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トランプ政治の3源泉

Rothstein_bio 例によってソーシャル・ヨーロッパ・ジャーナルから、ボー・ロトスタインの記事を。「Strange Bedfellows Undermining Liberalism: Trump And Academia」(リベラリズムを掘り崩す奇妙な同衾者たち:トランプとアカデミア)というそれこそ奇妙なタイトルです。

https://www.socialeurope.eu/strange-bedfellows-trump-and-academia

要は、アカデミズムの中に、トランプ政治の源泉があるんだという話ですが、その3つのいずれもが、本ブログで「リベサヨ」がらみで取り上げている流派であるというところが興味深いところです。

まず第1はシカゴ学派、いわゆるネオリベラリズムの本拠で、クルーグマンなんかをひいて論じていますが、ここはパスしてもいいでしょう。

第2が「民族的バイアス」(Ethnic bias)で、ここで指弾されているのがアイデンティティ理論です。

This line of reasoning implies that we are all stuck in our ethnic or other such identities also when we exercise a public task and therefore are incapable of making an impartial assessment a of case involving a person with a different identity. This line of reasoning, known as “identity theory”, has had a huge impact in large parts of the humanities and social sciences and is usually seen as a leftist, radical approach.・・・Again, we can say that Trump’s dismissal of the judge because of his ethnicity has clear support within a significant and strong research approach in academia.

この理屈によると、我々がみな公共的な任務を遂行するときに民族的ないし他のアイデンティティに縛り付けられており、それゆえ異なるアイデンティティの人々に関わる事案を公正中立に判断することなんてできないということになる。「アイデンティティ理論」と呼ばれるこの理屈は、人文社会科学の膨大な分野に甚大な影響を与え、通常左翼的、急進的アプローチだとみなされている。・・・・再び、我々はトランプによる裁判官をその民族的出身ゆえの解雇がアカデミアにおける顕著で強力な研究アプローチに明確な指示を得ているということができよう。

これと密接に関連して第3にあげられるのが事実の軽視で、ここで指弾されているのがポストモダニズムです。

It is obvious that, according to Trump, there is nothing that can be seen as a fact. Instead, everything is a matter of interpretation and perspective. However, this approach has also had a strong impact in large parts of academic research, mainly within the humanities, but also within parts of social sciences. Under the heading “postmodernism”, this approach has as its starting point that there can be no true or scientifically established facts due to impartial investigation. Instead, following the much-admired French philosopher Michel Foucault,   what is considered true by the scientific community in an area of research is in reality determined by their connection to established power relations in society. According to postmodernist theory, there is no real difference between the knowledge produced by scientific methods and perceptions coming from our ideological orientations or personal experiences. Thus, when Trump and his supporters claim that they base their positions on “alternative facts”, this has a clear connection to the postmodernist approach in academia.

トランプによれば、事実なんてものはありはしないことは明らかである。むしろ、すべては解釈と観点の問題だ。しかしながら、このアプローチもアカデミックな研究、主として人文科学だが社会科学の一部でもその多くに強い影響を与えている。「ポストモダニズム」という看板の下で、このアプローチはその出発点を、公正中立な探求によって科学的に確立された事実なんてものはありえないとする。その代わりに、讃嘆されるフランスの哲学者ミシェル・フーコーに倣って、ある学問分野の科学コミュニティによって真実とみなされているものは実際には、彼らの社会における確立された権力関係とのつながりによって決定されたものに過ぎない。ポストモダニズム理論によれば、科学的方法によって得られた知識と我々のイデオロギー的志向や個人的経験からくる認識の間に真の違いなどありはしない。それゆえ、トランプとその支持者たちが彼らの立場が「もう一つの真実」に基づいていると主するとき、これはアカデミアにおけるポストモダン理論と明確なつながりがあるのだ。

これじゃまるで、トランプがこういったアカデミックな本を読んでるみたいですが、もちろんそんなわけはないとロトスタイン氏は言います。問題はトランプ本人の頭の中ではなく、それを受け取る人々の頭の中の話なのです。

・・・My argument relies on the idea that what is happening in the world of social science research and the humanities affects the political and intellectual climate, not least because its theories and approaches will affect what goes on in schools and what is said in the public arena. Relativism, dismissal of the idea of truthfulness, identity hysteria and cynical economistic thinking have together become a witches’ brew that has, it seems, poisoned the intellectual climate in our type of societies and made it possible for the message that comes from Trump and his likes to win a broad audience. The academic world’s criticism against Trump is justified, but some honest self-criticism would be in order too.

私の議論は、社会科学や人文科学の世界で起こっていることが、その理論とアプローチが学校や公共空間に影響を与えるからというだけではなく政治的知的環境に影響を与えているという考え方に立脚している。相対主義、真実性という観念の廃棄、アイデンティティ・ヒステリア、そして冷笑的な経済主義的思考はともに我々のタイプの社会を毒し、トランプやその同類のメッセージが広範な聴衆を獲得することを可能にする魔女の一撃になっている。アカデミックな世界のトランプへの批判は正しいが、正直な自己批判も必要だろう。

 

 

 

 

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コメント

これはこれでなんか言い過ぎなような気がしました。 アメリカにおいて問題となったのはポリティカルコレクトネスの行き過ぎと言いか、世間一般からの乖離の大きさだったように思います。代表的なのがクリントン大統領候補の妊娠中絶に対する考え方で、だいぶお腹の大きい女性にも中絶する権利があるということをかなり声高に主張していて、それが結構な反発を招いたと聞いております。 そしてやはり日本と同様に肝心要の経済政策や労働政策の不在といったものが挙げられると思います。彼女の妊娠中絶をめぐる発言の背景にはもしかしたらあらゆる 性差 に基づく発言の背景には 生物学的ではなく社会的な 規範とそれを作り出した規範意識 が関係しているのだと言う 考え方があったのかもしれません 。そしてそのようなフェミニズム・ジェンダー理論の理論的基礎の一つにミシェルフーコーが位置付いてるとは 言えるとは思いますが、 とはいえここまで来るとだいぶ遠い話のように感じます 。なのである意味現代思想を買いかぶりすぎているような気がしなくもありません。 ヨーロッパにおいてはよくわかりませんが 少なくとも日本やアメリカにおいては現代思想が現代思想として直接的に政治思想などに影響を与えているということはもはやあまり見られないように感じるのですが 。それよりも生活実態や 与えられた情報 そのものの制約や制限にあるように思います。後はやはり歴史的な背景などになるのでしょうか。

投稿: 高橋良平 | 2018年5月 4日 (金) 12時14分

ポリティカル・コレクトネスを巡る議論は「バラモン左派」の韜晦、もしくは論点逸らしの詭弁に過ぎないのではないかと思いますけどね。

「バラモン左派」は右派ポピュリズムを階級闘争とみなすことを頑なに拒絶しているように思いますね。それは「バラモン左派」がブルジョア階級に属しており、階級闘争を自らの地位を脅かすものとみなしているからでしょう。それで、ポリティカル・コレクトネスを持ち出して、労働者階級を攻撃することにしたということではないかと。

かつてマルクスが左派のバイブルであったことを考えれば、皮肉な状況といえますね。マルクス主義者であれば、これも階級闘争の歴史に位置づけるべきではないかと思いますけど。

なお、論点逸らしにポリティカル・コレクトネスを持ち出すのは米国人の常套手段ですね。過去には、殺人事件の被疑者を人種差別の被害者にして、無罪を勝ち取った例があったりしましたね。

投稿: IG | 2018年5月12日 (土) 23時05分

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