職できない,というのは大きな問題でしょう。

このような可能性があるのに,生い立ちを聞いてしまっていいのか,という疑問を抱いていたのでした。・・・・

ここから、話は例のジョブ型、メンバーシップ型に広がっていき、

このように考えると,明らかに日本の就活というのはメンバーシップ型で行われていることが分かります。

そして,事前に職務の範囲が定まっていないのですから,採用が「人物重視」になるのです。・・・・

・・・・日本の就職は「就社」と揶揄的に言われることもあります。
職に就くのではなく,会社に入るのです。そして入ってしまえば,たいていどのような仕事もこなすことが求められます。

だから,生い立ちを聞いてしまうのです。
何ができるかよりも,どのような人物であるかが会社にとって重要だと考えてしまうような枠組みが,社会の中にあるからです。

と進んでいきます。労働法学に詳しい人なら、ここで例の三菱樹脂事件最高裁判決を思い出すでしょう。

Chuko拙著『若者と労働』から、その解説部分も含めて引用すると、

 しかしながら、日本の最高裁判所は一九七三年の三菱樹脂事件判決において、信条を理由として雇入れを拒否することを違法でもなければ公序良俗違反でもないと容認しました。これは日本における広範な採用の自由を認めた先例であり、その後の裁判はすべてこの枠組みの中にあります。これは、学生運動に従事していたことを隠して採用された労働者が試用期間満了時に本採用を拒否された事案ですが、最高裁は次のような理屈で信条による採用差別を正当化しています。

「企業者において、その雇傭する労働者が当該企業の中でその円滑な運営の妨げとなるような行動、態度に出るおそれのある者でないかどうかに大きな関心を抱き、思想等の調査を行うことは、企業における雇傭関係が、単なる物理的労働力の提供の関係を超えて、一種の継続的な人間関係として相互信頼を要請するところが少なくなく、わが国におけるようないわゆる終身雇傭制が行われている社会では一層そうであることにかんがみるときは、企業活動としての合理性を欠くものということはできない。」

 ここに現れているのは、特定のジョブに係る労務提供と報酬支払いの債権契約ではあり得ないような、メンバーシップ型労働社会における「採用」の位置づけです。それは、新規採用から定年退職までの数十年間同じ会社のメンバーとして過ごす「仲間」を選抜することであり、その観点から労働者の職業能力とは直接関係のない属性によって差別することは当然視されるわけです。

ところが、これだけだと、「自分の両親のことや生い立ちのこと」まで聞くのも当たり前だということになりかねません。しかし、それに対してはむしろ行政機関は長年にわたって就職差別をしないようにと指導をし続けてきているのです。さて、この両者はどういう関係にあるのでしょうか。

https://www.mhlw.go.jp/www2/topics/topics/saiyo/dl/saiyo-01.pdf(公正な採用選考をめざして)

理屈の上で厳密に言えば、上記最高裁判決の発想と「公正な選考採用を目指して」は矛盾するはずですが、それが露呈しなかったのは、かつての日本型高卒採用の世界では、学校がその卒業して就職する生徒の(能力のみならずその人格に至るまで)保証することによって、会社が個々の生徒にプライバシーに関わることをいちいち聞かなくても、大丈夫だという安心感を与えていたからなのでしょう。

逆に言えば、そういう個人レベルの差別を露呈させない組織間関係に基づく社会的メカニズム(本田由紀さんの言うところの「赤ちゃん受け渡しモデル」)が希薄化し、とりわけ大卒者の就職(「就社」)においては、そのような保証メカニズムが乏しく、求職者個人が労働市場でその能力や人格を吟味されてしまうようになってくると、その間の矛盾が露呈せざるを得なくなるのでしょうか。

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コメント

本文リンクの厚労省「公正な採用選考をめざして〜平成30年版」の「はじめに」の文章が素直にいいですね。一部引用しますと…

「… 差別のない合理的な基準による採用選考とは、人種・信条・性別・社会的身分又は門地などではなく、本人の適 性と能力のみを基準として採用選考を行うことにほかなりません。以上のことから、雇用主は応募者に広く門戸を開いた上で、本人の適性と能力のみを基準とした『公正な採用選考』を行うことが求められているということがいえます。

本人の適性と能力のみを基準とした『公正な採用選考』を行うためには、本籍地や家族の職業などの本人に責任のない事項や、宗教や支持政党などの本来自由であるべき事項(思想・信条にかかわること)など、本人が職務を遂行できるかどうかに関係のない事項を採用基準としないのは当然のことですが、それらの事項を応募用紙や 面接などによって把握すること自体が、就職差別につながるおそれがあるということを十分認識する必要があります。

それらの事項は、採用基準としないつもりであっても、把握すれば結果としてどうしても採否決定に影響を与 えることとなりますし、また、それらの事項を尋ねられたくない応募者に対して精神的な圧迫や苦痛を与えた り、そのために本人が面接で実力を発揮できなかったりする場合があり、結果としてその人を排除することにも なりかねないからです。

厚生労働省は、これまでも就職と教育の機会均等を完全に保障することが同和問題などの人権問題の中心的課題であるとの認識に立って、応募者の基本的人権を尊重した公正な採用選考が実施されるようにするための諸施策を積極的に実施し、雇用主の皆様方に御理解と御努力をお願いして参りましたが、今般、雇用主の皆様に 公正な採用選考の基本的な考え方を再確認いただき、さらなる取り組みを行う際に活用できる資料として、本冊子を作成しました。…」(引用完)


あまり定かではないのですが、厚労省がこの「公正な採用基準」を最初にきっちりと世に問うたのは20年近く前、確か世紀の変わり目の頃だったかと…。私の知る限りここに書かれている選考基準の内容それ自体はごく一般的な人権思想に基づく世界共通のものですが、やはり日本において少々苦しいのは(三菱樹脂事件の軛のせいでしょうが)、これを事業主に対してお願いベースの「〜をめざして」とか「〜が望まれる」というソフトな努力義務的な言い回しでしか出来ないことですね。

ただ仮に2018年のいま、最高裁で同様の事件が扱わればさすがに会社は負けるでしょう。そこで初めて、この採用選考基準が行政によるガイドライン(〜をめざして)から法律によるレギュレーションに格上げされ、その結果この(中途半端な)ガイドラインとしての役割を終えることになるのかと思われます。

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