志村光太郎『労働と生産のレシプロシティ』
志村光太郎『労働と生産のレシプロシティ 今こそ働き方を変革する』(世界書院)を、状況出版の服部さんよりお送りいただきました。ありがとうございます。
労働と生産の公共性を突きつめていけば、かならず労働者の互酬に行き着くはずだ。労働者が行為主体であることにはきわめて自由な、そして相互の尊重と友愛が成果を保障するはずだ。じっさいの自主生産現場に取材することで、労働過程の理論的成果を検証した。ここに21世紀の新しい「働き方」の変革がある!
服部さんの送り状に曰く:「今回は濱口先生に文句の1つもつけさせないよう、労働問題の専門書をお送りいたします。是非ご覧になってください。これはもうhamachan先生も大満足かと」。
「大満足か」と言われると、いくつか文句をつけたくなります。いや、ロシア革命論や尖閣列島論に比べればテーマはドストライクではありますが。
まずね、この本確かに労働問題の専門書であり、労働問題の専門書を読むような読者であれば、東條由紀彦氏の特異な用語法についてもある程度の知識があると想定するのはそれほど無理ではないのかもしれませんが、それにしても、他の人々が一致して「近代」と呼ぶ時代を「現代」と呼び、他の人々が一致して前近代たる近世と呼ぶ時代を「近代」と呼び、他の人々が一致して近代市民社会以前と考えている社会を近代社会と呼ぶその特異な用語法について、それが特異だけれどもあえてそういう用語法にするんだよという説明の一つもなく、淡々と論じていくやり方は、少なくともあまり親切とは言いがたいでしょう。
まあ、これは著者の志村氏の東條氏との深いつながりの現れということなのでしょうが。
3つのケーススタディは、いずれも全統一労組の鳥井さんが手がけたものだということで、正直鳥井さんについては外国人労働者関係の活躍を通じてばかり知っていたので、いささか新鮮でした。
本書のテーマである労働者自主生産ということについていえば、それはやはり終戦直後の生産管理闘争の通常化された再現なのではないか、という感想が強められました。日本型雇用システムが戦間期の経営イニシアティブ(工場委員会体制)、戦時期の国家イニシアティブ(産業報国会体制)、終戦直後の労働イニシアティブ(経営協議会体制)のアマルガムとして、最終的に経営主導で構築されたものであるということは共通した認識だと思いますが、それが「従業員民主主義体制」であるということの中に、終戦直後の職制まで丸呑みした生産管理闘争の遺伝子が色濃く残っている訳で、だからこそ、倒産といった事態の発生で、隠れていたその遺伝子が発現すると労働者自主生産という形になったりするのでしょう。
そういう認識枠組みが根っこにあるためかもしれませんが、本書の後ろの方で展開される抵抗と公共空間とか互酬と多様性とかといった理念的な議論の部分は、正直違和感を感じながら読まざるを得ませんでした。
労働者が労働力を売る不安定な所有者として立ち現れる資本主義社会のフィクションを緩和するさらなるフィクションとして構築されたのが産業民主主義であり、その日本バージョンが従業員民主主義であってみれば、そのフィクションの枢要の要素たる「職場で働く俺たちこそが主人公だ!」という虚構を唯一の回路として、くるりとひっくり返すように作られた労働者自主生産というものが、否応なく従業員主導の従業員民主主義体制の会社という日本型システムにおいては特に違和感のない存在であることも不思議ではないように思われます。
第1部 ヘゲモニーと労働者自主生産
欧米のヘゲモニーと労働者自主生産
日本のヘゲモニーと労働者自主生産
第2部 労働者自主生産の事例考察
労働者自主生産事例1-ビッグビート
労働者自主生産事例2-城北食品
労働者自主生産事例3-ハイム化粧品
労働組合の役割
事例に見る労働者自主生産の特徴
第3部 労働者自主生産における公共空間と互酬
抵抗と公共空間
互酬と多様性
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