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2018年7月 1日 (日)

「ホワイトカラーエグゼンプションの虚構と真実」@『世界』2007年3月号

Sekai 「ホワイトカラーエグゼンプションの虚構と真実」@『世界』2007年3月号

1 ねじれの構造

 ホワイトカラーエグゼンプションをめぐる最大の問題点は、マスコミや政治家のレベルにおいては、本来問題とすべきではないことが問題とされ、真に問題とすべきことが後ろに隠れてしまっていることである
 以下順次説明していこう。多くのマスコミや政治家にとっては、ホワイトカラーエグゼンプションはサラリーマンから残業代を取り上げる制度であるがゆえに、慎重に対処すべきものであるらしい。ことごとに「残業代ゼロ」と言いつのる朝日新聞の編集部も似たような発想であろう。しかし、残業代がゼロであることはなにゆえに悪いことなのか、きちんとした説明がされたことはない。確かに、現行労働基準法第37条は、管理監督者でない限り時間外労働に対しては25%の割増賃金を払うことを義務づけている。これに反して残業代を払わなければ「サービス残業」として摘発され、膨大な未払残業代を払わされることになる。しかし、立法論としてそれがどこまで正当化しうるものなのかは、少なくとも政治的なレベルでは論じられていない。後述するように、この点については日本の法制はヨーロッパ諸国よりも過剰に厳格であり、規制を緩和する正当性は大いにある
 しかしながら、ここで正当性があるのは時間外手当支払い義務という規制の緩和であって、労働時間規制の緩和ではない。現在提起されようとしているホワイトカラーエグゼンプションの最大の問題点は、それが時間外手当の適用除外にとどまらず、労働時間規制そのものを適用除外しようとするところにあるのだ。労働基準法の条文で言えば、第37条にとどまらず、第32条及び第36条が適用されなくなってしまうという点に問題があるのである。どういう問題があるのか。生命と健康である。労働時間規制とはゼニカネのためのものではない。労働者の生命と健康を守るためにある。これ以上長時間働いては生命と健康に危険だ、というのが労働時間規制の最大の目的である以上、これを外すことには慎重でなければならない。さもなければ過労死や過労自殺が続出する危険性すらあろう。ところが、この最大の問題点は、審議会における労働組合側の主張では繰り返し提起されていたにもかかわらず、マスコミや政治は余り関心を持っていないようだ。 ・・・・

2 時間外手当エグゼンプションの正当性

 そもそも、多くの人々は、ホワイトカラーエグゼンプションとは労働時間規制の適用除外という意味だと信じて疑わないようだ。現に、審議会答申はそういう制度を提起しているのであるし、それゆえに「自律的」だの「自由度の高い」といったタテマエ論で正当化しようとするのであろう。
 しかし、この言葉の輸入元のアメリカでは、これは時間外手当の適用除外を意味するに過ぎない。いやそもそも、アメリカには法律による労働時間規制が存在しない。確かにアメリカには公正労働基準法という立派な名前の法律があり、週40時間を超えて労働させた場合には通常の賃金の5割増を払えと規定している。しかし、週40時間を超えて働かせてはいけない(日本の第32条)とか、その場合には何らかの手続をとれ(日本の第36条)といった規定は何もない。だから、はじめから週100時間という契約で働かせることだって十分可能である。はじめの40時間は最低賃金で、あとの60時間はその5割増であれば、何の問題もない。アメリカにあるのは賃金規制に過ぎない。その賃金規制を一定のホワイトカラーについて適用除外しているに過ぎない。「自由度」などとは何の関係もない。 
 日本でもアメリカの公正労働基準法に倣って、労基法第37条の適用除外を検討することは何らおかしいことではない。そして、それをいかなる場合に適用除外してよいかという判断は、「自由度」などとは何の関係もなく、基本的には「労働時間の長短ではなく成果や能力などにより評価されることがふさわしい労働者」であるか否かによってなされるべきであろう。その上で、アメリカのホワイトカラーエグゼンプションと同様、職務要件に加えて、賃金支払い形態が俸給制であって時間給ではないこと、俸給水準が一定額以上であることという2つの要件が求められよう。
 この「俸給制」というのは「実際に働いた日数や時間数にかかわらず、週以上の期間を基礎として前もって決定された一定額の給与が支払われる賃金支払い形態でなければならない」ということである。例えば2時間遅刻しても賃金カットされないのなら、2時間残業しても残業手当を払わなくてもよい。逆に2時間遅刻したらノーワーク・ノーペイで2時間分賃金カットするというのなら、2時間残業した場合でもノーペイ・ノーワークで2時間分残業手当を払えということである。
 この点については、私は現在の労基法第37条の解釈が硬直的すぎるのではないかと考えている。労働基準法施行規則第19条はご丁寧に、時間給、日給、週給、月給、さらには出来高払いの場合の割増額の計算方法まで規定している。このため、たとえ月給制の場合でも、その額を1ヶ月の所定労働時間で割った時間当たり賃金額を算出し、それをもとに割増額を算定するという仕組みになっている。これは、いかなる月給制といえども、月単位にまとめて支払われる時給制であると見なしているのと同じではなかろうか
 この点について解説したものはほとんどないが、制定直後に出た『労働基準法逐条解説全書』(産業厚生時報社)には、基準法により純粋の月給制は実施できなくなり、日給月給制に移行したとの記述がある。戦前のホワイトカラーに適用されていた月給制というのは、ノーワークでもペイがあり、ノーペイでもワークがある固定給制であり、職工に適用されていたノーワーク・ノーペイかつノーペイ・ノーワークの日給制とは区別されていたが、戦中戦後の激動の中で職員と工員の身分差別撤廃が進められ、両者が混交するようになったらしい。
 戦時中厚生省が策定した「勤労者(工員)給与制度ノ指導ニ関スル件」は、工員にも月給制を適用しながら、欠勤には減額、早出残業には手当の支給を求めるものであった。一方、ホワイトカラーの給与については大蔵省所管の会社経理統制令施行規則が、居残・早出手当や休日出勤手当の額を定めていた(第20条の2)。これらは、工員も職員も等しく陛下の赤子と見る皇国勤労観から打ち出された労働政策と言えよう。
 終戦後、猛烈な勢いで労働組合が結成されたが、それらはほとんどホワイトカラー、ブルーカラー両者を結集した工職混合組合であり、戦時中の皇国勤労観に基づく政策方向が急進的な労働運動によってほとんどそのまま受け継がれることになった。戦後賃金体系の原型といわれる電産型賃金体系は、戦時中の年齢と扶養家族数に基づく生活保障給の思想を受け継いだだけでなく、月給制でありながら時間外・休日手当を規定する実質日給制であり、これが戦後日本に一般化したわけである。労基則第19条は、この時期の思想を色濃く示しているように思われる。
 工場労働者を念頭に置けば、賃金支払い形態が月給制になったからといって、残業手当が払われなくなるなどということは許されないであろう。しかしながら、事務部門の従来から月給制であったいわゆるサラリーマンについてまで、全て一旦時間給に割り戻すという仕組みにしたことは行き過ぎであったように思われる。
 その意味では、ホワイトカラーエグゼンプションの導入という形で提起されている問題は、実は戦後労基則第19条によって封印された戦前型の純粋月給制を復活すべきか否かという問題に他ならないと言える。従って、その是非の決め手も、労働時間規制のあり方如何などというところにあるはずもなく、賃金法政策として、ワークとペイの全面的切り離しをどこまで認めるのかという点にあるはずである
 最近は成果主義賃金制度がかなり広まってきて、年俸制の対象となる労働者も増えてきている。しかしながら、現行法制度の下では、管理監督者でない限り、年俸制といえども月払いの日給制であり、1時間あたりの単価に割増率をかけて時間外手当を算定しなければならないというのが建前である。これはあまりにも現実とかけ離れた法規制であるし、何よりも、現実に成果主義人事のもとで働いている技術部門や事務部門の労働者にとって、そのような法規制には次第に正当性が感じられなくなりつつあるのではないだろうか。
 この点で一昨年興味深い判決があった、モルガンスタンレー事件(東京地判平成17年10月19日)である。年間基本給が2200万円、ボーナスがそれ以上という超高給サラリーマンである原告が時間外手当の支給を求めたこの事件の判決で、難波孝一裁判官は「基本給の中に時間外労働の対価も含まれている」として請求を棄却した。労働法学者が述べるように「本判決は労基法の解釈としては容認し得ない」(『ジュリスト』1315号の橋本陽子評釈)ものではあるが、立法論としては、百人中99人までが時間外手当の不支給に賛成するであろう。
 それだけではなく、労基則第19条によって法律上支払わなければならない時間外割増賃金が、労働者の側で自らの成果に対応しない正当性の薄いものと認識されることによって、堂々とそれを請求することがしにくくなり、そのことが賃金だけの問題ではなく、本来労働安全衛生の観点からの刑罰法規であるはずの実体的労働時間規制を空洞化するという逆効果をもたらしているように思われる。いわゆるサービス残業は、時間外労働に対応する賃金を払わないからという理由で悪いのではなく、使用者が労働時間を適確に把握しないまま実体的な長時間労働を野放しにすることになり、かえって労働安全衛生上危険な事態を招くことになるから問題なのではないだろうか。むしろ、そういう労働者については、賃金と労働時間のリンクを切り離した上で、安全衛生に係る刑罰法規としての実体的労働時間規制を強化する方向が望ましいように思われる。この問題は、ただ「サービス残業許すまじ」と唱えていればすむ問題ではない。・・・・

4 EU型の休息期間規制を
 
 「労働時間の長短ではなく成果や能力などにより評価されることがふさわしい労働者」であっても、健康確保のために、睡眠不足に由来する疲労の蓄積を防止しなければならず、そのために在社時間や拘束時間はきちんと規制されなければならない。この大原則から出発して、どのような制度の在り方が考えられるだろうか。
 実は、日本経団連が2005年6月に発表した「ホワイトカラー・エグゼンプションに関する提言」では、「労働時間の概念を、賃金計算の基礎となる時間と健康確保のための在社時間や拘束時間とで分けて考えることが、ホワイトカラーに真に適した労働時間制度を構築するための第一歩」と述べ、「労働者の健康確保の面からは、睡眠不足に由来する疲労の蓄積を防止するなどの観点から、在社時間や拘束時間を基準として適切な措置を講ずることとしてもさほど大きな問題はない」と、明確に在社時間・拘束時間規制を提起している。
 私は、在社時間や拘束時間の上限という形よりも、それ以外の時間、すなわち会社に拘束されていない時間--休息期間の下限を定める方がよりその目的にそぐうと考える。上述の2005年労働安全衛生法改正のもとになった検討会の議事録においては、和田攻座長から、6時間以上睡眠をとった場合は、医学的には脳・心臓疾患のリスクはほとんどないが、5時間未満だと脳・心臓疾患の増加が医学的に証明されているという説明がなされている。毎日6時間以上睡眠時間がとれるようにするためには、それに最低限の日常生活に必要不可欠な数時間をプラスした一定時間の休息期間を確保することが最低ラインというべきであろう。
 この点で参考になるのが、EUの労働時間指令である。この指令はEU加盟各国で法律となり、すべての企業と労働者を拘束している。EUでは、労働時間法政策は労働安全衛生法政策の一環として位置づけられており、それゆえに同指令も日、週及び年ごとの休息期間を定めるとともに、深夜業に一定の規制を行っているが、賃金に関しては一切介入していない。つまり時間外手当がいくら払われるべきか、あるいはそもそも払われるべきか否かも含めて、EUはなんら規制をしていないのである。労働者の生命や健康と関わる実体的労働時間は一切規制しないくせに、ゼニカネに関することだけはしっかり規制するアメリカとは実に対照的である。各国レベルで見ても、時間外手当の規制は労働協約でなされているのが普通であり、法律の規定があっても労働協約で異なる扱いをすることができるようになっている。たとえばドイツでも、1994年の新労働時間法までは法律で時間外労働に対する割増賃金の規定があったが、同改正で廃止されている。
 EUの労働時間指令において最も重要な概念は「休息期間」という概念である。そこでは、労働者は24時間ごとに少なくとも継続11時間の休息期間をとる権利を有する。通常は拘束時間の上限は13時間ということになるが、仮に仕事が大変忙しくてある日は夜中の2時まで働いたとすれば、その翌朝は早くても午後1時に出勤ということになる。睡眠時間や心身を休める時間を確保することが重要なのである。
 これはホワイトカラーエグゼンプションの対象となる管理職の手前の人だけの話ではない。これまで労働時間規制が適用除外されてきた管理職も含めて、休息期間を確保することが現在の労働時間法政策の最も重要な課題であるはずである。これに加えて、週休の確保と、一定日数以上の連続休暇の確保、この3つの「休」の確保によって、ホワイトカラーエグゼンプションは正当性のある制度として実施することができるであろう

 

 

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