自民党は今でもリベラルと名乗っている唯一の政党である件について
なんだか、言葉のねじれが極限まで行き着いて、本来左派=ソーシャル派に対する右派を意味するはずの「リベラル」が、もっぱら左派を意味する言葉になって、新党から排除するのしないのという話になっているようで、そのあまりの言葉の乱れように頭がくらくらします。
3年前にも書いたように、
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-787c.html (自民党は今でもリベラルと名乗っている唯一の政党である件について)
・・・でもね、日本は、少なくとも戦後半世紀間にわたって左右の二大政党の名前は、
右派のリベラル・デモクラティック・パーティ
と
左派のソーシャリスト・パーティ
だったんですよ。
いや、それどころか、今でも、安倍晋三首相率いる右派政党の名前は、堂々たるリベラル・デモクラティック・パーティであることに変わりはないわけなんですね。
現在、国会に議席を有する政党のうちで、政党名に堂々と「リベラル」を名乗っているのは、そのリベラル・デモクラティック・パーティだけですよね。
何でそんな国で、今更のように、「左翼=リベラルというイメージがしっかり張り付いてしまっている人も多い」てな話になるのか、
「リベサヨ」という言葉が、左翼のくせにリベラル・デモクラティックなことを言う奴、という至極当然の意味にとられることがないのか、
そしてそれが誰からも不思議がられないのか、・・・
いやはなしはさらにもう一段深くねじれていて、その「リベラル」を名乗る右派政党、経団連が組織的に支持し、連合が組織的に支持していない政党の現内閣が、少なくも過去25年間の政権の中で最も、即ち細川政権よりも村山政権よりも、橋本政権よりも、小泉政権よりも、その後の自公政権よりも、そして連合が組織的に支持していた民主党政権よりも、ずっとソーシャルな、そして労働組合側の主張に異様なまでに近づくプロレーバーな政策を遂行してきちゃっている、という超絶的な皮肉の限りを尽くすような事態であるわけですが。
とにかく、現代日本で進行中の事態を、そのいうところの「リベラル」をそのまま「liberal」と訳して、世界に発信したら、みんな頭が混乱の極みになりそうな・・・。
リベラルを名乗るライトウィング政権がソーシャルな政策を遂行する一方で、コミュニストと連携するレフトウィングがリベラルだからけしからんと排除されようとしている・・・・・って、もう理解不能の極みです。
(追記)
そのとき、生活の党と山本太郎と仲間たちと称していた政党が、いつのまにかリベラル・パーティになっていたようです。
なので、現時点では「自民党は今でもリベラルと名乗っている唯一の政党」ではありません。失礼しました。
ちなみに、小沢一郎氏によると、その趣旨は、
http://www.liberalparty.jp/activity/declaration/20161012-3.html
今日、野党の政党の中で、いわゆる保守の人たちの支援を得られるような政党名がなかなか見当たりません。
自民党以外の保守の皆さんの投票先がないのです。この票を取らなければ政権は取れません。
その意味において、さらにウィングを広げ、保守層にも届くよう「自由党」という党名に決定しました。
とのことなので、リベラル=保守という、(今日の日本では珍しい)まことにまっとうな言語感覚をお持ちのようではあります。
« 日本の労働市場における信仰による統計的差別@小林徹 | トップページ | 平成29年版労働経済白書 »
コメント
トラックバック
この記事へのトラックバック一覧です: 自民党は今でもリベラルと名乗っている唯一の政党である件について:
» 衆院選公示前、今、思うこと [公務員のためいき]
前回の記事は「衆院解散、対立軸の明確化を切望」でした。衆議院が解散され、すでに選 [続きを読む]
小池さんがリベラルを排除するというのは自分を排除することになってしまうというのが世界標準の感覚ということでしょうか。
投稿: yi | 2017年9月30日 (土) 19時29分
リベラル=保守の図式が成り立つのは、近代的自由主義が当然の社会的常識になっている国家・社会の内部であって、はたして日本の場合はどうでしょうかね?
保守の中には「復古」と呼んでもかまわない人たちも多いのが実態では?
また市民革命直後では、王党派など復古派×リベラル(自由主義)ですからこの場合リベラルは左になる。
状況次第だと思います。
投稿: Executor | 2017年9月30日 (土) 22時30分
>政治的に穏健な革新をめざす立場をとるさま。
本来は個人の自由を重んじる思想全般の意だが、主に1980年代の米国レーガン政権以降は、保守主義の立場から、逆に個人の財産権などを軽視して福祉を過度に重視する考えとして、革新派を批判的にいう場合が多い。自由主義的。
現在は後段で流通しているので、使い方として問題はない。
「他力本願」を本来は阿弥陀仏の力を云々~という指摘をしても意味はありません。
佐々木俊尚さんと一緒に再勉強して下さい。
投稿: さして意味なし | 2017年9月30日 (土) 22時33分
先生が定期的にとりあげる話題ですね。
「リベラル」という語義の混乱が生まれたのは、アメリカのせいなのは間違いないところですね。アメリカが「社会主義」という語を嫌うのは、「社会主義」が「敵」を意味する語として使われていたからでしよう。それで「進化した自由主義としての社会主義」といった意味合いで「リベラル」という語を使い始めたのだろうと思います。
アメリカとヨーロッパとで「リベラル」の語が正反対の意味で使われる、という状況が生まれたのは第二次大戦以後ですかね。レーガン政権より前なのは確実ですが、ソビエトの革命より前ではないでしよう。民主党と共和党というのは、もともとは、連邦重視派と州権重視派だったわけですし。
日本の場合、戦前は紛れもなく自由主義国家でしたし、戦後の吉田茂を源流とする保守本流が自由主義なのも間違いないところ。まあ、保守本流、保守傍流というのは、ただの派閥関係ですが。
ややこしいのは、岸信介に代表される、いわゆる「逆コース」というのは、国家社会主義で、戦前は「革新」といわれていた勢力なのですよね。戦中の主流派は戦前の主流派ではないというところでもう一段のねじれが加わっているという。
投稿: IG | 2017年10月 1日 (日) 06時28分
妙な思い込みの人も含めていろいろとコメントされていますが、一つはIGさん指摘のアメリカ方言の問題、もう一つは日本独自の文脈の問題がありましょう。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-1fcd.html">http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-1fcd.html
(保守とリベラルというアメリカ方言でものを考えるのはもうやめよう)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_5af3.html">http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_5af3.html
(リベラルサヨクは福祉国家がお嫌い)
どちらもやはり本ブログで繰り返し取り上げてきたテーマですが、日本の左翼知識人の基調低音として無視できないのは、後者だと思います。
そしてそれが左翼ではない一般人の意識構造までもをがっちりと捕まえてしまい、自分では気がつかないままに、(価値判断のベクトルは別にして)その認識枠組み自体はその延長線上から抜けられなくしているという風に見えます。
もう10年以上昔のエントリですが・・・
投稿: hamachan | 2017年10月 1日 (日) 09時03分
本人が自ら自分の書き込みを「糞コメント」と自認したので、ブログの品位を保つため、当該コメントを削除し、以後書き込み禁止としました。
真面目な議論をするつもりであれば表現がいささか乱暴であっても許容範囲ですが、はじめから本ブログを穢すために」「糞コメント」をまき散らすつもりのイナゴさんという自覚のもとにあえてやっているということであれば、容赦をするつもりはありません。
投稿: hamachan | 2017年10月 1日 (日) 13時25分
自民党の平成22年(2010年)綱領にも「我が党は、「反共産・社会主義、反独裁・統制的統治」と「日本らしい日本の確立」―の2つを目的とし、「政治は国民のもの」との原点に立ち立党された。」「我々が護り続けてきた自由(リベラリズム)とは、市場原理主義でもなく、無原則な政府介入是認主義でもない。」と明記されているのですが…
にもかかわらず、「アンチリベラルの自民党支持者」や「リベラル左派」「リベラルは共産主義」などの言説が飛び交っていて嘆息が出ます。
「自民党立党宣言・綱領」
https://www.jimin.jp/aboutus/declaration/
投稿: phi | 2019年8月16日 (金) 12時07分