フォト
2023年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

« 「何となく文学部」よりもっとヤバいのは・・・ | トップページ | NIRA研究報告書『人類文明と人工知能Ⅰ―近代の成熟と新文明の出現―』 »

2017年9月24日 (日)

chikanabeさんの拙著書評

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 chikanabeさんの「like a ofuton」というブログに、拙著『働く女子の運命』についての短いですが結構刺さる書評が載っています。

http://madogiwasyasyabu.blog.fc2.com/blog-entry-657.html

この本は、日本型雇用システムの歴史について書かれている。新書らしいタイトルとは裏腹に、とても濃い内容の一冊である。

この濃さは、生活給思想であるとか、メンバーシップ型雇用であるとか、といった、日本特有の雇用環境が、複雑かつ密に絡みあい、ときに倒錯的に、歴史を重ねてきた結果であり、そのややこしさそのものに由来する。

読みづらいわけではない。むしろ、解説としては分かりやすい。複雑怪奇なシステムとその歴史を紐解こうとすれば、多分こうなるのだ。

ここで問題にされる日本型雇用システムが、仮に(というより、おそらく事実)慣行だからという理由だけで成り立っていて、その慣行によって私たちの「運命」が決められてしまっているのだとしたら、これはもう悲しさに加えて、そうであるということそれ自体に、憐れみさえ感じてしまう。

なんというか、もそっと「楽」になるといいのだけれど…。

そうです。軽々しい(く見える)タイトルに比べるととても濃い中身になっていますが、できるだけ分かり易く「紐解く」ことを心がけました。

« 「何となく文学部」よりもっとヤバいのは・・・ | トップページ | NIRA研究報告書『人類文明と人工知能Ⅰ―近代の成熟と新文明の出現―』 »

コメント

「ここで問題にされる日本型雇用システムが、… その慣行によって私たちの「運命」が決められてしまっているのだとしたら、これはもう悲しさに加えて、そうであるということそれ自体に、憐れみさえ感じてしまう。…」

〜ブログご指摘の「運命」と「悲しさ、憐れみ」について…

多くの日本人労働者がそこで棲み働くメンバーシップ型雇用システムでは、人は自らの仕事や勤務地を選択する自由はありません。その代わり、会社(人事部)が定期的に全社最適化された配置替え(ローテーション、人事異動)を本人同意なしに整々と実施します。

このシステムの本質は、それゆえ日本企業の労働者はみな自分の運命(配転先)が自分で決められないというアンコントローラブルな状態であるということ(デメリット)よりも、むしろ、その会社にいる限り自分の運命を真剣に考えなくてすむ(考える必要がない)こと、すなわち、全社最適の(神の視点を持つべき)人事部にお預けすることで少なくとも定年までの雇用が概ね保障されて当面の仕事に専念できるという、一種の積極的側面も持ち合わせていることです。

つまり(日韓ローカル企業に特有の)メンバーシップ型とは、自分自身の運命を他者(会社)に丸ごと預け入れることで自己決定という個人の自由を一部失う代わりに(不自由となる代わりに)、偶然性や激変が渦巻く現実世界たる複雑性の海に会社という大きな船に乗って一致団結して立ち向かう個人の役割を超えうる自由を手に入れることとも言えます。(cf 無限定性のアイロニーついては先日のHamachan論考「あまりに人間的な」参照)

このように個人の自由はありませんが、さりとてガチガチの決定論的人事管理下に置かれている訳ではありません。ひとたびその不自由さに慣れてしまえば(あまり拘らなければ)かえって気楽でいいものでしょう。実際、色々言っても結局、いまだに若者も含む大多数の日本人労働者はこちらの世界がよほど居心地がよいのか、なかなかそこから離れようとしませんから。(最近では外資系に「疲れた」ミドルやトップマネジメント層の「日系返り」もよく耳にします)

その意味では、キャリアの数年に一回は自ら真剣に身の振り方を考えざるを得ない、いわゆる人事異動のない世界に生きるジョブ型の労働者には、別の意味での「悲しさ、憐れみ」があるのかもしれません。

幸い心身とも健康でいる限り、人生は何回でもやり直しがきくものです。ただ、メンバーシップ型 vs ジョブ型という自己適性の把握は出来るだけ若い内に様々な仕事を経験し、遅くないある時点で自分の意思でしっかり選びとりたいものですね。

と、ここまで言った上で、これからの働き方として、特にジェンダー中立(女性活躍)の観点からどちらが望ましいシステムか?と聞かれれば、それは後者(ジョブ型)でしょ、と答えるのに寸分の躊躇もありませんが…。

(追記)ところで…。 最近、日本でも中高年ミドル及びトップマネジメントの転職市場がなかなか活況のようです。上に行くほどポストが限られ、それゆえ外部からの経験者採用をよしとしてこなかった日系企業も、熾烈な競争及び人材難に直面した結果、背に腹はかえられない状況になってきたのでしょうか。この動きがそのまま即、上述の話に結びつく訳ではありませんが、従前のメンバーシップ型のコアメンバーたる条件としての「新卒入社、日本人、男子、総合職」という暗黙の了解が少しずつ(ですが)取り崩されていく可能性も出てきています。この傾向は組織と個人の「反脆さ」を増すという意味でよい兆候と思われますが…要観察です。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: chikanabeさんの拙著書評:

« 「何となく文学部」よりもっとヤバいのは・・・ | トップページ | NIRA研究報告書『人類文明と人工知能Ⅰ―近代の成熟と新文明の出現―』 »