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2018年4月14日 (土)

会社手当と社会手当詳細版

26184472_1 昨日のエントリ「会社手当と社会手当」について、そこで引用した拙著『新しい労働社会』よりも、もう少し詳しい説明を拙著『日本の雇用と中高年』でしておりましたので、この際そちらも全部ここに出しておきます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/post-11bf.html

残念ながら近視眼的な議論ばかりが横行し、こういうマクロ社会政策的な視点が欠落してしまうのが今の日本社会なのであってみれば、繰り返し同じことを論じ続ける必要はやはり高いようです。

・教育費と住宅費は年功賃金でまかなう社会

 1960年代までは経営側も政府も日本型雇用システムに対しては批判的で、職務給への移行を唱道していました。労働側が程度の差はあれそれにためらいがちであった最大の理由は、それが「特に中高年齢層の賃金を引き下げ」るものだったからです。年功制による中高年の高賃金を引き下げて困るのはなぜでしょうか。子供の養育費や教育費、住宅費など家族生活を営む上で必要なコストをまかなえなくなるからです。しかし、考えてみれば、欧米諸国でもそうした費用は同じようにかかるはずです。職務給の国では、いったいそれらをどのようにまかなっているのでしょうか。
 この疑問に正面から取り組んだのは『昭和49年版労働白書』です。この白書を執筆したのは、労働省労働経済課長時代の田中博秀氏です。彼は本職の官庁エコノミストとしても、有用な白書を執筆しています。同白書の「労働者福祉と賃金制度」という項目は、こう述べます。

・・・中高年齢層においては住宅取得や子供の教育とならんで、老後に備えての貯蓄も必要となるなど、長期生活設計に必要な費用が増大していくことになる。・・・以上のような消費支出の年齢別格差にはあまり大きい変化が見られない。・・・我が国の年齢別の賃金格差は、このような年齢別の消費構造にほぼ対応するような構造をもっている。・・・
 このような年齢別の生計費構造は、我が国だけの特色ではなく、国際間でもほぼ共通してみられる現象である。・・・いずれの国においても年齢が高くなるにつれ、消費支出が増大し、45歳前後ではピークに達し、それ以降は減少するという共通のパターンが見られる。・・・つまり年齢間生計費格差は国際的にも極めて共通したパターンを持っていることが示されている。・・・
 ・・・しかしながら年齢別の賃金は、国によって大きな相違があり、アメリカ、イギリス、西ドイツなどでも職員層については賃金の年齢別格差がかなり見られるが、労務者層については、生計費がピークに達する年齢階層についてみても、若年層との賃金格差は極めて小さく、我が国の賃金制度とは著しく異なっている。

 この年齢別賃金と生計費とのギャップはどのようにして埋められているのでしょうか?白書は当時のフランスの児童手当についてやや詳しく説明しています。

 例えば、児童手当制度が最も発達しているフランスでは、第2子について基本賃金月額の22%、第3子及び第4子についてはそれぞれ37%、第5子以降についてはそれぞれ33%が支給される。なお、支給対象児童のうち10歳以上15歳未満については9%、15歳以上については16%の加給がある。
 このため、フランスにおいては、同一職種で同一賃金を得ている労働者でも、社会保険料や税金を差し引き、家族手当を加えた可処分所得は、その労働者の家族の構成によって異なり、単身者の可処分所得を100とすると、妻と子供2人の家族を持つ労働者の可処分所得は125となっており、さらに子供数が多くなると、家族手当の額が多額となるため、同一賃金の労働者でも単身者と子供5人の労働者では約70%もの可処分所得の格差が見られるなど、わが国では企業が支えている労働者の生活の側面の一部を公的な制度が支えているなどの事情が見られる。また、フランス以外についても、ヨーロッパの多くの国々において似通った公的制度の機能が働いている。・・・

 このほか住宅費用についても詳しく説明していますが、これらを裏返していえば、欧州諸国では公的な制度が支えている子供の養育費、教育費、住宅費などを、日本では賃金でまかなわなければならず、そのために生計費構造に対応した年功賃金制をやめられなくなっているということが窺われます。
 こうしたことは、実は1960年代には政労使ともにほぼ共通の認識でした。それゆえに、ジョブ型社会を目指した1960年代の政府の政策文書では、それにふさわしい社会保障政策が高らかに謳いあげられていたのです。
 例えば、1960年の国民所得倍増計画では、「年功序列型賃金制度の是正を促進し、これによって労働生産性を高めるためには、すべての世帯に一律に児童手当を支給する制度の確立を検討する要があろう」と書かれていますし、1963年の人的能力開発に関する経済審議会答申でも、「中高年齢者は家族をもっているのが通常であり、したがって扶養手当等の関係からその移動が妨げられるという事情もある。児童手当制度が設けられ賃金が児童の数に関係なく支払われるということになれば、この面から中高年齢者の移動が促進されるということにもなろう」とされていました。
 しかし、ようやく1971年に児童手当法が成立したころには時代の雰囲気は変わりつつあり、その後は日本型雇用システムを望ましいものと評価する思想が強くなる一方でした。その中で児童手当は、「企業に家族手当があるのにそんなものいらない」という批判の中で細々と縮んでいくこととなります。高度成長期の問題意識も失われ、教育費や住宅費は賃金でまかなうのが当たり前という社会が強化されていったのです。
 この点で大変興味深いのは、日本型雇用システム評価が逆転した転換点に位置するOECD対日労働報告書における記述です。児童手当法成立の翌年の1972年という年に、このような皮肉な評価が海外からされたのです。

 この点に関連して注目に値することは、生涯雇用及び年功賃金制度が、よその国では国によって満たされている機能が使用者によって相当の程度まで満たされているということを意味しているということである。・・・すなわち解雇して失業保険に依存させるかわりに、使用者は景気後退のときも企業内の職業訓練やある種の仕事をふやしたりあるいは余分の余暇を与えたりして労働者の雇用を維持する。国が児童手当や高等教育の奨学資金を支払うかわりに、年齢や勤続によって上昇する労働者の賃金が子弟の教育費用をまかなう。・・・

 事実認識としては所得倍増計画等と何ら変わりません。ただ、価値判断の方向性が逆転しています。これが批判の声ではなく、賞賛の声であったことが、その後の日本の歩む道を決めていったように見えます。

・問題意識の消滅

 ところが、1970年代以降の年功賃金への高評価は、それがそもそも立脚していた生計費をまかなうための生活給であるという原点を隠蔽する形で進んでいったのです。
 かつて政府や経営側が職務給を唱道していたときには、労働側の反論は「それでは中高年は生活できない」というものでした。そうであればこそ、それなら中高年の家庭生活を維持できるような社会保障制度を確立しなければならないという議論につながり得たわけです。
 ところが、1970年代以降に労働経済学で主流となっていった知的熟練論では、そもそも中高年が高賃金となっているのは生計費をまかなうためなどという外在的な理由ではなく、労働力そのものが高度化し、高い価値のものになっているからだと、正当化理由が入れ替わってしまっていたのです。その意味では、労働の価値自体にはあまり差はないのに、生活のために高い賃金をよこせと言わざるを得ない後ろめたさを感じていた中高年労働者にとっては、大変心地よいロジックを提供してくれるものだったと言えるかも知れません。しかし、好況期にはそのロジックを信じている振りをしている企業であっても、いざ不況期になれば、「変化や異常に対処する知的熟練という面倒な技能を身につけ」たはずの中高年労働者が真っ先にリストラの矛先になるのが現実でした。
 まことに皮肉なことに、生計費ゆえのかさ上げではなく労働力の価値が高いから高い賃金をもらっているはずだったのに、企業からそれだけの値打ちがないと放擲されてしまった中高年労働者は、本人の能力が低かったからそういう目に遭うのだという形で問題が個人化されてしまい、生計費がかかる中高年労働者の共通の問題としてそれを訴える道筋が奪われてしまうという結果になってしまうのです。中高年に心地よいロジックの裏側には罠が仕掛けられていたというべきでしょうか。
 そしてその罠のマクロ的帰結は、1960年代まではあれほど熱心に論じられていた中高年労働者の生計費をまかなうための社会保障制度という領域が、その後はほとんど議論されなくなってしまったことでしょう。

・児童手当の迷走

 1960年代には年功賃金制を是正するための切り札として、国民所得倍増計画をはじめとする累次の政府の政策文書で、児童手当に対して熱いまなざしが注がれていました。ところが、ようやく1971年に児童手当法が成立する頃には、世の中の雰囲気は変わりつつあったのです。
 児童手当は被用者については使用者拠出を主とする社会保険制度として設計されました。ですから制定当時は第5の社会保険と呼ばれたのです。医療、年金、労災、失業に続く第5の社会保険です。しかし、財政当局の姿勢が厳しく、所得制限が付けられた上、第3子以降にのみ月3000円(1975年以降は月5000円)支給されるという形での出発でした。当時は「小さく産んで大きく育てる」と言われたようですが、その後の推移は小さく産まれた子供をさらに収縮させていったのです。対象年齢が義務教育終了までとなった1974年は、日本の雇用政策の方向性が企業主義に大きく転換する潮目でもありました。その後は財政当局や経営側から、児童手当の廃止論が繰り返し叫ばれるようになります。
 たとえば、1979年の財政制度審議会報告は、日本では養育費の社会的負担という考え方はなじみにくい上に、賃金体系が家族手当を含む年功序列型の場合が多く、生活給の色彩が強いので、児童手当の意義と目的には疑問があると述べています。年功賃金をなくすために児童手当が必要と謳っていた60年代とは打って変わり、年功賃金があるから児童手当なんか要らないという議論が大手を振ってまかり通るようになっていたわけです。
 その後の児童手当は、少子化対策の一環として出産奨励的な色彩を強めつつ、対象年齢が引き下げられていきました。1986年からは第2子から、1991年からは第1子から支給されるようになる一方、支給対象年齢は9歳、5歳、4歳、3歳と引き下げられていったのです。子供の養育や教育にお金がかかる時期を公的に支援しようという発想は、もはやなくなっていたと言えましょう。象徴的なのは、1997年に介護保険法が制定されたとき、当時の厚生省はこれを第5の社会保険と呼んだのです。30年近く前に作られた児童手当は、このときにはもはや社会保険の座から失脚していたということなのでしょう。
 2000年代に入ると、再び支給対象年齢が引き上げられていきます。6歳まで、9歳まで、12歳までと徐々に引き上げられていくとともに、2007年には3歳までは月1万円となりました。そして、2009年に政権についた民主党は、そのマニフェストで「中学卒業までの子ども1人当たり年31万2000円(月額2万6000円)の「子ども手当」を創設する」と訴え、2010年にはその半額の1万3000円で中学卒業まで所得制限のない制度となりました。
 当時私は、民主党政権の課題を論じた文章(「労働政策:民主党政権の課題」『現代の理論』21号)の中で、こう述べました。

 まずは、一見労働政策とは関係なさそうに見えるマニフェストの第2「子育て・教育」である。選挙戦でもっとも華々しく論じられた子ども手当の創設は、育児や教育にかかる費用は個別正社員の生活給でまかなうのではなく、公的な給付として社会全体で支えていくという正しい方向性を示している。実はこの方向性は50年近く前の国民所得倍増計画で明確に示されていたものであり、それを受けて1971年に児童手当が創設されていた。ところがその後「企業に家族手当があるのにそんなもの要るのか」という批判の中で細々と縮んでいき、ようやく最近になって拡大の方向に転換したところである。半世紀前に提起されていた課題に、今ようやくスポットライトが当たり始めたというべきであろう。

 ところが、この制度に対して野党の自民党やマスコミからバラマキ政策だという批判が投げかけられると、民主党政権はあっさりと子ども手当を廃止し、2012年からもとの児童手当に戻してしまいました。彼ら自身も、これを選挙目当てのバラマキ政策だとしか考えていなかったことが露呈したわけです。私が「正しい方向性」などと褒めたのは、とんだ見当外れだったようです。

・福祉と労働の幸福な分業体制

 こうした流れをマクロ的に振り返ってみると、戦後確立した日本型雇用システムが企業内で労働者とその家族の生活をまかなうことを追求し、かなりの程度それを実現してしまったために、欧米諸国で同時代的に進んだ福祉国家の形成をかえって阻害してしまったということもできるでしょう。
 もちろん、傷病にかかったときの医療保険制度や労働市場から引退した後の年金制度などは、それほど遜色のない立派な制度が構築されましたが、現役世代の労働者に対する生活保障については、企業がすべて面倒を見るのが当然であって、公的な社会保障がしゃしゃり出るようなものではないという発想が牢固として屹立し、児童手当のようなその思想に反する制度は何とか生み出されても細々とやせ細っていくしかなく、あるいはせいぜい少子化対策か選挙目当てのバラマキとしてしか存立し得ないのが現実でした。
 これは他のすべての社会保障制度の領域に基調低音として響いている思想でもあります。このため大企業分野では、たとえば厚生年金は公的年金制度であるはずなのに、厚生年金基金という紛らわしい名前の私的な企業年金と一緒くたにされ、健康保険も企業の人事管理機構の一部としての健康保険組合によって運営されるなど、企業主義的色彩が強められた形で制度設計されています。
 また、欧米では社会政策の一部と考えられている教育政策や住宅政策が、日本ではもっぱら政治イデオロギー問題や開発業者の利権問題に集約されて論じられる傾向も、子供の教育費や家族を収容する住宅の費用の問題が、それらは賃金でのみまかなわれるべきものという思想によって極小化されてしまったことが背景にあるといえるでしょう。
 こうした流れは、アカデミズムにも大きな影響を与えました。現役労働者の生活保障はすべて企業内で解決されるべき「労働問題」であるとされてしまったことが、それまで存在していた広義の「社会政策」という問題意識自体を希薄にしたのです。かつては、労働問題を中核にそれと不可分の形で社会保障を論ずる社会政策という学問的枠組みが存在し、多くの学者が論を戦わせていたのですが、高度成長以後には(「社会政策学会」という名称の学会はそのまま残っているとはいえ)労働問題研究と福祉・社会保障研究とはお互いに異次元空間の存在ででもあるかのように別々に行われるようになっていったようです。
 日本型雇用システムでは、大企業の正社員を中心に企業単位の生活保障システムが確立し、公的な福祉を一応抜きにしても企業の人事労務管理の範囲内で一通りものごとが完結するようになったことがその背景です。福祉・社会保障政策はその外側を主に担当するという形で、福祉と労働の幸福な分業体制が成り立っていたわけです。
 これを逆に言えば、日本型雇用システムによってカバーされる範囲が徐々に縮小し、企業単位の生活保障からこぼれ落ちる部分が次第に拡大してくるとともに、この分業体制に疑問が投げかけられてくることになります。近年、社会政策分野で再び福祉と労働のリンケージが問題になりつつあるのは、この状況を反映しています(濱口桂一郎編著『福祉と労働・雇用』ミネルヴァ書房、2013年)。

 

 

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コメント

詳細版を読んで改めてしみじみと思うのは…われわれ同時代のニッポン人全体にとって、過去半世紀、戦後の民主国家としてのスキームをデザインし直したその極めて重要な時期に「カイシャ」(雇用主)が果たした役割がいかに過大(too much)であったかということです。働きに応じた毎月の賃金に加え、盆と暮の二大ボーナス、教育費(家族手当)、住宅費(家賃補助)、退職年金(厚生年金)、その他福利厚生の至れりつくせり…。誰だってここまでどっぷりと特定の雇用主から恩恵を受ければ、生き抜くためには会社ニンゲンにならざるを得ません(〜心理的なメンバーシップ契約の締結)。

ただ、Hamachan 先生の洞察をテコにこうして一気通貫にわれわれの課題をoutlook してみれば、ニッポンの喫緊の課題としては「働き方改革」(長時間労働削減、ワークライフバランスバランス)と「同一労働同一賃金」の二大テーマに加え、本論で言うところの「会社手当から社会手当へ」という最後のパズルピースが鮮明に浮かび上がってきます。

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