「論争のススメ」に熊沢誠さん登場
昨年、表紙がカラーになった『労働情報』誌で「論争のススメ」と題して、「年功給か職務給か?」という対談やらエッセイやらが断続的に連載されたことがありますが、その後とんと音沙汰がないのでそのまま尻切れかなと思っていたら、5月号にこの問題の大御所熊沢誠さんが登場していました。
http://www.rodojoho.org/index.html
私は昨年の6月号に「交換の正義と分配の正義 双方の実現目指す取組を」という編集部が付けたタイトルで短めのエッセイを寄稿しており、それは4月号の金子良事・龍井葉二対談にできるだけ応えようとしたものだったのですが、全体としてのこの連載は必ずしも噛み合っていない感がありました。
という指摘から、熊沢さんのエッセイは始まります。
さて、熊沢誠さんは労働研究の世界ではあまりにも有名ですが、その初期の賃金制度論を熱心に論じていた頃の者を読む人は今ではあまり居ないかもしれません。
・・・はじめに私の立場を明らかにしておく方がわかりやすいだろう。私は1960年代からいわゆる「横断賃率」論者であった。・・・
「横断賃率」という言葉自体長らく日本の労働界では死語に等しい扱いでしたが、かつて政府や経営側が同一労働同一賃金に基づく職務給を唱道していた頃、職務給絶対反対を唱えていた労働運動の主流派に対して、西欧型の企業を超えた職種別賃金の確立を唱えていたのが、岸本英太郎氏をリーダーとする京大系の労働研究者たちだったのです。熊沢さんはその若手の最も精力的な論客であったのです。
その後、経営側が能力主義に基づく職能給にシフトし、政府も内部労働市場政策に流れる中で、もはや誰も職務給なんか叫ばなくなり、同一労働同一労働は死んだ犬となり、論争は失われていきました。
この問題が復活してきたのは、女性差別問題や今日に至る非正規労働問題の盛り上がりからですが、上記経緯からして、むしろ労働運動の左翼的ハードライナーほど職務給に敵対的で、同一労働同一賃金など財界の陰謀とか言いたがるというねじれた状況は今に至るまで本質的には代っていないように思われます。
そういう中で、この問題の大御所の熊沢さんが登場して何を語るのか?と興味津々だったのですが、こんな風に私にも言及いただいていたようです。
・・・そして今も、私はやはり、主として現代日本における不当な賃金格差の是正のためには、労働組合運動はEPEWWまたはPEの立場を擁立し、それを前提として龍井/金子が検討を促す諸問題に一つ一つ対処するほかはないというスタンスである。その点では、遠藤公嗣の主張(6月号)と基本的に軌を一にし、またそれゆえに、現行の賃金システムが内包する非正規労働者や女性労働者への差別への怒りを直截に語り、EPEWWを主張する禿あや美/大槻奈巳の対談(5月号)に何よりも共感を覚えた。ただ、「論争」のためには、対談は禿または大槻 vs クールな濱口桂一郎とのそれにしてほしかったと思いはするけれども。もっとも、私は、EPEWW論はとらないとはいえ、「一方で「能力」という万能空疎の原理ではなく、より客観的な指標に基づいて交換の正義たる賃金制度を再確立すること。他方でそれができる限り分配の正義をも充たすように企業と雇用形態を超えた「生活できる賃金水準」を(産業レベルで)確立し、併せて福祉国家という分配の正義を強化すること」という、濱口の目配りの聞いた-上述の諸問題の多くを取り込んだ-結論(6月号)には同意する。
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