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2018年4月 2日 (月)

『月刊連合』4月号

Covernew『月刊連合』4月号が届きました。特集は「2018春季生活闘争 賃上げをすべての働く者へここから始まる「底上げ春闘」」ですが、第2特集は「守ろう! 技能実習生の人権〜外国人技能実習制度の適正な実施を〜」で、労働法政策の観点からはこちらのほうが重要です。

https://www.jtuc-rengo.or.jp/shuppan/teiki/gekkanrengo/backnumber/new.html

外国人技能実習制度とは、日本の技能を開発途上国に移転するという国際貢献を目的に、一定期間、外国から技能実習生を受入れる制度。技能実習生の数は、現在25万人を超えている。
昨年11月には、技能実習生の保護と制度の適正な実施を目的とする「外国人技能実習法」(以下、新法)が施行された。実習の現場では、国際貢献とは名ばかりで、長時間労働や賃金未払い、最賃を下回る労働関係法令違反、旅券取り上げ等の人権侵害事案などのさまざま問題が起きていたからだ。連合は、開発途上国等への技能移転による国際貢献という制度本旨に沿った運営、監理体制の強化、技能実習生の権利保護を求めて取り組んでいる。外国人技能実習制度とはどのような制度なのか、制度の適正な実施のために何が必要なのか。新法の施行を機にあらためて考えてみたい。

で、

■ データで見る外国人技能実習制度
■ 外国人技能実習制度の実態─相談事例から 指宿昭一 弁護士
■ 連合のスタンスと取り組み 村上陽子 連合総合労働局長

という記事ですが、技能実習の現場がいかにひどいかを訴える指宿弁護士の明快さに比べて、連合の村上陽子さんの言葉は何か奥歯にものが挟まったように聞こえるかもしれません。でも、それが外国人労働問題に対する労働組合のスタンスの難しさなのですね。確かに、

・・・連合の基本的スタンスは、専門的・技術的分野では積極的に受け入れ、単純労働については原則として受け入れないというものだ。

というようなスタンスゆえに、労働力としてではなく技能実習という国際貢献のために受け入れるんだというごまかしめいた議論で事実上の外国人労働導入をやってきたがゆえに、指宿さんが指摘するような人権侵害が横行してきたのではないか、正々堂々と正面から外国人労働者を受け入れるべきだ、という議論は、とりわけ人権尊重派からは繰り返し提起されてきたところです。

それにそう簡単に乗れないのは、労働組合とは現に今日本国内で働いている労働者たちの利益代表という性格をそう簡単に捨て去ることができないからで、これはどの国の労働組合であっても同じです。

73914この点、もう8年前に出た五十嵐泰正編『労働再審2 越境する労働と〈移民〉』に載せた「日本の外国人労働者政策――労働政策の否定に立脚した外国人政策の「失われた二〇年」」の中で、やや詳しく述べたことがあります。

第1節 外国人労働者政策の本質的困難性と日本的特殊性

(1) 外国人労働者問題の本質的困難性

 外国人労働者問題に対する労使それぞれの利害構造をごく簡単にまとめれば次のようになろう。まず、国内経営者の立場からは、外国人労働者を導入することは労働市場における労働供給を増やし、売り手市場を緩和する効果があるので、望ましいことである。また導入した外国人労働者はできるだけ低い労務コストで使用できるようにすることが望ましい。この両者は「できるだけ安い外国人労働者をできるだけ多く導入する」という形で整合的にまとめられる。
 これに対し、国内労働者の立場から考えたときには、外国人労働者問題には特有の難しさがある。外国人労働者といえども同じ労働市場にある労働者であり、その待遇や労働条件が低劣であることは労働力の安売りとして国内労働者の待遇を引き下げる恐れがあるから、その待遇改善、労働条件向上が重要課題となる。しかしながら、いまだ国内労働市場に来ていない外国人労働者を導入するかどうかという局面においては、外国人労働者の流入自体が労働供給を増やし、労働市場を買い手市場にしてしまうので、できるだけ流入させないことが望ましい。もちろん、この両者は厳密には論理的に矛盾するわけではないが、「外国人労働者を入れるな」と「外国人労働者の待遇を上げろ」とを同時に主張することには、言説としての困難性がある。
 ほんとうに外国人労働者を入れないのであれば、いないはずの外国人労働者の待遇を上げる必要性はない。逆に、外国人労働者の待遇改善を主張すること自体が、外国人労働者の導入をすでに認めていることになってしまう。それを認めたくないのであれば、もっぱら「外国人労働者を入れるな」とのみ主張しておいた方が論理的に楽である。そして、国内労働者団体はそのような立場をとりがちである。
 国内労働者団体がそのような立場をとりながら、労働市場の逼迫のために実態として外国人労働者が流入してくる場合、結果的に外国人労働者の待遇改善はエアポケットに落ち込んだ形となる。そして国内労働者団体は、現実に存在する外国人労働者の待遇改善を主張しないことによって、安い外国人労働力を導入することに手を貸したと批判されるかも知れない。実際、外国人労働者の劣悪な待遇を糾弾するNGOなどの人々は、国内労働者団体が「外国人労働者を入れるな」という立場に立つこと自体を批判しがちである。しかしながら、その批判が「できるだけ多くの外国人労働者を導入すべき」という国内経営者の主張に同期化するならば、それはやはり国内労働者が拠ることのできる立場ではあり得ない。いまだ国内に来ていない外国人労働者について国内労働市場に(労働者にとっての)悪影響を及ぼさないように最小限にとどめるという立場を否定してまで、外国人労働者の待遇改善のみを追求することは、国内労働者団体にとって現実的な選択肢ではあり得ないのである。
 この利害構造は、日本だけでなくいかなる社会でも存在する。いかなる社会においても、国内労働者団体は原則として「できるだけ外国人労働者を入れるな」と言いつつ、労働市場の逼迫のために必要である限りにおいて最小限の外国人労働者を導入することを認め、その場合には「外国人労働者の待遇を上げろ」と主張するという、二正面作戦をとらざるを得ない。外国人労働者問題を論じるということは、まずはこの一見矛盾するように見える二正面作戦の精神的負荷に耐えるところから始まる。
 労働政策は労使の利害対立を前提としつつ、その間の妥協を両者にとってより望ましい形(win-winの解決)で図っていくことを目指す。外国人労働者政策もその点では何ら変わらない。ただその利害構造が、「できるだけ安い外国人労働者をできるだけ多く導入する」ことをめざす国内経営者と、「できるだけ外国人労働者を入れるな」と言いつつ「外国人労働者の待遇を上げろ」と主張せざるをえない国内労働者では、非対称的であるという点が特徴である。

(2) 日本の外国人労働者政策の特殊性

 日本の外国人労働者政策も基本的には上述の労使間の利害関係の枠組みの中にあり、それが政策展開の一つの原動力であったことに違いはない。しかしながら、1980年代末以来の日本の外国人労働者政策の大きな特徴は、そのような労使間の利害関係の中で政策を検討し、形成、実施していくという、どの社会でも当然行われてきたプロセスが事実上欠如してきたこと、より正確に言えば、初期にはそのような政策構想があったにもかかわらず、ある意図によって意識的にそのようなプロセスが排除され、労使の利害関係とは切り離された政策決定プロセスによってこの問題が独占され続けてきたことにある。
 一言でいえば、労使の利害関係の中で政策方向を考える労働政策という観点が否定され、もっぱら出入国管理政策という観点からのみ外国人政策が扱われてきた。言い換えれば、「外国人労働者問題は労働問題に非ず」「外国人労働者政策は労働政策に非ず」という非現実的な政策思想によって、日本の外国人労働者問題が取り扱われてきた。そして今日、遂にその矛盾が露呈し、問題が噴出するに至ったのである。

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