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2018年7月

「ビジネスマン」って誰のこと?

Bg0u6sld_400x400 昨日、藤田孝典さんがこういうツイートをしていて、

https://twitter.com/fujitatakanori/status/1018530576834310146

これも不思議なんだけど、日本の労働者だけ努力すれば必ず、将来は企業の取締役など、いわゆる資本家になれるのではないか、と淡い期待を抱いている。努力が報われるとホントに思っている。そこにつけこむ資本家との攻防はなかなか表面化しない。

うーむ、現象論的には確かにそうなんですが、そこをもう一歩も二歩も突っ込まないと、肝心の労働者の意識に届かないのではないかとも思われます。

20180715134844 ちょうど同じ日に、yamachanブログが、新庄耕『カトク 過重労働撲滅特別対策班』(文春文庫)を早速書評していて、まさにこのポイントを取り上げていました。

http://social-udonjin.hatenablog.com/entry/2018/07/15/151434

また、登場人物が労働基準監督官をなじる台詞は、あるあるネタの宝庫である。・・・・・

とまあ、これらはよく言われることなのだが、これらが全て経営者の台詞ではなく普通の「労働者」であることに、労働環境の病理の一端が垣間見える。「経営者目線を持て」と会社で言われ、自ら進んでそういったタイトルのビジネス書を読んで駆り立てられているビジネスマンも少なくないだろう。
「経営者目線よりもまず最低限の労働者目線を持てよ」と個人的には思うのだが、「働き方改革」が表面的に取り繕われた結果、中間管理職の労働者にしわ寄せがいってしまうおそれもある以上、簡単に斬って捨てることのできない問題である。

そう、労働基準監督官によって監督される側の経営者自身というよりも、その監督によって保護されるはずの労働者自身によって、なじられるのです。それが「あるあるネタ」の宝庫であるという点に、日本の労働社会のありようがよく透けて見えるといえるでしょう。

「王よりも王党派」ならぬ、労働者が経営者よりも経営者マインドになってしまうこの現象については、何回かエッセイに取り上げてきましたが、サルベージするならやはりこれでしょうか。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=183 (「ビジネスマン」って誰のこと?)

 日本の書店の経営コーナーに行くと、「ビジネスマン」という言葉をタイトルに冠した本が山のように-修辞ではなくほんとに山のように-並んでいます。amazonのサイトで「ビジネスマン」で検索したら、出るわ出るわ、『ワンランク上にみえる ビジネスマンの常識力テスト』『ビジネスマンは35歳で一度死ぬ』『丸の内流 一流を目指すビジネスマンの生き方とルール』等々、日本にはこんなに多くの「ビジネスマン」がいるのだな、と感銘を受けます。

 でも、それらの圧倒的に多くの本が謳っている「ビジネスマン」とは、そしてそれらの本の読者の圧倒的大部分は、英語で言う「businessman」じゃなく、英語で言えば「employee」に過ぎない和風「びじねすまん」なんですね。

 そういえば、20年以上前、バブル華やかなりしころ、「ジャパニーズ・ビジネスマン」の歌が高らかに響いていました。どう考えても管理職ですらないような若手商社員に扮した時任三郎が、栄養ドリンクを飲みながら、「24時間戦えますか?」と、長時間労働を称揚するコマーシャルの場面でした。

 言うまでもなく「businessman」とは企業家、実業家という意味です。雇われて働くのではなく、雇う側の人間を指す言葉です。ところが、日本ではこの言葉がほとんどもっぱら雇われる側の人間を指す言葉になってしまっています。時系列的に見ていくと、ある時期まで「サラリーマン」という言葉で表象されていたホワイトカラー労働者が、「ビジネスマン」に(言葉の上だけ)昇格していったようです。「サラリーマン」は和製英語ですが、「salaried employee」のことだと意味は通じます。しかし和風「びじねすまん」は英語の「businessmen」とは逆の意味になってしまっているので、かえってやっかいです。

 本当の「businessman」であれば、そもそも労働法の適用対象ではないので、24時間戦おうが、365日戦おうが、文句を言う筋合いではありません。ところが、和風「びじねすまん」は、本人の脳内はともかく、客観的には雇用労働者に過ぎませんから、24時間戦ってもらっては困ります。しかし逆に言えば、雇用労働者に過ぎない人が自分を「びじねすまん」だと思いこんで24時間働いてくれることは、企業からすれば大変ありがたいことなのかも知れません。

 近年問題となっているブラック企業現象の背景には、もともと雇用安定と引き替えに長時間労働志向的な日本型雇用システムがあることはよく指摘されることですが、実はそれだけではないように思われます。私自身、雑誌『POSSE』における萱野稔人さんとの対談で、1990年代から強い個人型ガンバリズムがベンチャー企業の経営者を理想像として描き出し、それをとりわけ若い労働者たちに吹き込むことで、保障なき「義務だけ正社員」、「やりがいだけ片思い正社員」がどんどん拡大し、それが「ブラック企業」というかたちで露呈してきているのだと述べました。

 そういう詐術が可能であった一つの背景事情として、本来雇う側を指す言葉であったはずの「ビジネスマン」が、日本ではもっぱら雇われる側を指す言葉として用いられながら、その生き方のモデルは原語の含意を引きずり続けたことがあるのではないでしょうか。
 
 日本の、法律上の用語では「労働者」たち、かつての日常用語では「サラリーマン」だった人たちに今必要な言葉は、「君たちはビジネスマンなんかじゃないんだよ!」なのかもしれません。

Hyoshi17 もひとつついでに、『POSSE』で今野晴貴さんと対談したときのこの一節もこの問題の根っこにかかわっています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-40cf.html (「通常の労働者」から「普通の労働者」へ)

濱口:これはおそらく労働にかかわるいろんな人たちにとって、ややタブーに触れる議論になるんですが、ここに触れないと絶対にブラック企業の問題が解決しないと思っていることがあります。それは、エリート論をエリート論としてきちんと立てろということなんです。つまり、日本では、本当は一部のエリートだけに適用されるべき、エリートだけに正当性のあるロジックを、本来はそこには含まれない、広範な労働者全員に及ぼしています。
そもそもどんな企業であれ、組織であれ、中枢部にはエリートがいるということです。逆にいうと、多くの人はエリートではないんです。ところがここのところが一番議論に抜けているところなんですね。
まず、本来のエリートは、労働条件だけとれば、ものすごくハードで、そう呼びたければブラックな働き方です。ブラックになるような働き方をあえて自ら選び、かつそれを十分補うような高い処遇を受けている人のことを、エリートといいます。
次に、日本的正社員は、そうしたエリートまがいのハードな働き方をしつつ、それに応じた処遇を少なくともその時点では到底受けていません。だから、その時点ですぱっと切ってしまうと、どうみてもブラックにしか見えません。でも、その職業人生の先の方まで含めて主観的に考えれば、定年までの雇用保障と年功制による高い処遇と釣り合いがとれているのでブラックでないのが日本的正社員でした。
そして、日本型正社員であるかのような顔をさせつつ、実はその先の保障がなく、退職に追い込まれて、しかも本人が悪いと思い込まされているのが、現代の正真正銘のブラック企業の労働者です。三つに分類して整理するとこんなところです。
日本の法律では「正社員」のことを「通常の労働者」と呼んでいます。パート法8条1項に裏側から規定されているように、日本の「正社員」とは「当該事業主との雇用関係が終了するまでの全期間において、その職務の内容及び配置が・・・…変更すると見込まれるもの」です。しかし、職務や配置が変わるのがデフォルトというのは、欧米では「通常の労働者」じゃありません。
重要なのは、日本の「通常の労働者」を欧米社会的な意味での「普通の労働者」に、変えていくことです。ただいきなりそうもできないので、そこに向けてどうしていくかです。
そこであえて私は、有期雇用のまま5年経つと無期契約に転換するという、今回の労働契約法の改正に意味があると主張しています。もちろん、5年経つ直前に雇止めされるだろうという批判はありますが、それは一応抜きにして言います。この改正では、有期雇用から無期になるだけで、待遇が正社員になるわけではなく、有期のときと労働条件は同一であるとわざわざ明記しています。そのことを差別だと言ってはいけません。これは日本の「正社員」とは異なる無期契約労働者になるということ、つまり日本でも欧米型の「普通の労働者」が誕生するということです。ここから一歩進めて、有期雇用で5年待たずとも、最初から「普通の労働者」をつくろうという方向に向かえばいいのではないかと考えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

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40代問題@『DIO』339号

Dio 『DIO』339号をお送りいただきました。特集は「職業人生の折り返しを迎えた働く
40代の今を考える」です。

http://www.rengo-soken.or.jp/dio/pdf/dio339.pdf

就業面における世代としての特徴 神林 龍 ………………………4
40代の「学び」について 中原 淳 ………………………9
40代のストレス対処法 下園 壮太 …………………13
共働き夫婦間の家事育児分担 梶谷 真也 …………………19

最近、40代が他の世代に比べて賃金が伸び悩んでいる、昇進スピードが落ちているという声が強いですが、最初の神林さんのインタビューは、いろいろな条件を考慮しなければいけないよと、冷静な労働経済学者らしい冷や水をかけています。

大変面白かった部分を引用しておきます。

・・・・80年代後半、90年代から、大卒者が急速に増えました。この増加した分は、ほぼ女性の大卒者の増加で説明できます。男性の大学進学率はそれほど上がらなかったのですが、女性の大学進学率が急上昇したことは、今ではよく知られているのではないでしょうか。その背景には、80年代以前の出発点で、男性の大学進学率と女性の大学進学率が大きく違っていたことがありました。

 これは労働経済学の研究者の間ではひとつの共通見解になっていると思うのですが、80年代に、例えば、男性の7割ぐらいが大学進学をして、女性は4割ぐらいしか大学進学しなかったとしましょう。それが90年代に入ると、男性は7割であまり変わらないものの、女性は6割まで上昇するとどうなるでしょう。能力分布でみると、新たに大卒になったのは、女性の40パーセント点から60パーセント点ぐらいの人にあたるわけです。もし男性と女性の能力分布が同じとすれば、この女性の40パーセント点から60パーセント点までの人は、男女合わせた全体の能力分布の真ん中に位置します。そのため、男性の能力分布の70パーセント点だった人の相対的な位置は、女性の大卒の割合が4割から6割まで増えた分、自分は何も変わらないのに、大卒の中の順番がそのまま2割ぐらい下がってしまいます。
 男性大卒の70パーセント点の人からすると、90年代に入ると、自分より能力が高い女性が大卒になったため、80年代であれば就けた仕事が大卒女性に取られてしまい、非正規になってしまったのかもしれない、ということになります。80年代から90年代にかけては、大卒男子の中で、大学に行くか行かないかというところにいた人は劇的な変化を被っていたはずです。

-同世代の女性の大学進学率の上昇の影響があったにもかかわらず、直前の世代がバブル世代であることもあって、大卒男子の就職難が景気要因でのみ説明されることが多いということでしょうか。

 バブルの世代は、女子の大学進学率は高くありませんでした。こうしたことを考慮せずにバブル世代と比べることは、コーホートの中の相対的な位置が変わっていることを理解できてないことになります。40代の就職氷河期世代についての議論は、大学を卒業するときに不況に当たったということだけが強調されているわけですが、これは説明要素の一つに過ぎないわけです。

 

 

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ジャパンビバレッジ事件@『POSSE』39号

9784909237170_600『POSSE』39号をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

http://www.npoposse.jp/magazine/no39.html

特集は表紙にもあるように「#MeTooはセクハラ社会を変えられるか?」なんですが、

◆特集「#MeTooはセクハラ社会を変えられるか?」

少女を買う大人にNO!と言える社会に
――性売買の実態とセクハラ社会ニッポンの醜態

仁藤夢乃(女子高生サポートセンターColabo 代表)

女性専用車両への悪質な乗り込みを止めるために
――加害者に責任をとらせるためのヘイトウォッチ戦略

梁英聖(NPO法人反レイシズム情報センター代表)

包括的な支援でセクハラに対抗する
――セクハラと闘う労働組合パープル・ユニオンの取り組み

佐藤香(パープル・ユニオン執行委員長)

#MeToo の風をユニオンの力に変えて
――セクハラ被害を訴え続けた当事者とユニオンの闘い

本誌編集部

女性を孤立させる社会を終わらせるために
竹信三恵子(ジャーナリスト 和光大学教授)

今回は先ずそれよりも、ジャパンビバレッジの件を取り上げたいと思います。

◆緊急企画「東京駅の自販機を空にした労働組合」

私はブラック企業と闘い続ける
――ジャパンビバレッジのストライキ闘争

北良樹(ジャパンビバレッジ現職従業員)×青木耕太郎(総合サポートユニオン代表)

ジャパンビバレッジ闘争への応援メッセージ
――ブラック企業が蔓延する社会を変えるために

常見陽平(千葉商科大学専任講師)×森﨑巌(全労働省労働組合委員長)×栗原耕平(AEQUITAS)×原田仁希(首都圏青年ユニオン)

立ち上がる労働者たち
第1回 会社を懲らしめたい!

北良樹(ジャパンビバレッジ現職従業員)

労働者の階層分離とジャパンビバレッジ闘争の意義
――階層としての「一般労働者」の大規模な出現と新しい労働運動の可能性

今野晴貴(NPO法人POSSE代表)

ただ、POSSEサイドから見ると、これは典型的なブラック企業事案ということになるのでしょうが、労働法制の歴史から考察すると、実はジャパンビバレッジがやっていたことは、悪意ではなかった可能性があるのです。しかし、それがユニオンによって指摘され、監督署の指導を受けた後の対応は相当の悪手であったようです。

この件、要約すると、ルートセールスと称する飲料補充業務に事業場外見なし労働時間制を適用していたことが発端です。

この事業場外見なし制とは、労基法38条の2に基づき、事業場外勤務であって「労働時間を算定しがたいとき」に適用されるとされています。

法律に規定されたのは1987年ですが、終戦直後に労基法が施行されたときから、省令で存在し、セールスマンにはほとんどこれが適用されてきたのが実態です。

その昔の情報通信環境であれば、営業マンがいったん会社を出た瞬間から戻るときまで、どこで何をやっているかというのは把握もできないし管理もできないというのが常識でした。

この制度が法律に格上げされた1987年の段階でも、通達で「無線やポケベルで随時使用者の指示を受けながら労働していたらだめよ」と言っています。

ポケベルって何??

そうじゃのう、まだ世の中に携帯電話なるものがなかった古代の機器じゃわい。

その後、携帯電話が普及し、スマホが普及し、今や事業場外だからといって「労働時間を算定しがたいとき」というのはほとんど考えられなくなっています。

にもかかわらず、そう、ここが重要です、今日においても、事業場外労働制の適用企業は12.0%に上ります。ちなみに、何かと話題になる裁量労働制は、専門業務型が2.5%、企画業務型が1.0%に過ぎません(昨年の就労条件総合調査)。

裁量制の方は、実際に裁量を与えているかなので個別に見ないと正しい裁量制かどうかは分かりませんが、事業場外の方は、スマホで随時連絡なんぞしてたら即アウトのはずです。法律の原則からすればですね。

でも、それこそ戦後70年間ずっとセールスマンは見なし制という鉄壁の常識でやってきた人々にとっては、それが違反というのは、ちょうど医療法の宿直をやっているつもりだったら、それが労基法の監視断続労働に当たらないといきなり言われたようなもので、たぶんまことに心外きわまる話だったのではないかと想像されます。

おそらく、ジャパンビバレッジの側からすると、セールスなんだから事業場外見なしは当たり前じゃないかと思っていたら、ユニオンに文句を付けられ、監督署からも指導を受け、やむなく未払い残業代を払ったけれども、腹ふくるる思いがあって、それがその後のユニオンに対する不当労働行為的行動につながっているように見えます。すれは愚かな行動なんですけどね。

その意味で、これはある特異な会社の事例というよりは、戦後長らく続いてきた慣習がもはや維持できなくなっているセールスという世界の問題が露呈したもののように思われます。

POSSEの観点とはかなり違うかも知れませんが、そういう視点から見ることで、例えば似たような状況にある会社にとっては他山の石として参照することができるようにも思われます。

(参考)

外回り営業職の労働時間制度(『労基旬報』2018年2月25日号 )

 今国会に提出予定の働き方改革関連法案には、昨年3月の働き方改革実行計画に盛り込まれた時間外労働の上限規制だけでなく、2015年に国会に提出されたまま棚ざらしになっていた高度プロフェッショナル制度と企画業務型裁量労働制の提案型営業職等への拡大が盛り込まれていることが政治的争点になっています。マスコミレベルでは前者の方がフレームアップされがちですが、法律上適用に年収下限のある高度プロフェッショナル制度よりも、労働側が本気で問題視しているのは後者の方です。連合の要請に応えて3年勤続要件など若干の修正が施されたとはいえ、かなりの対象拡大になると見込まれているからです。ただ、この問題を考える上で補助線として引いておく必要があるのは、これまで外回りの営業職に対してかなり当然のように適用されてきた事業場外労働のみなし労働時間制が、情報通信技術の発展によって適用の根拠が崩れてきているということです。
 これはもともと、事業場外で働くために労働時間が算定しがたい場合に通常の労働時間労働したものとみなすという仕組みで、終戦直後から省令レベルで存在していましたが、1987年の労働基準法改正で法律に規定されたものです。裁量労働制が制度導入自体に労使協定ないし労使委員会の決議が必要であるのに対して、事業場外労働は「所定労働時間労働したものとみな」されるので、特段の手続は必要ありません。ただし、「当該業務を遂行するためには通常所定労働時間を超えて労働することが必要となる場合」には「当該業務の遂行に通常必要とされる時間労働したものとみな」されます。過半数組合又は過半数代表者との労使協定でその「通常必要とされる時間」を定めることができますが、そうしなければならないというわけではありません。裁量労働制に比べて、手続規制がかなり緩い制度設計となっています。 
 もっとも、その際出された通達(昭和63年基発第1号)で、「事業場外で業務に従事する場合であっても、使用者の具体的な指揮監督が及んでいる場合については、労働時間の算定が可能であるので、みなし労働時間制の適用はない」と釘を刺し、その例として「事業場外で業務に従事するが、無線やポケットベル等によって随時使用者の指示を受けながら労働している場合」を挙げています。携帯電話もいわんやスマートフォンも存在しなかった30年前の情報通信環境を前提にした記述ですが、今日でもなおこの通達は生きています。しかし、ということは、厳格にこの通達の趣旨に従って解釈すれば、ほとんど大部分の外回りの営業職はみなし労働時間制を適用できないことになるはずだということでもあります。
 ところが昨年12月27日に公表された平成29年就労条件総合調査を見ても、企画業務型裁量労働制を採用している企業が1.0%、専門業務型裁量労働制の企業も2.5%に過ぎないのに、事業場外みなし制の企業は12.0%と圧倒的に多いのです。労働者割合でみても、企画業務型裁量労働制が0.4%、専門業務型裁量労働制が1.4%に対して事業場外みなし制は6.7%です。業種別に見ると、不動産業・物品賃貸業で22.5%、卸売・小売業で21.0%と、営業職に使っていることが窺われます。彼らはほとんどすべてスマホを使いながら営業活動しているはずですから、実態として法的にはかなり危うい状況にあるのです。
 一方、働き方改革実行計画に基づいて昨年末に取りまとめられた柔軟な働き方に関する検討会報告は、「情報通信技術を利用した事業場外勤務の適切な導入及び実施のためのガイドライン(案)」を提示しています。そこで対象とされているのは本来メインオフィスで行う作業を社外で行ういわゆるテレワークであり、具体的には在宅勤務、サテライトオフィス勤務、モバイル勤務ですが、スマホ片手の営業活動だって「情報通信技術を利用した事業場外勤務」には違いありません。このガイドラインで注目すべきは、これまでの在宅勤務ガイドライン(2004年、2008年)が一定の要件下で事業場外みなし制を採ることを前提としていたのに対し、通常の労働時間制度を適用することをデフォルトとしてテレワーク特有の留意事項を示し、その上でフレックスタイム制、事業場外みなし制、裁量労働制をとる場合の留意事項を記していることです。いわば、事業場外で労働するから自動的に事業場外みなし制というわけにはいかないよ、ということをやや間接的に示しているような形です。
 このガイドラインは直接外回りの営業職を対象にしているわけではありませんが、間接的には大きな影響を与えるでしょう。少なくとも、「情報通信機器が、使用者の指示により常時通信可能な状態におくこととされていないこと」とか「随時使用者の具体的な指示に基づいて業務を行っていないこと」という要件を厳格に適用すれば、事業場外みなし制が適用できる営業職はほとんどなくなるはずです。そうすると、労働時間を算定することが困難ではないけれども業務の性質上その遂行の方法を労働者に委ねることを根拠とするみなし労働時間制、つまり裁量労働制を何とか使えるようにしたいという要望が出てくるのは不思議ではありません。冒頭述べた、提案型営業職への企画業務型裁量労働制の拡大というのは、その依って来たる所以を深掘りしてみると、外回り営業職の労働時間制度をめぐる水面下の地殻変動が潜んでいるようにも思われます。

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麻野進『会社員の終活』

9784827211351麻野進さんの『幸せな定年を迎えるために 50才からやっておくべき《会社員の終活》41のルール』(ぱる出版)をお送りいただきました。「終活」といっても死ぬ準備というわけではなく、会社員としての「終活」ということのようです。

http://pal-pub.jp/?p=4863

公的年金の支給開始年齢が65歳になり、少なくともそこまでは働かなくてはならない。しかし会社員には活躍期である「賞味期限」と、リストラされないで済む「消費期限」があることを忘れてはならない。晩節を汚して定年退職するような人は、悲惨な末路になっているが、周囲から慕われ、惜しまれて退職する人は充実した第2、第3の人生を謳歌している。幸せな定年(定年後)を迎えられる人と、そうでない人の違いは、『いかに上手に残り少ない、会社員の人生を終わらせられるか』にある。その具体的な生き方、考え方、身の処し方の注意点、ポイントについてアドバイスした一冊。

いろいろと書かれていますが、やっぱり50代の老兵諸氏が熟読玩味すべきはこの節でしょう。

4 後進の邪魔をする職場の困った中高年オジサンになっていはいけない

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これは焦った・・・

いやいや、さすがにそれはない・・・。

https://twitter.com/ryunoshin_tamo/status/1016970301219921920

日本型雇用システムとは、諸外国と比較して日本が大きく異なった労働システムを構築しているっていう意味で括っているので、、 濱口桂一郎先生が分類したところ広まった観念ですね。

ち、ち、ちょっとそれはなんぼなんでも。日本型雇用システムをめぐる議論には長い歴史があります。私はそれ自体には特に何も付け加えておらず、近年の労働政策との関係でそれに「ジョブ型」とか「メンバーシップ型」というラベルを貼って論じただけなので、わたしが「分類」しただの、それで「広まった」だのと言われると、偉い先生方の逆鱗に触れますのでどうかご容赦を。

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『インバウンドでチャンスをつかめ』

51uc0m6hc4l__sx350_bo1204203200_例によって、讃井暢子さんより経団連出版刊行の本をお送りいただいたんですが、それが『インバウンドでチャンスをつかめ-中小企業における訪日外国人受け入れの現状と課題』という本で、書いたのは日本政策金融公庫総合研究所編。

http://www.keidanren-jigyoservice.or.jp/public/book/index.php?mode=show&seq=514&fl=

うむ、あんまり労働問題と関係なさそうだなと思ってぱらぱらめくっていくと、第5章の「インバウンドにみる多文化共生社会とは―地域社会における外国人住民との相互理解のために」で、外国人労働者についても触れていました。

中小企業における訪日外国人受け入れの現状と課題

★世界のインバウンドの動向がわかる
★外国人旅行者が集まる企業はどこが違うのか? 
★観光立国に向けての課題がわかる

日本を訪れる外国人旅行者は毎年増加し、2018年には3,000万人を超える見込みです。人口減少が進み、国内市場の多くが縮小するなか、外国人旅行者を対象とする観光産業は数少ない成長市場です。ただし、どの企業にもまんべんなく外国人が訪れているわけではありません。多くの外国人旅行者を獲得して業績を伸ばしている企業もあれば、まったく外国人旅行者が来ない企業もあります。

本書は、観光産業(小売業、飲食店、宿泊業、運輸業)の中小企業2,300社に行ったアンケート結果をもとに、インターネットの活用やキャッシュレス決済への対応など、マーケティングや顧客サービスの観点から、多くの外国人旅行者が訪れる企業の特徴を探ったものです。観光産業のボトルネックや外国人住民政策との統合など、日本が観光立国を実現していくうえでの課題も取り上げました。

第1章 インバウンド受け入れの意義と動向
インバウンド受け入れの経済的・社会的意義/日本経済とインバウンド
/世界のインバウンド/日本のインバウンド

第2章 中小企業におけるインバウンド受け入れの実態
インバウンドの受け入れ状況/経営への影響/インバウンドが多く集まる企業の特徴
/インバウンド受け入れに関する今後の方針/中小企業全体への影響

第3章 拡大する訪日市場と受け入れ態勢の課題
              -宿泊業からみたボトルネックの点検-
訪日市場の動向/訪日市場のボトルネックと観光政策の点検

第4章 インバウンドの増加と国内旅行業
インバウンド市場と国内の旅行会社の訪日旅行事業の現状/インバウンド市場と海外の旅行業
/今後に向けての課題とインバウンド需要を取り込むための視点

第5章 インバウンドにみる多文化共生社会とは
       ―地域社会における外国人住民との相互理解のために
問題の背景とリサーチクエスチョン/自治体の多文化共生施策にみられる変化
/自治体と企業の連携-海外送金サービスを通した地域の情報発信

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兼業・副業の労働時間管理

ようやく働き方改革法が成立し、これから膨大な省令やら指針やらになりますが、まあそれは既定路線ですが、も一つ大きな話が始まります。例の兼業・副業に係る労働法制の整備の話で、雇用保険と労災保険は既に始まっていましたが、ようやく本丸の労働時間法制も始まるようです。

https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi2/0000178584_00001.html(第1回「副業・兼業の場合の労働時間管理の在り方に関する検討会」を開催します)

しかしね、所詮制度設計をどう修正するかである雇用保険、労災保険と異なり、「 労働者の健康確保や企業予見可能性にも配慮した、事事主を異する 場合の実効性ある労働時間管理」ってのは、そもそもの労働時間規制の本旨とは何かに深く関わるだけに、難しさは段違いだと思われます。労働者の健康確保や企業の予見可能性を配慮すればするほど、よその会社で働く労働時間もきちんと勘定に入れるようにしなければならなくなるはずだけど、そうすればするほど兼業や副業がやりにくくなるやないか、もちっとゆるめんかい、と叱られるわけです。

経産省が思いつきで打ち出したネタがひょいと働き方改革の柔軟な働き方に入り込み、ガイドラインでもうやる!って決まってしまったのを、改めてきちんと制度設計しなければならないわけで、なかなか大変です。

Kaihou1709large_jpg(参考1)

http://hamachan.on.coocan.jp/rouhoren1709.html(副業・兼業と労働法上の問題(『全国労保連』2017年9月号 ))

 今年3月、政府は「働き方改革実行計画」を策定しました。そのうち同一労働同一賃金と時間外労働の上限規制についてはマスコミ等も大いに書き立て、今臨時国会に法改正案が提出され、成立する予定です。しかし同実行計画にはそれ以外にも労働関係者が注目する必要のある項目が一杯つまっています。今回はそのうち、副業・兼業に関わるところを解説しておきたいと思います。
 まず、肝心の実行計画にどう書かれているかを確認しておきましょう。これは「柔軟な働き方がしやすい環境整備」という節の3番目の「副業・兼業の推進に向けたガイドラインや改定版モデル就業規則の策定」という項目です。
 副業・兼業を希望する方は、近年増加している一方で、これを認める企業は少ない。労働者の健康確保に留意しつつ、原則副業・兼業を認める方向で、副業・兼業の普及促進を図る。
 副業・兼業のメリットを示すと同時に、これまでの裁判例や学説の議論を参考に、就業規則等において本業への労務提供や事業運営、会社の信用・評価に支障が生じる場合等以外は合理的な理由なく副業・兼業を制限できないことをルールとして明確化するとともに、長時間労働を招かないよう、労働者が自ら確認するためのツールの雛形や、企業が副業・兼業者の労働時間や健康をどのように管理すべきかを盛り込んだガイドラインを策定し、副業・兼業を認める方向でモデル就業規則を改定する。
 また、副業・兼業を通じた創業・新事業の創出や中小企業の人手不足対応について、多様な先進事例の周知啓発を行う。
 さらに、複数の事業所で働く方の保護等の観点や副業・兼業を普及促進させる観点から、雇用保険及び社会保険の公平な制度の在り方、労働時間管理及び健康管理の在り方、労災保険給付の在り方について、検討を進める。
 これを読む上で頭の中をあらかじめ整理しておく必要があります。そもそも日本国の法律は民間労働者の副業・兼業を禁止していません。ただし、企業がその就業規則で従業員の副業・兼業を禁止することはあり得ます。というか、現実にはそれが圧倒的多数でしょう。とはいえ、就業規則で兼業を禁止しているからといって、直ちにそれが有効と認められるわけではありません。むしろ累次の裁判例は、原則として兼業を認めるべきであり、例外的な場合のみ禁止できると判示しています。事件の多くは兼業した労働者に対する懲戒解雇の事案ですが、最近注目を集めた裁判例としては、マンナ運輸事件(京都地判平成24年7月13日労働判例1058号21頁)が兼業を許可しなかったことを不法行為と認めた事案です。ちなみに筆者はこの判決を評釈しています(「兼業不許可の不法行為性--マンナ運輸事件」『ジュリスト』2013年9月号)。
 こうした判例の傾向を受けて、2005年9月の「今後の労働契約法制の在り方に関する研究会報告書」においては、兼業を禁止したり許可制とする就業規則や合意を原則として無効とすべきと提言されたこともあります。
 労働時間以外の時間をどのように利用するかは基本的には労働者の自由であり、労働者は職業選択の自由を有すること、近年、多様な働き方の一つとして兼業を行う労働者も増加していることにかんがみ、労働者の兼業を禁止したり許可制とする就業規則の規定や個別の合意については、やむを得ない事由がある場合を除き、無効とすることが適当である。ここで、やむを得ない事由としては、兼業が不正な競業に当たる場合、営業秘密の不正な使用・開示を伴う場合、労働者の働き過ぎによって人の生命又は健康を害するおそれがある場合、兼業の態様が使用者の社会的信用を傷つける場合等が含まれることとすべきである。
 ただし、兼業を一般的に認めることにより現行労働法上生じうる問題点を指摘しています。
 ただし、兼業の制限を原則無効とする場合には、他の企業において労働者が就業することについて使用者の管理が及ばなくなることとの関係から、労働基準法第38 条第1 項(事業場を異にする場合の労働時間の通算)については、使用者の命令による複数事業場での労働等の場合を除き、複数就業労働者の健康確保に配慮しつつ、これを適用しないこととすることが必要となると考えられる。
 これについては、労働時間の通算規定の適用を行わないこととすると労働者の過重労働を招き、結果として社会的なコストが増大するのではないかとの指摘も考えられるが、個々の使用者に労働時間を通算することの責任を問うのではなく、国、使用者の集団が労働者の過重労働を招かないよう配慮し、労働者自身の健康に対する意識も涵養していくことがより妥当ではないかと考えられる。
 この研究会は労働契約法という法律を新たに作るために有名な労働法学者を集めたもので、膨大な報告書ではこの他にも実にさまざまな論点が提起されていました。しかし、実際の立法過程に入ってからは、就業規則の不利益変更問題や解雇の金銭解決問題、さらには同時に審議された労働時間法制におけりいわゆるホワイトカラーエグゼンプションが大きな論争点となり、結局兼業禁止の原則無効化といった相対的に細かな(とはいえ法的な突っ込んだ検討が必要な)トピックはまともに議論されないまま先送りにされてしまいました。
 上で指摘されていた労働時間の通算規定について、労働行政当局は以前から、事業主を異にする場合も含まれると解釈してきているのです(昭和23年5月14日基発第769号)。労働時間規制には、労働者の健康と安全確保を目的とした物理的労働時間の規制という側面と、賃金と並ぶ労働者の労働契約条件としての労働時間の規制という側面があります。前者の観点からすれば、事業主を異にするからといって保護すべき労働者の健康と安全への影響が変わるわけではないので、複数事業主間で労働時間を通算すべきことは当然かもしれません。一方後者の観点からすれば、労働基準法37条に基づく時間外・休日労働の割増賃金のような労働契約条件は個々の使用者と労働者の間の問題である以上、複数事業主間で労働時間を通算することはむしろ筋が通らないということになります。
 日本には現時点では、年少者等を除けば一般的な物理的労働時間の上限規制は存在しませんが、労災補償法制及び労働安全衛生法制において、脳・心疾患に関する認定基準(平成13年12月12日基発第1063号)や医師による面接指導義務(労働安全衛生法第66条の8)といった間接的な規定が存在します。これらは直接的な労働時間規制ではないとはいえ、兼業禁止をめぐる議論において無視してよいものとも言いがたいでしょう。仮にこの認定基準に基づいて労災認定がされた場合、労災保険の法律上の根拠は労働基準法の労災補償責任である以上、その責任は誰にあるのか、という問いを避けられないからです。また、安全配慮義務に基づく労災民事訴訟の場合は、安全配慮義務と兼業容認義務との関係が問題となるでしょう。さらに、今臨時国会で成立予定の時間外労働の上限規制が施行されれば、労働時間の事業主間通算問題は大問題になるはずです。しかし、現時点でそういう指摘はされていないようです。
 とはいえ上記研究会報告もいうように、「労働時間以外の時間をどのように利用するかは基本的には労働者の自由」であり、労働時間が問題となる雇用労働以外の、自営業やボランティア等で過重労働することには何らこの労働時間の通算規定は及ばないのですから、過重労働のみを決め手とするのはやはり穴の空いた議論といわざるを得ない感があります。それこそ、徹夜でネットゲームし続けることだってあり得るわけですから、広い意味での過重労働対策は「労働者自身の健康に対する意識も涵養」することにあるというのも確かです。
 ちなみに、多重就労者の労働時間通算等に係る米英独仏蘭5カ国の法制度をとりまとめた報告書(『多重就労者に係る労働時間管理の在り方に関する調査研究報告書』)が、2011年3月に三菱UFJリサーチ&コンサルティングより出されています。竹内(奥野)久、神吉知郁子、富永晃一、関根由紀、本庄淳志の各氏による詳細な紹介と分析がなされており、この問題を考える上で参考になります。
 労働法上の問題としては、労災保険、雇用保険といった労働保険上の取扱いをどうするかという問題が喫緊の課題です。このうち、労災保険上の一つの問題だけは2005年の労災保険法改正で解決しています。それは、二重就業者が本業の勤務先から副業の勤務先へ移動する途中で災害に遭ったときに「通勤災害」として認めるというものです。ただ、実はこの時、労政審労災保険部会では通勤災害だけでなく、労災保険給付の算定基礎となる平均賃金をどう考えるのかという問題も提起されていました。しかしこの問題はこの時には決着は付かず、2004年12月の建議では、
 なお、複数就業者に係る給付基礎日額の算定方法の在り方については、複数就業者の賃金等の実態を調査した上で、労災保険制度の在り方に関する研究会中間とりまとめに示された考え方を参照しつつ、専門的な検討の場において引き続き検討を行うことが適当である。
とされており、そのままになっています。
 ここで引き合いに出されている2004年7月の「労災保険制度の在り方に関する研究会中間とりまとめ」を見ると、両事業場での賃金を合算すべきとしていました。
 労災保険給付額の算定は、被災労働者の稼得能力をできる限り給付に的確に反映させることが適当であると考えられることから、二重就職者についての給付基礎日額は、業務災害の場合と通勤災害の場合とを問わず、複数の事業場から支払われていた賃金を合算した額を基礎として定めることが適当である。
 しかし、この方向での改正は行われておらず、現在も「業務災害又は通勤災害による労働不能や死亡により失われる稼得能力は2つの事業場から支払われる賃金の合算分であるにもかかわらず、実際に労災保険から給付がなされ、稼得能力の填補がなされるのは片方の事業場において支払われていた賃金に見合う部分に限定される」という状態が続いています。
 最近の裁判例では、国・淀川労基署長(大代興業ほか1社)事件(大阪地判平成26年9月24日(労働判例1112号81頁)が、同じ施設内で機械警備及び設備管理と清掃業務を別の請負会社に雇用されて1日のうちに続けて就業していた労働者が過労死した事案で、原告側の合算すべきという請求を退けています。現行法上はそうせざるを得ないのですが、副業・兼業を国策として推進していくというのであれば、見直していく必要があるでしょう。実は今年5月2日の日経新聞にこういう記事が載っています。この方向での見直しは規定方針のようです。
 厚生労働省は労働者が仕事中のケガで働けなくなった場合に生活を支援する労災保険の給付を拡充する。今の仕組みでは複数の企業で働いていても、負傷した際に働いていた1つの企業の賃金分しか補償されない。複数の企業で得ている賃金に基づいて給付できるように制度を改める。副業や兼業といった働き方の多様化にセーフティーネットを合わせる狙いだ。
 厚労省は複数の企業で働いている人が労災認定された場合に、複数職場の賃金の合計額に基づいて給付額を計算する方式に改める。労働政策審議会での議論を経て関係法令を改正。早ければ来年度にも新しい仕組みを始める。
 同じ労働保険に属する雇用保険の適用関係についても、実は10年以上前から議論はされています。2006年2月の「雇用保険基本問題研究会」の「議論の整理」では、
 いわゆるマルチジョブホルダーのうち個々の就業においては短時間労働被保険者としての適用要件を満たさない者について、一定の範囲で適用することはできるか。仮に適用する場合、何を以て「失業」、「離職前賃金」「被保険者資格取得」等と捉えるのか。
という問題提起がされていました。しかしこちらもその後、雇用保険の見直しはひんぱんにされる中でずっと先送りされ続けてきましたが、働き方改革に背中を押されてやはり見直しを検討しているようです。こちらはもっと前の今年2月21日の日経新聞の記事ですが、具体的な改正内容も出ています。
 厚生労働省は雇用保険の適用を受ける人の範囲を広げる。いまは1つの会社で週20時間以上働く人が対象だが、複数の会社に勤務していても失業手当をもらえるようにする。兼業や副業で仕事を掛け持ちする労働者の安全網を手厚くして、柔軟な働き方を後押しする。来年にも国会に関連法の改正案を提出する。・・・
 雇用保険に入るには同じ会社で週20時間以上働くとともに、31日以上の期間にわたって仕事をするのが条件となる。兼業で働く人がA社で週10時間、B社で週10時間働いても、保険の対象にならない。こうした仕組みは兼業や副業といった働き方が増えるにつれ、現状に合わなくなってきている。厚労省は複数の企業に勤めていても、合計の労働時間が週20時間を超えていれば、雇用保険に入れるように制度を改める考えだ。
 しかし労災保険の場合と異なり、雇用保険の場合、A社を離職してもB社には勤続していれば「失業」にはならないのかといった、そもそも何が「失業」という保険事故に当たるのかという大問題があります。

(参考2)

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=630(労働時間通算規定の起源(『WEB労政時報』2017年2月27日))

 昨年7月25日付けの本欄で取り上げた「副業・兼業と労働法上の問題」が、その後急速に展開しています。9月27日の第1回働き方改革実現会議の最後において、安倍首相は9項目にわたるテーマを示しましたが、その中に「5番目に、テレワーク、副業・兼業といった柔軟な働き方」が入っていました。その後の同会議では、同一労働同一賃金の問題と長時間労働の是正の問題が主たる論点として取り上げられ、マスコミの注目を集めていますが、10月24日の第2回会議では副業・兼業の問題も取り上げられ、何人かの委員から意見が示されています。
例えば樋口美雄氏(慶應義塾大学商学部教授)は「これを認めるモデル就業規則の策定、あるいは、通算される労働時間における時間外労働の取り扱いなどについて、検討していく必要があるのではないかと思っております」と述べていますし、高橋進氏(日本総合研究所理事長)も「兼業・副業の場合における総労働時間の把握や雇用保険の適用関係など、必要な環境整備について検討して、ガイドラインを示すべきではないかと思います」と述べています。
 
 これは上記昨年7月の本欄でもかなり突っ込んで解説したことですが、その中で「同じ会社の別の事業場で働いても通算するというのは当然ですが、この条文について労働行政当局はかつてから、事業主を異にする場合も含まれると解釈してきているのです(昭23.5.14基発769)」と述べた点について、なぜ労働行政当局はそんな解釈をしてきたのだろうか、と疑問に感じた方はいないでしょうか。今回は、この他事業主も含めた労働時間通算規定の起源を探ってみたいと思います。
 
 まず、立案当時、厚生省労政局管理課長として労働基準法制定の責任者であった寺本廣作氏の名著『労働基準法解説』(時事通信社)をひも解いてみましょう。そこにはこういう記述があります。
 
 事業場を異にする場合は使用者が同一であつても又別人であつても、本法の労働時間制の適用についてはこれを通算する。工場法でも(第三条第三項)同様の規定があつた。使用者が別人である場合、労働者が他の事業場で労働していることを知らなかったときの違反については刑法の犯意に関する一般の原則(刑法第三十八条)が適用される。
 
 これを読むと、あたかも工場法には事業主が異なる場合でも通算するという明文の規定があったように誤解しかねませんが、そうではありませんでした。工場法3条3項はこういう規定でした。
 
就業時間ハ工場ヲ異ニスル場合ト雖(いえども)前二項ノ規定ノ適用ニ付(つい)テハ之(これ)ヲ通算ス
 
 戦後労働基準法の38条とほぼ同じです。工業主を異にする場合であっても通算するとは、少なくとも条文上は書かれていません。では、上記寺本氏の言っていることは嘘(うそ)なのかというと、戦前の労働行政当局の解釈としてはその通りだったのです。
 
 工場法が成立した後に、農商務省商工局長として工場法の制定施行に携わった岡實氏の名著『工場法論』(有斐閣)には、次のような記述がありました。
 
 尚(なお)職工カ同一日ニ二箇所以上ノ工場ニ於(おい)テ就業スル場合ニハ、就業時間ハ各工場ニ於(お)ケル就業時間ヲ通算スルコトヲ要ス、…尚数工業主ノ使用シタル時間ヲ合算シ法規違反ヲ公正スル場合ハ其の処罰ニ付稍(やや)困難ナル問題ヲ生スルバアイアルヘシ、今之ヲ詳論スルノ遑(いとま)ナシト雖、要スルニ職工使用ノ時ノ前後如何ニ拘泥セス故意ノ有無ニ依(よ)リ各工業主ニ付決定スヘキモノト信ス
 
 これは確かに異なる工業主の工場であっても通算するという趣旨ですが、調べた限りではその趣旨の通牒(つうちょう)は出されていないようです。あくまでも立法担当局長の意見としてその著書に書かれているにとどまります。
 
 さらに、この点については労働行政内部においても意見の変化があったようなのです。工場法の所管が農商務省から内務省社会局に移る前後を通じて本省の工場監督官として活躍した松澤清氏は、1918年に『工場法研究 解釈論』(有斐閣)を、1927年には『改正日本工場法 就業制限論』(有斐閣)を刊行しています。前者では岡氏の名著と同様に「蓋(けだ)シ法文ニハ単ニ工場ヲ異ニスル場合トノミアリテ工業主ノ異同ヲ問ハサルカ故ニ右何(いず)レノ場合ニ於テモ本項ノ規定ノ適用アルヘキモノト解スルヲ正当トス」と述べていたのですが、後者では次のように意見を翻しています。
 
 其(その)工業主ノ如何ヲ問ハス汎(ひろ)ク二個以上ノ工場ノ異ナル場合ヲ指スヤ将(は)タ同一ノ工業主ノ経営ニ係ル各異工場相互間ニツキテノ場合ノミヲ指スヤ疑ハシ、蓋し理論上ハ二ツノ場合を汎ク指スモノト解スヘキニ似タレトモ(余モ曾(かつ)テ此(この)説ナリシモ)本項ノ解釈トシテハ単ニ同一工業主カ二個以上ノ異ナリタル工場ヲ経営セル場合ノミヲ指スモノト解スルヲ正当トシ茲(ここ)ニ改ムルコトトス
 
 この問題は、戦前においてもこのように理論的には決着していなかったことが分かります。通牒が出されていないのは、そのような事案が本省に問い合わされることがなかったためでしょうが、そのため、戦後労働基準法が制定されるときには、制定当時の局長名著の記述があまり疑いを持たれることのないまま、解釈通達に盛り込まれてしまったのではないかと思われます。
 
 もっとも、工場法と労働基準法の違いを考えると、異なる事業主の場合の通算というのは工場法の規定だったからという面もありそうです。
ご承知の通り、戦後の労働基準法が管理監督者を除く原則として全業種の全労働者に対して1日8時間、1週48時間(1947年の制定当時)の労働時間規制をかけたのに対して、戦前の工場法は一定規模以上の工場に働く職工のうち、女子と年少者についてのみ就業時間規制をかけたに過ぎませんし、その水準も制定当時は1日12時間、その後の改正でようやく1日11時間となったに過ぎません。ある工場で12時間近く働いた女工を、別の事業主がまた何時間も働かせるというようなことは、工場法規制が女工の健康確保が主たる目的であったことを考えると、それなりに合理的な判断だったと言えないこともありません。
また、工場法は労働基準法と異なり、硬性の労働時間規制であって、法定就業時間を超えて働かせることは直ちに違法であり、36協定を締結すれば残業できるというわけでもなければ、その場合は割増賃金を支払えという規制もあり得なかったのです。このことからすれば、岡氏の名著の解釈は、把握の困難さを除けばそれほど奇妙なものでもなかったということもできるでしょう。
 
 逆に、戦後労働基準法の労働時間規制が、36協定によって無制限の時間外労働を可能とするものとなってしまい、制約は時間外割増手当が主であるという風に意識されるようになったことが、工場法時代の解釈を受け継いだ「異なる事業主間の通算」を、いかにも奇妙なものに感じさせるようになったのかも知れません。

というわけで、今回労基法に導入された時間外の上限規制の関係は工場法以来の公法的規制として、異なる事業主でも通算するけれども、時間外・休日手当の割増の関係はあくまでも個別雇用関係当事者間の労働契約の問題として通算しない、というのが、法制史から示唆される方向性のような気がします。

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日本医師会の働き方意見書

昨日開催された第8回 医師の働き方改革に関する検討会の資料がアップされていますが、

https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_00164.html

Logo_01注目すべきは日本医師会の医師の働き方検討会議がまとめた「医師の働き方改革に関する意見書」です。

https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000331104.pdf

基本的には「医師と医療の特殊性を鑑みると、一般業種とは違った 抜本的な制度改革が必要」という観点で書かれていますが、具体的な制度提案としては、医療法上の「宿直」と労基法上の監視断続労働たる宿日直の余りの乖離に対して、中くらいの宿日直の制度を作れといっています。

医師の宿日直には、 通常業務がほとんどない 「許可を受けた宿日直」( 断続的・監視労 働で労働時間の適用除外)と「通常業務と同じ宿日直」だけでなく、「通常より少ない」宿日直 があり全体の約半分を占めている (図表 3)。この実態を踏まえ、断続的・監視労働で も通常労働でない、 「中間的な働き方 」に対応する制度を構築する必要がある。・・・現行の宿日直 可基準 (労働時間適用除外)に関する 通達 は、今日においては、看護師 には適合しているが 医師 の業務には適合していなため 内容 を見直す 必要が ある 。

うーーん、しかしその「中間的」宿日直は少なくとも労基法41条3項の監視断続労働ではないはずなので、新たに部分的適用除外ないし新たな見なし労働時間制の条項を設けろと言うことなんでしょうか。

院外オンコール待機は、現在の裁判例でも労働時間とはされていないのでまあ妥当でしょう。また、休日確保やとりわけインターバル規制を推奨しているところは同感できます。

問題は時間外の上限規制にかかわるところで、

現状の医師の労働時間の分布状況、時間外労働時間規制を導入した場合の地域医療への影響等を考えると、一律の上限規制を設定すること自体が難しい。・・・

こうした調査結果等を踏まえ、同委員会答申では長時間労働の歯止めとして「医師の特別条項」、特別条項で対応が困難な場合の「医師の特別条項の『特例』」という医師独自の制度を提言している。本検討会議においても、この考え方を踏襲することが妥当と考える。

この「医師の特別条項」は「脳・心臓疾患の労災認定基準」とあるので、例の単月100時間を想定しているようですし、「医師の特別条項の『特例』」の方は「精神障害の労災認定基準」とあるので、月160時間を想定しているのかも知れません。

最後のまとめのところにあるように、労働基準法に医師を合わせることに対しては抵抗があるようです。

医師の働き方検討会議は現行制度を当然踏まえつも、「働き方を法令に合わせる」 のでなく、「法令を働き方に合わせる」という発想で提言をまとめ た。

医師会としてはそもそも医師は労働者なのかというのが根っこにあるのかも知れません。

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公立学校非常勤講師に対する労働基準法適用

毎日新聞にこういう記事がありまして、

https://mainichi.jp/articles/20180705/ddl/k27/040/358000c (是正勧告 授業準備時間にも報酬を 東大阪労基署、府教委に3度)

東大阪市にある府立高校の男性非常勤講師に賃金の未払いがあったとして、東大阪労働基準監督署が2017年~18年、府教委に3度の是正勧告を出していたことが分かった。府教委は非常勤講師について、準備などに要した時間に関係なく授業1コマ当たりの報酬を2860円に固定する制度(通称・コマ給)を採用しているが、労基署は労働時間に応じて対価を支払うよう求めた。府教委は勧告に従って、約20万円の支払いに応じた。

 授業教材作成などに従事した時間の対価が支払われないのは労働基準法違反だとして、非常勤講師が労基署に申告。府教委は「準備や成績評価などまで含めた対価として、コマ当たりの報酬は高めに設定している」と主張したが、労基署は認めなかった。府教委は勧告に従う一方、府立学校に2700人以上いる非常勤講師のコマ給の仕組みは維持。担当者は「管理職がすべての非常勤講師の勤務時間を管理、把握するのは難しい」と説明する。
 コマ給による未払い賃金は学習塾のアルバイト講師を巡っても問題になり、厚生労働省は学習塾業界などに改善を求めた。

これを見て、あれ?と思った方、そう、公立学校の先生にも労働基準法はちゃんと適用されているのです。しかし本題はそこではない。

ボーッと生きてんじゃねんよ!!地方公務員にも労働基準法が適用されているということすら知らない日本国民のなんと多いことか!!と慨嘆したいわけでもない。

ただ、公立病院のお医者さんセンセイの場合、単に労働基準法が適用されているだけではなく、それを行使する権限は労働基準監督署にあり、だから監督官が公立病院にやってきて、宿直と称して監視断続労働とは言えないようなことをやっているのを見つけては是正勧告をしたりするわけです。

ところが、同じセンセイと呼ばれる地方公務員である公立学校の先生の場合、労働基準法の規定は適用されているとは言いながら、それを監督するのは人事委員会、あるいは首長自身という、いささか奇妙な形になっていて、実質的に法律を適用する体制になっていないのですね。

学校の先生の労働時間問題のかなりの部分は、この法施行の権限のずれでもって説明できる面もあるのではないかとすら思っていますが、それはともかく、ここではじめの記事に戻ると、おや?労働基準監督署が是正勧告していますね。どうしてなんでしょうか。

ということで、ここから法制局的な説明に入ります。まず、労働基準法の大原則から。

(国及び公共団体についての適用)
第百十二条 この法律及びこの法律に基いて発する命令は、国、都道府県、市町村その他これに準ずべきものについても適用あるものとする。

この大原則をねじけさせている地方公務員法の規定です。

(他の法律の適用除外等)
第五十八条 ・・・
3 労働基準法第二条、第十四条第二項及び第三項、第二十四条第一項、第三十二条の三から第三十二条の五まで、第三十八条の二第二項及び第三項、第三十八条の三、第三十八条の四、第三十九条第六項、第七十五条から第九十三条まで並びに第百二条の規定、労働安全衛生法第九十二条の規定、船員法(昭和二十二年法律第百号)第六条中労働基準法第二条に関する部分、第三十条、第三十七条中勤務条件に関する部分、第五十三条第一項、第八十九条から第百条まで、第百二条及び第百八条中勤務条件に関する部分の規定並びに船員災害防止活動の促進に関する法律第六十二条の規定並びにこれらの規定に基づく命令の規定は、職員に関して適用しない。ただし、労働基準法第百二条の規定、労働安全衛生法第九十二条の規定、船員法第三十七条及び第百八条中勤務条件に関する部分の規定並びに船員災害防止活動の促進に関する法律第六十二条の規定並びにこれらの規定に基づく命令の規定は、地方公共団体の行う労働基準法別表第一第一号から第十号まで及び第十三号から第十五号までに掲げる事業に従事する職員に、同法第七十五条から第八十八条まで及び船員法第八十九条から第九十六条までの規定は、地方公務員災害補償法(昭和四十二年法律第百二十一号)第二条第一項に規定する者以外の職員に関しては適用する。

ごちゃごちゃしていますが、労働時間の原則を定めている労働基準法32条は「職員」にも適用されます。しかし、

5 労働基準法、労働安全衛生法、船員法及び船員災害防止活動の促進に関する法律の規定並びにこれらの規定に基づく命令の規定中第三項の規定により職員に関して適用されるものを適用する場合における職員の勤務条件に関する労働基準監督機関の職権は、地方公共団体の行う労働基準法別表第一第一号から第十号まで及び第十三号から第十五号までに掲げる事業に従事する職員の場合を除き、人事委員会又はその委任を受けた人事委員会の委員(人事委員会を置かない地方公共団体においては、地方公共団体の長)が行うものとする。

というわけで、「病者又は虚弱者の治療、看護その他保健衛生の事業」は労働基準監督著の管轄なのに「教育、研究又は調査の事業」はその管轄外で、自分で自分を監督するという形になっているのです。

別表第一(第三十三条、第四十条、第四十一条、第五十六条、第六十一条関係)
一 物の製造、改造、加工、修理、洗浄、選別、包装、装飾、仕上げ、販売のためにする仕立て、破壊若しくは解体又は材料の変造の事業(電気、ガス又は各種動力の発生、変更若しくは伝導の事業及び水道の事業を含む。)
二 鉱業、石切り業その他土石又は鉱物採取の事業
三 土木、建築その他工作物の建設、改造、保存、修理、変更、破壊、解体又はその準備の事業
四 道路、鉄道、軌道、索道、船舶又は航空機による旅客又は貨物の運送の事業
五 ドック、船舶、岸壁、波止場、停車場又は倉庫における貨物の取扱いの事業
六 土地の耕作若しくは開墾又は植物の栽植、栽培、採取若しくは伐採の事業その他農林の事業
七 動物の飼育又は水産動植物の採捕若しくは養殖の事業その他の畜産、養蚕又は水産の事業
八 物品の販売、配給、保管若しくは賃貸又は理容の事業
九 金融、保険、媒介、周旋、集金、案内又は広告の事業
十 映画の製作又は映写、演劇その他興行の事業
十一 郵便、信書便又は電気通信の事業
十二 教育、研究又は調査の事業
十三 病者又は虚弱者の治療、看護その他保健衛生の事業

十四 旅館、料理店、飲食店、接客業又は娯楽場の事業
十五 焼却、清掃又はと畜場の事業

ところが、もう一遍話がひっくり返って、学校の非常勤講師は労働基準監督署がやってくる、と。なぜかというと、地方公務員法の初めの方を見ていくと

(この法律の適用を受ける地方公務員)
第四条 この法律の規定は、一般職に属するすべての地方公務員(以下「職員」という。)に適用する。
2 この法律の規定は、法律に特別の定がある場合を除く外、特別職に属する地方公務員には適用しない。

第58条でごちゃごちゃ適用関係が複雑になっている「職員」というのは一般職だけだと。ではその一般職というのは何かというと、

(一般職に属する地方公務員及び特別職に属する地方公務員)
第三条 地方公務員(地方公共団体及び特定地方独立行政法人(地方独立行政法人法(平成十五年法律第百十八号)第二条第二項に規定する特定地方独立行政法人をいう。以下同じ。)のすべての公務員をいう。以下同じ。)の職は、一般職と特別職とに分ける。
2 一般職は、特別職に属する職以外の一切の職とする。
3 特別職は、次に掲げる職とする。
一 就任について公選又は地方公共団体の議会の選挙、議決若しくは同意によることを必要とする職
一の二 地方公営企業の管理者及び企業団の企業長の職
二 法令又は条例、地方公共団体の規則若しくは地方公共団体の機関の定める規程により設けられた委員及び委員会(審議会その他これに準ずるものを含む。)の構成員の職で臨時又は非常勤のもの
二の二 都道府県労働委員会の委員の職で常勤のもの
三 臨時又は非常勤の顧問、参与、調査員、嘱託員及びこれらの者に準ずる者の職
四 地方公共団体の長、議会の議長その他地方公共団体の機関の長の秘書の職で条例で指定するもの
五 非常勤の消防団員及び水防団員の職
六 特定地方独立行政法人の役員

ふむ、どうも公立学校の非常勤講師というのはこの第3号の「臨時又は非常勤の顧問、参与、調査員、嘱託員及びこれらの者に準ずる者の職」に相当し、それゆえ適用関係も労働基準法の大原則に素直に戻って、労働基準法がそのまま適用されるし、それを監督するのは人事委員会や首長さん自身ではなく、労働基準監督署がやってくるということになるというわけなんですね。

本日の法制執務中級編でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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欧州労連と連合のEPAに関する共同声明

現時点ではまだ連合のHPにアップされていないようですが、欧州労連(ETUC)の方にはアップされています。

https://www.etuc.org/sites/default/files/document/file/2018-07/Joint%20ETUC-RENGO%20Statement%20-%20Japanese%20version.pdf(日本・EU経済連携協定交渉に対する連合・ETUC共同声明)

文句を言っている部分は以下の通り。

・・・連合とETUCは、交渉における透明性の確保と社会的パートナーの関与について一貫して要求してきた。我々は、再三要求してきた効果的な労働監督に関する規定が最終合意書に組み込まれなかったことに対し、共に懸念する。我々はまた、ILO中核8条約のうち、強制労働の廃止に関する105 号条約および差別待遇(雇用・職業)に関する111 号条約を日本が未だに批准していないことを憂慮している。我々は、日本における2つの条約の早期批准と、EPAのすべての締約国が最新の国際労働基準を十分に尊重し、履行することを求める。
連合とETUCは引き続き、本協定のモニタリング(監視)に携わるとともに、このEPAによって労働者の権利と労働者保護が担保されるよう、欧州委員会、EU加盟国、日本政府に強く求める。

Luca20rengo202

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連合記者会見における外国人労働問題

連合HPに6月28日の記者会見の記録がアップされています。働き方改革法案への対応を巡る政局がらみのつまらないやり取りもありますが、注目すべきは外国人労働者導入問題について、かなり踏み込んだ発言をしていることです。

https://www.jtuc-rengo.or.jp/info/rengotv/kaiken/201806.html

微妙な言い回しながら、かなり踏み込んだ内容なので、ちょっと長めに引用しておきます。

神津会長 ・・・・・それから2つ目なんですが、これも一強政治の弊害の1つの表れだなと思うんですが、外国人材の受け入れについてのですね、政府の考え方が打ち出されています。連合としてこの問題についての考え方、今日確認をしていますのでまた詳しくは後ほど相原事務局長のほうからその点はお話をさせていただきたいと思いますが、私としてはこれ一言で言えば、使う側の理屈だけで物事組み立てているのではないかということについては非常に憂慮しますし、ご承知のようにですね外国人技能実習制度であるとか、あるいは留学生が限定的に就労ができるというようなことになってますけども、やっぱり本音と建前がかなり乖離をしていて、働く側が非常にワークルールを度外視したような使われ方をしているという、そういう例が散見されるわけですね。今の政府が打ち出している内容というのは、どうも辻褄合わせ、人手はこういう分野は足りないから、体よく外から人を呼び寄せようみたいな、そういう内容ですから、いま申し上げたような建前と本音の乖離をさらに助長しかねないということでありますし、移民政策ではないんだという、そういう言い方もあるようですが、どう考えてもですね、それは本当にこれこそ本音と建前の乖離ではないのかなというふうに思います。やはり国籍がどうであれですね、この日本で働くすべての人がやっぱり生き生きと働いて、同じ条件で、そして幸せな生活を送るということをまずそういう仕組みを考えるべきであって、目先の辻褄合わせというのは後に大きな禍根を残すと思いますので、極めて問題だということを申し上げておきたいと思います。

相原事務局長 ・・・・・2点目に、先ほど神津会長のほうからありました外国人材の受け入れについて、新たな在留資格制度の創設が提起されておりますので当面の取り組みに対して何点かを確認を致したところです。これも後ほど資料の2-3にありますのでご覧いただければというふうに思いますが、1点目として受け入れの是非について国民的な論議が必要であるという点を確認致しました。かなりクローズな状況でこのプロセスを経てここまで政府としての議論が進んできておりますので、プロセスも含めた上で国民的な議論の必要性を再確認いたしました。あわせて現在においても多発しております労働関係法令に対する違反を無くすことがまず先行的な政策課題であるという点を確認致しました。あわせてトータルな労働市場をいかに作っていくのかというような点について雇用労働政策の視点が大事だということを再確認致した点を申し上げておきたいと思います。

Q.(時事通信社・オオツカ氏)
 時事通信社のオオツカと申します。2点ありまして、1点は先ほどおっしゃった外国人のところですね、使用者側の意見に立っているということで、このままいけば非常に禍根を残すということで。これどういったことが問題になり、どういった問題を起こしていくと考えていくのかもう少し具体的な話として今考えていることを教えていただければと思うんです。これが1点目です。

A.(会長)
 外国人材、外国人労働者の問題については、ちょっと繰り返しになるところも勘弁いただきたいんですけども、要するに今抱えている問題をやっぱり助長してしまうんじゃないのかということだと思っています。やっぱりその根っこのところでですね、建前と本音が乖離をしているということではないのかなと思います。今回その枠が広げられるっていう事なんですけども、5年+5年で10年みたいなこともその内容にはあるわけでありますから、私はやっぱりもう少し包摂的なということを含めてですね、実際にこの日本で働く人が、日本人がこの日本で働くということですね、そこはもう条件が違うんだということではなくて、やっぱりそこはある種その移民政策ということも包摂的な観点で考えていくということは必要なんじゃないのかと思うんですね。そういうその根っこのところの議論が置き去りになったまま、都合よく外国人労働力を使うということにしか見えないんですね。したがってそれは本来のあり方というものをもっとしっかりと議論すべきであって、短兵急に、人手不足だから枠をこういう形で広げてしまうみたいな、そういう今回のその施策ということについては極めて疑問だというふうに思っています。

Q.(朝日新聞・サワジ氏)・・・・・それから3点目が外国人の問題に関連して、これは相原さんでも構わないですけれども、最近日産自動車とか三菱自動車で本来の実習計画とは異なる仕事をさせているというケースが発覚してます。良いか悪いかは別として現場としてそういった労働力が必要とされているっていうことはリアルの事実としてあると思うんですけど、このあたりについての現状認識についてお聞かせください。

A.(事務局長)・・・・・今日の資料の中にも直接文字として落としたところですけれど、人手不足業種においては国際貢献の名のもとに多くの外国人技能実習生が働いている。しかし2017年度に労働局及び労働基準監督署が監督指導を実施した実習実施機関のうち7割を超す事業所で労働基準関係法令違反が認められたということを記しています。先ほどの事例もそういう中に入っているんだというふうに承知を致します。まして新しい在留資格を創設していくとなれば、今でもなおこうした状態にある、健全性が保たれていない実習制度の状況を改めることなくして前に進むというのはなかなか困難なことじゃないのかというのが先ほど来申し上げていることだというふうに改めて申し上げておきたいというふうに思います。

Q.(朝日新聞・ヨシザワ氏)・・・・・朝日新聞のヨシザワと申します。外国人材の件についてもう一度お尋ねします。資料を見ますと、連合の基本的な考え方は、受け入れ対象は専門的技術的分野の外国人とすべきで安易な受け入れを行うべきではないというのが基本的な立場だと資料がありますね。先ほど神津さんおっしゃったのが、移民政策を含めてもう少し包摂的に議論すべきじゃないかとおっしゃったと思うんですけど、この基本的な立場とはちょっと違うふうに聞こえるんですけど実際ところどうでしょうか。

A.(会長) ・・・・・当然基本的立場と違うことを言ってるつもりはありません、今日中央執行委員会でこの内容は確認されていますんでね。しかし今後に向けて、重点をどこに置いていくのか、あるいは最後大事にすべきところは何なのか、ということで、そこは私自身ですね連合としてさらに発信を強めていく必要があるんだろうという、そういう問題意識を持っておりますので、そういう意味での発言だったというふうにお聞きいただきたいと思います。今回の方針でも言っていることは様々あるんですけども、やっぱりその最後何を大事にすべきかということで言えばですよ、私ども労働組合の立場からすれば、やはりその一定の制度に基づいて日本で働いている人がですね国籍を問わず、やっぱり幸せな働き方、幸せな生活を送るということが実現していかなければならないんで、やっぱりそれを根っこにおいていかなければならないだろうという意味での私の先ほどの発言というふうに理解をしていただきたいというふうに思います。今日実は中央執行委員会の中でも若干やりとりはあったんですけども、やはり一方で世界を見渡せば難民の問題もあります。これヨーロッパでもですね、かなりギクシャクしているようなところも見受けられるんですが、少しやはりこの日本という国はですね、たまたまその海に囲まれている国だということもあってですね、あまりヨーロッパと同じようなそういう難民の受け入れの考え方とかですね、あるいは移民政策ということを取らずにこれまで過ごすことができていますけれども、一方で労働力不足みたいなことがあります。ただ一方で将来見渡すと、IT、第4次産業革命でもって雇用の姿というのは劇的に変わっていく、そういうことも見据えながら今後をどう考えていくのかという事ですから、そこは少し、まあある意味ですね、これまで持ってきている考え方だけで本当に良いのかどうかということを我々自身も考えていく必要があると思っていますし、繰り返しになりますけども、やっぱりこの日本で働く人がですね、建前と本音のギャップでもって、なんて言うんですかね、時給300円かその程度で働かされるような違法が目に余るようなそういう状況を生んでしまうようないびつな労働政策で本当にいいんだろうかと。今回とられる考え方っていうのですね、そのことを助長してしまうんじゃないかという懸念を私自身は強く持ちますので、あまり建前と本音の乖離でもって、この問題を進めるべきじゃないということがありまして、私としての先ほどの表現だったと、そういうふうにご理解いただきたいと思います。

これまでの連合のスタンスは、基本的に専門技術的な外国人のみを受け入れるべきという、今までの政府の(少なくとも建前上の)スタンスと同じものであったわけですが、今回それを実質的に大きく転換させようとする政策が急ピッチでかつ「かなりクローズな状況で」進められるという状況下で、労働組合としての譲れないラインを改めて確認しようという発想が、「国籍がどうであれですね、この日本で働くすべての人がやっぱり生き生きと働いて、同じ条件で、そして幸せな生活を送るということをまずそういう仕組みを考えるべき」という発言に表れているようです。

この問題は、およそ国内労働者の利益を代表する労働団体は必ず直面するものなのですね。

Book_12889 もう8年近く前に出た五十嵐泰正編『労働再審2越境する労働と〈移民』 (大月書店) に寄せた「日本の外国人労働者政策」という小論の冒頭で、私はこう述べました。

第1節 外国人労働者政策の本質的困難性と日本的特殊性

(1) 外国人労働者問題の本質的困難性

 外国人労働者問題に対する労使それぞれの利害構造をごく簡単にまとめれば次のようになろう。まず、国内経営者の立場からは、外国人労働者を導入することは労働市場における労働供給を増やし、売り手市場を緩和する効果があるので、望ましいことである。また導入した外国人労働者はできるだけ低い労務コストで使用できるようにすることが望ましい。この両者は「できるだけ安い外国人労働者をできるだけ多く導入する」という形で整合的にまとめられる。

 これに対し、国内労働者の立場から考えたときには、外国人労働者問題には特有の難しさがある。外国人労働者といえども同じ労働市場にある労働者であり、その待遇や労働条件が低劣であることは労働力の安売りとして国内労働者の待遇を引き下げる恐れがあるから、その待遇改善、労働条件向上が重要課題となる。しかしながら、いまだ国内労働市場に来ていない外国人労働者を導入するかどうかという局面においては、外国人労働者の流入自体が労働供給を増やし、労働市場を買い手市場にしてしまうので、できるだけ流入させないことが望ましい。もちろん、この両者は厳密には論理的に矛盾するわけではないが、「外国人労働者を入れるな」と「外国人労働者の待遇を上げろ」とを同時に主張することには、言説としての困難性がある。

 ほんとうに外国人労働者を入れないのであれば、いないはずの外国人労働者の待遇を上げる必要性はない。逆に、外国人労働者の待遇改善を主張すること自体が、外国人労働者の導入をすでに認めていることになってしまう。それを認めたくないのであれば、もっぱら「外国人労働者を入れるな」とのみ主張しておいた方が論理的に楽である。そして、国内労働者団体はそのような立場をとりがちである。

 国内労働者団体がそのような立場をとりながら、労働市場の逼迫のために実態として外国人労働者が流入してくる場合、結果的に外国人労働者の待遇改善はエアポケットに落ち込んだ形となる。そして国内労働者団体は、現実に存在する外国人労働者の待遇改善を主張しないことによって、安い外国人労働力を導入することに手を貸したと批判されるかも知れない。実際、外国人労働者の劣悪な待遇を糾弾するNGOなどの人々は、国内労働者団体が「外国人労働者を入れるな」という立場に立つこと自体を批判しがちである。しかしながら、その批判が「できるだけ多くの外国人労働者を導入すべき」という国内経営者の主張に同期化するならば、それはやはり国内労働者が拠ることのできる立場ではあり得ない。いまだ国内に来ていない外国人労働者について国内労働市場に(労働者にとっての)悪影響を及ぼさないように最小限にとどめるという立場を否定してまで、外国人労働者の待遇改善のみを追求することは、国内労働者団体にとって現実的な選択肢ではあり得ないのである。

 この利害構造は、日本だけでなくいかなる社会でも存在する。いかなる社会においても、国内労働者団体は原則として「できるだけ外国人労働者を入れるな」と言いつつ、労働市場の逼迫のために必要である限りにおいて最小限の外国人労働者を導入することを認め、その場合には「外国人労働者の待遇を上げろ」と主張するという、二正面作戦をとらざるを得ない。外国人労働者問題を論じるということは、まずはこの一見矛盾するように見える二正面作戦の精神的負荷に耐えるところから始まる。

 労働政策は労使の利害対立を前提としつつ、その間の妥協を両者にとってより望ましい形(win-winの解決)で図っていくことを目指す。外国人労働者政策もその点では何ら変わらない。ただその利害構造が、「できるだけ安い外国人労働者をできるだけ多く導入する」ことをめざす国内経営者と、「できるだけ外国人労働者を入れるな」と言いつつ「外国人労働者の待遇を上げろ」と主張せざるをえない国内労働者では、非対称的であるという点が特徴である。

この「一見矛盾するように見える二正面作戦」が、とりわけ昨年末以来の中小企業団体主導の猛烈なロビイングで(それは働き方改革法案の提出を巡って中小企業団体から強いプレッシャーがかけられ、それをなだめるための「飴」としてバーターされたという面もあるようですが)急速に非専門技術的労働力の導入という方向に舵が切られたため、「労働市場の逼迫のために必要である限りにおいて最小限の外国人労働者を導入することを認め、その場合には「外国人労働者の待遇を上げろ」と主張する方向に向かわざるを得なくなったというのが、今現在進行しつつある状況の率直な描写なのでしょう。

そこで、労働団体として問われるのは、「国籍がどうであれですね、この日本で働くすべての人がやっぱり生き生きと働いて、同じ条件で、そして幸せな生活を送るということをまずそういう仕組みを考えるべき」というのを、現場レベルでどう確保していくのか、ということになるでしょう。

昨日のエントリでも述べたように、一応骨太方針でも、

また、入国・在留審査に当たり、他の就労目的の在留資格と同様、日本人との同等以上の報酬の確保等を確認する。

という一句は入っているのですが、問題はそれをだれがどこでどういう風に確保するのかという点です。

ここがいい加減になると、結局人手不足を外国人のチープレーバーでごまかして対応するための手段になってしまい、日本人の労働条件にも生活条件にも悪い影響を与えていくことになりかねません。

 

 

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外国人労働導入論の一翼

常夏島日記さんがこんなつぶやきを

https://twitter.com/potato_gnocchi/status/1014505510609903617

P1010001_400x400左派と名高い某新聞社の偉い人とご一緒したのだけど、曰く少子化対策の究極は介護等特定職域への外国人労働者の導入しかないでしょうと。外国人労働者と競合する日本人のクラスと、これを雇用する日本人の間で階級格差が拡大する懸念はと問うたら、日本人と外国人と賃金格差を設ければよいとのお返事。

シンガポールとかでは同じ仕事で外国人賃金を抑制するやり方が成立しているけど、日本の人権状況や一般国民の認識からして、そういう社会構築ができるものかすっごい疑問を持った。でも、その偉い人はわりかし簡単に言い切っていて、こういう人が外国人労働者導入論の一翼をなしているんだなと思った。

念を押すけど「左派」マスコミですからね、この認識。絶対にご本人も子弟も外国人労働者が導入される介護等の職域で労働者として競合する懸念は絶対ない高スペックの人は、そういうことを考えています、ってことでした。

あらかじめ言っておくと、私は必ずしも外国人労働者の導入に反対というわけではない。むしろ、人口減少社会で、どんなにいい労働条件を提示しても日本人は応募してこないというのなら、まっとうな雇用形態で、まっとうな水準の賃金を提示して求人を出して、それでも誰も応募してこないなら外国人雇用もありよという労働市場テスト方式は十分ありだと思っている。

その場合でも絶対に譲れないのは、少なくとも日本人を雇う場合よりは安く雇うことができないようにすることで、今回の骨太の方針のやつは、労働市場テストなしの業界主導スキームなんだが、それでも一応

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/06/post-eef4.html(骨太方針で外国人技能労働者受入れ決定)

また、入国・在留審査に当たり、他の就労目的の在留資格と同様、日本人との同等以上の報酬の確保等を確認する。

というのが入ってはいる。誰がどこでどういう風に確認するのかとかいろいろ疑問はあるけど、一応入っている。外国人であるということを理由に日本人より劣悪な労働条件にするなんてことはやってはいけないという常識はなんとかある。

その常識が欠落しているらしいのが、この「左派と名高い某新聞社の偉い人」なんだからあきれてしまう。

「日本人と外国人と賃金格差を設ければよい」というのがわが国の「左派」マスコミ人の常識なのだとしたら、それは結構おぞましいですよ。

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労働教育の現状と課題@『日本労働年鑑 2018年版』

370904『日本労働年鑑 2018年版』の巻頭特集が「労働教育の現状と課題」です。

http://www.junposha.com/book/b370904.html

特 集 労働教育の現状と課題
 はじめに
 第一章 なぜ労働教育が必要なのか
  1 若者たちの働き方の激変――非正規化と長時間労働の蔓延
  2 労働組合の組織率低下と個別労働紛争の増加
  3 権利の認知度の低下や労働者意識の変化
 第二章 国や都道府県の労働教育
  1 国の取り組み
  2 都道府県の取り組み
 第三章 教職員組合と学校現場での労働教育
  1 教職員組合の取り組み
  2 高校を中心とする学校現場の取り組み
  3 労働教育の位置づけ
 第四章 大学における労働教育の取り組み
  1 キャリア教育・キャリア支援の展開
  2 キャリア教育・キャリア支援における労働教育
  3 青少年雇用対策基本方針による周知啓発
  4 アルバイトの労働問題と大学の対応
  5 就職活動時の労働問題への大学の対応
  6 正課授業における労働教育の取り組み
  7 弁護士によるワークルール教育の実践
 第五章 諸団体が取り組む労働教育
  1 日本労働弁護団の取り組み
  2 連合の労働教育の取り組み
  3 全労連の取り組み
  4 明治大学自治労寄付講座「地方自治体の仕事と労働組合」の取り組み
  5 明治大学労働講座の取り組み――OB・OGの職場経験から学ぶ
  6 NPO法人職場の権利教育ネットワークの取り組み
  7 一般社団法人日本ワークルール検定協会の取り組み
  8 NPO法人POSSEの取り組み――権利行使に結びつくための労働法教育の実践
  9 NPO法人あったかサポートの取り組み
  10 大阪の高校における労働教育
  11 労働教育研究会の取り組み
 おわりに

なんと太っ腹なことに、この特集がここからダウンロードできます。

http://www.jca.apc.org/labornow/labor_education/20180625.pdf

近年の労働教育の動向を手際よくかつ的確にまとめています。

なんですが・・・、いや別に文句を付けるためにわざわざエントリを起こしているわけじゃないんですけどね。

43ページ(PDFファイルでは8枚目)の下の段の「(4)ワークルール教育推進法の制定へ」というパラグラフで、

・・・がワークルール教育推進法案を検討準備してきたが、ようやく18年の通常国会に提出され、成立する見通しである(18年2月1日現在)。この法案はワークルール教育に関する国の基本方針の作成や施策実施のための予算措置を義務付けており、成立すれば労働教育を推進していくうえで大きなインパクトになるであろう。

とあるんですが、いや、7月6日現在、この法案はいまだ国会に提出されてはいません。

特集の最後の「おわりに」にも、

・・・18年の通常国会にワークルール教育推進法案の提出が予定されている。本法案成立すれば、労働教育を推進するうえで大転換を画するであろう。

とあります。

刊行までに校正の機会はあったはずなので、どうしてこういうことになったのかよくわからないのですが、いずれにしても、これから延長国会終了までに急遽提出して直ちに採択するのでない限り、成立する見通しはあまりないように思われます。

(参考)

この特集対象時期に至る以前の、戦前から近年に至る時期の労働教育の流れを概観した小論がこちらになります。

http://hamachan.on.coocan.jp/kikan247.html(労働教育の形成・消滅・復活(『季刊労働法』2014年冬号(247号)))

 労働教育という言葉は長らく死語でした。労働省編『労働用語辞典』でも、昭和37年版までは「労働教育」という言葉が採録されていましたが、その後は消えています。広辞苑その他の一般的な国語辞典にはざっと見た限りでは採録されたことはないようです。
 ところが、ごく最近になって、この言葉が労働関係者の間でかなり頻繁に使われるようになりました。その問題意識は、1990年代末からパート、フリーターなど非正規労働者の激増の中で、労働者自身が労働法制を知らず、自分の権利が侵害されていてもそのことに気がつかないといった状況が拡大しているとの指摘がされるようになったことが背景にあります。
 こうした中、私も若干関わって2008年8月に厚生労働省において「今後の労働関係法制度をめぐる教育の在り方に関する研究会」(座長:佐藤博樹)が開始され、翌2009年2月に報告を公表しました。最近では2012年6月に官邸の雇用戦略対話で策定された若者雇用戦略においても、「労働法制の基礎知識の普及を促進する」ことが求められています。民間レベルでも、労働法教育に向けた様々な取組が進められています。さらに2013年10月には日本労働弁護団が「ワークルール教育推進法の制定を求める意見書」を公表し、立法措置を求めました。
 本稿では、こうして半世紀ぶりに復活を遂げた「労働教育」という言葉が、かつてどういう文脈で取り上げられ、政策として進められ、そしてフェードアウトしていったのかを概観し、これからの労働教育をめぐる議論のための素材とすることを意図しています。 ・・・
1 戦前の労働教育
2 終戦直後の労働教育行政
3 「職業指導」における労働教育
4 終戦直後の非政府系労働教育
5 労働教育行政の展開
6 労働教育行政の外部化と希薄化
7 労働教育の復活
8 労働教育研究会報告書の概要
9 若者雇用戦略
10 ワークルール検定
11 ワークルール教育推進法

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『働くおっさんの運命』にすればよかった・・・かな?

なんだか、「おっさん」論が盛んなようです。

http://bunshun.jp/articles/-/8051(おっさんは差別されてもいいのか この時代の新しい被差別階級について)

いやまあ、元のNewsPicksもネタなら、この斬込隊長の記事もネタなので、マジレスするのはカコワルイというものなのかも知れませんが、いやマジレスというよりも、こんなに「おっさん」が受けるのであれば、あの本のタイトルも『働くおっさんの運命』とかにしておけばも少し売れたかも知れない、などと感じたもので。

http://hamachan.on.coocan.jp/chikumabookreview.htm

41mvhocvl労働問題の責任ある唯一の答えは「長く生き、長く働く」を目指すことしかない。けれど社会環境が激変しつつあるなか、雇用と働き方をめぐる問題が噴出している。ひとたびレールを外れると、年齢が足枷になって再挑戦もままならない。損か得か……などといった不毛な議論では、この状況の大転換を見失ってしまう。感情論では雇用は増えないし、不公平も解決できないのだ。では、矛盾だらけの建前と本音のどこが問題か。どのような制度設計が可能なのか。第一人者が労働問題の本質を平易に解き明かす。

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東大公共政策大学院の授業最終日

本日、東大の公共政策大学院の授業「労働法政策」の今年度の最終日でした。

最終日なので、ノンジャンルで何でも質問を、というと、いろいろある中で、エビデンスベーストの政策という話と三者構成原則の関係が問われ、これはなかなか深い話なので、こちらでもちらりと紹介。

確かに近年、公共政策論なんかを中心にエビデンスベーストの政策という議論が盛んで、労働政策もその例外ではないわけですが、一方、労働政策の世界には1世紀前からILOの三者構成原則というのがあり、労働者側と使用者側の利害が対立することを前提に、その間のどの辺で手を打つか、というのが、少なくとも労働関係者の間の常識的な作法となっていたことも確かです。

これは、少なくとも労働時間と賃金といった基本的な労働条件に関する限り、経営側は労働時間が長い方が良く、労働側は短い方がいいとか、経営側は賃金が低い方が良く、労働側は高い方がいいというのは、今さらほんとにそうであるかどうかを証明すべきことではなく、いわばユークリッド幾何学の公理みたいなものだということですね。

ところが、今回の働き方改革は、相当程度官邸からこれが労働者のためだという形で降りてきたこともあり、この部分は労働者に有利なところだけれども、その部分は使用者に有利なところで、全体としては労働者に有利なのだから、この辺は使用者側にも獲物をあげないとバランスがとれないでしょう、といった労働法労使関係をじっくりと経験してきた人であれば余りにも当たり前の行動パターンがとれないという、おかしな事態になってしまったわけです。

労使間でどこで妥協を図るかということになれば、労働者にとって譲れないのは過度な長時間労働や過度な低賃金であって、年収1000万円の高給取りの残業代などという代物は、二の次、三の次、百の次の、いちばん最後に要求をしてちょうどいいくらいの代物のはずですが、そもそもそういう労使の利害対立の中の妥協という枠組みではなく、いやいやこれも労働者が求めるもので、労働者にとってメリットがあるものだなどといういささか無理な説明をせざるを得ないものだから、そういう自然な妥協の余地がなくなり、高度プロフェッショナル制度にエビデンスがあるのかないのか、という、そもそも三者構成原則からすると無理筋の議論が大手を振ってまかり通ることになってしまったと言うことでしょう。

もちろん、労働問題にもいろんな分野があり、雇用能力開発関係などであれば、そういう労使対立の枠組みというよりも、例えば教育訓練給付なんてどれだけ労働者の能力向上に役立っているの?という本来のエビデンスベーストな政策の議論になじむ領域もいっぱいあるわけですが、それと労働条件をめぐって労使が対立構造にあることを前提に政策を考える分野とは、政策過程論として異なるところがあるということが、残念ながら公共政策サイドの人々には余り理解されていない感があります。

私も、東大の公共政策大学院で労働法政策というタイトルの授業を初めて今年度で15年目になりますが、そういう根っこのところの認識枠組み自体において世の中にきちんとメッセージを発し得ているかというと、なかなかそうできていないというのは忸怩たるところではあります。

ということで、ようやく働き方改革関連法が成立し、多くの労働法制が改正されたことを一つの契機として、今回この講義テキストを一般刊行物として出版することにしました。『日本の労働法政策』というタイトルで、この秋にJILPTから出版する予定です。この間の膨大な法改正を受けて、分量は膨大なものになっていますが、およそ日本の労働法制についてその過去の経緯をきちんと勉強しようとするのであれば、必ず真っ先に読まれるべき本という位置づけになることは間違いないはずです。だって、ほかにそういう本は全く存在しないので。

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日本労働弁護団「解雇等労働契約終了に関する立法提言」@2002年

労働問題の世界はいろんな意味で奇々怪々で、鋭く対立していたはずの論点でいつのまにか立場が入れ替わっていたなんていういわば応仁の乱現象とでもいうべきことがあったりします。

先日自民党の賃金生産性向上PTに呼ばれてお話しした産業別最低賃金と地域別最低賃金をめぐる労使のスタンスの逆転なんてのもその一例ですが、もう少し最近の事例でこんなのがありました。

これはほんの十数年前のことなんですが、ですから今中年層の人々にとっては結構記憶に新しいことのはずですが、わりと忘れられている、あるいはむしろ忘れたふりをしている人が多いような気が・・・。

それは、日本労働弁護団が2002年5月に公表した「解雇等労働契約終了に関する立法提言」というもので、労働弁護団のホームページにも載っているかなと思って見てみたら、残念なことに(!?)同ホームページには2003年以降の提言しか載っていません。

http://roudou-bengodan.org/proposal/

Quarterly_newspaperこれはそれより1年早いのでホームページ上では歴史から削除されちゃっているのですが、中身があまりにも素晴らしく、読まれないのはあまりにももったいないので、本ブログで紹介したいと思います。『季刊労働者の権利』245号(2002年夏号)に載っています。

http://roudou-bengodan.org/quarterly_newspaper/245%e5%8f%b7%ef%bc%887%e6%9c%88%e7%99%ba%e8%a1%8c%ef%bc%89/

特集 解雇等労働契約終了に関する立法提言と最近の判例の動向
第1 今回の立法提言の経緯と基本的考え 一大立法運動を  宮里邦雄
第2 解雇等労働契約終了に関する立法提言及び解説  日本労働弁護団
第3 シンポジウム「解雇ルールの法政化を」(5月20日)  主催 日本労働弁護団

具体的には、

第2(解雇の正当理由)

使用者は、労働契約を維持しがたい正当な理由が存在しなければ、労働者を解雇することができない。

死んだ子の年を数えるようですが、なんでこういう素直な規定にしなかったんでしょうね。たぶん、解雇権濫用法理をそのまま書くほうが、こういう禁止規定にするよりも緩やかだという思い込みがあったのでしょう。それは全く間違いで、労基法20条の2やその後の労契法16条みたいに「無効だ」と書いてしまったから、その無効なものに金銭解決する理屈がどうにも立たなくなってしまったわけです。逆に、一見厳しそうに見える「解雇することはできない」という規定は、だからことごとく無効だとは限らないわけで、違法だけど金銭解決する余地が十分あったわけです。

第3(経営上の理由による解雇)・・・・・

第4(労働者の労働能力または行為を理由とする解雇)・・・・

第5(解雇理由の告知)・・・・

第6(解雇予告)・・・・

という調子で、いろいろと細かな規定が続きます。これまた、いかにも厳格な規制を設けるように見えますが、逆に言うと、正当な解雇とは何かを法律が教えてくれている規定というものでもあるのですが、まあ、そういう冷静な判断はなかなか難しかったのでしょう。

で、その先のほうにこういう規定があります。

第11(違法解雇等の救済方法)

1 この法律もしくは他の法律に違反して解雇が行われた場合、・・・・労働者は使用者に対して、次の各号のいずれかを選択して請求することができる。

一 労働契約上の地位の確認、原職又は原職相当職での就労請求、賃金請求、及び、精神的損害等に関する賠償請求

二 うべかりし賃金相当額及び精神的損害等に関する賠償請求

2 原職及び原職相当職が存在しない等客観的かつ合理的な理由があるとき、使用者は、労働者の原職又は原職相当職への就労請求を拒むことができる。

おやおや、なんと、日本労働弁護団はほんの16年前には、違法解雇については原職復帰と金銭解決の労働者側による選択制を主張していたのですね。

その時には、議論の焦点は使用者側による申し立てを認めるかどうかにあり、それに対してはもちろん猛烈に反対していたのですが、労働者側が金銭解決したいということについては、むしろ積極的に認めていたようです。

そして、この規定につけられた説明がこうです。

・・・しかしながら、解雇をめぐる紛争においては、「解雇は納得できないが、さりとて人間関係が破壊されているので職場復帰したくない。でも、企業に法的責任を取らせたい」という要求が多数存在する。このため、職場復帰を求めなくとも金銭賠償を請求することを可能とする方途を講じる必要があり、かつ、将来の賃金相当額の賠償も認めて、金銭賠償額の水準を引き上げる必要がある。

念のため、これは日本労働弁護団の提言です。

そして説明文のこのあとには、「ドイツでは・・・・・」「イタリアでは・・・・・」と続き、

・・・日本においても、これらと同様に法律を整備する必要がある。ただし、ドイツのように違法な解雇を子なった使用者に金銭補償の申し出権を認める必要はない。

と言っていたんですね。

この前後の季刊労働者の権利には、いまでも活躍されている労働弁護士のビッグネームがいっぱい載っていますので、たぶん、忘れてはおられないはずだと思います。

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『産業医学のプリンシプル~大切なこと』

3530fb16d8b6b627dad024990d178f02b24『産業医学のプリンシプル~大切なこと ー産業医学振興財団40周年記念誌ー』をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.zsisz.or.jp/shop/book/2018/05/-qa-2.html

産業医学振興財団及び「産業医学ジャーナル」誌の40周年を記念して企画された本書は、産業医学・産業保健に携わる100名以上の先生方のご参画を得て完成しました!

•「産業医学の研究と実践」をテーマに、櫻井治彦先生(当財団理事長)、大久保利晃先生(元産業医科大学学長)の2大インタビューを収録!
•わが国を代表する研究者・実践家7名による白熱の座談会("「産業医学のプリンシプル~大切なこと」をめぐって")をノーカット収録!
•「産業医学ジャーナル・産業医学振興財団と産業医学の40年」を山田誠二先生が複眼的に読み解く!
•多様化する産業医学・産業保健領域の主要テーマの今後について、60名余の当該テーマ第一人者の思いが伝わる、興味深くわかりやすい解説!
•その他、40名余の専門家による面白くバラエティ―に富んだ「産業保健と私」を掲載!

詳しい目次はこちらにありますが、

http://www.zsisz.or.jp/shop/book/2ee0e23737ffe7b86e82971f63b145c18f92c597.pdf

ここでは数少ない文系研究者代表として、三柴丈典さんのエッセイ「法律論者からみた産業医の今とこれから」を紹介しておきます。

産業医というのは、政府、医療、企業という日本の3大エスタブリッシュメントの支持や関与を得られ、予防という本質的に重要な業務を担う、極めて恵まれた職業だが、一歩踏み誤ると、そのいずれも失ってしまうリスクもある業種だと思う。三者それぞれに、「総論賛成、各論疑問」の事情を抱えていると承知していることによる。・・・・

そして三柴さんが産業医大に示唆する方向性は、

僭越ながら、筆者は、実学的な文系科目に関する教育の教科ではないかと思う。特に、経営と法律の教育の教科が重要だと思われる。・・・

だそうです。

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クラシノソコアゲに直結 最低賃金@『月刊連合』7月号

201807_cover_l『月刊連合』7月号をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

https://www.jtuc-rengo.or.jp/shuppan/teiki/gekkanrengo/backnumber/new.html

今号の特集は「クラシノソコアゲに直結 最低賃金」です。

パート労働者、契約・派遣社員などのいわゆる非正規労働者が雇用者全体の約4割を占める中、その労働条件改善は急務だ。雇用形態の違いのみを理由に労働者を低賃金で雇用することは許されない。どこで、どんな雇用形態で働こうとも、賃金は少なくとも生活できる水準を確保しなければならない。さらにいえば、働きに見合う水準であるべきだ。
多くの非正規労働者のクラシノソコアゲに直結するのが、法定最低賃金の引き上げだ。日本の法定最賃は、地域別最低賃金と特定(産業別)最低賃金の2つ。いずれの金額も、春季生活闘争の取り組みが大きく影響する。例えるならば、春季生活闘争で種をまき、夏の地域別最賃引き上げ、秋の特定最賃引き上げにつながるイメージだ。すべての働く者が実りある秋を迎えるため、われわれ労働組合の果たす役割は大きく、他人事ではない。
なぜ法定最賃が必要なのか。どこでどう決まるのか。どんな課題があるのか。まずは基礎知識を理解し、これから本格化する法定最賃の審議に注目していこう。

いまさらいう必要も本来はないことですが、労働法には国家権力が強制しなければならないような部分と、について、労使の間の交渉に委ねる方がいい部分があります。

春闘の賃上げをどうするかみたいな話は後者ですが、それだけでは届かない底辺の労働者層に生活できる賃金をいかに確保するかという話になると、最低賃金の出番になるわけです。

ちなみに、同じことが労働時間についても言えて、これ以上働かせたら健康に危ない、過労死するかも知れないという長時間労働の規制「こそ」が国家権力がそのサーベルを行使するべき所なのであって、年収1000万円を超える高給取り労働者の残業代という(それはたしかにそれも)労働者の権利「ばかり」に国家権力を行使させることに熱中するというのは、労働法の基本の「キ」を忘れ去った顛倒した発想としかいいようがありません。大いに反省していただきたいところです。

それはともかく、そういう最低賃金について、今号はかなりきちんと記事をまとめています。

■日本の最低賃金制度の特徴と課題 神吉知郁子 立教大学法学部国際ビジネス法学科准教授
■地方連合会の取り組み
■構成組織の取り組み
永井幸子 UAゼンセン常任中央執行委員 短時間組合員総合局局長
吉清一博 自動車総連中央執行委員 労働政策局局長
■連合の取り組み 冨田珠代 連合総合労働局長

実は、最低賃金については、先日自民党の雇用問題調査会の賃金・生産性向上PTにお呼びいただき、日本の最低賃金制度の歴史とその含意についてお話をさせていただいたところです。

そこでも話したのですが、産業別労働組合に労働市場規制能力がほとんどなく、産業別労働協約がほとんど存在しない日本において、特定最賃をいかに意味のあるものとして生かしていけるかは、本質的な難問と言えます。

今号では、UAゼンセンと自動車総連の方が出てきていますが、いろんな分野で人手不足が顕在化してきつつある今だからこそ、業界の労働条件を総体として引き上げていかなければ、そもそも働く人が来なくなって動かなくなるという危機感を経営側も共有させることが重要になってくると思います。

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社会民主主義に未来はあるか?@『生活経済政策』7月号

Img_month_2 『生活経済政策』7月号をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

http://www.seikatsuken.or.jp/monthly/

今号の特集は「社会民主主義に未来はあるか?」です。

特集 社会民主主義に未来はあるか? ― ポスト「第三の道」の混迷と可能性

はじめに/小川有美
社民政治の衰退?— 戦略、組織、環境/吉田徹
ドイツ社会民主党はなぜ危機に陥ったのか/野田昌吾
社会民主主義に未来はあるか?:スウェーデン/ 鈴木賢志
英国における社会民主主義の可能性/今井貴子

いや、日本の社会民主主義は過去半世紀にわたって未来のない状態が続いてきましたから、今さらな問いですが、そういう日本の状況を批判する際に(私なんかも含めて)やたらに出羽の守よろしく持ち出されてきたのが本特集で取り上げられている西欧諸国の社会民主主義なのであってみれば、そのご本尊(?)が未来のない状態になりつつあるというのは二重の意味で深刻です。

最初の総論的な吉田徹さんの論考では、「1990年代後半のリベラル化」が、その頃の成功とその後の失速の原因ということになります。

・・・それまでの社民は、70年代後半の英労働党政権や80年代前半のフランス社共政権を典型例として、ケインズ主義に基づく総需要管理策によってインフレと通貨安、財政赤字を招いたとされ、経済運営能力が弱点となっていた。他方で個人の自己決定権を重視する新自由主義の台頭を見て、社会では個人主義的価値観が敷衍していく。その結果、社民勢力は経済政策では市場重視に、分化・社会的にはリベラルへと変身していった。政治社会学者イングルハートの言う「脱物質主義的価値観」キッチェルトの言う「左派リバタリアニズム」のように、個々のライフスタイルや多文化主義、社会的真のりティの自己決定権を重視した政策を掲げるようになったのである。つまり、新自由主義の波をかぶったポスト冷戦時代の西欧社民は、政権担当能力を示すためにも、それまでの大きな政府路線、財政拡張路線を撤回し、自由貿易と資本市場の自由化を認める親グローバリズム路線へと転換する戦略が採られた。これは、戦前の反省から資本市場の民主的な統御を是とする「社民的合意」を棄却することを意味した。・・・

90年代後半はもっとも、この「リベラル化」戦略が功を奏し、西欧社民は清新なイメージで以て捉えられ、新たな支持を集めたが、それは伝統的な支持基盤の喪失を意味した。・・・

一般的に、労働者層は文化的・社会的にリベラルなわけではなく、反対に勤労や自助努力、同胞意識を強く持つ。1950年代にこれを「労働者権威主義」と名付けた政治社会学者リプセットは、経済的に脆弱な労働者は、保護を求めて権威主義的になる傾向があるとした。その上で、労働者層が文化的・社会的な権威主義へと傾斜するのが防がれたのは、労働者の権利拡大が社会権の強化と言ったリベラルな価値と親和的だったからに過ぎないとした。・・・

すなわち、従来の労働者層ではなく、新中間層の支持を求めた90年代の社民政党は、経済的な保護主義を撤回し、文化的・社会的なリベラルへと軸足を移し替えたことで成功した。もっとも、90年代の景気拡大の中で生まれた新中間層は、社民政党への政党帰属意識を持っていない。その流れに棹さして政権交代を実現した社民政党は、経済政策の次元では保守主義・自由主義政党と差別化を図れず、経済上の失政で以て有権者から直接的に制裁を受けることになる。

さらに文化的・社会的リベラルを嫌う労働者層の支持は、ポピュリズム勢力へと振り向けられる。2000年代に入ってからの右派ポピュリズムは、雇用創出や社会保障水準の維持、自由貿易制限など経済政策上は保護主義、移民やマイノリティの権利抑制など社会的には権威主義的政策を掲げて支持を拡大していった。経済的な再分配を必要とし、文化的・社会的に保守的な層は、ポピュリズム政治になだれ込んでいく。社民政党は政策的立場からサービス業の高度専門・高技能従事者などの支持を集めるものの、再分配重視で権威主義的な熟練工や単純労働者両階層との支持を両立させることは難しく、それが社民政党の脆弱さとなって現れる。・・・

すごくデジャビュがあるのは、こういう議論は本ブログで良く紹介する「ソーシャル・ヨーロッパ・ジャーナル」でも多くの論者が繰り返し論じている所だからですね。

この後、野田さんのドイツ、鈴木さんのスウェーデン、今井さんのイギリスと各論が続きます。

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過労死防止学会(2018/6/3)における説明スライド

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濱口桂一郎×渡辺輝人「労働時間改革をめぐる実務家と政策論者の視点」@『POSSE』第24号(2014年)

Posse 濱口桂一郎×渡辺輝人「労働時間改革をめぐる実務家と政策論者の視点」@『POSSE』第24号(2014年)

濱口:先ほど学者対実務者の枠組みとおっしゃっていましたが、私は自分を純粋な学者とは思っていません。実際に労働法学者と呼ばれる方々のほとんどが行っているのは労働法解釈学であって、その方々の感覚の基本的な土俵は渡辺さんと同じだと思います。私自身は、いま渡辺さんがおっしゃったようなもの(本号では省略)が労働時間規制であるという発想自体に対して批判的な立場です。特に「1日8時間1週間40時間を超えたら残業代を払わなければならない」というのが日本の労働時間規制だとする見解でくくれば、労働弁護士も経営法曹も労働法学者も同じ労働法サークルに属していて、そこに対して私が孤立的な立場に立っているという認識です。
 日本の労働時間規制は条文を素直に読めば物理的な時間を規制しているので、制度的にみれば実はヨーロッパ型であると言えます。1日8時間、週40時間を超えて働かせてはならず、超過して働かせた場合には刑事罰まであります。これに対してアメリカの公正労働基準法は、週40時間を超えた場合には50%割増しの規定があるのみで、それさえ守ればいくらでも長く働かせることができる。そのような違いがあるにもかかわらず、労働法サークル内外のほとんどの人は日本の労働時間規制はアメリカ型の残業代規制だと思っている。皮肉な言い方をすれば、一方にサルを神様だと思い込んで拝んでいる人がいて、その傍らにはサルを悪魔だといって叩こうとしている人々がいるというような状況です。たとえば変形労働時間制といっても、1日10時間に達したときに、そこで強制的に労働を終わらせる義務はなく、それ以降は割増しを払う必要があるというだけです。時間外労働や休日出勤といった際、日本人には時間外手当や休日手当を払うべき時間という以上の意識がない。そのため、法定休日か否かという議論も、単に割増率が25%か35%かという議論に還元されてしまいます。そんなものが休日規制の名に値するのかが問題ですが、実務家からも学者からも提起されることはありません。ここに最大の問題があるというのが私の問題意識です。
 労働時間規制でないものを労働時間規制だとするこのような発想は、マスコミや政治家など労働法サークルの外部にまで浸透しています。ここでも残業代ゼロが是か非かという議論に現れているように、サルを拝んだり叩いたりしているだけで、本質的な部分がすっぽりと抜け落ちているわけです。第一次安倍内閣のWEの議論の際からその流れがずっと続いていて、ようやく最近になって残業代とは切り離して労働時間の物理的な上限規制を設けるべきだという議論が出てきました。規制改革会議が明確にそれを提起し始めていますし、骨抜きになっているとはいえ産業競争力会議もリップサービスとしては言及しています。
 
濱口:そのように議論すること自体が、サルの話になってしまっています。35%が良いか悪いかではなく、そもそも法定休日とは仕事をさせてはいけない日なんです。EU指令の法定休日とはまさにそういう意味です。それがいつの間にか加算するかしないかの話になってしまうのが今の日本の状態で、労働時間の問題がお金の問題に還元されてしまっている。法定休日に働かせているだけで刑罰の対象になるという感覚が全くないんですね。もっとも、法学者や実務家は実際に出てきた判例を評釈しなければならず、サルしかいないところでサルばかり相手にしているので、いつの間にか本来の神がみえなくなってしまっているわけです。
 
濱口:そのような議論も、法定休日をお金の問題としかとらえていません。日本の法律の仕組みは本来はあくまでもヨーロッパ型です。お金ではなく物理的な時間規制です。つまり、物理的労働時間を規定する32条こそ重要なはずですが、現実には32条は空洞化していて、割増賃金を規定する37条こそが労働時間規制の本質だと思われているのです。
 第一次安倍内閣の時にも、労働時間規制を抜本的に変えようという議論がありましたが、エコノミスト、経済評論家、マスコミ、経営者、政治家などほとんどが、労働時間規制とはすなわち残業代規制であるという、労働法の世界から発信されている主張をそのまま受け取って議論していました。たしかに現在の残業代規制は不合理な面をもっていますが、それよりも議論の土俵自体が間違っているところにより大きな問題があります。
 
濱口:しかし、そのような主張は結局のところ、過労死するほど働かせても残業代さえきちんと支払っていれば問題ないという発想に吸収されてしまうと思います。EUの労働時間指令は残業代の話を一切抜きにして時間だけを規制しており、また日本も昔は女性に対して1日2時間、年150時間以という物理的な時間外労働の上限がかけられていました。一方でアメリカはお金で間接的に規制しようという立場です。
 いまの立法論の議論は、工場法・労働基準法以来の物理的な労働時間規制の建前が運用のなかで実質的に空洞化されてきたところを、さらに建前の部分も空洞化しようとしています。実務家として残業代請求が主戦場だと思うのはよく理解できますが、立法論の基本からいえば、残業代だけに集中した議論は、100年前から続く天守閣をやすやす明け渡して、二の次に作っていた小さな櫓にしがみついている、と言わざるを得ません。主たる天守閣が空洞化している中では櫓しか闘う拠点がないので、現実にそれが役に立っているのは確かですが、その櫓が攻撃されている理由は天守閣との関係ではなく、櫓そのものにあります。城を守る方の立場からすると天守閣をそっちのけにして櫓だけ守ってみても意味をなさないわけですが、攻める方からみると、櫓だけが邪魔者に見えるのです。具体的には、櫓に対する攻撃にあたっては、天守閣との関連でではなく、櫓そのもの、つまり賃金制度としての合理性に対して批判がなされるわけです。もっとも典型的なのは、時間と比例した賃金制度はおかしいという主張ですね。そのため、櫓だけしか目に入らない議論をしていると、賃金制度の基準を時間に置くべきか成果に置くべきかという狭い議論に陥ってしまうので、まさに櫓だけが攻防の場となってしまいます。労働法の実務家も解釈学者も含めたすべての人に対して、そのような議論をしていていいのかと問いかけたい最大の理由がここにあります。

濱口:マスコミも労働法のプロではないので、残業代による間接的な規制ではなく、過労死させないという観点から労働時間そのものを規制することが重要なんだと、櫓と天守閣を峻別した議論を理解してもらうことが必要です。ところが前回も今回も、批判派の議論はもっぱら、残業代を払わせることが長時間労働・過労死を防止している、すなわち櫓が天守閣の代わりに闘っているからいいんだという言説です。でもから見ると、なぜ天守閣ではなく櫓だけを大事にするのかという印象を受けます。実務家の立場としてはよくわかりますが、一国のルールをゼロベースで作るとなった際に、その議論では天守閣の姿がまったく見えてきません。残業代ゼロは過労死の促進だと強調したところで、結局それは労働法サークルの中でしか通用しない話です。一歩その外に出て、天守閣と櫓についての事情を知らない人に対してそのように打ち出したところで、妙な櫓を守れという話しかしていないように思われてしまう
今の情勢はゼロベースで労働時間規制をどうするべきかという議論ができるまたとない絶好の機会で、しかも規制改革会議は部分的に私の主張を取り込んでいます。36協定も終戦直後はそれなりに抑制力のあるものでしたが、50年代に数回にわたって行われた省令改正によって空洞化されてしまった歴史があります。細かいところは後々詰めていけばいい話ですが、天守閣がなくなった跡地に再度小さなものでもいいので天守閣を作ろうという議論がまず第一になされるべきであり、もともと殿様がいるわけでもない櫓を守ることばかりに全力を注がないほうがいいのではないかと思っています。
 
濱口:バーター論と言っても、こちら側の合理性である長時間労働規制を何としてでも手に入れるためにしぶしぶ経営側の合理性である残業代規制の緩和を認めざるをえない、という捉え方は少し誤解があります。先ほども申したように、経営側は、天守閣がないなかで成果に基づいて報酬を支払いたいというロジックなので、一定の合理性があるわけです。そこに、現在長時間労働を間接的に防いでいる櫓を壊すのであれば、その代わりに新しい天守閣を作らなければいけないというこれまた合理性のあるロジックを持ち出すことになるので、このバーター論ではそれらの合理性を前提にした、話し合いの余地が十分にあります。
 
濱口:経営側のいう残業代規制の矛盾が顕著に現れている例としては、モルガンスタンレーサービスリミテッド事件があります。
 
濱口:まともな労働法学者が評釈したら疑う余地もなく判旨反対となりますが、一般の意見としてはそんなの当たり前だろうと捉えられてしまう。世の中の大半の人がこれ以外の結論はないと思うことが違法になってしまうような仕組みはおかしいわけです。この例の場合は年収3000万円ですが、これが1000万や800万に引き下げられた場合はどうなのか。そのあたりになると世間の常識がせめぎ合うようになるわけです。高給取りであれば残業代規制に守られていなくても仕方がないという常識による攻撃に櫓がさらされたとき、単に判旨反対では守れません。そこで生きてくるのがバーター論です。物理的な労働時間以外の領域における線引きをどのように釣り合わせていくかという政治的な判断の領域においてはそのような議論が必要になってくると思います。

 

 

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『新しい労働社会』岩波新書(2009年)

Shinsho 『新しい労働社会』岩波新書(2009年)

2 ホワイトカラーエグゼンプションの虚構と真実

ホワイトカラーエグゼンプションの提起
 ところがやがて、スタッフ管理職だけでは間に合わない、もっと多くの労働者を残業代から外したい、という声が企業側から上がってくるようになりました。2005年6月の日本経団連の提言では、「労働時間の長さを賃金支払の基準とする現行法制下では、非効率的に長時間働いた者は時間外割増賃金が支給されるので、効率的に短時間で同じ成果を上げた者よりも、結果としてその報酬が多くなるという矛盾が生じる」と述べ、こうした労働時間と賃金の直接的な結びつきを分離するホワイトカラーエグゼンプションの導入を求めていました。
 こういう制度を「ホワイトカラーエグゼンプション」と呼ぶことは適切です。なぜなら、この言葉の出所であるアメリカには、労働時間規制は存在せず、残業代規制しか存在しないからです。その残業代規制を一定のホワイトカラーに適用除外する制度を「ホワイトカラーエグゼンプション」というのですから、それをそのまま(残業代のみの適用除外として)日本に持ち込もうとしたのであれば、その基準をめぐって議論はあり得ても、絶対におかしいということにはならなかったでしょう。
 そもそも、残業代は基本給に比例します。いのちと健康に関わる労働時間規制や、生活が成り立つかどうかに響く最低賃金規制が絶対水準であるのと異なります。時給800円の非正規労働者が1時間残業しても、割増付きで1時間1000円になるだけですが、たとえば年収800万円の高給社員を時給換算して1時間4000円とすると、1時間残業すると割増付きで1時間5000円になります。これを支払わせることが、刑事罰をもって強制しなければならないほどの正義であるかどうかは、労働法というものの考え方によるでしょう。

政府の奇妙な理屈付けと経営側の追随
 ところが政府の規制改革・民間開放推進会議は、2005年12月の答申で、ホワイトカラーエグゼンプションを(残業代だけでなく)あらゆる労働時間規制からの適用除外として要求し、ご丁寧にもそれを「仕事と育児の両立を可能にする多様な働き方」だと位置づけたのです。
 しかし、労働時間規制とは「これ以上長く働かせてはいけない」という規制であって、「短く働いてはいけない」という規制ではありません。育児との両立のために短く働くことを労働基準法はなんら規制していません。労働時間規制を無くせば、仕事と育児が両立するなどというのは、端的に「ウソ」です。
 とはいえ、この虚構が閣議決定された以上、2006年2月から開始された労働政策審議会の審議において、厚生労働省も「自律的な働き方」とか「自由度の高い働き方」という言い方で、ホワイトカラーエグゼンプションを正当化せざるを得ませんでした。そして、この虚構が経営側をも巻き込んでいきます。日本経団連の紀陸孝氏は、労働政策審議会でも初期には「ある仕事を短時間でやった人はどうなりますか。賃金が低くなってしまう。時間にリンクしているだけで考えればね」と本音を語っていましたが、後には「時間外労働の手当をできるだけ抑制する、払いたくないがためにこういうものを入れるのではないかという指摘をよくされます。経営側としては、全然そんなことは考えておりません」などと、妙な建前論を弄するようになります。厚生労働省当局が振り回していた「自律的な働き方」という空疎な概念を、(企業経営の立場からすればそんなものが虚構に過ぎないことは重々承知の上で)いかにもそれを信奉しているかの如き態度をとることで、「どれくらい高給であれば残業代を払わなくてもいいのか」というまさに労使が決めるべき課題に正面から向かい合うことなく、逃げの議論に終始してしまったと批判されても仕方がないでしょう

労働側のまともな反論
 これに対して、労働政策審議会における労働側の反論は筋が通っていました。JAM(機械金属産業労組)の小山正樹氏は「本当に自律的に、仕事量も自分がすべて調整しながら働いているなどという人はいないのではないか」「本当にそういう人がいるというのでしたら、具体的な職場なり働き方の方においでいただいて、ヒアリングでもしてみたらどうかと思うのです」と皮肉をかませながら、「実態としては、そこに自由な働き方、自律的な働き方などというのはないのだと。むしろ長時間働きすぎて、それによって過労死や過労自殺が生じているのだという実態を踏まえていただきたいと思います」と突っ込んでいます。
 この頃、過労死遺族会が厚生労働省に「自律的な労働制度」を導入しないよう求めました。「労働時間規制がなければ過労死・過労自殺に拍車がかかるのは明らか。犠牲をこれ以上出さないでほしい」と、規制の厳格化や企業への罰則強化を求めたということです。
 しかし、実は経営側にはこれに対する再反論の余地は十分あったのです。そもそも上記日本経団連の提言では「労働時間の概念を、賃金計算の基礎となる時間と健康確保のための在社時間や拘束時間とで分けて考えることが、ホワイトカラーに真に適した労働時間制度を構築するための第一歩」と述べ、「労働者の健康確保の面からは、睡眠不足に由来する疲労の蓄積を防止するなどの観点から、在社時間や拘束時間を基準として適切な措置を講ずる」ことを主張していました。経営側の立場から弁護士活動をしている経営法曹の西修一郎氏は、「結局、賃金対象労働時間ではないが、安全配慮義務という観点から、拘束時間は結局は管理せざるを得ないですね。だからそういう意味で拘束時間という言い方を私はしますが、それを考えればエグゼンプションをどうやっても、どういう制度をやっても、拘束時間を管理するという制度は、結局は残るのです」と述べています。
 もし経営側がこういう論理を提示して、「そうだ、在社時間や拘束時間の上限という形で労働時間を管理するんだ。それなら時間外手当は適用除外でいいんだな」と反撃すれば、労働側に二の矢があったかどうかはたいへん疑わしいと思います。しかし、そういう議論は一度も行われませんでした。

「残業代ゼロ法案」というフレームアップ
 こうして、労使が本音で議論できるはずの残業代の適用除外ではなく、「自由度の高い働き方」という虚構の論理に乗った労働時間規制の適用除外が、2006年12月の労働政策審議会答申という形で世間に発表されたとたん、事態はさらに奇怪な方向にねじ曲がっていきます。
 労働側も過労死遺族会も長時間労働や過労死の恐れゆえに批判していたこの制度を、ほとんどのマスコミは「残業代ゼロ法案」と呼び、どんなに残業しても残業代が支払われないがゆえにけしからん制度だと(のみ)批判を繰り広げました。世論に敏感な政治家たちも一斉に否定的な発言を始めましたが、その中に「長時間労働」とか「過労死」という言葉は見あたらず、「残業代ピンハネ」といった扇情的な発言に終始しました。
 実は、この答申は、自由な働き方だから労働時間規制を撤廃するといいながら、木に竹を接ぐように、在社時間を管理して長時間労働には医師による面接指導を行えと求めていました。本来ならば、「それで十分なのか、時間そのものを規制すべきではないのか」といったまともな議論の出発点になり得たでしょう。
 しかし、「残業代ゼロ法案」批判の嵐の中では、そのような議論の余地はありませんでした。そして、結局政府は国会提出法案にホワイトカラーエグゼンプションを盛り込むことを断念し、月80時間を超える残業について割増率を5割に上げるという、まるで長時間残業を奨励しているかのような改正案を提出したのです(2008年12月に、月60時間を超える残業について割増5割と修正して成立)。

(コラム)月給制と時給制
 後述するように、2007年に成立した改正パート労働法は、短時間労働者と「通常の労働者」の均等待遇や均衡処遇を求めています。また同法の審議で指摘された短時間勤務ではない非正規労働者(いわゆるフルタイム・パート)の問題に対応するため、労働契約法にも「均衡」という言葉が盛り込まれました。均等待遇や均衡処遇といったときにもっとも重要なのはもちろん賃金ですが、現実の労務管理の世界では正社員と非正規労働者を分かつ賃金制度上の最大の違いは、前者が月給制であり、後者が時給制であるという点にあります。長期雇用を前提とする正社員に適用される月給制においては、学卒初任給に始まり、毎年の定期昇給によって賃金額が年功的に上昇していくことが普通です。一方、非正規労働者に適用される時給制においては、そのつどの外部労働市場の状況によって賃金額が決まり、年功的上昇や査定は原則として存在しません。
 本来、月給制の賃金額と時給制の賃金額は比較可能ではありません。なぜならば、本来の月給制とは、その月に何時間労働しようがしまいが、月当たりの固定給として一定額を渡し切りで支給するもので、時間当たりの賃金額を一義的に算出することはそもそもできないものだからです。実際、戦前の日本でホワイトカラー職員に適用されていた月給制とは、そのような純粋月給制でした。彼らに残業手当という概念はなかったのです。これに対し、ブルーカラー層に適用されていた日給制とは、残業すれば割増がつく時給制でした。
 この両者が入り混じってきたのは、戦時下にブルーカラーの工員にも月給制が適用され、その際月給制であるにもかかわらず残業手当が支払われることとされたことが原因です。一方でホワイトカラー職員の給与にも残業手当を支給するよう指導が行われました。職員も工員も陛下の赤子たる産業戦士であるというこの戦時体制の産物が、敗戦後の活発な労働運動によって工職身分差別撤廃闘争として展開され、多くのホワイトカラー労働者とブルーカラー労働者が残業代のつく月給制という仕組みの下に置かれることとなったのです。
 労働基準法第37条もこの土俵の上に立って、労働時間規制の適用が除外される管理監督者でない限りは、すべての労働者に対して残業代の支給を義務づけています。同法施行規則第19条は、月給制であってもその額を1月の所定労働時間で割った時間当たり賃金を算出し、それをもとに割増額を算定することを求めています。これは、管理監督者でない限り、月給制といえども月単位にまとめて支払われる時給制であると見なしているのと同じです。つまり、正社員と非正規労働者を分かつ最大の違いであるはずの賃金制度は実は共通であり、両者は時間当たり賃金において比較可能であるという意外な結論に導かれます。
 ここからどういう結論を展開するかは、読者の関心によって様々でしょう。正社員も実は時給制であるのなら、時給ベースで均等待遇を論ずることができるはずだという議論もあり得ます。本来の月給制は残業代無しの渡し切りなのだから、そういうエグゼンプトは均等待遇の議論には乗らないはずだという議論もあり得ましょう。ホワイトカラーエグゼンプションの議論は「残業代ゼロ法案」というマスコミの批判で潰えてしまいましたが、賃金制度を補助線として引いてみることによって、非正規労働者の均等待遇・均衡処遇の議論とつながってくる可能性があるのです。

3 いのちと健康を守る労働時間規制へ

消えた「健康」の発想
 労働経済白書によると、25~44歳の男性で週60時間以上働く人の割合は2割以上に達しています。週60時間とは5日で割れば1日12時間です。これは、1911年に日本で初めて工場法により労働時間規制が設けられたときの1日の上限時間に当たります。
 工場法はいうまでもなく、『女工哀史』に見られるような凄惨な労働実態を改善するために制定されたものです。当時、長時間労働で健康を害し結核に罹患する女工が多く、労働時間規制は何よりも彼女らの健康を守るための安全衛生規制として設けられました。
 ところが、終戦直後に労働基準法が制定されるとき、1日8時間という規制は健康確保ではなく「余暇を確保しその文化生活を保障するため」のものとされ、それゆえ36協定(時間外・休日労働を行わせるために必要な労使協定)で無制限に労働時間を延長できることになってしまいました。労働側が余暇よりも割賃による収入を選好するのであれば、それをとどめる仕組みはありません。実際、戦後労働運動の歴史の中で、36協定を締結せず残業をさせないのは組合差別であるという訴えが労働委員会や裁判所で認められてきたという事実は、労働側が労働時間規制をどのように見ていたかを雄弁に物語っています。
 もっとも、制定時の労働基準法は女子労働者については時間外労働の絶対上限(1日2時間、1週6時間、1年150時間)を設定し、工場法の思想を保っていました。これが男女雇用機会均等に反するというそれ自体は正しい批判によって、1985年、1997年と改正され、撤廃されることにより、女性労働者も男性と同様無制限の長時間労働の可能性にさらされることになりました。健康のための労働時間規制という発想は日本の法制からほとんど失われてしまったのです。こうした法制の展開が、労働の現場で長時間労働が蔓延し、過労死や過労自殺が社会問題になりつつあった時期に進められたという点に、皮肉なものを感じざるを得ません。

過重労働問題と労働政策の転換
 一方この時期、労働時間規制ではなく、労災補償と安全衛生の分野で政策の転換が進んでいました。
 前者は、脳・心臓疾患の労災認定をめぐる裁判例の進展と、これを受けた労働省の認定基準の改定という形で進みました。かつては発症の直前または前日に過激な業務をしたことを要求していたのが、発症前1週間の過重な業務で判断するようになり、さらに2000年7月の最高裁判決(横浜南労基署長(東京海上横浜支店)事件(2000年7月17日))を受けて発出された2001年12月の認定基準では、6か月という長期間にわたる業務の過重性を発症との因果関係で評価しています。具体的には、発症前1か月ないし6ヶ月間にわたり、1か月あたりおおむね45時間を超えて時間外労働が長くなれば業務と発症との関連性が強まり、さらに発症前1ヶ月間におおむね100時間(または発症前2か月ないし6ヶ月間にわたって1か月あたりおおむね80時間)を超える時間外労働は、業務と発症の関連性が強いとしています。
 この基準の最大の意義は、労災補償法政策と労働時間法政策を交錯させたことにあります。具体的な数字を示して、一定時間以上の長時間労働は使用者の災害補償義務の対象になりうる過重労働であると認めたわけですから、労働時間規制へのインパクトは大きいはずです。
 次に転換したのは、労災補償と裏腹の関係にある安全衛生法政策でした。2002年2月に「過重労働による健康障害防止」のための通達が出され、2005年11月には労働安全衛生法が改正されています。この改正では、月100時間を超える時間外労働に対して医師による面接指導が義務づけられ、事業者は医師の意見を聞いて、就業場所の変更、作業の転換、労働時間の短縮、深夜業の減少などの措置を講じなければなりません。
 このように、物理的な長時間労働を労災要因、安全衛生リスクとして規制しようという発想は、労働政策の中で着実に拡大してきています。ところが労働時間規制という本丸では、健康確保のための物理的労働時間規制という発想はいまだに土俵にすら上っていないのです。

まずはEU型の休息期間規制を
 残業代規制だけで労働時間規制の存在しないアメリカと対照的に、EUの労働時間指令は労働者の健康と安全の保護が目的で、物理的労働時間のみを規制して残業代は労使に委ねています。
 そこでは週労働時間の上限は48時間とされています。日本より緩いではないか、と思ったら大間違いです。これは「時間外を含め」た時間の上限なのです。EUの労働時間規制は、それを超えたら残業代がつく基準ではありません(それは労使が決めるべきものです)。それを超えて働かせることが許されない基準なのです。最高1年の変形制が認められていますが、これも日本のように変形制の上限を超えたら残業代がつくだけのものとは違い、上限を超えることを許さないものです。これが、(イギリスを除く)EU諸国の現実の法制です。
 イギリスだけはオプトアウトという個別適用除外制度を導入しています。労働者が認めたら週48時間を超えて働かせてもいいというもので、大きな非難を浴び続けてきました。しかし、実はオプトアウトを適用しても労働時間には物理的上限があります。それは休息期間規制があるからです。
 EU指令は1日につき最低連続11時間の休息期間を求めています。これと1週ごとに最低24時間の絶対休日を合わせると、1週間の労働時間の上限はどんなに頑張っても78時間を超えることはできません。たとえオプトアウトでも上限はあるのです。現在審議中の指令改正案ではこの上限を週60時間にしようとしています。
 現在の日本に「時間外含めて週48時間」という規制を絶対上限として導入しようというのは、いささか夢想的かも知れません。しかし、せめて1日最低連続11時間の休息期間くらいは、最低限の健康確保のために導入を検討してもいいのではないでしょうか。
 上記安全衛生法改正時の検討会では、和田攻座長が、6時間以上睡眠をとった場合は、医学的には脳・心臓疾患のリスクはないが、5時間未満だと脳・心臓疾患の増加が医学的に証明されていると説明しています。毎日6時間以上睡眠がとれるようにするためには、それに最低限の日常生活に必要な数時間をプラスした最低11時間の休息期間を確保することが最低ラインというべきではないでしょうか。
 なお、情報労連に属する9つの労働組合が、2009年春闘で残業終了から翌日の勤務開始までの勤務間インターバル制度の導入を経営側と妥結しました。2社が10時間、7社が8時間と、EU指令よりやや緩やかですが、いのちと健康のための労働時間規制という方向に向けた小さな第一歩として注目すべきでしょう。

 

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「ホワイトカラーエグゼンプションの虚構と真実」@『世界』2007年3月号

Sekai 「ホワイトカラーエグゼンプションの虚構と真実」@『世界』2007年3月号

1 ねじれの構造

 ホワイトカラーエグゼンプションをめぐる最大の問題点は、マスコミや政治家のレベルにおいては、本来問題とすべきではないことが問題とされ、真に問題とすべきことが後ろに隠れてしまっていることである
 以下順次説明していこう。多くのマスコミや政治家にとっては、ホワイトカラーエグゼンプションはサラリーマンから残業代を取り上げる制度であるがゆえに、慎重に対処すべきものであるらしい。ことごとに「残業代ゼロ」と言いつのる朝日新聞の編集部も似たような発想であろう。しかし、残業代がゼロであることはなにゆえに悪いことなのか、きちんとした説明がされたことはない。確かに、現行労働基準法第37条は、管理監督者でない限り時間外労働に対しては25%の割増賃金を払うことを義務づけている。これに反して残業代を払わなければ「サービス残業」として摘発され、膨大な未払残業代を払わされることになる。しかし、立法論としてそれがどこまで正当化しうるものなのかは、少なくとも政治的なレベルでは論じられていない。後述するように、この点については日本の法制はヨーロッパ諸国よりも過剰に厳格であり、規制を緩和する正当性は大いにある
 しかしながら、ここで正当性があるのは時間外手当支払い義務という規制の緩和であって、労働時間規制の緩和ではない。現在提起されようとしているホワイトカラーエグゼンプションの最大の問題点は、それが時間外手当の適用除外にとどまらず、労働時間規制そのものを適用除外しようとするところにあるのだ。労働基準法の条文で言えば、第37条にとどまらず、第32条及び第36条が適用されなくなってしまうという点に問題があるのである。どういう問題があるのか。生命と健康である。労働時間規制とはゼニカネのためのものではない。労働者の生命と健康を守るためにある。これ以上長時間働いては生命と健康に危険だ、というのが労働時間規制の最大の目的である以上、これを外すことには慎重でなければならない。さもなければ過労死や過労自殺が続出する危険性すらあろう。ところが、この最大の問題点は、審議会における労働組合側の主張では繰り返し提起されていたにもかかわらず、マスコミや政治は余り関心を持っていないようだ。 ・・・・

2 時間外手当エグゼンプションの正当性

 そもそも、多くの人々は、ホワイトカラーエグゼンプションとは労働時間規制の適用除外という意味だと信じて疑わないようだ。現に、審議会答申はそういう制度を提起しているのであるし、それゆえに「自律的」だの「自由度の高い」といったタテマエ論で正当化しようとするのであろう。
 しかし、この言葉の輸入元のアメリカでは、これは時間外手当の適用除外を意味するに過ぎない。いやそもそも、アメリカには法律による労働時間規制が存在しない。確かにアメリカには公正労働基準法という立派な名前の法律があり、週40時間を超えて労働させた場合には通常の賃金の5割増を払えと規定している。しかし、週40時間を超えて働かせてはいけない(日本の第32条)とか、その場合には何らかの手続をとれ(日本の第36条)といった規定は何もない。だから、はじめから週100時間という契約で働かせることだって十分可能である。はじめの40時間は最低賃金で、あとの60時間はその5割増であれば、何の問題もない。アメリカにあるのは賃金規制に過ぎない。その賃金規制を一定のホワイトカラーについて適用除外しているに過ぎない。「自由度」などとは何の関係もない。 
 日本でもアメリカの公正労働基準法に倣って、労基法第37条の適用除外を検討することは何らおかしいことではない。そして、それをいかなる場合に適用除外してよいかという判断は、「自由度」などとは何の関係もなく、基本的には「労働時間の長短ではなく成果や能力などにより評価されることがふさわしい労働者」であるか否かによってなされるべきであろう。その上で、アメリカのホワイトカラーエグゼンプションと同様、職務要件に加えて、賃金支払い形態が俸給制であって時間給ではないこと、俸給水準が一定額以上であることという2つの要件が求められよう。
 この「俸給制」というのは「実際に働いた日数や時間数にかかわらず、週以上の期間を基礎として前もって決定された一定額の給与が支払われる賃金支払い形態でなければならない」ということである。例えば2時間遅刻しても賃金カットされないのなら、2時間残業しても残業手当を払わなくてもよい。逆に2時間遅刻したらノーワーク・ノーペイで2時間分賃金カットするというのなら、2時間残業した場合でもノーペイ・ノーワークで2時間分残業手当を払えということである。
 この点については、私は現在の労基法第37条の解釈が硬直的すぎるのではないかと考えている。労働基準法施行規則第19条はご丁寧に、時間給、日給、週給、月給、さらには出来高払いの場合の割増額の計算方法まで規定している。このため、たとえ月給制の場合でも、その額を1ヶ月の所定労働時間で割った時間当たり賃金額を算出し、それをもとに割増額を算定するという仕組みになっている。これは、いかなる月給制といえども、月単位にまとめて支払われる時給制であると見なしているのと同じではなかろうか
 この点について解説したものはほとんどないが、制定直後に出た『労働基準法逐条解説全書』(産業厚生時報社)には、基準法により純粋の月給制は実施できなくなり、日給月給制に移行したとの記述がある。戦前のホワイトカラーに適用されていた月給制というのは、ノーワークでもペイがあり、ノーペイでもワークがある固定給制であり、職工に適用されていたノーワーク・ノーペイかつノーペイ・ノーワークの日給制とは区別されていたが、戦中戦後の激動の中で職員と工員の身分差別撤廃が進められ、両者が混交するようになったらしい。
 戦時中厚生省が策定した「勤労者(工員)給与制度ノ指導ニ関スル件」は、工員にも月給制を適用しながら、欠勤には減額、早出残業には手当の支給を求めるものであった。一方、ホワイトカラーの給与については大蔵省所管の会社経理統制令施行規則が、居残・早出手当や休日出勤手当の額を定めていた(第20条の2)。これらは、工員も職員も等しく陛下の赤子と見る皇国勤労観から打ち出された労働政策と言えよう。
 終戦後、猛烈な勢いで労働組合が結成されたが、それらはほとんどホワイトカラー、ブルーカラー両者を結集した工職混合組合であり、戦時中の皇国勤労観に基づく政策方向が急進的な労働運動によってほとんどそのまま受け継がれることになった。戦後賃金体系の原型といわれる電産型賃金体系は、戦時中の年齢と扶養家族数に基づく生活保障給の思想を受け継いだだけでなく、月給制でありながら時間外・休日手当を規定する実質日給制であり、これが戦後日本に一般化したわけである。労基則第19条は、この時期の思想を色濃く示しているように思われる。
 工場労働者を念頭に置けば、賃金支払い形態が月給制になったからといって、残業手当が払われなくなるなどということは許されないであろう。しかしながら、事務部門の従来から月給制であったいわゆるサラリーマンについてまで、全て一旦時間給に割り戻すという仕組みにしたことは行き過ぎであったように思われる。
 その意味では、ホワイトカラーエグゼンプションの導入という形で提起されている問題は、実は戦後労基則第19条によって封印された戦前型の純粋月給制を復活すべきか否かという問題に他ならないと言える。従って、その是非の決め手も、労働時間規制のあり方如何などというところにあるはずもなく、賃金法政策として、ワークとペイの全面的切り離しをどこまで認めるのかという点にあるはずである
 最近は成果主義賃金制度がかなり広まってきて、年俸制の対象となる労働者も増えてきている。しかしながら、現行法制度の下では、管理監督者でない限り、年俸制といえども月払いの日給制であり、1時間あたりの単価に割増率をかけて時間外手当を算定しなければならないというのが建前である。これはあまりにも現実とかけ離れた法規制であるし、何よりも、現実に成果主義人事のもとで働いている技術部門や事務部門の労働者にとって、そのような法規制には次第に正当性が感じられなくなりつつあるのではないだろうか。
 この点で一昨年興味深い判決があった、モルガンスタンレー事件(東京地判平成17年10月19日)である。年間基本給が2200万円、ボーナスがそれ以上という超高給サラリーマンである原告が時間外手当の支給を求めたこの事件の判決で、難波孝一裁判官は「基本給の中に時間外労働の対価も含まれている」として請求を棄却した。労働法学者が述べるように「本判決は労基法の解釈としては容認し得ない」(『ジュリスト』1315号の橋本陽子評釈)ものではあるが、立法論としては、百人中99人までが時間外手当の不支給に賛成するであろう。
 それだけではなく、労基則第19条によって法律上支払わなければならない時間外割増賃金が、労働者の側で自らの成果に対応しない正当性の薄いものと認識されることによって、堂々とそれを請求することがしにくくなり、そのことが賃金だけの問題ではなく、本来労働安全衛生の観点からの刑罰法規であるはずの実体的労働時間規制を空洞化するという逆効果をもたらしているように思われる。いわゆるサービス残業は、時間外労働に対応する賃金を払わないからという理由で悪いのではなく、使用者が労働時間を適確に把握しないまま実体的な長時間労働を野放しにすることになり、かえって労働安全衛生上危険な事態を招くことになるから問題なのではないだろうか。むしろ、そういう労働者については、賃金と労働時間のリンクを切り離した上で、安全衛生に係る刑罰法規としての実体的労働時間規制を強化する方向が望ましいように思われる。この問題は、ただ「サービス残業許すまじ」と唱えていればすむ問題ではない。・・・・

4 EU型の休息期間規制を
 
 「労働時間の長短ではなく成果や能力などにより評価されることがふさわしい労働者」であっても、健康確保のために、睡眠不足に由来する疲労の蓄積を防止しなければならず、そのために在社時間や拘束時間はきちんと規制されなければならない。この大原則から出発して、どのような制度の在り方が考えられるだろうか。
 実は、日本経団連が2005年6月に発表した「ホワイトカラー・エグゼンプションに関する提言」では、「労働時間の概念を、賃金計算の基礎となる時間と健康確保のための在社時間や拘束時間とで分けて考えることが、ホワイトカラーに真に適した労働時間制度を構築するための第一歩」と述べ、「労働者の健康確保の面からは、睡眠不足に由来する疲労の蓄積を防止するなどの観点から、在社時間や拘束時間を基準として適切な措置を講ずることとしてもさほど大きな問題はない」と、明確に在社時間・拘束時間規制を提起している。
 私は、在社時間や拘束時間の上限という形よりも、それ以外の時間、すなわち会社に拘束されていない時間--休息期間の下限を定める方がよりその目的にそぐうと考える。上述の2005年労働安全衛生法改正のもとになった検討会の議事録においては、和田攻座長から、6時間以上睡眠をとった場合は、医学的には脳・心臓疾患のリスクはほとんどないが、5時間未満だと脳・心臓疾患の増加が医学的に証明されているという説明がなされている。毎日6時間以上睡眠時間がとれるようにするためには、それに最低限の日常生活に必要不可欠な数時間をプラスした一定時間の休息期間を確保することが最低ラインというべきであろう。
 この点で参考になるのが、EUの労働時間指令である。この指令はEU加盟各国で法律となり、すべての企業と労働者を拘束している。EUでは、労働時間法政策は労働安全衛生法政策の一環として位置づけられており、それゆえに同指令も日、週及び年ごとの休息期間を定めるとともに、深夜業に一定の規制を行っているが、賃金に関しては一切介入していない。つまり時間外手当がいくら払われるべきか、あるいはそもそも払われるべきか否かも含めて、EUはなんら規制をしていないのである。労働者の生命や健康と関わる実体的労働時間は一切規制しないくせに、ゼニカネに関することだけはしっかり規制するアメリカとは実に対照的である。各国レベルで見ても、時間外手当の規制は労働協約でなされているのが普通であり、法律の規定があっても労働協約で異なる扱いをすることができるようになっている。たとえばドイツでも、1994年の新労働時間法までは法律で時間外労働に対する割増賃金の規定があったが、同改正で廃止されている。
 EUの労働時間指令において最も重要な概念は「休息期間」という概念である。そこでは、労働者は24時間ごとに少なくとも継続11時間の休息期間をとる権利を有する。通常は拘束時間の上限は13時間ということになるが、仮に仕事が大変忙しくてある日は夜中の2時まで働いたとすれば、その翌朝は早くても午後1時に出勤ということになる。睡眠時間や心身を休める時間を確保することが重要なのである。
 これはホワイトカラーエグゼンプションの対象となる管理職の手前の人だけの話ではない。これまで労働時間規制が適用除外されてきた管理職も含めて、休息期間を確保することが現在の労働時間法政策の最も重要な課題であるはずである。これに加えて、週休の確保と、一定日数以上の連続休暇の確保、この3つの「休」の確保によって、ホワイトカラーエグゼンプションは正当性のある制度として実施することができるであろう

 

 

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高度でもプロフェッショナルでもないごく普通の新入社員が無制限の時間外・休日労働にさらされる国だった今までの日本を、ひたすら美化する人々の群れ・・・

別エントリのコメント欄から転載。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/06/hr-b879.html#comment-117025230

そもそも、過労死した人の圧倒的大部分は、現に異次元の労働時間(無)規制の下にある一般労働者なのであって、高プロばかりをフレームアップすること自体が、きわめて意図的な歪んだ議論であるという認識が私の基本にあります。そのことは今まで10年以上私が書いたりしゃべってきたことを読めばよくお分かりのはずですが、なかなか通じていないように見えるのは私の不徳の致すところなのでしょうね。

しょせん、「いわゆる生活残業」も含む、経営者側から見て合理的でない残業代の是正が目的のエグゼンプションを、あたかも労働者のためであるかのようなウソの議論でくるんで繰り返し提出してきた政府に対しても、私は全然同情するところはありませんが、それにしても、上限規制さえ入れればそれなりに合理的な制度である高プロをあたかもそれのみが長時間労働を許してしまう唯一の極悪非道であるかのようなインチキ極まるフレームアップをするような人々の道徳性を、私はあまり信用していないということは、これも繰り返し述べてきたところです。

それだけです。

もひとつ。

>つまり今回の法律以降は     高プロのみが長時間労働を許してしまう唯一の規定 であるとはいえると思います。

その「今回の法律」がまだ成立もしていない段階で、

すなわち、過労死する「異次元の危険」という点では、一般労働者もまったく同じである状態において、

あたかもすでに一般労働者には立派な労働時間規制があって、過労死する危険性などまったくないのに、新たに設けられる高プロとやら「だけ」が過労死する危険なものであるかのようなプロパガンダをまき散らし、

その、過労死する危険のもとであるからといって高プロをつぶすために、実はそれと全く同じ危険にさらされている一般労働者のための時間外規制を含む働き方改革推進法案を全部廃案にせよという政治的主張を発し続けた人々の、

そういう人々の非道徳性を、私は言っています。

現実に過労死の現実的危険性にさらされている一般労働者への時間外労働の上限規制(それはなお不十分なものであるとはいえ)を弊履のごとく吐き捨ててでも、

その今現在一般労働者の危険性と同様の(いや、正確に言えば、上限規制がない点では同じですが、一般労働者にはない休日規制がある点だけはやや危険性が少ないとすらいえる)高プロだけを、残業代がなくなるから潰したいという本音をひそかに隠して、それだけが危険であるかのようなプロパガンダを平然とやってのけられる人々の、

そういう人々の非倫理性に我慢がならないのです。

少なくとも、今回の一連の動きの中で、一般労働者への時間外の上限規制があるから法案は成立させなければいけないという、極めてまっとうな意見を言う人に対して、何とかの手先みたいに悪罵を投げ続けた人々は、今現在の労働時間(無)規制」の悲惨な実態を、あたかも今現在素晴らしい労働時間規制があって一般労働者はみなそれに守られておるかのごときプロパガンダを繰り返していました。

そういう連中は全部インチキ野郎だと思っています。

毎年何百人も出る過労死労働者の圧倒的大部分は、そのご立派な労働時間規制とやらに守られているはずの、一般労働者です。

だから私は、わざわざ北海道まで行って、過労死防止学会の席上で

「ボーッと生きてんじゃねえよ!!!」

と咆哮してきたのですが、鈍感な人々にはまったく通じていなかったようですね。

まっとうな労働問題の専門家であれば、たった今までの日本こそが、高度でもプロフェッショナルでもないごく普通の新入社員が無制限の時間外・休日労働にさらされる国であり、それゆえに99年前のILO第1号条約すら批准できない情けない国であり、今回の法改正でようやく、そういう状況から(なお相当に不十分とはいえ)それなりにまっとうな状態に脱却できたのであるということがわかっているはずですが、ある種の人々はわかっているのにあえてそれを秘めかくして、もっともらしいプロパガンダに励むようです。

 

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