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2017年9月

2017年9月30日 (土)

平成29年版労働経済白書

厚生労働省が『平成29年版労働経済白書』を公表しました。

http://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/roudou/17/dl/17-1.pdf

今年の特集(第2部)はイノベーションとワークライフバランスです。そのうち、「我が国の経済成長とイノベーション・雇用との関係」という第2部第1章が興味深いトピックを取り上げています。

第1節 我が国におけるイノベーションの現状 72

1 経済成長とイノベーションの関係 73

2 我が国のイノベーション活動の状況 77

3 我が国のイノベーション活動に必要な要素 81

第2節 我が国におけるイノベーション活動の促進に向けた課題 84

1 設備投資面からみた課題 84

2 人材面からみた課題 89

第3節 我が国におけるイノベーションによる就業者、雇用者の変化 104

1 過去のイノベーションによる就業者、雇用者の変化 104

2 AI の進展に伴う我が国の現状と課題 112

今はやりのAIとか技術革新の雇用への影響について、JILPTの調査結果なども使いながら、かなり本格的に取り組んでいます。

 AIが職場にもたらす影響として、労働時間の短縮や業務の効率化による労働生産性の向上が期待される一方で、新しい付加価値の創出のために活用する企業は少ない。

 今後、AIの進展等により雇用の在り方が変わることが予想されるが、技術が必要な職種や人間的な付加価値を求められる職種の就業者は増加する。

 AIが一般化した時代に求められるスキルとしては、AIの可能性を理解し、使いこなす能力や、AIに代替されにくいコミュニケーション能力があげられており、今後、こういったスキルを高めていくことが重要。

 AIの広がりについて企業、従業員とも危機感が低い中で、意識の高まりが求められる。

とはいえ、これからの労働社会の変化の分析はまだまだこれからというべきでしょう。

いわゆるシェアリングエコノミー、プラットフォームエコノミーなどが働き方に与える影響なども、日本ではまだまだ緒に就いたばかりですが、欧米ではかなり先行している例もあり、寄り本格的な検討が求められます。

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2017年9月29日 (金)

自民党は今でもリベラルと名乗っている唯一の政党である件について

Main_img なんだか、言葉のねじれが極限まで行き着いて、本来左派=ソーシャル派に対する右派を意味するはずの「リベラル」が、もっぱら左派を意味する言葉になって、新党から排除するのしないのという話になっているようで、そのあまりの言葉の乱れように頭がくらくらします。

3年前にも書いたように、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-787c.html (自民党は今でもリベラルと名乗っている唯一の政党である件について)

・・・でもね、日本は、少なくとも戦後半世紀間にわたって左右の二大政党の名前は、

右派のリベラル・デモクラティック・パーティ

左派のソーシャリスト・パーティ

だったんですよ。

いや、それどころか、今でも、安倍晋三首相率いる右派政党の名前は、堂々たるリベラル・デモクラティック・パーティであることに変わりはないわけなんですね。

現在、国会に議席を有する政党のうちで、政党名に堂々と「リベラル」を名乗っているのは、そのリベラル・デモクラティック・パーティだけですよね。

何でそんな国で、今更のように、「左翼=リベラルというイメージがしっかり張り付いてしまっている人も多い」てな話になるのか、

「リベサヨ」という言葉が、左翼のくせにリベラル・デモクラティックなことを言う奴、という至極当然の意味にとられることがないのか、

そしてそれが誰からも不思議がられないのか、・・・

いやはなしはさらにもう一段深くねじれていて、その「リベラル」を名乗る右派政党、経団連が組織的に支持し、連合が組織的に支持していない政党の現内閣が、少なくも過去25年間の政権の中で最も、即ち細川政権よりも村山政権よりも、橋本政権よりも、小泉政権よりも、その後の自公政権よりも、そして連合が組織的に支持していた民主党政権よりも、ずっとソーシャルな、そして労働組合側の主張に異様なまでに近づくプロレーバーな政策を遂行してきちゃっている、という超絶的な皮肉の限りを尽くすような事態であるわけですが。

とにかく、現代日本で進行中の事態を、そのいうところの「リベラル」をそのまま「liberal」と訳して、世界に発信したら、みんな頭が混乱の極みになりそうな・・・。

リベラルを名乗るライトウィング政権がソーシャルな政策を遂行する一方で、コミュニストと連携するレフトウィングがリベラルだからけしからんと排除されようとしている・・・・・って、もう理解不能の極みです。

(追記)

201610121 3年前と事態が変わっていたようです。

そのとき、生活の党と山本太郎と仲間たちと称していた政党が、いつのまにかリベラル・パーティになっていたようです。

なので、現時点では「自民党は今でもリベラルと名乗っている唯一の政党」ではありません。失礼しました。

ちなみに、小沢一郎氏によると、その趣旨は、

http://www.liberalparty.jp/activity/declaration/20161012-3.html

今日、野党の政党の中で、いわゆる保守の人たちの支援を得られるような政党名がなかなか見当たりません。

 自民党以外の保守の皆さんの投票先がないのです。この票を取らなければ政権は取れません。

 その意味において、さらにウィングを広げ、保守層にも届くよう「自由党」という党名に決定しました。

とのことなので、リベラル=保守という、(今日の日本では珍しい)まことにまっとうな言語感覚をお持ちのようではあります。

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日本の労働市場における信仰による統計的差別@小林徹

日本経済研究センターが発行している『日本経済研究』の9月号に、大変興味深い論文が載っています。小林徹さんの「日本の労働市場における信仰による統計的差別」です。

https://www.jcer.or.jp/academic_journal/jer/detail5258.html#3

小林さんは1年だけJILPTに在籍してすぐに高崎経大に移られた方ですが、この論文は、恐らくほとんどすべての人の意表を突くテーマでしょう。

いやもちろん、雇用における差別というのは多くの研究者のペットテーマではありますが、そして宗教差別というのは欧米諸国では結構深刻な問題ではありますが、日本ではたぶんまともに取り上げられたことはないのではないかと思います。

宗教差別と類似の思想・信条差別については、逆に労働組合間差別や労働組合内の差別というような形で、集団的労使関係の外皮をとりながらもわりと議論されてきたと思いますが、宗教差別となると、「いやあ、日本人は無宗教だから」みたいな表層的な感覚で、あまり真面目に議論されてこなかったのでしょう。

ところが、小林さんはJGSSと東大社研のデータを使って、宗教に熱心なほど、また宗教団体に所属しているほど、勤続当初から賃金が低くなっていることを明らかにしています。

本稿では、日本で労働者が特定の宗教に所属していることや、その信仰の有無や強さによって、使用者からの処遇が異なるのか、異なるならば就業当初からなのか、勤続に伴い拡大していくのかを分析した。その結果、宗教に熱心なほどまたは宗教団体に所属しているほど勤続当初から賃金が低くなっていた。生産性の代理指標として当該情報が就業初期から考慮され、統計的差別が行われていると考えられる。また、人的資本や労働意欲に関わる変数を考慮した場合としない場合とで宗教変数の影響は変わらなかったことから、人的資本や労働意欲の代理指標となっているのではなく、マッチング生産性の指標になっていると考えられる。

41xlwubolyl__sx298_bo1204203200_今から9年前に、森戸さんと水町さんの編で『差別禁止法の新展開』(日本評論社)という本が出ていますが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-f90d.html

この本、森戸さんが「美醜・容姿・服装・体型――「見た目」に基づく差別」なんて話まで取り上げているのに、宗教差別には関心が向いていません。

私も含めて、こと日本においては宗教差別なんて問題ではないだろうと勝手に思い込んでいたのでしょうが、実はそうでもないんだよ、と、小林さんの論文は語りかけてきます。最後のまとめから:

最後に日本の労働市場における政策含意を述べる。近年は日本の雇用差別禁止法制に進展が見られ、06年の男女雇用機会均等法改正、07年の雇用対策法の改正により、採用時についても性別や年齢による差別的取り扱いは基本的に制限が付されるようになった。加えて、障害者の採用については障害者雇用促進法の納付金制度により法的な採用支援がなされている。櫻庭(2008、5ページ)で指摘されるように、性別・年齢・障害による採用差別は、思想・信条・宗教による差別と共に雇用差別禁止法制の限界とされていた。しかし性別、年齢、障害による採用差別については法整備が近年進んでいる一方、採用時の思想信条・宗教による差別に関する法規定には進展がみられない。

採用時の思想信条・信仰による差別について、その法整備の必要性があまり議論されてこなかった背景には、そのような差別が問題として観察されにくかったためではないかと考えられる。思想信条・宗教による差別は性別・年齢に関する場合と異なり、統計的な実態把握はほとんど行われていない。思想信条・宗教による差別の問題が観察されるのは、訴訟などに発展する場合に限られ、性別・年齢・障害者差別問題のように、労働市場において一定の割合を持って存在するとは認識されていなかったように思われる。しかし、本稿の分析結果からは、冒頭に述べた指針・行政による注意が存在しながら、人的資本・労働意欲に差がなくとも宗教上のマイノリティは採用時に低評価を受けやすいことが統計的に指摘できる。米国においては“Title Ⅶ of Civil Rights Act”の影響か、Altonji and Pierret (2001)やMansour(2012)の分析からは、人種間で統計的差別が行われている傾向は見られなかったが、日本では指針・注意があっても統計的差別が存在するならばそれは懸念すべき事態だと思われる。採用企業の多数従業員とは異なる思想信条・宗教を持ちながらも組織コミットやチームワークに劣る部分の無い者がいた場合に、思想信条・宗教のみを理由として差別され不利益を被ることは避けられるべきであろう。冒頭で紹介した厚生労働省(2017)の5、6ページは、「本人に責任のない事項の把握」だけでなく「本来自由であるべき事項(思想信条にかかわること)の把握」についても差別につながる懸念を表明している。特に「一億総活躍社会」の実現を目指している日本においては、人種・民族・性別・年齢といった「本人に責任のない事項」と同様に、「本来自由であるべき事項」を理由として差別されない状況が望ましいと考えられる。

しかし、採用時の思想信条・宗教による差別について、特別な法律による制限を設定することは容易ではない。本稿の分析結果は、採用企業が直接的に宗教保持に関する情報を得て差別的判断をしたかについては留保が残されている。直接的な情報獲得をしなくとも、採用面接時の会話において思想信条が間接的に反映された結果、人柄が社風とミスマッチしているために処遇が低くなっている可能性も考えられる。よって、採用時の思想信条・宗教差別を特別な立法によって制限した場合においても、法に触れないような処遇差の理由を別に示すことが可能であれば、状況は何ら改善されないことも予想できる18。一方で、法律に明記することによって啓蒙が進み、実態としても差別が減少することも期待できるが、法的な対応の実効性を確保する点が重要と考えられる。

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みんな消えてしまった・・・

今月から法政大学公共政策大学院での授業「雇用労働政策研究」が始まりました。中身は夏学期に東大公共政策大学院でやっている「労働法政策」と同じで、半年ごとに少しづつアップデートしているのですが、今回は開始直前にいきなり冒頭解散と言われ、慌てて「今臨時国会で働き方改革関連法案が成立の予定」ってところを削除して、テキストを配布したところです。

で、昨晩、同一労働同一賃金に係る政策の推移を説明しながら、2015年に労働者派遣法改正案への対案として野党4党から提案され、その後自民、公明、維新の与野党3党の修正で成立した職務待遇改善法、いわゆる同一労働同一賃金推進法について解説している時、

・・・民主、維新、みんな、生活の4野党が、・・・を国会に提出した。

というところで、思わず、

「みんな消えてしまいましたけどね」

と呟いてしまいましたがな・・・。

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2017年9月28日 (木)

年間の争議行為は66件@『労務事情』2017年10月1日号

Romujijo_2017_10_01『労務事情』2017年10月1日号に「年間の争議行為は66件」を寄稿しました。

去る8月10日に平成28年労働争議統計調査が発表されました。労働組合基礎調査の組織率と並んで、その争議件数は日本の労働組合の低調ぶりを示す指標として数十年にわたって有名ですが、昨年(2016年)は総争議件数が対前年比34件減の391件、争議行為を伴う争議件数が対前年比20件減の66件となりました。

実はここで、「争議行為を伴う争議」という一見よくわからない概念が出てきます。いや労働争議って争議行為を伴うものじゃないのか。争議行為を伴わない争議なんてあるのか?いやそれがちゃんとあります。それどころかそっちの方が多くて、対前年比14件減の325件もあるのです。 ・・・・・

というわけで、今回は労働関係調整法上の「労働争議」と「争議行為」という概念の違いについて解説をしております。

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2017年9月27日 (水)

柔軟な働き方に関する検討会

厚生労働省が「柔軟な働き方に関する検討会」を立ち上げると発表しています。

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000178589.html

この検討会は、働き方改革を進める上で、時間や場所を有効に活用できる働き方であるテレワークや、副業・兼業といった“柔軟な働き方”がしやすい環境を整備するためのガイドライン策定などに向けた検討を行うことを目的としています。

第1回目は来月3日とのこと。

誰が検討会のメンバーかを見ると、

http://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-11210000-Roudoukijunkyoku-Roudoukankeihouka/0000178586.pdf

芦野 訓和 東洋大学法学部教授

荒井 太一 弁護士(森・濱田松本法律事務所)

江木 忍 カルビー株式会社執行役員・人事総務本部長

河崎 保徳 ロート製薬株式会社広報・CSV推進部長

神吉 知郁子 立教大学法部准教授

小西 康之 明治大学法部教授

萩原 牧子 リクルートワークス研究所主任員

松村 茂 東北芸術工科大学教授、日本テレワーク会長

湯田 健一郎 クラウドソーシング協会事務局長

労働法からは神吉さんと小西さん、と。

クラウドの方面の方も入っていますね。





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2017年9月26日 (火)

『Japan Labor Issues』第2号

Jli02JILPTの新たな英文月刊誌『Japan Labor Issues』の第2号が刊行されました。

http://www.jil.go.jp/english/jli/2017/documents/002-00.pdf

● Trends
Key Topic: Rengo Wavering in Party Support and
    Joint Struggle by Opposition Parties
News: Nearly 40% of Companies Aim to Spend More
    on Training: Corporate Focus on Training Comes
    Clear

● Research
Elderly Employment in a Society of Population
Decline
Takaaki Tahara
Basic Information on Recent Elderly Employment
Trends in Japan
Yutaka Asao

● Judgments and Orders
Interpretation of Work Rules on Conversion from
Fixed-Term to Open-Ended Contract for a College
Lecturer
The Fukuhara Gakuen (Kyushu Women’s Junior
College) Case
Yota Yamamoto

● Series: Japan’s Employment System and
Public Policy 2017-2022
Recruitment and Hiring in Japan
Shinsaku Matsumoto

● Statistical Indicators

巻頭の時事記事は前号に引き続き荻野さんの「Rengo Wavering in Party Support and Joint Struggle by Opposition Parties」。

労働組合と政党政治という日本の政界に関わる前提知識が必要な分野だけに、「“War Law”— Legislation for Peace and Security」とか「 Anti-Conspiracy Bill」とか「Constitutional Amendment」とか、いろいろとコラムも充実してます。

前号では私が担当した「Judgments and Orders」、今号は山本陽大さんが福原学園事件を取り上げています。ちなみに山本さんのイケメン風の顔写真が載っています。

日本の雇用システムを系統的に紹介するシリーズ、今回は松本真作さんの「Recruitment and Hiring in Japan」。こちらも顔写真付きです。

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2017年9月25日 (月)

大学教育の「実践性」@『JIL雑誌』10月号

687_10『日本労働研究雑誌』10月号は、別に図ったわけでも狙ったわけでもないですが、「大学教育の「実践性」」が特集です。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2017/10/index.html

特集:大学教育の「実践性」
提言 日本の大学に職業教育はどう定着するか? 秋永 雄一(放送大学客員教授)
解題 大学教育の「実践性」編集委員会
論文 「専門職大学」の意味するもの 金子 元久(筑波大学特命教授)
大学教育需要を考える 田中 隆一(東京大学教授)
社会人の学び直しからみた大学教育 塚原 修一(関西国際大学客員教授)濱名 篤(関西国際大学学長)
「新しい」大学教育─コンピテンシーに基づく教育(CBE)の実践 青木 久美子(放送大学教授)
「実践性」から見た高専教育─キャリアとの関連に着目して 濱中 義隆(国立教育政策研究所総括研究官)
紹介 大学生の就職活動の変化─「JILPT2005年調査」と「内閣府2016年調査」との比較から 中島 ゆり(長崎大学准教授)堀 有喜衣(労働政策研究・研修機構主任研究員)
石川県におけるインターンシップ推進の状況 門間 由記子(ジョブカフェ石川インターンシップコーディネーター)

このうち、例のG型、L型で話題を呼んだ専門職大学について、金子さんが概観的に論じています。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2017/10/sum1.html

2017年に、「専門職大学」および「専門職短期大学」の制度が作られることになった。もともと大学と職業教育との関係は、単に職業的要求によるものではなく、社会的な階層性を含むきわめて複雑なものであった。今回の改革も戦後の単線型教育システムの中で例外的に作られた専門学校が、その地位を正当化し、大学との競争力を獲得するために政治的な力を動員したという側面も少なくない。またその背後には既存の大学への社会的な批判もあった。しかしこの改革は既存の大学においても「専門職課程」を作ることをも可能とした。21世紀の社会では産業構造が多様化し、流動化するとともに、モノや情報、あるいは人に対するサービスの需要が拡大し、それに対応していわば「流動的専門職」の需要が発生している。それに高等教育が対応することは大きな意味をもつ。その意味で、従来の大学も含めて、この新しい可能性に注目することが必要であると考える。

また、高専について濱中さんの分析は大変興味深いものでした。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2017/10/sum5.html

高等専門学校(高専)は、実験・実習等を重視した教育プログラムを特徴とする実践的な技術者養成を行う機関として高く評価されているとされる。一方で学校類型としては、その量的規模の小ささもあり、制度発足以来50年以上が経過したにもかかわらず、一般社会における認知度は高くない。そもそも高専の機能や社会的評価をアピールするためのエビデンスすらほとんど存在しないのが現状である。本稿では、こうした現状認識の下、1976〜2008年の高専卒業者を対象とする調査を用いて、かれらの進路・キャリア等の分析から高専卒に対する社会的評価の現状を明らかにするとともに、「実践的」と評される高専教育を卒業者自身がどのように認識しているのかを検討した。過去40年余の間、技術者養成の高学歴化は著しく進行したが、高専入学者の学力、卒業時の就職状況にほとんど変化はなく、また就職後のキャリアからも、高専卒は依然として大学工学系卒業者並みの処遇を受けていることが明らかになった(ただし工学分野における大学院修了者の増加により大卒=学士卒の地位低下が生じていることも否めない)。一方、高専在学中の経験で現在、最も役に立っているのは、「専門科目の講義」や「専門の実験・実習」であること、さらにそうした「役立ち度」の規定要因として卒業後の自己学習の状況が重要であることを示した。高専教育の「実践性」を支えているのは、日常の授業科目で得た知識・技術が基盤となり、その後の自己学習を通じて応用力を高める点にあることが示唆された。

その他の論文も参考になります。

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副業・兼業と労働法上の問題@『全国労保連』2017年9月号

Kaihou1709large_jpg『全国労保連』2017年9月号に「副業・兼業と労働法上の問題」を寄稿しました。

「働き方改革をめぐる諸問題」という新連載の第1回目です。

今年3月、政府は「働き方改革実行計画」を策定しました。そのうち同一労働同一賃金と時間外労働の上限規制についてはマスコミ等も大いに書き立て、今臨時国会に法改正案が提出され、成立する予定です。しかし同実行計画にはそれ以外にも労働関係者が注目する必要のある項目が一杯つまっています。今回はそのうち、副業・兼業に関わるところを解説しておきたいと思います。 ・・・・・

http://www.rouhoren.or.jp/kaihou1709idx-large.JPG

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シュロモー・サンド『ユダヤ人の起源』

9784480097996週末の空いた時間を利用して、しばらく前に出版されて気になっていたシュロモー・サンド『ユダヤ人の起源』(ちくま学芸文庫)を通読。

http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480097996/

〈ユダヤ人〉はいかなる経緯をもって成立したのか。歴史記述の精緻な検証によって実像に迫り、そのアイデンティティを根本から問う画期的試論。

いや、そんな生やさしい本じゃないってば。

第1章の「ネイションを作り上げる」で、アンダーソンやらゲルナーやら、ナショナリズム論をほぼくまなく検討した上で、おもむろにユダヤ「ネイション」の虚構性を緻密に分析していく全600頁を超える大著です。

実をいうと、今から四半世紀以上前にアーサー・ケストラーの『ユダヤ人とは誰か』を読んでいたので、そのアカデミック版かな、と思っていたのですが、それをはるかに超える内容でした。

確かに第4章の後半では、ケストラーの本よりはるかに詳細にハザール王国のことが叙述されていますが、問題は東欧のアシュケナージだけではない、ということがよくわかります。

そもそも、ユダヤ人はユダヤの地から追放されたことなど一度もなく、虚構の「追放」後も繰り返しユダヤ反乱を起こしているし、どこかから非ユダヤ人が大挙してやってきたこともなく、要するに古代ユダヤ人の生物学的子孫はパレスチナに住むユダヤ教徒やキリスト教徒やイスラム教徒であること。

そして当時からユダヤの地以外に山のようにユダヤ教徒がいて、その一部はユダヤからの移住者かも知れないが大部分はユダヤ教に改宗した現地人であり、ヒヤムル王国もフェニキア人もベルベル人もそうであり、それがセファルディの源流であってみれば、つまるところ近代ヨーロッパで(ネイションに仕立て上げられた)ユダヤ人とは古代世界でユダヤ教という一神教の一種に改宗したさまざまな種族の人々の子孫であること。

と、こう書いてみればあまりにも当たり前のように見えますが、それが現代イスラエルという国家においては法律で禁止された認識であること。

等々、いろんな意味で大変重い内容の本であることは間違いありません。

本書には出てきませんが、ドーキンスの本を読んだことのある人であれば、つまるところ、「ユダヤ」ってのはジーン(遺伝子)じゃなくってミームなんだな、と理解するでしょう。

それは、ミームという言葉を知らなかった前世紀の人々にとっても、驚くべきことにはベングリオンらイスラエル国家建国の父らにとっても、実は常識的な認識だったのですね。それが、逆にジーン(遺伝子)的ネイション観にとらわれていく過程が、何ともつらいものがあります。

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2017年9月24日 (日)

NIRA研究報告書『人類文明と人工知能Ⅰ―近代の成熟と新文明の出現―』

Kumon NIRA(総合研究開発機構)の研究報告書『人類文明と人工知能Ⅰ―近代の成熟と新文明の出現―』をお送りいただきました。

http://www.nira.or.jp/outgoing/report/entry/n170831_867.html

われわれは人工知能にどのように向き合っていくべきか。この問題について考えるには、現在進行している近代社会の動きが人類文明にもたらす意味についての考察が欠かせない。現在、私たちが対峙している近代社会の状況は、旧いものから新しいものへの交代というよりも、旧いものの成熟と新しいものの出現が、同時に生起している状況と考えるべきだろう。本研究報告書の著者の公文俊平教授は、これを重なりという意味の「重畳」と呼んでいる 。

本書では、「重畳」をキーワードに、大きな転換期を迎えている21世紀の現状を解釈し、そこから人工知能が引き起こしている問題にどう対応すべきか提言する。

執筆は多摩大学の公文俊平さんで、事務局のNIRA総研の神田玲子さん(先日のILOとのシンポジウムでもご一緒しましたが)のほか、鈴木謙介、山内康英氏らも参加しているようです。

人工知能といえば、労働関係では大内伸哉さんが最近大変熱心ですが、本報告書はその射程がそれらを遥かに超えて、汎用人工知能とか、超知能と超近代文明といったはなはだ茫漠たる話に及んでいます。

1 人工知能ブーム

2 近代化のビジョン

    -「S字波」としての発展ビジョン-

第2章 人類は人工知能にどう向き合うべきか

1 産業化の新たな流れ

2 高まる人工知能への関心

3 「産業化Ⅱ」を代表する「特化人工知能」

4 汎用人工知能

5 AI時代の未来と私たちの選択肢

補 論 超知能と超近代文明

労働に関わるところでは、こんなことを述べています。

特化人工知能を人類の福音とせよ

特化人工知能の開発は今後も加速的に進み、数々の便益を私たちにもたらしてくれるだろう。他方、人間の労働が人工知能に代替され、ほとんどが失業者になってしまった一般の人々は「余暇」をどのように過ごせばいいのか、また、「生きる意味」を何に求めていけばいいのか。対応のいかんによっては社会の混乱を招きかねない。

私たちは人間が雇用されなくても人間らしい生活を送れるための制度的な仕組みを整えるとともに、新たな生活倫理を生み出さねばならない。少なくとも特化人工知能に関するかぎり、それをどのように利用し、どのように私たちの環境を整備するかは、「ベーシックインカム」の全面的導入も含めて、「人間主義者」としての私たちの意思決定と行動次第である。

その途を見失うことなく共生に成功すれば、近代文明は真の成熟を迎えつつポスト近代文明と重畳して有終の美をなすことに成功するだろう。人間と人間能力拡張型人工知能がペアを組み、人間の自由意思や自律性を維持しつつ、平和的に共働・共生する社会では、人工知能は人類にとって福音となるだろう。

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chikanabeさんの拙著書評

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 chikanabeさんの「like a ofuton」というブログに、拙著『働く女子の運命』についての短いですが結構刺さる書評が載っています。

http://madogiwasyasyabu.blog.fc2.com/blog-entry-657.html

この本は、日本型雇用システムの歴史について書かれている。新書らしいタイトルとは裏腹に、とても濃い内容の一冊である。

この濃さは、生活給思想であるとか、メンバーシップ型雇用であるとか、といった、日本特有の雇用環境が、複雑かつ密に絡みあい、ときに倒錯的に、歴史を重ねてきた結果であり、そのややこしさそのものに由来する。

読みづらいわけではない。むしろ、解説としては分かりやすい。複雑怪奇なシステムとその歴史を紐解こうとすれば、多分こうなるのだ。

ここで問題にされる日本型雇用システムが、仮に(というより、おそらく事実)慣行だからという理由だけで成り立っていて、その慣行によって私たちの「運命」が決められてしまっているのだとしたら、これはもう悲しさに加えて、そうであるということそれ自体に、憐れみさえ感じてしまう。

なんというか、もそっと「楽」になるといいのだけれど…。

そうです。軽々しい(く見える)タイトルに比べるととても濃い中身になっていますが、できるだけ分かり易く「紐解く」ことを心がけました。

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「何となく文学部」よりもっとヤバいのは・・・

Ugnua3in 「BEST T!MES」(ベストタイムズと読むのでしょうか)というサイトの「新・教育論」というコラムに、「「何となく文学部」はヤバすぎる。大学選びの新常識」という記事が載っています。

http://best-times.jp/articles/-/6895

副題に「もう「つぶしの効く」学部など存在しない。「ジョブ型」への転換を」とあるので、ジョブ型教育への転換を訴えているのは確かだと思うのですが、正直言って、文学部って、もともと「つぶしの効く学部」だとは思われていなかったように思います。

メンバーシップ型雇用慣行にベストフィットして繁殖してきたのは、それ以外の一見職業レリバンスがありそうで、実は単なる一般的サラリーマン養成以外ではなかった文系学部、とりわけ経済学部だったんじゃないの?と思いますが。

その意味では、この記事は、文学部という叩きやすい犠牲の羊を血祭りに上げて見せているだけで、問題の本質からむしろ目を逸らせてしまっているのではないかと。

いうまでもなく、法学部だって法曹や法務担当者になる一部の人にとっては職業レリバンスがあるし、経済学部だって、内閣府で経済分析をする人や一部シンクタンク等で活躍するエコノミストになる人にとっては意味のある職業教育機関でしょう。しかし、当該学部を卒業する学生の大部分、経済学部の場合には殆ど全てにおいては、そうではないから、そしてそうではないにもかかわらずそれが一般的サラリーマン養成ギプスとして通用してきているからあれこれ論じられるわけです。

それに対して、文学部はそれなりに立派です。まず、文学部卒業生にとってもっとも良好な雇用機会は当該専門分野におけるアカデミックな研究職であって、これは法学部や経済学部と大きく異なるところです。これは裏返していえば、メンバーシップ型の日本の労働社会において、個々の学んだ内容はともかく、文学部に行こうなどという性向自体が、必ずしも適合的ではないと見なされてきたことがあるのでしょう。

実を言うと、にもかかわらず高度成長期に文学部がこれほど異常に肥大化したのは、嫁入り道具としての文学部という特殊事情があったからですが、これはこれで(皮肉ですが)一種の永久就職への職業レリバンスだったと言えないことはありません。それを抜きにしていうと、文学部卒というのは少なくとも法学部や経済学部に比べれば一種のスティグマを受けるものであったことは確かなので、それをつかまえて「「何となく文学部」はヤバすぎる」というのは、いささか見当外れの感が否めないわけです。

本当にヤバいのは他の文系学部、とりわけ法学部のように法律専門家になるか細い道があるところと比べても、経済分析を職業とする人になる可能性は絶無に近い経済学部ではないかと思うのですがね。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_c7cd.html (哲学・文学の職業レリバンス)

・・・一方で、冷徹に労働市場論的に考察すれば、この世界は、哲学や文学の教師というごく限られた良好な雇用機会を、かなり多くの卒業生が奪い合う世界です。アカデミズム以外に大して良好な雇用機会がない以上、労働需要と労働供給は本来的に不均衡たらざるをえません。ということは、上のコメントでも書いたように、その良好な雇用機会を得られない哲学や文学の専攻者というのは、運のいい同輩に良好な雇用機会を提供するために自らの資源や機会費用を提供している被搾取者ということになります。それは、一つの共同体の中の資源配分の仕組みとしては十分あり得る話ですし、周りからとやかく言う話ではありませんが、かといって、「いやあ、あなたがたにも職業レリバンスがあるんですよ」などと御為ごかしをいってて済む話でもない。

職業人として生きていくつもりがあるのなら、そのために役立つであろう職業レリバンスのある学問を勉強しなさい、哲学やりたいなんて人生捨てる気?というのが、本田先生が言うべき台詞だったはずではないでしょうか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_bf04.html (職業レリバンス再論)

・・・哲学者や文学者を社会的に養うためのシステムとしての大衆化された大学文学部システムというものの存在意義は認めますよ、と。これからは大学院がそうなりそうですね。しかし、経済学者や経営学者を社会的に養うために、膨大な数の大学生に(一見職業レリバンスがあるようなふりをして実は)職業レリバンスのない教育を与えるというのは、正当化することはできないんじゃないか、ということなんですけどね。

<追記>

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20060417

「念のために申しておきますとね、法律学や会計学と違って、政治学や経済学は実は(それほど)実学ではないですよ。「経済学を使う」機会って、政策担当者以外にはあんまりないですから。世の中を見る眼鏡としては、普通の人にとっても役に立つかもしれませんが、道具として「使う」ことは余りないかと……。」

おそらく、そうでしょうね。ほんとに役立つのは霞ヶ関かシンクタンクに就職した場合くらいか。しかし、世間の人々はそう思っていないですから。(「文学部に行きたいやて?あほか、そんなわけのわからんもんにカネ出せると思うか。将来どないするつもりや?人生捨てる気か?なに?そやったら経済学部行きたい?おお、それならええで、ちゃあんと世間で生きていけるように、よう勉強してこい。」・・・)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_722a.html (なおも職業レリバンス)

・・・歴史的にいえば、かつて女子の大学進学率が急激に上昇したときに、その進学先は文学部系に集中したわけですが、おそらくその背景にあったのは、法学部だの経済学部だのといったぎすぎすしたとこにいって妙に勉強でもされたら縁談に差し支えるから、おしとやかに文学でも勉強しとけという意識だったと思われます。就職においてつぶしがきかない学部を選択することが、ずっと仕事をするつもりなんてないというシグナルとなり、そのことが(当時の意識を前提とすると)縁談においてプラスの効果を有すると考えられていたのでしょう。

一定の社会状況の中では、職業レリバンスの欠如それ自体が(永久就職への)職業レリバンスになるという皮肉ですが、それをもう一度裏返せば、あえて法学部や経済学部を選んだ女子学生には、職業人生において有用な(はずの)勉強をすることで、そのような思考を持った人間であることを示すというシグナリング効果があったはずだと思います。で、そういう立場からすると、「なによ、自分で文学部なんかいっといて、いまさら間接差別だなんて馬鹿じゃないの」といいたくもなる。それが、学部なんて関係ない、官能で決めるんだなんていわれた日には・・・。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_8cb0.html (大学教育の職業レリバンス)

・・・前者の典型は哲学でしょう。大学文学部哲学科というのはなぜ存在するかといえば、世の中に哲学者という存在を生かしておくためであって、哲学の先生に給料を払って研究していただくために、授業料その他の直接コストやほかに使えたであろう貴重な青春の時間を費やした機会費用を哲学科の学生ないしその親に負担させているわけです。その学生たちをみんな哲学者にできるほど世の中は余裕はありませんから、その中のごく一部だけを職業哲学者として選抜し、ネズミ講の幹部に引き上げる。それ以外の学生たちは、貴重なコストを負担して貰えればそれでいいので、あとは適当に世の中で生きていってね、ということになります。ただ、細かくいうと、この仕組み自体が階層化されていて、東大とか京大みたいなところは職業哲学者になる比率が極めて高く、その意味で受ける教育の職業レリバンスが高い。そういう大学を卒業した研究者の卵は、地方国立大学や中堅以下の私立大学に就職して、哲学者として社会的に生かして貰えるようになる。ということは、そういう下流大学で哲学なんぞを勉強している学生というのは、職業レリバンスなんぞ全くないことに貴重なコストや機会費用を費やしているということになります。

これは一見残酷なシステムに見えますが、ほかにどういうやりようがありうるのか、と考えれば、ある意味でやむを得ないシステムだろうなあ、と思うわけです。上で引いた広田先生の文章に見られる、自分の教え子(東大を出て下流大学に就職した研究者)に対する過剰なまでの同情と、その彼らに教えられている研究者なんぞになりえようはずのない学生に対する見事なまでの同情の欠如は、この辺の感覚を非常に良く浮かび上がらせているように思います。

・・・いずれにせよ、このスタイルのメリットは、上で見たような可哀想な下流大学の哲学科の学生のような、ただ研究者になる人間に搾取されるためにのみ存在する被搾取階級を前提としなくてもいいという点です。東大教育学部の学生は、教育学者になるために勉強する。そして地方大学や中堅以下の私大に就職する。そこで彼らに教えられる学生は、大学以外の学校の先生になる。どちらも職業レリバンスがいっぱい。実に美しい。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-f2b1.html (経済学部の職業的レリバンス)

・・・ほとんど付け加えるべきことはありません。「大学で学んできたことは全部忘れろ、一から企業が教えてやる」的な雇用システムを全面的に前提にしていたからこそ、「忘れていい」いやそれどころか「勉強してこなくてもいい」経済学を教えるという名目で大量の経済学者の雇用機会が人為的に創出されていたというこの皮肉な構造を、エコノミスト自身がみごとに摘出したエッセイです。

何かにつけて人様に市場の洗礼を受けることを強要する経済学者自身が、市場の洗礼をまともに受けたら真っ先にイチコロであるというこの構造ほど皮肉なものがあるでしょうか。これに比べたら、哲学や文学のような別に役に立たなくてもやりたいからやるんだという職業レリバンスゼロの虚学系の方が、それなりの需要が見込めるように思います。

ちなみに、最後の一文はエコノミストとしての情がにじみ出ていますが、本当に経済学部が市場の洗礼を受けたときに、経済学部を魅力ある存在にしうる分野は、エコノミスト養成用の経済学ではないように思われます。

(ついでにおまけ)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-d4b7.html (大原瞠『公務員試験のカラクリ』)

・・・いや、もちろん、これは「公務員試験のカラクリ」という本の中で書かれた、受験生や受験産業講師の目に映った事態の描写であって、それ以上ではありません。

実際、上にも書かれているように、国家レベルでマクロ的な経済社会政策を考える立場になれば、経済理論の素養が必要であることは言うを待ちません。

しかし、地方自治体で泥臭い業務に携わる人々に、どこまで必要なの?という疑問は確かに一理ありましょう。

この本はあくまでも公務員試験の本なのでそれ以上の突っ込みはありませんが、せっかく経済学の話題が出たので、この問題を経済学的に、それも流行の制度の経済学的に分析すれば、大学にむやみやたらに経済学部を作り、むやみやたらに多い経済学の教師がむやみやたらに多い経済学部の学生に経済学を教えるという事態を社会的に正当化する上で、(実際に就職した後でそれが役に立つかどうかはさておいて)少なくとも入口におけるスクリーニングに経済学の知識を問われるという状況を作っておくことは、経済学教授という社会的システムを真に社会が必要とする以上に膨大に維持するという個別利害の観点からして極めて合理的であることだけは間違いないように思われます。

それが、就職後に本当に役に立って、社会全体の厚生水準の向上に貢献するのかといった、マクロ社会的な実質的合理性の問題を無視すれば、という話ではありますが。(うーむ、なんと(悪い意味において)ある種の経済学者に典型的な理屈であることか!)

(もひとつおまけに)

社会保険労務士山崎正枝さんの証言:

https://twitter.com/masaeymsk/status/911955827610730498

私の時代(濱口桂一郎先生と同い年)は女子は文学部進学が一番多かった。特に英文学は偏差値が高かった。進学した同級生は、教員になった者もいるが、ほとんどは稼ぎのよさげな良家に嫁ぎ良妻賢母に落ち着いた。女子学生亡国論などが言われた時代だ。今は女子もジョブに結びつく学部の方が人気がある。

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2017年9月22日 (金)

全基連メルマガで労働基準監督官を描いた実録風小説「気迫の31DAYS」が連載

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全国労働基準関係団体連合会(全基連)のメルマガで、労働基準監督官を描いた実録風小説「気迫の31DAYS」が連載されるそうです。

その連載のお知らせに曰く:

不慮の事故で両親を失い、支え合って生きてきた妹真理を心配する姉恵理からの「真理は7時には出勤、毎日終電帰りで休日も出勤し、この6か月間に体調を壊した日を含め3日しか休めていない」旨のSOSの手紙を受けて、若井第一方面主任労働基準監督官、労働基準監督官遥、同浦口五郎は異例の3人という陣容で定期監督を装って10月5日に(株)JOCを臨検監督した。しかし、呈示を求めた書類上は、残業時間、休日出勤や割増賃金のいずれにも、不審な点はなく格別の問題は発見されなかった。
恵理からの手紙との違いに怪しいと踏んだ3人は、当然、それで引き下がったわけではなく、翌日からJOC本社への深夜に及ぶ張り込みを交替で始めた。そして、10月10日(日)の夕刻、翌日の面談に備えて恵理と連絡を取ろうと姉妹の自宅に掛けた遥の電話に応対したのは所轄警察署の既知の須崎係長だった。
「こちらのお嬢さんが亡くなっていてどうも自殺らしいんですが?」
「自殺?」
「ええ、お姉さんが帰宅してみると書置きがあったと。」
「書置き?」
「ええ、『お姉さん、ごめんなさい。父さんや母さんに会いたい』とだけ!」
「お姉さんは?」
「それが・・・妹は会社に殺されたというだけで要領を得ないのですよ。」
「須崎さん、その話はこちらも情報を持っています。後で、情報交換しましょう。妹さんはどんな状況でしょうか?」
「ええ、風呂場でのリストカットです。お姉さんは泣くばかりで何を聞いても同じことを繰り返すだけなんです。」

その日のうちに、過特(かとく)を総動員して所轄労働局に捜査本部を設置するとともに、深夜の内定を継続することが決定された。
被疑会社へのガサ(強制捜索)、被疑者企画課長・参考人の取調べの状況やマスコミ対応、所轄労働局や厚生労働本省の動きなどが時を追って臨場感あふれるタッチで小説は進みます。
感働きの鋭い園田署長の指揮の下、呻吟しながら捜査を進める監督官とそれぞれの思いに、行きつけの藍染め暖簾の「おふくろ」では見目麗しい労働局長との触れ合いなどを織り込みながら、11月5日(金)に書類送検するまでを描いたドキュメンタリー風小説「気迫の31DAYS」の連載が始まります。ご期待ください。

というわけで、メルマガの配信申込みはこちらから

https://www.zenkiren.com/mailmag/new-form.html

このメルマガ、

「全基連マガジン」(メールマガジン)を月2回、希望者に無料で配信しています。
労働行政の新たな動きなどのほか他に類例のない情報として、労基署による送検事例を収録しています。

とのことです。

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「日本はなぜここまで教育にカネを使わないのか」への答え

ニューズウィーク日本版に、舞田敏彦さんによる「日本はなぜここまで教育にカネを使わないのか」という文章が載っています。

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/09/post-8491.php

本ブログでも再三取り上げてきたOECDのデータ等を使って、「日本はいかに教育にカネを使わないのか」を提示しているのですが、文章を最後まで読んでも、「日本はなぜここまで教育にカネを使わないのか」という問いかけもなければ、「それは・・・・だからだ」という答えも書かれていません。

まあ、タイトルは編集部が勝手につけたのかも知れないので、舞田さんの責任とは言えないかも知れませんが、タイトルを見て答えが書かれていると思った人の欲求不満を、僭越ながら拙文を引用して少しでもなだめてみたいと思います。

Hyoshi32昨年『POSSE』32号に載せた「日本型雇用と日本型大学の歪み」からです。

・・・矢野眞和さんは『「習慣病」になったニッポンの大学』(日本図書センター、2011年)で、日本型大衆大学を日本型家族と日本型雇用と三位一体のシステムと捉え、その諸外国に類をみない18歳主義、卒業主義、親負担主義という3つの特徴を指摘しています。ここで言う日本型家族というのは大学の授業料を親が負担するという点に着目したものですから、それを可能にするような年功的な生活給を企業が労働者に支払うことを含意しています。かつては大学進学率自体が極めて低かったのですから、子どもが成人に達した後まで親の生活給で面倒をみるのが当たり前というのは、1970年代以降に確立したごく新しい「日本型」システムであることに留意すべきでしょう。

 そして、「日本型」システムが常識化していくとともに、それ以前に世界標準に近い形で形成されていた制度は、非常識なものとして急速に「日本型」に適合するような形に変形されていきます。国立大学の授業料は1975年の3.6万円から1980年に18万円に上昇し、21世紀には50万円を超えるに至りました。私立大学は80万円を超えています。親がそれだけの給料をもらっていることを前提とすれば、まことに常識に沿ったやり方だったのでしょう。

 一方、本号の特集との関係でいえば、奨学金制度を有利子による金融事業へと大きく転換させた1984年日本育英会法改正は、学校卒業後誰もが日本型雇用システムの中で年功賃金を受け取っていくことを前提とした仕組みです。1980年代の改革を後の新自由主義につながるものとして解釈することも可能ですが、日本型雇用システムへの賞賛が最盛期に達していた時代であり、その時代の精神的刻印を濃厚に受けているということを忘れてはならないでしょう。授業料の引き上げも、奨学金の金融化も、少なくともその始まった時代には「常識」に合わせるための改革だったのです。しかし、その「常識」はやがて周辺部から崩れていきます。

・・・日本型雇用の収縮は年功賃金を享受してきた中高年層にも及びます。拙著『日本の雇用と中高年』(ちくま新書、2014年)では、90年代以降のリストラが中高年労働者、とりわけ管理職クラスを狙い撃ちしたこと、追い出し部屋に送り込まれ、意に反して「希望」退職を強いられたことを述べました。しかしより広範で重要なのは、ヒト基準の職能給制度を維持したまま、(本来は職務を明確に定義することが前提であるはずの)成果主義賃金制度を大幅に導入し、「成果が上がっていない」という理由で年功的に高賃金になる多くの中高年労働者の賃金カーブを引き下げようとしたことです。そのこと自体は、(手法の是非を別とすれば)合理的と評価しうる面もあります。

 しかしながら、日本型雇用における中高年の高賃金とは、西欧諸国であれば公的な社会保障で賄われているはずの教育費や住宅費といった必然的生活コストを個別企業の賃金で賄うという意味がありました。だからこそ、70年代以降先進諸国と同様に高等教育進学率が急速に上昇していったにもかかわらず、その費用の大部分を公的負担ではなく私的負担で賄うことができたのです。その私的負担を可能にしたのは、学生の親(父親)の年功的高賃金でした。矢野眞和さんのいう「親負担主義」の雇用システム的基盤です。それが90年代以降企業の経営合理性を理由に攻撃対象となったにもかかわらず、それを公的負担にシフトさせていこうというような声はほとんど上がることはありませんでした。こちらもやはり、90年代以降世の中を席巻したネオリベラリズムが原理的に私的負担を正当化する方向に働いたからです。

 親の年功賃金が徐々に縮小していく中で、等しく私的負担といってもその負担主体は次第に学生本人にシフトしていかざるを得ません。こうして、かつては補完的収入であった奨学金やアルバイト収入が、それなくしては大学生活を送ることができないほど枢要の収入源となっていきます。学生本人の現在の労働報酬と将来の労働収入(を担保にした借入)によって高等教育費を賄うべきという考え方は、それ自体は市場原理主義という一つの思想から正当化され得ます。しかし、それはそういう形で正当化されて成立した仕組みではありません。日本型雇用に基づく年功賃金を所与の前提とする親負担主義に立脚して作られた仕組みです。それがいつの間にか、ネオリベラリズム的な本人負担主義にすり替えられていたのです。

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長野県が勤務間インターバル制

01dc_banner01既に各紙で報じられていますが、長野県が休息時間制度、いわゆる勤務間インターバル制を試行実施するとのことです。

http://www.pref.nagano.lg.jp/jinji/0921press.html

県庁において「勤務間インターバル制」の試行を実施します

県では、働き方改革による総労働時間の短縮や職員のワークライフバランスの推進に取り組んでいます。

 この一環で、職員が十分な生活時間や睡眠時間を確保し、健康を維持しながら生産性の高い働き方を可能とするため、仕事を終えてから次に働き始めるまでの休息時間(インターバル)を一定時間確保する新たな視点からの取組「勤務間インターバル制」を試行します。

1 実施期間・所属

 ○ 平成29年10月2日(月)から12月28日(木)までの3ヶ月間

 ○ 県警本部を除く本庁所属(知事部局、教育委員会、企業局等)において実施[対象約1,800人]

   (本庁試行の状況を踏まえて現地機関の試行を検討)

2 実施内容

 ○ 災害などの臨時業務を除き、休息時間は最低でも11時間を確保します。

 ○ やむを得ず21時30分以降の時間外勤務を行う場合は、原則遅出勤務を実施します。

   ※遅出勤務:X勤務(9:00~17:45)、Y勤務(9:30~18:15)、Z勤務(10:00~18:45)を活用

     10時の勤務開始が再遅であることから、11時間前である23時以降の時間外勤務は原則NG

 ○ 試行の状況等を踏まえ、試行後の対応について検討します。

   ※行政サービスが低下しないよう執務時間(8:30~17:15)や窓口の開設時間は変更しません。

突然の解散風で、今年中の労働時間設定改善法改正による努力義務の規定はちょっと先に伸びたようですが、いずれにしても世間の気運の醸成という意味では、こういう地方自治体の試みはもっとあっていいと思います。

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個人請負(contractor)を「契約社員」と訳してはいけない

ウォール・ストリート・ジャーナル日本語版に、英文記事の邦訳が載っていて、内容はなかなか興味深いのですが、タイトルが完璧に間違っているのでどうしようもない。

http://jp.wsj.com/articles/SB10663294989566513588704583403403159054028 (米国の契約社員、キャリアには遠い「二流」)

Bnvc773_0914tw_p_20170914071520 え!?アメリカに「契約社員」だって?

副題を見ると、「社員ではない非正規労働者は数百万人、その知られざる実態は」とあって、やはり日本人、というか労働問題の普通の日本語の用法に慣れた日本人を惑わせます。

ジョージア州アトランタに住むマイケル・プレイスさん(59)は、2001年に IBM から解雇されたとき、社内のつまらない仕事から解放されることを喜んだ。それからさまざまな企業と契約し、業務の迅速化やコスト削減を手助けする仕事を請け負うようになった。仕事が途切れることはなく、彼の稼ぎは年収10万ドル(現在のレートで約1100万円)を超えた。

 だがそのうちに仕事がぱったりと来なくなった。過去10年間は企業のアウトソーシング(外部委託)業務の職を転々としたが、収入は減る一方だ。いつ首になるかという不安にかられ、たとえ机を並べていても正社員は別世界に生きていることを思い知らされた。プレイスさんはあるマネジャーに叱責(しっせき)を受けたが、原因は自分の笑い声が大きすぎるという社員の苦情だった。

 「私のキャリアはぼろぼろだ」とプレイスさんは話す。「もう何の意味もない」・・・

ちょっと待てよ、それって契約社員とか非正規労働者とかじゃなくって、非雇用の個人請負じゃないのか?

確かに先を読み進めていくと、そう書いてあります。

・・・米国には現在、重労働や事務処理などの作業を引き受ける契約社員(訳注:米国では業務請負契約を結んだ個人事業主など)が数百万人いる。企業は社員の一部をこうした委託労働者に交代させている。今後4年以内に米国の民間セクターの労働者の半数近くが、少なくとも一定期間は契約社員や派遣社員などの非正規労働者を経験することになると、専門職の個人事業者にサポートサービスを提供するMBOパートナーズは見込んでいる。

おいおい、それを「契約社員」という、法律用語ではないけれども労働関係ではもっともポピュラーな直接雇用有期契約労働者を指す日本語で呼ぶんじゃないよ。

無期契約労働者といえども解雇自由なアメリカでは、わざわざ期間を定めたれっきとした労働者を雇う意味はあんまりありません。有期だから斬りやすいわけではないとはいえ、雇用労働者としての労働者保護や社会保険負担はかかってくるので。なので、労働者じゃない個人請負にしたがるインセンティブが働くわけです。

そういう話を全部すっ飛ばして、いきなりタイトルから「契約社員」と言われたのでは情けなくって涙が出ます。

というか、この「契約社員」という言葉、単に原文の「contractor」に引っ張られただけのようですが。

http://jp.wsj.com/articles/SB10663294989566513588704583403403159054028 (The Second-Class Office Workers)

副題に曰く:「For millions of Americans who work as contractors, real careers are out of reach and each day brings reminders that they live in a different world than the employees sitting nearby.」

いや、contractorというのは請負人という意味であって、日本語の契約社員とは全く別だから。

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2017年9月20日 (水)

労働4・0と労働法制@『労働法律旬報』9月上旬号

1895 『労働法律旬報』9月上旬号が「労働4・0と労働法制」という大変面白そうな特集を組んでいます。

http://www.junposha.com/catalog/product_info.php/products_id/1195?osCsid=09u3cqk3a28prsmf1jo3jlnco7

[特集]労働4・0と労働法制・・・06

デジタル化とAIの労働市場と労働法への影響=高橋賢司・・・07

日本における労働者概念と労働契約―「労働4・0」において「労働者」の定義は変わるのか?=橋本陽子・・・13

プラットホームエコノミーと労働法上の使用者=浜村 彰・・・18

日本における職業安定法と労働力の需給調整に関わる事業の法規制―現状と課題=有田謙司・・・25

日本における労働世界のデジタル化と労使関係(法)=榊原嘉明・・・30

やや出遅れ気味であった日本でも、最近になっていくつかの雑誌でこの手の特集が組まれてきています。

H1300x404 今年だけでも、金属労協の『JCM』が「第4次産業革命とものづくり産業の未来」を、

http://www.jcmetal.jp/news/kouhou/kikanshi2/20809/

20170809 JILPTの『ビジネス・レーバー・トレンド』が「働き方の未来」を、

http://www.jil.go.jp/kokunai/blt/backnumber/2017/0809/index.html

それぞれ特集しています。ちなみに、いずれにも私と山本陽大さんが登場しており、山本さんはドイツの労働4.0を紹介しています。

今回の『労旬』の特集号は、日独労働法協会が今年5月にドイツで行った日独シンポジウムにおける日本側報告とのことで、やや日本の現状報告という色彩が強いですが、上記諸論文の中では、最後の榊原さんの労使関係(法)にあえて論及したものが一番面白く読めました。

私も、労働のデジタル化に関わる諸問題の中で、現在の日本で一番論じられるべくして論じられていないテーマは、集団的労使関係システムに関わる問題だと思っているからです。

榊原さんが提起する論点はいくつもあるのですが、中でも他に殆ど誰も論じていないと思われるのは、労働組合の労働者供給事業の可能性を論じている部分です。

Show_image 実は今から5年前の『労旬』で労組労供事業についてのシンポジウムに出たとき、わたしはこういうことを述べたことがあるのですが、

・・・・労組労供の法制そのものについては、行政当局も何も考えずに、戦前の労務供給事業を見て「労働者供給とは事実上の支配関係だ」とか言っているだけで、そもそも労組労供とは一体何であるかをきちんと定義していない。私は、独自の見解を持っております。だれも賛成してくれないんですが、労組労供は労働者協同組合(労協)であるという意見です。

労働者協同組合もまた法制化しようとして、いろいろもめているんですが、物的な事業そのものを労働者が集まって労力を出し合って協同組合でやるというものです。そして、その事業の中身が労働力の供給であるのが労組労供であると考えるのが、法制的には一番素直なのではないかと思っています。

そう説明すれば、労組労供が今まで悩み苦しんできた事業主体性の問題や、誰がどう支払うかといった問題を、一刀両断できるのではないでしょうか。・・・

その時にはまだデジタル化というような話は全然想定外でしたが、この議論は意外に繋がってくるのではないかという気がしています。

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「労働契約法9条『合意』の出所」@『労基旬報』2017年9月25日号

『労基旬報』2017年9月25日号に「労働契約法9条『合意』の出所」を寄稿しました。

 おそらくここ数年間の労働法学の世界で最もホットな論争点の一つになっているのが、労働契約法第9条の反対解釈をめぐる議論でしょう。同条は「使用者は、労働者と合意することなく、就業規則を変更することにより、労働者の不利益に労働契約の内容である労働条件を変更することはできない。ただし、次条の場合は、この限りでない。」と規定しています。この「労働者と合意することなく」という文言を反対解釈して、労働者と同意すれば就業規則を変更して不利益変更することができると解釈するのか(合意基準説)、次の第10条に基づいて合理性審査が必要と解釈するのか(合理性基準説)をめぐる論争です。詳細は労働法の教科書や論文に書かれていますのでここでは解釈論には一切踏み込みません。ここで論じたいのは、確立した判例法理を「足しもせず、引きもせず」立法化したはずの労働契約法の文言からなぜこうした問題が飛び出してきてしまったのか、という立法学的検討です。
 この「労働者と合意することなく」という文言が初めて登場するのは、2007年1月25日の労政審労働条件分科会(以下「分科会」)に諮問された労働契約法案要綱においてです。しかし同日の議事録を見ても、「原則としてできない、ただし・・・」という点については議論になっていますが、この「合意」自体は議論になっていません。そもそも法案作業では通常、法案要綱として諮問される前にほぼそれに対応する中身が建議/答申としてまとめられるもので、これについても2006年12月27日に「今後の労働契約法制の在り方について」答申がされています。そこでは「就業規則の変更による労働条件の変更」として「就業規則の変更による労働条件の変更については、その変更が合理的なものであるかどうかの判断要素を含め、判例法理に沿って、明らかにすること。」と書かれていました。「労働者と合意することなく」という文言は、少なくとも厚生労働省当局は「判例法理に沿っ」たものと理解しており、分科会の委員も特に異議を唱えていなかったことがわかります。
 しかし問題はむしろ、それまでの諸判決には明確にそういう文言が存在しないにもかかわらず、「労働者と合意することなく」という文言が判例法理に沿ったものとして立法過程に入り込んできたのはなぜかという点にあります。それを理解するには、それに先立つ分科会の審議において、労働側委員が繰り返し合意原則の重要性を主張したことを認識する必要があります。詳しくは「集団的労使関係法としての就業規則法理」(『季刊労働法』2007年冬号(219号))に書きましたが、分科会の議事録を読んでいくと、労働側委員が「契約法上は、契約というのは当事者双方の合意であり、合意がなければ法的効果は何も発生しないはず」とか「市民社会のルールの基本的な契約のルールというのは当事者の合意」といった、学者や弁護士ならいざ知らず、労働組合の意見とは到底思えないような発言を繰り返しており、民法の私的自治原則を強調する方向に引っ張っているのです。西村分科会長が皮肉混じりに「就業規則法制・・・ああいうものはもう古いモードなので、脱ぎ捨ててやめてしまったらどうかとおっしゃるのだったら、奥谷委員もすごく喜ぶのではないか」、「我々が労働法の授業をやるときには、市民社会のルールというところから出発するわけで、まずは出発点なのですが、その出発点は21世紀ではなく、18世紀と言うか、19世紀と言うか。それは労働者にとってはハッピーではなく、どちらかというと不幸ですよね」というほど、労働組合は市民法の合意原則を高く掲げていたのです。
 実は、今後の労働契約法制の在り方に関する研究会が2005年9月にまとめた報告書では、判例法理を維持するのではなくあえて集団的合意原則を加え、「過半数組合が合意した場合または労使委員会の委員の5分の4以上の多数により変更を認める決議があった場合には、変更後の就業規則の合理性が推定される」という立法を提案していたのです。分科会でも、2006年4月11日の「検討の視点」や6月13日の「在り方について(案)」ではさまざまなバリエーションを含みつつ同様の提案がされていたのですが、9月11日の「今後の検討について(案)」では「わが国では就業規則による労働条件の決定が広範に行われているのが実態であることにかんがみ、就業規則の変更によって労働条件を集団的に変更する場合のルールや使用者と当該事業場の労働者の見解を求めた過半数組合との間で合意している場合にルールについて検討を深めてはどうか」とかなり後退し、11月21日の「今後の労働契約法制について検討すべき具体的論点(素案)」では、集団的合意原則は完全に影を潜め、判例法理そのままに現行第10条の原型が示されています。

イ 使用者が就業規則を変更し、その就業規則を労働者に周知させていた場合において、就業規則の変更が合理的なものであるときは、労働契約の内容は、変更後の就業規則に定めるところによるものとすることとしてはどうか。
ロ  上記イの「合理的なもの」であるかどうかの判断要素は、次に掲げる事項その他の就業規則の変更に係る事情としてはどうか。
ⅰ  労働組合との合意その他の労働者との調整の状況(労使の協議の状況)
ⅱ  労働条件の変更の必要性
ⅲ  就業規則の変更の内容

 しかしこれに対しても、労働側は判例法理そのままではないと批判します。原点の秋北バス事件最高裁判決は「就業規則の変更により、一方的労働条件の変更は、原則できない」と言っているではないか、できないのが原則であって例外が変更法理なのだから、その通り書け、と。この時の労働側の議論は、判断要素の冒頭に労働組合との合意が出てくるのがおかしい、「労働組合による変更、プロセスが際立って第1番目に出てきますので、そこは重視されるという裁判所の判断が出てこないかと危惧」するなどという、到底労働運動の言葉とは思えないような労働組合不信論を振り回すに至っています。
 かくも集団的合意原則を否定し、労働者個人の市民法的合意原則の明記を強く要求した労働側の努力の結実が、上記労働契約法案要綱であったわけです。とりわけ、答申案が示される直前の12月12日に、多くの労働法学者が「就業規則変更法理の成文化に再考を求める労働法研究者の声明」(『季刊労働法』216号所収)において、「たとえ合理性の要件に制約されるとはいっても、使用者による一方的な労働条件決定・・・を認める法理は、契約法としては極めて特異であり、契約原理に悖るものといわざるを得ない」と批判し、「個別契約当事者間における契約変更方法の検討のための努力」を求めていたことが重要です。12月27日の分科会では労働側からこの声明が「理屈としては全くそのとおり」と紹介されています。判例法理に「何も足さない、何も引かない」と言いつつ、その判例法理を「契約原理に悖る」と批判する議論に対して、厚生労働省が出した答えが、判例法理に「労働者と合意することなく」という市民法的合意原則の文言を「足す」ことであったわけです。そして上述したように、この「足」した部分に対して、いまや市民法原理の守護神となった労働側はなんら文句をつけようとはしなかったのです。
 市民法的合意原則への熱狂が収まると、もともと労働法がそこから生まれてきた労働者個人の弱さという原点が再び露呈してきます。19世紀的市民社会のルールは、必ずしも労働者にとってハッピーではなく、不幸の元でもありうるという、労働法の教科書の冒頭に必ず書かれている常識が戻ってきます。労働者の個別合意を使って就業規則を変更するという事例がいくつも出現し、それをめぐって労働法学者が論争するという現在の状況が生み出されてきたのです。ただ、いかにも皮肉なのは、判例法理に「足」された「労働者との合意」を現在批判している学者の多くが、それを生み出した判例法理を「契約原理に悖る」と批判していた人々であることでしょう。
 そして、私の目から見て最大の問題は、就業規則の問題が結局市民法的個別合意原則と使用者の一方的決定プラス裁判所の合理性判断という二者択一の袋小路に閉じ込められたままであるということです。「労働条件の集合的処理、特にその統一的かつ画一的な決定を建前とする就業規則の性質」に即した集団的労使関係を活用した集団的合意原則の可能性は、その旗手であるはずの労働側によってほとんど全面的に否定されて以来、復活の兆しすら見えません。「集団的労使関係法としての就業規則法理」は未だに論文のタイトルのままです。

 

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2017年9月19日 (火)

八代尚宏『働き方改革の経済学』

07539 八代尚宏さんより近著『働き方改革の経済学』(日本評論社)をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

https://www.nippyo.co.jp/shop/book/7539.html

八代さんの今までの本と同様、日本型雇用システムを過度に前提とした法制度や政策の見直しを主張するもので、タイトルは今風ですが、中身はまったくぶれはありません。

そして、とかく一知半解の諸氏によく見られる、日本は世界で一番解雇法制が厳しい国だとかいうたぐいの、雇用システムと法制度との相互作用関係を見落とした議論ではなく、まさにわたくしの議論とよく響き合うような理論展開を、各章ごとに見事に示している点も、私が本ブログで紹介するたびに高く評価してきた点でもあります。

たとえば、第2章の解雇の金銭解決を取り上げた章でも、この目次を見ればわかるように、

第2章 解雇の金銭解決ルールはなぜ必要か

 1.日本の雇用契約の特殊性

 2.日本の雇用規制の現状

 3.解雇の紛争解決の手段

 4.解雇無効時の取り扱い

 5.解雇の金銭補償ルールをめぐる政治的対立

まずは「日本の雇用契約の特殊性」からきちんと論じていきます。ここを抜きにして日本は解雇できない云々というのはナンセンスであるということを、ちゃんとわかって論じているのかそうでないのかで、論者のレベルを測ることができます。八代さんはちゃんとこう論じた上で、法制のあり方を論じています。

・・・すでにみたように日本の大企業では、雇用保障の代償として広範な人事権を前提とした業務命令が労働者に受け入れられている。この無限定な働き方は裁判上も尊重されており、家族の事情等から頻繁な配置転換や転勤命令に従えない社員の解雇が裁判所で有効と判断される事例もある。これは同時に企業の広範な人事権に従ってさえいれば、懲戒事由に相当する場合以外で、単なる「仕事能力の不足」程度で解雇することは、社会的に妥当ではないという裁判官の判断とも整合的である。・・・

その意味で、表層だけ見て八代さんは自分と同じ意見だと思っている一知半解諸氏と八代さん自身との距離は大きいものがあります。

さらに、第3章の同一労働同一賃金を取り上げた章を読んでいくと、官邸主導のガイドラインに対して大変厳しい批判の矢を向けていて、その論調はほとんど遠藤公嗣さんや木下武男さんと極めて近いものがあることがわかるはずです。

第3章 竜頭蛇尾の同一労働同一賃金改革

 1.年功賃金を維持したままでの「同一賃金」は論理矛盾

 2.働き方改革ガイドライン

 3.同一労働同一賃金は賃下げを意味するか

 4.同一賃金実現のために必要な法改正

 5.労働契約法の2018年問題

これはかつて本ブログで取り上げたことがありますが、賃金制度論に関していえば、メンバーシップ型の正社員型年功賃金制に対する批判の厳しさという点で、うかつな人々がつい政治的コンパスで両極に置きがちな八代さんと遠藤さんらが、その主張はほとんど同型的であるということを、せめてマスコミで労働問題を報じるような立場にある人はきちんとわきまえておく必要があると思われます。

この両者の共通性は、世間の同一労働同一賃金論が、正社員の賃金引下げには曖昧ないし否定的な姿勢であるのに対し、正面から正社員の賃下げを提起する点にもあります。たとえば八代さんは、

・・・第3に、正社員の賃金が家族の生計費とともに引き上げられる生活給が「人間らしい働き方」という論理がある。これについては、職務給が大部分の欧米の労働者は非人間的な働き方かという反論がありうる。年功賃金は企業の恩恵ではなく、途中で退職すると不利になることで労働者を企業内に閉じ込める手段であるとともに、欧米にはない人事権の裁量性の高さの代償でもある。・・・

と語りますが、一方遠藤さんは前に紹介した『労働情報』への寄稿で、

・・・ 「同一価値労働同一賃金をめざす職務評価」によって賃金額を決めると、大企業の正規労働者の賃金額は現在より低くなる可能性がある。現在の賃金額は職務基準で決まっていないからである。この点で、・・・属人基準の賃金が低くなるべきでないかのように述べる(II(957号)の禿発言)のは、理論的に失当だと思う。そうではなくて、大企業の正規労働者の賃金額が低くなる可能性は、利点(1)と(4)で代償される、トレードオフされると考えるのが正当である。正規労働者の賃金額が低くなるとの懸念は、暗黙の内に、男性稼ぎ主型家族を前提とした男性稼ぎ主の懸念である。だから(1)と(4)は利点にみえない。しかし、共働き家族や母子家族や単身などを含む多様な家族構造を前提とすると、(1)と(4)は大きな利点である。労働者側には、社会全体を視野に入れる「費用便益計算」が求められている。

と、かなり明確に社会全体の利益のために正社員の賃下げを唱道しています。このあたり、労働問題をスローガンレベルでしか見ていない人にはなかなか見えにくいのでしょう。

その他、第4章の物理的労働時間規制の必要性、第5章の年齢差別禁止という観点を貫く高齢者雇用論、さらに日本型雇用システムが女性活躍を縛っているという認識の第6章など、八代さんの議論は常に言葉の真の意味でラディカルであり、しかもそれを支える事実認識はかなり的確です。

第4章 残業依存の働き方の改革

 1.日本の長時間労働の現状と問題点

 2.労働時間規制の問題点

 3.時間に囚われない働き方へ

 4.テレワークの活用

 5.労働法違反への監督体制強化を

第5章 年齢差別としての定年退職制度

 1.高齢者就業の現状

 2.定年退職制度はなぜ必要か

 3.付け焼刃の高年齢者雇用安全法

 4.定年退職再雇用者の賃金格差問題

 5.年齢差別をどう克服するか

第6章 女性の活用はなぜ進まないか

 1.女性就業の現状

 2.夫婦共働きという働き方を基本に

 3.男女間賃金格差の現状と要因

 4.女性が働くと損になる仕組みの改革

 5.ワーク・ライフ・バランスと矛盾する日本の雇用慣行

本書で興味深かったのは、最後の第7章です。これは20年近く前の『人事部はもういらない』を書き直したものとのことですが、問題の本質を鋭くえぐる筆致はますます冴え渡っています。

第7章 人事制度改革の方向

 1.日本の人事部の特徴

 2.政府の働き方改革への対応

 3.人事評価の3点セット

 4.女性の管理職比率引上げの意味

 5.市場原則で決める管理職ポスト

 6.人事部は人材サービス事業部へ

たとえば、

・・・日本の大企業では、人事部は強大な権限を持っている。・・・

・・・この人事部の権限の大きさは、日本の雇用契約のあり方が、特定の職務に縛られない「配置の柔構造」(熊沢1977)に基づいているためである。・・・日本企業では、個人の職務範囲が弾力的で、いわば軟体動物のように柔軟に変化する。・・・

濱口(2009)では、こうした特定の職務を単位として働くことを明確に定めた雇用契約のもとで、その範囲内の業務について労働者は一定の労働の義務を負う反面、使用者は働かせる権利を持つ、いわば機械の部品のような働き方が「ジョブ型」と定義される。他方で、こうした職務概念が特定されず、具体的にどのような業務に従事するかは使用者の命令次第で決められる融通無碍な仕組みを「メンバーシップ型」と定式化した。日本的雇用慣行の三本柱といわれる、長期雇用・年功賃金・企業別組合は。実はこの軟体動物型の働き方を支える道具に過ぎない。・・・

と、熊沢誠さんの著著まで引用しつつ、「軟体動物」という独自の比喩まで飛び出してきます。

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2017年9月18日 (月)

「無期雇用派遣」と働き方のこれから

Index_main_01 アデコの「Power of Work」というサイトに、「「無期雇用派遣」と働き方のこれから」という記事が載っており、そこに私もちょっと登場しています。

http://www.adecco.co.jp/power-of-work/023.html

「労働契約に期間の定めのない派遣労働という意味での『無期雇用派遣』は、以前からありました。それ自体が新しい働き方というわけではありません。ただ、今回の改正労働者派遣法において重要なのは、『有期』と『無期』の区別を明確にすることで、これまで曖昧にされていた派遣労働者の保護を強化したことです」

こう語るのは、独立行政法人 労働政策研究・研修機構の労働政策研究所長、濱口桂一郎氏だ。

はじめ、無期雇用派遣という新しい働き方が始まった、みたいな感じで聞いてきたので、いやいやそうではないよという話から始めています。

「派遣労働を含む雇用契約において、『無期雇用』と似て非なる考え方として『常時雇用(常用)』があります。同じ会社・職場に継続的に働いている点は同様ですが、常用の中には、有期契約なのに反復更新している結果として、事実上常用的に働いている人々が含まれます。彼らは、同じ職場に長く働いているにもかかわらず、契約期間の定めがあるため、ある日突然、契約更新を打ち切られるかもしれないという不安感があります。この状態は、労働者保護の観点からは望ましくありません。2015年の改正でこの点を改めて無期・有期という考え方を明確に取り入れ、労働者派遣法が派遣労働者の保護のための法律であることを明確に位置づけた。これこそが今回の改正の要諦だと考えられます」(濱口桂一郎氏)

別段新しい話はしていませんが、頭の整理にはなると思います。

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2017年9月17日 (日)

女性活躍と生殖適齢期

Dio 連合総研から『DIO』329号が届きました。

http://www.rengo-soken.or.jp/dio/pdf/dio329.pdf

特集は「女性の活躍は進んだか」です、

女性の活躍は進んだか 〜女性たちが直面する課題を考える〜 男性をふくめた働き方改革の必要性 大沢 真知子 …………………4

「生殖適齢期をふまえた」女性活躍推進企業への転換が急務 天野 馨南子 …………………8

女性の活躍推進になにが必要か~職場の要因から考える~ 大槻 奈巳 …………………14

女性活躍推進法に対応する企業の取組みと労働組合の役割 神尾 真知子 ………………19

この4人のうち、大沢さん、大槻さん、神尾さんについてはこの手のトピックでよく登場するのでだいたい中身も予想が付くでしょうが、2番目の天野さんのは「生殖適齢期」といういささかむつくけな言葉もあり、興味をそそられます。引用したい箇所が多すぎるので、やや長々と引用。

・・・ここで一点、大切な視点を提示しておきたい。

 読者の企業は、女性の(結婚・)妊娠・出産といったライフイベントが30代後半に設定せざるを得ないような人材育成・雇用管理制度が当たり前となってはいないだろうか。図表3で示されるように、女性が自然に妊娠を希望する場合、30代後半では3人に1人が年齢的な不妊にすでに陥っている。5年前であれば妊娠できたはずの同じ女性が年齢上昇することだけによって、不妊になる割合が30代後半で大きく増加する。・・・

・・・少し前までは少子化対策は子育て支援策である、と考えている世論が大半であった。しかし、日本の合計特殊出生率は1.44(2016年)であるものの、完結出生児数(結婚後15年から19年の初婚夫婦が最終的に授かる子ども数)は2015年で1.94であり、政府が掲げる希望(を叶える)出生率1.8よりも多い数値となっている。

 この差はなぜ生じるのか、というと、合計特殊出生率は分母に既婚女性だけでなく、未婚女性が含まれているからである。・・・

つまり、計算上、分母の未婚女性(特に生殖適齢期)の割合の増加が合計特殊出生率を引き下げていることになる。日本の少子化問題はまさに生殖的適齢期男女の「未婚化問題」の様相を呈していることがデータ的には指摘できる。・・・

・・・結婚や子どもをもつことは個人の勝手、ではあるものの、約7割の女性が仕事をもちつつ子どもをもつことを希望し、また、日本という社会が結婚をステップとして出産に踏み切る社会である以上、思うようにカップリングや妊娠出産が出来ない環境を企業が生み出しているならば、企業が次世代育成の実現に果たす役割(責任)はあまりにも大きいといえるだろう。

・・・先に述べた筆者のもとに訪れた「妻の妊娠希望にまったをかけたことを後悔する優しい夫たち」と同じことを、雇用する女性たち、もしくは雇用しようとする女子学生たちの「女性活躍」を期待するが故に、求めてしまってはいないだろうか。

・・・現状を見る限り、日本の働く母は「スーパーウーマン」を期待され、それに応えて戦っている。晩産化は女性の身体にとって、心身ともに母体リスクを引き上げる現象である。しかしながら日本における女性の出産年齢の上昇は止まる様子がない(図表9)

・・・母体のリスクはそのまま、赤ちゃんの将来のリスクである。母親の笑顔なくして、その子どもの、そのパートナーの幸せなどあるはずもない。

 スーパーウーマン頼みの企業経営は女性の身体にも、次世代育成にも、決して優しくない。労働組合は日本のお母さんを、お母さん候補を守る「最後の砦」ではないだろうか。夫であっても、親であっても、「お母さん(候補)」とそのパートナー(候補)の仕事年齢 のコントロールには力が及ばない。

 約7割の未婚女性が仕事も子育てもしたいとの理想を描く日本。

 10年後、20年後、「モノやサービスを提供する人もいなければ相手もいない」そんな経営に企業が嘆く前に、今、労働組合がその企業に提言できる「生殖適齢期をふまえた経営」は、まさに日本の未来を大きく変えるのではないだろうか。

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 この問題、ご記憶の方もおられるでしょうが、拙著『働く女子の運命』の最後のところで、海老原嗣生さんの議論を意識的に敵役に仕立てて論じたところです。

・・・ところが、そういう男女の対称性が破れる領域があります。いうまでもなく、生物学的に女性しかやれない妊娠、出産をめぐる領域です。・・・

・・・この問題が本書の一貫したテーマである日本型雇用と交差するのが、出産時期の問題です。・・・

・・・しかし、にもかかわらず、この問題を女性という第三の変数を含む三元連立方程式として解こうとすると、この解は女性に高齢出産を要求するというかなり問題含みの解になってしまうのです。海老原氏の『女子のキャリア』(ちくまプリマー新書)は、その最終章「「35歳」が女性を苦しめすぎている」で、「出産は20代ですべき」という論調に反発し、さまざまな医学的データまで駆使して、30代後半から40代前半で子供を生んでいいではないかと、高齢出産を余儀なくされる女性たちを擁護します。

・・・・・・・

働く女性を応援しようという海老原氏の意図はよく伝わってきます。しかし、それで正しい解になっているのか、正直、私には同意しきれないものがあります。・・・

マタニティという生物学的な要素にツケを回すような解が本当に正しい解なのか、ここは読者の皆さんに問いを投げかけておきたいと思います。

女性にハイリスクの高齢出産を強制するような形でしかやらないような女性活躍でいいのか?という問題意識を提起したつもりだったのですが、残念ながらあまり取り上げられることはありませんでした。

この問題を、あえて「生殖適齢期」という、うかつに男性が使うと批判が集中しかねない用語をあえて用いて提起した天野さんの議論には、やはり敬意を表したいと思います。

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G型もL型も拒否し、全員一律J型を求める人々

その同じ毎日新聞の同じ経済観測という欄に、宮本太郎さんの前日に載っていた冨山和彦さんのこれも大変面白い。

https://mainichi.jp/articles/20170915/ddm/008/070/079000c (文科省有識者会議の反「人づくり革命」答申=経営共創基盤CEO・冨山和彦)

文部科学省の有識者会議が「エリート校化した国立大学付属校は教員養成機能を果たせない。入試をくじ引きにして引きずりおろせ」という答申を出した。・・・

・・・1世紀は人的資本の時代だが、東大の世界ランクが40位台に低迷するなど、グローバルトップ人材の育成力強化は我が国の極めて重要な課題だ。学問、芸術、スポーツ等々、トップ人材育成競争のスタート地点は世界的に若年化が進んでいる。高い潜在能力の子どもたちが伸び伸びと過ごしている貴重な中学や高校が目の前にあるのに、それを「教員養成の役に立たない」という本末転倒な理由で潰すのか。むしろ優れた才能を伸ばし、豊かな人間性を育むスーパー中等教育機関として国を挙げて強化すべきではないのか。

この「ゆがんだ行政」を政治の力で正すことができるか。安倍政権の「人づくり革命」の本気度が問われている。

冨山さんといえば「G型、L型」ですが、どちらかといえばこれまでは職業教育を志向するL型論が目立っていましたが、当然のことながらG型論も重要なわけです。

それにしても、こういう冨山さんの議論を見てきて思うのは、日本社会がグローバルに専門分野で活躍するハイエンドのエリートたるG型も、ローカルに職業世界で生きてゆくノンエリートのL型も毛嫌いして、エリートでもなければノンエリートでもないグローバルでもなければローカルでもない、全員一律のJ型が大好きであるらしいということです。

まあ、その「人づくり革命」がどこまでこの全員一律J型イデオロギーを変えることができるのか、よくわかりませんが。

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子ども保険と老齢年金保険はどっちがより社会保険的か?

ソウルに行っている間に毎日新聞に載った記事が目にとまりました。社会保障を真面目に考えている学者である宮本太郎さんが、同じく社会保障を真面目に考えている数少ない学者である権丈善一さんと同様、子ども保険構想に一定の理解を示しています。

https://mainichi.jp/articles/20170916/ddm/008/070/050000c (「こども保険」の可能性=中央大教授・宮本太郎)

生まれてくる子どもの数が年に100万人を切り、需要減を見越して保育サービス拡充に本腰が入らず子どもを育てる困難がさらに増す。こんな悪循環が進む中で、「こども保険」をめぐる議論が始まっている。子育て支援に社会保険をという考え方には反発もあるが、私はこども保険という考え方は「あり」だと思う。

こども保険に反発する人は、社会保険は病気や失業など望まずして起こる社会的リスクに対処するものと強調する。出産と育児は、子どもが欲しい人が望んですることで、しかも老後には子どもに扶養されうる。そのような他人の便益に、なぜ皆が保険料を負担するのかというわけだ。・・・

この想定批判に対して宮本さんはこう温厚に論じるのですが、

だが、いまや子どもを持つことは一つの「リスク」だ。教育費などの実費コスト、母親が仕事を辞めて生涯賃金が減る機会コストを合わせると2億円を超える。それでいて生まれてくる子どもは、自分の親だけでなく、膨れあがる高齢世代全体を支えねばならない。・・・

たしかにそうなのですが、そもそも「社会保険は病気や失業など望まずして起こる社会的リスクに対処するものと強調する」人々があえて見えないふりをしていることがあります。

それは、法制度を作ったときには確かに間違いなく老齢による貧窮のリスクに対して社会的に対処するための社会保険制度であったはずの、そして法制度の基本構造は現在でもまったくそのまま社会「保険」であるはずの老齢年金制度が、しかしながら、現実の圧倒的多数の人々、とりわけ年金を受給している高齢者たちからは、保険どころか、若い頃に積み立てた貯金を返してもらっていると認識されてしまっているという事実です。

この問題については、本ブログでも何回か取り上げてきましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-f716.html (年金世代の大いなる勘違い)

・・・公的年金とは今現在の現役世代が稼いだ金を国家権力を通じて高齢世代に再分配しているのだということがちゃんと分かっていれば、年金をもらっている側がそういう発想になることはあり得ないはずだと、普通思うわけです。

でも、年金世代はそう思っていないんです。この金は、俺たちが若い頃に預けた金じゃ、預けた金を返してもらっとるんじゃから、現役世代に感謝するいわれなんぞないわい、と、まあ、そういう風に思っているんです。

自分が今受け取っている年金を社会保障だと思っていないんです。

まるで民間銀行に預けた金を受け取っているかのように思っているんです。

だから、年金生活しながら、平然と「小さな政府」万歳とか言っていられるんでしょう。

自分の生計がもっぱら「大きな政府」のおかげで成り立っているなんて、これっぽっちも思っていないので、「近ごろの若い連中」にお金を渡すような「大きな政府」は無駄じゃ無駄じゃ、と思うわけですね。・・・

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-7e36.html (「ワシの年金」バカが福祉を殺す)

・・・いや、駒崎さんをクローニー呼ばわりする下司下郎は、まさに税金を原資にするしかない福祉を目の敵にしているわけですが、そういうのをおいといて、マスコミや政治家といった「世間」感覚の人々の場合、福祉といえばまずなにより年金という素朴な感覚と、しかし年金の金はワシが若い頃払った金じゃという私保険感覚が、(本来矛盾するはずなのに)頭の中でべたりとくっついて、増税は我々の福祉のためという北欧諸国ではごく当たり前の感覚が広まるのを阻害しているように思われます。・・・

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-d4d3.html (「ワシの年金」バカの脳内積立妄想)

・・・ニッポンという大家族で、子どもと孫の世代が一生懸命耕して田植えして稲刈りして積み上げたお米を、もう引退したじいさまとばあさまも食べて生きているという状況下で、その現役世代の食えるお米が少なくなったときに、さて、じいさまとばあさまの食う米を同じように減らすべきか、断固として減らしてはならないか。

多分、子どもや孫が腹を減らしてもじいさまとばあさまの食う米を減らしてはならないと主張する人は、その米が何十年もむかしにそのじさまとばあさまが現役で田んぼに出て働いていた頃に、自分で刈り取ったお米が倉の中に何十年も積み上げられていて、それを今ワシらが食っているんじゃ、と思っているのでしょう。

いろいろ思うに、ここ10年、いや20年近くにわたる年金をめぐるわけの分からない議論の漂流の源泉は、そもそも現実の年金が仕送りになっているということを忘れた「ワシの年金」バカの脳内積立妄想に在るのではないか、というのが私の見立てです。・・・

制度上はほかならぬ社会「保険」であるはずのものが、ここまで保険じゃなく貯金だと思われてしまっているこの日本において、今更のごとく(さりげなく年金を隠して)「社会保険は病気や失業など望まずして起こる社会的リスクに対処するものと強調する」人々の偽善性は指摘するに足ると思われます。

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2017年9月16日 (土)

青瓦台からイムジン河へ

昨日の日韓ワークショップは、大変興味深い議論になり、もっと韓国についていろいろ勉強する必要を痛感。

日本と韓国の雇用システム、賃金制度の類似と相違については、近く簡単なエッセイで書くつもり。

今日は、呉学殊さんの案内で、青瓦台に行ったあと、

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北朝鮮を目の前に見るイムジン河沿いのオドウサン統一展望台へ。

川の向こう側は、もう北朝鮮。いくつか建物が見えますが、呉さんによれば、全部フェイクで、人は住んでいないそうです。

川幅は、細いところで500メートル足らずですが、砂が溜まって、流れはごく細く、北朝鮮の民衆がその気になったら、すぐに渡れそうな距離ですが、遥かな距離があるのですね。
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ところで、イムジン河といえば、ある年齢以上の人はこんな歌を思い出すかも知れません。

ちょうど、水鳥が川の上空を飛んでいく姿を見て、思わず口ずさむ人もいましたが、でもイこの歌、よく聞くと、「北の大地から南の空へ、飛びゆく鳥よ、自由の使者よ」と、まるで、北朝鮮が自由の国で、南の韓国が独裁に呻吟する国みたいな歌だったんですね。

今となってはあまりにも皮肉ですが、半世紀前にはそういう認識が知識人の間では結構普通で、だから在日朝鮮人(在日北朝鮮人ではない)を「この世の天国」と称して凍土の共和国に送り込んだりしてたんでしょうね、自分では正義感に燃えて。

 

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2017年9月15日 (金)

ソウルの夜

北朝鮮がまたミサイルをぶっ放したようですが、ソウルの街は至って平静です。
夜のミョンドンも、賑やか。とはいえ、昨晩は、日本ではあまり見かけることのない光景を目にしました。
飲んでたら、一人が、なんかハチマキ締めて騒いでるぞ、と。
で、見に行ったら、確かにハチマキ締めて拳を振り上げて、何か糾弾しています。
国民銀行の人たちのようで、日本では数十年絶えて見たことのない光景だなあ、と感じた次第。

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2017年9月13日 (水)

『季刊労働法』2017秋号

258_hp 『季刊労働法』2017秋号が届きました。特集は「働き方改革はどこに向かうのか」です。

特集記事は4本。まず内閣府の参事官だった武田康祐さん(現在は厚労省に戻って賃金課長ですが)の「働き方改革の実現に向けて」。これはもう事務局として淡々と書かれています。

次がわたくしの「労働時間の上限規制とインターバル規制」。戦前の工場法から紐解いて、時間外労働の上限規制が実現に至らなかった歴史を詳しく述べています。なお、原稿を送ってから例の連合の要請事件があったので、若干の追記をしています。

三つ目は和田肇さんの「いつになったら先進国並みの年休制度に」。冒頭の「はじめに」で、日本的年休感覚にどっぷり浸かった人からからかわれたり批判されたりした経験を書かれていて、その気持ちがとてもよくわかります。

四つ目は監督官出身の社労士の北岡大介さんの「労働時間規制と行政上の履行確保」。実務家の注目する今年の新ガイドラインを初めとして、現場目線でいくつもの論点を取り上げています。

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Education at a Glance 2017

0OECDの「Education at a Glance 2017」が公表され、新聞紙上でも取り上げられていますが、せっかくOECDが日本語版の要約を作ってくれているので、せめてそれを見ましょう。

http://www.oecd.org/education/education-at-a-glance-19991487.htm

http://www.oecd.org/edu/skills-beyond-school/EAG2017CN-Japan-Japanese.pdf

まずはなにより、人生100年時代なんたらかんたらでも重要課題として取り上げられている教育費の私費負担割合。このグラフを見れば、学生の親の年功賃金に依存してきた日本の大学教育のいびつさがよく現れています。

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2017年9月12日 (火)

韓国はジョブ型かメンバーシップ型か?

北朝鮮がミサイルぶっ放したり、水爆実験したりと、まことに物騒な時期ではありますが、今週後半にソウルで開かれる日韓ワークショップに向けて、これまで日本語で出された韓国の雇用・賃金関係の論文にざっと目を通しているところです。

しかし、読めば読むほど、そもそも韓国の雇用システムはどうなっているのか、労働力は結構流動的で、創業者一族支配が強くて、会社共同体意識は希薄なようなのに、賃金処遇制度は日本以上に強固な年功序列型で、そのため政府が定年延長を進めるために賃金ピーク制を指示したりしている一方で、かつて軍事政権下で法で強制された企業別組合は産別化を叫んでいて、しかも労働運動が未だに結構急進的で、どう整理したら良いのか、なかなかよくわからないところがありますね。

(追記)

Contentコメント欄で原口さんが触れている歴史的な考察をしている本が、尹淑鉉さんの『企業経営からみた韓国と日本』(みずのわ出版)です。

この本では日本が会社本位集団主義であるのに対して、韓国は個人本位集団主義だといいます。

日本では、労働者も経営者も会社という共同体に属しており、それゆえ労働者と経営者の間は協調関係となるが、韓国では経営者が会社を所有し、その会社に所属する労働者は経営者との間に葛藤関係が生ずるというのです。

で、その韓国型集団主義の歴史的起源は「門中」(ムンジュン)だと。門中とは、5代遡った祖先から派始祖までの祭祀を共同で行う血縁者のみによって構成された同族組織であり、日本の「イエ」のような経営組織体としての機能は弱かったと。

ところで、この門中にも、血縁関係のないモスムと呼ばれる被雇用層が存在していたそうです。そして、現代の韓国のサラリーマンも、しばしば自らをモスムに例えるそうです。サラリーマン生活はモスムサリ。

ところが、日本の「イエ」の奉公人は血縁関係はなくてもイエの一員であり、それが近代日本の「会社人間」の原型だともいわれていますが、韓国のモスムは門中の構成員になることはできなかったというのです。日本と異なり、血縁原理が極めて厳格であったわけですね。

なので、モスムは門中の両班との間に契約関係があり、他の門中への転職は比較的自由だったそうです。尹さんは、日本の奉公人に要求されていた絶対的な「忠」ではなく、道徳的親子関係の「孝」が求められていたといいます。ここは少しわかりにくいのですが、日本では「イエ」という組織への「忠」が要求されるのに対して、韓国では門中という組織ではなく、両班という雇用者への「孝」だという説明です。用語は気になりますが、日本のような会社共同体への帰属意識は薄いということのようです。

とはいえ、欧米や他のアジア諸国のようなジョブ型社会原理で構成されているわけでもないので、なかなか複雑です。

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人生100年時代構想会議

昨日、官邸で「人生100年時代構想会議」の1回目が開かれたということですが、大げさな割に何をしようとしているのかいまいちわかりにくいタイトルなので、そこに提示された「「人生100年時代構想会議」の目的と主要テーマ」を覗いてみると、いくつか興味深いトピックが載せられているようです。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/jinsei100nen/dai1/siryou.html

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/jinsei100nen/dai1/siryou3.pdf

はじめに書かれたお題目はともかく、その次の「人生100年時代構想会議の具体的なテーマ」は次のようなものです。

①全ての人に開かれた教育機会の確保、負担軽減、無償化、そして、何歳になっても学び直しができるリカレント教育

②これらの課題に対応した高等教育改革※

※大学にしても、これまでの若い学生を対象にした一般教養の提供では、社会のニーズに応えられないのではないか。

③新卒一括採用だけでない企業の人材採用の多元化※、そして多様な形の高齢者雇用

※これが有能な人材確保のカギであり、企業にしてもこれまでの新卒一括採用だけではやっていけない。

④これまでの若年者・学生、成人・勤労者、退職した高齢者という3つのステージを前提に、高齢者向け給付が中心となっている社会保障制度を全世代型社会保障へ改革していく。

最近またぞろ、大学「教育」のあり方を論じているのを「学術研究」の噺に歪めて批判するたぐいの議論が一部で流行っているようですが、大学教師の生計には役立つアカデミックな教育よりも学生の職業人生に役立つ教育にしてこそ、その(国民負担による)無償化とか、生活保護受給者の進学問題といった言葉の真の意味でのソーシャルな(アメリカ方言で言うリベラルな)政策にもつながると思われるのですが、そういうソーシャルな教育思想は毛嫌いするリベサヨな方々がネット上には目立つようです。

それはともかく、③の「新卒一括採用だけでない企業の人材採用の多元化」は、日本企業のメンバーシップ型雇用の核心に関わる論点でもあるだけに、一体どういうことを考えているのか、気になるところですね。

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2017年9月 9日 (土)

労基法97条2項の「地方労働局」

本日の超トリビア。

「労働基準」さんがこうつぶやいているのをみかけましたが、

https://twitter.com/labourstandards/status/906404943447203840

労働基準法可決は帝国議会であったし、地方自治法公布前だったから、国の機関なのに「都道府県労働基準局」という名称になったのだろうか。今では地方公共団体の組織だと勘違いしやすい。いずれにせよ行政改革のときにでも「地方労働局」という名称に変えるべきだったかもしれない。

いや、もちろん、ご案内の通り、制定当時の労働基準法にはちゃんと「地方労働局」の規定がありました。空振りでしたけど。

第97条 ・・・

② 労働に関する主務大臣が必要であると認める場合においては、数個の都道府県労働基準局を管轄する地方労働局を置くことができる。

③ 地方労働局、都道府県労働基準局及び労働基準監督署は、労働に関する主務大臣の直接の管理に属する。

都道府県労働基準局とは別にちゃんと地方労働局がある以上、そういう名称に変えることはできなかったのでしょう。

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労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律

昨日、労政審労働条件分科会にひとまとめ法案の要綱が提示されたようです。

見ると、労働基準法第36条になるであろう「時間外労働の上限規制」の部分がそれだけで7頁にも及ぶ長大なものになっており、本来誰もが読んですぐわかるべき法律が、誰が読んでもよくわからない法律に、どんどん進化していっているようですね。いままで限度基準にすら出てこなくて、「労働基準局長が指定する事業または業務」だったもの(沖縄と鹿児島の砂糖製造業)まで四階級特進で法律上に堂々と顔を出すに至ってますし。

マスコミの注目は依然として同じ労基法の規定の同居だけのようなので、それ以外の法律の規定で気がついた点をいくつか。

まず、雇用対策法の改正で法律名「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律」になるようです。長ったらしくて個人的には好みじゃないですが、シンプルに「労働政策基本法」とかはやはり無理だったのでしょうか。

国の施策には3つ挙がっているのですが、一つ目がワークライフバランスと労働時間短縮等の労働条件改善、多様な就業形態、均衡待遇とやたらにでかいトピックを詰め込んでいて、二つ目が女性、育児介護、母子父子家庭と中くらいのトピックであるのに対し、三つ目が病気治療と仕事の両立という、どちらかというと小さなトピッになっているのが、いかにも不均衡な感じを与えるのですが、これはこの三つ目が働き方改革で一項目立てられて、生稲晃子さんをわざわざ委員にしたことに敬意を表しているのでしょうか。

現時点では法令上で治療と仕事の両立について規定したものはないので、この規定がトップダウンでいきなり登場することになります。

一つ目に戻ると、今回の同一労働同一賃金関係の法改正の元になる部分が、おそらくかなり意図的にでしょうが「雇用形態又は就業形態の異なる労働者の間の均衡のとれた待遇の確保」という表現になっています。

パート、有期、派遣といった雇用形態の違いだけではなく、将来的には個人請負やクラウドワーカーなどのような就業形態の違いにまで射程が及ぶような根拠規定をさりげに置いておいたというところでしょうか。

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2017年9月 8日 (金)

日本的柔軟性からデジタル柔軟性へ@『I・B企業特報』2017年夏期特集号

Ib福岡で出ている雑誌@『I・B企業特報』2017年夏期特集号に「日本的柔軟性からデジタル柔軟性へ」を寄稿しました。

現在、世界的に労働社会は大きな転換点にある。しかし、そこには世界共通の文脈と日本独自の文脈があり、この2つが絡み合って進んでいるのが、日本の現実である。本稿ではまず近年の働き方改革に示されている日本独自の文脈を説明し、その上でそれが世界共通の文脈とどのように絡み合っているのかを解説したい。 ・・・・・

ちなみに、第1特集は「労働の価値」ということで、人工知能をはじめとする記事がずらっと並んでいます。なかなか勉強になります。

私のは第2特集の方で、どういう人選かわかりませんが、並んでいる名前が森岡孝二、濱口桂一郎、城繁幸、常見陽平ということになっていますな。

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2017年9月 7日 (木)

パート・有期法へ

昨日の労政審同一労働同一賃金部会(正式には間になんたら分科会がだらだら続くのですが煩わしいので省略)に、改正法のほぼほぼ法案要綱が提示されました。

http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12602000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Roudouseisakutantou/0000176560.pdf

「改正法案要綱( イメージ)」といってますけど、まあほとんど法案要綱です。

内容は建議を条文化したものなんですが、そもそもどういう法律にするのかという点について初めて明らかになりました。

一言でいうと、労働契約法から20条を引っこ抜いて、パート法の8条に入れる。その他のパート法の規定も、(一部を除き)全てパート&有期に適用し、そもそも法律名自体「短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律」にする。

派遣法は労働市場法でもあるので、そちらにいろいろと入れ込む。例の労使協定も実行計画通り。

まあ、大体そういう風になるだろうなあ、と思っていたようになっています。

「パート・有期法」という立て方について、もちろんドイツ法を思い出す人も多いでしょうが、ここではほとんどの人が忘れているであろうむかしの社会党が提出した法案のことを。

4623040720拙著『労働法政策』から関係部分を引きますと、

社会党の法案

 法政策として初めて有期労働問題をそれ自体として提起したのは、社会党が1983年10月に提出した「短期労働者及び短時間労働者の保護に関する法律案」である。名称から分かるようにこれはパートタイム労働者と短期労働者を対象とした法案であるが、短期労働者に係る規定が多く盛り込まれていて、いずれも今日の有期労働契約問題においても重要な課題となっている。
 同法案は、まず「就労させる業務が、季節的業務、事業の期間が予定される事業に係る業務その他短期労働者を雇い入れることについてやむを得ない事情がある業務である場合を除き、短期労働者を雇い入れてはならない」と、有期労働契約の原則禁止を打ち出し、これに違反した場合は期間の定めなき雇用が締結されたものとみなすとしている。そして「短期労働者が当該雇用期間を超えて引き続き使用されるに至った場合には、当該労働契約の当事者間に、引き続き使用されるに至った日に、一般労働者としての労働契約が締結されたものと見なす」と、適法な短期労働者も期間を超えれば直ちに期間の定めなき雇用に転化するという仕組みを示している。
 均等待遇関係では、賃金と有給休暇や福利厚生については短期労働者も不利益な取扱いをしてはならないとしているが、昇進、異動、解雇については短時間労働者のみを規定し、短期労働者は外されている。また、短期労働者の優先雇用の規定もある。
 前述のように、この法案は審議未了廃案を繰り返し、結局1992年2月に4野党共同で「短時間労働者の通常の労働者との均等待遇及び適正な就業条件の確保に関する法律案」が提出されるのと入れ替わりに消えていった。同法案はもっぱらパートタイム労働者のみを対象とするものであり、有期契約労働問題は一旦法政策の土俵から消えることになった。

今となっては超トリビアですが、その昔日本には日本社会党という政党があってじゃなあ、そこがこういう法案を出したこともあったのじゃ。そうじゃのう。

しかし、その法案の目から見ると、逆に、現在労働契約法18条、19条にある無期化とか雇止め法理はこのパート・有期法に来ないのか、という疑問も湧きます。

そこは、パート法だと13条で通常の労働者への転換とバッティングしてしまうので、そこは分けないといけないということなのでしょう。

(追記)

労務屋さんも改正法案要綱を取り上げていますが、

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20170913#p1

その中で、

ということで労契法については20条は削除されると明記されているのですが、「その他所要の規定の整備」が具体的に何なのかはよくわかりません。パート労働法改めパート・有期労働法(?)のほうにも「ほか、この法律の規定の対象に有期雇用労働者を追加する」となっていますので、労契法の有期に関する規定(5年ルールとか雇止め法理とか)もこちらに移すのかな。

と書かれていますが、いや移すのであれば労契法から18条、19条も削除しなければならないはずで、そうなっていないのは、そちらは移さないということです。

その理由は、上述のように、現行パート法には既に第13条として、

第十三条  事業主は、通常の労働者への転換を推進するため、その雇用する短時間労働者について、次の各号のいずれかの措置を講じなければならない。
 通常の労働者の募集を行う場合において、当該募集に係る事業所に掲示すること等により、その者が従事すべき業務の内容、賃金、労働時間その他の当該募集に係る事項を当該事業所において雇用する短時間労働者に周知すること。
 通常の労働者の配置を新たに行う場合において、当該配置の希望を申し出る機会を当該配置に係る事業所において雇用する短時間労働者に対して与えること。
 一定の資格を有する短時間労働者を対象とした通常の労働者への転換のための試験制度を設けることその他の通常の労働者への転換を推進するための措置を講ずること。

という規定があり、パートの通常労働者への転換はこちら、有期の無期転換は労契法という形を維持するからだと思われます。

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2017年9月 6日 (水)

労働時間規制と残業代規制をわざとごっちゃにする人々

こんなサイトを見つけたのですが、

https://zanreko.com/news/1247(『高プロ』関連の新事実。「高度プロフェッショナル制度(ホワイトカラー・エグゼンプション)は欧米では一般的」は誤り!?)

「執筆者 編集部弁護士」とあるので、恐らく弁護士が書いているのだと思いますが、大部分の正しい記述の中に、一番肝心のところで間違い、というかむしろ意図的な嘘が書かれています。

「欧米」に少なくとも含まれるだろう4か国(アメリカ、ドイツ、イギリス、フランス)における高度プロフェッショナル制度(ホワイトカラー・エグゼンプション)類似の制度の有無・普及状況について調査しました。

とありますが、そもそもアメリカには物理的な絶対労働時間規制はなく、残業代規制しかありません。

一方、ヨーロッパにあるのは物理的な労働時間規制であって、残業代規制ではありません。

なので、たとえばドイツについてのこの記述は、

上記の例外は、日本の労基法上の例外と比べて特段に広くはなさそうですし、少なくとも、ドイツでは、専門的な職務を行うホワイトカラーを残業代や労働時間の上限規制の対象から外す制度(ホワイトカラー・エグゼンプション)が一般的とは言えないでしょう

そもそもドイツの法律は残業代については何ら規制をしておらず、厳格な物理的労働時間規制をかけているだけであり、残業代は労働協約に委ねられているのですから、(うっかりあんまり意識していない残業代という文字が入ってしまったというならいざ知らず)「残業証拠レコーダー」の「残業代コラム」という、もっぱら残業代というお金のことが主たる関心事であろうと思われる記事の中で、わざわざ残業代という文字を入れ込んでいるということからすると、かなり意識的な操作のように見えます。

 

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    年功序列を維持するために解雇させろという弁護士

    不思議な議論を見ました。

    途中までは真にもっともな議論を展開しているのです。

    41mvhocvl私が『日本の雇用と中高年』で論じた話とも重なる話をしているのです。

    ところが、なぜか後半で話が(少なくとも私の目には)おかしな方向にさまよっていっているように見えます。

    何がそうさせているのか、いろいろと考えさせるのが、「荘司雅彦の最終弁論」という弁護士さんのブログです。

    https://ameblo.jp/masahiko-shoji/entry-12307309443.html(人口構成から考える「終身雇用制度」維持が困難な理由)

    ・・・・ところが、新入社員の数が減少していけば、管理職の年齢を上げない限り、従来通りの部下の数を維持することはできません。
    今まで35歳で課長になれたとすれば、34歳以下の社員の総数が一人の課長の部下の人数枠を確保するくらい存在したということです。
    下の年齢の人数が少なくなれば、課長になれる年齢を40歳に引き上げるか、課長になれない人たちを増やすしかありません。
    日本の総人口は、今やシェイカー型であってピラミッド型ではありません。
    会社組織がその縮図だとすれば、若い社員の数が少なく年長者の数が多い組織ということになります。

    はい、まったくその通りです。

    私が野村投信に勤務していたとき、男性社員の中で一番員数が多かったのが課長か次長でした。
    われわれ平社員は比較的希少な存在だったのです。一つの部に次長や課長が何人もいるという組織でした。
    しかし、ROE重視の経営が人件費抑制のプレッシャーとなり、そのような歪(いびつ)な人事体系は多くの企業で維持できないでしょう。

    はい、まったくその通りです。ですから、

    となれば、「釣りバカ日誌」のハマちゃんのように”万年平社員”が普通になる時代が来るのかもしれません。
    給与は年齢給や勤続給部分しか上がらず、実質的に年功賃金制度は崩壊します。

    いやそもそも、「年齢給や勤続給部分」自体が既に見直されてきています。

    いずれにせよ、戦後日本特有の「誰もがエリートを夢見る社会」が持続不可能であるというこの認識自体はまったく正しいものです。

    ところか荘司弁護士はなぜかここからこういう風に議論を進めていきます。

    経営サイドとしては、万年平社員を増産するのを避けるため、出世の見込みのなくなった社員の肩叩きを行うでしょう。
    下手をすると30代前半で肩たたきをされる恐れもあります。
    もちろん、新たな人生を築くべく、自主的に退職して新天地を目指す人たちも増えるでしょう。
    このような状況になれば、会社からスピンアウトした社員のために大きな受け皿が必要になります。
    人材の受け皿を大きくして流動化を促進させるためには、以前に書いたように、解雇規制の撤廃・緩和が必須条件となります。

    なぜか、持続不可能だと断言したはずの年功序列制を断固として堅持することが大前提となり、その不可能を可能にするために、ちゃんと仕事がありその仕事をそれなりにやっているはずの万年平社員のハマチャンたちを、片っ端からクビにせよという提言に至るのですね。

    特殊戦後日本的な意味での「終身雇用」、すなわち無限定正社員であることを前提とした仕事がなくなっても解雇せずに社内で維持するというような話はともかく、「いや私は別に課長になりたくないです、ヒラで良いです」と言っているハマチャンを、「いや、我が社は断固として年功序列を維持するんだ、だけど維持できないからお前をクビにするんだ」といって解雇するような、世界中どこに行っても通用しないような話を、もっともらしく正当化してみせるこういう議論に対しては、それが弁護士さんの議論であるだけに、ちゃんと指摘しておく必要がありそうです。

    念のためにいえば、そういう無茶な解雇は禁止するにせよ、無限定正社員でなくなればそれだけ仕事がなくなったりすれば雇用終了の可能性は増えることになるので、労働力の流動化に対応した施策は必要になります。

    とはいえ、持続不可能な年功序列を断固堅持するから、世界中ごくごく当たり前の万年平社員の増産を避けるためという理由で、「解雇規制の撤廃・緩和が必須条件」というような議論は、世界中どこに行っても通用しないように思われます。

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    職人的規範の優越

    Hyoshi36_2もう一つ、『POSSE』36号から特集以外の記事を引っ張ります。

    松永伸太朗さんの「萌えゆく現場で燃えない「やりがい」」。タイトルはいかにもですが、言ってることは、「やりがいの搾取」というような言説では、職人的規範が優勢なアニメーターには全然届かないよ、という話。

    最後のところで松永さんが述べているこれは、外在的批判と内在的批判という永遠の課題ですが、実は労働問題のいろんな所に顔を出すテーマでもあるんですね。

    すごく端的に言っているので、やや長いですが引用しておきます。

    ・・・やはり社会学に携わる研究者で労働にも関心を持っている人が、かなり教育社会学に行ってしまったことが大きいですね。労働社会学において最終的にどう改善するかというフィードバックも含めて、労使関係の理論などがあまり真剣に考えられてこなかった一方で、教育社会学では、教育を改めれば労働も良くなると言うわかりやすい話がある。そうすると、やはりそちらに流れてしまいます。

    でも、「やりがいの搾取」という主張は、アニメーターの人たちの立場に立って考えているとは思えない。たんに現状を外在的に批判しているだけです。当事者にとってみれば、研究者に外から何か言われるのは余計なお世話なわけで、それをするなら批判だけにとどまらず、何らかの現実的なフィードバックが不可欠です。研究を実践に生かして、現実に労働環境を変えていくような運動を作り出していくという観点からすれば、まったく話にならない。

    そう考える時研究者の立場から取り組む必要があるのは、それぞれの産業・職業における労働者の同意が生まれる固有の論理を一つ一つ明らかにすることです。それは働き手を組織化する契機となり、労働運動を生み出すことにつながります。そこがうまく捉えられていない中で、「やりがいの搾取」のように外からいろいろ言っても現場で聞く耳を持つ人が出てくるわけはありません。

    実際にアニメーターへのインタビューをとしてわかったことは、彼ら彼女らが求めているのは「職人」としての実力が適正に評価されること。たとえば1枚1万円に相当する仕事をした時に、2000円で済まされるのではなくきちんと1万円支払われることです。・・・・

    つまり、問題は実力を適正に図る評価制度がまだ整備されていないところにある。職人的な実力観に準拠して同意が生まれるという状況があるのですから、まずはそのような実力の評価制度を作っていくことが求められているのです。

    外在的批判に対する本質的批判としてまったくもっともであると同時に、ここはそれこそ労働問題、労使関係をいやというほど見てきた人であればあるほど、「問題は実力を適正に図る評価制度がまだ整備されていないところにある」という言説の危うさもまた、ひしひしと感じられところでもあるわけです。それを「それぞれの産業・職業における労働者の同意が生まれる固有の論理」にいかに根ざしたものとしていけるか、というところに、労使関係論なる今や絶滅寸前の学問分野のそもそも問題意識があったわけですが。

    この難しさをわかりやすくしてしまってはいけないというのが大事。

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    2017年9月 5日 (火)

    『若者と労働』への書評

    Chuko「ともだちがいない人の日常」というブログで、拙著『若者と労働』への大変丁寧な読み解きとコメントをしていただいています。

    http://blog.livedoor.jp/friendless_tomoe/archives/18411885.html

    東大の労働法の荒木先生が推薦していた新書。荒木先生は「判例百選」という法学部生にポピュラーな判例評釈の本のなかでも本書を用いている。荒木先生が推薦するからには読まなければならない一冊だろうと思っていたが、まさにそのとおりだった。・・・

    ありがとうございます。ただ、実は『労働判例百選(第9版)』のブルームバーグ・エル・ピー事件の評釈の中で引用されているのは、『若者と労働』ではなくて、『日本の雇用と労働法』の方なんですが、いやまあでも、それを契機に本書をここまで深く読んでいただいたとすれば、大変有り難いことです。

    ・・・非常にすばらしい本で、日本がいかに特殊な雇用慣行をとっているのか、その問題、今後の方向性まで示している。やや冗長な部分があったが、それでもこの本で得られた知見は日本の労働環境を考える上で必要不可欠なものだった。・・・

    と述べて、本書のエスキスを見事に解説していただいております。

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    雇用対策法の半世紀@WEB労政時報

    WEB労政時報に「雇用対策法の半世紀」を寄稿しました。

    https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=687

    去る8月末から働き方改革に係る諸法の改正の審議が労働政策審議会の各分科会で始まりました。そのうち世間の注目を集めているのはもちろん、時間外労働の上限と高度プロフェッショナル制度の労働基準法改正と、同一労働同一賃金のパート法、労働契約法、労働者派遣法の改正ですが、その他労働安全衛生法、労働時間設定改善法など7つの改正法をまとめて国会に提出する予定のようです。その中で、職業安定分科会に9月1日提示された「働き方改革を推進するための雇用対策法の改正案について(概要案)」は、今までほとんど議論されていないトピックですが、法律名を改正し、目的規定や国の講ずべき施策、事業主の責務などを大幅に書き換え、基本方針の策定の根拠規定も設けるなど、かなり抜本的な改正を目指しているようです。

    雇用対策法は今からほぼ半世紀前に制定された法律ですが、基本法的位置づけで作られたにもかかわらず、どちらかというとほったらかしにされていた期間が長く、・・・・・

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    奴隷的労働への適応力

    Hyoshi36_2昨日紹介した『POSSE』36号で、一番心に残ったのは、実は特集記事じゃなく、今野晴貴さんと藤岡伸明さんの対談記事「海外でのノンエリート労働は逃げ道にならない!?」でした。

    藤岡さんが刊行した『若年ノンエリート層と雇用・労働システムの国際化』という本をめぐっての対談なのですが、その中にこういうやりとりが出てきて、考えさせられます。

    藤岡 ノンエリートは経済資本や文化資本、語学力があまりないわけですが、日本人の場合、中国や東南アジアのコールセンターやオーストラリアのサービス業などどこに行っても適応できてしまうフレキシブルな労働力として移動しています。要するに権利に関係なく働く、極言すれば奴隷的な労働への適応力が高いということです。

    今野 非常によくわかります。労働規範が職業的に形成されている欧米社会で育った人は「この仕事でこれ以下の条件はあり得ない」という強い権利意識を持ちますが、日本は「企業主義社会」であるため、会社員は会社にいわれるまま、入った先でどんな条件であってもその状況に適応していくマインドしかありません。その違いが労働者の身体に刻み込まれているということなんでしょう。

    藤岡 2008年にオーストラリア政府がワーホリの就労状況を調べた調査では、日本人は主要国の中で平均時給が最低で13.6ドル、次に低いのが韓国人で13.9ドル、平均は16.2ドルでした。平均時給と比べて日本人は2.6ドル低い。・・・飲食業やサービス業では、日本人の方が仕事量は圧倒的に多いのに、少ない時給でしかも一生懸命働くといったことが起きているようです。客観的に英語力が低いことに加え、まさに労働者としての意識の在り方が合わさって足下を見られ、驚くほど大きな差が生まれています。・・・・

    いやぁ、これまさに日本的働き方の「美徳の不幸」が露骨に現れている姿としかいえませんね。

    本ブログで何回も繰り返してきた生産性概念の取り違えがワーホリの若者たちの心の奥底にまで染み込んだ成果というのは皮肉がきつすぎましょうか。

    http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-8791.html(なにい?労働生産性が低いい?なんということだ、もっとビシバシ低賃金で死ぬ寸前まで働かせて、生産性を無理にでも引き上げろ!!!)

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    2017年9月 4日 (月)

    『POSSE』36号

    Hyoshi36_2『POSSE』36号をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

    http://www.npoposse.jp/magazine/no36.html

    表紙からわかるように、特集は「ソーハラ」です。

    スマートフォンやSNSなどのテクノロジーが発展してきたことによって、「ソーシャル・ハラスメント」が生じてきている。
    テクノロジーやSNSの発展で、労働が楽になるのではなく、むしろ生活領域が侵食され、労働が強化されていく。
    本特集では、こうした問題に焦点を当てた。
    SNSを通じて、どのようなハラスメントがおこなわれているのか。
    労働相談からみえてくる「ソーハラ」の実態、ヨーロッパにおける規制の状況、専門家による社会的要因の分析など、多角的にアプローチをおこなった。
    SNS全盛時代、私たちの労働と生活はどうあるべきなのだろうか。

    ただそれだけじゃなく、第二特集として「教員と労働問題」、特別企画として「医療労働問題と組合運動」とてんこもりなので、たぶん当初予定したよりもページ数が増えてしまったようです。背表紙を見ると、背表紙用の細い短冊部分よりも3ミリほど増えていますね。

    ここで「ソーハラ」として取り出されている問題って、むしろヨーロッパでは「いつでもどこでも労働」問題に近くて、そこんところが、今までもある意味で「いつでもどこでも正社員」だった日本と微妙に話がずれてくるところでもあるんですね。

    佐藤仁さんのインタビュー「ヨーロッパに「ソーハラ」はあるのか?」が、その辺の消息を伝えているように思います。

    ◆第一特集「ソーシャル・ハラスメント」

    15分でわかるソーシャル・ハラスメント
    本誌編集部

    これからの「ソーハラ」航海術
    津田大介(ジャーナリスト)

    本当にあった「ソーハラ」の話
    本誌編集部

    ヨーロッパに「ソーハラ」はあるのか?
    佐藤仁(情報通信総合研究所ICT基盤研究部副主任研究員)

    「ソーハラ」を生み出すのはSNSか、社会か
    久保明教(一橋大学准教授)

    ICTが労働者の利器になるとき
    坂本有芳(鳴門教育大学准教授)

    ルポ
    「自由な働き方」の裏の「ソーハラ」

    本誌編集部

    今日的課題という点では、第二特集の「教員と労働問題」が重要ですが、

    ◆第二特集「教員と労働問題」

    部活動の総量規制を通じた「生涯学習としての部活動」を
    内田良(名古屋大学准教授)

    ルポ
    教員の労働運動最前線!

    本誌編集部

    「非労働時間」としてではない「生活時間」の発想を
    杉山豊治(連合総合生活開発研究所主任研究員)

    外部委託で部活動改革が動き出した……?
    中澤篤史(早稲田大学准教授)

    これも結局、教師のジョブというのが無限定で、諸外国では地域のスポーツクラブの仕事が日本ではみんな教師の仕事になってくるというところに根っこがあるので、なかなかむずかしい。

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    労働基準法は給料日前の前払いを禁止してないはずだが

    話題になっているこの記事ですが、

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170903-00050014-yom-soci(福岡「給料前借り特区」提案へ…雇用側が支払い)

    給料日前でも、もらえる予定の賃金分で買い物ができる――。

     政府の国家戦略特区に指定されている福岡市は、そんな制度を実現するための規制緩和策を、4日に東京都内で開かれる特区の区域会議で提案する。労働者が暮らしやすい環境を整えることで、国内外から広く人材を集めるのが狙いだ。

     労働基準法では、賃金について、原則として通貨で直接労働者に支払うことを雇用者側に義務付けている。

     市などによると、若者や外国人を中心に、受け取る予定の賃金を給料日前に使いたいとのニーズがあるという。こうした実情を踏まえ、市は、労働者が通貨で直接受け取る前に、働いただけの賃金分を使えるよう、労基法の規制緩和を求めることにした。

    良いとか悪いか賑やかなようですが、そもそもなんでこれが「労基法の規制緩和」なんだかよくわからない。

    そもそも労働基準法は記事にあるように「原則として通貨で直接労働者に支払うことを雇用者側に義務付けている」けれども(省令で口座振り込みも可)、給料日前に働いた分に当たる賃金を前払いすることを禁止なんか全然していないはず。

    なので、なんでこれがわざわざ「国家戦略特区」なとどというおどろおどろしい仕組みを使ってやらなければいけないのかさっぱりわからない。

    給料の前払いをした極悪非道の使用者のところに監督官が監督にやってきて是正勧告をする、なんて馬鹿な噺は聞いたことがない。

    というようなことを誰も言っていなさそうなのが、また心配のタネ。世の中の人々、いったい労働基準法ってどういう法律だと思っているんだろうか。

    実をいうと、10年前にホワイトカラーエグゼンプションが話題になった時、当時の規制改革会議が労働時間規制をなくせばワークライフバランスが取れて、仕事と育児が両立するとか馬鹿なことをいっているのを見て、こいつらは労働基準法が最長労働時間規制であって、短く働くのは何ら規制していないということがわかっていないんだな、と思ったことがあるけど、今回の噺もどうも労働基準法を就業規則と取り違えている人がいかに多いかを物語っているような噺。

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    2017年9月 1日 (金)

    雇用対策法改正案

    本日の労政審職業安定分科会に、いきなり雇用対策法の改正案が出されたようです。

    http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi2/0000176154.html

    http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12602000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Roudouseisakutantou/0000176144.pdf

    まあ、労働基準法とか、労働契約法とか、職業安定局でも職業安定法とか、労働者派遣法とかで、こんなことしたら大騒ぎになるでしょうけど、というか、雇用対策法でも規制の中身のある規定でいきなり一回目から出したらやはりひんしゅくものでしょうけど、ここに並んでいるのは、基本的にはお題目と、ほかの法律で規定していることの頭出しと、10年前の改正で法律の条文から消えた基本計画を(正確には省令で基本方針が残存してましたが)、基本方針として復活させることくらいなので、政策の中身で激論になるということにはならないのでしょう。

    まず名前を変えると。

    法律名を、職業の安定及び職業生活の充実等、労働施策の総合的な推進に対応するものとする。

    労働政策総合推進法とか。

    基本的理念にこれを追加するというのは、同一労働同一賃金関係の3法改正の頭出しのようです。

    労働者は、その職務の内容及び当該職務に必要な能力等の内容が明らかにされ、並びにそれらを踏まえた評価方法に即した能力等の公正な評価及び当該評価に基づく処遇その他の措置が効果的に実施されることにより、その職業 の安定及び職業生活の充実が図られるように配慮されるものとすることを加える。

    国の講ずべき施策も、雇用対策法時代の職安行政だけでなく、労働時間やワークライフバランスも出てくるし、

    労働者が仕事と生活の調和を保ちつつその意欲及び能力に応じて就業することができるようにするため、労働時間 の短縮その他の労働条件の改善、多様な就業形態の普及、雇用形態又は就業形態の異なる労働者の間の均衡の とれた待遇の確保等に関する施策を充実すること。

    治療と仕事の両立も顔を出してますし

    傷病の治療を受ける労働者等の職業の安定を図るため、雇用の継続、雇用管理の改善及び離職を余儀なくされる 労働者の円滑な再就職の促進を図るために必要な施策を充実すること。

    労働時間は事業主の責務にもでてきます。

    事業主は、その雇用する労働者の労働時間の短縮その他の労働条件の改善、雇用形態又は就業形態の異なる労 働者の間の均衡のとれた待遇の確保その他の労働者が仕事と生活の調和を保ちつつその意欲及び能力に応じて就 業することができる環境の整備に努めなければならないことを規定する。

    と言うわけで、まさに働き方改革の理念を、理念だけを並べる法律になるわけですが、そのついでに、と言っては何ですが、さりげに昔の雇用対策基本計画を基本方針に変えて復活させるというネタも入っているわけですね。

     

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    布施直春『これで安心! 障害者雇用の新しい進め方』

    D7c557b80330e1c0520690d5e7bf8c21169布施直春『これで安心! 障害者雇用の新しい進め方』(労働調査会)をお送りいただきました。

    http://www.chosakai.co.jp/publications/19554/

    平成30年4月から事業主に義務付けられている障害者の法定雇用率が引き上げられます。このように障害者雇用についての社会要請は、平成25年の障害者雇用促進法の改正以降、「障害者差別禁止指針」や「合理的配慮提供義務指針」などが次々に適用され、ますます積極的な取組みが期待されています。
    本書は、障害者雇用促進法のしくみから職場での障害者への対応の仕方までできるだけわかりやすく解説し、障害者の雇用管理を適法に行うためのノウハウを解説しています。
    職場の障害者への具体的な配慮方法や障害者の雇用促進に関心のある事業主におすすめの1冊。

    第1部は2013年改正の概説で、第2部は障害者雇用管理と差別禁止の概説ですが、実はそこまででも本書の半分以下で、後半半分以上の頁は、障害種類別の特性とそれぞれごとの合理的配慮の詳しい説明になっていて、こういうのはほかにあまり例を見ないように思います。

    はじめに
    第1部 平成25年改正障害者雇用促進法と平成30年4月からの法定雇用率の引上げ
    第2部 企業における障害者の雇用管理と障害者差別禁止指針の順守
    第3部 障害者の障害種類別の特性と職場における合理的配慮指針の実施事例
     第1章 身体障害
     第2章 知的障害
     第3章 精神障害
     第4章 発達障害
     第5章 高次脳機能障害
     第6章 難病に起因する障害
    資料

    たとえばこの第4章の発達障害の中に、アスペルガー症候群の特性と配慮ポイントなどが詳しく書かれています。

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    GEIL-学生のための政策立案コンテスト‏

    明日土曜日、代々木のオリンピックセンターで、「GEIL-学生のための政策立案コンテスト‏」の最終プレゼンテーションのあとで、お話をします。

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    『文化大革命』

    307879石井知章さんより、その編著になる明治大学現代中国研究所・石井知章・鈴木賢編『文化大革命 〈造反有理〉の現代的地平』(白水社)をお送りいただきました。

    http://www.hakusuisha.co.jp/book/b307879.html

    文革とは何だったのか?新資料により凄惨な実像を明らかにするとともに、日本の新左翼運動に与えた影響を再検討する。カラー図版多数

    この本、なかなか多重構造なんですが、とにかく読んで一番衝撃的なのは宋永毅さんの「広西文革における大虐殺と性暴力」でしょう。

    文革の後、現地調査の結果を詳細にまとめた膨大な報告書が作成されたのですが、その極秘文書に基づいて、文革中に広西チワン族自治区で起こった8万人を超える大虐殺の実態を描き出しています。

    ・・・殺害方法は、叩き殺す、溺死、銃殺、刺し殺す、切り殺す、引きずり殺す、生きたまま肉を切り取る、撃ち殺す、首吊りの強要、追い込んで殺害、腹を切り開いて肝臓を切り取る、・・・拷問の手段として、綱引き、銃殺を装って脅迫、生き埋めを装って脅迫、長時間水に浸かる、犬の糞を食べさせる、下半身を裸にして町中を引き廻す、・・・・

    日本語の表示では出てこない漢字までいっぱいあってこれ以上書けませんが、とにかくすさまじいものです。

    さらに、こちらはあまりにも痛々しいので書き写せませんが、後半部で紹介される性暴力の数々は、人間はここまでやれるものかという感を抱かせます。

    しかし、本書はそういう猟奇的な興味を満足させるためのものではありません、もちろん。

    現在の中国共産党が、文革について正面から語ることを禁じ、文革の凄惨な実態を知らないまま、資本主義化による格差で不満を持つ若い人々が、文革に惹かれていく状況に危機感を抱く知識人の必死の叫びといえましょう。

    というのは本書の一面。上の書影の帯には「あの時代はなんだったのか?」とありますが、実は、帯の背文字部分には「あのときめきはなんだったのか?」とあるのです。

    はぁ?ときめき?文革に?

    いやでも、確かに日本でも、ある世代には、中国の文化大革命は「ときめき」だったのでしょう。

    本書には、文革時代から中国研究者として活躍してきた矢吹晋さんが登場し、徐友魚さんの議論に異論を唱えるとともに、編者の方々との座談会でも、旧世代左翼の感覚をわりとはっきり出していて、うわぁという感がいっぱいですが、まあ、それが本書の狙いでもあるのでしょうね。

    あと、中村達夫さんの革命宣伝画についての文章とともに、本書全体にあの独特の革命宣伝画がちりばめられていて、とりわけ大虐殺や性暴力の叙述の合間に、毛沢東を讃える宣伝画が挟まってくると、何ともいえない気分が漂います。まあ、これも本書の狙いでしょう。

    1966年から77年にかけて中国にとどまらず全世界を巻き込んだ「文化大革命」から半世紀が経った。紅衛兵や造反派によるつるし上げで、多数の犠牲者を出したこの運動は、1981年に「党、国家や各族人民に重大な災難をもたらした内乱」と公式に総括された(共産党歴史決議)。
    もちろん、総括がされたからと言って「文革」の全容が解明されたわけではなく、中国社会ではこの運動の傷が今も深くのしかかり、社会を分裂させたままである。
    本書は、文革研究の世界的権威として知られる徐友漁氏や宋永毅氏、矢吹晋氏の協力を得ながら、〈「文革」とは何だったのか〉を改めて問い直す試みである。
    大量虐殺や性暴力、人肉食という新事実から見えてくるのは、解放区以来の地主や富農ら「四類分子」に対する〈非人間化〉政策であり、中共に翻弄された貧しい農村の姿である。
    他方、文革の国際的な影響力を考える際に重要なのは、1956年のスターリン批判と「新左翼」の誕生だろう。「革命無罪、造反有理」というスローガンがなぜ戦後日本を含む世界を捉えたのか。当時を回想しつつ複雑な綾を解きほぐしたのが本書である。

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