ポストモダンの幻想@ハイステルハーゲン
ソーシャル・ヨーロッパ・ジャーナルからドイツ社民党の顧問ハイステルハーゲン氏の「ポストモダンの幻想」。アイデンティティ・ポリティクスの流行が諸悪の根源だと熱弁をふるっています。
本ブログでも(欧州風リベサヨ論として)繰り返し取り上げてきたテーマですが、やや哲学的側面に立ち入って論じているので、少し紹介。
https://www.socialeurope.eu/the-postmodern-illusion
Once, postmodernism and its protagonists identified themselves as freedom fighters – and probably still do. Their argument goes like this: The universalism of modernity and the logic of the general in industrialized societies, as the German sociologist Andreas Reckwitz calls it, would have led to normalization, standardization, and leveling. So, the Other would not just get excluded and oppressed in general, but individually this logic of the general and its pressure for normalization would have brought the oppression of many people too – of homosexuals, for instance.
かつてポストモダン主義とその唱道者たちは彼らを自由の戦いの旗手ととらえてきたし、今でもそうだろう。彼らの議論はこうだ。モダニティの普遍主義と産業社会の一般のロジックは、ノーマル化、標準化、平準化をもたらす。それ以外は単に排除され一般的に抑圧されるだけではなく、個別的にもこの一般のロジックとノーマル化への圧力がホモセクシュアルのような多くの人々を圧迫してきた。
This is how postmodernists pleaded and fought for an “anything goes”. They deconstructed and disassembled the great narratives of society; then they congratulated themselves for destroying the wasteland of the oppressing generality of modernity.
こうしてポストモダン主義者たちは「何でもあり」を弁護し、戦ってきた。彼らは社会の大いなる語りを脱構築し、ばらばらにしてきた。そして、抑圧的なモダニティの一般性という荒れ野を破壊することを喜び祝ってきた。
その帰結がフェイクニュースであり、トランプ大統領なのではないかと彼は問い詰めます。
But this fight for freedom was fought under a false premise. Postmodernists deny the tasks of finding the truth and the general. So, nowadays we have one frontline of the new Right and Left postmodernists, and both fight against universalism. This causes big collateral damage. One of those damages is the presidency of Donald Trump. Indeed, I think Trump was rendered possible because of postmodern relativism and, indeed, it also meant he could become the first postmodern president.
しかしこの自由への戦いは間違った前提の下で戦われてきた。ポストモダン主義者たちは真実と一般性を見つける任務を否定する。それで今では、新たな右翼と左翼のポストモダン主義者がどちらも普遍主義を否定して戦う一個の前線ができた。これが大きな副次的被害を生み出した。その被害の一つがドナルド・トランプ大統領だ。実際、わたしはトランプはポストモダン相対主義のおかげで可能となったのであり、実際彼は最初のポストモダン大統領になったともいえよう。
細かい話が続いて、また哲学的な議論になります。
And that is the point why the Left has to recognize where the postmodern anything goes led. The consequence was that a new postmodern cultural Left linked up to neoliberalism, because both focus on the individual. By doing so, more and more the classical economical Left was forced into the defensive position of being an outsider, because their idea was not the freedom of the individual but an empire of freedom, as Karl Marx called it. Even for the old Leftists who did not have a Marxist approach, this universal goal of “real freedom for the many and not just for the few” was the common driving force of the left movement. This historico-philosophical drive for the “promised land” was the Left’s motivation. The old left direction was: Let us move forward to a better world. And solidarity was the key term for this direction.
そしてこれが、ポストモダン的「何でもあり」がどこに至るかを左翼が理解すべき点である。その帰結は、新たなポストモダン文化的左翼はネオリベラリズムにつながるのであり、それはどちらも個人に焦点を合わせるからだということだ。そうなることで、ますます古典的な経済的左翼はアウトサイダー的な守りのポジションに押し込まれてしまう。彼らの理念は個人の自由ではなく、マルクスの言葉でいえば「自由の帝国」だからだ。マルクス派ではない古典的左翼にとってさえ、少数者のではなく万人の「真の自由」という普遍的目標が左翼運動の共通の駆動力であった。この「約束の地」への歴史哲学的動力源が左翼のモチベーションであった。古い左翼の方向性は:より良い世界を目指そう、であり、連帯がこの方向性のキーワードであった。
ここで、やや意表をついて例のバノン氏が登場します。
The German magazine “Spiegel” recently reported that Steve Bannon, ex-political advisor to Trump, told an interviewer: “As long as the Democrats are talking about identity politics, I will have them under control.” Unfortunately, it is correct that under these conditions the Right has the liberal Left under its control. As long as Leftists stay in love with identity politics, the Trumpians of all countries will celebrate.
最近、ドイツの「シュピーゲル」誌がスティーブ・バノンのインタビューを掲載している。「民主党がアイデンティティ・ポリティクスを語っている限り、わたしは彼らをコントロール下に置いている。」残念ながら、右翼が左翼をコントロール下に置くのはこの条件下においてであるというのは正しい。左翼がアイデンティ・ポリティクスに愛着を抱いている限り、世界中のトランプ主義者たちは祝賀するであろう。
その結果生み出される世界はかくのごとくです。
This form of identity politics undermines the ideals of enlightenment, and produces a divided society, because society breaks down into small groups and segments that mistrust each other, and do not want to talk with each other but talk about each other. That is how you lose a debate because arguments are no longer interesting. Almost anyone just wants to be left alone or wants to be in the right with his or her own point of view. Or someone wants both: not to hear the arguments of the others, but still wanting the others to think as he or she does.
この形態のアイデンティティ・ポリティクスは啓蒙の理想を掘り崩し、分裂社会を生み出す。というのも、社会は小さなグループと断片に分解され、そこではお互いを信用せず、お互いに語り合うことすら欲せず、お互いについて語るのみなのだ。こうしてあなた方は議論に興味を失い、論議を失う。ほとんどだれもが一人になることを求め、あるいは自分と同じものの見方の中にいることを求める。どちらも求める者もおり、他者の議論を聞こうとせず、他者が自分と同じように考えることを欲する。
Furthermore, in this modus of identity politics it is hard to talk about how to answer reality, because people are unable to find a common understanding of this reality. In the age of postmodernism anyone can make claims about reality in whatever way he or she wants. Anything goes. Trump is the best example.
さらに、この手のアイデンティティ・ポリティクスにおいては、現実にいかに応答するかについて論じることが困難だ。なぜなら、人々はこの現実についての共通の理解を見つけることができないからだ。ポストモダン主義の時代には、だれもが現実について、自分の好きなように文句をつけることができる。何でもありだ。トランプがその一番いい実例だ。
This trend is a huge mistake. And that is why the Leftists´ focus on this postmodern identity politics was a mistake, too. So, as Mark Lilla does, we should just appeal to the Left: Get real! Now!
このトレンドは大間違いだ。そしてこれが左翼がポストモダン的アイデンティティ・ポリティクスに焦点を合わせてきたのが間違いである理由だ。そう、今こそ左翼にこう訴えなければならない。正気に戻れ、と!
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ハイステルハーゲン氏の言いたいことは分かるけどΓ何だかなぁ」と思わざるを得ません。
やはり日本には日本の文脈があるのかなと。
ここでは乱暴にポストモダン=社会的自由主義と定義して話をしますが。
社会主義や共産主義が、特に社会主義がΓ失敗」と判断されてからの左派は自由主義の中に自らを位置づける以外に居場所がなくなったわけですし、労働運動の実態が各企業内に分断されてしまっては、社会主義も自由主義も関係なく、会社の業績との連動で何をどこまで取るか、でしかなく、36協定規制や労基法、労働安全衛生法などの働く者の権利の向上と普遍化も目立った動きなく現代に至り・・・。
歴史教育じゃないですけど、教えないという不作為を作為的に行うことで勤労者意識を徹底的に形骸化してきたわけですから、何かこの社会に違和感を感じたときの経路が社会的自由主義的な文脈だとしても仕方ないかなと思います。多分それ以外にはないのじゃないかなと。
いくらドイツの社民党や労組がΓ体制内」化しても、権利意識と権利は闘いでかちとるものという闘争心は未だにあると思います。
実態があまりに違うので、日本でポストモダン=社会的自由主義を即批判しても、あまり利益なしかなと。まぁ擁護しても利益はないんですけど。(笑)
でも、言ってることは全く真っ当で元気が湧きます。(笑)
投稿: 高橋良平 | 2018年4月29日 (日) 18時19分
まあ、わたしとしては、以前は出羽守よろしく、欧州はちゃんとソーシャルな左派がいるぞ、リベサヨがでかい顔しているのは日本くらいだぞ、てな感じのことを言っていたもので、いやいや実は欧州だってけっこうリベサヨ化してて、こういう批判が結構あるんだというのを改めて今になって一生懸命紹介しているという経緯があるもので、かえってストレートに伝えています。
投稿: hamachan | 2018年4月29日 (日) 19時18分