「ビジネスマン」って誰のこと?
https://twitter.com/fujitatakanori/status/1018530576834310146
これも不思議なんだけど、日本の労働者だけ努力すれば必ず、将来は企業の取締役など、いわゆる資本家になれるのではないか、と淡い期待を抱いている。努力が報われるとホントに思っている。そこにつけこむ資本家との攻防はなかなか表面化しない。
うーむ、現象論的には確かにそうなんですが、そこをもう一歩も二歩も突っ込まないと、肝心の労働者の意識に届かないのではないかとも思われます。
ちょうど同じ日に、yamachanブログが、新庄耕『カトク 過重労働撲滅特別対策班』(文春文庫)を早速書評していて、まさにこのポイントを取り上げていました。
http://social-udonjin.hatenablog.com/entry/2018/07/15/151434
また、登場人物が労働基準監督官をなじる台詞は、あるあるネタの宝庫である。・・・・・
とまあ、これらはよく言われることなのだが、これらが全て経営者の台詞ではなく普通の「労働者」であることに、労働環境の病理の一端が垣間見える。「経営者目線を持て」と会社で言われ、自ら進んでそういったタイトルのビジネス書を読んで駆り立てられているビジネスマンも少なくないだろう。
「経営者目線よりもまず最低限の労働者目線を持てよ」と個人的には思うのだが、「働き方改革」が表面的に取り繕われた結果、中間管理職の労働者にしわ寄せがいってしまうおそれもある以上、簡単に斬って捨てることのできない問題である。
そう、労働基準監督官によって監督される側の経営者自身というよりも、その監督によって保護されるはずの労働者自身によって、なじられるのです。それが「あるあるネタ」の宝庫であるという点に、日本の労働社会のありようがよく透けて見えるといえるでしょう。
「王よりも王党派」ならぬ、労働者が経営者よりも経営者マインドになってしまうこの現象については、何回かエッセイに取り上げてきましたが、サルベージするならやはりこれでしょうか。
https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=183 (「ビジネスマン」って誰のこと?)
日本の書店の経営コーナーに行くと、「ビジネスマン」という言葉をタイトルに冠した本が山のように-修辞ではなくほんとに山のように-並んでいます。amazonのサイトで「ビジネスマン」で検索したら、出るわ出るわ、『ワンランク上にみえる ビジネスマンの常識力テスト』『ビジネスマンは35歳で一度死ぬ』『丸の内流 一流を目指すビジネスマンの生き方とルール』等々、日本にはこんなに多くの「ビジネスマン」がいるのだな、と感銘を受けます。
でも、それらの圧倒的に多くの本が謳っている「ビジネスマン」とは、そしてそれらの本の読者の圧倒的大部分は、英語で言う「businessman」じゃなく、英語で言えば「employee」に過ぎない和風「びじねすまん」なんですね。
そういえば、20年以上前、バブル華やかなりしころ、「ジャパニーズ・ビジネスマン」の歌が高らかに響いていました。どう考えても管理職ですらないような若手商社員に扮した時任三郎が、栄養ドリンクを飲みながら、「24時間戦えますか?」と、長時間労働を称揚するコマーシャルの場面でした。
言うまでもなく「businessman」とは企業家、実業家という意味です。雇われて働くのではなく、雇う側の人間を指す言葉です。ところが、日本ではこの言葉がほとんどもっぱら雇われる側の人間を指す言葉になってしまっています。時系列的に見ていくと、ある時期まで「サラリーマン」という言葉で表象されていたホワイトカラー労働者が、「ビジネスマン」に(言葉の上だけ)昇格していったようです。「サラリーマン」は和製英語ですが、「salaried employee」のことだと意味は通じます。しかし和風「びじねすまん」は英語の「businessmen」とは逆の意味になってしまっているので、かえってやっかいです。
本当の「businessman」であれば、そもそも労働法の適用対象ではないので、24時間戦おうが、365日戦おうが、文句を言う筋合いではありません。ところが、和風「びじねすまん」は、本人の脳内はともかく、客観的には雇用労働者に過ぎませんから、24時間戦ってもらっては困ります。しかし逆に言えば、雇用労働者に過ぎない人が自分を「びじねすまん」だと思いこんで24時間働いてくれることは、企業からすれば大変ありがたいことなのかも知れません。
近年問題となっているブラック企業現象の背景には、もともと雇用安定と引き替えに長時間労働志向的な日本型雇用システムがあることはよく指摘されることですが、実はそれだけではないように思われます。私自身、雑誌『POSSE』における萱野稔人さんとの対談で、1990年代から強い個人型ガンバリズムがベンチャー企業の経営者を理想像として描き出し、それをとりわけ若い労働者たちに吹き込むことで、保障なき「義務だけ正社員」、「やりがいだけ片思い正社員」がどんどん拡大し、それが「ブラック企業」というかたちで露呈してきているのだと述べました。
そういう詐術が可能であった一つの背景事情として、本来雇う側を指す言葉であったはずの「ビジネスマン」が、日本ではもっぱら雇われる側を指す言葉として用いられながら、その生き方のモデルは原語の含意を引きずり続けたことがあるのではないでしょうか。
日本の、法律上の用語では「労働者」たち、かつての日常用語では「サラリーマン」だった人たちに今必要な言葉は、「君たちはビジネスマンなんかじゃないんだよ!」なのかもしれません。
もひとつついでに、『POSSE』で今野晴貴さんと対談したときのこの一節もこの問題の根っこにかかわっています。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-40cf.html (「通常の労働者」から「普通の労働者」へ)
濱口:これはおそらく労働にかかわるいろんな人たちにとって、ややタブーに触れる議論になるんですが、ここに触れないと絶対にブラック企業の問題が解決しないと思っていることがあります。それは、エリート論をエリート論としてきちんと立てろということなんです。つまり、日本では、本当は一部のエリートだけに適用されるべき、エリートだけに正当性のあるロジックを、本来はそこには含まれない、広範な労働者全員に及ぼしています。
そもそもどんな企業であれ、組織であれ、中枢部にはエリートがいるということです。逆にいうと、多くの人はエリートではないんです。ところがここのところが一番議論に抜けているところなんですね。
まず、本来のエリートは、労働条件だけとれば、ものすごくハードで、そう呼びたければブラックな働き方です。ブラックになるような働き方をあえて自ら選び、かつそれを十分補うような高い処遇を受けている人のことを、エリートといいます。
次に、日本的正社員は、そうしたエリートまがいのハードな働き方をしつつ、それに応じた処遇を少なくともその時点では到底受けていません。だから、その時点ですぱっと切ってしまうと、どうみてもブラックにしか見えません。でも、その職業人生の先の方まで含めて主観的に考えれば、定年までの雇用保障と年功制による高い処遇と釣り合いがとれているのでブラックでないのが日本的正社員でした。
そして、日本型正社員であるかのような顔をさせつつ、実はその先の保障がなく、退職に追い込まれて、しかも本人が悪いと思い込まされているのが、現代の正真正銘のブラック企業の労働者です。三つに分類して整理するとこんなところです。
日本の法律では「正社員」のことを「通常の労働者」と呼んでいます。パート法8条1項に裏側から規定されているように、日本の「正社員」とは「当該事業主との雇用関係が終了するまでの全期間において、その職務の内容及び配置が・・・…変更すると見込まれるもの」です。しかし、職務や配置が変わるのがデフォルトというのは、欧米では「通常の労働者」じゃありません。
重要なのは、日本の「通常の労働者」を欧米社会的な意味での「普通の労働者」に、変えていくことです。ただいきなりそうもできないので、そこに向けてどうしていくかです。
そこであえて私は、有期雇用のまま5年経つと無期契約に転換するという、今回の労働契約法の改正に意味があると主張しています。もちろん、5年経つ直前に雇止めされるだろうという批判はありますが、それは一応抜きにして言います。この改正では、有期雇用から無期になるだけで、待遇が正社員になるわけではなく、有期のときと労働条件は同一であるとわざわざ明記しています。そのことを差別だと言ってはいけません。これは日本の「正社員」とは異なる無期契約労働者になるということ、つまり日本でも欧米型の「普通の労働者」が誕生するということです。ここから一歩進めて、有期雇用で5年待たずとも、最初から「普通の労働者」をつくろうという方向に向かえばいいのではないかと考えています。
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藤田孝典氏の指摘してる「日本の労働者」というのは、どちらかといえば、かつての、八十年代までに家父長的なAT&TやIBMのような大企業に存在していた古典的な「組織人」という印象があります。
雇用制度を「日本型」「欧米型」という枠組みではなく、かつてのビジネス社会における、「組織人」と「ビジネスマン」の共通点を軸にして論じるべきです
投稿: harappa5 | 2018年7月18日 (水) 01時03分