「賃金は上がるもの」という常識
『月刊連合』12月号をお送りいただきました。特集は「すべての労働者の立場にたって! 春季生活闘争中央討論集会」です。
https://www.jtuc-rengo.or.jp/shuppan/teiki/gekkanrengo/backnumber/new.html
11月1日〜2日、連合は2018春季生活闘争中央討論集会を開催。闘争方針策定に向けた議論のたたき台となる「基本構想」をもとに、2つの分科会と全体会での活発な討議を通して、「賃上げの重要性」を再確認した。2018春季生活闘争方針は、この討議を踏まえ、12月5日の中央委員会で決定される。
その冒頭に、主催者挨拶として、神津会長による「賃金は上がるものという常識を取り戻そう」という演説が載っています。
労働組合としては当然のこととも言えますが、じつはこの「賃金は上がるものという常識」の中身こそが問題だったのではないか、と思うのです。
「賃金が上がる」には、個人レベルとマクロレベルの二つの意味があります。個人レベルでは定期昇給さえあれば確かに賃金は毎年上がります。でも、ベアがない限り、上が出ていって、下が入ってくるという内転を繰り返す限り、(年齢構成一定とすれば)企業レベルの総額人件費は変わりません。そして各企業のネットの賃上げがゼロである限り、それをマクロ社会的に足し上げた社会全体の賃上げもゼロのママです。
先日ニッセイ基礎研究所の斎藤さんという方が、こんなコラムを書かれていましたが、
http://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=57205?site=nli(目指すべき賃上げ率は4%)
春闘賃上げ率は、2014年に13年ぶりに2%を上回った後、4年連続で2%台をキープしている。しかし、この場合の2%は定期昇給を含んだもので、労働市場の平均賃金上昇率に直接影響を与えるのは定期昇給を除いたベースアップだ(図1)。
定期昇給込みの賃上げ率と労働市場全体の賃金上昇率を混同している人が時々いるので、改めて説明すると、個々の労働者に焦点を当てれば、その人の賃金水準は平均的には毎年定期昇給分だけ上がっていく(年功賃金体系の会社の場合)。しかし、毎年高齢者が定年などで退職する一方で、若い人が新たに働き始めるので、労働市場全体でみれば平均年齢は変わらない(厳密には高齢化の分だけ少し上がる)。したがって、マクロベースの賃金上昇率を考える際には、定期昇給分を除いたベースアップを見ることが適切だ。
そう、少なくともマクロ経済的な観点から論ずる限り、意味のある賃上げとは定昇抜きのベアの真水部分なのであって、どんなに定昇を維持しても、個人レベルでは意味があっても、マクロ経済は拡大しないのです。
というようなことは、労働界隈の人々はもちろん分かってはいるのですが、とはいえ、過去10年以上にわたってベアゼロ時代を経験してきたことから、どうしても「賃金は上がるものという常識」の中身が、個人レベルで定期昇給で賃金が上がることに矮小化してしまっていたようにも思われます。
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引用のニッセイ基礎研究所 斎藤氏曰く「…ベースアップ2%を一般的に用いられる定期昇給込みの賃上げ率で表せば4%になる。これが冒頭で示した目指すべき賃上げ率の根拠だ。現実的には4%どころか安倍首相が要請した3%の賃上げを達成するのにも時間がかかるだろう。しかし、2%の物価目標と整合的な賃上げ率はあくまでも4%であり、3%が達成されたとしてもそれは通過点にすぎないことを認識しておくべきだろう」…。
ということで、現状、マクロ経済的に望ましい賃上げ水準は4パーセント(ベア2パーセント含む)であることは何とか頭で理解できても、さほど賃上げせずとも新卒生え抜き中心、優秀人材のrisk of lossが感じられない閉じられたメンバーシップ型組織の中で、実際にどこまでの個別企業がどのような大義名分で自社の労務費を上昇させる「決断」を粛々と実施できるのでしょうか?
もしやワーストシナリオですが、あたかも「囚人のジレンマ」の状況のように各プレーヤーが互いに懐疑的思惑の結果、社会的に望ましくない低位均衡に落ち着くことのないよう祈るばかりです。
その点常態的な経歴者採用を、すなわち競争的なグローバル外部労働市場からの人材登用をデフォルトで組み込むジョブ型企業には、既存社員に対して相応の「賃上げ」を行う明確な理由が存在するのです。
投稿: ある外資系人事マン | 2017年12月 5日 (火) 21時06分