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2017年10月

2017年10月31日 (火)

宮本太郎編著『転げ落ちない社会』

313360宮本太郎編著『転げ落ちない社会 困窮と孤立をふせぐ制度戦略』(勁草書房)をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

http://www.keisoshobo.co.jp/book/b313360.html

貧困については、原因とその対処法、子ども・高齢者・非正規(特にシングルマザー)の貧困の実態、生活保護制度と社会保障制度の境界を探る。格差については、教育・所得・雇用・社会保障・住宅の格差の実態とその是正策を探る。さらに貧困解消と格差解消は同時並行的に行えるのか、優先順位はあるのか。これらの課題に社会福祉・社会保障の専門家が大胆に提案する。

例によって全労済協会の研究会が元になった本です。

序章 困窮と孤立をふせぐのはいかなる制度か?[宮本太郎]
第1章 標準家族モデルの転換とジェンダー平等──父子世帯にみる子育てと労働をめぐって[湯澤直美]
第2章 新しい居住のかたちと政策展開[白川泰之]
第3章 住宅とコミュニティの関係を編み直す[祐成保志]
第4章 相談支援を利用して「働く」「働き続ける」──中間的なワーク・スタイルの可能性と課題[西岡正次]
第5章 支え合いへの財政戦略──ニーズを満たし、財源制約を克服する[高端正幸]
第6章 子どもの貧困と子育て支援[柴田悠]
第7章 若者の未来を支える教育と雇用──奨学金問題を通じて[花井圭子]
第8章 脱貧困の年金保障──基礎年金改革と最低保障[鎮目真人]
第9章 高齢期に貧困に陥らないための新戦略[藤森克彦]
終章 鼎談:「転げ落ちない社会」に向けて[神野直彦・宮本太郎・湯澤直美]

これまで社会政策の目から外れがちであった分野ということでは、住宅問題と子育て・教育問題の章が重要でしょう。以前連合にいた花井圭子さんが奨学金問題について突っ込んでいます。

さて、本論のあとに、鼎談というのが載っていて、そこで神野直彦さんがこういうことを言われているのですが、

・・・これまでの日本の格差や貧困の状態についてみると、ヨーロッパの経験を基準に、ヨーロッパの議論を安易に修辞学的に言説的を弄ぶところがあったと思います。今では誰もがわかっているように格差や貧困があふれ出て、社会的な問題として苦しんでいるのは、日本だけではないのです。そのため鹿鳴館時代の「脱亜入欧」から抜け出すことなく、日本型経営なり日本型労働市場政策からヨーロッパ型へ転換すれば、問題が解決するかと言うことにはならないと思います。日本型をメンバーシップ型、ヨーロッパ型をジョブ型と言い換え、長時間労働問題や待遇格差などの労働問題を、日本型からヨーロッパ型に転換すれば万事解決という議論は、あまりにも安易だと思います。・・・

いやはや、もし本気で、そんなことを、つまり「日本型からヨーロッパ型に転換すれば万事解決」などという脳天気なことを口走っている人がいるならば、それはまさに「あまりにも安易」でしょう。でも、そんな人はどこにいるのでしょうか?まさか私のことではあるまいと先を読んでいくと、私の名前が出てきて、どうも神野さんはわたしを「鹿鳴館時代の脱亜入欧」論者に仕立て上げたいようです。

言うまでもなくジョブ型社会にはジョブ型社会の矛盾相克があり、それが生み出す貧困格差がいっぱいあります。

とりわけ私が『若者と労働』であれほど繰り返して論じた、ジョブ型社会であるがゆえに若者が労働市場で不利な立場に立ち、経験がない、スキルがない、が故に採用されない、が故に経験が積めない、が故にスキルが上がらない、という悪循環を繰り返し、そこから抜け出そうという若者の苦境につけ込んで無給薄給のインターンシップと称する若者搾取の仕組みに絡め取られる姿を見れば、「日本型からヨーロッパ型に転換すれば万事解決」などという馬鹿なことを言うはずがないではないですか、といいたいところですが、まあ、そんな枝葉末節の話など読んでいただけていないのかも知れません。

私も、使えるところでは意図的に「ヨーロッパ出羽の守」を演ずることをためらいませんし、とりわけ今の労働時間規制問題については戦略的に必要だと思うのでわざと出羽の守よろしくEU労働時間指令を振り回したりはやってきましたが、ジョブ型で万事解決なんて単細胞なことを言っているかのように思われているというのは正直心外でした。

ついでに言えば、これまた何回も言っているように、(韓国を別にすれば)アジア諸国の雇用システムは日本型ではなく極めて欧米型ですから、ここで「脱亜入欧」を持ち出すのは何のことやら意味不明ではあります。

日雇派遣の歴史的位置@WEB労政時報

WEB労政時報に「日雇派遣の歴史的位置」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=703

今から10年前の時期に、日本の労働市場法政策において注目され話題となった就業形態に「日雇派遣」があります。それまでの構造改革への熱狂が一段落し、格差問題が大きな問題になっていった時期に、派遣労働者の中でもとりわけ日雇派遣で働く人たちにテレビや新聞が着目し、ネットカフェに寝泊まりしている姿など彼らの窮状を集中的に報道したことが、社会に対し非常に大きな影響を与えました。グッドウィルやフルキャストといった日雇派遣会社の名前を思い出す方もいるでしょう。

最初は規制緩和の方向で始められた労政審の審議も風向きが変わり、2007年12月の中間報告では日雇派遣の一部規制強化が打ち出されました。そこでは、日雇派遣は契約期間が短く、仕事があるかどうかが前日までわからない、当日キャンセルがあるといったことや、給与からの不透明な天引きや移動時間中の賃金不払い、安全衛生措置や教育が講じられず労災が起きやすい、労働条件の明示がされていないといった問題点が指摘されていました。・・・

2017年10月29日 (日)

ベーシックインカムはデジタル経済を安定化しうるか?@欧州労研

Transfercouldabasicincomestabiliset 欧州労連(ETUC)のシンクタンクの欧州労研(ETUI)のサイトに「Could a basic income stabilise the digital economy?」(ベーシックインカムはデジタル経済を安定化しうるか?)という小文がアップされています。欧州労研の機関誌『Transfer』の8月号に載ったプルッカ氏の論文「A free lunch with robots – can a basic income stabilise the digital economy?」(ロボットと一緒にただメシ-ベーシックインカムはデジタル経済を安定化しうるか?)の要約ということで、もと論文も全文ダウンロード可能ですが、ここでは要約した小文の方を。

http://www.etui.org/News/Transfer-Could-a-basic-income-stabilise-the-digital-economy

http://journals.sagepub.com/doi/full/10.1177/1024258917708704

In his recently published article in the August 2017 issue of the ETUI’s quarterly journal Transfer, Ville-Veikko Pulkka argues that in an increasingly digitalised labour market, unemployment and precariousness will increase in the short and medium term, at the very least, and basic income could be a means of guaranteeing sufficient purchasing power for those losing out from these developments. However, there are serious limitations to this idea which need to be tackled first.

・・・の中で、プルッカは、ますますデジタル化する労働市場において、失業と不安定さは少なくとも短期的中期的には増大するであろうし、ベーシックインカムはその進展から放り出された人々に十分な購買力を保障する手段かも知れないと論ずる。しかしながら、この考え方にはまず取り組むべき必要のある深刻な限界がある。

According to the author, the currently applied activation policies, based on strict means-testing and obligations, will not be flexible enough to guarantee adequate purchasing power for unemployed, underemployed and precarious workers if technological unemployment and labour market insecurity increase. However, he also argues that a basic income financed within the current social security system and from higher taxes on labour and capital income is an economically unfeasible option and has serious limitations as an economic stabiliser. Reconsidering monetary policies such as functional finance, helicopter money and quantitative easing for people, but also a moderate tax on robots, would make it possible to boost the disposable income of those falling behind in the digital economy. These tax and monetary reforms would facilitate a more generous social security system and in this context also finance a higher basic income, while at the same time making work pay.

筆者によれば、厳格な資産調査と義務づけに基づく現在適用されているアクティベーション政策は、もし技術的失業と労働市場の不安定さが増大するならば、失業者、不完全失業者、不安定就業者に十分な購買力を保障するのに十分ではない。しかしながら、彼はまた、現在の社会保障制度の範囲内で労働と資本所得への高税率によってまかなわれるベーシックインカムは経済的に実現不可能な選択肢であり、経済的安定装置としては深刻な限界がある。機能的財政、ヘリコプターマネー、量的緩和のような通貨政策だけではなく、ロボットへの適当な課税もまた、デジタル経済の背後に落ち込んだ人々の可処分所得を押し上げることができるだろう。これらの課税と通貨改革は寄り寛大な社会保障制度を可能にし、その文脈においても仕事を引き合うものにしつつより高いベーシックインカムをまかなうことを可能にするであろう。

The article therefore concludes that from an economic perspective the most sustainable solution to dealing with the digital transition would be to gradually move towards a more generous and less conditional social security system. If it turns out that these reforms are insufficient, the idea of a universal basic income will still be there.

この論文は、それゆえ経済的観点からデジタル経済への移行に対処する最も持続可能な解決策は、より寛大でより条件付けの少ない社会保障制度に段階的に移行することであると結論する。もしこれら改革が十分でないとわかれば、普遍的なベーシックインカムという考え方がなおそこにある、

『ジュリスト』12月号は働き方改革のようです

いやまあ、誰が企画を立てたって、この秋の臨時国会で働き方改革一括法案が成立するという前提で特集を組みますよね。私も先月半ばソウルから帰ってくるまでそう思い込んでいましたから。

http://www.yuhikaku.co.jp/jurist/next

特集 働き方改革の実現に向けて――時間外労働規制,同一労働・同一賃金を中心に

〔鼎談〕働き方改革と法の役割/村中孝史・中山慈夫・徳住堅治

〔座談会〕働き方改革と人事労務管理のこれから/佐藤博樹・匂坂 仁・田口貴章・松井 健・吉田文彦

働き方改革と法的課題/野田 進

働き方改革と人事管理/今野浩一郎

ところがその後国会解散総選挙で法律改正は来年に跳んで行ってしまいました。

まあ、座談会と論文はそれぞれ労働法と人事労務管理の二本立てで、どちらかというと細かな法律論ではないようなので、これはこれでそれなりに読み応えのある意味のある特集記事にはなるのだと思うのですが・・・。

2017年10月28日 (土)

「雇い止め」が初めて広辞苑に

Thumb9_2 岩波書店の広辞苑の第7版が出るとかで、「ブラック企業」が載るとかで話題のようですが、その新加項目をつらつら見ていたら、

http://kojien.iwanami.co.jp/feature/#tab2

なんと、「雇い止め」も今回初めて載る言葉らしく、ということは今まで広辞苑に「雇い止め」という言葉はなかったんだ、と。

労働関係の中にいると、それこそ昔の臨時工時代から存在する事態だし、ここ十数年の非正規労働問題の一つの焦点であった概念なのに、世の中的にはそうだったんだというのがいささか驚きでした。

まあでもね、「や・と・い・ど・め」と、「お・も・て・な・し」なみの5シラブルのすごく簡単な言葉のように見えて、この概念を正確に英語に訳そうとすると結構大変なんですよ。

10年前前後に政策研究大学院大学で留学生相手に労働政策と人的資源管理の講義を英語でやったとき、日本人学生相手には「有期契約の雇い止め」と簡単にいってたことをちゃんと説明しようとすると、「refusal to renew repeatedly renewed fixed-term contract」と言わないといけないのですね。

http://hamachan.on.coocan.jp/english.html

そして。労働契約法第19条があれほどに技巧的な規定ぶりにならざるを得なかったのも、この5シラブル語の概念的複雑さ故であったわけです。

(有期労働契約の更新等)

第十九条 有期労働契約であって次の各号のいずれかに該当するものの契約期間が満了する日までの間に労働者が当該有期労働契約の更新の申込みをした場合又は当該契約期間の満了後遅滞なく有期労働契約の締結の申込みをした場合であって、使用者が当該申込みを拒絶することが、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められないときは、使用者は、従前の有期労働契約の内容である労働条件と同一の労働条件で当該申込みを承諾したものとみなす。

一 当該有期労働契約が過去に反復して更新されたことがあるものであって、その契約期間の満了時に当該有期労働契約を更新しないことにより当該有期労働契約を終了させることが、期間の定めのない労働契約を締結している労働者に解雇の意思表示をすることにより当該期間の定めのない労働契約を終了させることと社会通念上同視できると認められること。

二 当該労働者において当該有期労働契約の契約期間の満了時に当該有期労働契約が更新されるものと期待することについて合理的な理由があるものであると認められること。

2017年10月27日 (金)

続・協約自治と国家@山本陽大

Yamamoto_y2017JILPT研究員の山本陽大さんが、リサーチアイというコラムに「続・協約自治と国家 ─協約単一法の合憲性に関する連邦憲法裁判所2017年7月11日判決」を書いています。やや専門的な中身に見えるかも知れませんが、ドイツ労働法制の機微に触れる重要な判決を紹介していて、関心のある方は是非リンク先に行って、問題状況の確認のところからじっくりと読まれることをお奨めします。

http://www.jil.go.jp/researcheye/bn/023_171027.html

・・・かつて筆者は、本連載の第9回「協約自治と国家」のなかで、協約単一法を含む第3次メルケル政権下でのドイツ労働協約システムをめぐる各法政策について、いずれも「“協約自治の強化”が通奏低音となっている」ところ、「これらの法政策が、法学的意味において基本法9条3項の要請を充たし、“協約自治を強化”するものであるのか否かは別途問われなければならない」と述べた。今回の連邦憲法裁判所判決は、まさにかかる問いに対して一定の回答を与えたものといえよう。すなわち、同判決は、労働協約法4a条による協約単一の法規制につき、一方においてかかる規制により侵害されうる基本法9条3項が保障する(協約自治を含む)諸権利(およびその限界)と、他方において同じく基本法9条3項から導かれる機能的な協約自治の確保に向けた立法者の規制権限との相克のなかで、比例相当性審査の枠組みにおいて、制限的解釈による労働協約法4a条の正当化を図りつつ、少数組合(職業グループ)の利益保護のための「安全装置」の欠落という限りで、その部分的な違憲性を衝いたものといえる(この点については、アメリカ法における公正代表義務的な発想への親和性を指摘できるかもしれない。)

2018年12月までに立法者に義務付けられている新規制を含めて、今回の判決に対するドイツ労働法学の評価が出揃うまでには、いま少しの時間を要しよう。しかしいずれにせよ、経済のデジタル化やグローバル化による労働社会のドラスティックな変容が予想されるなかで、労働協約システムが果たしうる役割に、より一層の期待が寄せられているドイツにおいて[注6]、同システムをめぐる法政策について(部分的とはいえ)違憲判断が下されたことの意義は決して小さくない。この点については、同一労働同一賃金や長時間労働の是正といった文脈のなかで、集団的労使関係をめぐる法政策的議論が今後胎動をみせるかもしれない我が国においても[注7]、「他山の石」とすべきではなかろうか。

なお、この判決の分析も含めて、山本さんによるドイツ労使関係システムに関するまとまった論考は、今年12月にJILPTから刊行予定の、第3期プロジェクト研究シリーズ『現代先進諸国の労使関係システム』の第1章「ドイツ-第3次メルケル政権下における集団的労使関係法政策」で出される予定です。乞うご期待。

賃上げ2%と3%とリベラルとソーシャルと

今月、連合が賃上げ要求水準を2%程度と言った舌の根も乾かぬうちに・・・

https://www.jtuc-rengo.or.jp/activity/roudou/shuntou/2018/press_release/press_release_20171019.pdf

所得の向上による消費拡大に向けては、すべての働く者の「底上げ・底支え」「格差是正」の実現が必要である。これまでの賃金引き上げの流れを継続・定着させるためにも、月例賃金の引き上げにこだわり、到達目標の実現やミニマム基準の確保に取り組む。その上で、賃上げ要求水準は、2%程度を基準とし、定期昇給相当分(賃金カーブ維持相当分)を含め4%程度とする。

経済財政諮問会議で安倍首相が3%の賃上げを期待すると言ってしまうというこの構図。

http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/minutes/2017/1026/interview.html

私自ら先頭に立って、全力で取り組んでいきたい。
賃上げは、この4年間、今世紀最高水準で続いている。安倍内閣では、最低賃金をこの4年間で100円引き上げた。パートで働く方々の時給も過去最高となっている。こうした流れを更に力強く、持続的なものとしていかなければならない。
賃上げは、もはや企業に対する社会的要請であり、来春の労使交渉においては、3%の賃上げが実現するよう期待したい。

歪んだアメリカ方言を忘れて素直に見れば、リベラル民主党という名前の文字通り経営側が組織的に支持する政党の政権が、労働組合よりも高い賃上げを主張するくらい「ソーシャル」であり、昔の社会党とか民社党の末裔の「ソーシャル」のはずの、労働組合が組織的に支持しているはずの政党は、それとは関係のないことでてんでに分裂して「リベラル」とか口走っているという、このわけのわからない状況・・・。

2017年10月26日 (木)

連合総研『非正規労働問題の今後の課題を探る』

Image1連合総研の報告書『非正規労働問題の今後の課題を探る』をお送りいただきました。まだ連合総研のサイトにはアップされていないようですが、これはタイトルから想像されるものよりはずっとアクチュアルで興味深い報告書になっています。

というのは、調査対象国のドイツとイギリスにおいて、現在大きな問題となってきつつある請負労働やゼロ時間労働といった伝統的な非正規を超えた新たな非典型的就業形態の話がむしろ中心になっているからです。

モノがアップされたら改めて引用しつつ紹介したいと思いますが、これは現段階の状況報告として誰にとっても必読文献と言えます。

2017年10月25日 (水)

『JIL雑誌』11月号は「スポーツと労働」

688_11『JIL雑誌』11月号は労働判例この1年もありますが、こちらは相当じっくりと読まないといけないので後回しにして、注目は「スポーツと労働」が特集です。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2017/11/index.html

提言 プロスポーツ選手に労働法をどのように適用するのか? 浜村彰(法政大学教授)
解題 スポーツと労働 編集委員会
論文 企業スポーツの現在を考える――変化する経営課題と企業スポーツの展望 佐伯年詩雄(日本ウェルネススポーツ大学教授)
企業スポーツ選手の労働と引退後のキャリアとの関係性 中村英仁(一橋大学准教授)
部活動顧問教師の労働問題――勤務時間・手当支給・災害補償の検討 中澤篤史(早稲田大学准教授)
アスリートの組織化――選手会をめぐる世界的動向と日本の課題 川井圭司(同志社大学教授)

いやあ、まことに時宜を得たというか、どれも興味深い論考です。

まずは企業スポーツについての2本ですが、改めて企業スポーツって一体何なんだろうと考えるのにとても役立ちます。特に佐伯さんの論文は、

企業スポーツをめぐる議論は一段落したかのようであるが、それは解決の道筋が示されたことを意味しない。確かに、企業業績の好調と五輪におけるスポーツ成績の好調によって、危機は回避されたかのように見える。しかし、休廃部は引き続いており、危機論を超える企業スポーツ論議が必要である。なぜなら、危機論では常に後手の理論となり、変化する経営課題に対応することはできないからである。本稿では、企業スポーツの歴史を福利厚生の職場スポーツ、組織の誇りやブランドの担い手としての企業スポーツ、そして広告宣伝事業としての企業スポーツ、崩壊から新たなモデルの提案の4段階でとらえ、これまでの企業スポーツの意味・機能を経営資源の視点で整理する。そして、経団連の「企業のスポーツ支援活動に関する調査報告」及び笹川スポーツ財団の「企業スポーツの現状」調査から企業スポーツの現状をとらえ、その特徴を整理する。さらに、グローバル化する経済環境の中で日本企業が直面している新たな経営課題として「組織力開発」を取り上げ、企業スポーツの新たな可能性を検討する。その結果、企業スポーツは、これからの組織力開発に必要な、多様性の包摂、主体的な参与、豊かなコミュニケーション、組織のグローバル化、そして「学習する組織」の5つの特性を有しており、これからの経営戦略にとって大きな可能性を持つ経営資源であることを論じる。

中澤さんの部活顧問教師の話は、近年注目を集めてきましたが、

学校部活動に従事する顧問教師は、どのような労働問題に直面しているのか。その問題を解決するために、今後どうすれば良いのか。日本の青少年スポーツの中心は、地域のクラブではなく、学校の部活動である。その部活動の指導と運営は、顧問を務める教師によって担われている。しかし部活動は、今日、その持続可能性が危ぶまれている。なぜなら、顧問教師の負担が、かつてないほどに大きくなり、社会問題化してきたからである。政策的な対応が矢継ぎ早に取り組まれつつある中、顧問教師の労働問題は、早急に解決が求められるべき、きわめてアクチュアルなテーマとなっている。そこで本稿では、教育学・体育学領域の先行研究の動向を踏まえながら、部活動の法制度的な位置づけを確認した上で、顧問教師の労働問題の代表例である、勤務時間・手当支給・災害補償の問題を、法律・実態・裁判の観点を組み合わせながら検討した。その結果、いずれの問題においても、法律的なロジックと学校現場の実態には大きな乖離があり、教師は苛酷な勤務状況を強いられていることが明らかになった。さらに裁判結果を見ても、そうした状況が十分かつ適切に救済されるとは限らないことを指摘した。以上から、今後の問題解決のための論点として、部活動の規模を見直すこと、労働の論理を入れること、職員会議を活用することの3点を提起した。

そして、出ました川井さんのプロスポーツ選手の集団的労使関係の論文。

プロ野球、Jリーグに続き、我が国では、B.LEAGUE、四国アイランドリーグplus、BCリーグ、日本女子プロ野球機構などの新興プロリーグが発足している。また、ラグビー界においても、2割程度のプロ選手が存在している。これらの選手は集団的労働法の下での労働者性が認められる傾向にあるものの、個別的労働法上の労働者性は否定される取り扱いがなされている。国際的には、サッカー、野球、バスケットボール、ラグビーなどいわゆるチームスポーツについては、集団的労働法および個別的労働法の双方について労働者性を認めることにより、あるいはスポーツに特化した立法により、アスリートに明確な法的地位が与えられている。また、近年では各スポーツの制度設計にかかわる意思決定へのアスリートの関与を大幅に認める潮流がある。欧米のプロスポーツでは、労働法制における団体交渉の枠組みを基礎として、従来の規定の見直しや新たな制度設計が合議に基づいて決定されている。このことは、労働者の権利保障という意義にとどまらず、リーグ、あるいは競技連盟側にも大きなメリットをもたらすことになる。スポーツ界特有の制度について、労使の自治において正統な意思決定が保障される限り、司法介入が抑制され、安定的運営が可能になる。そして何より意思決定への関与から生まれる当事者の納得こそが、健全な発展の淵源となるからである。

最近もプロ野球選手会が山口選手の処分見直しを求めて巨人軍に申し入れをしたというニュースがあったばかりですが、この問題、考えれば考えるほど深いです。

2017年10月24日 (火)

ジョブ型社会はコネがないとつらい

先日、「文系だけどシリコンバレーで働く」というブログの「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用はパズルと積み木」というエントリを紹介しましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/10/post-a6fe.html(ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用はパズルと積み木)

そのブログに新しいエントリがアップされていて、題して「ここがつらいよジョブ型雇用 」。

http://tobiccosan.blogspot.jp/2017/10/blog-post_20.html

「自分で能動的にキャリアをつんでいかなければいけないのでつらい」とか「マネジメントがまともじゃないとつらい」とかはまだわかるかも知れませんが、おそらく多くの日本人に意外に見えるであろうと思われるのが「コネがないとつらい」という一節でしょう。

社内・社外問わず転職活動をするときには、具体的にいままでどのようなポジションでどのような成果を上げてきたのかが最も重要になるわけだが、特に非エンジニア職の場合個々人のアウトプットが具体的な成果物になっていることは少ないので、(偉業をなしとげたチームに所属していたとしても、その人が貢献していたとは限らない)一緒に仕事していた人の口利きが重要になる。さらにその口利きは、同じレベルで仕事をしていた同僚では弱くて、上司、さらにその上の上司あたりが口利きしてくれないと効果が弱い(いわゆるスポンサーシップというやつ)。自分が転職活動をしているときに自分の現在所属する部署の上司やその上司が積極的に自分の転職を支援してくれることはあんまりないので(部署ごとなくなるので全員転職活動しているときとか、別の場所に引っ越す必要があるので仕事探しているとかさまざまな事情でそういうこともあるけど)、過去の上司やその上司がいざというときに口利きしてくれるかどうかが非常に重要。なのでそういう関係性づくりを日頃から心がけていかなければならない。アメリカの採用はコネかよ、、最悪だな、、と思っていた時期もあったが、特にジョブ型採用では、会社のカルチャー、部署のカルチャー、仕事の仕方、特定の職種のチームとスムーズに働いた経験、など多角的な経験がものをいうので、採用する側からすると、一緒に働いたことのある人の口コミほど信頼できる情報はない。実際に、優秀な経歴をお持ちで鳴り物入りで入ってきた人が、チームの働き方に全く合わず即辞めていくことを何度か見ているうちに強くそう思うようになった。

人間の認識能力に限界がある中で、個人の能力を組織で認めて引き揚げていくのでない以上、個人ベースのつながり、つまり「コネ」が大事になるのは理の当然ではあるのでしょうが、ややもすればジョブ型というのを妙に合理的なものと思い込みがちな人々にはいい清涼剤的な文章かも知れません。

もちろん、メンバーシップ型の日本企業では、社内の「コネ」というか人間関係がやはり極めて重要な意味を持つわけですが。

2017年10月23日 (月)

「多様なジョブ型雇用システム」 @労基旬報』2017年10月25日号

『労基旬報』2017年10月25日号に「多様なジョブ型雇用システム」 を寄稿しました。

 日本の雇用システムをメンバーシップ型とか「就社」型と定式化し、欧米諸国のジョブ型ないし「就職」型と対比させる考え方は、ごく一部の人々を除き、多くの研究者や実務家によって共有されているものでしょう(実をいうと、この「ごく一部の人」に属するのが小池和男氏で、彼は半世紀前の『賃金』以来一貫して、日本と欧米の違いは「型」の違いではなく発展段階の先後に過ぎず、遅れた欧米は先進的な日本に近づいてくると主張してきました。ところが皮肉なことに、ほとんどすべての読者はそれを取り違え、日本「型」システムの欧米「型」システムに対する優位性を論証した学者だと思い込んでいます。閑話休題)。
 ところが、日本以外の諸国を全て「ジョブ型」に束ねてしまうと、その間のさまざまな違いが見えにくくなってしまいます。常識的に考えても、流動的で勤続年数が極めて短いアメリカと、勤続年数が日本とあまり変わらぬドイツなど大陸欧州諸国はかなり違うはずです。そこで、世界の雇用システムを大きく二つに分けて、日本に近い側とそうでない側に分類するという試みが何回か行われてきました。ところが、そうした議論を見ていくと、まったく矛盾する正反対の考え方が両方存在することがわかってきます。
 まず一つ目は、日本とドイツなど大陸欧州諸国を一つにまとめ、アメリカを代表選手とするアングロサクソン型と対比させる常識的な考え方です。これの代表がロナルド・ドーアで、かつて著書『イギリスの工場、日本の工場』(筑摩書房)で日本を組織型、イギリスを市場型と定式化しましたが、その後の『日本型資本主義と市場主義の衝突』(東洋経済新報社)では、「日・独対アングロサクソン」という副題からもわかるように、日独型の組織志向の資本主義を擁護しています。この二分法の先行者はフランス人のミシェル・アルベールで、その『資本主義対資本主義』(竹内書店新社)は特にドイツに焦点を当てて「ライン型資本主義」と呼んでいました。彼らはいずれも、自国(イギリスやフランス)がアメリカ型に近づくことを批判し、ドイツ型を称揚しています。
 これを学問的に定式化したのが比較政治経済学と呼ばれる流派で、ホールとソスキスらの『資本主義の多様性』(ナカニシヤ出版)では、コーディネートされた市場経済(CMEs)と自由な市場経済(LMEs)という二分法を提示しています。前者に含まれるのがドイツを始めとするゲルマン系の欧州諸国と日本で、後者に含まれるのが米英を初めとするアングロサクソン諸国です。フランスなどラテン系欧州諸国は中間的な地位を与えられています。この資本主義の多様性論は賃金決定や技能形成、福祉国家など幅広い分野にわたる議論を展開していますが、ごく端的にいえばドーアの議論と同様、組織志向と市場志向を対立させる図式だといっていいでしょう。同じジョブ型と言っても、日本型に近いドイツ風のジョブ型と日本とは対極的なアメリカ風のジョブ型があるというわけです。
 ところが、こういった枠組とはまったく正反対の認識枠組もあるのです。それは内部労働市場と職業別労働市場という二分法で国際比較する考え方で、佐藤厚の『組織のなかで人を育てる』(有斐閣)がその概略を紹介しています。それによると、アメリカ、日本、フランスが内部労働市場モデルで、ドイツが職業別労働市場モデル、イギリスはその混合だというのです。これはイギリスのルーベリーらの議論に基づくものですが、内部労働市場とは主たる人材育成の場が企業内であるもの、職業別労働市場とはそれが企業外であるものという定義になっています。ただ内部労働市場といっても、市場主導のアメリカ、国家主導のフランス、個別企業ベースの日本という違いを指摘してはいますが、これらをひとまとめにして一国レベルで職業別労働市場のドイツと対比させ、その中間に職業別労働市場から内部労働市場に移行しつつあるイギリスを置いているのです。即ち、同じジョブ型と言っても、日本型に近いアメリカ風のジョブ型と日本とは対極的なドイツ風のジョブ型があるということになります。ドーアや資本主義の多様性論者とはまったく正反対の議論になっていることがわかります。
 これはやはり、一本の軸だけで諸社会を分類しようとするからではないか、と考えると、せめて二次元で四象限に分けるような分類が欲しくなります。ちょうどその注文に応えるかのような枠組があります。マースデンの『雇用システムの理論』(NTT出版)です。それによると、課業を労働者に課すに当たり、「効率性」と「履行可能性」という二つの要請をどう満たすかにそれぞれ二つのアプローチがあり、それらを組み合わせると四つのルールが生み出されるというのです。
  効率性制約
生産アプローチ 訓練アプローチ
履行可能性制約 業務優先アプローチ
 
職務ルール
(アメリカ、フランス)
職域・職種ルール
(イギリス)
機能優先アプローチ
 
職能ルール
(日本)
資格ルール
(ドイツ)
  この表を見ると、確かにある軸では日本はドイツと同じ側にあり、別の軸ではアメリカと同じ側にいるので、上記矛盾が解消されたと歓迎したくなります。しかし、よく見ていくと山のような疑問が湧いてきます。その疑問を詳細かつ深く突っ込んで論じているのが、石田光男氏の「日本の雇用関係と労働時間の決定」(石田他編著『労働時間の決定』ミネルヴァ書房所収)です。詳細は省略しますが、石田氏は吟味の末に次のような表をもって代え、結局ドイツがやや違うだけで、日本と欧米諸国の間に大きな違いがあるという認識に戻っています。
  課業の設定
単なる生産アプローチ 効率アプローチ
実効性の
確保




 
課業中心基準


 
職務ルール
(アメリカ、フランス)
職域・職種ルール
(イギリス)


 
資格中心基準
 
職業資格ルール
(ドイツ)

 
能力中心基準
 

 
職能ルール
(日本)
 ぐるっと一回りして、結局日本と欧米諸国を対比させる当初の素朴な認識に戻ってしまったようです。この石田氏の表を見ると、結局「ジョブ」というやや広い概念を、職務、職域・職種、職業資格とやや細かく言葉の上で分けただけのようにも見えます。また、アメリカとフランスが同じ職務ルールだというのも納得しかねるところがあります。とはいえ、せっかく同じ「ジョブ型」の中の違いを考えるヒントが得られたのですから、これを出発点にして今後欧米諸国の各国ごとの雇用システムについて検討していきたいと思います。その際には、日本型雇用システムを論じる上で産業化以後の歴史的展開が極めて重要であったことを考えると、欧米産業社会の歴史を深く踏まえて議論していくことが不可欠でしょう。

 

2017年10月22日 (日)

日本の雇用の常識を知ることは、自社の雇用の思い込みを知ること@ヒトフレ

Chuko 「人事や採用担当をフレーフレーと応援するメディア」の「ヒトフレ」というブログで、拙著『若者と労働』が取り上げられていたことに気がつきました。

http://www.hitofure.jp/posts/3116186

題して「日本の雇用の常識を知ることは、自社の雇用の思い込みを知ること「若者と労働」人事の代わりに読みました。」

今回の人事の代わりに読みましたは、「若者と労働」。

少し古い本ですが、ビッシリ貼られた付箋を見てわかるように、HR系のビジネスをしている私には非常に勉強なった本でした。

と言うことで、リンク先にブログ主のお持ちの本の写真が載っていますが、びっしりと付箋が付いていますね。

・・・本書は、当時、社会的な問題としてヒートアップしていた、若者雇用の問題を日本の「メンバーシップ型雇用」と欧米の「ジョブ型雇用」を比較しながら日本の雇用システムの特殊性をあぶり出しつつ、歴史的な経緯とともに、その日本独自の雇用システムが誕生し袋小路に陥った理由と、それを解決しようとした労働政策がうまく機能しなかった背景と、その結果としての若者雇用問題を、分かりやすく冷静な議論で解き明かしてくれます。

もちろん欧米の雇用システムの方が、優れているわけではありませんが、比較対象が生まれることで、客観性が生まれ、その特殊性が、よりクリアに理解することができます。

日本の採用市場の特殊性や構造を知ることは、そこで優秀な人事を獲得するための戦い方のヒントをもらうこと。

さらに日本の雇用の常識を知ることは、私たちが無意識で前提にしてしまっている自社の雇用の常識を、意識することにつながります。

気づいていなかった固定観念が外れれば、自社の採用や人事制度に関しても、新しい発想がでやすくなるのではないでしょうか。

「彼を知り、己を知れば、百戦して危うからず」と言いますが、その両方が、一冊でできるのがこの「若者と労働」。おすすめです。

「彼を知り、己を知」るが両方できる本というのは身に余るお褒めの言葉で痛み入ります。

「マガジンひとり」さんの拙著評

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 読書メーターで、「マガジンひとり」さんが拙著『働く女子の運命』を書評しています。「劇団ひとり」ならぬ「マガジンひとり」さんということで、どういうコメントをいただいたかというと:

https://bookmeter.com/reviews/67391282

著者のもう1冊読んだ『若者と労働』と重複する歴史語りが多い。骨子はマルクス主義の採る「労働価値説」により、日本の労組が生活給重視の賃上げ運動を展開し、夫が妻子を養う前提のライフステージに合せた年功序列が固定化、女性の社会進出を阻む壁となった。一例=銀行・商社などの「総合職と一般職」。とはいえ、いたずらに労組を敵視しても、おもに女性が担ってきた非正規雇用に男や高齢者も従事し、若い正社員には長時間労働の重圧がかかる現状をもたらした新自由主義勢力を利するだけでは。これらを打開する気概やヴィジョンを示してほしい

いやまあ、「いたずらに労組を敵視し」ているわけではなく、日本型雇用に過度に適応しすぎた労働運動のあり方から、仕事に立脚したもっと世界共通の労働運動にシフトしていくことが重要だろうという「ヴィジョン」は醸し出しているつもりではありますが。

2017年10月20日 (金)

タイトルで読者を選んでしまっているが

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 ブクログに、Integrated-Oddsさんが『働く女子の運命』のごく短い評を書かれているんですが、

http://booklog.jp/users/kesuuyotahaeu/archives/1/4166610627

タイトルで読者を選んでしまっているが、日本の雇用政策や歴史などを整理されており、非常に勉強になった。重要な内容が多く再度読み返したい。

はあ、「タイトルで読者を選んでしまってい」ますか。でもね、この文藝春秋の女性編集者のつけたタイトルのおかげで、手に取ってくれた読者も多いと思うんですよ。

少なくとも、これが『日本型雇用と女性労働』なんてタイトルだったら、そんなに売れてなかった可能性がありますね。

丹下一男『担当者必携 障害者雇用入門』

10181642_59e705dfbfb04同じく経団連出版の讃井暢子さんよりいただいたのが、丹下一男『担当者必携 障害者雇用入門-雇用のプロセスから法的構成まで』です。

http://www.keidanren-jigyoservice.or.jp/public/book/index.php?mode=show&seq=480&fl=

企業の障害者雇用担当者の多くが、自身の仕事にやりがいを感じている一方で、受け入れ方や労務管理などに戸惑い、また障害者雇用の意義や社会的要請、雇用の現状にいたる歴史的な歩みなどへの理解が不十分なことに困惑しながら、手探りで業務をこなしています。

本書は、企業が障害者雇用を進めるにあたり、経営サイドから長年にわたりアドバイスをしてきた筆者が、障害者雇用の積極的な取り組みから、障害者雇用促進法の成り立ちなどまでを広く紹介するものです。

2018年4月からは、精神障害者が雇用義務に含まれることとなり、法定雇用率の算定基礎に精神障害者が加わります。また民間企業では障害者を雇用しなければならない従業員の規模も45.5人以上に変わります。

あらためて障害者雇用への理解を深めるための1冊です。

これも実務書とはいえ、なかなか「熱い」本です。どう熱いかというと、冒頭の「第1章 障害者の位置づけ」に、「人類史の中の障害者」「受容された障害者」「世界大戦で進展した障害者施策」等々と、すごいそもそも論から説き起こしているんですね。

もちろん、実務書としての障害者雇用のやり方に関する記述も明晰です。

2017年10月19日 (木)

経団連事業サービス人事賃金センター『本気の「脱年功」人事賃金制度』

41s0dnlzyhl_sx350_bo1204203200_ 例によって、経団連出版の讃井暢子さんより、経団連事業サービス人事賃金センター『本気の「脱年功」人事賃金制度-職務給・役割給・職能給の再構築』をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

http://www.keidanren-jigyoservice.or.jp/public/book/index.php?mode=show&seq=478&fl=

少子高齢化が急速に進行する中、人事賃金制度は年功型から仕事・役割・貢献度を基軸とした制度へと大きく見直しが進んでいます。しかしながら本気で年功型から脱するためには、「仕事」や「役割」の複雑度・困難度・責任度をきちんと調査し、それを基にした人事制度と賃金制度の構築が不可欠です。

 本書では人事制度として職務等級制度、役割等級制度、職能資格制度の設計方法や職務分析・評価/職務調査の手法例を、また賃金制度として職務形態別のモデル類型を紹介します。

という実務書なんですが、「はしがき」の言葉がなかなか激しくて、熱っぽいです。

・・・そのため、このような仕事の分析・調査の労力を嫌って同分析・調査を行わず、形だけの職務等級制度や役割等級制度、職能資格制度を作ろうと試みる企業も多かった。実際に、特に職能資格制度を導入したほとんどの企業では仕事の調査を実施せず、抽象的な基準による職能資格制度を導入した。そのため具体的な職務を遂行する能力を評価できず、結果として年功的な運用に基づく、職能資格制度とは名ばかりの年功型人事制度になってしまった。したがって、本気で脱年功の人事制度を策定・運用するためには、どうしても実際の仕事を何らかの方法で調査、評価し、それに基づき人事制度を構築する必要がある。それなしには脱年功は不可能といってもよい。・・・・・

雇用類似の働き方に関する検討会

厚生労働省の雇用環境・均等局が「雇用類似の働き方に関する検討会」を開催すると発表していました。

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000180688.html

来週火曜日に1回目をやるようです。

開催要綱によると、

http://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-11911500-Koyoukankyoukintoukyoku-Zaitakuroudouka/0000180800.pdf

雇用類似の働き方が拡大している現状に鑑み、その働き方について順次実態を把握し、雇用類似の働き方に関する保護等の在り方について、法的保護の必要性を含めて中長期的に検討する必要がある。
このため、まずは雇用類似の働き方に関する実態等を把握・分析し、課題整理を行う必要がある。

とのことで、一番気になる委員のメンツは:

芦野 訓和 東洋大学法学部教授
飯田 泰之 明治大学政治経済学部准教授
小畑 史子 京都大学大学院人間・環境学研究科教授
鎌田 耕一 東洋大学法学部教授
川田 琢之 筑波大学ビジネスサイエンス系教授
土田 和博 早稲田大学法学学術院教授
宮田 志保 特定非営利活動法人フラウネッツ理事長
村田 弘美 リクルートワークス研究所グローバルセンター長
湯田 健一郎 一般社団法人クラウドソーシング協会事務局長

ということで、労働法では小畑、鎌田、川田の3人ですね。鎌田さんは昨日紹介した『概説労働市場法』のように、最近は労働市場や非正規問題で忙しそうですが、もともとはILOの雇用関係勧告とか、まさにこういう「雇用類似」の世界についての先駆的な研究者として有名だった方です。

芦野さんは民法、特に請負関係の専門で、土田さんは経済法、独禁法関係ということですね。

経済学で飯田さんというのは、どういう期待からなのかはよくわかりませんが。


2017年10月18日 (水)

鎌田耕一『概説労働市場法』

Gaisrodomktho 鎌田耕一さんより『概説労働市場法』(三省堂)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.sanseido-publ.co.jp/publ/roppou/rodo_shakai/gaisrodomktho/

労働市場の歴史と機能、その中で職安法・雇用対策法・雇用保険法・職業能力開発促進法・障害者雇用促進法などが果たす役割について解説。人と仕事とを結びつけ、安定した職業生活を送るための制度を概観。

普通の労働法の教科書ではどうしても継子扱いされがちな労働市場法を、それだけで一冊のテキストブックにした意欲的な本です。

ここ十年ほど、労働市場法政策のまっただ中で活躍されてきた鎌田さんならではの本と言えましょう。

第1章 労働市場と労働市場法

第2章 労働市場法の概念と歴史

第3章 労働市場法の理念

第4章 労働市場法の目的と体系

第5章 労働市場の機構

第6章 労働市場法の実効性確保

第7章 職業仲介法

第8章 雇用保険法

第9章 雇用政策法

第10章 職業能力開発と法

この目次だけ見るとやや平板な感じがするかも知れませんが、「日本的雇用慣行」、「クラウドソーシング」から「メンバーシップ型とジョブ型」まで、多くのコラムがいろいろと興味深いトピックをちりばめています。

一点だけ気になったことを。

本書では、求職者支援制度を、第8章の雇用保険法の最後ではなく、第10章の職業能力開発と法の最後に入れています。これは、法の建前を真っ正直に受け取ればその通りです。なぜって、この法律の正式名称は「職業訓練の実施等による特定求職者の就職の支援に関する法律」なのですから。でも、その前身の基金訓練、そのまた前身の貸付制度のときから、この制度の本質が、雇用保険を受給できない人にお金を上げることであり、それがモラルハザードにならないための言い訳として職業訓練の受講を条件としたことは明らかなので、この位置づけは正直とても違和感があるのです。

浅井隆『戦略的な人事制度の設計と運用方法』

51dje1dlyel__sx350_bo1204203200_浅井隆さんの『戦略的な人事制度の設計と運用方法』(労働開発研究会)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.roudou-kk.co.jp/books/book-list/5424/

■「企業が事業目的を達成するために、いかに制度を見直して従業員と共有するか」
■時代の変化やボーダレス化が進む中で永続的に反映し続けるための就業規則改定について具体的に解説。
 筆者の豊富な経験と積み重なった裁判例を参考に,制度と運用に分け,各労働条件毎に分析した就業規則改定の最新・決定版!

一言で言えば、就業規則をどう作るか、そしてそれを日常の中でどう運用するかについての詳しい解説書です。

第1編 人事労務管理の目的

1.企業にとって人事労務管理は不可欠

2.人事労務管理の工夫の仕方

3.人事労務管理は制度設計と運用の両面があることを強く意識する

第2編 制度

第1章 就業規則の効力

Ⅰ 就業規則の意義

Ⅱ 就業規則の内容と形式

Ⅲ 労働条件を規律する法的規律の順位

Ⅳ 就業規則の効力

Ⅴ 就業規則による労働条件の不利益変更

第2章 狭義の就業規則

Ⅰ 服務規律

Ⅱ 採用及び試用

Ⅲ 人事異動

Ⅳ 休職

Ⅴ 退職

Ⅵ 労働時間・休憩・休日

Ⅶ 時間外・休日労働

Ⅷ 出退勤

Ⅸ 年次有給休暇

Ⅹ その他の法定休暇・法定休業

Ⅺ 任意の休暇・休業

Ⅻ 安全衛生

XⅢ 災害補償

XⅣ 表彰及び制裁

第3章 賃金規程

Ⅰ.賃金制度を設計することの戦略的意義

Ⅱ 給与の計算等

Ⅲ 基準内給与

Ⅳ 基準外給与

Ⅴ 昇給

第4章 賞与

第5章 退職金規程

第6章 有期労働者の就業規則

第3編 運用

第1章 日常の人事労務管理

Ⅰ.服務規律

Ⅱ.採用及び試用

Ⅲ.人事異動

Ⅳ.休職

Ⅴ.退職

Ⅵ.労働時間・休憩・休日

Ⅶ.時間外・休日労働・出退勤

Ⅷ.年次有給休暇

Ⅸ.その他の法定休暇・休業・任意の休暇・休業

Ⅹ.安全衛生

Ⅺ.災害補償

Ⅻ.表彰および制裁

第2章 賃金制度の運用

Ⅰ.当該労働条件の運用における戦略的意義

Ⅱ.給与の計算等

Ⅲ.基準内給与

Ⅳ.基準外給与

Ⅴ.昇給

第3章 賞与制度の運用

第4章 退職金制度の運用

第5章 有期労働者の人事労務管理

長時間労働は「三つ子の魂百まで」

東京大学中原淳研究室のサイトに、「長時間労働は「三つ子の魂百まで」」という記事が載っていて、いや全くその通りだなと思った人も多いのではないでしょうか。

http://www.nakahara-lab.net/blog/archive/8197

 「長時間労働とは学習の結果である」
  
 とりわけ、学習は「新入社員」のときからはじまっています。
  
 新入社員の時に求められた働き方がテンプレートになり、かつ、新入社員の頃の職場メンバーや上司の働き方を「観察学習」し、長期に学び取った結果、「長時間労働をなんとも思わない身体」が完成されてしまうのだ

自分の新入社員時代を思い出して、そうだそうだと思い返している中年世代の方が山のようにいるのではないか、と。

とりわけ、

「ここからは残業時間になるよ」という「境界」を、そもそも一度も「意識せず」に働いている人々がいる

言葉の正確な意味での「時間無限定」正社員の生き方が、あたかもひよこが卵から孵ったその時に見た先輩の生き方を丸写しにするように吸い込んで体現していくという永遠のミームの連鎖が・・・。

この深層心理のラーニングをアンラーニングすることが容易ではないのはよくわかります。

2017年10月17日 (火)

ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用はパズルと積み木

ジョブ型とメンバーシップ型についてはいろいろな説明があって、比喩の仕方もいろいろあるんですが、「文系だけどシリコンバレーで働く」というブログで、おそらくアメリカでの実体験を踏まえてパズルと積み木という比喩を使った説明が試みられていて、なかなか興味深かったので紹介しておきます。

http://tobiccosan.blogspot.jp/2017/10/blog-post.html

・・・メンバーシップ型採用は、積み木。さまざまな大小似たような形の木のピースがあり、それをすべて使って何かを作らなければならない。持っているピースをできるだけ効率的にすべて使わなければいけないので、完成形のイメージは曖昧でおおざっぱ、「城」とか「工場」とか。いくつかのピースには特徴がある(三角形で一番上に乗せられなければならない、丸いので両側を細長いピースで挟まないと安定しない、など)ので、それらを支える形で汎用性の高い四角いピースをたくさん使って何かを完成させる。もしもピースが余ってしまっても簡単に捨てることはできないので、そのときは申し訳程度に横に並べてみたりするしかない。また、もしもピースが足りなくなったとき、新しく追加するにはお金がかかり、また追加したピースは簡単には捨てられないので、使い捨てピースで間に合わせるか、持ち合わせのピースで無理して細長く積み上げたりすることもある。上に置く用の三角形の特殊ピースばかり余ってしまうこともあるが、その場合もどこかに積まないといけないので、余った特殊ピースを乗せるためだけに追加で小さな城を横に作ったりする。

ピース側からすると、一回捨てられてしまうと別の積み木にいつ追加してもらえるかわからないので、できるだけ長く同じ場所で活用されるように汎用型の四角いピースを目指すことが安牌。

ジョブ型採用は、パズル。明確にどのような絵を描きたいかが決まっていて、そのためにできるだけピッタリとハマるピースを探す。どのピースもほとんどが特殊ピースなので、ぴったりはまるかはまらないかが明確で、すぐにピースが余ったり足りなくなったりする。それぞれのピースは捨てることも新しく追加することも比較的かんたんなので、描きたい絵が変わったり、描いてみてあまりうまくいかなくなったらいくつかのピースあるいは絵の一部を構成するピース群を捨てたり追加したりする。

あなたがどのような形のピースで、どのような場所にピッタリはまるのか明確な方が使われやすく、汎用性が高い特徴のない形のピースだと面白い絵が描けないのであまり役に立たない。・・・・

2017年10月16日 (月)

自分の頭で考えるヒント

131039145988913400963 読書メーターで、もう8年前の本ですが、『新しい労働社会』に対してこういう評をいただきました。

https://bookmeter.com/reviews/67295834

最近は中身も分量も薄い新書が目立ちますが、本書はとても重厚な内容で労働問題を学ぶ人には必須の書ですね。2009年の発刊ですが、ここで指摘されている日本型雇用システムの制度疲労、賃金制度改革の必要性、ただし社会保障制度とセットでといった問題点は何一つ解決していません。日本は企業が育児や教育など本来は政府がやるべき部分までてあてしてきたが、それが限界を迎えている。そんな中、安倍政権がこの総選挙で打ち出した働き方改革がどのような社会につながるのかを、自分の頭で考えるヒントが本書にはあります。

「自分の頭で考えるヒント」との言葉は嬉しい限りです。

労使コミュニケーション再考@『情報労連REPORT』10月号

Johororen小樽での労働法学会から帰ったら、『情報労連REPORT』10月号がとどいていました。特集は「労使コミュニケーション再考」です。「再考」であって、「再興」ではなく、いわんや「最高」でもありません。

http://ictj-report.joho.or.jp/special/

戎野淑子、野田知彦、上田眞士といった研究者に混じって、常見陽平さんも登場していますが、いかにも常見さんらしい切り口になっています。

http://ictj-report.joho.or.jp/1710/sp05.html

1710_sp05_face・・・経営者がこれほど従業員とコミュニケーションを取りたがっている時代はありません。ただ、従業員の意見は聞くのに、それが労働組合の意見だと身構えてしまう。労働組合の代表だとなぜ話を聞こうとしないのかが問われていると思います。

・・・経営者はエース社員の意見は聞きますし、辞めてほしくないから若手の意見も聞きます。経営者が耳を傾けるのは、露骨に言えば「もうかる意見」です。資本主義の権化みたいな話ですが、「もうかる提案」を労働組合もする必要があると思います。

ではどういう話をしろというのかというと、

・・・私は少子化が社会を変えることに希望を持っています。人事担当者向けのセミナーでは、「人を採用できない企業は生き残れないと、経営者にたたきつけろ」とたき付けています。人口減少は実際に始まっていて、地方だと顕著に起きています。労働条件に魅力がないと人が採れません。現場をよく知る労働組合にとって、これは最後のチャンスです。

働きやすい職場とは何か、こうすれば採用できる、早期退職しない。そういうことを労働組合が提案できるかどうかにかかっています。経営者が考えもしなかったような発想の軸を提起することも大切でしょう。これから求められるオフィスのあり方や、優秀な女性を採るための働き方のあり方。労働組合がこうしたポイントで対話している例は少ないと思います。

私なら、賃金や労働時間よりも、採用達成率や早期離職率といったデータを経営者や人事部に突きつけて闘います。ぎくっとするはずですよ。労使コミュニケーションの突破口は人手不足にある。これは揺るぎない結論です。

2017年10月14日 (土)

ロボットに法人格を@欧州議会

欧州議会が今年2月16日に採択した「ロボティクスに関する民法ルールに関する欧州委員会への勧告」決議の中に、興味深い項目があります。

http://www.europarl.europa.eu/sides/getDoc.do?pubRef=-//EP//TEXT+TA+P8-TA-2017-0051+0+DOC+XML+V0//EN

European Parliament resolution of 16 February 2017 with recommendations to the Commission on Civil Law Rules on Robotics

59.  Calls on the Commission, when carrying out an impact assessment of its future legislative instrument, to explore, analyse and consider the implications of all possible legal solutions, such as:

f) creating a specific legal status for robots in the long run, so that at least the most sophisticated autonomous robots could be established as having the status of electronic persons responsible for making good any damage they may cause, and possibly applying electronic personality to cases where robots make autonomous decisions or otherwise interact with third parties independently;

ヘ) 少なくとも最も洗練された自律的なロボットが、その引き起こしたいかなる損害を賠償する責任を負う電子的法人格の地位を有し、場合によっては電子的法人格をロボットが自律的な決定を行い、またはさもなければ第三者と独立に相互作用する場合にも適用するように確立されるように、長期的にロボットのための特別の法的地位を創設すること。

「electronic persons」って、「specific legal status」、つまりロボットに法人格を与えるという噺ですね。

欧州議会の議論はそういうところまで既に行っているようです。

2017年10月13日 (金)

『Works』144号

Worksリクルートワークス研究所の『Works』144号をいただきました。特集は「フリーランスがいる組織図の描き方」です。

http://www.works-i.com/pdf/w_144.pdf

●半数の企業はフリーランスを活用しない―その選択は正しいか
・企業がフリーランスを活用しない、その理由とは
・今後、高度なプロフェッショナル人材を獲得し続けられるのか
・イノベーションは同質性の高い組織で生まれ得るのか

●フリーランスとともに価値を生み出した4つの事例
・工場のブランディングに広報のプロを投入/GE ヘルスケア・ジャパン
・経営企画部門の最強チームをつくる/アカツキ
・新サービス開発でマーケティングのプロを活用/NTTドコモ
・新商品開発にパートナーとして伴走してもらう/パイオニア

●フリーランスと企業が協業できる環境が整ってきた
・ビジネス系職種にもフリーランスが増えてきた
・場所・時間にとらわれない最適な人材の活用が可能になった
・最適なスキルを持つ人材との出会いの場ができた
・規模の大きな仕事も依頼できるようになった

●フリーランスとの協業で成果を上げるために企業がすべきこと
・日本企業はどのようにフリーランスに仕事を任せてきたのか
・日本企業はどうすればフリーランスをうまく活用できるか
・フリーランスと協業し価値が高まる領域とは

●フリーランスという働き方を魅力的にするために社会がすべきこと
・フリーランスという働き方から生活の不安定さを軽減する
・フリーランスの仕事から搾取の構造を取り除く
・フリーランスのスキルアップを担保する

まとめ:個人と、「信頼」に基づく新しい関係を築くために人事がすべきこと/清瀬一善(本誌編集長)

厚生労働省でも「柔軟な働き方に関する検討会」が始まったところであり、雇用類似の働き方をどう考えるかというのは、これからのデジタル社会における大きな論点であることは間違いありません。

ここに登場するフリーランス協会の平田氏は、こう語っているのですが、

・・・ただし、この問題について「フリーランスを一括りにし、すべてに対して過剰な規制をかけることはやめるべき」だと、平田氏は指摘する。「フリーランスは、経済的自立ができていない準従属労働者と、専門性を有し、自営ができているプロフェッショナルに分けられます(右図)。前者には、健康や家庭などの事情があって仕方なくフリーランスになった、という人も少なくありません。準従属労働者には“保護”が必要です」(平田氏)
 一方、後者のプロについては、「立場の強弱を前提とした保護はなじまない」(平田氏)という。それよりも、対等なパートナーシップを組むための取引の公平性や透明性を実現すべきだ。・・・

しかしその線引きをどうできるのかが難問なわけです。

『DIO』10月号

Diodio連合総研の機関誌『DIO』10月号をお送りいただきました。

http://www.rengo-soken.or.jp/dio/pdf/dio330.pdf

特集は「生活時間の視点から労働時間を考察する」で、毛塚、長谷川両氏の論考が載っています。

生活時間の確保を基軸に労働時間法制の構造転換を 毛塚勝利 …………………4
生活時間アプローチが労働者の家庭責任に関わる労働時間法にもたらす視角 長谷川聡 …………………8

毛塚理論は最近よく見ますのでご承知の方も多いでしょう。「基本は1日の最長労働時間規制と時間主権=生活主権の確立」とか、「インターバル規制の性格転換-休息時間規制から最低生活時間規制へ」、そして「時間外労働規制の性格転換―賃金清算原則から時間清算原則へ」など、残業代ゼロ論ではなく、労働時間規制の本質からたたみかけるような議論を展開しています。

その上で、最後の「監督行政まかせからの脱却―社会的モニタリングの構築」については、いやしかしだれがそれを実際にやるのか?という疑問が湧いてくるのを禁じ得ませんでした。

・・・しかし、生活時間を確保することは、労使はもとより、国・自治体を含む、すべての関係当事者の責務と考えた場合、ある企業の労働時間の有り様は、単に企業内労使の問題ではなく、地域住民、学校、取引先等、当該企業のすべてのステークホルダーの関心事でもあることを認め、当該企業の労働時間の実情をモニタリングすることが考えられてよい。・・・

・・・そのうえで、労働組合が地域レベルのNPOやNGOと連携をとりながらモニタリングを行う10とともに、市町村レベルに、労使団体、学校教育関係者、福祉施設関係者、ボランティア関係団体等の代表者で構成されるモニタリング機関を設け、労働時間の実情把握と評価を行うことである。社会的モニタリングは、長時間労働の多くが顧客や消費者の「我儘」によることを自ら認識し、生活時間の侵害を防止する社会的規範の形成にも寄与するはずである。

趣旨はまったくその通りと思いつつ、それが可能なような地域レベルのつながりが一体あるのか、労働組合がそことどれくらいつながりを持ち得ているのか、等々。

あまりにも内部労働市場に最適化してしまった日本の労働組合にそのようなイニシアティブを取れる能力が失われてしまったからこそ、今の状態になってしまっているわけでしょうから。

2017年10月11日 (水)

hontoのブックツリーで拙著が

hontoという本のサイトに、ブックツリーという「本に精通したブックキュレーターが独自のテーマで集めた数千の本を、あなたの;関心・興味や気分に沿って紹介するサービス」があり、そこに拙著が挙げられていました。

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbd_2 まず、河野真太郎さんが選んだ「労働のいまと〈戦闘美少女〉の現在」というツリーには、斎藤環さんの『戦闘美少女の精神分析』、斎藤美奈子さんの『紅一点論 アニメ・特撮・伝記のヒロイン像』、河野さん自身の『戦う姫、働く少女』など、いかにもそうだろうなという本と並んで、拙著『働く女子の運命』が挙がっています。

https://honto.jp/booktree/detail_00004582.html?cid=ip_item_bt_1

本書は女性の雇用慣行の変遷を辿り、男女雇用均等法以後においてさえも働く女性の苦境が解消しない理由を説得的に論じる。所属を基礎とするメンバーシップ型の雇用慣行は、いまだに仕事に人間を貼り付けるジョブ型雇用へと転換していない。そこから生じるのが『戦う姫、働く少女』が見据える、女性化された流動的労働力の現在だ。

うーーむ、本書に出てくる働く女子たちは「戦闘美少女」だったのでしょうか。

さらに、「私の会社はブラックか・・・?不安になったら読みたい、働き方を考える本」というツリーには、5冊のうち拙著が2冊入っています。

https://honto.jp/booktree/detail_00002840.html?cid=ip_item_bt_1

112483 一つは『日本の雇用と労働法』

理論的な労働法制と現実の労働社会の結びつきが簡潔にまとめられた本です。会社には労災や安全への配慮義務、福利厚生、労働組合など司法に支えられた体制がきちんと存在しています。たとえば仕事に追われ思わぬケガをしたとき、残業代が出ないとき、自分を助けてくれる実用的な知恵を明確な根拠とともに与えてくれる一冊です。

うーーむ、「実用的な知恵」の本ではないのですが・・・。

Chuko もう一つは『若者と労働』でした。

実際の労働環境や労働条件など、会社に入ってみてわかることは多いです。しかし、度を越えた労働時間やパワハラといった問題がどのように生まれたか、わからないままでいる人も多いでしょう。その成り立ちを解き明かし、現在の働き方の異常さを白日の下にさらすことで、読み手にそれを変えるヒントを授けてくれる一冊です。

うーーむ、「変えるヒントを授ける」かどうかはわかりませんが、少なくとも「その成り立ちを解き明か」そうとした本です。

工藤眞由美さん@阪大の拙著評

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 大阪大学生協の「<教員>10月のおすすめ本」というコーナーに、拙著『働く女子の運命』が取り上げられていました。

http://www.osaka-univ.coop/event/book/review/201710/professor/professor.html

取り上げていただいたのは、大阪大学の理事・副学長の工藤眞由美さんで、5冊のうちの一冊です。その5冊というのは、原田マハ『楽園のカンヴァス』、須賀敦子『遠い朝の本たち』 、石牟礼道子『苦海浄土』、拙著、そして高橋源一郎『読んじゃいなよ!』 でした。こういう名著と並べて取り上げていただいたことに感謝します。

どういうコメントをされているかというと:

唐突ですが、「マミートラック」という言葉を知っていますか?バリバリ働いていた女性が出産・育児休業を経て責任の軽い仕事に変わり、キャリアアップの道から外れてしまう現象のことを言います。子育て期の忙しい女性に配慮した結果であるものの、新たな仕事のチャンスを掴むことができず、仕事への意欲そのものを削がれてしまうのも事実。働きたいと思ったが、こんな働き方ではなかった、と立ちすくんでいるのが女性の現実でしょう。日本では、職場における女性の地位は低迷したままです。なぜ、こんなにも働きにくいのでしょうか?これは女性だけの問題?女性の働き方の歴史的変遷を辿りながら、現在の状況が俯瞰できる本です。

 タイトルの「運命」という言葉に違和感を感じるかもしれません。著者は、それほど働き方を変えるのは難しいことなのだ、というメッセージを込めたそうです。タイトルだけで敬遠せず、女性のみならず男性にも読んでほしい本です。

ありがとうございます。

2017年10月10日 (火)

EU労働局の創設?

先月、EU委員会のユンケル委員長による所信表明演説(State of the Union Address 2017)があり、その中にちらりとですが、こんな一節がありました。

http://europa.eu/rapid/press-release_SPEECH-17-3165_en.htm

・・・In a Union of equals, there can be no second class workers. Workers should earn the same pay for the same work in the same place. This is why the Commission proposed new rules on posting of workers. We should make sure that all EU rules on labour mobility are enforced in a fair, simple and effective way by a new European inspection and enforcement body. It is absurd to have a Banking Authority to police banking standards, but no common Labour Authority for ensuring fairness in our single market. We will create such an Authority.・・・

・・・平等な者の欧州連合においては、セカンドクラスの労働者はありえない。労働者は同じ場所での同じ仕事には同じ賃金を受け取るべきだ。それゆえ、EU委員会は労働者海外派遣の新たなルールを提案した。我々は、労働移動に関する全てのEUのルールが、新たな欧州の監督・執行機関によって、公正で、簡素で有効なやり方で実行されるよう確保すべきだ。銀行の基準を監督するためには銀行当局を設けているのに、我々の単一市場において公正さを確保するための共通労働当局が存在しないのはばかげている。われわれはそのような当局を創設するつもりだ。・・・

銀行云々のところがよくわからないのを除けば、要はEU域内をあちこち異動する労働者の労働基準監督のために、各国の労働当局とは別に、いわばEU労働局とでもいうべき機関を創設すると、この部分は間違いなく言っているように見えます。

これは結構重大なことを言っているように思われますが、雇用社会総局の方には全然出てきません。これも官邸主導かな?

2017年10月 7日 (土)

ベーシックインカム異論

9784165030904 なんだか最近再びベーシックインカムが政治課題として論じられてきているようなので、もう8年近くも前の文章ですが、お蔵出しして皆様にお目にかける必要があるのではないか、と。

文藝春秋が毎年出してる『日本の論点』の2010年版に寄稿したものです。

何しろ8年近く前なので、「有効求人倍率が0.4に近い現状において」なんていう台詞も出てきますが(ちなみに現在は1,5以上)、議論の筋道自体は今でもまったく変える必要はないと思っています。

 マクロ社会政策について大まかな見取り図を描くならば、20世紀末以来のグローバル化と個人化の流れの中で、これまでの社会保障制度が機能不全に陥り、単なる貧困問題から社会的つながりが剥奪される「社会的排除」という問題がクローズアップされてくるともに、これに対する対策として①労働を通じた社会参加によって社会に包摂していく「ワークフェア」戦略と、②万人に一律の給付を与える「ベーシックインカム」(以下「BI」という)戦略が唱えられているという状況であろう。

 筆者に与えられた課題はワークフェアの立場からBI論を批判することであるが、あらかじめある種のBI的政策には反対ではなく、むしろ賛成であることを断っておきたい。それは子どもや老人のように、労働を通じて社会参加することを要求すべきでない人々については、その生活維持を社会成員みんなの連帯によって支えるべきであると考えるからだ。とりわけ子どもについては、親の財力によって教育機会や将来展望に格差が生じることをできるだけ避けるためにも、子ども手当や高校教育費無償化といった政策は望ましいと考える。老人については「アリとキリギリス」論から反発があり得るが、働けない老人に就労を強制するわけにもいかない以上、拠出にかかわらない一律最低保障年金には一定の合理性がある。ここで批判の対象とするBI論は、働く能力が十分ありながらあえて働かない者にも働く者と一律の給付が与えられるべきという考え方に限定される。

 働く能力があり、働く意欲もありながら、働く機会が得られないために働いていない者-失業者-については、その働く意欲を条件として失業給付が与えられる。失業給付制度が不備であるためにそこからこぼれ落ちるものが発生しているという批判は、その制度を改善すべきという議論の根拠にはなり得ても、BI論の論拠にはなり得ない。BI論は職を求めている失業者とあえて働かない非労働力者を無差別に扱う点で、「文句を言わなければ働く場はあるはずだ」と考え、働く意欲がありながら働く機会が得られない非自発的失業の存在を否定し、失業者はすべて自発的に失業しているのだとみなすネオ・リベラリズムと結果的に極めて接近する。

 もっとも、BI論の労働市場認識は一見ネオ・リベラリズムとは対照的である。ヴァン・パリースの『ベーシック・インカムの哲学』は「資産としてのジョブ」という表現をしているが、労働者であること自体が稀少で特権的な地位であり、社会成員の多くははじめからその地位を得られないのだから、あえて働かない非労働力者も働きたい失業者と変わらない、という考え方のようである。社会ははじめから絶対的に椅子の数の少ない椅子取りゲームのようなものなのだから、はじめから椅子に座ろうとしない者も椅子に座ろうとして座れなかった者も同じだという発想であろう。

 景気変動によって一時的にそのような状態になることはありうる。不況期とは椅子の数が絶対的に縮小する時期であり、それゆえ有効求人倍率が0.4に近い現状において失業給付制度を寛大化することによって-言い換えれば働く意欲を条件とするある種の失業者向けBI的性格を持たせることによって-セーフティネットを拡大することには一定の合理性がある。いうまでもなくこれは好況期には引き締められるべきである。

 しかしながら、景況をならして一般的に社会において雇用機会が稀少であるという認識は是認できない。産業構造の変化で製造業の雇用機会が空洞化してきたといわれるが(これ自体議論の余地があるが)、それ以上に対人サービス部門、とりわけ老人介護や子どもの保育サービスの労働需要は拡大してきているのではなかろうか。この部門は慢性的な人手不足であり、その原因が劣悪な賃金・労働条件にあることも指摘されて久しい。いま必要なことは、社会的に有用な活動であるにもかかわらずその報酬が劣悪であるために潜在的な労働需要に労働供給が対応できていない状況を公的な介入によって是正することであると私は考えるが、BI論者はネオリベラリストとともにこれに反対する。高給を得ている者にも、低賃金で働いている者にも、働こうとしない者にも、一律にBIを給付することがその処方箋である。

 ある種のBI論者はエコロジスト的発想から社会の全生産量を減らすべきであり、それゆえ雇用の絶対量は抑制されるべきと考え、それが雇用機会の絶対的稀少性の論拠となっているようである。しかし、これはいかにも顛倒した発想であるし、環境への負荷の少ない生産やサービス活動によって雇用を拡大していくことは十分に可能であるはずである。

 上述でも垣間見えるように、BI論とネオリベラリズムとは極めて親和性が高い。例えば現代日本でBIを唱道する一人に金融専門家の山崎元がいるが、彼はブログで「私がベーシックインカムを支持する大きな理由の一つは、これが『小さな政府』を実現する手段として有効だからだ」、「賃金が安くてもベーシックインカムと合わせると生活が成立するので、安い賃金を受け入れるようになる効果もある」、と述べ、「政府を小さくして、資源配分を私的選択に任せるという意味では、ベーシックインカムはリバタリアンの考え方と相性がいい」と明言している*1。またホリエモンこと堀江貴文はそのブログでよりあからさまに、「働くのが得意ではない人間に働かせるよりは、働くのが好きで新しい発明や事業を考えるのが大好きなワーカホリック人間にどんどん働かせたほうが効率が良い。そいつが納める税収で働かない人間を養えばよい。それがベーシックインカムだ」、「給料払うために社会全体で無駄な仕事を作っているだけなんじゃないか」「ベーシックインカムがあれば、解雇もやりやすいだろう」と述べている*2。なるほど、BIとは働いてもお荷物になるような生産性の低い人間に対する「捨て扶持」である。人を使う立場からは一定の合理性があるように見えるかも知れないが、ここに欠けているのは、働くことが人間の尊厳であり、社会とのつながりであり、認知であり、生活の基礎であるという認識であろう。この考え方からすれば、就労能力の劣る障害者の雇用など愚劣の極みということになるに違いない。

 最後に、BI論が労働中心主義を排除することによって、無意識的に「“血”のナショナリズム」を増幅させる危険性を指摘しておきたい。給付の根拠を働くことや働こうとすることから切り離してしまったとき、残るのは日本人であるという「“血“の論理」しかないのではなかろうか。まさか、全世界のあらゆる人々に対し、日本に来ればいくらでも寛大にBIを給付しようというのではないであろう(そういう主張は論理的にはありうるが、政治的に実現可能性がないので論ずる必要はない)。もちろん、福祉給付はそもそもネーション共同体のメンバーシップを最終的な根拠としている以上、「“血“の論理」を完全に払拭することは不可能だ。しかし、日本人であるがゆえに働く気のない者にもBIを給付する一方で、日本で働いて税金を納めてきたのにBIの給付を、-BI論者の描く未来図においては他の社会保障制度はすべて廃止されているので、唯一の公的給付ということになるが-否定されるのであれば、それはあまりにも人間社会の公正さに反するのではなかろうか。

労働市場を無視した大学論は無意味@川端望

拙著に丁寧な書評をいただいたこともある東北大学の川端望さんが、いわゆる低レベル大学の存立根拠について、箇条書きながら丁寧に解説しているページがありました。

「ゼミ生討論用のノート」とのことですが、世の多くの人の討論用にこそとても有用だと思われます。以下は抜き書きですが、是非リンク先で全体を一覧いただきたい内容です。

https://plus.google.com/111914211653276243730/posts/BGg3nT86NBZ (大学の学力問題と労働市場)

・・・学力が低い大学が成り立つ理由は,需要側と供給側の双方にある。

・まず需要側。「とにかく大卒の肩書を手に入れないと不安」という親及び学生本人のニーズ。この不安は,高卒と大卒で生涯賃金の格差が依然としてある上に,高卒でつける安定した正社員の職が縮小していることに由来する。日本社会において「一定の専門的知識・能力」でなく「大卒の肩書」が求められる理由は後述する。

・次に供給側は二つに分かれる。一つは,「学生を獲得できれば良い」というオーナー。研究や学力水準は関係ない。授業料など学生納付金を得て経営の帳尻が合えばよいという傾向。もう一つは,「とにかく四年制大学を自分の傘下に持ちたい」というオーナー。こちらは採算を度外視し,学生が集まりそうもなくても大学を設立したり,甘い見通しの下で短大を四年制に衣替えしたりする。

・この両者の利害が一致したところで,教育内容よりも「とにかく大卒である」という人材を作り出す大学が成り立つ。こうした大学が,入学のハードルを異常に下げて学生を集めている。入学のハードルを異常に下げていることが,大学にふさわしい授業を不可能にすることは自明である。

Chuko さらに、こうした低レベル大学をチェックする仕組みが働かない理由を説明した上で、上の「後述」が語られます。ここは基本的に、拙著『若者と労働』等で述べているメンバーシップ型雇用システムに適応したという話です。

・低レベル均衡の根源は,就職活動時に「とにかく大卒である」ことの限界効用が高いという,大卒者の労働市場,とくに文系卒の労働市場にある。

・なぜ「大卒である」だけで価値があるか。それは,とくに企業が大卒者,とくに文系の卒業者を採用して企画・管理・事務系の正社員とする場合にはなはだしいが,企業が職務を指定せずに,学歴と,ばくぜんとした能力チェックで採用し,以後,企業内訓練をしながら職務に配置するというしくみをとっているからだ。そして,年に一度一括採用した上で,入社年度別に管理し,競争させる。

・社員にはもちろん能力や業績が求められる。しかし,それは職務を達成することではなく,長い目で見て会社に貢献することによって評価される。そのため評価基準は会社ごとにばらばらであり,あいまいになる。給与や昇格・昇進は年功的になり,競争は同期間競争という狭い範囲のものになる。転職できないことはないが,その際に自らの能力や業績を証明するのがたいへんである。

・つまり,企業は大学に,とくに文系については,学校ブランドと「会社の一員として働く能力」育成を求めているのであり,専門的な職務を遂行する能力育成を求めているわけではない。求められていないのだから,大学にも育成するインセンティブがない

ところがその前提が徐々に変わってきているために、話が複雑になります。

・「とにかく大卒である」ことにより正社員になって一定の生涯賃金を得るというコースは,まだ存在しているもののやせ細りつつある。大学生のうち,このコースに乗ることのできる割合は小さくなり,また乗ったところで不確実性が高まりつつある。

・だから,大学の定員割れが著しいことは,大学だけの問題ではない。「とにかく大卒である」卒業者を送り出す事業が,労働市場によって求められなくなりつつあることを示しているのだ。労働市場を無視した大学論は無意味だ

話がねじれてくるのは、この「とにかく大卒である」ことへの膨張された需要のおかげで、一定のアカデミック雇用機会が創出されていたという構図です。

・教員やその候補者たる大学院生,ポスドクは,できればそのような大学には就職したくない。しかし,大学院重点化で院生の数が激増したために教員労働市場は供給過剰であり,職を選ぶ余裕はないので,そのような大学にも応募は集まる。

ではこれからどうなるか?

職業教育重視の方向性についても、必ずしも薔薇色には描いていません。むしろやや懐疑的なスタンスを持ちつつ、ほかに道はないだろうというニュアンスを醸し出しています。

・裏返すと,文系を含めて,大卒者に特定の能力や知識を求める動きも,少しずつだが出てきている。この労働市場のニーズにこたえる大学が増えることにより,大学が,現在よりも有効に機能する可能性がある。つまり,大学において職業教育をより重視する方向によって,である。

・地域貢献型大学や専門職大学が,この可能性をひらくものになるかどうか,注視しなければならない。こうした動きは,労働市場の変化に対応して教育内容を変化させるという意味では「大学」の大学としての改革になり得る。しかし,入学のための学力基準を切り下げることをやめなければ,実質的に「大学」と呼びえない,新たな形の専門学校になるかもしれず,その専門学校としても機能しないのかもしれない。新しい需給が生まれて低レベル均衡が質のより高い均衡にとってかわられるのか,それとも新たな低レベル均衡に移行するだけなのか,それはまだわからない。

AIによる人事評価や被解雇者選定

Rougaku 来週末の10月15日、小樽商科大学で第134回日本労働法学会が開かれますが、

http://www.rougaku.jp/contents-taikai/134taikai.html

大シンポジウムの統一テーマは「雇用社会の変容と労働契約終了の法理」で、その当日レジュメが会員専用ページにアップされました。

司会:中窪 裕也(一橋大学)

司会・趣旨説明:野田 進(九州大学名誉教授)

報告:

(1) 野田 進(九州大学名誉教授)

「雇用社会の変容と労働契約終了の法理~~3つの視角」

(2) 山下 昇(九州大学) 

「雇用終了のルールの明確化とその紛争解決制度の課題」

(3) 龔 敏(久留米大学)

「労働者の適性評価と雇用終了法理」

(4) 柳澤 武(名城大学)

「雇用終了における人選基準法理」

(5) 所 浩代(福岡大学)

「雇用終了過程における説明・協議義務」

(6) 川口 美貴(関西大学)

「労働契約終了と合意」

解雇やその他の雇用終了というのは労働法のペットテーマで、これまでも何回も取り上げらて来ていますが、今回のレジュメをざっと見たら、AI(人工知能)による人事評価とか、それによる被解雇者の選定というようなトピックがいくつかのレジュメに出てきて、そうか、そっちの問題もあるのだなあ、と改めて認識しました。

2017年10月 6日 (金)

日仏労働シンポジウムのお知らせ

Aotslogo_90_2海外産業人材育成協会というところが、来る10月31日に、「働き方改革に向けて~フランスの労働法改正と日・仏の労使関係の相違~ 」という国際シンポジウムを開催するとのことです。

http://www.aots.jp/jp/project/eocp/171031/index.html

フランスでは2016年に労働法が改正され、現在も更なる改正に向けて議論が続いています。一連の改正は経営者側の要望を取り入れる形での改正となるため労働者側から反対意見が出ているものの、概ね合意に至り可決する見通しです。
日本では働き方改革として、労働者の多様な働き方を認めていこうとする動きが活発です。フランスでは今までは労働者の権利が他国と比べ守られてきていましたが、今回の労働法改正により労働者の権利を多少ながらも制限することとなり、日本とは逆の動きになっていると見ることも出来ます。
本シンポジウムでは今回のフランス労働法改正の概要およびフランスの労使関係・労働事情を知り、日本との違いを認識した上で、日本とフランス両国の動きから今後日本が進むべき道を探ります。その中でフランスへ進出を検討している企業が知っておくべき点についても事例を交えて紹介します。

10月31日の午後1時から、場所はベルサール神田。

【第1部】
13:00–15:00
1. 基調講演 『フランスの労働法改正と今後の労働事情の展望』 パリ第1大学 教授(労働法) Jean–Emmanuel Ray 氏
2. 講演 『フランスと日本の労働事情・労使関係の相違点』 独立行政法人労働政策研究・研修機構 労使関係部門 研究員 細川 良 氏

【第2部】
15:20–16:30
パネルディスカッション 『日仏の労働事情の相違点・今後の展望』
[ パネリスト ]
パリ第一大学 教授(労働法) Jean-Emmanuel Ray 氏
早稲田大学名誉教授 鈴木 宏昌 氏
TMI総合法律事務所 外国法事務弁護士(フランス法)・パリ弁護士会所属弁護士 Davy Le Doussal 氏
[モデレーター]
独立行政法人労働政策研究・研修機構 労使関係部門 研究員 細川 良 氏

2017年10月 4日 (水)

L型専門職大学としての法学部?

こんな記事がありまして、

https://this.kiji.is/287539174809027681(法曹養成5年コースを検討 学部と法科大学院一体で、文科省)

文部科学省は2日、大学の法学部と法科大学院の計5年で一体的なカリキュラムを組む法曹養成コースを創設する案を中教審の特別委員会で示した。現行制度で法学部進学者が司法試験の受験資格を得るには、学部を4年で卒業し、法科大学院既修者コース(2年)を修了する必要がある。文科省は「資格を得るまでに時間と学費がかかるのが法科大学院離れの一因」として、在学期間の1年短縮で志願者減少を食い止めたい考えだ。

 文科省案によると、新たなコースは、法学部3年、法科大学院2年で構成するが、大学院で学ぶ科目を学部で先取りできるなど柔軟なカリキュラム設定を可能とする。

文部科学省はまだ現時点ではこの案なるものをアップしていないので、詳細はよくわかりませんが、作りすぎたロースクールがばたばた潰れているのは誰の責任か?という関係者にとっての大問題はとりあえず置いておくと、これは興味深い提案です。

というのは、現行学校教育法では、

第八十七条 大学の修業年限は、四年とする。ただし、特別の専門事項を教授研究する学部及び前条の夜間において授業を行う学部については、その修業年限は、四年を超えるものとすることができる。

と、法学部だけ3年制とすることはできないからです。

いや、実は今年5月に成立した学校教育法改正により、その次にこういう規定が追加されているので、

第八十七条の二 専門職大学の課程は、これを前期二年の前期課程及び後期二年の後期課程又は前期三年の前期課程及び後期一年の後期課程(前条第一項ただし書の規定により修業年限を四年を超えるものとする学部にあつては、前期二年の前期課程及び後期二年以上の後期課程又は前期三年の前期課程及び後期一年以上の後期課程)に区分することができる。

 専門職大学の前期課程における教育は、第八十三条の二第一項に規定する目的のうち、専門性が求められる職業を担うための実践的かつ応用的な能力を育成することを実現するために行われるものとする。

 専門職大学の後期課程における教育は、前期課程における教育の基礎の上に、第八十三条の二第一項に規定する目的を実現するために行われるものとする。

 第一項の規定により前期課程及び後期課程に区分された専門職大学の課程においては、当該前期課程を修了しなければ、当該前期課程から当該後期課程に進学することができないものとする。

3年制の法学部というのは、専門職大学前期課程としては可能です。その後専門職大学院としての法科大学院に進学する、という構想であれば、筋道が通ることになります。

そういえば、この専門職大学に至る議論の中で、G型だのL型だのという言葉が飛び交ったことがありましたが、ロー・カレッジとロー・スクールの「L型」だったということかな?

もちろん、職業教育におかしな偏見を持っている人はともかく、法学教育というのは本来この規定は十分適合しているわけですが(現在の法学部の実態は別として)。

第八十三条の二 前条の大学のうち、深く専門の学芸を教授研究し、専門性が求められる職業を担うための実践的かつ応用的な能力を展開させることを目的とするものは、専門職大学とする。

 専門職大学は、文部科学大臣の定めるところにより、その専門性が求められる職業に就いている者、当該職業に関連する事業を行う者その他の関係者の協力を得て、教育課程を編成し、及び実施し、並びに教員の資質の向上を図るものとする。

少なくとも、大型二種免許を取るための法学部よりは、ずっとまっとうな職業教育機関のイメージではありましょう。

就活生による拙著書評

Chuko

拙著『若者と労働』に対して、大学4年の就活生の方がこういう書評を書かれていました。夏休みに読んだ30冊の中で、特にお奨めの3冊の一つということです。

http://timeleft-blog.hatenablog.com/entry/2017/10/04/001340

「は?なんで私が面接で落とされるの?能力の面で見れば他の就活生と比べて劣ってるわけでもないし、むしろ優れてるほうでしょ?なんで?は?これが人柄採用ってやつ?糞だね!!」と思っている方におススメの一冊。日本式就職活動の基盤となっているものが良く分かります。これを読んだからといって、内定獲得のテクニックを得ることは決してできません。しかしこの本は、就職活動でこれまで当たり前だと考え、問題にさえしなかったことを可視化させます。読者によっては多くの盲目的な就活生が持ってしまう既存の価値観を捨て去ることができるでしょう。私のように就活に失敗した人。特に、それにより自信を無くした人は是非一読してみてください。

まさに「これを読んだからといって、内定獲得のテクニックを得ることは決してでき」ない本ですが、ある構造が可視化されることは確かだと思います。

2017年10月 3日 (火)

『Lifist』02号にインタビュー「サラリーマンはどこから来て、どこへ行くのか」

Imageミニコミ誌『Lifist』02号に、インタビュー「サラリーマンはどこから来て、どこへ行くのか」が掲載されました。

https://www.lifist.net/

サラリーマンはどこから来て、どこへ行くのか/濱口桂一郎さん(労働研究者)

なお、Lifist編集室のfacebookに、このインタビューについての感想が載っています。

https://www.facebook.com/Lifist/

【日本の雇用と濱口桂一郎さん】

『Lifist』第2号では、日本の雇用問題について濱口桂一郎さんにインタビューしています。

日本では、「新卒一括採用」で企業に就職し、そのまま定年まで安定的に勤め上げるという雇用スタイルが長らく一般的でしたが、これは世界的にはとても珍しい雇用システムだそうです。しかし、その安定的なシステムが崩れてきて、サラリーマンはつらくなってくる…、さあどうしたらよいのでしょう??というのがインタビューの趣旨でした。

しかし、お話をしていて理解したのは、問題になっている一部の事象を取り上げて「こうすればいい」とか「これはいけない」と短絡的に判断するものではない、ということでした。

例えば、長時間労働や非正規化は問題ですが、その背景にある事象を含めて見ていかなくてはならない。単純にそれは悪だと断裁するだけでは、その本質が見えないし問題は解決しないのです。

社会は、長い目で広い視野を持って見ないとわからないことがあまりにも多い。

濱口さんは、労働に全く詳しくない私のとんちんかんな質問にも、諦めることなく直球ストレートで答えてくださいました。

雇用問題は人の人生を大きく左右することが多いので、世論も感情的になったり偏ったりしがちですが、濱口さんは「感情論で議論はしたくない」というスタンスです。

議論をするなら本質に迫って、現実の労働社会を少しでもよく変えていきたい、という思いがあるように思います。

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雇用システムと賃金制度:日本と韓国@WEB労政時報

WEB労政時報に「雇用システムと賃金制度:日本と韓国」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=695

去る9月15日、労働政策研究・研修機構(JILPT)と韓国労働研究院(KLI)は、毎年開かれている「日韓ワークショップ」の第17回の会合をソウルで開きました。テーマは「日韓における賃金体系の現況と再編の在り方」で、私は報告者ではなく、コメンテーターとして参加しました(日本側の報告者は、西村純研究員と荻野登副所長)。今回は、その時私が述べたコメントをもとに、日本と韓国の雇用システムと賃金制度の異同について考えてみたいと思います。

さて私も含めて、日本の雇用システムを論じる場合には欧米諸国と対比して議論することが多く、アジア諸国はあまり視野に入ってきません。ただ、私が10年以上前に政策研究大学院大学でアジア諸国からの留学生に講義した時の経験からすると、少なくとも東南アジアや南アジアの労働社会は極めて欧米型であり、日本的雇用システムに対して一様に違和感を口にしていました。改革開放以後の中国社会も、ある面では欧米以上に市場主義的な社会となり、かつての社会主義的「鉄椀飯」は影を潜めたようです。そういう中で、諸文献がかなり一致して日本型雇用システムとの類似性を指摘してきたのが韓国です。1980年代以降、雇用に関して日韓を比較した文献が多く出されてきましたが、そこでは、終身雇用制、年功賃金制、企業別組合といった日本の特徴とされることが韓国企業にも見られると書かれています。 ・・・・

2017年10月 2日 (月)

神野・井手・連合総研編『「分かち合い」社会の構想』

309276なんというタイミングか、神野直彦・井手英策・連合総研編『「分かち合い」社会の構想』(岩波書店)をお送りいただきました。

https://www.iwanami.co.jp/book/b309276.html

ポピュリズムや排外主義が世界を覆うなか,人と人の絆は分断され,富の奪い合いが進む.他者の痛みを分かち合い,お互いが支え合える社会はどうすれば可能か.労働と生活を研究するシンクタンクと気鋭の学者らが討議を重ね,労働,環境,生活保障,教育,地域,政治,財政の視点から,人間らしい社会への道筋を具体的に構想する.

10年前に、連合総研が20周年記念でまとめた『福祉ガバナンス宣言』には、私も1章参加しましたが、それから10年、先行きはますます見えにくくなっているようです。世界的にも、ここ日本でも。

本書については、一足先に労務屋さんがこんな感想を漏らされていますが、

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20171001#p1

ざっと斜め読みした限りではあるのですが、読み進むほどに連合が希望の党を支援するのが不可解というか意味不明というか…むしろ自民党のほうが政策的に近いのではないかとか…(いや全世代型社会保障とか。。。)なにかと複雑というか単純というか、タイミング的にあれこれ思うところのある本ではあります、はい。

もちろん、政治というのはさまざまな側面があるわけですが、労働組合という立場から、連帯とか共助とか分かち合いとか、まあそういう「ソーシャル」な政策を追求しようとしているはずなのに、なぜかやたらに労働組合を敵視して叩こうとしたがる政治勢力を一生懸命応援している感が半端ないのが何とも不思議なところではありますね。

各論については、第1章の禿さんの論文が、「自己決定」という両義的で、とりわけ労働分野において下手に扱うと危険な用語を、やや西谷理論を素直に受け入れすぎているという感想を持ちました。ここは人によっていろいろな意見のあるところでしょうが、自己決定って、だから余計な規制なんかなくして自由にやらせろという議論を極めて安易に引っ張り込む議論であることを、も少し意識した方が良いと思います。「規制が支える自己決定」なんていうアクロバティックな台詞が言えるのは西谷さんくらいだと思った方が良い。

禿さんのいいたいむやみに配転されない権利、むやみに残業させられないノンエリート労働者の権利は、高度でプロフェッショナルな人の「自己決定」権とは違う言葉で語った方が、少なくとも足を掬われないはずです。ほんの十年前には、規制改革会議が、仕事と育児の両立のためにホワイトカラーエグゼンプションをと言っていたのですから。

世間の人々は、こっちの頭の中にある特定の文脈に従ってものごとを考えてくれ、喋ってくれ、行動してくれるわけではない、のです。

他の論文についてはまた改めて。

はじめに……………中城吉郎

序 章 「分断」と「奪い合い」を越えて――どんな社会を目指すのか……………神野直彦
第一章 雇用・労働における「自己決定」の確立……………禿あや美
第二章 環境保全型社会と福祉社会の統合……………伊藤康 
第三章 リスク社会における新たな生活保障――ライフステージの変化を基軸に……………松本淳
第四章 誰もが質の高い教育をひとしく受けられる社会……………広田照幸
第五章 自律と支え合いによる農村の再生――都市と農村の二項対立を越えて……………坂本誠
第六章 〈私たち〉による社会へ――参加型民主主義の構築のために……………田村哲樹
第七章 「奪い合い」から「分かち合い」の財政へ……………井手英策
終 章 「分かち合い」社会の可能性……………井手英策

2017年10月 1日 (日)

新たな就業形態への雇用契約書面指令の拡大第2次協議

去る9月25日、欧州委員会は労使団体に対し、雇用契約書面指令に関する第2次協議を行いました。

http://ec.europa.eu/social/main.jsp?langId=en&catId=89&newsId=2869&furtherNews=yes

The Commission wants to broaden the scope of the current Directive on employment contracts (the so-called Written Statement Directive), extending it to new forms of employment, such as on-demand workers, voucher-based workers and platform workers, so that no one is left behind. The current rules should also be modernised, taking account of developments on the labour market in the past decades

.

欧州委員会は、現行の雇用契約に関する指令(いわゆる書面通知指令)の適用範囲を、オンデマンド労働者、バウチャーベースの労働者、プラットフォーム労働者のような、新たな就業形態に拡大し、誰も取り残されないようにすることを求めている。現在のルールは、過去数十年間の労働市場の展開を考慮に入れて現代化されるべきである。

というわけで、パート、有期、派遣といった伝統的な非典型雇用のさらに外側にある、極めて非典型な就業形態の労働者にも、最低限の-書面で労働条件を通知させるという程度のものですが-労働者保護を適用しようという方向に、また一歩近づきました。

協議文書自体はこれですが、

http://ec.europa.eu/social/BlobServlet?docId=18309&langId=en

これには200ページ近い膨大な分析文書が付いています。

http://ec.europa.eu/social/BlobServlet?docId=18313&langId=en

なお、第1次協議については、今年6月、『労基旬報』に短い解説を書いていますので、参考までに。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/post-b4e2.html (EUの新たな労働法政策-多様な就業形態への対応)

最近ようやく日本でも、雇用類似の働き方に対する関心が高まってきつつありますが、伝統的な労働者保護をなかなか及ぼしにくい人々であるからこそ、まずはこういう地味なところからじわじわと攻めていくことが重要なのでしょう。

「リベラル」関係エントリ大公開

フランス人としてごく普通に育った女性が、日本人マンガ家と結婚したために、アメリカ方言と日本独特のニュアンスに満ちた言語に違和感を感じるのは、あまりにも当たり前なのですが、あまりにも日本独自の言語空間にどっぷりつかったまるどめな人々には理解できないようです。

https://twitter.com/karyn_poupee/status/914071602450522112

Mm9he_9_400x400 海外では「リベラル」と言ったら「右側」という意味ですが、日本では「左側」ですね。例えば、仏大統領マクロン氏は「超リベラル派」と言ったら「大企業と富裕層を重視する」という意味です。こんな批判は左側から来る。

だから日本政治についての記事を書く時に説明しないと海外で誤解が生じる。

と、偉そうなことをいっている私だって、20年前にヨーロッパに勤務して向こうの言語空間を浴びていなかったら、多分多くのまるどめ諸氏と変わらなかったはず。

逆に、いったんこの言語空間の異様さに気がつくと、その原因を探りたくなるのは必定。

というわけで、せっかくなので本ブログにおける過去10年以上にわたる「リベラル」関係のエントリを大公開します。マスコミを占領している特殊日本的「リベラル」なる言葉の異様さを、少しでも感じるよすがになれば幸いです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_a90b.html (リベじゃないサヨクの戦後思想観)

リベじゃないサヨクの戦後思想観要は、戦前の開発独裁(という評価は些かどうかと思いますが、それはともかく)を否定すべく、日本はもっと市民社会にならなくちゃいけない、もっと個人の自由を、という「近代の不足」を基調とする戦後思想の中で、多くの戦後知識人が自由主義の本格的批判を経験せず、素通りしてきた。近代的自由の本格的規制の問題に知識人の関心が向かわなかった。自由というと、国家からの自由と市民的自立という側面でのみとらえられ、自由主義の持つ野蛮な市場至上主義や非民主的性格に関心が向かわなかった、とまずは戦後リベラル知識人たちを批判します。

そして、福祉国家問題に対してもきちんと格闘せず、市民法と社会法の区別云々というのも法律学の世界でしか問題とならず、いわば敵対的無関心が支配的であったというんですね。これはまったくそうですね。実は、日本の政党の中で社会のあるべき姿として福祉国家を唱え続けてきたのは今はなき民社党だったのですが、サヨク的なリベラル知識人は、これを大変いかがわしいものでも見るように見ていたのです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_5af3.html (リベラルサヨクは福祉国家がお嫌い)

こういう左がリベラルで右がソーシャルという奇妙な逆転現象の背景に、当時の憲法改正をめぐる動向があったようです。当時の憲法調査会報告は「憲法第3章を眺めると、それは18世紀的な自由国家の原理に傾きすぎており、時代遅れである」「20世紀的な社会連帯の観念、社会国家の原理にそれを切り替える必要があり、基本的人権の原理については、現代福祉国家の動向に即応すべきである」と強調していました。サヨクの皆さんにとって、福祉国家とは国民主権の制限の口実に過ぎず、ただの反動的意図にすぎなかったのでしょう。

かくのごとく、日本のサヨク知識人はリベラルなことノージックよりも高く、アンチ・ソーシャルなことハイエクよりも深し、という奇妙奇天烈な存在になっていたようです。そうすると、福祉国家なんぞを主張するのは悪質なウヨクということになりますね。これを前提にして初めて理解できる発言が、「構造改革ってなあに?」のコメント欄にあります。田中氏のところから跳んできた匿名イナゴさんの一種ですが、珍しく真摯な姿勢で書き込みをされていた方ですので、妙に記憶に残っているのです。

>稲葉さんの偉さは、一左翼であることがリフレ派であることと矛盾しないことを左翼として始めて示した点だと思う。それまでの左翼は、ある意味ネオリベ以上の構造派で、つまりはアンチ・リフレであったわけだから。それに対して、稲葉さんはそれが「ヘタレ」にすぎないことを左翼として始めて断言したわけで、これは実はとても勇気のあるすごいことだと思う。

投稿 一観客改め一イナゴ | 2006/09/20 14:46:18

普通の人がこれを読んだら頭を抱えてしまうでしょう。特にヨーロッパ人が見たら、「サヨクは市場原理主義者であるはずなのに。稲葉氏はめずらしくソーシャルだ、偉い」といってるようなもので、精神錯乱としか思えないはず。でも、上のような顛倒現象を頭に置いて読めば、このイナゴさんは日本のサヨク知識人の正当な思考方式に則っているだけだということがわかります。

しかし、いい加減にこういう顛倒現象から抜け出さないといけませんね。その点(だけ)はわたしはゴリゴリサヨクの後藤氏と意見を同じくします。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_c7ac.html (リベラルとソーシャル)

しかし、少なくとも欧州的文脈でいえば、リベラルとソーシャルという対立軸は極めて明確。それが日本でぐちゃぐちゃになりかけているのは、ひとえにアメリカの(本来ならば「ソーシャル」と名乗るべき)労働者保護や福祉志向の連中が自らを「リベラル」と名乗ったため。それで本来「リベラル」と名乗るべき連中が「リバタリアン」などと異星人じみた名称になって話がこんがらがっただけ。そこのところをしっかり見据えておけば、悩む必要はない。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2af2.html (赤木智弘氏の新著その2~リベサヨからソーシャルへ)

問題は、赤木さんの辞書に「ザ・ソーシャル」という言葉がないこと。そのため、「左派」という概念がずるずると彼の思考の足を引っ張り続けるのです。

彼の主張は、思われている以上にまっとうです。「俺たち貧乏人にカネをよこせ、まともな仕事をよこせ」と言ってるわけですから。そして、戦争になればその可能性が高まるというのも、日中戦争期の日本の労働者たちの経験からしてまさに正しい。それこそ正しい意味での「ソーシャリズム」でしょう。

ところが、「左派」という歪んだ認識枠組みが、自分のまっとうな主張をまっとうな主張であると認識することを妨げてしまっているようで、わざとねじけた主張であるかのような偽悪的な演技をする方向に突き進んでしまいます。

自分が捨てたリベサヨ的なものと自分を救うはずのソーシャルなものをごっちゃにして、富裕層がどんな儲けても構わないから、安定労働者層を引きずり下ろしたいと口走るわけです。安定労働者層を地獄に引きずり下ろしたからといって、ネオリベ博士が赤木君を引き上げてくれるわけではないのですがね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-a130.html (特殊日本的リベサヨの系譜)

あえてわたくしの関心に引き付けすぎた物言いをしてしまえば、イギリス流の「シビル・ソサエティ」でもなければドイツ流の「ビュルガーリッヒ・ゲゼルシャフト」でもない(にもかかわらず、それらそのものだと信じ込んで拵えあげた)、はっきり言えば戦時中の「暗い谷間の時代」に日本のインテリゲンチャが勝手に脳内で膨らませた妄想に過ぎない「しみんしゃかい論」という代物の、そして戦後高度成長期になっても依然としてそれを膨らませ続けたその脳内妄想ぶりをこれでもかこれでもかといじめ抜くように露呈せしめている本です。

高島善哉、内田義彦、平田清明といった、著者にとっては師匠筋に当たる人々の脳内妄想ぶりをここまであからさまに書くというのは、わたしにはよく分かりませんがなかなかすごいことなのではなかろうかと想像されます。

まあ、わたくしにとっては、ここで露呈されている脳内妄想の系譜こそが、まさに本ブログで何回か述べてきている「リベラルサヨク」な発想の一つの源流ではないかと思われ、そういう関心もあって買って読んでみたわけですが。

(最近、ついった上でわたくしの名前とともに「リベサヨ」なる言葉が散見され、いささか違うのではないかと思われる解釈がされいるやに見受けられることもあることから、念のため付言しておきます)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-6bcb.html (リベサヨって、リベラル左派の略だったの?)

自分で揶揄的にでっち上げた言葉のはずですが、いつのまにか流通するうちに意味のシフトが起こっていたそうです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-31a0.html (リベサヨのちょうど正反対)

ソーシャルが欠如してしまうまでに定向進化してしまった特殊日本的リベサヨのちょうど正反対の地点に、そのリベサヨ的感覚を憎むあまり、もともと何の関心すらなかったソーシャルな問題意識をぎりぎりまで追求してしまうネトウヨな人々が発生するという、このアイロニーは、しかし、西欧人には全く理解を絶する現象でしょう。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-787c.html (自民党は今でもリベラルと名乗っている唯一の政党である件について)

「左翼=リベラルというイメージがしっかり張り付い」たまま、「リベ=サヨ」を目の敵にするいわゆるネトウヨの諸氏は、やはり一度、自由民主党の英語名を復誦してみるところから始めた方がいいのかもしれません。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-0183.html (EUとイギリスとリベラルとソーシャルと)

かつて、創設当時のEECは名前の通り市場統合のみを目指す経済共同体であり、その頃は保守党がEECに入りたがって、労働党はイギリス流の福祉国家に悪影響があるのではないかと疑って批判的でした。ソーシャルなイギリスとリベラルなヨーロッパという構図。

ところがサッチャー政権下で労働運動が徹底的に叩かれ、福祉が大幅に切り下げられるようになると、イギリスの左派はEC,EUを頼るようになります。逆に、保守党からすると、EC、EUがやたらにソーシャルな政策を押しつけてくるのが気にくわない。リベラルなイギリスとソーシャルなヨーロッパの時代。イギリス保守党の反EUは、これを受け継いでいる。今でもキャメロン首相は、EUの社会条項からの脱退を訴えていたりする。

ところが経済危機以降のEUは、むしろギリシャをはじめとする加盟国に緊縮を押しつけてくるリベラルの側面が強くなり、、欧州全体として反EU感情が高まってきている。今回の労働党の党首選もそれの現れで、リベラルなEUに対する左派の反発といえます。

複雑なのは、ソーシャルなヨーロッパに反発する保守党とリベラルなヨーロッパに反発する労働党の異なる反EU政策が国内政治的に同期化している点で、それぞれの党内の「そうはいっても」というリアリズムとのせめぎ合いが興味深いところです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-cef9.html (バズらせる力)

ジョブ型、メンバーシップ型はともかく、「リベサヨ」については、私が使い出したときに意図していた意味(西欧的な「リベラルな右派 対 ソーシャルな左派」という世界共通の対立図式を当然の前提としつつ、肝心要の「ソーシャル」が希薄になった、というより欠如した左派、自らをリベラルと自称したがる奇妙な「左派」な人々を、揶揄する趣旨)とはまるで全然違う意味の言葉(リベラルすなわち左派というアメリカ特有の用語法に基づく単なる左翼に対する悪口としての重畳語)として世間では「バズ」ってしまっているのですから、「バズらせる」能力はゼロどころかマイナスというべきではないでしょうかね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-8198.html (リベラルは経済右派に決まってる(アメリカ方言を除く))

いや、アメリカ方言という特殊な言語を除けば、それこそまさに「リベラル」の本質でしょう。

ヨーロッパの労働関係の本を見れば、「リベラル」ってのは市場原理、自由放任、構造改革、規制緩和等々を掲げる思想の謂いなのであって、その反対は「ソーシャル」。

労働法の教科書で「リベラル」な法学者の代表はたとえばエプスタイン。それが常識。

アメリカ方言では「ソーシャル」を「リベラル」と呼び、本来の「リベラル」を「ネオリベラル」とか「リバタリアン」と呼んでいるのに引きずられると、訳が分からなくなる。

世界中で、手を使ってはいけないのを「フットボール」と呼んでいるのに、アメリカ方言ではわざわざ手を使っていいゲームを「(アメリカン)フットボール」と呼んでいるようなものですが、だったらちゃんと分かるように、「アメリカンリベラル」と言って欲しい。

アメリカ以外では、上の言葉はすべて意味不明。「リベラル」を「ソーシャル」に入れ替えて初めて意味が通る。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-3292.html (リベサヨとソーシャルのねじれにねじれた関係)

いやいやいやいや、鳥越氏が「オールド左翼」だって?

こういうリベラルだけは全開だけど、ソーシャルはいかにもとってつけたような表層的ジャーナリストを「オールド左翼」と呼んでしまうくらい、日本の政治思想地図というのはねじれきってしまっているわけですね。

そういうねじれの原因は、つまりヨーロッパのように素直に右派リベラル対左派ソーシャルという対立図式にならない理由は、わたしはずっとアメリカ方言の「リベラル」が諸悪の根源だと(やや単純化して)言ってきたわけですけど、そのアメリカで、自らをデモクラティックなソーシャリストだと公然と標榜するサンダース氏が大統領候補としてあれだけ善戦したことを考えれば、有力政治家の誰一人としてソーシャルを掲げない日本はあまりにも特殊ですね。

少なくとも、サンダース氏の言っていることは、リベサヨがはびこり出す以前の「オールド左翼」に近いはずなので、上の引用文のねじれっぷりは気が遠くなるような思いがします。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-1fcd.html (保守とリベラルというアメリカ方言でものを考えるのはもうやめよう)

いやだから、何よりかにより、近代社会の基本構造では、保守の反対語は革新、進歩主義であり、リベラルの反対語はソーシャルなのだから、こういう本来対にならないのを対にして「もうやめよう」とかいうのもそろそろもうやめたいところなんですけど。

つうかさ、だいたいリベラル・デモクラティック・パーティ(自由民主党)から分裂してできたいろんな政党の一つのなれの果てが「自由党」(リベラル・パーティ)と名乗り(いわゆる自自公政権)、それがさらに分裂して「保守党」(コンサバティブ・パーティ)になった(いわゆる自公保政権)んだから、20世紀末の日本でも、ほぼ「保守」≑「リベラル」だったはずなんですけどね。

(追記)

というわけで、「バズらせる力」どころか、本来意図したのとまったく違う意味合いで言葉を勝手に流通されてしまった非力な悲しき私に対して、

https://twitter.com/omotesando24ji/status/914481884763062272

後藤和智は俗流サヨク批判に怒ってる暇あるなら、twitter界隈へのリベサヨ概念輸出元先の濱口桂一郎先生を討伐すべきだろう。hamachan先生は手強い相手だけど、twitter界隈でスライム狩っててもレベル上がらないでしょ?

と、討伐せよとまで慫慂されてしまいましたがな。

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