八代尚宏『働き方改革の経済学』
八代尚宏さんより近著『働き方改革の経済学』(日本評論社)をお送りいただきました。いつもありがとうございます。
https://www.nippyo.co.jp/shop/book/7539.html
八代さんの今までの本と同様、日本型雇用システムを過度に前提とした法制度や政策の見直しを主張するもので、タイトルは今風ですが、中身はまったくぶれはありません。
そして、とかく一知半解の諸氏によく見られる、日本は世界で一番解雇法制が厳しい国だとかいうたぐいの、雇用システムと法制度との相互作用関係を見落とした議論ではなく、まさにわたくしの議論とよく響き合うような理論展開を、各章ごとに見事に示している点も、私が本ブログで紹介するたびに高く評価してきた点でもあります。
たとえば、第2章の解雇の金銭解決を取り上げた章でも、この目次を見ればわかるように、
第2章 解雇の金銭解決ルールはなぜ必要か
1.日本の雇用契約の特殊性
2.日本の雇用規制の現状
3.解雇の紛争解決の手段
4.解雇無効時の取り扱い
5.解雇の金銭補償ルールをめぐる政治的対立
まずは「日本の雇用契約の特殊性」からきちんと論じていきます。ここを抜きにして日本は解雇できない云々というのはナンセンスであるということを、ちゃんとわかって論じているのかそうでないのかで、論者のレベルを測ることができます。八代さんはちゃんとこう論じた上で、法制のあり方を論じています。
・・・すでにみたように日本の大企業では、雇用保障の代償として広範な人事権を前提とした業務命令が労働者に受け入れられている。この無限定な働き方は裁判上も尊重されており、家族の事情等から頻繁な配置転換や転勤命令に従えない社員の解雇が裁判所で有効と判断される事例もある。これは同時に企業の広範な人事権に従ってさえいれば、懲戒事由に相当する場合以外で、単なる「仕事能力の不足」程度で解雇することは、社会的に妥当ではないという裁判官の判断とも整合的である。・・・
その意味で、表層だけ見て八代さんは自分と同じ意見だと思っている一知半解諸氏と八代さん自身との距離は大きいものがあります。
さらに、第3章の同一労働同一賃金を取り上げた章を読んでいくと、官邸主導のガイドラインに対して大変厳しい批判の矢を向けていて、その論調はほとんど遠藤公嗣さんや木下武男さんと極めて近いものがあることがわかるはずです。
第3章 竜頭蛇尾の同一労働同一賃金改革
1.年功賃金を維持したままでの「同一賃金」は論理矛盾
2.働き方改革ガイドライン
3.同一労働同一賃金は賃下げを意味するか
4.同一賃金実現のために必要な法改正
5.労働契約法の2018年問題
これはかつて本ブログで取り上げたことがありますが、賃金制度論に関していえば、メンバーシップ型の正社員型年功賃金制に対する批判の厳しさという点で、うかつな人々がつい政治的コンパスで両極に置きがちな八代さんと遠藤さんらが、その主張はほとんど同型的であるということを、せめてマスコミで労働問題を報じるような立場にある人はきちんとわきまえておく必要があると思われます。
この両者の共通性は、世間の同一労働同一賃金論が、正社員の賃金引下げには曖昧ないし否定的な姿勢であるのに対し、正面から正社員の賃下げを提起する点にもあります。たとえば八代さんは、
・・・第3に、正社員の賃金が家族の生計費とともに引き上げられる生活給が「人間らしい働き方」という論理がある。これについては、職務給が大部分の欧米の労働者は非人間的な働き方かという反論がありうる。年功賃金は企業の恩恵ではなく、途中で退職すると不利になることで労働者を企業内に閉じ込める手段であるとともに、欧米にはない人事権の裁量性の高さの代償でもある。・・・
と語りますが、一方遠藤さんは前に紹介した『労働情報』への寄稿で、
・・・ 「同一価値労働同一賃金をめざす職務評価」によって賃金額を決めると、大企業の正規労働者の賃金額は現在より低くなる可能性がある。現在の賃金額は職務基準で決まっていないからである。この点で、・・・属人基準の賃金が低くなるべきでないかのように述べる(II(957号)の禿発言)のは、理論的に失当だと思う。そうではなくて、大企業の正規労働者の賃金額が低くなる可能性は、利点(1)と(4)で代償される、トレードオフされると考えるのが正当である。正規労働者の賃金額が低くなるとの懸念は、暗黙の内に、男性稼ぎ主型家族を前提とした男性稼ぎ主の懸念である。だから(1)と(4)は利点にみえない。しかし、共働き家族や母子家族や単身などを含む多様な家族構造を前提とすると、(1)と(4)は大きな利点である。労働者側には、社会全体を視野に入れる「費用便益計算」が求められている。
と、かなり明確に社会全体の利益のために正社員の賃下げを唱道しています。このあたり、労働問題をスローガンレベルでしか見ていない人にはなかなか見えにくいのでしょう。
その他、第4章の物理的労働時間規制の必要性、第5章の年齢差別禁止という観点を貫く高齢者雇用論、さらに日本型雇用システムが女性活躍を縛っているという認識の第6章など、八代さんの議論は常に言葉の真の意味でラディカルであり、しかもそれを支える事実認識はかなり的確です。
第4章 残業依存の働き方の改革
1.日本の長時間労働の現状と問題点
2.労働時間規制の問題点
3.時間に囚われない働き方へ
4.テレワークの活用
5.労働法違反への監督体制強化を
第5章 年齢差別としての定年退職制度
1.高齢者就業の現状
2.定年退職制度はなぜ必要か
3.付け焼刃の高年齢者雇用安全法
4.定年退職再雇用者の賃金格差問題
5.年齢差別をどう克服するか
第6章 女性の活用はなぜ進まないか
1.女性就業の現状
2.夫婦共働きという働き方を基本に
3.男女間賃金格差の現状と要因
4.女性が働くと損になる仕組みの改革
5.ワーク・ライフ・バランスと矛盾する日本の雇用慣行
本書で興味深かったのは、最後の第7章です。これは20年近く前の『人事部はもういらない』を書き直したものとのことですが、問題の本質を鋭くえぐる筆致はますます冴え渡っています。
第7章 人事制度改革の方向
1.日本の人事部の特徴
2.政府の働き方改革への対応
3.人事評価の3点セット
4.女性の管理職比率引上げの意味
5.市場原則で決める管理職ポスト
6.人事部は人材サービス事業部へ
たとえば、
・・・日本の大企業では、人事部は強大な権限を持っている。・・・
・・・この人事部の権限の大きさは、日本の雇用契約のあり方が、特定の職務に縛られない「配置の柔構造」(熊沢1977)に基づいているためである。・・・日本企業では、個人の職務範囲が弾力的で、いわば軟体動物のように柔軟に変化する。・・・
濱口(2009)では、こうした特定の職務を単位として働くことを明確に定めた雇用契約のもとで、その範囲内の業務について労働者は一定の労働の義務を負う反面、使用者は働かせる権利を持つ、いわば機械の部品のような働き方が「ジョブ型」と定義される。他方で、こうした職務概念が特定されず、具体的にどのような業務に従事するかは使用者の命令次第で決められる融通無碍な仕組みを「メンバーシップ型」と定式化した。日本的雇用慣行の三本柱といわれる、長期雇用・年功賃金・企業別組合は。実はこの軟体動物型の働き方を支える道具に過ぎない。・・・
と、熊沢誠さんの著著まで引用しつつ、「軟体動物」という独自の比喩まで飛び出してきます。
« 「無期雇用派遣」と働き方のこれから | トップページ | 「労働契約法9条『合意』の出所」@『労基旬報』2017年9月25日号 »
コメント
« 「無期雇用派遣」と働き方のこれから | トップページ | 「労働契約法9条『合意』の出所」@『労基旬報』2017年9月25日号 »
ジョブ型に関連する雑談です〜昨晩、某有名外資系ファームに昨年来勤めていらっしゃる人事部長と久しぶりに一杯したのですが…。
彼曰く、今勤めている会社は知名度も高く規模も大きな外見ではバリバリのグローバル企業であるにも関わらず、内部の実態は働く人の意識やスキルレベルも人材の多様性のなさも業務システムのも、何もかも全てが(インターネット前史の如く)時代から浮いておりバリバリの「内資系」だったことに驚きを禁じ得ないとのこと。もっとも、一応外資系なりにポジション別のジョブ型なのですが、これまでの寛大なマネジメントもあってか人材が同じポジションに滞留し、さりとて日本企業のように勝手に異動させることも出来ず、ターンオーバーしない出来ないで余剰人員に手がつけられず困ってしまってしまうと…。非上場なので外部評価のチェックも効かず、まあそれでも固定客が付いてそこそこ儲かっている間は日本のマーケットでもしばらく存在し続けるのでしょうが。ベテランの彼の目から見れば内部のマネジメントは(普通の日系企業と比べても)極めてお粗末なレベルとのことでした…。
言いたかったことは、ジョブ型でもマネジメントがNGだと(人材が滞留し動かせないため)メンバーシップ型よりも早く組織が腐っていくリスクがあるということ。何事も使い方を誤ればダメでしょ、ということです。
以上、おそらく八代氏の最新作にも書かれてないような外資系ジョブ型日本法人の現実(ダークサイド)をあえて書き込んでみました…。
投稿: ある外資系人事マン | 2017年9月21日 (木) 22時46分
先生、私だけの感想かもしれないですが、
「皮肉のクセがすごい」です。
投稿: Dursan | 2017年9月22日 (金) 09時23分