低賃金にすればするほどサービスが良くなるという思想(再掲)及びその前説
本日の下記エントリで世界標準語とアメリカ方言の話でからかった立憲民主党の公務員人件費削減公約ですが、やや真面目に論じるとすると、労働基本権を回復して団体交渉で労働条件を決定するようにすることで人件費削減を目指すというのが一体全体どういう頭の回路で出てきているのかが興味あります。
https://twitter.com/CDP2017/status/950513453013327872
■公務員の労働基本権を回復し、労働条件を交渉で決める仕組みを構築するとともに、職員団体などとの協議・合意を前提として、人件費削減を目指します。
このツイートに山のようなコメントがついていますが、その中で、あるべき姿の方向性としては全く逆でありながら、物事の客観的な姿としてはそうだろうな、と思われたのが、人件費削減が大好きで経済の緊縮を目指しているらしい「りふれは」こと高橋洋一氏でした。
https://twitter.com/YoichiTakahashi/status/950738305921896454
人件費削減に反応している人が多いが。ちょっと文章全体をみると、①労働基本権回復、②労働条件を労使交渉、③人件費削減。①は団体交渉権と争議権付与。②は人事院廃止、人勧なしで労使交渉。となると、給与アップでしょう。○○前提と断りを入れて、給与アップをカモフラージュしたのか笑笑
https://twitter.com/YoichiTakahashi/status/950739547461046273
本当に給与カットしたいなら、②で人事院廃止ではなく、今の人勧の計算方法を変更することが近道。それをしないなら、人件費カットを狙っていないのでしょう。というわけで、人件費カットに過剰反応している人は肩すかしを食らうというのが、オレの深読み
人間とは、本音を隠して口当たりのいいことを言って人をだましたがるものだという人間観を持った人にとっては、こういう解釈が自然なのでしょう。高橋氏にとっては、人件費削減などと正義ぶって実は給与アップするつもりの立憲民主党は嘘つきでけしからんということのようです。あるべき価値判断のベクトルを別にすれば、私もそれに近い考えです。
やや法制的に言うと、民主党政権時代に国会に提出した国家公務員労働関係法に基づいて、団体交渉権は付与するけれどもスト権は付与しないという仕組みになったとすれば、実際に生じうるほとんど唯一の道は、団体交渉では妥結せずに中労委の仲裁裁定にいくということであり、そうなると、(今の民間の賃上げが継続しているのであれば)それに準拠したような仲裁裁定となるでしょうから、それで人件費削減するということは無理筋です。
いやまあ、民間労働者についても(自公政権の路線を転換して)断固人件費抑制賃下げ路線だというなら別ですが、さすがにそんな馬鹿なことはないでしょうから。
というのが、普通の人間観を前提にした発想なのですが、もしかしたら、この一見矛盾に満ちた公約は嘘偽りのない本音なのかもしれないという可能性もないわけではありません。
というのは、世の中には(経済学をちょっとでもかじれば信じがたい話ですが)本気で公務員の処遇を引き下げれば引き下げるほど一生懸命働くものだと本気で信じ込んでいるらしい人がいるからです。
そんな人どこにいるって?
いや、まさにこのブログに過去出現したんですよ。
2011年ですからもう7年近くも前ですが、こんなエントリがあります。今読み返してみても大変面白い。
さすがに、天下の(?)立憲民主党がこういう発想で公約を書いたとは信じたくはないですが。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-ee80.html (低賃金にすればするほどサービスが良くなるという思想)
まあ、城繁幸氏の場合は、実のところは官民問わず賃金処遇制度の問題であると意識しながら、あえて釣りとして(はやりの時流に乗って)公務員叩きをしてみせた気配が強いのですが、
http://blog.goo.ne.jp/jyoshige/e/cfe86d13b5103d8cf8e1b72a3e754a0b(公務員の賃金をいくら引き下げても構わない理由)
http://blog.goo.ne.jp/jyoshige/e/e3ad8b0a11acf9c195d542929f8b86d0(訂正:公務員は別に流動化しなくてもいいです)
こういう釣り記事を真っ正面から受け止めて、本気に信じてしまう(あるいはむしろその先に突き進んでしまう)人々がやはりいるわけです。
http://d.hatena.ne.jp/AMOKN/20110520(【コラム】公務員の賃金をいくら引き下げても構わない理由 解説編)
>いわゆる土方と呼ばれる仕事を見れば分かりますが、給料安くても不正もせずに過労死ギリギリまで働いていたりします。
以前、考察したときは下記の2点で縛られているからと考えていましたが、これを経営者側の立場で考えるとなるほどと思えることがあります。
おまえの代わりはいくらでもいるんだよ。
好きでやっているんだろう。
>いくつかの病院で働いていた時、凄く不思議だったのは一番プロフェッショナルだった病院はもの凄く看護婦さんの給与が低かったことです。患者にとって何が一番心地よいかを考えて、常に改善しようと心がけていました。仕事は過酷ですから、どんどん辞めていくわけですが、それを補うために看護学校も経営してどんどん若い看護婦を補充していくわけです。若い方が給与は安いですから経営上も利点があります。
そんなところで働いているなんて可哀想かと思うとそうでもないですね。彼女らはそこでの経験が後の仕事をしていく上で、大学出の看護婦とは全然次元の違う看護が出来るようになっているはずです。
これらに共通しているのは、誇りを持っていたり、好きな仕事なのに給与安いとどうなるかということです。
自分は金のために働いている訳じゃないということを嫌が上でも自覚せざるを得なくなるわけです。
じゃあ、何のために働いているのか。
それはお客さんや患者さんに喜んで貰うためなんだという凄くシンプルな答えに行き着くわけです。
いやあ、なんというか、天然自然の何の悪意も感じられないほどのブラック企業礼賛。
ここまで来ると、いっそ清々しい。
このあとがさらにすさまじい。
>逆に給与が仕事の内容に比べて高いとどうなるでしょうか。
自分は金のために働いている。こんな楽して儲けられるのはこの仕事しかない。この仕事は手放さないようにしようと考えます。でも、こんなに手を抜いてもこれだけ貰えるなら、クビにならない程度に手を抜いておこうとなるわけです。別にクビになるわけでも、給与が減るわけでもないなら、仕事を改善する必要もなくね。変にクレームが付かないように前の人と同じようにしておこうとなるわけです。
まさにどこかで見た勤務態度でしょ。
よって、給与を下げるとどうなるか。
恐らく劇的に公共サービスは改善されるでしょう。
金やそれに付随する社会的地位のために働いていた人達はまず最初に辞めていきます。
そして、自分が誰のために働いているのか、その人達のために自分が何をすべきかを考える人達だけが残っていくでしょう。もちろん、そういう人達もどんどん辞めていくでしょう。その代わり、もっと良い行政サービスができる、したいという人達が入ってきます。要するに市場原理が働くわけです。
えっ!?それが市場原理なの???
ケインズ派であれフリードマン派であれ、およそいかなる流派の経済学説であろうが、報酬を低くすればするほど労働意欲が高まり、サービス水準が劇的に向上するなどという理論は聞いたことがありませんが。
でも、今の日本で、マスコミや政治評論の世界などで、「これこそが市場原理だ」と本人が思いこんで肩を怒らせて語られている議論というのは、実はこういうたぐいのものなのかも知れないな、と思わせられるものがあります。
労働法の知識の前に、初等経済学のイロハのイのそのまた入口の知識が必要なのかも知れません。あ~あ。
(追記または謝罪)
上述の批判は、俗流ブルジョワ経済学説に毒されたモノトリ主義的労働貴族思想のしからしむるところであったのかも知れません。
上記リンク先に昨日書き込まれたコメントは、そのような俗物思想に対し、強烈な打撃を与えるものでありました。
http://d.hatena.ne.jp/AMOKN/20110520#c
>少年時代にマルクスの著作と出会って以来、一貫して共産主義を信奉している者です。この2010年代においてもなお、本物のコミュニストと出会えたことに感動しております。
「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」。これこそが我々共産主義同志の理想であり、本来ならば労働者の敵であるはずの資本家の側にも、我々コミュニストと同じ思想信条をお持ちの方がおられることに対して、大変驚いております。
貨幣から解放された労働、労働それ自体を目的とする労働。まさにコミュニズムの真髄です。とくに、経営者の報酬は1円で良いはず。当然、AMOKN様は有言実行しておられますよね。資本家でありながらコミュニストとしての闘いを続けておられるとは、頭の下がる思いです。共産主義の同志に対して、「えっ!?それが市場原理なの???」とは、まことに失礼千万なものの言いようであったと深く反省しております。
ただ、わたくしはかかる崇高な理念に殉じるにはあまりにもマテリアリストでありますので、おつきあいするのは控えさせていただきたいと存じます。
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コメント
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立憲民主党を擁護する気は毛頭ありませんが、削減すべき「公務員人件費」を総人件費という意味で捉えるか、公務員一人当たりの人件費で捉えるかでずいぶん意味は変わってくるでしょうね。
私は公務員の賃金システムについて、日本型雇用的な年功賃金から脱却し、専門性を評価して負担と責任の重さに応じた報酬を支払うメリハリの利いた賃金システムに移行すべきと考えます。これを前提として少なすぎる公務員を増やせば、総人件費は増えますが、公務員一人当たりの人件費は減ることになるでしょう。この流れで非正規公務員の待遇問題も改善できる。「公務員人件費削減」を「公務員一人当たりの人件費削減」と捉えれば、このような考えと立憲民主党の公約は整合的であるという善解は一応できますね。
労働基本権の回復云々は、このような賃金システム導入を労働基本権回復とのバーターで労組にのませようという高等政治的議論と解すれば、まあ理解できる。
ただ、濱口さんのおっしゃるような日本のリベラルの360度のねじれっぷりからすると、「総人件費削減」という意味でとられかねないですよね。まさかそのような「誤読」を織り込み済みでこのような公約をぶち上げたわけでもありますまいが。。。
いずれにしても立憲民主党は言葉が足りませんね。
投稿: 通りすがり2号 | 2018年1月11日 (木) 20時04分
みんなに いいかおを しようすると
みんなに うそつきだと おもわれるのは
しょうがくせいでも わかることです。
投稿: Dursan | 2018年1月12日 (金) 18時37分