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2018年1月 6日 (土)

東方三賢人のブラックフェイス

これも労働法政策とは直接関係のない雑件ネタですが、EUネタの端っこくらいに配置するかもしれません。

20180106194708_2 新年早々、ネット上ではダウンタウン浜田雅功がテレビ番組で黒人の真似をして顔を黒塗りにして登場したことが黒人差別だとして炎上しているようです。

Threekingsprocessionma012 そのすぐ後に、たまたまテレビで衛星放送を見ていたら、スペインの平和なニュースとして、1月6日の東方三賢人の日(子供にプレゼントをあげるクリスマスみたいな風習)の映像が流れ、その三賢人の一人がまさに黒塗りの顔で練り歩いていたものですから、こっちはどうなんだろうと思ったわけです。

いやもちろん、黒人の顔にもそれぞれの社会にはそれぞれの文脈というのがあるのであって、アングロサクソン系の白人たちがアフリカから連れてきた黒人を奴隷として酷使したアメリカにおける文脈と、中世以来のヨーロッパにおける東方三賢人では文脈が違う。

まあそもそも、聖書には三賢人の内訳など書いていないので、うち一人が黒人なんてのも中世ヨーロッパ人の勝手な妄想ですが、その妄想が何百年間伝統として続けられて来ているので、今更ついこないだできたばかりのアメリカの文脈に引きずられる必要もないということなのでしょうか。

Peter_paul_rubens_009

 

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コメント

「黒人の真似をして顔を黒塗りにして登場したことが黒人差別だとして炎上しているよう」だとは知りませんでした・・・。
それだったら、シェイクスピア『オセロー』なんぞ上演しようがないではないか。(タイトルロール「オセロー」は黒人のムーア人で、オセロー役は顔を黒めに塗るのが通例。…さらに、その黒さを他の登場人物たちからバカにされるのであるが。)

そうですね、こういうのを見ていると、アメリカ独自の文脈に依存したアメリカ方言があたかも世界共通語のごとく通用すると思い込んでいる人々がいかに多いかを痛感します。

本ブログでは「リベラル」という言葉をめぐって繰り返し論じてきたことですけれどもね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/09/post-0389.html">http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/09/post-0389.html自民党は今でもリベラルと名乗っている唯一の政党である件について)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-1fcd.html">http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-1fcd.html (保守とリベラルというアメリカ方言でものを考えるのはもうやめよう)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-8198.html">http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-8198.html(リベラルは経済右派に決まってる(アメリカ方言を除く))

濱口先生は単に「非黒人がブラックフェイスを装うことにはアメリカの文脈だけでなくヨーロッパのコンテキストというのもありますよ」と紹介したかったのかも知れませんが、過去にアメリカという国で黒人が、白人が顔を黒く塗って白人がそれをみて笑うことに傷ついた事実があり、今でも傷つく黒人がいるのだから、われわれはそういうことにsensitiveであるべきだと思いますし、今回騒ぎになって当然と思いました。
まさかヨーロッパではお芝居で白人が顔を黒く塗って黒人を演じるのだから、日本の芸人がブラックフェイスを笑いものにしても何も問題ないといいたいわけではないですよね。

実は、アメリカの文脈でのブラックフェイスに対する禁忌がヨーロッパにも及んで、ある国では黒塗りをやめるべしという話になっているそうです。そういうあえて言えば正義の暴走には、私は極めて批判的です。

今回のダウンタウン浜田の件は、その正義の発祥元であるアメリカの黒人俳優の真似であるという意味では、ヨーロッパの伝統儀礼ともまた位相が違うでしょう。上記エントリの言い方が何か歯切れが悪いのは、これはアメリカの文脈で批判されても仕方がないのかな、という気持ちもあるからです。

しかし、傷つくか傷つかないかという主観的な判断基準のみで正義か否かを判定するというのであれば、ヨーロッパの東方三賢人も傷つくと言われればそれまでですし、実際既にそういう動きはあるようなので、そういう発想に対しては、私は批判的な姿勢にならざるを得ない、ということだけは確かです。

ヘイトスピーチに対して公権力の介入を求めるあたり、「リベサヨ」って、リベラルではありませんでしたね。
   
単なる文化権威主義者、っていうのが実相なのではないですかね。

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