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2018年5月13日 (日)

産業競争力会議雇用・人材分科会有識者ヒアリング(2013年11月)

あまりにもねじれにねじれ、枝葉末節ばかりに迷い込んでしまっている現下の議論の惨状を見るにつけ、5年前に官邸の産業競争力会議に呼ばれてしゃべった時の議事録なんぞを再読していると、こういう本質の議論がいかにい雲散霧消してしまっているのかが嘆息されます。

労働時間規制の問題とは、本来どのように論じるべきであり、そしてどのように論じるべきではないかを、自分ながら手際よく見事に整理している発言だと思うので、ここらでお蔵出し。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/bunka/koyou_hearing/dai1/gijiyousi.pdf

(濱口総括研究員) ・・・3つ目は、労働時間規制の問題。これも非常に多くの方々が誤解をしている。つまり、日本の労働時間規制は極めて厳しいという誤った認識の下に、ここ10年、20年の法政策というのは、その厳しい労働時間規制をいかに緩和するかということでのみ執られてきたが、私はこれは全く見当外れだと思っている。
 日本は過半数組合または過半数代表者との労使協定、いわゆる36協定さえあれば、事実上無限定の時間外休日労働が許される。かつて女子は、1日2時間、年150時間という上限があった。それゆえに監督官が、夜に行って女性がいれば自動的に摘発できたが、今はできない。お金を払っていないということでなければ摘発できない。
 これだけ緩いので、日本はいまだに、今から100年前にできたIL0の労働時間関係条約ただの1つも批准できていない。非常に皮肉なのは、労災保険の過労死認定基準では、例えば月100時間を超える時間外労働は、業務と発症との関連性が強いと評価されるが、しかし、だからと言って月100時間を超える時間外労働は、労働基準法上は違法ではない。これこそ、日本の労働時間規制の最大の問題ではないかと思っている。
 にもかかわらず、多くの企業が日本の労働時間規制が厳しいと誤解するには理由がある。それは、同じ労働基準法の労働時間の章に入っている労働基準法第37条の残業代規制。これは単に時間外休日労働をさせたら、これだけのお金を払えと言っているだけなので、実は労働時間規制ではなく、賃金規制。しかし、その賃金規制の適用除外は、物理的労働時間規制と同じく管理監督者に限られている。そのために管理監督者でない限りは、残業すれば、あるいは休日出勤すればきちんと残業代を払え、割増賃金を払えとなっている。
 そして労働基準法施行規則第19条によって、これは時給であれ、日給であれ、週給であれ、月給であれ、そしてその他、例えば具体的には年俸であっても、管理監督者でない限りは時間当たり幾らに割り戻して25%、月60時間を超えると50%という割増賃金を払わなければならないとなっている。これはまさに法規制である。
 つまり、国家権力が規制しているという名に値するのは実はこの部分だけ。規制なので違反したら監督官がやってきて、払えとなるわけだが、考えてみると、これは例えば時給800円の非正規が1時間残業したら1,000円払え、年収800万円を時給換算すると4,000円ぐらいになるが、この高給社員が1時間残業したら5,000円払え、払わなければ違法であるということ。しかし、これは本当に刑事罰をもって強制しなければならないほどの正義であるかというのは、議論の余地があるだろうと思っている。
 したがって、問題はある意味で厳しい残業代規制をどうするかという話でなければならなかったはずだが、かつての規制改革会議は、ホワイトカラーエグゼンプションというものを仕事と育児の両立を可能にする多様な働き方であるという言い方をされていた。私はこのような言い方をしたことが問題を混迷させたのではないかと思っている。
 当時日本経済団体連合会は、これは労働時間と賃金が過度に厳格にリンケージされていることが問題なんだ、それでは昼間たらたら働いて、夜いつまでも残っている人間のほうが高い給料をもらっていくことになってしまう、これはおかしいのではないかという非常にまともなことを言っていた。ところが、それが表に出なかった。そして、ワーク・ライフ・バランスのためのホワイトカラーエグゼンプションだという議論に対して、労働者側は、これは過労死促進であると反論した。私はまっとうな反論であったと思っている。
 ただ、実はエグゼンプトだから過労死するのではなくて、エグゼンプトでなくてもその組合が結んでいる36協定で無制限の残業をやらせたら、やはり過労死するので、エグゼンプトが諸悪の根源というわけではない。物理的な時間規制がないというところに問題があるのだが、少なくとも過労死促進だという議論は、それはそれで正当である。こういうかみ合わない議論のまま建議が2006年の年末に出され、2007年の年始にこれが新聞に出た途端に残業代ゼロ法案であるとか、残業代ピンハネ法案であるという、本来はそれでなければならないことが、あたかもそれが一番悪いことであるかのような批判がなされ、結局それでつぶれてしまった。これは大変皮肉なことであって、本来の目的である残業代問題が一番言ってはならないことになってしまった。そのために、いまだにこの問題、エグゼンプションの問題が労働時間と賃金のリンケージを外すという本来の目的ではなく、ワーク・ライフ・バランスといったような議論になってしまっているところに、かつての議論の歪みがいまだに糸を引いているのではないかと思っている。
 この関係で言うと、ホワイトカラーエグゼンプション自体はそういう形で今から6~7年前に失敗したが、その前に作られた、そして、現在も存在している企画業務型裁量労働制についても、私は、根本的に疑問を持っている。そもそも、いわゆる総合職のホワイトカラーの場合、職務が無限定なので、彼らにこの人は企画業務、この人は非企画業務などという職務区分が存在するはずがない。みんな何がしか企画的なことをし、そしてルーティン的なことをしているはず。上位にいけばいくほど企画的な割合が高まるだけである。専門業務型の場合は少なくとも業務という形にはなっているのだろうと思うが、そうではない総合職のホワイトカラーの世界に企画業務などという虚構のものを作り出して議論したことによって、今の企画業務型裁量制自体がかなり歪んだ制度になっているのではないかと思っている。
 ただ、それを言い出すと、労働基準法が作られたときから存在する管理監督者にしても、実は日本に管理職などというのがいるのか。いるではないかとお考えかもしれないが、本来管理職というのは職種である。職業分類表には管理的職業、専門的職業、事務的職業、製造職業と並んで置いてある。日本で同じような意味で管理的職業というものが存在しているかというと、私は存在していないと思う。メディカルスクールを出て医師になる、ロースクールを出て弁護士になるのと同じように、ビジネススクールを出て管理という職業に就くというふうにおそらく意識はされていない。単に総合職のホワイトカラーの一定ラインより上が管理職である。それは単なる地位であるから、管理の仕事をしていない管理職というのが出てくのも当然である。したがって、元々労働基準法自体はジョブ型を前提としており、管理職というのはビジネススクールとかグランゼコールを出て管理という仕事に就く人間を前提としているが、そうなっていない。いわゆる名ばかり管理職といった問題が常に出てくるのも、やはりそこに根源があるのではないかと思っている。
 ではどうするかだが、とにかく現実にこういった無限定の働き方をしている方々を前提とした残業代規制のあり方がどうあるべきかということを考えるのであれば、基本的には6~7年前にエグゼンプションが議論されたときに、本音の議論として、年収要件という話があった。ただ、そのときは、大企業ならばいいが、中小企業であれば管理職だってその年収要件に至らないという話があってうまくいかなかったということもあるので、おそらくそれをクリアする仕組みとして考えられるのは、企業内における地位。上位から何パーセントという形が実は一番ふさわしいのではないかと思っている。これはあくまでも無限定的な働き方をするメンバーシップ型の正社員の中で、連続的により上になればなるほど企画的な仕事の割合が増えていく。どこで線を引くか。それは基本的には労使で決める話だが、その目安としては業務ということではなくて、企業内における地位、上から何パーセントといったものが一番ふさわしいのだろうと思っている。
 それとともに、先ほど来申し上げているように、日本の労働時間規制の最大の問題は、物理的な労働時間規制がないという点。したがって、健康確保のための労働時間のセーフティネットをきちんと確保することが必要で、当面何らかの根拠としては現在、存在する過労死認定基準としての月100時間ということになろうかと思う。しかし、ヨーロッパ各国で存在している1日ごとの休息時間規制といった、いわゆる勤務時間インターバルというものを基本的なシステムとして導入することも考えるべきではないか。残業代とは関係のない物理的な労働時間規制というものの必要性がむしろ重要であろうと思っている。

(八代教授)
 過去に厚生労働省が出した原案に年間104日の強制休業という労働時間規制もあったことが、全く報道されていなかった。仮にこれが実現していれば、本来、残業代とは無関係なきちんとした労働時間規制になっていたのではないか。EUの1日11時間というのがちょっと難しいと思うのは、本当に締切りがある仕事だとそれが守れないため。だから年間全体として過労死を防ぐために、とにかく忙しい仕事が終わったらきちんと休暇をとる。こういう規制はどうか。
 
(濱口総括研究員)
 むしろここで私が申し上げたかったことは、個々の制度設計の問題というよりも、一体この制度は何を目指しているものなのかということ。本質的に言うと、ある種のホワイトカラーの働き方というものが、決して労働時間の長さに比例した成果を出すのではないということから来ているはずだと私は思っている。これはホワイトカラーエグゼンプションのときの日本経済団体連合会の出した提言もそのように書いてあるし、実は企画業務型裁量制が議論され出した1990年代初頭の議論もそこから始まっている。それにもかかわらず、厚生労働省もそうなのだが、これをワーク・ライフ・バランスができるというような言い方でやろうとしたところにボタンのかけ違いがあったのだろう。
  一旦そういう形で話がされ、これは過労死促進策だという話になってしまうと、話がことごとく食い違ってしまう。それをもう一度本来の筋道に戻して議論した方がいいのではないか。実はつい先日、規制改革会議に日本労働組合総連合会が呼ばれて、労働時間規制についての意見を開陳した模様。私は出された資料を見ただけだが、そこでは、まさに健康確保や労働時間規制の必要性についてはいろいろ書いてあるが、残業代が一番大事だなどということは書いていない。それは彼らとしても、一部のマスコミや政治家のような残業代ゼロが一番諸悪の根源だという発想に立っていないということなので、実はそこに着目すれば、もう少しまともな議論ができるのではないか。むしろそういう形で議論してほしい。

(長谷川主査) ・・・ 裁量労働の問題について究極のところは、濱口さんは上位から何パーセントとかでエグゼンプションとするのが適切ではないかというお話をされたが、これについても実際の私の海外での経験からいくと、ホワイトカラーのエグゼンプトは新入社員からで、その代わり個室をもらい、秘書がつくという形。
 日本も企画業務だとかそうでないだとか、あるいは賃金、年俸で区切ると企業による差、特に大企業と中小企業の差もあり難しい。ただ、時間で縛られない働き方は、ワーク・ライフ・バランスをある程度助けるものでもある。欧米の場合は、家に必ずと言っていいほど地下室があって、そこにオフィスを持っており、仕事を持って帰っても家族に邪魔されない、あるいは邪魔されずに仕事をしようとすればできるという環境があるから、早く帰って子供と遊んで、遅くなって子供が寝たら、地下のオフィスで仕事をしようということも可能。特にコンピュータの時代になればそういうことも全く問題ない。そういう違いはあるにしても、時間管理になじまないものがあって、先生がおっしゃるようにエグゼンプションを中高位何パーセントからとすれば、これは非組合員、管理職と同じことになり、いわゆる組合員ではあるが、そういう時間管理になじまない者には全く適用されない。その辺についてどうお考えか。
 
(濱口総括研究員)
 後の方がわかりやすいので、先にそちらから先にお答えするが、全くおっしゃるとおり。つまりここで私が上位から何パーセントと言ったのは、日本のメンバーシップ型の社会を前提にすれば、こういうふうにするしかないよという話。ところが、日本の法律もそうだし、どこの国の法律もエグゼンプトというときの管理監督者というのは入ったときから管理監督者。それはビジネススクールやグランゼコールを出て初めから管理職見習いとして入り、2年か3年ぐらいすれば見習いが取れて管理職として働く。初めから入口が違うわけで、それを前提として管理職という職種のエグゼンプトをやっているだけだと。ところが、日本はそうではない。
 先ほど日本には管理職という職種が存在しないと申し上げたのはそこ。日本は、管理職のエグゼンプトですら、係員島耕作が係長島耕作になって、課長島耕作になったらエグゼンプトだと言っているだけの話。この中高位というものが、昔みたいに何でもかんでもみんな管理職に放り込めばいいという1990年代から変わってきている。機能としては管理していない者をみんな昔は管理職に放り込んでいたのが、そういう無駄なことはできなくなったので、管理職を少数精鋭に絞れば、自ずから、そこらからこぼれ落ちる人が出てくる。ところが、賃金制度は依然として年功制だから、非常に高い給料をもらっている。高い給料をもらっているけれども、管理の仕事はしていないし、昔みたいに管理職に就かないので、残業代を払わなければならない。おかしいだろうと。私はまさにそこに矛盾があると思っている。
 もし、本当に世の中ががらっと変われるのであれば、つまり企業の人事部がメンバーシップ型からジョブ型に全部変わるというのであれば、まさに今おっしゃったのが本来の姿、法の本来の趣旨ではある。しかし、それはすぐにできないだろうということ、かつ、昔であればみんな管理職に放り込まれていった人がそうでなくなってきていて、そこをどうするかということに対応するのであれば、こういった上位から何パーセントというのが、メンバーシップ型を維持していることを前提とした上での話になる。これは管理監督の仕事、これは企画の仕事、これは何の仕事というジョブで人事管理をするようになれば、当然それでできる。しかし、現実にはそうでないということを前提としてお話している。 ・・・

 

 

 

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コメント

ご指摘にあったメンバーシップ型組織を前提とした、エグゼンプト選考基準について…。

確かに「内部公平性」だけを見れば「上位から何パーセント」という基準でもいいように思えますが、実際には個別企業ごとに組織のカタチは異なります(ヒエラルキーのピラミッド構造なのか、フラットなオーケストラ型なのか、パートナーシップ型なのか、マトリックス型なのか)。

また、組織内で働くワーカーが自社の従業員(序列の付けやすい正社員)だけであるとは限りません。ですので、単純に「上から何パーセント(これは社内給与分布の〇〇パーセンタイル以上という意味かと)」という指標のみで社員を区分するのは無理がありそうです。現実的には、様々な指標を勘案した上で個別各社労使にて独自に判断されるべきものかと…。その際に、内部公平性の観点からは上記の給与パーセンタイル、役職、等級グレードというメトリクスが有効でしょうし、外部公平性からは業種別業界別(役職別)の賃金データが参考になるはずです。

いずれにせよ(働き方改革を整々と進める一方で)、じっくりと時間をかけて、残業はなぜなくならないのか?、そもそも賃金は何に対して支払われるべきなのか?、なぜ一人ひとりの賃金や手当がかく異なるのか?、各人の量的及び質的なコミットメントに対し賃金をどれだけいかに支払うべきか?といった、そもそもの議論を個別労使にて是々非々でしっかりと行い、現行労働法の制約は制約として認識しつつも、自社にとってのベストな賃金制度を模索していく時期に来ているのではないでしょうか。

投稿: ある外資系人事マン | 2018年5月13日 (日) 20時57分

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