子ども保険と老齢年金保険はどっちがより社会保険的か?
ソウルに行っている間に毎日新聞に載った記事が目にとまりました。社会保障を真面目に考えている学者である宮本太郎さんが、同じく社会保障を真面目に考えている数少ない学者である権丈善一さんと同様、子ども保険構想に一定の理解を示しています。
https://mainichi.jp/articles/20170916/ddm/008/070/050000c (「こども保険」の可能性=中央大教授・宮本太郎)
生まれてくる子どもの数が年に100万人を切り、需要減を見越して保育サービス拡充に本腰が入らず子どもを育てる困難がさらに増す。こんな悪循環が進む中で、「こども保険」をめぐる議論が始まっている。子育て支援に社会保険をという考え方には反発もあるが、私はこども保険という考え方は「あり」だと思う。
こども保険に反発する人は、社会保険は病気や失業など望まずして起こる社会的リスクに対処するものと強調する。出産と育児は、子どもが欲しい人が望んですることで、しかも老後には子どもに扶養されうる。そのような他人の便益に、なぜ皆が保険料を負担するのかというわけだ。・・・
この想定批判に対して宮本さんはこう温厚に論じるのですが、
だが、いまや子どもを持つことは一つの「リスク」だ。教育費などの実費コスト、母親が仕事を辞めて生涯賃金が減る機会コストを合わせると2億円を超える。それでいて生まれてくる子どもは、自分の親だけでなく、膨れあがる高齢世代全体を支えねばならない。・・・
たしかにそうなのですが、そもそも「社会保険は病気や失業など望まずして起こる社会的リスクに対処するものと強調する」人々があえて見えないふりをしていることがあります。
それは、法制度を作ったときには確かに間違いなく老齢による貧窮のリスクに対して社会的に対処するための社会保険制度であったはずの、そして法制度の基本構造は現在でもまったくそのまま社会「保険」であるはずの老齢年金制度が、しかしながら、現実の圧倒的多数の人々、とりわけ年金を受給している高齢者たちからは、保険どころか、若い頃に積み立てた貯金を返してもらっていると認識されてしまっているという事実です。
この問題については、本ブログでも何回か取り上げてきましたが、
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-f716.html (年金世代の大いなる勘違い)
・・・公的年金とは今現在の現役世代が稼いだ金を国家権力を通じて高齢世代に再分配しているのだということがちゃんと分かっていれば、年金をもらっている側がそういう発想になることはあり得ないはずだと、普通思うわけです。
でも、年金世代はそう思っていないんです。この金は、俺たちが若い頃に預けた金じゃ、預けた金を返してもらっとるんじゃから、現役世代に感謝するいわれなんぞないわい、と、まあ、そういう風に思っているんです。
自分が今受け取っている年金を社会保障だと思っていないんです。
まるで民間銀行に預けた金を受け取っているかのように思っているんです。
だから、年金生活しながら、平然と「小さな政府」万歳とか言っていられるんでしょう。
自分の生計がもっぱら「大きな政府」のおかげで成り立っているなんて、これっぽっちも思っていないので、「近ごろの若い連中」にお金を渡すような「大きな政府」は無駄じゃ無駄じゃ、と思うわけですね。・・・
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-7e36.html (「ワシの年金」バカが福祉を殺す)
・・・いや、駒崎さんをクローニー呼ばわりする下司下郎は、まさに税金を原資にするしかない福祉を目の敵にしているわけですが、そういうのをおいといて、マスコミや政治家といった「世間」感覚の人々の場合、福祉といえばまずなにより年金という素朴な感覚と、しかし年金の金はワシが若い頃払った金じゃという私保険感覚が、(本来矛盾するはずなのに)頭の中でべたりとくっついて、増税は我々の福祉のためという北欧諸国ではごく当たり前の感覚が広まるのを阻害しているように思われます。・・・
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-d4d3.html (「ワシの年金」バカの脳内積立妄想)
・・・ニッポンという大家族で、子どもと孫の世代が一生懸命耕して田植えして稲刈りして積み上げたお米を、もう引退したじいさまとばあさまも食べて生きているという状況下で、その現役世代の食えるお米が少なくなったときに、さて、じいさまとばあさまの食う米を同じように減らすべきか、断固として減らしてはならないか。
多分、子どもや孫が腹を減らしてもじいさまとばあさまの食う米を減らしてはならないと主張する人は、その米が何十年もむかしにそのじさまとばあさまが現役で田んぼに出て働いていた頃に、自分で刈り取ったお米が倉の中に何十年も積み上げられていて、それを今ワシらが食っているんじゃ、と思っているのでしょう。
いろいろ思うに、ここ10年、いや20年近くにわたる年金をめぐるわけの分からない議論の漂流の源泉は、そもそも現実の年金が仕送りになっているということを忘れた「ワシの年金」バカの脳内積立妄想に在るのではないか、というのが私の見立てです。・・・
制度上はほかならぬ社会「保険」であるはずのものが、ここまで保険じゃなく貯金だと思われてしまっているこの日本において、今更のごとく(さりげなく年金を隠して)「社会保険は病気や失業など望まずして起こる社会的リスクに対処するものと強調する」人々の偽善性は指摘するに足ると思われます。
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仰るように、年金を(かつて)自分でためた貯金の払い戻しだと思っている高齢者も多いと思います。しかし若い人でも”我々の世代は支払った額よりずっと少ない額の年金しかもらえない”と言っている人も多いですし、”年金の支払総額と受取総額の年代別比較”という記事を週刊誌が掲載したこともあるので、年金制度を国による強制天引き貯金だと思っている人は高齢者だけではないと思います。
なまじ保険料を徴収するから誤解されるので、少なくとも(お金持ちの人もそうでない人も保険料と支給額が同じ)基礎年金は(消費税を増税してでも)全額税金で負担すべきだと思います。消費税は逆進性があるという人もいますが、所得に関係なく同じ額を払う年金保険料のほうがもっと逆進性があると思います。
投稿: Alberich | 2017年9月24日 (日) 19時06分