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2017年11月11日 (土)

丸山眞男をひっぱたいた人々

かなり長期にわたって閉鎖されていた大原社研のサイトがめでたく復活したようで、大原社研雑誌も読めるようになったようです。

https://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/

https://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/images/oz/contents/707%EF%BD%A5708_06.pdf

その9/10月号に載っている加瀬和俊さんの「失業対策史研究を振り返る」という講演録は、戦前の失業対策事業、失業保険の試みなどの研究史を振り返って語っていて、『労働法政策』でも取り上げてテーマで興味深いのですが、その最後のあたりに出てくるトピックが、たぶん多くの人にとっては結構「へぇへぇ」なのではないかと思われ、ちょっと引用しておきます。

それは、「6 補 足―徴兵制と失業問題」というタイトルの短い一節で、加瀬さんが今から25年前に東大の社研雑誌に書いた論文の内容なのですが、戦前の日本は徴兵制とはいいながら、実際に兵隊にとられる人の割合は意外に少なかったようなのですね。

・・・その結果,20歳になった男子は全員が徴兵検査を受ける義務はありましたが,実際に兵役の 義務を課せられる者は明治の初めは同世代男子の約3%,満州事変時点でも15%程度にとどまりま した。このため徴兵検査に合格し,抽選によって入営させられることになった20歳の青年たちは 他の大部分の青年が職業生活を継続しているにもかかわらず,職場をやめて軍隊に入らなければな りませんでした。職業軍人とは異なって徴兵された者には賃金は支給されず1930年代でも1か月 に5円程度の小遣いが与えられるだけでしたから家に賃金を入れられないのはもちろん,逆に仕送 りをしてもらう者も少なくありませんでした。徴兵を終えて彼らが労働市場で職を探さなければな らなくなった時,22~23歳の男子を採用してくれる企業は多くはありませんでしたから,特に1930 年前後の恐慌期には除隊者の多くが失業者にならざるをえませんでした。今日の韓国のように同年 輩者の大半が徴兵されるのであれば労働市場は除隊後の23歳前後での再就職を前提に編成される でしょうが,同年齢者の85%が兵役に行くことなく勤続年数を伸ばしている日本では,新規採用 の場を見つけなければならない除隊者については,よほどの人手不足の産業でない限り,彼らを新 規採用の対象者とは見てくれませんでした。高小卒で見習いとして工場に雇われた少年が企業内で 養成されて20歳代半ばに熟練工になっていくという方式が定着している下で,20歳時点でキャリ アの中断されてしまった者を新たに雇用することは企業にとって賢い選択ではなかったのです。

 昭和恐慌期の制度についていえば,除隊兵は訓練した戦闘技術と忠誠思想を失わないために予備 役(陸軍では5年4か月,海軍では4年)とその後の後備役(陸軍では10年,海軍では5年)に 順次編入され,その間は毎年簡閲点呼に召集されるとともに,勤務演習として1年に1回を限度と して陸軍は35日以内,海軍は70日以内召集される可能性がありましたし,もちろん戦争が起これ ば召集されて戦地に行かなければなりません。こうした継続される義務によって欠勤が多くなるこ とが予想される労働者を雇用することは企業の好むところではなかったため,除隊者の多くは労働 市場の下位に位置付けられ,日雇労働者とならざるをえない者も少なくなかったと想定されます。

 この問題は平時であれば,除隊して思うような職業を見出せない者が「徴兵を逃れられればもっ と充実した職業生活が送れたのに」と諦めるだけで済んでいたのかも知れませんが,現実には日中 戦争以降の兵力総動員体制の下でその問題性が顕在化してしまったと解釈されます。すなわちアジ ア・太平洋戦争の拡大によって兵力動員が順次拡大され,最終的には満40歳までが徴兵の対象に なったのですから,20歳の時点では首尾よく徴兵を逃れることのできた85%の若者・中年者の大 半が未教育兵として入営させられることになったわけです。その時,兵営のなかで日常的に生活と 訓練の指導役となったのは,20歳の時点で入営した後下層労働者として働いていた時に召集され て再び入営することになった者たちが多かったはずです。この結果,平時における二年兵の初年兵 に対する制裁措置とは社会的意味の異なる制裁が,徴兵によってキャリアを中断された者の被害者 意識に支えられて広まっていたように感じられます。

丸山眞男をひっぱたきたいという話は、もっぱら社会階層論的な文脈でとらえられてきましたが、こういう背景事情を脳裏に置くと、「20歳の時点では首尾よく徴兵を逃れることのできた85%の若者・中年者」に対する「20歳の時点で入営した後下層労働者として働いていた時に召集され て再び入営することになった者たち」の恨みを考慮する必要がありそうですね。

兵隊にとられたためキャリアの空白が生じてしまった戦前版「年長フリーター」、あるいはむしろ当時の年齢感覚から言えば「中年非正規」の人々。

まあ、それなるがゆえに、戦前期の労働政策として「入営者職業保障法」なんてものが作られたりしたわけですね。

・・・こうした徴兵者の不利益について国家は知らなかったわけではありません。1931年,満州事変 が起こった年に,除隊兵の失業問題が無視できないとして入営者職業保障法が作られました。兵士 の不満・不安をお金をかけずに解消するには企業に再雇用を義務付ければ良いという発想にもとづ いて,除隊兵が入営前に勤務していた企業に再就職を希望した場合には企業はそれを受け入れなけ ればならないという趣旨の法律です。とはいえ企業の雇用の自由を縛ることは困難であり,この規定は常時雇用者50人以上の企業にだけ適用される罰則のない訓示規定として立法化されるにとど まりました。

 

 

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コメント

これは興味深い。『拝啓天皇陛下様』の世界ですね。

除隊者の社会復帰の問題は常備軍を持つ社会では常に生じるはずですが、同様の事態は当時他の国ではなかったのか。日本の社会構造特有の問題があったのか、はたまた日本の軍隊の組織構造に問題があったのか。

15%の人間が選抜された基準も気になりますね。農民の子弟であれば、数年のキャリアの中断も大した問題ではないでしょうが、当時の農村の状況も関わってくるでしょうね。

世界秩序が不安定化する昨今、同様の問題が日本で今後再び発生する可能性もゼロではないでしょう。アクチュアルな問題として研究の進展が望まれますね。

投稿: 通りすがり2号 | 2017年11月11日 (土) 18時17分

一ノ瀬俊哉氏の「皇軍兵士の日常生活」で
応召手当のことについて書かれていたのを読みました。
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2011071704281.html
”三菱商事や三井物産は、応召中の正社員・従業員の給料を全額保障した。住友は正社員には全額、従業員の場合は家族持ち全額、独身者半額を保障した。戦死者には弔慰金も出た。
 朝日新聞社もその一つだ。2年余を兵役に取られた作家の松本清張は「最低の生活費ながら、とにかく新聞社から家族に給料が行っていることは安心だった」と書いている。しかし農家出身の兵士にそんな保障は何もない。働き手を取られた小農の家庭は途方に暮れるばかりだった。”

小農以外、財閥以外の企業もまた推測に難くないわけで、これもまた、”ひっぱたき”の遠因の一つだったかもしれません

投稿: 通りすがりX | 2017年11月12日 (日) 10時12分

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