« いわゆる生活残業 | トップページ | 「ホワイトカラーエグゼンプションの虚構と真実」@『世界』2007年3月号 »

高度でもプロフェッショナルでもないごく普通の新入社員が無制限の時間外・休日労働にさらされる国だった今までの日本を、ひたすら美化する人々の群れ・・・

別エントリのコメント欄から転載。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/06/hr-b879.html#comment-117025230

そもそも、過労死した人の圧倒的大部分は、現に異次元の労働時間(無)規制の下にある一般労働者なのであって、高プロばかりをフレームアップすること自体が、きわめて意図的な歪んだ議論であるという認識が私の基本にあります。そのことは今まで10年以上私が書いたりしゃべってきたことを読めばよくお分かりのはずですが、なかなか通じていないように見えるのは私の不徳の致すところなのでしょうね。

しょせん、「いわゆる生活残業」も含む、経営者側から見て合理的でない残業代の是正が目的のエグゼンプションを、あたかも労働者のためであるかのようなウソの議論でくるんで繰り返し提出してきた政府に対しても、私は全然同情するところはありませんが、それにしても、上限規制さえ入れればそれなりに合理的な制度である高プロをあたかもそれのみが長時間労働を許してしまう唯一の極悪非道であるかのようなインチキ極まるフレームアップをするような人々の道徳性を、私はあまり信用していないということは、これも繰り返し述べてきたところです。

それだけです。

もひとつ。

>つまり今回の法律以降は     高プロのみが長時間労働を許してしまう唯一の規定 であるとはいえると思います。

その「今回の法律」がまだ成立もしていない段階で、

すなわち、過労死する「異次元の危険」という点では、一般労働者もまったく同じである状態において、

あたかもすでに一般労働者には立派な労働時間規制があって、過労死する危険性などまったくないのに、新たに設けられる高プロとやら「だけ」が過労死する危険なものであるかのようなプロパガンダをまき散らし、

その、過労死する危険のもとであるからといって高プロをつぶすために、実はそれと全く同じ危険にさらされている一般労働者のための時間外規制を含む働き方改革推進法案を全部廃案にせよという政治的主張を発し続けた人々の、

そういう人々の非道徳性を、私は言っています。

現実に過労死の現実的危険性にさらされている一般労働者への時間外労働の上限規制(それはなお不十分なものであるとはいえ)を弊履のごとく吐き捨ててでも、

その今現在一般労働者の危険性と同様の(いや、正確に言えば、上限規制がない点では同じですが、一般労働者にはない休日規制がある点だけはやや危険性が少ないとすらいえる)高プロだけを、残業代がなくなるから潰したいという本音をひそかに隠して、それだけが危険であるかのようなプロパガンダを平然とやってのけられる人々の、

そういう人々の非倫理性に我慢がならないのです。

少なくとも、今回の一連の動きの中で、一般労働者への時間外の上限規制があるから法案は成立させなければいけないという、極めてまっとうな意見を言う人に対して、何とかの手先みたいに悪罵を投げ続けた人々は、今現在の労働時間(無)規制」の悲惨な実態を、あたかも今現在素晴らしい労働時間規制があって一般労働者はみなそれに守られておるかのごときプロパガンダを繰り返していました。

そういう連中は全部インチキ野郎だと思っています。

毎年何百人も出る過労死労働者の圧倒的大部分は、そのご立派な労働時間規制とやらに守られているはずの、一般労働者です。

だから私は、わざわざ北海道まで行って、過労死防止学会の席上で

「ボーッと生きてんじゃねえよ!!!」

と咆哮してきたのですが、鈍感な人々にはまったく通じていなかったようですね。

まっとうな労働問題の専門家であれば、たった今までの日本こそが、高度でもプロフェッショナルでもないごく普通の新入社員が無制限の時間外・休日労働にさらされる国であり、それゆえに99年前のILO第1号条約すら批准できない情けない国であり、今回の法改正でようやく、そういう状況から(なお相当に不十分とはいえ)それなりにまっとうな状態に脱却できたのであるということがわかっているはずですが、ある種の人々はわかっているのにあえてそれを秘めかくして、もっともらしいプロパガンダに励むようです。

 

|
|

« いわゆる生活残業 | トップページ | 「ホワイトカラーエグゼンプションの虚構と真実」@『世界』2007年3月号 »

コメント

法案作成や国会審議の御経験の多いhamachan先生に対して、ソフトウェアを作った経験しかない私が申しあげる事ではないかもしれませんが。


>ほんの数年後に今国会の議事録を読む人がいたら、データがどうとか野村不動産がどうだとか、法律をどう動かしていくかという観点からはなんの役にも立たない、なんとつまらないトリビアばかりやたらに時間をかけて議論していたことかと驚きあきれるであろう質疑内容とは対照的に

国会では、法律をどう動かしていくかという観点だけでなく、なぜその法律が必要なのかという観点からも質疑されるのではないでしょうか?この法案では必要性の根拠となるデータの妥当性に疑問が出てきたのでいろいろと質疑されたと思うのですが、このような質疑は驚きあきれられるべき事なのでしょうか?

また野村不動産は、質疑の中で政府が“裁量労働制の違法適用に対して従来より厳しい監督指導を徹底する”例としてあげたものです。これは法律をどう動かしていくかという観点に関するものだと思います。しかし実際には政府が野村不動産に対して監督指導を行ったのは従来と同じく過労死の申請があったからだったと思います。つまり政府の”従来より厳しい監督指導を徹底する”という、法律をどう動かしていくかという観点に関する発言に疑問が出てきたのでいろいろと質疑されたと思うのですが、このような質疑は法律をどう動かしていくかという観点からはなんの役にも立たない議論だったのでしょうか?

投稿: Alberich | 2018年7月 1日 (日) 13時11分

ですから、わたしは「あたかも労働者のためであるかのようなウソの議論でくるんで繰り返し提出してきた政府に対しても、私は全然同情するところはありません」と言っています。

表層の、お互いに嘘で固めた議論ばかりでもっともらしく何事か中身のあることを議論しているかのように振舞ってみせるのは、もういい加減止めたらどうですか、という気持ちで書いてます。

そのおためごかしの議論もどきのせいで、本当に議論すべきことがほとんど(全然とは言わないにしても)議論されないままで国会質疑というせっかくの機会が費やされてしまったことは、少なくとも政治で飯を食っている人々及びその周辺の人々以外のごく普通の労働者たちにとっては、この上なくもったいないことであったと、私は思っています。

まあ、そう思わない人々、物事のプライオリティの順位が全く違う人々がいることはよく理解していますが。

結局、「高度でもプロフェッショナルでもないごく普通の新入社員が無制限の時間外・休日労働にさらされる国だった今までの日本」という事実認識から逃げ続ける言い訳として、政府の愚かな行為のあれこれをひたすらあげつらい続けるような「国会審議の御経験の多い」方々の、労働時間規制の本質を見失った国会テクニックの積み重ねが、素直に法規制の中身「だけ」を考えることをできなくしてしまったのが、今回の長くも空疎な空騒ぎの実相ということになりそうです。

投稿: hamachan | 2018年7月 1日 (日) 13時23分

>上限規制さえ入れればそれなりに合理的な制度である
高プロをあたかもそれのみが長時間労働を許してしまう
唯一の極悪非道であるかのようなインチキ極まるフレーム
アップをするような人々の道徳性を、私はあまり信用して
いない

 高プロに対しては、今回の国会での審議と並行する形で法政大学の上西充子氏がその問題性をあらゆる機会を捉えて批判し、法案が可決されるのに反対していたと私は理解していますが、とするとブログ主(あえてお名前は書きませんが)は、上西氏の「道徳性を」も「あまり信用して
いない」ということになるのでしょうか。そうだとすれば、ブログ主は、実に見事な御用学者だとしか言いようがありません。

 そもそも高プロは、「高度」でも「プロフェッショナル」でもないものになることが当初から予定されたものとして導入されようとしており(確か経団連あたりは、ゆくゆくは年収400万円以上の人に適用となることが望ましい、という立場ではなかったでしょうか)、ある識者曰く「毒まんじゅう」だというのは実に適切な指摘ではないでしょうか。今回の法案の中に、労働者の環境を多少ましにするものが含まれていたとしても、そのパッケージの中に毒まんじゅうを入れねばならない理由などはまるでなく、例えば上記上西氏の批判もこの点に由来しているのではないでしょうか。それを理解すれば、良心的な労働法制学者としてまずすべきは、今回の法案に対する批判であり、政府与党の姿勢に対する批判ではなかったでしょうか。

投稿: vox_populi | 2018年7月 2日 (月) 08時40分

その問題点なるものは全て、法規制そのもの、法制度そのものではなく、政策立案過程の不備にかかわるものだけであったと、私は理解しています。
もちろん、それ「も」大事でないわけではないけれども、問題の本質は法制度そのもののあるべき姿は何であるか、という点でなければならないはずであり、その点に関する限り、
「たった今までの日本こそが、高度でもプロフェッショナルでもないごく普通の新入社員が無制限の時間外・休日労働にさらされる国であり、それゆえに99年前のILO第1号条約すら批准できない情けない国であり、今回の法改正でようやく、そういう状況から(なお相当に不十分とはいえ)それなりにまっとうな状態に脱却できたのであるということ」
についていかなるスタンスであるのかを明確にすることなく、いわば政府側の敵失をひたすらあげつらうこと『のみ』に専念する議論であったように思われます。

そして、上西さんが労働法に関心を持ち始める遥か以前から、労働時間規制と残業代規制の問題について、労働問題研究者の目に入るようなメディアに山のように書いたり喋ったりしてきた私としては、それら全てを平然とスルーして、法規制そのものではない玄関先の入り口論だけで全てを論じ尽くせるかの如き議論の横行に対しては、一言言わざるを得なくなるのは当然でしょう。


投稿: hamachan | 2018年7月 2日 (月) 09時40分

ブログ主が勤務時間インターバルの重要性を昔から説いておられたということは良くわかりました。ただ、例えば今回の法案に対しては、労働問題の実態に最も詳しい人々の集まりだと思われる日本労働弁護団も、ご案内のとおり、
「働き方改革関連法案の採決強行に対する抗議声明」
http://roudou-bengodan.org/topics/7250/
を出しています(「過労死を考える家族の会」も同様に抗議していたことは言うまでもありません)。ブログ主はなぜこういう人々とも協調しようとしないのでしょうか。

 でたらめが山盛りの法案の中の、評価に値するかもしれない一部だけに焦点を当てて、ブログ主が
「たった今までの日本こそが、高度でもプロフェッショナルでもないごく普通の新入社員が無制限の時間外・休日労働にさらされる国であり、それゆえに99年前のILO第1号条約すら批准できない情けない国であり、今回の法改正でようやく、そういう状況から(なお相当に不十分とはいえ)それなりにまっとうな状態に脱却できたのであるということ」
という言葉を連呼される姿を見るにつけ、少なくとも私にはこれは、協調しない態度(これを、前のコメントで使った表現に再度言い換える必要はないでしょうが)としか見えないのですが。

 もっとましな法案を出し直せ、と言うほうがよほど道理にかなっていたように、少なくとも私には思えます。

投稿: vox_populi | 2018年7月 3日 (火) 20時52分

私の前のコメントは1つ前の記事(いわゆる生活残業)へのコメントを誤ってこの記事に投稿してしまいました。
申し訳ありませんでした。

私はhamachan先生の反対派に対する評価の中で次の3点がよく理解できません

(1)一般労働者には立派な労働時間規制があり過労死する危険性は全くない と主張している
 法案の反対派で
    一般労働者には立派な労働時間規制があり過労死する
    危険性は全くない
と主張した人がいたのでしょうか?少なくとも私はそのような主張を聞いた事がありません。
私の聞いた範囲では、反対派は
    現在の労働時間規制の不備によって過労死する労働者が
    いるが、高プロではその不備がもっとひどくなるので
    過労死の危険性がもっと高くなる
と主張していたと思います。私は法案の賛成派も反対派も
  ・現在の労働時間規制の不備により過労死する労働者がいる
  ・この法案ではその不備が減り過労死する労働者は減る
という事は認めていると思います。そして反対派は
    多数の労働者の過労死の危険を減らすために少数の
    労働者の危険を増やす
という事に反対しているのだと思います(99匹の羊を守るために1匹をさらに危険にしてよいか?)。反対派は危険が増える労働者を作らずに過労死の危険を減らす(法案の労働時間規制を残し高プロの規定をなくす)事を目指していると思います。

(2)高プロをつぶすために時間外規制を含む法案を全部廃案にせよ と主張している
 (1)で申し上げたように高プロ反対派の多くは、法案の全部撤回ではなく高プロの部分の削除を求めていたと私は思います。高プロ部分を削除し時間外規制だけの対案を提出した政党もあったと思います。問題点の指摘によって裁量労働制の範囲拡大規定は法案から削除されたので、同様に高プロの規定も削除させようという方針はそんなに無茶苦茶な方針だとは私は思いません。

(3)本音は過労死を防ぐ事ではなく残業代がなくなる事を防ぐ事である
 現在の高プロ法案では裁量労働制の範囲拡大規定は削除されたので、ほとんどの労働者にとって残業代がなくなる事はありません。そのような法案に対して残業代がなくなる事を理由に反対する人がどの程度いるでしょうか?私は反対派の少なくとも過半数は残業代がなくなる事ではなく高プロの過労死の危険を理由に反対していると思います。例えば過労死された方の御遺族やそれに共感する人の本音が残業代がなくなる事を防ぐ事だとは思えません。
なぜhamachan先生は残業代がなくなる人がほとんどいない法案に反対する人の本音が残業代がなくなる事を防ぐ事だと思われるのでしょうか?


>その今現在一般労働者の危険性と同様の(いや、正確に言えば、上限規制がない点では同じですが、一般労働者にはない休日規制がある点だけはやや危険性が少ないとすらいえる)高プロだけを、

hamachan先生は、
   高プロの過労死の危険性は現在の一般労働者の危険性と
   同じかそれより低い
とお考えなのでしょうか?
わたしはこれまでそのような意見を(賛成派からも)聞いた事がなかったので、
   高プロは現在の一般労働者よりも過労死の危険性が高い
と思っていました。どちらの意見が正しいかは私には判断できませんが、もしhamachan先生のご意見が正しいのであれば私は高プロ法案に賛成してもよいと思います。
しかしそうであれば賛成派はこのことをもっと反対派に主張すべきだったと思います。(3)で申し上げたように、過労死された方の御遺族をはじめ高プロ法案の反対派の大部分は高プロの過労死の危険性が高いと思ったから反対していると思います。高プロの過労死の危険性が現在の一般労働者の危険性と同じかそれ以下である事を示してそれらの方を説得できれば、法案の反対派はずっと減ると思います。

投稿: Alberich | 2018年7月 3日 (火) 22時02分

そもそも、時間外労働の上限規制という今回の法改正案自体、ごく最近までほとんど実現可能性の乏しいものでした。

働き方改革が始まった段階ですら、同一労働同一賃金の前のめりな姿勢に比べて、時間外規制にはなお慎重な姿勢でした。

それが潮目が変わったのは、高橋まつりさんの事件からです。

そして、その勢いは、昨年秋までは強いものでしたが、突然の解散総選挙で出ばなをくじかれた後、与党内部では、しばらく鳴りを潜めていた反対派が、中小企業が対応できない、このままではつぶれると騒ぎだし、2月から3月、4月初めにかけてのころには、そのまま法案を提出することも危ぶまれる状況になりつつありました。

残念ながら、今回表層で騒いでいた人々は、こういう複層的な政治的状況の絡み合いの姿がほとんど見えていないようです。

労働組合の人や新聞記者はある程度分かっている人がいたはずですが、下手なことを言ってたたかれるのが嫌なのであまり発言していないようですけどね。

表層で騒いでいる人には理解できないのかもしれませんが、客観的な状況を冷静に見れば「もっとましな法案を出し直せ」などとのんきな台詞をのたまわって居られるほど、時間外上限規制は盤石なものではありません。

今回の機を逸したら、今度はそう簡単に出せなくなる危険性も結構あったと思っています。

愚かな野党が、せっかく与党が出した進歩的な法案を、その一部にケチをつけてつぶしたために、その後実現できなくなったいい例があります。

小泉内閣の時に政府が提出した人権擁護法案です。

そういう愚かな行為を、政局にめしいた野党は二度も三度も繰り返そうとします。

労働法政策の歴史に詳しい私の目から見ると、そういう愚行を祭り上げて踊り狂っている人々はため息の対象でしかありません。

(人権擁護法案については、もし解説が必要なら解説しますが、できれば自分でちゃんと調べてみることをお勧めします。与党がそれなりにいい法案を出してきたときに、つまらない欠点をフレームアップして潰すと、どういう帰結が待っているかのいい教訓になります)

投稿: hamachan | 2018年7月 3日 (火) 23時32分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/3288/73779384

この記事へのトラックバック一覧です: 高度でもプロフェッショナルでもないごく普通の新入社員が無制限の時間外・休日労働にさらされる国だった今までの日本を、ひたすら美化する人々の群れ・・・:

« いわゆる生活残業 | トップページ | 「ホワイトカラーエグゼンプションの虚構と真実」@『世界』2007年3月号 »