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2018年5月27日 (日)

雇用システムと教育システムの問題

読売教育ネットワークの「異論交論」に、経済同友会代表幹事で、三菱ケミカルホールディングの代表取締役社長の小林喜光さんが登場しています。

http://kyoiku.yomiuri.co.jp/torikumi/jitsuryoku/iken/contents/46.php (国立大学よ、時代感覚を磨け)

ある種の人々にカチンとくる発言がてんこ盛りなのですが、まあそこは別として、私が興味をそそられたのは、そこまで大学を批判するんなら、企業側はどうなんだと問われたのに対するこのやり取りです。

――大学に変われと言うのなら、企業はどう変わるのか。大学にきちんと学生を育てよと言うが、その教育期間を短くしているのは企業だ。一括採用システムのために、学生は2年生後半にはそわそわしていて学業どころではない。
 
小林 4月に入社する定期採用をやめざるを得ないだろう。こんな仕掛けを持っているのは日本だけだから。同時に、新卒入社で3年ぐらいは別の会社に移れるようなバッファゾーン(緩衝地帯)をつくっておくことも必要だろう。僕自身も途中入社だ。1974年12月2日入社だ。長男が生まれてイタリアから帰国して、とっくに人事なんか終わっていると言われた。一応、来てみたらと言われ、論文を持って研究所の担当の常務に会って入社した。あの時代だって、本人が入ろうと思えば入れた。なんでこんなに日本はリジッド(厳格、固定されていて動かない様子)になっちゃったのかな。学生もなんで変えようとしないのか。
 
――学生が企業を変える? 自分たちの所属する大学の改革の議論にもかかわっていない。だが、そういう学生が突然、発生したわけではない。育てた世代がいる。
 
小林 そう、その世代が誹謗(ひぼう)されるべきだ。人々が疲れている、リスクをとらない、大人がリスクを拒んでいることが問題だ。
 
――リスクをとらない企業人の傾向が端的に現れているのが、採用だろう。大学教育が大切だと企業人はよく口にするが、重視しているのはいまだに大学入学時の偏差値と大学名だ。
 
小林 会社で一番保守的なのは人事と総務。最悪だ。体験的に、そして今でも実感している。彼らは体質上、仕掛けを守るようにできている。だが、それは社長が悪い。社長が本気で変えようとすれば変わるはずだ。
 
――大学と同じか。では、それを壊すことができるか。小林さんは「ぶっ壊す」という言葉をよく使っているようだ。
 
小林 壊さなきゃ、新しいものは生まれないからね。壊せそうなエネルギーのある人を社長にするしかない。大学も同じだ。

いやいや、評論家の言葉なら、なるほどですむけれども、それしゃべっているのは現役の経営者、三菱ケミカルホールディングス取締役社長ですよね。

では、三菱ケミカルの人事部はどういう採用をやっているかといえばもちろん新卒一括採用をしているわけだし、社長はそれを認めている。

ではそれを一社だけ止めたらどうなるかといえば火を見るより明らかで、いい人材を三井化学や住友化学にとられて終わるだけでしょう。それは、日本の労働社会がそういう(六法全書には書いていないけれども、社会学的に拘束している)ルールで動いているからで、それがまさに雇用システムの問題であるわけです。

その雇用システムを前提に、教育システムが構築されてしまっており、その教育システムがまた雇用システムを規定する。

そのように相互に拘束されている中で個々のアクターはそのルールに従って行動しない限り、そこから排除されるというペナルティを受ける。

三菱ケミカルという会社の人事部も、三菱ケミカルを受ける就活生もルールテイカーであって、ルールメイカーではないという点で何の変りもありません。

「学生もなんで変えようとしないのか」と学生を責めてみたり、「会社で一番保守的なのは人事と総務。最悪だ」と人事部をけなしてみても、事態は変わりません。

最後は「社長が本気で変えようとすれば変わるはずだ」というブーメランが飛んでくるだけです。

システムこそが問題であることを個人や集団の問題にしてはいけないということのもっとも典型的な実例が、ややカリカチュア的な形で示されているわけです。

(参考)

Chuko 拙著『若者と労働』より、「教育と職業の密接な無関係の行方」

 このように日本型雇用システムと日本の教育システムとは、お互いが原因となり結果となりながら、極めて相互補完的なシステムを形作ってきたといえます。それは、一言で言えば「教育と職業の密接な無関係」とでもいうべきものでした。
 受けた学校教育が卒業後の職業キャリアに大きな影響を与えるという意味では、両者の関係は極めて密接です。しかしながら、学校で受けた教育の中身と卒業後に実際に従事する仕事の中身とは、多くの場合あまり(普通科高校や文科系大学の場合、ほとんど)関係がありません。これを再三引用している本田由紀氏は「赤ちゃん受け渡しモデル」と呼んでいます。職業能力は未熟でも、学力等で示される潜在能力の保証に基づき、新規学卒一括採用された若者を企業が企業に合う形に、とりわけ職場のOJTを通じて、教育訓練していくという回路が回転している限り、極めて効率的なシステムでした。
 しかし、次章以降で詳しくみていきますが、その回路からこぼれ落ちる若者が大量に発生するという事態の中で、単なる弥縫策ではなく、雇用システムと教育システムの双方で本質的な解決を図る必要が浮き彫りになってきました。
 雇用システムの側における議論は次章以降で行いますが、それは必然的に教育システムの側に跳ね返ってきます。具体的には、現在の大学、とりわけ量的に大部分を占める文科系大学の在り方に対し、抜本的な見直しを要求するはずです。大学の教育内容が就職後の仕事と無関係な形で膨れあがってきたことが、学生が大学で学んだ中身ではなく「ヒト」としての潜在能力で評価する仕組みを助長してきた面があることは明らかだからです。今までの「素材はいいはずですから是非採用してやってください」という受験成績による質保証主義ではなく、「これだけきちんと勉強してきた学生ですから、それは保証しますから、是非採用してやってください」というあるべき姿に移行するためには、大学教育の中身自体を職業的意義の高いものに大幅にシフトしていく必要があるでしょう。
 とはいえ、その過程においては、非実学系の大学教師の労働市場問題が発生し、大騒ぎになる可能性が高いと思われます。ある意味では、企業が職業的意義のある教育を求めていなかったがために、そして生活給制度の下で、職業的意義のない教育に対しても親が教育費をまかなうことができていたがゆえに、本来であれば存続し得ないほど大量の非実学系大学教師のポストが確保されていたといえなくもありません。しかし、学生の職業展望に何の利益ももたらさないような大学教師を、総量としてどの程度社会的に維持しなければならないかについては、社会全体で改めて考える必要があるはずです。これこそ、日本的な教育と職業の密接な無関係の上に成り立っていた「不都合な真実」なのでしょう。

 

 

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コメント

 皆さん、今晩は。

 私は今の財界人に大学を語る資格はないと思っています。

 国立大学の教授会自治を破壊し、研究業績を凋落させた張本人が、どの口でいうか、黙れ、というのが私の率直な感想です。
 「象牙の塔」「タコつぼに閉じこもっている」と批判されていた改革前のほうがまだましでした。

投稿: 国道134号鎌倉 | 2018年5月29日 (火) 00時32分

今は好景気で学生の就職状況も良好なためか、「シンソツサイヨウガー」という言もあまり見かけなくなりましたね。この種の人々の目先のことしか見えていない視野の狭さは相変わらずです。また景気後退期に入ると同じような言説があちらこちらで繰り返されるのでしょうね。

投稿: IG | 2018年5月29日 (火) 01時42分

「日本の公教育」中澤渉著 中公新書はこのエントリを考えるに参考となると思います。
(第5章)”教育にできること、できないこと”の中では日本型雇用システムの項で、濱口さんの示唆的なご指摘を登場させています。

投稿: kohchan | 2018年6月17日 (日) 08時36分

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