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2018年2月21日 (水)

五十嵐泰正『原発事故と「食」』

102474五十嵐泰正さんより『原発事故と「食」 市場・コミュニケーション・差別』(中公新書)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.chuko.co.jp/shinsho/2018/02/102474.html

このタイトルを見て、正直五十嵐さんとは余り結びつきませんでした。私と五十嵐さんとのつながりは、もう8年前の2010年に五十嵐さんの編著の『労働再審2 越境する労働と〈移民>』に外国人労働関係の論文を一本寄せたことですが、こういう問題にも突っ込んでいるとはあまり知らなかったのです。

農水産物の一大供給地であった福島は、3・11以後、現在にいたるまで、「デマ」や風評が飛び交い、苦しい状況に追い込まれている。一方で、原発事故と震災の忘却は着実に進行している。本書は、流通や市場の課題、消費者とのコミュニケーション、差別の問題などから、「食」について多面的に論じる。「食」を通して、あの事故がもたらした分断を乗り越えられるのか――。これからの社会を考える試み。

どうしても炎上気味に、誰かを糾弾するような形で議論されがちなこの問題を、上から目線で斬り捨てるのではなく、しかし冷静に分析していく五十嵐さんの手際は、読みながら心地よいものすらあります。

序章に、なぜ社会学者がこの問題に手を出そうとするのかを述べた数節があります。そう、何の役に立つのか?と少々されることもある社会学なるものの社会的レリバンスとは、まさにこういうことなのかもしれません。

・・・もちろん、「デマ」への批判は非常に重要だ。放射線リスク判断を過大に煽る言説を真に受けてしまい、避難や食品選択に関する科学的に適切な判断が阻害され、本来は必要なかった経済的・社会的コストや、周囲との軋轢が生じてしまう問題は深刻だった。その検証と総括は必要である。さらには、現在でも残る「デマ」は、偏見や差別につながって、いじめや自殺など深刻な人権侵害に至りかねない。・・・

ただ、科学的に正しさを伝えるだけで、福島県外に住む消費者の、福島県産品に対する安心感の醸成と「風評」被害の払拭という、いわば実利的な目的の達成が可能なのか、十分に検討されてきただろううか。確かに、もし原発事故直後から放射線リスクを過大評価する「デマ」がマスメディア上にもネット上にも全くなければ、「風評」被害は起こらなかったか、起こったとしても軽微なものだっただろう。しかし、言うまでもなく、実際にこの国の言説空間で起こったことはそれとはほど遠い。

その結果、事故直後の放射線リスクを強調する言説と恐怖心が心のどこかに残ったまま、時間の経過とともに関心が低下して、今ではすっかり被災地も放射線も意識せずに生活を送っているのが、福島県外の多くの消費者の現在だ。そんな彼/彼女たちの福島に対するイメージを変えさせるためにベストなアプローチは、かつて耳にした恐怖を煽る言説を「デマ」だと批判し、科学的事実を伝えることに尽きるのだろうか。・・・

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コメント

濱口先生、ご無沙汰しております。テーマ違いのブログで取り上げていただけると思わなかったので、驚きました。どうもありがとうございます!
序章にも書いた通り、自分の住む街が放射能のホットスポットと呼ばれるようになってからの7年間、研究キャリアは大きく変わりました。とはいえ、データと先行研究にあたり、現場を踏まえ、理論的に検証し、というやることは基本的には変わりません。
そして、社会学者のレリバンスに触れていただき、どうもありがとうございます。このテーマでは必然的に交流することになる医学や物理学や農学の先生方に比しての、社会科学者の「役に立たなさ」は常に問いかけられるところでしたから。その中で、私は「あとがき」にも書いているとおり、「調整」というのが社会学者の社会的レリバンスであろうと思いを新たにするようになりました。
これでこのテーマには一定の区切りをつけ、また本来の専門に注力する比重を高めていこうと思いますので、引き続きよろしくお願い申し上げますm(__)m

こちらこそ恐縮です。

>「調整」というのが社会学者の社会的レリバンス

という認識をもって、再びこれまた合理性だけで切り捨てるような議論と炎上気味の情緒的な議論ばかりが流通しがちな、外国人問題にアプローチされることを期待しております。


>避難や食品選択に関する科学的に適切な判断が阻害され、本来は必要なかった経済的・社会的コストや、周囲との軋轢が生じてしまう問題は深刻だった。


食品選択に関しては、どの程度であれば”科学的に適切な判断が阻害され、本来は必要なかった経済的・社会的コストが生じてしまう”事になるかは判断が難しい場合もあると思います。
現在では例えば福島産の米は全量が検査され放射性物質が検出されないものだけが出荷されているそうです。このような状況で福島産の米が忌諱されれば、”科学的に適切な判断が阻害され、本来は必要なかった経済的・社会的コストが生じた”事になると思います。

しかし福島の事故直後に神奈川(丹沢地方)の茶葉に基準値をやや上回る放射性物質が検出された事がありました。これに関して生産者団体は”この茶葉でもお茶にすると放射性物質の量は1割以下になり全く問題ないのでこの茶葉は出荷するし、今後は検査もしない”と表明しました。この直後から(ペットボトルのお茶も含めて)お茶の売上が激減しました。そこで(ペットボトル等の)お茶メーカ等は”当社のお茶は昨年の茶葉で作られています”とか”九州の茶葉で作られています”等と表明しました。その後に生産者団体も出荷前に茶葉を検査し放射性物質が検出されないものだけを出荷するようになりました。生産者団体の当初の(お茶にすると放射性物質の量は1割以下になり全く問題ないという)判断も純粋に科学的には適切な判断かもしれません。それらの茶葉を出荷し今後の検査は行わない という表明後にお茶の売上が落ちた事は”本来は必要なかった経済的・社会的コストが生じた”として是正すべき事だったのでしょうか?

この茶葉の問題は過去の話ですが、現在進行中の問題としてトリチウム水の海洋放出(*)があります。科学的にはトリチウムを含んだ水でも薄めれば海に流しても問題ないそうですが、漁業関係者は”魚が売れなくなる”として放出に反対しています。この場合も、トリチウム水の放出により魚が売れなくなる事(やそれを恐れてトリチウム水の放出に反対しタンクを作り続ける事)は”本来は必要なかった経済的・社会的コストが生じた”として是正すべき事でしょうか?

(*) 福島では溶け落ちた核燃料を冷やすために現在でも原子炉に水を注ぐ必要があり、この水が地下水と混ざって高濃度の汚染水となって建屋の地下にたまっています。汚染物質の中でトリチウムという物質だけは除去できないので、トリチウムを含んだ水が毎日数百トンずつ増えています。現在はすべてタンクに収容していますが、いずれ原発の敷地内には収容できなくなるので薄めて海に流すべきだ という意見があります。

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