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上野国久『ホンダ、フォルクスワーゲン プジョーそしてシトロエン 3つの国の企業で働いてわかったこと』

635b この本は、たまたま古本屋の店頭にあったものを見つけて、面白そうなので買ったものです。出版されたのは2015年ですが、そのときには私は全然気が付きませんでした。

http://www.mikipress.com/books/2015/02/-3.html

日本、ドイツ、フランスの自動車メーカーで働いたからこそ知り得た各企業文化の特徴、そこで働くために何が必要か、それがどのように「クルマ」に反映されるのかなどを詳細に綴る。

新卒でホンダに入社、その後セガ等を経て、フォルクスワーゲンに、そしてプジョー、シトロエンに転職した著者の、半生記自体も大変興味深いものですが、やはり日独仏という3か国の、同じ自動車製造企業でありながらその企業文化がいかに違うか、を論じたところが、とても面白かったです。

これは、自動車製造企業の話であるとともに、それが代表するそれぞれの産業社会のありようを表してもいるのでしょう。

・・・フォルクスワーゲンの組織にはいかにもドイツらしい勤勉、規律、秩序を尊重する気風がある。全体の統制が良くとれており、より良いものを追求する姿勢の日本企業のそれに似た風土がある。しかしながら、組織内の指揮系統と意思伝達の仕方は、多分に暗示的な日本企業のそれに比べるとはるかに明示的、明確かつ厳格であって、殊に上意下達の仕方は大きく異なる。一般に日本の企業組織においては、現場の意思統一を前提に意思決定がなされるから、下意上達を尊重する風潮があって意思決定と意思統一がしばしば同義語でありさえする。上下双方向の意思疎通が図られる一方で、組織内の同じ階層や部門内での横の意思疎通と意識のすり合わせが恒常的に行われる。・・・予定調和にない意思決定は組織内に軋轢と摩擦を生じさせる。

それに比べるとドイツ企業の組織内の意思伝達は、上意下達の一方通行のようなものである。役職者の役割、責任と権限は厳格に規定されているから、その裁量権の範囲では小気味よく物事を判断して、下に向かって的確に指示を下す。しかもその指示は絶対的なものである。日本の企業組織によくみられるような調整型の役職者など必要ないのだ。また日本の企業組織にはまれに、本社の言うことなんか聞いていられるか、などといって暴れる現場隊長なども出現することがあり、それがまた組織上層部に認められて何かの拍子に偉くなったりする。ドイツの企業組織においてそういう人物の存在は想像しがたい。・・・

経験的に言えば、ドイツの企業組織にも忠誠心と規律と団結力が、日本企業に負けず劣らず見られるのだが、その土台となる価値観を形成するのは暗黙知ではなく、原則、規則、規格、基準、規程などの形式知によるものである。伝統的な日本の企業組織においては、その組織に何年もどっぷり浸かってその組織空間で共有される暗黙知を体得しなければ一人前とみなされないが、ドイツの企業組織の行動原理は明示的に形式知として厳格に定義されているから、日本の曖昧な組織原理のように何年もどっぷりと浸かって経験的に体得しなくても、教育と訓練によって効率的に身に付けられはするものの、私などにはいささか窮屈に感じられる。

これに対して、フランスはむしろ暗黙知の世界なのですが、これまた一筋縄ではいきません。ドイツが「窮屈」なのに対して、フランスは「面倒」だという著者の説明を聞きましょう。

・・・むろん、フランスの企業組織にも、忠誠心そして規律も団結力もある。しかしながら、フランス人は徹底した個人主義で育っているせいか、組織的枠組みや型にはめられるのを嫌がって、それを素直に認めようとしない。個人も組織もその行動原理や性格がややこしいのである。そのややこしさはフランス人の間では共有されているから、曖昧でも通じる日本人のそれと同じで、彼らの暗黙知なのである。

・・・私はfrancophileではあるけれども、別にドイツが嫌いなわけではないから、両国に対する公平を期して、フランス企業で働く日本人が往々にして感じることを要約しておけば、「面倒」ということになる。・・・

フランスとフランスの企業組織のわかりにくさは彼らが共有する暗黙知にあるのだろう、とあるときから私は割り切ることにした。・・・

日本の社会は暗黙知の働きで曖昧なままに運ばれることがあるけれども、形式知すらも曖昧になってしまうことがある。暗黙と形式知との総量が社会の価値観と文化を形成し、組織の在り方と仕事の進め方を性格づけるのであるが、フランスの社会と企業組織においては暗黙知として共有されたものが、ひとたび原則、規則、規格、基準、規程などの形式知で明示されると、ドイツと同じように、あるいはそれ以上に厳密かつ厳格に守られる。日本人ならば契約書に書かれたことでも、「そうは言っても」とか「そこを曲げて何とか」と頼み込んだり拝んだりして、相手方も「そこまで言うのなら、いつもお世話になっていることだし、特別な計らいを」などということがあるけれども、フランス人同士ではありえないことで、文章や書面の形式をとって契約や規則になるとそれは絶対的なものとなる。いかなる取り決めも、紙に書かれ、書面で合意してしまうと、たとえそれが理不尽に思えても、絶対的な効力を発揮する。それが口約束ではどんな関係にあってもあてにはならないし、なんの役にも立たないということがままある。

フランス人は、社会人として働き始めるとまずその洗礼を受けるらしい。例えば、取引先との商談を、上司に口頭で確認をとりながら取り決めをして、いざとなったときは上司から「そんなことは許可していない」と、日本でいうはしごを外されるというようなことである。

「そんな、任せたって言ったじゃないですか」

「どこにそんなことが書いてある?」

そういうことを彼らは何度となく経験しているから、仕事で一人前になって何かを取り決めをするときは、議事録や覚書や契約書にしようとせっせと書いて書面にする。そうして然るべき立場になると、かつて自分がやられたように、部下に向かって

「私はそんなことは許可していない。どこに書いてある?」

と、やるのである。・・・

 

 

 

 

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コメント

権限分配を明確にするという点ではドイツもフランスも同じでしょうが、分配のやり方が違うようですね。

ドイツは組織レベルで権限をあらかじめ分配するのにたいして、フランスは個人レベルで交渉によってその都度権限を分配するということでしょうね。一方、日本は権限の分配をそもそも明確にしない。

あらかじめ権限を分配しておくことは調整コストを低減させますが、柔軟性を失わせる。その都度権限を分配するのは柔軟な対応を可能とさせますが、調整コストを増大させる。そもそも権限を明確に分配しなければ柔軟性を極大化させるが調整コストを莫大なものにする。そのような調整コストを低減するために「組織空間で共有される暗黙知」を従業員に習得させる必要があり、そのためにメンバーシップ型雇用が適していたというのが日本企業の従来の姿だったのでしょうね。

しかしメリットとコストのバランスが崩れ、メンバーシップ型雇用を縮小させざるを得なくなっている現在の日本企業はどのような方向にむかうのか。そもそも「組織空間で共有される暗黙知」の取得のために組織に縛り付けられることの機会コストやリスクが増大する状況で労働者にとってもメンバーシップ型雇用のメリットは薄れつつありますから、ドイツやフランスの方向にむかうのは避けられないでしょうね。日本では個人間での交渉がなじみがないものでしょうから、ドイツの方向にむかわざるをえないでしょうかね。

投稿: 通りすがり2号 | 2018年2月18日 (日) 17時51分

以下の記事を連想しました。こちらはプラント エンジニアリング会社の方のお話ですね。

人間主義のプラスとマイナス
http://brevis.exblog.jp/27064188/

日本企業は、末端の労働者でも取替えのきく部品ではなく、1人の人間として扱う、という話は、トヨタと GM の合弁で設立した、NUMMI 工場に関しても聞かれた話ですね。逆にいえば、欧米企業は労働者を取替えのきく部品として扱うということであり、それが「機能的組織」というものであるのでしょう。

投稿: IG | 2018年2月19日 (月) 02時08分

上記引用の
人間主義のプラスとマイナス
http://brevis.exblog.jp/27064188/

で突如日英の歴史教育の違いに話が飛ぶのが面白いですね。曰く、イギリスでは歴史現象の因果的、構造的連関を学ぶが、日本では年号と人名の暗記ばかりである。。。

安易な知識軽視に私は与しませんが、同様な問題意識はよく聞かれますし、高大連携歴史教育研究会が歴史用語の削減を訴えて坂本龍馬が教科書から消えるといったニュースが流れたのも記憶に新しいところです。

ただ、そのようなイギリスの歴史教育は階級社会的構造の下でエリート層の生徒だけが学ぶものではないのかという疑念は拭えません。平等な日本の教育システムでこのような歴史教育をすべての生徒に施すのは非現実的でしょうね。まあ、この問題に対するひとつの対応がゆとり教育だったのでしょうけれど。

ドイツ、フランスで権限分配がはっきりした組織運営がなされている背景には、イギリスと同様階級社会的構造の下でエリートとノンエリートが教育過程で早くから選別され、それぞれに応じた職につくジョブ型雇用があるでしょう。日本のように建前としては同じ教育を平等に受けた人間を労働市場でいきなり権限分配によって区別することは困難です。途中から、例えば40歳からリセットして人間を区別して扱おうというのもやはりご都合主義でうまくいかないでしょうね。人間はそんなに融通無碍にはできていない。

結局、労働組織の形態の問題は教育システムの問題と相関せざるをえない。明確な権限分配の下で組織を動かすにはマネジメントエリートが必要であり、それは現状の日本の教育システムをそのままに生まれたMBA取得者では務まらない。日本の企業が欧米型の組織に移行するには人間をはじめから峻別する複線型の教育システムを導入せざるをえないでしょうね。

投稿: 通りすがり2号 | 2018年2月19日 (月) 20時29分

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